太清堂5ぽんぽこ (4)

太清堂5
斗酒庵 月琴の喚ぶ声を聞く の巻2018.3~ 太清堂5ぽんぽこ (4)

STEP4 ティンダロスな量刑

 前修理者のシワザ(怨)により,最初のほうで足踏みがあったものの,ようやく組み立てまでたどりついた太清堂ぽんぽこ。

 前回も書いたとおりこの作者,楽器職としての一般常識とデザイン・センスに時折穴があいているだけで,木の仕事の腕前は素晴らしく。今回の楽器も保存の状態はかなり過酷だったと思われる割に,部材の狂いも少なく。ボンド抹殺後の現状,このまま単純に組直して行けば,だいたいもとの状態にはなるかと。


 追加した補強板が干渉しないのを確認したところで,上桁を接着しました。

 ほかの楽器では見たことのない,上桁を上方に極端に寄せたこの構造は「胴内の共鳴空間を広くする」というメリットはあるものの。メリットを追求すると,かならずデメリットが発生します----これは,物質に対して反物質が存在するくらい宇宙の深淵から言っても間違いがないこと。金持ちが儲かれば貧乏人が苦しむし,転生して授かったチート能力には「魔王の討伐」というデメリットがついてくるものです。
 これをこうすれば,胴体の強度やバランスに問題が出るだろうな~ということは,ふつう見ただけでも容易に想像がつきましょう。
 さらに追い込むなら,この太清堂独創の構造…実のところあまり意味をなしていません----ていうか,どっちかというと失敗してますね,コレ。(w)
 表板を軽くタップしてみると分かりますが,桁のある上部は「コツコツ」とほとんど音が響かず,桁のない下部は「ボワボワ」としまりのない感じで,ただただ鈍く振動が散らばるばかり。強度的なバランスが悪いだけでなく,音の響きにもかなりのバラつきが出ちゃってます。この構造だと棹口から上桁までの間はモノが詰まってるのでほとんど振えないし,そこから下の空間はたしかに広いものの,ギターのブレイシングのように振動を指向するものが何もないので,ただ無秩序に拡散するだけになってるみたいです。

 古物屋がボンド漬けにする前のこの楽器の原状から推測して,このバランスの悪い構造が「バラバラ一歩手前」という状態の遠因であることはほぼ間違いないかと思います。接合部や面板の剥離が楽器下部にとくに集中していたのも,ここに板や部材の収縮の影響を抑えこんだり散らしたりできるような構造がなかったからですね。

 メリットととデメリットは物質と反物質のように相反の関係ですが,メリットの方向性を少しズラし,わざと毒にも薬にもならない「暗黒物質」がわに寄らせると,メリットとデメリットの間がなだらかに埋まって 「なんとなく存在するのにちょうどいいくらいの」関係が成立することがあります。

 太清堂の工夫の要は,上桁の位置取りとこの薄い下桁(?)。
 この構造は,胴の背面が筑前琵琶や中国のピパのようなボウル状の「槽」になっている,もしくは背面の板が桐でなくもっと硬い----たとえば唐木の薄板になっているといった場合なら,弦音を前方向に反射するという効果を生み出す可能性がありますが,この楽器のように表裏ともに桐板では意味をなしません。ましてや同じ材質で片がわにだけこれがついているのでは,表裏で板の収縮に差がついて部材のバランスをくずし,故障の遠因となりかねません。

 いつも書いてるように,原作者の工作に改変を加えるのは,修理者としての正道にはもとるのですが,原作者の工作そのものに問題があることが確実な場合,それをそのまま看過することはできません。とはいえ,この構造自体を全変更というわけにもいきませんので,ここに必要最小限の改変を加え,せめてこれを「メリット寄りの暗黒物質」に変えてやりたいと思います。

 ----で,こうだ。

 まずは現在開いている裏板がわに,表板と同じ工作を施します。
 下桁(?)の対面に同じようなものを追加するんですね。材質は同じヒノキの板。左右端のはめ込みも,桁がずれたりはずれたりしないよう,やや台形に刻みます。
 この状態だと単に 「表裏板ウラの工作を同じにした」 という程度ですが,これでは意味がない。表裏にかかる力を相殺して散らすためには,この二枚の細板がつながっている必要があります。正直なところ,これとッぱらって上桁と同じような板をもう1枚入れちゃうのが最善策なんですが,そうすると原作者の意図全否定になってしまいますので。

 表裏下桁(?)の中央に小板を固定します。
 そういえば,中国月琴やベトナム月琴の内桁はこんな感じ。これでもこの楽器の内桁として成立するということでもありましょう。
 中央の板の幅は4センチほど。
 これによってひとつには「ただ表板の裏にへッついてるだけ」の存在だった下桁(?)が,構造を支える立派な「下桁」になったわけで。ふたつにはこれに,振動を指向させる「魂柱」みたいな効果も期待しています。そのための小細工として,中央の小板のところで裏板が1ミリだけ盛り上がる----ごく浅いアーチ状になるようにしてあるんですね。わずかでも音が前方向に反射してくれれば良いんですが,駄目でもさほどの寸法差ではないのでこの工作,「暗黒物質」となるていどで落ち着いてくれましょう。(w)

 とりあえず内がわの用事は済んだので,裏板を接着します。
 構造的なバランスの悪さの解消と補強という目的はクリアしてますので,そのうえ余録を求めるのはいくぶん強欲なれど----さて,これでどうなることやら。

 …おっと,その前に。
 裏板が開いてるうちに,棹の調整をしとかなきゃなりませんな。
 いや,あやうく忘れるとこでした。


 毎度フシギに思うんですが。
 太清堂の楽器の棹は(1)のライン,すなわち胴体との接合面を基準として測ってみると,棹全体はゆるく楽器の背がわに傾いていて,指板面が山口(トップナット)のところで胴表面板の水平より-3~5ミリ下がっている----といった,この楽器としては理想的な作りになっているのですが。
 毎度棹口付近の工作がまずかったり,棹茎の接着が甘かったりで,楽器に挿した状態だと指板面が水平から下手すると前かがみになっちゃってたりしてるのですよね。
 今回の楽器でも,棹本体部分の工作はバッチリなんですが。棹茎のとこがなぜか上向きになっちゃってるといったナゾ加工になっています。
 たいていほんのちょっとした修正で直るので,なんか毎度百年越しの尻拭いをさせられてる気分になります。(w)

 今回も棹の調整は,棹茎の上面を少し削り,スペーサを上桁に1枚,棹基部に3枚貼ったくらい。
 いつものように延々と続調整地獄もなく,すこし物足りないぐらいの作業でスルピタ・バッチリが実現されました。



(つづく)


月琴59号 ぴょんきち

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どっこい生きてる 斗酒庵 の巻2018.3~ 月琴59号 山形屋ぴょんきち(2)

STEP2 ゴリライモってすごいあだ名だよね

 作業名の由来の紹介で,前回は半分ぐらい使っちゃいましたので,今回は調査の続きから。

 表板と側面の一次清掃で,楽器の状態がかなり分かるようになりました。
 そもそも清掃前は板と言わず側面と言わず真っ黒で,どこにどんなキズがあるやら,まったく分かりませんでしたからね。これによって外がわからの観察はだいたい終わりましたので,つぎに裏板をハガし内部の状況をチェックしてゆきたいと思います。
 さいわい裏板の中央に大きなヒビ割れがあり,その左右はほぼ完全にハガれちゃってましたし,そのほかにも剥離してる個所があり,さらには余計なボンド漬けもされてませんでしたので,今回はかなりラクにはずれてくれやがりました。

 山形屋の内部構造はどれもほぼ同じ。パラレルの二枚桁で,上桁はがっちり固定されてますが,下桁は左右が側板に密着しておらず,ほとんど表裏の板ではさんで固定してるだけ,みたいになってます。桁には音孔があったりなかったりしますが,桁に使われている板が,ほかの作家さんのよりやや薄め(厚6~7ミリ)なところを含め,基本的なところは変わりません。

 外がわは真っ黒だった割に,内部は比較的キレイですね。
 響き線にもほとんどサビが浮いてません。

 板の内がわは染めもされてないので,この板を構成する小板の枚数を数えるのが比較的容易なんですが,この表板,数えてみたら,確認できるだけで12枚もの板を矧いで作ってますね。いちばん幅のあるので43ミリ,もっとも細いものは18ミリしかありません。関東の月琴はとくに,かなり早い時期から表板に柾目が好んで使われていたせいもあり,小板が多いのですが(柾目板のほうが目が合わせやすい),それにしても多いほうですね。
 裏板は9枚矧ぎ。例によって表板より若干質の劣る部分で,板目の合わせもややテキトウですが,表板もふつうは,多くてもせいぜいこんなぐらいなんですがね。

 いままで扱った山形屋の楽器のデータを比較したら,少し面白いことが分かってきました。
 胴の大きさは20号が346,29号が345と340ミリ台。54号が360で,この楽器がその中間の350となります。
 同時作業中の太清堂ぽんぽこの記事でも触れましたが,この楽器は胴の厚みや大きさをわずかでも小さくすると,けっこうなコスト・ダウンにつながります。胴材の厚みについては山形屋,さすが石村を名乗るだけあってもともと桁違いに腕が良い。どの楽器もほとんど素材の限界みたいな厚みで切り出されてますんで,これ以上は無理。そうすると後は全体の大きさしか切り詰めるところがありません。利益率の低い薄利多売の楽器ですので,わずかなコストの削減が儲けにつながります----そこからすると胴の小さいほうが後で作られたものである可能性が高くなります。

 そしてこの響き線。
 前回修理した54号の響き線は,胴内に入る限界まで長くした弧線だったものの,その形状や工作には特に見るべき特徴はありませんでした。この楽器のものも,単体ではさして言うべきところもなかったのですが,これを今まで扱った彼のほかの楽器の響き線と並べてみると,面白いことに気づきます。
 はじめのころに見た20号や29号の響き線は,根元のところで急に上に立ち上がって折れるという個性的なものになっていました。これは36号のZ線と同じく,根元に折れ曲がりをつけることで,線の振幅に一定の指向性を持たせようとした試みの一つと思われます。
 響き線は長いほど弦音に対するエフェクトが深くなるのですが,長くなるほど振れ幅や自重による変形が大きくなり,効果よりも演奏の邪魔(ノイズ)になる「線鳴り」を起してしまいがちになります。そこで国産月琴では,前後よりも上下方向により大きく振れるよう,線の動きを制限するさまざまな方法が試みられていました。
 20号や29号の線も,そういう試作と経験を経て出来あがっていったものだとするなら,上にも述べた胴の大きさなどのデータとも照らし合わせ,いままで庵主の扱った4面の楽器の製作順と響き線の形状は,右図のような関係になるのじゃないかと推測されます。(基部の上の線は上桁の下面)
 -----とはいえ。
 国産月琴の響き線の工夫については,これまでにも何度となく紹介してきましたが,正直その多くは 「まあやってみただけ」 的な,あまり効果の期待できないシロモノで。
 山形屋のこの構造も,考えとしては間違っていない方向なのですが,彼とにかく長い線をブチ込むのが好きなので,今まで扱った彼の楽器の響き線はことごとく,先端が桁に刺さる・ひっかかるなどして,ちゃんと効果的に働いていないという情けない状態になっていました。
 さいわいなことに,今回の楽器のはその工作が(おそらくは意図的ではなく)奇跡的に噛合っていて,オリジナルの状態ではじめて響き線が(いちおう)使えるモノになってます----いやほんと奇跡的。山形屋,腕は格段にいいんですが,こういうけっこう大事なところの最終的な仕上げとか調整を雑にほっぽらかす傾向があるんですね…… orz 響き線自体の工作も状態も良いので,ちゃんと直ればかなりの激鳴り楽器になるでしょう。

 ひとつ褒めても続けちゃ褒めきれないのが山形屋の楽器です。(笑泣)
 この単純な構造の楽器にとって,内桁というものは背骨でもあり腰骨でもある大事な部品です。下桁は上にも書いたよう,もともと左右端がほとんど接着されておらず不安定な状態なので,こうやってハガれてしまってるのはよくある故障なんですが。上桁………なんですか,こりゃあッ!?(怒)

 節があったところからバッキリ割れて,端のほうが少し潰れたみたいになってます。もちろんこれは衝撃とかによる破損じゃありません。ここがここまでぶッ壊れるような事態なら,表板のこのへん,もっとぐちゃぐちゃになってますもン----材質的な自壊ですね。

 修理の関係上これもはずしたんですが,そしたらこんどは表板にひっついてたがわに長くて大きなカケが……この部分の接着面,厚さ6ミリの半分もありません! いや,外から見えない内部とはいえ,いくらなんでもこんな大事なとこに,こんなアブない材料使うなよ!

 胴の接合部は,三箇所接着が飛んで,一箇所だけがくっついています。
 はずれてる接合部にはわずかですが狂いも出てますね。

 楽器正面から見て右下にあたる接合部には小さな割レ欠ケがあり,接着も飛んで少し食い違いも出ており,そのすぐ横には竹釘が1本打ちこんでありました。
 当初はコレ,前修理者がこの剥離や食い違いをなんとかしようと,クギで板の向こうがわにある(はず)のカタマリに,浮いた部分を打ちつけて固定しようとした----んじゃないかとか思ってたんですが。この軽い楽器を持ってみれば,この外殻の向こうに何か「カタマリ」があるなんてそもそも考えるわけないですわな。(w)
 あらためて観察してみますとここには,接合部の小割レ欠ケ食い違いのほか,表裏板にヒビ割れ,打圧痕など。それぞれがそれほど大きくはないものの,様々なキズが集中していました。その割レやヒビの延長線上の交点にこのクギ孔があり,よく見たらその上下斜めにもうす~くヒビが入っています。
 そこからすると,このクギは板を固定するためではなく,おそらくはこのヒビがこれ以上進行しないよう穿たれた「ヒビ止め」の孔をふさぐものだったと思われます。

 側板の損傷がもう一箇所。
 地の側板のほぼ中心あたり,裏板がわにもヒビが入っています。
 表面的にはそんなに大きくありませんが,思いのほか深く,板との接着面にまで入りこんでますね。

 これらから考え,この楽器は少なくとも2度ほどけっこうな衝撃を受けてているようですね。
 ひとつめの衝撃は,割れ欠けのある右下接合部のほぼ直上,表板の縁のところにかかったもの----おそらくは抱えていて落っことしたんだと思います。ちょっとではありますが,接合部が砕け,斜めにヒビが入ったくらいなので,下は石敷きかなんかだったんじゃないかな? 楽器は表板がわを下にしてやや斜めに落ち,板の縁が当って少しはずみ,何かの角にぶつかって止まった感じ。この損傷部の少し上表板の縁にあるかなり深い打圧痕が,その最後の過程の結果ではないかと。
 地の側板中央のヒビは,裏板がわの縁がぶつかってできたものなので,これとは別件かな,と考えてます。こちらは楽器尻からほぼ垂直に落っこった感じですね。
 内桁の損傷も最終的にはまあこれに関連してるのかもしれませんが,穴が開いたのも割れたのも基本的には山形屋の雑な素材選びに起因しており,ここに関しては前所有者無罪と庵主は考えます。

 さて----これにて外面から内面まで調べ終えました。
 今回もけっこういろんなことが分かり,興味深い。
 月琴の内部はやはり「宝箱(時折ミミック)」なんですな。
 59号ぴょんきち,フィールドノートはこちら(画像クリックで別窓拡大)。

(つづく)


太清堂5ぽんぽこ (3)

太清堂5
斗酒庵 月琴の喚ぶ声を聞く の巻2018.3~ 太清堂5ぽんぽこ (3)

STEP3 星辰に正しく月琴のかかる刻

 ふんぐるいむぐるうなふくとぅるうるるいえうがふなぐるふたぐんふんぐるいむぐるうなふくとぅるうるるいえうがふなぐるふたぐん,いあ!いあ!……あ,いえ。
 ちょっと邪神さまにお祈りしていただけです。(w)
 いやだなあ,誰も呪ってなんていませんよぉ。(棒読み)

 胴体の接合部という接合部,接着面という接着面にベットリとなすりつけられていた大量の木工ボンドをハガし,削り,こそげとること一週間----ほぼ完全に分解された部材のすべての清掃が,ようやく終了いたしました。
 太清堂ぽんぽこ,これでようやく「修理の入口」のところまでたどりつけたわけですね。

 分解の過程で分かったことから木工ボンド前のこの楽器の状態を推測するに。裏板は周縁ほぼ完全に剥離,表板もごく部分的に接着が残っている程度で,周縁はほとんど同じような状況だったでしょう。天地の側板も剥落寸前,地のほうは一度落ちちゃってたかもしれません。
 まあ,かんたんに言うと「バラバラの一歩手前」くらいだったと思いますね。

 また,棹の胴との接合面となかごの先端にニカワの固まりが付着してたことから,当初は棹が胴に固定されていたのかもしれません。これはおそらく原作者の仕業で,棹茎を短くしすぎて強度が心配になったか,取付け設定のユルさを接着して誤魔化そうと思ったのかもしれません。これもそれそこけっこうな量付いてたようですが,材料のせいか雑だったためか,ほとんど意味をなさずに終わったようです。

 ボンド魔の作業が粗かったおかげで,表板には分解時の損傷がほとんどありませんでした。いくつかのヒビ割レとボンドの下から現れた虫食いを埋めたら,もう次の作業に入れる状態です。

 側板のほうにも虫食いや欠けがありますので,こちらも埋めておきます。板のほうは木粉粘土で充填して緩めたエポキを浸透させるいつもの形式ですが,側板のほうには唐木の粉を直接エポキで練ったより硬質なパテを用います。

 それぞれの補修部分の整形が終わったところで,あらためてきっちり測って新しい中心線を出した表板に側板を接着してゆきます。まずは棹口のある天の側板,続いて地の側板をつけ,楽器の背骨にあたるラインを復活させます。一晩養生させたところで左右の側板。
 四方の接合部が,もっとも段差なく噛合うあたりを微妙に探して左右を接着。この際,薄っぺらの下桁も組み込んでおかなきゃならないあたりが,ふつうの構造じゃないだけちょっと厄介でしたね。しかもこの下桁,かなりしっかりと表板にへっつけなきゃならないので,いろいろと工夫しました(とか言って重し置いただけかよ!ww)

 太清堂,木の仕事の腕前はかなりのもので。この楽器なんて製作後百年以上たち,そのうえおそらくけっこう長い期間バラバラになってたはずなんですが,部材の狂いは縦横1ミリあるかないか。矯正不要,ふつうに組み合わせただけで,ほとんどピッタリとおさまります。素材の選び方や木取りの見立ても巧かったんでしょうね。
 とはいえ,これまで扱ってきた太清堂の楽器と違い,胴四方の接合は最も一般的な木口同士の擦り合わせ接着のみ。胴材が厚めで接着面がやや広いとはいえスキマは出来てしまっています----まずはここから補強してゆくとしましょう。

 ここまでのところ,この側板は板とくっついてるだけで,側板同士は接着されていません。
 胴四方の接合部にニカワを流し込むのと同時に,接合部のスキマに桐板を薄く削いだスペーサを埋め込み,周縁にゴムをかけまわして密着させ,さらに板クランプではさみこんでがっちり固定します。側板が無駄に厚いため,接合部をそれぞれ順番にやっちゃうと,作業中に変な歪みが出ちゃう可能性がありますので。作業は事前に準備調整をじゅうぶんしておき,一気にやってしまいます。

 一昼夜ほど養生させたところでもう一手間。
 お飾りなどのデザイン・センスはちょっとアレ(w)なんですが,太清堂のいつもの楽器には,基本的な木の仕事の部分のほか,ほかの作者がやっていないちょっとした工作など,見るべき良い点がありました。しかしこの楽器はおそらく太清堂の実験的な初期作。そのため,いままで扱ってきた彼の楽器にあったような「いつもの工作」がいくつかありません。
 その一つがコレ。内側に木片を渡して接着する,接合部の補強板ですね。
 今回はとくに側板がかなり分厚いので,庵主がいつもやってる和紙の重ね貼りでは少々不安が残りますし,この接合部の具合如何で楽器の響きがずいぶんと違ってきます。ここは彼の「いつもの工作」でやってしまいましょう----ナニ,原作者がほかでいつもやってたことを施すのですから,そんなに問題はありますまい(w)



 逆に考えますと。
 これまでの楽器で見てきたこの工作,庵主はいつもちょっと大げさだなあと思っていたんですが。これは彼の初期の楽器が,これと同じように分厚い胴材で構成されていたからだったんじゃないでしょうか。
 ここの割れ・剥離はこの楽器でよくある故障の一つです。材が厚いと木口の接着面は大きくなりますが,材自体の収縮も相当なものになるため,完成後にそういう剥離はかえっておこりがちになります。それに懲りた作者が,接合部をよりガッチリ固定する方法としてやるようになったのがこの方法で,作り慣れてきてからのち,コストダウン等の関係で材が薄くなり,ここまでの補強が必要なくなってからも同じ工作を続けていた----そんなとこだったのかもしれません。

 とまれ,太清堂の「いつもの工作」はけっこう雑で,そこらに転がってる端材の小板を,粗材のままテキトウに刻んでへっつけただけ,みたいなもの(^_^;)>なんですが。庵主は彼よりもう少し神経質なので,接着面もきっちり合わせ,接着後にはできるだけ小さく均等に整形しておきますね。

 今回はこんなところで。

(つづく)


『崎寓漫録』における月琴とその構造

古書における月琴
斗酒庵 古書をふみとく の巻『崎寓漫録』における月琴とその構造について

 今回は,修理過程の紹介をちょっとお休みして,最近見つけたちょっと興味深いことなど。

 『崎寓漫録』(無窮散人)という本があります。
 『崎寓漫録換午睡』とも題し,鎖国時代の長崎で見聞きしたことをまとめた本の一種ですね。当時の長崎は知識人や文人にとって,最先端の知識・情報が得られるあこがれの地でしたから,こういう見聞録の類がけっこうな数残されています。
 写本で伝わり,いくつかがウェブ上で見られるますが。その中では国立博物館のアーカイブにある写本がいちばん状態がいいかな。
 序文の記年は天保7年(1836)。これだとまだ平井連山も鏑木渓菴も清楽家として世には出てないころ。ひとつ前の世代,連山の師匠の曽谷長春だとか,渓菴の習った宮沢雲山なんかが活躍していた時代ですね。
 この『崎寓漫録』にこんな月琴の図が載っていました。
 解説にはこの楽器について 「胴棹柱天柱共紫檀/両面桐薄板胴指径一尺七分/厚一寸五分/柱長キモノ二寸二分,短キモノ各一寸六分/(糸倉)4寸/(棹本体)三寸三分/糸通蝙蝠尾形共大サ寸法如図」 とあります。仮名混じりのインチキ漢語風文体(w)ですが,訳しますと。

 胴・棹,およびフレットはすべて紫檀製
 表裏は桐の薄板
 胴径:一尺七分(324ミリ)厚:一寸五分(45)
 フレットは最大のが二寸二分(66),短いものが一寸六分(50)
 糸倉長:四寸(120),棹長:(100)
 テールピースやコウモリの頭飾りの大きさは図を見て比較判断せられたし。

 といったところでしょうか。
 明治のころの唐物月琴と比較しても,胴は小さく棹もかなり短めです。
 糸巻がやたらと細い,トップナット(山口)がない。棹上のフレットもなにやらずいぶん下方に描かれてるなど,写本ということを考えても正確な図とは申せませんが,まあ楽器としてのだいたいの特徴は捉えられているかと。蓮頭の下,糸倉の先端がやたらに長く描かれてますが,同様の作例がないでもないので,ここはかならず誇張とはいえませんね。

 前にもちょっと書いたことがあるんですが,こういう円形の胴体に短い棹のついた,いまわたしたちが「月琴」と呼んでるところの楽器の類が,日本ではじめて記録されたのは,おそらく宝永7(1710)の『琉球聘使記』(荻生徂徠)の中で,琉球からの使節が持ってきた楽器のひとつとしてのもの。(ただしそれが「月琴」であるとは書かれていない-参考 「月琴の起源について」(7-御座楽の月琴)

 琉球の使節の記録には,宝暦2年(1753)以降,「月琴」の名がたびたび出てきますが,これら琉球から招来された同じ名前の楽器には,台湾月琴のように棹の長いものも含まれていたようで,すべてがかならずしも,今一般的な「月琴」と同類であったかは不明です。そうした楽器のひとつ,いま徳川美術館に残っている「月琴(イヤウキン)」が献上されたのが,これよりちょっと後の寛政年間,1700年代の末ごろですね。


 のち,日本の月琴のスタイルに大きな影響を与える楽器を作った福州の楽器舗・「天華斎」の開店が嘉慶6年(1801)のこと。

 遠山荷塘が長崎の木匠に月琴を作らせたのが文政7年(1824)と言われています。その前にも同じように輸入品の楽器を手本に作られたものはあったでしょうが,国産月琴の場合,記録としてさかのぼれるのはだいたいこのあたり。

 瀧澤馬琴の耽奇会に「清月琴」が出品されたのがその翌年,文政8年(1825)の11月。『耽奇漫録』には,木の葉型のテールピースをつけ,紅葉の模様が散らされた楽器が載っていますが,意匠からすると,これなんかは本当の輸入品なのか,それとも日本で作られた倣製月琴を好事家が「つかまされた」モノなのか少し疑問アリです。

 『崎寓漫録』の作者がいつごろ長崎に漫遊していたのかは正確には分かりませんが,『武江年表』が「近頃月琴を弾すさぶもの多し」と記す江戸期のブームの頂点が1840年代前半,この楽器が江戸などではまだ少し珍しいものであったころと考えますと,「月琴図」の楽器もこれらとほぼ同時期,1820年代から30年代前半ごろのものと考えるあたりが妥当でしょうか。


 さて,間にかなり余計な事も書いちゃいましたが。

 『崎寓漫録』の月琴図は2枚ありまして,1枚目には上に引いたような楽器の全体図。もう一枚には蓮頭と半月と撥(ばち),そして「響き線」の拡大図が描かれています。

 線自体の材質が何なのか,根元のところがどうなってたのか,またこれがどういう具合に仕込まれていたのかなど,詳細は書かれてませんが,線自体の構造はけっこうハッキリ描かれていますね。棹孔から覗き見たものか,あるいは楽器が壊れていて,内部が見られる状態だったのか----ていうかコレ。こないだ直した58号など,太清堂の楽器に多く入っているのと同じものですよね!
 直線と先端が螺旋になった2本の線を組み合わせたこの響き線は,サイズも可動域も小さいのですが,効きはよく線鳴りもほとんど起きない,かなり進歩的な構造です。このタイプの響き線がほかの作者の楽器に入っているのを見たことがないので,庵主はずっとこれを彼オリジナルの独創的な構造だと思ってましたが,まさかこんなところでその類例が見られるとは……まさかこの『崎寓漫録』の楽器は太清堂の作?

 いやいや,楽器の状態や材質から言って,彼の楽器はどう見つくろっても明治の中ごろに作られたシロモノです。
 数もかなり残ってますし,天保年間じゃいくらなんでもちょっと古すぎますね。

 メイン楽器である月琴に入っていたためか,日本の職人さんたちは清楽器といえば琵琶にも弦子にも,あまつさえお箏を縮めたようなジャパニーズ・ダルシマー「洋琴」にも入れまくったのですが,この「響き線」というのは中国楽器でも月琴ぐらいにしか入っていない,けっこう珍しい構造なのです。しかし,中国の楽器関係の書物ではなぜか,これの起源や来歴について詳しく論じたものをいまだに見かけたことがありません。

 徂徠先生の見た琉球の「月琴」には響き線が入っていたようなのですが,耽奇会の「清月琴」は不明。天保14年序の『筠庭雑考』(喜多村信節)巻2の図解には 「月琴は槽内に鉄を薄く細長くしたるを磁石の針の如く宙にありて動くやうにしたる物あり。是を "響膽" と名づく。」 とありますので,響き線については知ってたようですが,図にある楽器は,棹なかごが胴を貫通して先が尻につき出ているタイプなので,響き線の入っていないタイプの可能性もあります。
 実際に入っているのはだいたい,ふつうの細いハリガネに軽く焼きを入れた鋼線なんですが,うちの13号(文久3年 西久保石村作)の響き線などは,喜多村信節の言う「鉄を薄く細長くしたる」に近い感じで,ハリガネではなく板金を細く切ったものでした----でもまあ「ふつうのハリガネ」でなかった例はそのくらいで。

 天華斎などの唐物月琴の,肩口から胴を半周する長い弧線が,国産月琴のなかで90度横向きになったり,もっと単純な直線になったりという過程は,いままで修理してきた楽器の観察などからもだいたい想像がついたのですが,太清堂のこの響き線の構造だけは,ほかの類例が見つからなかったので,どこから思いついたものなのか,という疑問はずっとありました。
 今回の発見で,作者がこの『崎寓漫録』を見たのでなければ,この本に録されたのと同じ構造の古い唐物月琴をお手本にしていたか。あるいはこの楽器自体が倣製月琴だったとすれば,これを作った長崎あたりの木匠と同じ系統の作家さんだった,という可能性も考えられますか----発見はあったものの,なにやら謎は解決したわけではなく,かえって深まった,という気もしますね(w)

(つづく)


月琴59号

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どっこい生きてる 斗酒庵 の巻2018.3~ 月琴59号 (1)

STEP1 月に棲まうはウサギと…

 58号の修理が終わり,依頼修理のぽんぽこが舞い込んできた同じころ。
 庵主の手元に新しい自出し月琴が到着いたしました。
 ラベル等は残ってませんが,胴左右のニラミの彫りや棹の作りなどから,薬研堀・山形屋雄蔵(石村勇造)の楽器と思われます。ちょっと前にお嫁にいった54号,あと20号や29号と同じ作者ですね。
 スマートな棹の,端正な楽器を作る作家さんです。

 蓮頭と半月はコウモリの模様
 あと中央の円飾りと扇飾りは,梅花をあしらった,ちょっと凝った意匠になってますね。

 半月やニラミ(胴左右のお飾り)は54号とほぼ同じデザインですが,ほかの飾りの手は,今まで扱ったこの人の楽器とすこし異なっているし,蓮頭のコウモリのデザインは,鍛冶町海保や馬喰町の福嶋芳之助(菊芳)など,店号にヤマのつく菊屋系の作家さんの楽器でよく見られるもの。山形屋は店号もマルに石の石村の系統なので,ちょっと系統が異なります。
 そこからこの3品(蓮頭・扇飾り・中央飾り)は後補かな?----と思ってたんですが,後で資料を見てみたら,これとは別の山形屋の楽器で,ほぼ同じお飾りの組み合わせのものが見つかりましたので,作者についてはまず間違いないかと。
 海保菊屋は神田駅の北東出てすぐあたりとちょと離れますが,馬喰町菊芳なんかはいまの浅草橋南詰,女学館のあるあたり。山形屋のあった東日本橋の薬研堀とはずいぶん近場ですから,もしかするとそういう縁で何か交流があったのかもしれません。

 まずは調査と計測----

 全長:655
 胴徑:350,厚:38(表裏板各厚4)
 有効弦長:418(推定)

 54号との違いは,中心線上のお飾りと半月での弦間くらい。有効弦長はぴったり同じですが,半月にあいてる糸孔の間隔が,外36内30と,こっちのが4~5ミリ広くなってます。
 目立った損傷は,糸巻が1本なくなっているほかは,裏板の大きな割レくらいですね。

 山口は欠損,後補で何か練物みたいのを固めた山型の物体が付けられています。
 あと楽器正面,向かって右下の接合部のあたりに,クギのようなものが刺さっていますが,さてこれは何なのか。

 そのほかはまあオモテもウラも棹も真っ黒けに汚れてるんで,正直ほとんど分かりません。
 修理のためにも,楽器の状態をよりちゃんと把握しておきたいので,こっからはフレットやお飾りをはずし,ちょっと清掃しながら調べてゆきたいと思います。

 山口のところにへっついてた物体をはずしたら,下から釘が出てきました。同じような工夫はほかの楽器でも何度か見たことがありますね。指板を切って段差を付けるのと同じく,弦圧のかかる山口の接着補強の方法の一つです。山形屋の楽器で見るのははじめてなので,これがオリジナルの工作なのか,あとで所有者が加えたものなのかは分かりませんが。

 フレットは3枚ほど,木工ボンドでへっつけられてました。数はいちおう8枚そろってますが,洗ってみると3種3組,それぞれ材質や加工の異なるものが付いていたようです。象牙が2種類6枚と牛骨か鹿角のが2枚…ですかね。
 第1フレットは幅が少し足らず,棹上のほかの2枚は逆に少し余ってますので,この3枚はほかの楽器からの移植。牛骨か鹿角の2枚は加工が粗く,いかにも素人っぽいのでこれも後補でしょう。色の濃い高音域の3枚だけがオリジナルなんじゃないかと思います。

 半月も片側半分くらいすでに浮いてしまってますから,調整して付け直すためにもいっしょにとりはずしてしまいます。ボンドによる再接着箇所も今回はフレットなどの数箇所だけ,あとはだいたいニカワ着けでしので,今回は比較的ラクでしたね~。

 くっついてた部品をすべてはずしたところで表板の清掃。
 うわあぁあああ…重曹水がたちまち真っ黒,エスプレッソ色になりますうぅううう!

 本来,山形屋の楽器は色白で,面板の染めもごくごく薄く,たとえ保存状態が悪かったとしても,ふつうこれほどまでに真っ黒になるとは思えません。
 また,胴体上に残ってたオリジナルと思われる3枚のフレットが不自然に黄色く変色していたことも思い合わせると,これは後でかなり濃いめに染め直されたんじゃないかと思われます。
 古物屋がブツを古めかしく見せるため,柿渋などを塗って汚したりするのはよくある話しですが,これもそうした一例か。あるいは前使用者が水濡れなどでシミや色むらが出てしまったのをどうにかしようとしたのかもしれません。ただそれを,本来ならいま庵主がやってるみたいに,部品をぜんぶはずし板だけ染め直すとこでしょうが,えい面倒くさい!と,フレットやお飾りのついたまんま,かなり濃い染め汁ぶっかけたんでしょうねえ(汗)

 バチ皮の下から大きな虫食い痕がでてきました。
 縦に2本,かなりぶッ太く食われちゃってますが,表面的なもので貫通はしてません。

 さて,ここに貼ってあったバチ皮----庵主はこれを当初,うすーい和紙になにか動物っぽいマダラ模様を墨で描いたもんだと思ってました。
 けっこうしっかり貼りつけてあるけど,まあ薄々だし,ボロボロになってるし……ちょっと濡らせばモロモロ砕けて崩れてくるだろ,くらいに考えていたんです。ところがこれ,水に濡らしてもぜんぜん破れもしないし崩れもせず,けっこう丈夫で,素直にペリペリと剥がれてきました。
 いままで月琴の修理では見たことのない模様と質感。向こうが透けて見えるくらい極薄ですが,間違いなく何か動物の皮ですね。

 ウロコはないから少なくともヘビではない……とりあえず,資料としての保存のため裏打ちをしていた時,気がつきました。この皮,乾燥した状態だと,表面真っ平らでツルツルなんですが,こうやって濡らすと,生体だったときの微妙なデコボコが浮き出てくるようです。

 左右のまだら模様,そして背中のこの凸凹……たぶんアレですね,ぴょんぴょん。

 庵主,植物関係には強いんですが動物のほうは不案内,いちおうその筋の専門の方にも見てもらいましたが,たぶんニホンヒキガエルの皮とのこと。 バチ皮の寸法は横12x縦9センチ,ヒキガエルの成体の平均的な全長は14センチですので,両端が切断されてるのを考えると,かなり大きい個体だったようです。現在東京に生息しているのは平均標準くらいの大きさだが,昔は都内でもけっこうな大きさのものがいたかもしれないとか。たしかに,江戸時代の随筆でも,どこぞの大名家の屋敷で発見された大蝦蟇の見世物なんて話しを見た記憶がありますからねえ。

 かなり丁寧に加工されています。
 ほとんど生皮ではありますが,濡らした感じからすると,ごく軽く鞣しも入ってはいるようです。両生類の皮を皮革として用いるという例は,外国では聞いたことがありますが,日本だとむかし読んだ本で,山窩の方なんかがそんなことをしてたという話と,狩猟につかう笛の一種で,共鳴膜だかふいごになるところに使う,という事例がおぼろげに記憶にあるくらいで。庵主も月琴で使われてるのを見たのはハジメテ…いや,素材としてのこの皮自体はじめて目にしました----いやあ,長生きはするもんだ。(w)

 ここによく貼られているのはニシキヘビの皮,もちろん山形屋のシワザとは思えず,前所有者による後補でしょう。なんで布とか紙でなく,こんな珍しいものをわざわざ使ったのか,そのあたりの理由なんか分かれば知りたいところですね。

 そのころの持ち主が知っていたとは思えませんが,月琴と「カエルの皮」,実はちょっとした因縁があるのです。

 中国西南の少数民族・イ族は月琴を「俄吧琴(いーばーチン)」「俄吧月琴」と呼ぶことがあります。「俄吧」は当て字で,当地で「青蛙(チンワァ)」つまりトノサマガエルの類を指す語。これを漢語に直して「蛙琴(ワーチン)」という言い方もあります。
 彼らが月琴をなぜ「カエルの琴」と呼ぶのか。
 こんな伝説があるからです----

 むかしむかし。
 人間と動物はまだいっしょくたで,言葉も通じず頭も悪かったため,おたがいに争いごとばかり起してました。これじゃいかんと,天の神様は凉山のてっぺんに,四つのお碗を置きました。金・銀・銅・木のお碗です。そこにはバカになる水,悪いものになる水,善いものになる水,そして智慧のつく水が入っていました。どんな動物でも,そのうちどれか一つの水を飲むことができました。みんな智慧の水が欲しかったんですが,どれが智慧の水なのかは誰にも分かりませんでした。
 そのころ,彝族のご先祖の村に一人のみなしごがいて,邛海(みずうみ)に棲んでる神蛙が,そのお椀と水の秘密を知っているという噂を聞き,家を出て邛海へと向かいました。邛海に着くと一羽のカラスが神蛙をいじめていたので,みなしごはそれを追い払って,ケガをした神蛙を助けました。みなしごは神蛙に自分の来た理由を話し,教えを請いました。神蛙は感謝して,みなしごに木の碗に入っているのが智慧の水だと教えてくれました。「智慧の水にはすべての傷をなおすききめもあるので,とってきたらわたしにも飲ませてほしい。」
 神蛙と別れた後,みなしごは凉山のてっぺんに行きました。智慧の水を飲もうとした時,例のカラスめがそれを奪おうと飛んできたので,みなしごは木のお椀の水を一滴残らず飲み干してしまったのです。ああ,どうしよう。これじゃあ神蛙さんのケガをなおしてあげられないじゃないか。
 がっかりしながら湖に帰ると,あわれ神蛙はカラスについばまれ,皮だけになって死んでしまっていました。みなしごはカラスをやっつけましたが,神蛙はもう生き返りません。
 みなしごは神蛙を悼んで,智慧の水の入っていた木の碗に神蛙の皮を張り,お月さんみたいな楽器を作って,辛い時や悲しい時に奏でました。これが彝族の月琴のはじまりです。 (『民間文学』1985.1 李柱「月琴的伝説」より抄訳)

 このカエル皮の一件に従い,月琴59号,作業名は「ぴょんきち」と相成りました。

 なにせ平面になったカエルが,ど根性でくっついてるんですものねえ。
 庵主の世代的にも,コレ一択かと(w)


(つづく)


太清堂5 (2)

太清堂5
斗酒庵 月琴の喚ぶ声を聞く の巻2018.3~ 太清堂5 (2)

STEP2 ダンウィッチの月琴館
 江戸幕末から明治までの流行期,月琴は本業の楽器職人だけでなく,唐木をあつかう職人や指物師,あるいは手先が器用なだけの素人や趣味人までもが「にわか楽器職人」となって作っていました。

 実物の楽器をお手本に作ったものが多いのですが,当初はその楽器自体が輸入品で貴重だったこともあり,伝聞や絵図面だけを頼りに作ったようなこともあったようです。その場合でも,三味線や琵琶などを実際に扱ったことのある人などはまだよいものの,なかには「楽器」というものそれ自体についてちゃんと分かっていないようなヒトもかなりいたようで,国産の初期の倣製月琴では,全体の構造やその内部がすこぶるトンデモなことになっている楽器もけっこう見られます。

    注*画像はもちろんウソですが何か?



 さて,斗酒庵工房5面目の太清堂。
 作業名は「ぽんぽこ」。胴側がわずかに曲面になっていて全体に丸っこい印象がありましたし……オーナーさんからも文句がきませんでしたので(w)

 外がわからできる調査・計測は終わりました。
 部品もそろっているし,一見,異常はなさそうでしたが,よく調べてみると,面板は表も裏もほぼ全周,前修理者によるボンド漬け----ほかにも 「何かしでかしている」 かもしれませんし。そもそもの原作者が 「何をしでかすか分からないヒト(^_^;)」 なので,胴をほぼ完全に分解してのオープン修理,今回も徹底的にヤることとします。
 本当は裏からハガしていきたいところなのですが,なぜか主共鳴板である表板に比べて,裏板のほうがガッチリバッチリ再接着されてしまっています。対して表板のほうはスキマもありハガレもあり…同じようなボンド接着だと思うんですが,ずいぶんと仕事が粗いですねえ。
 今回は表板からハガしてゆくことにいたしましょう。

 ………うわぁお。(汗)
 棹孔から覗いて,いろいろ違和感はあったんですが。
 やはりこれ 「わたしの知らない太清堂」 ですね。

 胴材はホオ。最大厚16ミリ。カヤ材の40号や同じホオの58号や32号はみな13ミリでしたから,3ミリ厚い。唐木屋や山形屋あたりだとホオ材でも1センチくらい,とうぜん薄いほうが量産には向いてるので,この楽器はそのあたりまだあまり考えていないって感じです。
 加工工作は丁寧ですね。よく鋸痕が残ってたりする内がわも,軽く均してあります。

 きわめて短い棹茎を受けるため,上桁はかなり上寄り。
 厚さ1センチくらいあるやや厚めのヒノキかスギの板です。
 ここはよく安い松の粗板なんかをぶッ挿してあることが多いんですが,表裏きれいに加工されてますし質も良い。棹茎の受けのほかに音孔はなく,ほぼただの板状態。

 上桁の,表がわから見て右手に響き線の基部があります。
 響き線は太い真鍮線で,上桁の下面から,ぐるっと胴内半周くらいの深い弧を描いてめぐっています。

 下桁は……ねェ! これもう「桁」っていうより添え木とかブレイシングってやつだよね?
 位置は胴のほぼ中央,幅9ミリ厚さ4ミリの細板で左右側板に浅く受けを彫り込んで挿しこまれています。細くて薄い部品ですが,この組みつけも意外と凝っていて,受けの表板がわをわずかにせまく,台形にして,ちょっとしたことでははずれないようになってますね。

 太清堂の内部構造と言うと,一枚桁で2組の響き線,うち一つが短い直線とスプリング構造を組み合わせた非常に特徴的なものですが,今回のこの楽器のそれは,これまで見てきたどの楽器とも大きく異なっています。58号や40号よりよほど初期の作なのか,あるいは自分の殻を破ろうとした試作品的楽器だったのか----うむ,そういえばほかの楽器にはついてた,胴四方,接合部裏の補強材がありませんね。ここが「はずれやすい」ということは,この楽器との付き合いがある程度にならないと分からないことでしょうから,前者,太清堂初期の作品なのではいかと思います。

 上桁が上のほうにかなり寄り,下桁は表板にへっついてるだけの薄板なので,胴の下部3/4がほぼすっぽり大きな共鳴空間になっています。より大きく響かせたかった,という意図は分かりますが,これって強度的にはどうなんでしょうね?
 ふだんの太清堂や大陸の月琴のように,円の中央に桁が位置している場合は,棹茎は長くなりますが,そこにかかる力は棹口と胴中央できれいに分散してゆくと思うのですが,これだと棹茎そのものか,胴上部のどこかしらにピンポイントで余計な負担がかかっちゃうかもしれません----側板の材が厚めなのでたぶん大丈夫かな,とも思いはするんですが,ふだんの月琴のパラレル二枚桁で安定した構造見慣れてますと,なんかバランスが悪く,ずいぶん危なっかしく見えちゃいますね。

 工作や形状は異なりますが,この上桁の位置自体はベトナムの長棹月琴(ダン・ングイット)のそれに近いですね。また,この手の半周弧線を桁に取付けるという形式だけで言えば,これは今も作られている中国の伝統的な月琴(通販などで見かける「現代月琴」じゃないやつ)や台湾の短棹月琴などのとほぼ同じです。
 ただしあちらの内部構造は1枚桁。桁自体がこちらの下桁のような薄板の中央に,棹受けと響き線の基部となる小板をはさみこんだカタチになっています。そこ考えると太清堂ぽんぽのこの内部構造,ある意味大陸の先を行ってる工作だったかもとか言えちゃうかも。(w)


 剥がした痕をキレイにしようとお湯で濡らすと,たちまちあらわる真白なボンド----それでもこの表板がわは部分的な点づけに近く,オリジナルのニカワによる接着箇所がけっこう残っておりました。これに対して裏板がわは,ちょっと眺めただけで,側板からも桁からもボンドがはみ出しているのが分かるくらいのベットリづけ………orz
 これだけで木工ボンドの小瓶1本使っちゃってるんじゃないかなあ。

 四方の接合部にも大量に塗ったくったらしく,こそいでもこそいでもキリがありません。胴材が厚いこともワザワイして,どれだけ濡らしても蒸らしてもビクともしません。 三日ほど奮闘しましたが埒があかないので,裏板に少々傷がつくのを承知で,かなり強引に引ッ剥がし,分解にこぎつけました。

 「そんなに頑丈についてたんだから,そのままにしといたら良かったんじゃない?」
 ----と,ボンドを目の敵にする庵主に知人は言います。
 そうじゃないんです。
 庵主がオリジナルの部材に傷をつけても,これを取り除こうとするのはまさにそこが「壊れない」からなんですよ。
 前に何回も書いてますよね。指物屋の親方から教わった名言----

 「壊れるべきところから壊れたものは何度でも直して使えるが,
    壊れないように作られたものは,壊れたらゴミにしかならない。」
----です。


 現代の技術の粋であるボンドや化学的な薬剤での接着は,伝統的な接着剤であるニカワやソクイより手軽で,誰もがカンタンにできるし,頑丈で,ちょっとやそっとのことでは剥がれたり壊れたりしません。

 けれどいま修理している楽器は,そんなものがなかった100年以上昔に作られたシロモノです。今よりもずっと,モノが大事だった時代。多くのモノは何度でも直して使えるように「壊れることを前提で」作られています。「ここから壊れてくれればちゃんと直せる」というように作られているんですね。そこが「壊れた」からと言って,いまの技術で「壊れないように」してしまった場合,そのモノが次に壊れた時には必ず「壊れるべきないところ」が壊れます。そうすると修理は難しくなる,最悪「使えなくなる」わけです。
 モノの「寿命」を考えるなら,どちらのモノがより長生きするか,考えるまでもありますまい。作られてから1世紀以上の時を越え,傷つきながらもせっかく庵主のところまでたどりついてくれた楽器です----「今」の不便を考えるより,楽器の未来をこそ永らえてあげたい。そう思うのも当然でしょう?

 あっちをこそぎこっちを剥がしながら記録をとったため,今回はここでようやくフィールド・ノートが完成です。全体の状態や寸法の詳細などは,こちらをどうぞ。
 **クリックで別窓拡大**

 真っ赤だな~,真っ赤だな~。
 フィールドノートが真っ赤だな~。
 ボンドの仕業で真っ赤だな~。

 あははははははは…(冬の京都風笑い)

 ほぼ一週間を,ボンドとの格闘に費やしました。(怒)
 修理はまだ始まってません。
 これでようやく「楽器として修理できるように」するための下準備が終わった,というところですね。

(つづく)


月琴ぼたんちゃん(再)2

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斗酒庵 再修理編 の巻2018.3~ 唐木屋月琴ぼたんちゃん(再)2

RE:STEP2 唐木屋は何度も甦る

 さて,唐木屋ぼたんちゃんの再修理。

 延長材を挿した後も,棹の調整は続きます。
 接合部に段差なく,山口のところで胴表板面から-5ミリ,抜き差しスルピタ,が理想です。
 今回はオープン修理じゃないんで,胴内の様子が分からない盲作業。調整はあッち削り,こッちに貼ってでかなりタイヘン----長時間の神経戦が続きました。

 なんとか棹がおさまったところで,補修部分の補彩に移りましょう。
 大きな損傷だったので,補修したのが少し分かるくらいになってたほうが,後々を考えると良いのですが,丸見え丸わかりってのもさすがにどうかと思います。(w)

 まずは新しく挿しこんだ補材の部分を,スオウやヤシャブシで下染め。

 色が着いて少し目立たなくなったところで,ベンガラを柿渋で薄めに溶いたものを何度も塗り重ねます。ベンガラは隠蔽性が高いので,全体にベタっと塗ると,いかにも「塗ったー!」って感じになっちゃいますから,補彩部分を隠すよう濃いめに塗ったほかは,なるべくムラムラにしました。

 手に取って見れば分かっちゃうけど,遠目にはまず分からない,くらいの感じを目指しましょう。
 棹全体にも少し色を足しながら………まあ,こんなものですかね。

 色止めに数度,柿渋と亜麻仁油を交互に塗ってできあがり。
 一見すると黒っぽい棹だったのが手擦れで色が落ちた,みたいな。ストラトのタバコ・サンバーストみたいな感じで,これはこれでなかなか(w)

 補材部分はまったくの新材なので,染料とかを吸って今はわずかに膨れてます。数年もすると枯れて,今度は痩せてきますので,今は少し目立って気になっちゃうかもしれませんが,ご容赦のほどを。

 …なんとか直りましたねえ。
 楽器は道具ですから,使われて壊れるのはまったく構わないんですが,演奏と関係のないところで壊されると,やっぱり少し悲しくなりますね。


 棹のほかは,棹口のめくれてるところをニカワで着けたのと,表板の胴体下部に板のハガレが少しあったので再接着したくらいのものです。後者のほうは今回の事故での損傷か,経年の接着劣化,もしくは前回のワタシの修理ミスによるものかちょいと分かりません(w)が,いづれも軽傷。
 今回の損傷,衝撃のかかった場所がもう少し棹先がわなら,糸倉も破壊されて棹の全交換・再製作くらいまでいったかもしれませんし,もう少し胴体がわだったら,さすがにもっと全体滅茶苦茶になっていたかもしれません。ほんとにまあよく棹の付け根だけ,ピンポイントで破壊しやがったもんですねえ。

 唐木屋ぼたんちゃん,その意味では寸手のところで死線をくぐりぬけた,と言えなくもありません。
 車にはねられて異世界に転生するとチート能力が与えられるのは定番ですし,ニンゲンに限らず何もかもそうなんでしょうが,一度死ぬような目に遭うと,いろいろと世界が変わるもの。今回は棹以外の部分にはさほど損傷はありませんでしたが,何らかの影響が楽器の音色にあらわれるということはやはり避けられないと思います。楽器の修理は,形を直すことも使えるようにすることもできますが,「完全に元と同じ音にもどす」ことだけはできないんです。
 ただ,前にも書きましたが。買ってすぐしまいこまれ,おキレイな状態で伝えられてきた楽器より,ボロボロでたどり着いた楽器のほうが,修理した後はなぜかよく鳴ります。

 では,そんな死線をくぐりぬけた勇者に,ご褒美を。
 新しい蓮頭を彫ってあげましょう。

 猫と牡丹…前回もオーナーさんからのご要望で,同じテーマの蓮頭を彫ったんですが,ちょっと凝り過ぎて失敗----Wハッピーの窓越しに牡丹を活けた花瓶が見える…はずだったんですが。うむ,見えない,何もだ!!(w)----という具合でしたので,ここはまた再挑戦ということで。

 ううむ,また牡丹が少々葉ボタン(キャベツ?)気味になりましたが,中国年画風景色の中にちょっとリアルな眠り猫。これはこれでまあアリかと。

 これを取付け組み立ててフレッティング。
 修理と棹の再調整の影響で,第1~4フレットがやや低くなり,第4フレットが棹上から胴端に移動しました。そのほか,低音弦のコースがわずかに右寄りになってしまうので,山口の糸溝を線1本ぶん外がわにズラして新しく切り直しました。

 操作性は上々。まあもともと唐木屋の楽器はクセがなく使いやすいのが信条です。
 うちの7号コウモリさんは同じ唐木屋製の楽器ですが,庵主は昔から気難しい人とのコラボとか,失敗の許されないような一発録りなんかの時は,好んでこの楽器を持ってゆくことにしています。ふだんギグとかで使ってる石田不識の月琴に比べるとパワーの点では劣りますが,万人向けの優しく分かりやすい音色とバランスの良い操作性で,いちばん信用している楽器ですからね。

 わずかですがフレットが低くなりましたので,運指への反応も多少違っているかと。
 音に関しては前の修理の時より,ずいぶん甘やかな感じになってる気がするなあ----ただこれは今回の修理のせいなのか,前回の修理から数年たって板や補修部が乾いたので音色が変わっただけなのか,ちょと分かりませんね。

 **** 月琴の分解梱包について ****

 棹を抜き,糸巻も外して右上の画像みたいな感じで重ねます。この上からもう一枚,棹をくるむみたいにプチプチ入れればカンペキかな?
 これがいちばん安全な状態です----まあもちろん,「こわれもの」「下積み厳禁」にするのはお忘れなく。

 とはいえ,また壊れたらいつでも直します。
 弾いてもらえることこそ,楽器にとってのシアワセ。弾いてもらったうえで壊れるなら,楽器も本望というもの。
 また,ぞんぶんに弾いてあげてください。

(おわり)


太清堂5 (1)

太清堂5
斗酒庵 月琴の喚ぶ声を聞く の巻2018.3~ 太清堂5 (1)

STEP1 はるかなる月琴の喚び声

 一般によく知られていることですが。
 月琴のお尻には臭腺があり,その身に危険が迫ったり攻撃されたりすると,月琴はここから「月琴汁」を出して逃亡を計ります。
 この汁にはまた,危急に際して仲間を呼び寄せる効果もあり,現在は数が激減しているので滅多に見ることもなくなりましたが,かつてはギターやバイオリンといった大小の捕食楽器からの攻撃に対し,群れを成して逆撃することもあったと言います。

 この機能は響き線とともにこの楽器特有で,有名なものではありますが,修理人にこの楽器に関する見識が足りなかったり,その技量が拙かったりすると,作業の際にその腺を誤って刺激してしまい,汁まみれにされることがあります。
 月琴汁がかかっても,修理人にさしたる実害はありませんが,そのニオイにつられて,同じ作者の楽器が呼びよせられ,集まってくることがあるそうです。
    (『絶滅した楽器たち』 大12 林謙二・大泉文男 囲碁の友社)

 というわけで----「楽器は楽器を呼ぶ」。
 いままでも松琴斎や石田不識の楽器を修理している時に,似たようなことがありましたが,ある楽器を修理してると,同じ作者や関係者の楽器が,偶然にも集まって来るんですよねえ。
 今回も,58号の修理が終わったとたん,同じ「太清堂」の楽器が依頼修理で飛び込んできました。

 これはやっぱり,こないだの58号の修理で気づかないうちに「月琴汁」の袋を潰してしまったせいなのではないでしょうか?(w)

 さて----いつまでもアホな事言っとらんと仕事仕事。

 58号に比べると重たいですね。
 40号クギ子さんと同じく,カヤででも出来てるのかな?
 全長:645(含蓮頭)
 胴徑:350,厚:38(板4~5)
 有効弦長:415

 胴体も厚みがあり,棹や糸倉もいくぶんがっしりしてるように見えます。糸倉のアールは深めで,棹背の反りもあり,うなじが絶壁になってないだけで,やはり唐物や倣製月琴のスタイルに近いですね。
 胴側は平らじゃなく,軽く曲面になってるようです。
 国産月琴ではあまり見ませんが,伝統的な中国月琴ではないでもない加工です。

 糸巻もちょっと特徴的なカタチになってますね。
 六角無溝,40号クギ子さんに残ってたオリジナルの糸巻も,これと同じく面に溝の無いタイプでしたが,前に見たそれよりは太く,先端が糸倉に入るところで段になってます。
 糸倉との噛合せもしっかりしてるし,加工からしてオリジナルだとは思いますが,もしかすると唐琵琶とかに使われていた糸巻を削って流用したものかもしれません。

 山口のところには,側面から見て将棋のコマみたいなカタチになった角材が付けられています。
 胴上に残っているフレットと同じ唐木製と思われ,上面にうすく糸の圧痕のあるところから,この状態で糸を張ったことがあるのは間違いないと思いますが,背も若干低すぎるようですし,オリジナル部品だとは考えられません。
 太清堂,58号でもほかの楽器でも山口のカタチはごくふつうの半割カマボコ型だったもんねえ。

 棹茎がずいぶん短いなあ。
 しかも何じゃこれ!----先端の2~3センチに申し訳程度の「延長材」? つか「継ぎ足し」が……ここまでやったんなら,別に一木でいいじゃん!!
 工作自体はしっかりしてるんですが…相変わらずイミフな工作ですねえ。

 前使用者がかなり手を入れたようです。
 この蓮頭やニラミ,半月の線刻はおそらく前使用者の手になるものでしょう。
 そう言う理由はひとつ----太清堂にしてはあまりにも「上手すぎる」から,ですね(w)。

 たとえば,左が32号の「ぬるっとコウモリ」。
 どうです!これが同じヒトの彫ったコウモリに見えるんなら,その目玉くりぬけえええ!(号泣)

 ざッと見た感じ,棹や糸倉の割れとか胴接合部の割れといった目立った損傷もなく,状態はそれほど悪くなさそうに見えますが,よくよく調べてみるとあちこちに大小の虫食い孔,表裏板は少なくとも3/4がた再接着,その整形のためか側板には部分的に削られた形跡もあります。このへんは前所有者じゃなく,古物屋のシワザでしょうか。 そのほかにも,棹の接合部にこれを胴体に固定するためとおぼしきニカワがこびりついていたり,後世の仕業と思われるアヤしげな修理個所がかなり見受けられます。


 後世のしわざとは別に,この楽器自体にもいろいろナゾがありますねえ。あまりにも短い棹茎とその意味不明の加工,そして棹孔からのぞいた内部構造……裏板のラベルはまちがいなく「太清堂」----ううむ,でもこれは,「わたしの知らない太清堂」な気がします。

注* 執筆日4月1日,絵は『北斎漫画』をちョちょいとクソコラ(w)もちろんウソですが何か?

(つづく)


月琴ぼたんちゃん(再)1

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斗酒庵 年末修理編 の巻2018.3~ 唐木屋月琴ぼたんちゃん(再)1

RE:STEP1 唐獅子牡丹の帰還

 …ぼたんちゃんが帰ってきました。

 春先で発情中の黒い猫に,運搬途中で破壊されたもよう。へ(TДT)/ウワーン
 春先はあちらもいろいろあって,猫の手も借りたい状況なのでしょう。いままで黒い猫がうちの楽器ぶッ壊した事案も,おおむねこの3~5月に集中しております。みなさまもお気をつけて。(w)

 送り主さんが,分解しないでそのまま送っちゃったのも原因の一つですね。

 月琴という楽器は単純な構造なのでそう滅多に壊れることはなく,庵主なんかふだん,薄い綿入れのスッポン袋一枚で背負って歩いてますが,そんなのでもそう壊れたことはありません。
 ただ,実家に帰省する際や遠くで演奏のため楽器を送る時には,必ず分解してから箱詰めするようにしています。月琴は三味線と同じ「スパイクリュート」,もともと棹と胴体が分解できるようになっています。胴体はもともと衝撃等に強い円形----この楽器でいちばんネックなのはその丸い胴体から突き出た棹(ネック)の部分なわけですが,その棹も糸巻をはずしてしまえば短い角材みたいなもの。重ねてのっければ,ほとんど胴体だけの大きさにまとまります。あとはプチプチにでも一くるみしとけば,ちょっとやそっとで壊れることはない----荷物のサイズもぐんと小さくなって送料も安くなるし,安全性もずずっと高まるんですね。
 部品の点数もけして多くはありませんから,組み立てもさして難しくはありません。
 月琴を遠くに輸送するときは,ちょっと面倒でも分解いたしましょう。

 さて----主なる破損個所はここ。
 棹が根元からボッキリ逝っております。

 どっかにぶつけた衝撃で延長材が折れたりはずれたり,ってのはけっこうあるんですが----まあ,ちょっとふつうは考えられない壊れかたですね。おそらくは,斜めにたてかけて置いていたところで,棹と胴体の接合部,やや胴体寄りのところに,かなりの重量物(10kg以上30kg未満)を真上30センチ以上から落とし,さらに右回りで固い床に転がった,ってとこかな。

 棹の損傷はかなりなものですが,サイワイに,と言うか何と言うか----前回の修理で棹口を補強していたおかげで,この程度で済んだ----とも言えそうです。棹基部はほぼ完全に破壊されてますが,棹本体の損傷はあと,一番上の糸巻,太いほうの軸孔に小圧痕,山口とフレット2枚が吹っ飛んでるくらいで,糸倉も割れてなければ棹本体にヒビも入っていません。
 胴体下部,地の側板と裏板に少しハガレがありますが,これは今回の損傷によるものか,経年の劣化もしくは前回の庵主の作業のマズさによるものか不明。
 あとは棹口の表板がわに少しヒビが入ってますが,もともとここは割れていたところ。その割れの補修自体に損壊はなく,破壊の衝撃で棹口の角が少しめくれちゃってる程度。
 そのほかは胴体にも棹にも目立った損傷はありません。黒猫だけに猫パンチなみにピンポイントな暴行だったようですね。

 まあ,ただ外見だけ元のカタチに戻すのなら,棹基部にニカワを塗っておッたてとくだけで済みますし。これをこの楽器の寿命として後はお飾りにするつもりなら,もとの基部部分に穴掘って角材を継ぐくらいの簡単な修理でも構わない,とは思いますが,この後も楽器として使い続けるためには,多少の見栄えは犠牲にしても,より頑丈な直しかたをしてあげたほうが良いでしょう。

 棹基部を三方から切り貫きます。
 ちょうど「T」の字を上下ひっくり返したカタチ。ほんとは十字にしたいところなンですが,指板がわは薄い唐木の板で覆われてますし,そちらを傷つけると誤魔化すのがタイヘン(w)なので。

 ここにオリジナルと同じホオの木で作った補材をハメこんでゆくわけですが,ただ逆「T」字に貫くのではなく段差をつけ,棹本体と補材が複雑に,よりしっかりと噛合うようにしてあります----とはいえ庵主,人間国宝の宮大工さんみたいな一発整形は持ってませんので,これはこれでタイヘン(泣)時間をかけて慎重に,あちこち少しづつ削りながら,なるべくキッチリ,無駄なくすきまなく組み合わさるように調整してゆきました。

 ふぅ----なんとか失敗することなく補材が完成しました。これを接着します。
 「壊れるべきところから壊れた」場合と違って,このように本来壊れるべきところではないところから壊れたものの修理は難しいものです。伝統的な修理法というものは基本的に「壊れるべきところから壊れた」場合を前提にしていますので,対応できない,もしくは難しいことも多いですね。
 ここはこの楽器でもいちばん力のかかる箇所のひとつ。また,もともと「壊れなくてもいいところ」でもありますので,接着にはニカワじゃなく,より強力で頑丈なエポキを使わせてもらいましょう。

 まずは練ったエポキを少量のエタノールで緩めて,棹本体と補材の接合面に洩れなくたっぷりと塗布。つぎにそこに微細な唐木の粉を混ぜて練ったパテをまぶし,ぎゅぎゅっとつっこみます。エタノで緩めると,木地や細かな凸凹への浸透が良くなりますが,完全に硬化するまでの時間が長くなるので,このまんま用心のため1~2晩置きます。
 カッチリ固まったところで整形。
 ま新しい補材の色が違うところは当然として,この作業で周囲のオリジナル部分も多少巻き込んでしまいましたが,まあしょうがない。

 さらに整形していって…さあ,ちゃんと入るかな?----入りました!

 ですがまだ,段差はあるわ傾きや角度は合ってないわでガタガタです。
 いつも棹と胴体のフィッティングっていうのは,この楽器の修理の中でもいちばん重要で,かついちばんタイヘンな作業なわけです。前の修理の時も三日ぐらいかかりましたが,今回はそこが完全にヤラれて作り直しちゃったわけですから,も~思いっきりマイナスからの出発ですよ。
 さてさて,今度は何日かかるやら。

 棹基部がある程度きっちりおさまるようになったところで,延長材をつけます。
 オリジナルはスギかヒノキといった針葉樹材でしたが,材料箱漁ってたらサイズ的にちょうどいい材が出てきたので,これを使うことにします。たぶんラミンですね----材質的には問題ありません。
 棹基部にV字の切れ込みを入れ,延長材もオリジナルを当てながら整形してゆきます。
 棹本体は楽器の背がわにやや傾きますが,延長材は表板とほぼ平行になっています。ですので,取付けはわずかに角度をつけて接着します。計算が3Dになりますからねえ,庵主にはそれもタイヘン。(w)

(つづく)


月琴58号 太清堂(終)

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斗酒庵 宿敵(w)とまみえる の巻2018.2~ 月琴58号 太清堂 (5)

STEP5 月琴 adolescence

 今回の楽器,胴四方の接合部は工作も良くもともとガッチリくっついてますし,響き線は真鍮なのでサビ落としなどは必要ありません。
 天地の側板と内桁のハガレ,表板の割れ2箇所,そして棹の角度変更とフィッティング。
 延長材も取り替え,取付の設定も大きく変えましたので,フィッティングに少々時間を食いましたがまずはヨシ。最後に全体汚れて油切れしてパサパサになってた側板や棹に柿渋を染ませ,亜麻仁油で拭き磨き。修理前の色合いは似たような感じでしたが,少し前の56号と違いこちらの木部はスオウで染めてない,ほぼナチュラルな色合いだったようです。もともともこのくらいの感じだったんじゃないかな。


 裏を閉じます。
 中央付近の矧ぎ目から裏板を分割,少し左右にズラして接着し,間にスペーサを埋め込む----いつもの方法です。もともと10枚以上も継いでますからね,ここで1カケラぐらい増えてもまあ問題ありますまい(w)

 接着養生後,スペーサと周縁のハミ出しを削って整形,ここらもルーチンですね。
 天地側板の周縁部は,オリジナルの状態で表裏ともわずかにでっぱりがあったため,棹基部が少し浮いてしまっていたんですが,これももちろんキレイに均しましたので,今度は棹もキッチリおさまるようになりました。

 半月を補修します。
 といっても,後であけられた余計な糸孔はとおに埋めてありますが,もともとの材質がやや柔らかい(針葉樹?)ので,補彩のついでに強化しちゃいましょう。

 棹と同じでここも,色褪せたうえに油切れでパサパサになってました。もともとの塗装は黒ベンガラに柿渋といったところでしょうか。真っ黒ではありましたが,木目が透けているような薄い染め。使ってるうちにコスれてハゲちゃいそうです。

 まずはスオウを染ませオハグロをかけて色味を増し,カシュー系の塗料で表面をしっかり塗り込めます。
 うちのWSの流儀だと,トレモロ演奏の時はここに手を固定して弾くので,表面をちょっと丈夫にしといたほうが良いでしょうしね。庵主,塗膜のある塗装はこのところやってなかったんですが,久々に挑戦----とぅるッとるです。

 カシュー系塗料は乾燥に時間がかかるので,ここで少し間が空いてしまったのですが,約一週間後,半月の塗膜が落ち着いたところで,表裏板の清掃に入りました。

 汚れはあんまりヒドくありません。だいたい1回の清掃でキレイになりました。
 使い込まれた楽器だとこの時,表板に無数の使用痕が浮き出たりするもんですが,まあキレイなこと(w)
 キズ一つありゃしませんね,こりゃあ。(^_^;)
 半月と糸巻に多少の糸スレや圧迫痕はありましたし,半月に余計な孔まであけてたくらいですから,「まったく使用されなかった」というほどではないでしょうが,傷まみれになるほど弾きこんでたわけでもないようですね。

 板が乾いたら,組み立ててフレッティングです!
 山口(トップナット)はオリジナルのも残ってるんですが,トラ杢のトチで作りなおしました。
 蓮頭が龍ですからね,これで対(w)

 オリジナルのフレットは7枚も残ってます。しかもこれ,牛骨じゃなくてちゃんと象牙みたいですね……太清堂の癖にナマイキだ。(w)ただ,初期の作品なためもあるんでしょうが,フレットの高さをスケールまかせにしないで,実器合わせでやってるところはエラいです。
 同時期の作家さんは,これを余計に低めに作ってる場合が多いですね----低めの寸法で統一して先に作ってしまえば,量産がラクになりますから。しかしながら,フレットが低ければ糸はひっかかりませんが,フレット頭との距離が離れるぶん,弦を余計に押しこまなければならなくなります。そのため運指への反応や発音のタイミングは遅くなりますし,高音域ほど音が安定しなくなることが多いです。
 月琴のフレットは,高音域で高く低音域で低く,高低の差がけっこうあったほうが音も響くし弾きやすいのですが,今回の楽器は,棹が胴表面と水平だったのもあって,フレットの丈は全体に高く,高低差も小さくなっていました。
 棹の角度を変えたので,新しい山口の丈も数ミリ高くしてあります。胴表面の水平面を基準としたとき,弦高は山口のところで8ミリ,半月端で6~7ミリほど。

 第1フレットは牛骨で補作,第2から先はオリジナル・フレットを使用しましたが,弦高が下がってるので相当削っちゃいましたね。修理前に比べるとかなり高低差があり,唐物月琴なんかに近いセットになりました。

 フレットをオリジナルの位置で配置した場合の音階は----

開放
4C4Eb-484E-374F-4F#4G-54A5C-55Eb-345F#-31
4G4A+334B-365C+215D-165E-165G-145B+486C+44

 棹角度の大幅な変更があるので,低音域の正確さについてはやや疑問がありますが,第3音(第2フレットの音)がやや低いなど,清楽音階の特徴はだいたい出てます。また低音弦第4フレット(開放の5度上),高音第6フレット(開放のオクターブ上)など要所の音もほぼ合ってますね。最高音が最低音の2オクターブ上より少し高めですが,これも耳で聞いて位置合わせした場合なら,それほどハズれてはいないという範囲におさまっています。

 扇飾りは欠損。5~6フレット間にわずかに接着痕が確認できますが,日焼け痕もほとんど見られないことから,かなり以前,最初のころにもうとれちゃってたのかもしれません。太清堂の扇飾りといえばこんな----

----うぷ。この真ん中でのたうってるモノはおそらく「龍」,宝玉を口に銜えた龍だと思われますが,あんまりといえばあんまりなデザイン。ウナギだかナメクジだかミミズだか,はたまたコウガイビルだかわからないシロモトと化しております。

 しかしながらこの扇飾り。これだけで「あ,太清堂の楽器だ」と分かるくらい,彼の楽器のアイデンティティの一つですので,いちおう再現してあげましょう----とはいえ,さすがにこのままでは……うむあまりにも単純化しすぎたのがイカんのだ,線をいくつか足して「龍」だと分かるようにしてやろう!!

 ----と,思ったんですが。
 うむ……余計なことをして,かえってウナギ度を増してしまったような感が...orz

 中央飾りはもともとついてたかどうか分かりませんが,だいぶん以前に作ったままお蔵入りしてたアキツモミジの円飾りが出てきましたので,これをつけてあげようと思います。トンボは英語でドラゴン・フライ。これで蓮頭と扇飾り(いちおう)と中央飾り,三つが龍の龍づくしな楽器になったわけですね。

 これらを足して,2018年3月14日。
 自出し月琴58号・太清堂----修理完了!!

 磨いた側面の栗色が美しいですね----栗まんじゅうみたい。(w)

 最初のほうでも書きましたが,どんなに工作が雑に見えても,お飾りのセンスが多少アレでも,ちゃんと修理をすれば この人の楽器は鳴ります。間違いなく。

 さらに今回は,棹の角度やフレットの高さの調整を徹底的にやって,操作性や低音域での響きを改善してあります。かなり大胆に棹を傾けた影響で,低音域での演奏に若干クセがありますが,「演奏の支障になる」というほどのこともなく,慣れてしまえば使い心地は上々でしょう。
 まあ量産器ですから,超一流の作家さんのワンオフものの楽器などとは比べるべくもありませんが,音色はこのレベルの楽器としてはかなり上等な部類。全体に唐物月琴やその模倣品である初期の国産倣製月琴に近い特徴の多い楽器ですが,音もどちらかといえば本場の唐物月琴に近いほう。よくある国産月琴みたいに,変に中二病的な「月琴の音(想像)」を追及したりしてないですね。おそらくは天華斎や玉華斎のような唐物月琴を直接手本として作ってたんだと思います。

 試奏してみた感じ,庵主の感想は 「ぽっちゃりした音」 ですね。(w)
 比較的音ヌケは良く音量もそこそこにあり,音色は太く中央付近にふっくらとしたふくらみがあり,明るく温かみのある余韻が続きます。やや風雅風流ワビサビ的な趣には欠けますが,ちょっと前の56号なみに汎用性が高い音の楽器だと思いますよ。

 欠点があるとすれば,まず上にも書いた操作性のクセが手になじむかどうか。低音域での力加減ていどで,最初そこらへんを少し気を付けてもらえばすぐ慣れるだろうし,まあさほどたいした問題ではないのですが。あとオリジナルでちょい寄り目ちゃんだった胴表面のニラミを若干離して着け直しましたので,そのあたりに少し白っぽく日焼け痕が浮いてます。半年くらいすると色が上がってきて目立たなくなってくるとは思いますが。

 ふだん使いの楽器,また使用環境や音楽を選ばぬ月琴としては上物。
 現在,57号とともにお嫁入り先募集中。
 ワレと思わん方はご連絡アレ。(w)

(おわり)


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