清楽譜の基礎知識

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工尺譜を読んでみよう再 の巻工尺譜を読んでみよう!再 (その3 清楽譜の基礎知識)

 日本の清楽の工尺譜について,基本的なところをまとめておこう。

 「工尺譜」というのは中国伝来の,楽曲のメロディを 「合 四 乙 上 尺 工 凡 六 五 乙」 という漢字の音符で書きとめた楽譜である。

 基音となる楽器によって実際の音は異なるが,ドレミで言うと 「合 四 乙 上 尺 工 凡 六 五 乙」 が 「ソ ラ シ ド レ ミ ファ ソ ラ シ」 にあたり,高いほうの「乙」より上の符には字の左に 「イ(ニンベン)」 を,2オクターブ上には 「彳」 を付ける。
 ちなみに大陸の工尺譜ではこの「シ」にあたる「乙」が低音の 「一」 と高音の 「乙」 に分かれるが,日本の清楽譜では「一」にあたる符字が使われず,「乙」の高低は使用楽器がその音を出せるかどうかと,周辺隣接する音の高低から演奏者が読み取ることになっている。また大陸では「合」より低い符を,最後の一画を斜め下方向にはねることで表すが,これも日本の清楽譜ではほとんど使われない。

 まずは,この音階をあらわす記号的な漢字を 「符字」 と名付けよう。この符字だけをたんに羅列したものを仮に 「白譜」 と名付ける。日本で記された最初期の譜は,そのようにだいたいの音の並びが分かれば演奏できるような人のための,あくまでも備忘録的なものであった。

 続いてこれにフレーズの切れ目を表す 「句点(○/。/、)」 を挿入した 「句点譜」 が生まれる。
 句点の入れられる位置は 「フレーズの切れ目」 であるため,直前の符が長音であることが多いが,この「句点」は耳で聞いた時に 「ここまでが1フレーズ」 と判断される程度のもので,必ずしも音をのばす位置を表しているものではない。

 そのためある譜では 「尺。工。上尺工。」 とされている同じところが,別の譜では 「尺工。上尺。工」 となっているようなことがしばしばある。どこまでを一気に弾くか,どこで切るかというあたりは,使用する楽器によっても異なるし,演奏者の技術やクセや嗜好によるところも大きいので句点の位置はかならずしもいつも一定しないのである。
 筆者は曲を再現するときこの 「句点」 を前音に組み込まれる「休符」として処理している。すなわち上例前半の「尺工」がともに全符の長さであったとして,前者の場合は 尺も工もともに2分半+4分の休符とし,後者の場合は工のみを2分半+4分休符とするわけである。

 明治期に印刷された清楽譜は,この句点譜の形式のものが圧倒的に多い。

 白譜・句点譜では音階と音の並びは分かるが,それぞれの音をどれくらい長くしたり短くしたりすれば良いかは分からない。そこでここに,購入した個人が各符の音長を表すための記号を書き入れるようになった。最初に現れたのが符字の間に線を引いて結ぶ 「付線」 である。これが印刷されたものを 「付線譜」 と名付けよう。
 「付線」は当初,符音の間隔が短く 「連続して聞こえる」 位置に付けられることが多かったが,明治後半になると拍点と組み合わせ,より定型的に使用されるようになった。 たとえば 「工 尺 上」 で工尺が4分4分の場合。古い形式では付線があったりなかったりであるが,後期の書き込みでは 「工尺 上」 と必ず付線で結んでいる。

 「フレーズの切れ目」「句点」「音が連続して聞こえる箇所」「付線」。ここまでは東の渓派,西の連山派ともにほぼ共通して使用している形式だが,これ以降,あるいは「付線」と同時に発生したと思われる 「点」による音長の表現方法にはかなりの違いがある。
 形式上の差異はあるものの,筆者はこうして 「付線」 と 「点」 を併記することによって各符の音長を表すに至ったものを一律に 「付点譜」 と呼んでいる。


 連山派は1音の長さが1拍なら点を1つ,2拍なら2つ,と 「傍点」 を付して各符の音長をそれぞれ表す,もっとも分かりやすく単純な方法を採った。欠点としては長い音ほど点が多くなること。手書きの場合は墨が滲んだりなどで却って分かりにくくなることもあるし,また明治時代の印刷技術だと,細かいところがよくかすれたり切れてしまったりで,正確な点の数が分からないような場合も多い。
 さらにこの表記法では,各音の長さの判断が恣意的になりがちである。ある者が「4拍ぶんの長さ」とした音を,別のものは「5拍」と数えるの類で,あくまでも記譜の基準が各符の音長にあるため,全体の拍子との兼ね合いがとれておらず,ある者の記譜では4/4・1小節の2拍目からとなっている音が,別の譜では3拍目からとなるなど,五線譜に直した時に拍子からはずれた不自然な形となることが多い。

 これに対し。どちらが先だったかについてはまだ不明だが,渓派ははじめ長崎派と同じ 「頭点法」 を採用していた。これは言うなれば西洋楽譜でいえば小節の頭にあたる符にのみ点を打ってゆくやりかたである。付線・句点と組み合わせると,これだけでもあるていどの音長関係を指示することが可能だったが,やがてこれを発展させ,邦楽の教授でいうところの 「雨垂れ拍子」 を応用した方法が採られるようになった。

 「雨垂れ拍子」というのは,たとえば手の平で左右の膝を交互にたたきながら拍子をとり,それによって曲中の緩急,音の長短などを指示してゆくやりかたで,三味線の歌本などでも似たようなことをしていることがあるが,教授者の動作を写して,右膝を叩いた時に符の右に点を,左を叩くとき左に点を打ったものである。

    **以下説明画像はクリックで拡大**

 渓派・長崎派におけるこれらの点は「音の長さを表す」と言う意味では,連山派の傍点と同じなものの,連山派がその基準をそれぞれの音の長さそのものに置いているのに対し,渓派はその基準を拍子との相対関係に置いていることから,筆者はこれを「拍子の点」という意味で 「拍点」 と呼び,右に打たれた点を 「オモテ」,左を 「ウラ」 と称している。

 点1つを1拍とするなら,オモテウラ2拍で1小節,2/4拍子となるが,筆者は拍子のオモテウラの別を明らかにするため1つの点を2拍,音符の2分の長さとし,右左オモテウラの2点で1小節の,4/4拍子の譜として再現することが多い。
 この点は通常,単体では符字の斜め上に打たれるが,音がオモテウラの拍子を渡る場合には下のほうに付せられる。これを 「下付点」 と言っている。

 表現上は点が一つ増えただけのはなしながら,これによって渓派の付点譜はより読み解きやすく分かりやすくなった。

 ただ,この渓派の付点法によって表現できるのは,基本的には2/4もしくは4/4の曲のみで,日本の俗曲に多い三拍子の曲など場合は,あらかじめ断りを入れるか,4/4としてそのまま記譜するしかない。
 また全符以上の長い音は拍点を増やすことでいくらでも表現できるが,8分以下の短い音があったり,音長の差が極端な組み合わせがあったりした場合,また2/4もしくは4/4で割り切れないような表現のある場合は指示が難しくなるという傾向があり,より正確に曲調を伝えるため,時として実演奏でのリズムを無視して付点の間隔を変え,全体を引き伸ばして表現する,といった方法が採られることがある。
 たとえば,下の画像は『清風柱礎』「柳雨調」の,それぞれ加点者の異なる2つの付点譜を再現したものだが,

 同じ曲なのに,右と左で付された点の間隔が違っているのが分かるだろう。
 これを4/4拍子,1文字1拍の横書き近世譜に直すと,それぞれ以下のような譜となる。

  尺--工|合--四|仩--四|仩--○|
 [仩-四合|尺--○|尺-尺工|六---|
  五-五六|工--○|五-五六|工--○|
  四合四尺|上--○|尺--上|四--○|
  尺--上|四--○|四-四合|仩-四合|
  工--○|尺--工|合--四|上--四|
  仩--○|](近世譜1 左)
  尺-工-四|仩-四 仩○|[仩四合 尺○|尺尺工 六-|
  五五六 工○|五五六 工○|四合四尺 上○|尺-上 四○|
  尺-上 四○|四四合四合|工○ 尺-工|合-四-四
  仩○]  | (近世譜2 右)


 これは右の付点では8分の短い音が多く,読み解きしにくいところがあるため,左のほうでは拍子の間隔を縮めて,というか,それぞれの音の長さを2倍にして,音と音の関係をより分かりやすくしたのである。
 同様に,たとえば曲中に8分半+16分という,渓派の付点法では表現不可能な組み合わせの箇所があった場合などは,そこを公約数のようにして,それが4分半+8分なり2分半+4分なり,付点によって表現可能で分かりやすい音長関係になるまで,全体を拡大するわけである。

 これは渓派の付点法の基本的な欠陥を補ううえでは実に単純で分かりやすい方法ではあったが,あくまでも読み解き上の便宜的なものであるのに,このせいで実際には軽快で速いテンポなはずの曲が,非常に緩慢な曲であるかのように読み解かれるという弊害も生まれたようである。

 大陸の工尺譜においては(向こうからすれば日本の付点法のほうが似ているわけだが)「板」・「眼」という記号を駆使した付点法で,かなり複雑な曲調をも表現できる高度な方式が発展したが,日本における符音の長さを基準とした連山派・梅園派の形式も,拍子を基準とした渓派の付点法も,どちらも欠陥だらけの不完全なものでとどまり,最後まで洗練され,統一された形式となるには至らなかった。
 そして明治の後半,四竃訥冶らによって,西洋から導入した数字譜の方式を使った改良工尺譜(すでに上出しているが,筆者はこれを 「近世譜」 と呼んでいる)が広まるにおよび,こうした付点による記譜表現法はやがて姿を消し,歴史の蔭に埋もれてしまったのである。


(おわり)


『清風雅譜』 を弾こう!!

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斗酒庵 渓派清楽をひもとく! の巻HP「清楽庫」改訂 『清風雅譜』近世譜/数字譜 対照版!

  江戸幕末から明治にかけて,日本じゅうで大流行りした「清楽」の東京を中心として勢力をはった「渓派」。 その基本的な楽曲をおさめた第一楽譜集が 『清風雅譜』(鏑木渓菴・編 安政6年序)です。
  庵主のWSでも,清楽の曲はこの本に載ってる楽譜をもとに演奏することが多いですね。

  清楽で使われた 「工尺譜」 って楽譜は音符が漢字なため,そこでもうアレルギっちゃう人も多いのですが,音楽を書き留めるのに,日本人ならカタカナで 「ドレミ…」,英米なら 「ABC…」で書くところを,中国は漢字の国ですから漢字で書いただけのハナシ。
  工尺譜の多くはお店で買ってきた段階では,それぞれの音符の音の長さが分からない状態になっているので,これに点とか線を書き足して(「付点」といいます),音同士がどういう関係になっているのかを表し,完成させるわけですが,渓派の付点法は難しくないので,慣れちゃえば漢字縦書きの状態でもそんなに苦労なく読み解けます。

  とはいえ----
  まあ,清楽やら月琴やらのナニがナニやら分からない段階で,いきなりそういう古代の呪文みたいなモノ読めつーてもムリがありますので。
  WSではこの縦書き譜を,もうちょい分かりやすい 「近世譜」 とか,中国音楽の方でよく使われる 「数字譜」 の形式に変換したものを使っています。

  庵主,この夏のしくだい3はこの楽譜の集大成。
  原本の画像を対照させつつ,『清風雅譜』収録の31曲をまるッと,PDFの楽譜に仕立てました。

  まだちょいあちこち改訂の要はありましょうが,とりあえず公開いたしますので,こういう音楽に興味のある方は,HPのほうからいちどご覧になってみてください。DLも自由ですよ。

  まずは 「明清楽復元曲一覧」 にお入りください----

  ここは庵主が楽譜から再現した曲のMIDIやらMP3やらが各本ごとに並べられてる部屋です。
  簡単な解説の下,いちばん最初にあるのが「渓派」の項目。そこのいちばんめが『清風雅譜』の一覧です。

 この一覧表の右上目次の最後のところ,マルで囲んだところにPDF楽譜(ファイルサイズ:約6MB)へのリンクが張られています。

  お使いのPCにPDFリーダーが入っていれば,だいたいこんな感じの画面が別窓で開きます。
  即DLしちゃいたい人は,ひとつまえのリンク張った文字のところで 右クリ>名前を付けてリンク先を保存(K) でもいいですし,ひととおり読んでから右上,赤丸で囲んだあたりに出てくる「ダウンロード」のボタンからDLすることもできます。

  各曲のページはこんなふうに構成されてます。

  1) は底本とした『清風雅譜』の画像。 庵主所蔵のなかでいちばん状態のいい明治17年版のを使ってます。メロディの読み解きに使う点や棒線のほかに,歌を合わせる時や楽器操作に関するカナ書きの記号や,これ持ってた人が弾くときに入れた装飾音の符が朱書きでカキコされてますが,「はあ~元本ってこんななんだ~」ってくらいのものなので,気にしないでください(w)。

  2) はタイトル。 渓派での一般的な呼び方をカナでふってあります。ほかの流派,たとえば関西の連山派・梅園派や長崎派では中国語ッぽい発音になってるのが多いのですが,渓派ではふつうの音読で呼ぶことのほうが多かったみたいですね。

  3) これは「近世譜」 というもので,右の付点つき縦書き工尺譜を,1文字1拍,4/4拍子の横書き楽譜に直したものです。
  「ドレミ…」いこーる「上尺工…」なんで,工尺譜の漢字の並びさえおぼえちゃってれば,こっちのほうがずっとラクですし,月琴以外のほかの楽器と合奏するときなんかはどうしても必要になります。

  4) これが「数字譜」。 上の「近世譜」はこれの数字を工尺譜の符字に置き換えただけですね。明治のころに西洋から入ってきて,五線譜よりもカンタンなので流行りました。近世譜と同じに「1234567」が「ドレミファソラシ」に対応してます。

  5) 最後にかんたんな解説をつけてあります。 再現曲の作成までの詳しい工程や,それぞれの曲に関する詳細は記述 「明清楽復元曲一覧」 からどうぞ。曲一覧のタイトル部分をクリックすると,それぞれの曲の解説に飛べますから。

  近世譜や数字譜の読み方については,PDFの最初のほうにかんたんにまとめてありますので,そちらをお読みください。
  こんかいは楽器で演奏する部分,器楽部分だけですが,歌つきのほうについてもいづれ。

  さて,この31曲をぜんぶおぼえてしまえば,まあ渓派ではいちおう 「免許皆伝」 みたいなもんだったと思います。どうぞがんばっておぼえてやってみてくだされ。

(おはり)


月琴56号 烏夜啼

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斗酒庵 烏夜啼を直す の巻2017.7~ 月琴56号 (1)

STEP1 唐土のお山も溶けて流れりゃちョい

  庵主は北の生まれゆえ,夏季の内地におりますと溶けてなくなってしまいますので,8月の1ト月はWSもお休みにして,実家に帰省するのが慣例となっております。帰省の期間中はふだんできないような時間のかかるまとめやらデータベースの整理やらに勤しんでおりまして----今期の成果は前回の記事をご覧ください。

  さてさて,今回の楽器はその帰省の直前にとどきました。自出しで購入した壊れ楽器は,これで56面めとなりまする。まずは測定----

  全長:650
  胴径:350,胴厚:35(板厚 3.5)
  有効弦長:424



  裏板に

  将軍会

 烏夜啼

    東山田
     増澤仙桂


 と墨書がありますが……まあ,あんまり上手な字じゃないですねえ。(w)

  「将軍会」は所有者の入ってた清楽団体でしょうか。清楽曲に「将軍令(しょうぐんれい)」というのがありますからそれにちなんだものでしょう。「烏夜啼(うやてい)」は漢詩の題としても有名ですが,明楽曲に同題のものがあり,明清楽の曲としても演奏されてましたね。渓派ではあんまり演奏しなかったようなので,梅園派の系だったかもしれません。
  所有者については不明,出品者は神奈川県のひとなので「東山田」は神奈川県横浜市の「ひがしやまた」でしょうか。
  指板部分の長さが150,第4フレットは棹の上,その棹背のフォルムといいほっそりとした糸倉の姿といい,間違いなく関東で作られた楽器だと思われます。
  あちこちいろんな人の楽器と似てるところは散見できるのですが,ラベル等もなく,いまのところ作者は分かりません。またまた未知の作家さんの月琴ですね。

  目立った特徴はありません。かなりきっちり「ふつうに」作ってるって感じですかね----いや,こういう流行り物を作るってときには,へんな独創性や身勝手な解釈を容れず,こうやってスタンダードに作るってほうが却って難しかったりするもんですよ。少なくとも木工の技は手熟れてますし,楽器についても素人さんの作ではありえません。

  あえて何かあげるなら,表板が景色のある板目っぽい板になってるってあたりでしょうか。これは比較的古い楽器の特徴,フシのあるなかなか難しそうな板を4枚ほど継いでいるようですが,合わせが上手で継ぎ目はなかなか分かりません。


  あと,棹のなかごが少し変わってますね。
  延長材はふつう,棹から3センチほどのところで接いでるもんですが,これは短いなかごの半分くらいのとこから接いでいます。延長材の接合部,裏面がわの接着がトンで基部に割れがあるため,棹は現状表板がわに少しお辞儀しちゃっています。接合の工作に,若干雑というか不自然なところがあるので,これ,もしかするともともとはなかごの先まで一木だったのかもしれません。

  損傷は糸巻が2本なくなってるのと,表板の左右にヒビ割れ----これはピックガードのヘビ皮が原因の故障ですね。明治の国産月琴ではよくある壊れで,生皮の収縮で柔らかい桐板が裂けちゃったもの。もともと皮のピックガードが必要な楽器ではありませんし,ほぼただのカッコつけの飾りですんで,楽器の将来のため,ウチでは修理の際ひっぺがして錦の布に貼り換えています。
  そのほかはフレットが2枚欠損。さらに第5と第7は入れ替わっちゃってるようです。同じくらいの長さだけどよ,第7フレットのほうが背が高いってナニよ?(w)古物屋さんのシワザですかねえ。
  あと胴四方接合部の剥離に,虫食いと思われる小孔が数箇所。やや大きめの圧痕や擦痕もいくつか見えます。それに上のほうで触れたように棹のお辞儀----しかしながら,全体的に保存状態はまずまずかと。

  んでは,裏板をへっぺがして内部の確認をいたしましょう。
  -----おぅ。
  こんなところに新機軸が………


  上桁は薄く6ミリほどの厚さ,下桁は左端が5ミリで右にゆくほど厚くなり,右端では倍以上の13ミリになってます。なんか意味があるのかなあ~,たぶんないだろうな~(w)

  音孔は上下桁ともに長さ9センチで左右のほぼ同じ位置にあけられています。片端にツボギリで孔を穿ち,回し挽きで貫いた模様。幅は1センチないくらい細くて加工も粗め「まあ開いてりゃイイわい」って感じかな。

  半月の下あたりにちゃんと陰月もあいてます。径3ミリほど。ふつうの四つ目ギリあたりであけたものかな。中心線に沿っていて位置決めなどはちゃんとしてるみたいですが,孔の端はボサボサで,これも「あけといた」ってくらいの加工ですね。


  2枚桁のパラレルで,胴内をだいたい3等分というその配置はごくごくありふれたものですが,響き線の反りがふつうと反対になってますね。通常は楽器のお尻方向に向かって弧を描いてるもんですが,棹がわにそっくりかえってるってのはハジメテみましたわい。

  響き線の基部は黒檀を刻んだ小さなブロックに刺さってます。同じこと,菊芳なんかもやってましたねえ。実験の結果,この響き線の基部の材質を変えるってのは,ほとんど意味がない(w)ことが分かってますが,なんとなく気持ちは分かる,って工作です。
  長2センチほどの細い四角釘でとめてありますが,このクギ,あまり見ないタイプですね。クギというのは結構種類がありまして,それぞれの職種で使うクギがあるていど決まってたりしますから,ここから作者の出身が分かるかも。

  では今回のフィールドノートをどうぞ。(下画像クリックで別窓拡大)


(つづく)


清楽曲 「四不像」 再現!

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斗酒庵 「秘曲」をひもとく! の巻HP「清楽庫」改訂 清楽曲 「四不像」 再現!

  江戸幕末から明治にかけて,日本じゅうで大流行りした「清楽」「明清楽」という音楽。
  庵主はそのうち東京を中心として勢力をはった「渓派」「渓菴派」「鏑木派」と呼ばれる連中とその音楽をおもに追いかけてるわけですが。
  その「渓派」の基本的な楽曲をおさめた第一楽譜が 『清風雅譜』
  流祖・鏑木渓菴が安政6年に編んだと言われています。
  楽器の音出し・音合わせなんかに使われる初心者用の練習曲「韻頭」からはじまり31曲。その巻末を飾るのが,長曲 「四不像(スゥポスャン)」 です。
  古い清楽の楽譜はお経の本みたいに一枚の紙を折りたたんで作られてますんで,「ページ」で数えるのもなんかヘンなんですが(w),ほかの曲がだいたい1折の半分から数開きくらいなところ,この曲の楽譜はなんと17ページぶんもの紙面に渡っています。



  バイエルみたいな楽譜の最後の曲ですから,まあこの曲ができるようになればとりあえず 「免許皆伝」 ってとこだったんでしょうが,この曲譜,調べてみるといろいろとヘンなところがあります。

  まず第一に----おなじ『清風雅譜』でも,本によって楽譜の内容が違っているんですね。

  『清風雅譜』はお江戸昔ながらの木版印刷だったものが多く。著作権もあやふやだった時代のこと,いろんな出版元から,文字の形や字組の違ういろんな版が出てます。上にあげたのは明治11年,雉子町の骨董屋兼清楽家・曽我鼎二と元大坂町の本屋・法木徳兵衛の版ですが,庵主がよく使う明治17年の本ではおなじ曲の楽譜が----



 ----となっております。まあざっと見ただけじゃ漢字が縦書きでずッと並んでるってくらいしか分からんでしょうから。もうちょっと分かりやすいように,楽譜の文字を色分けして並べてみますね。

11年版17年版ほか
01 尺工上四上尺五五六工五五六四上尺五五六工五五六尺工六尺工六六工尺工五六工尺五五仩五六仩五五工尺工五六上工尺尺六六尺工尺上四尺上  02 尺上尺上四尺上  03 五五六工六仩五五工尺工五六上工尺工六尺尺工六尺工六工尺上  04 工六○ 工尺上工六工尺上上四尺上尺上四乙合乙四四五五六工六工六五五六五五○  05 仩五六工六仩五五工尺工五六尺尺工六尺尺六工六尺工六○o  06 工六工尺上工六工尺上上四尺上尺上四乙合乙四四○ 五五○ 六工六工六五五六五五○  07 仩五六工六尺工六工六六仩五六工六尺工仩 五五工尺工五六六工六六尺六工工  08 六工尺工尺上尺上上  09 工尺工六尺工六六尺工六工工尺上  10 工六工o 尺上工六工尺上上四尺上尺上四乙合乙四四五五六工六工六五五六五五○  11 仩五六工六六五六六仩五六工六仩五五工尺工五六六工六工五六工六五工六仩五六六工尺六工工尺六仩五六五工六六工六工工尺工工工六尺o○  12 工六工尺上工六工尺上上四尺上尺上四乙合乙四四五五六工六工六五五六五五○  13 仩五六工工尺工六工六五工六尺工六六工六六仩五六工工尺工工工尺上工工尺上  14 工六工尺上工六工尺上上四尺上尺上四乙合乙四四五五六工六工六五五六五五○  15 仩五六工工尺六六工工五六五六六工六工六  16 六工六工尺上尺上上  17 工尺工六六尺工六工六六工六工五六六工工工五六 仩五六工工尺工尺工五六工工尺工尺工五六工工尺工尺工五六o]  六工尺  工工尺上]○  18 工六工尺上工六工尺上上四尺上尺上四乙合乙四四五五六工六工六五五六五五○  19 仩五六仩五五工尺工五六工六五六工六工六工五六六工尺工尺工尺工工工六工六六工五六六仩五六仩五五工尺工尺工工尺工工尺上工工尺上四四上尺六五六尺工尺上四尺上仩仩乙乙五尺工尺上四尺上六五六六五六尺工尺上四尺上 01 尺工上四上尺 五六工六五六 四四上尺 五六工六五六 尺工六尺 工六六工尺 工五六工尺 五五仩五六仩 五五工尺工五六 上工六尺 尺六六尺工 尺上四尺上   02 尺上尺上四尺上o  03 五六工六五仩 五五工尺工五六 上工六尺 尺工六尺工六工尺上  04 工六工尺上o 工六工尺上四尺上o 尺上四乙合乙四四o 五六工六工六五六五五o  05 仩五六工六五仩 五五工尺 工五六 尺尺工六尺尺 六工六尺工六  06 工六工尺上o 工六工尺上四尺上o 尺上四乙合乙四四o 五六工六工六五六五五o  07 仩五六工工尺工六工六六 仩五六工工尺工仩 五五工尺工五六 六工六六尺六工工  08 六工六工尺上尺上上o  09 工尺工 六尺工六 工工六尺上 六尺工六  10 仩五六工工尺工六六 仩五六工工尺工仩 五五工尺工五六 五六工五六工六五工六六 仩五六 工工尺工六 仩五六六工工 六工尺工工尺上 工工尺工六  11 工工六六工五六六 工六五工六 尺工六五工六六 仩五六 工工尺上 工工六尺上 工工尺上  12 仩五六工工尺工六 六工五六五六 六五六六尺六工工  13 六工六工尺上尺上上o  14 工尺工六六尺工六工六六 工六工五六六工工工五六 仩五六工工尺工尺五六 工工尺工尺工五六 工工尺工尺工五六 六工尺工工尺上 工工六尺上 仩五六工工尺工尺工五六 工工尺工尺工五六 工工尺工尺工五六  15 仩五六仩 五五工尺工五六 工六工六六工六工六工五六六 工六工六六工五六六o 又o  仩五六仩 五五工尺工五六 六工尺工工尺工尺工尺上 四四上尺六五六 尺工尺上四尺上 仩仩五仩五 尺工尺上四尺上 六五六六五六 尺工尺上四尺上

  赤い丸は「句点」って言って,メロディの切れ目みたいなものです。これが多い少ないってくらいならまだ楽器の違いだとか,実際に演奏してた人のアレンジの違いくらいで済むんですが----ミドリ色になってる部分に注目してください。これ,曲の中で歌のかからない「間奏」にあたる部分なんですが----右の楽譜,左のにくらべるとこれがやたらと少ないですよね。
  曲の構成がここまで違っちゃってるともう,これを「同じ曲」と言っていいものかどうかは怪しいものですねえ。さらに庵主所蔵の『清風雅譜』明治31年版だと----



 ----とまあ,一見して分かっちゃうくらい,楽譜自体のレイアウトが変わっちゃってます。
  さらにこれ,楽譜の中身も上の11年版のとも17年版のともびみょーに違っちゃってるんですね。

  渓派では明治10年代の後半,富田渓蓮斎を中心に,伝承されてきた楽曲や楽譜の整理・統合みたいなことをやったようで,清楽が最も流行したころ,主として使われていたのはそうした作業を経た後の楽譜でした。この31年『清風雅譜』もそういう「訂正版」のひとつです。たとえば富田渓蓮斎の『清風雅唱 坤』に載ってる「四不像」は三国志の関羽ネタ,歌曲「灞陵別」のメロディになってますが,この曲譜部分は上の31年版とほぼ一致します。




  庵主のこの夏のしくだい1,はこの「四不像」の再現。
  本によってバラバラなこの曲を,庵主はどうやってサバいたか?
  そしてそこからどんな曲が浮かびあがってきたのか?

  詳細はHP「清楽庫」『清風雅譜』の「四不像」の記事でどうぞ~ッ!!

  「四不像 解説」  http://charlie-zhang.music.coocan.jp/MIDI/SGALL/SG_ALL31.html

(おはり)


月琴WS@亀戸 2017年9月!!

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斗酒庵 WS告知 の巻2017.9.23 月琴WS@亀戸 月琴の面板にイデの地平が見える… の巻


*こくちというもの-月琴WS@亀戸 9月場所 のお知らせ-*


 8月のワークショップは,庵主帰省のためお休みいたします
 2017年,9月の清楽月琴ワークショップは,祝日23日,土曜日の開催予定。

 会場はいつもの亀戸 EAT CAFE ANZU さん。

 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願い。

 お昼過ぎから,ポロポロゆるゆるとやっております。
 参加自由,途中退席自由。
 楽器はいつも何面かよぶんに持っていきますので,手ブラでもOK。

 初心者大歓迎。1曲弾けるようになってってください!
 中国月琴,ギター他の楽器での乱入も可です。

 やりたい曲などありますればリクエストをどうぞ----楽譜など用意しておきますので。
 もちろん楽器の取扱から楽譜の読み方,思わず買っちゃった月琴の修理相談まで,ご要望アラバ何でもお教えしますよ。

 とくに予約の必要はありませんが,何かあったら中止のこともあるので,シンパイな方はワタシかお店の方にでもお問い合わせください。
  E-MAIL:YRL03232〓nifty.ne.jp(〓をアットマークに!)

 お店には41号と49号の2本の月琴が預けてあります。いちど月琴というものに触れてみたいかた,弾いてみたいかたで,WSの日だとどうしても来れないかたは,ふだんの日でも,美味しいランチのついでにお触りどうぞ~!

 庵主,夏の帰省は実家までお船で帰るのですが,泳げないものですので,お船がもしロシアの浮遊機雷とかに触って沈んだら中止になります。そのときはよしなに(w)

月琴55号 お魚ちゃん(4)

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斗酒庵 わらしべ長者 の巻2017.6~ 月琴55号 お魚ちゃん(4)

STEP5 魚の出てきた日

 さて,では裏板をふさいで。
 この物体を 「楽器」 へと戻してまいりましょう。

 裏板にはもともと板の真ん中あたりに,上下に貫通したヒビ割れがありました。剥がす時に左端の小板が分離して3枚になってしまいましたので,まずはこれを矧ぎなおして2枚に戻します。
 このくらいの作業だと,こんくらいの装置(?)でじゅうぶん。
 接着の良い桐板なので,ごくせまい接着面でも,ちゃんと擦り合わされていれば,左右方向に少しの圧力でかなりガッチリと継ぎ直すことができます。

 左右を少し離して接着,例によって真ん中にスペーサを埋め込みます。
 板クランプにはさみ,内桁部分に重しをかけて一晩。
 スペーサを埋め込み,固定してもう一晩。
 周縁とスペーサの周辺を整形して完成です。

 棹とのフィッティングを済ませたら,表裏を清掃。

 棹の調整は原作者がかなり神経質にやっといてくれたので,今回は角度や傾きを大げさに直すこともありませんが,部材の経年収縮で少しだけガタつきが出ているのと,棹・胴体の接合部にわずかな段差が発生しているので,延長材の先端と基部2箇所にツキ板を貼って修正しました----うむここが,たった3枚のバンソウコで済むのはホントに珍しい(w)。

 板がかなり目の詰んだ高級品だったおかげもあり,バチ皮痕の虫食いはごく浅いものばかり。今回はほじくらなくて済みそうです。

 木粉粘土で充填,エタノで緩めたエポキを滲ませて強化。
 ここと裏板の作業部分はあらかた均しておき,清掃の時に板からしみだした 「月琴汁」 をまぶして目立たなくしておきます。

 表裏板ともにさほどヨゴレはキツくなかったのですが,この清掃の時,半月の状態がちょっとおかしいことに気がつきました。
 その上面(糸孔のあいてる面)だけが,異様に真っ黒に汚れてるんですね。布でぬぐったら少しネチョっとする感じもあります。たしかにこの楽器において少々凸ってる部分ではありますが,ほかの部分のヨゴレがそれほどでもなかったのを考えると,なぜここだけ?----かなり不自然です。

 ----もひとつ言えば。
 この楽器はこれだけ魚づくしの満艦飾,半月も材料は紫檀かカリンを染めた上物なのに,全体を見渡してみると,この半月のあたりだけがデザイン的に妙にサミシイ感じになっています。このレベルの楽器だと,ここが透かし彫りの曲面になってるとか,上面にもっと飾りとかがついててもおかしくはないのですね。
 もっとも単純な板状であること,背丈が低めであること,そしてその上面の汚れかたの不自然さから言って,おそらくこの半月にはもともと,透かし彫りの飾り板が付けられていたのではないかと,庵主は考えます。とれたのが最近ではなく,かなり前だったとしたならば,ニカワの接着痕がまともに残ってなかった可能性もじゅうぶんにありますし,もしかすると,古物屋さんが汚い雑巾で拭いとっちゃったのかもしれない(泣)

 うむ,ここには後で何かこさえてあげることとしましょう。

 清掃で濡らした板を,二日ばかり乾かしたところで,仕上げに入ります。

 まずは山口とフレット。
 先に,整形しておいた山口を接着します。
 今回は指板が手前で切れて段になってるタイプですので,指板の厚みぶん丈やや高め,約12ミリにしました。

 つぎに,山口といっしょに脱脂し,乾かしておいた同材のツゲ板で,フレットを作ってゆきます。
 染めてないとほんとに,白っぽくて骨みたいな質感ですね。茶色い筋模様も,木の年輪とかよりはちょっと年代がついて変色した骨っぽい感じに見えます。
 工作は,竹よりは面倒ですが,骨や唐木よりはラク。
 櫛作るくらい密でカタい木ではありますが,切るのも削るのも比較的サクサクいきますからねえ。
 それでもほぼ一日を費やし,8枚完成。
 最終フレットで高さ 4.5ミリほど。オリジナルより平均で1ミリほど高くなってますが,清楽月琴としてはかなり低くそろってるほうだと思いますよ。このくらいなら,半月にゲタ履かせる必要もぜんぜんありませんね。


 整形したフレットは,薄めに溶いたラックニスのなかに数時間漬けこんで数日乾燥。#400から2000くらいまで番手をあげて磨いていって,つるッつるに----あ,マジこいつら骨みたいだわ。(w)

 フレットをオリジナルの位置に置いた時の音階は以下----

開放
4C4D-14Eb~4E4F4G+174A+135C+235D+155F+8
4G4A-124Bb+365C-165D+85E5G+75A6C-5


 ちょっと面白い結果ですね。
 低音開放からはじめたときの3音目,第2フレットの音がふつうよりかなり低めなほかは,ほぼ西洋音階準拠みたいになってます。この調弦だと第3音はふつう,ミ(E)の20%くらい低いあたりなんですが,これだとEbとEのぴったり中間。音階の特徴的なところだけがやたらと強調されていて,西洋音階から見た,清楽音階のカリカチュア,って感じ。
 そこから考えても,やっぱり作られたのは明治の後期でしょうね。西洋音階に慣れた人がそうじゃない楽器作ると,こんな感じになっちゃうんじゃないだろうか。
 胴体の「鸞」のデザインがちょっとモダーンなこととか,響き線の「舌」として入れられてたクギが西洋クギっぽかったのもあるし。


 フレットを西洋音階準拠に並べ直して接着,蓮頭とお飾り類をつけます。

 もともと,山口と第1フレットの間についてた小飾りが1コなくなっていたんですが,フレットを西洋音階に合わせたところ,第2・3フレット間がせまくなって,オリジナルでここに付いてたお飾りが入らなくなってしまいました。
 第2・3フレット間にあったのは,おめでたい感じの赤い鯛----色も目立つし形も悪くないので,これを一番上に移し,代わりのものをこっちのせまい空間用に作ってやろうと思います。

 さてでは,こういう時のデザインのネタ本を召喚!----『本草綱目』ですねえ。
 鯛をのぞくヘンテコなお魚のデザインは,たぶんこのあたりの挿絵からきてると思いますヨ。

 このあたりのお魚の絵を参考に,第2・3フレット間のせまいスペースに合うお魚を彫りあげます。


 ほかの小飾りと彫りの手を合わせ,不自然にならないような感じで…………どやぁ?
 絵はあくまでも参考。けっきょく彫り上がったのは,ドジョウだかサバだかウグイだかクチボソだか分からないシロモノではありますが,まあ,だいたいそれっぽい感じのお魚にはなったかと。

 あとは半月上面の飾り。
 おそらくはこういうのとかこういうのが付いてたと思います。

 「魚づくしの水中世界」がコンセプトだとすると,唐物月琴でよくある左の「海上楼閣(蜃気楼)」の絵柄なんかがバッチリなんですが,さすがにここまで細いの,彫りたくないなあ----「水草」くらいでカンベンしてもらいましょう。(www)

 ちなみに庵主,左の意匠が庵主と同じような動機で変化していった結果が,国産月琴でよく見る右の模様,だと考えています。
 てってーてきに簡略化されちゃってますが,全体のフォルムの相似とか,ならべてみると分かるでしょ?


 この手のお飾りは,だいたい1枚板を加工したものが多いんですが,今回は省力デザインのため,1/4円のものを2枚,左右対称に作ります。
 まずはカツラの端材板にだいたいの輪郭を描いて切り出し,さらに板を厚み半分のところで挽き割ります。
 表面を平らに整形したところで,2枚を両面テープで貼り合わせ,外縁と切り貫き。
 だいたいのカタチになったら,ふたたび2枚に割ってそれぞれ彫り込み,ヤシャブシとスオウでツゲっぽく染めたら出来上がりです!

 彫りはシンプルだったんでそれほどでもなかったんですが,半月の縁にキレイに合わせるのがちょっとタイヘンだったかも。

 「魚づくし」ですから,バチ布はやっぱコレですよねえ!
 「荒磯」----前も書いたんですが,「磯」ってわりに,この魚,鯉ですよねえ。
 「荒川」とか「深淵」の間違いなんじゃないのかなあ(w)

 この模様,室町時代に大陸から伝わってきたもので,名物裂の名前としては「あらいそ」とも「ありそ」とも読むそうです。
 ちなみに,漢字で言う「磯」ってのは「水面と陸地が接している場所」で,ほんらいはとくに「海」には限定されません。これを海岸の岩場に限定するのは海国である日本での用法。同じような場所でも,「岸」はそこが崖みたいに切り立ってる場所。「磯」は「石」へんなのからも分かるように主に「岩場」,陸がわから見た水際ですが,これに対して「渚」はサンズイ,そこの砂とか小石が寄って浅くなってる場所で「水のほうから見た水際」を指します。
 琵琶などの側面を「磯」って呼ぶのは,これを川などにつきだした岩場(みさき,などと同じような)に見立てたものでしょうかね。丸い岩場のふちを流水がめぐるように,音の波がめぐる場所ってとこかな----ほう「国際標準化機構」がイソなのは知っちょったが,「国際砂糖機関」もイソなんじゃなあ。(無駄知識)
 漢字の本も訳してる庵主(そうなのよ!)の漢字知識講座でした。ww

 そんなこんなでイロイロありましたものの,梅雨の終わりの6月末日。
 お飾お魚づくし,月琴55号,修理完了いたしました!!!

 こういう満艦飾の楽器というものは,お飾りとして作られたようなものが多く,姿かたちは立派でも音はてんで,操作性もヒドいものが多いんですが。お飾りの質と出来はともかく,この楽器の本体部分は,きちんと楽器として作られています。いまのところ誰だか分かりませんが,作者はこの楽器のことをかなりきちんと分かっているヒトですね。

 内部構造の組み方や接着具合,棹の設定や弦高などは,たんにガワだけ見て真似したような連中の工作ではありません。唐木の扱いの巧さ,工作の緻密さ。また胴が「太鼓」ではなく「箱」----きちんと密閉された中空の構造体として作られているところからすると,三味線屋ではなく琵琶師か指物などの経験者ってあたり,でしょうか。
 ちょっと前に修理した「佐賀県から来た月琴」とよく似ています。棹などの工作や,フレットのオリジナル位置での音階によく似通っているところもあることからすると,もしかすると同じ作家さんの作なのかもしれません。

 あちらにくらべると,材質などの面で若干落ちますが,じゅうぶんに贅沢な材料と木取りで作られているので,音質の面での退けはそれほどないかと。
 53号ほどではありませんが,かなり音量が出ます。音の胴体は深くやわらかくあたたかな感じなのですが,響き線はうまく効くと 「シーーーン」 という,かなり高音の冷たい金属的な余韻が長く耳に残り,冷暖ちょっとギャップのある面白い音色になっています。
 響き線の巻きが丁寧なせいか,鳴らすための「舌」がついてるにもかかわらず,演奏中のよけいな胴鳴りは少ないですね。おかげで演奏姿勢もかなり自由にとれ,比較的ラクちんに弾けます。

 あと,フレット----琵琶での「相」をのぞけば,この材料で作ってみたのはハジメテだったんですが,これ,悪くないですね。
 見た目もちょっと木だか骨だか分からない風だし,指を落とした時の感触がちょっと独特で,骨はもちろん唐木や竹よりも 「すべらか」 というより 「なめらか」 な感じがします。(感覚的物言いww)
 形状や加工の違いもあるんでしょうが,おなじツゲでも,ふだん使ってる一級品の黄色くてカッチリした材の,緻密な感じとはまた違った感触ですね。

 満艦飾なところとその意匠が,かえって好みの分かれるところとなっちゃうかもしれませんが,楽器としての実力はかなり高く仕上がっていると思います。

 さて,魚づくしの55号。

 次はどんなところへ回遊することとなるのやら。

(おわり)


月琴の製作者について(3)

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月琴作者列伝月琴の製作者について(3)-月琴作者の肖像-

 55号の修理はスローペースで進行中。
 4月にやらかした庵主こむらがえり,からの肉ばなれによる戦線離脱の影響,いまだに癒えず……あ,いや肉ばなれ自体はだいたい治ったんですけどね。懐入りがほぼ半月ぶん減ったもので。口のほうはともかく,研究のほうまではおアシがちょいと回らず,資金難のためちょくちょくと中断しております。
 野良の研究者ってのは,ほかが自由なぶん,まぁこういう時には困りますなあ。(w)
 作業ができないぶんは,できるとこから,ほかを進めてゆきましょう。

 現在,庵主がぱッと見で判別可能な月琴の製作者は,おそらく10人くらい。
 それもごく特徴的な工作・加工がなされていたり,ラベルが残ってたりする場合に限ります。

 名前はよく知っていてもその楽器をいちども見たことがない作者もいれば,こないだの52号みたいに,同じ作家の楽器はたぶん何度も見ているのだけどそれがどこの誰なのか分からないのもたくさんあります。
 大流行期,全国でいったいどれぐらいの人が,この楽器をせっせこっせっせこ作ってたかとなると,ちょっと想像もつきませんからねえ。
 もしご尊顔をおがめたなら,庵主,あちら(あの世)に逝ってから,ともに酒でも飲みかわしたいような御仁も,また出会いがしらドタマをゲンノウで横殴りにしてやりたい奴輩もたくさんおるのですが(w)もともと楽器店というものは,製造から販売までほとんど一人でやってるような,ごく零細な業者が多く,彼らがどんなツラぁしてたのかなんてことは,まず分からないものです。

 庵主が自分の研究の便にとこさえているものに 「明治大正期楽器店リスト」 というのがあります。
 実際には江戸幕末のころの資料からはじまってますが,主に国会図書館の資料中にある三都(江戸・京都・大阪)の買物案内や商店録を中心に,楽器屋の項目を見つけ出しては抜き出してるもので。2011年にはじめてもう6年くらいになりますか。そこそこけっこうな数のリストとなっており,この作成のおかげ(?)で,庵主,一部の作者さんに関しては,住所本名から電話番号まで,ほぼストーカー的知識を有するに至っております。(ただし,たいてい現在その住所に店はなく,電話番号は4桁だったりしますがww)

 庵主は頭の良いほうの研究者ではないもので,こういう場合の情報収集も,もっとも頭の悪い方法しか採ることができません----すなわち,あやしいとニラんだ資料をかたっぱしから開き,頭っからぜんぶ読んでゆくわけで。(w)
 もちろん,インデックスが付いてる場合はそこまでしません。何十冊何百頁めくって,琴三味線楽器の一文字も見つからないことも多いですね。でもまあ,昔のおかしな広告とか流行り物の宣伝とか,それなりに面白い余録がついてくることもあり,実はそれほどキライじゃないんです,この作業。

 今回はそんな最近の作業の中から,ちょっと奇跡的な例をいくつか。

 まずは『浅草人物史』(大正2)から 清琴斎仁記・山田縫三郎氏の肖像---若いなあ,なんかどっかのお坊ちゃんみたいですね。

 浜松の生まれで山田高次の二男。この父親は幕臣・近藤登之助の家臣だったそうで……おっと,近藤登之助といえば「旗本退屈男」のモデルじゃないですか。そこの家臣とな。
 旗本の家臣で,静岡は浜松ということは,維新後,徳川の旦那に従って一族移住した口ですな。十五六歳で上京,二十代で師匠の工房を受け継いだとのこと。

 その後,東京の楽器商の顔役みたいな存在にまで登りつめてたようです。庵主,都内うろついてて,三味線やお箏関連の碑文に名前を見つけて「おお~」ってなったことが何度かあります。

 この人が月琴を作っていたのはおそらく明治20年代の後半から。
 師匠で清琴斎初記・頼母木源七とともに,月琴をふくむかなりの数の清楽器を世に送り出したもようです。
 楽器のスタイルとしては関東型の棹長くやや大型なタイプ,基本的には量産型の普及品が多いのですが,部材の加工が精密で堅牢なうえ,生産数もやたらと多かったと見え,現在でも相当の数の楽器が残っていると思われます。
 木目などから見てあまり質の良くない材料でも,均等で精密な部材に仕上げていることから,伝統的な工具ではない,近代的な加工機械,たとえばボール盤やジグソーのようなごく単純な洋風工具を用いられていたのではないかと思われます。



 実際,師匠の頼母木源七と彼は,スズキバイオリンの祖,鈴木政吉と同時代かすこし前くらいに,国産バイオリンを手掛けたりもしていますし,後に販路を広げ,三味線・琵琶や箏などの邦楽器のほかにも,縦型ハーモニカ吹風琴や洋楽器類も手広く扱っていますので,いろんな楽器に対応できるような最新の工具を備えていたとしてもおかしくはありませんね。

 明治の末,農商務省山林局が『木材ノ工芸的利用』(M.45)という本を出しています。
 タンスやらイスといった家具のようなもの製作法やら,伝統的な各種組継ぎの方法,箏や三味線など楽器類の部材採りからその工法までがかなり詳しく書かれていて,その筋の自作木工マニアにはちょっとたまらん内容になっておるのですが。これを編むとき,東京においてまだ月琴など清楽器を作り,その用材や加工法について語ることの出来る者は,この山田楽器店主・山田縫三郎くらいしかいなくなっていたようです。


 最近,庵主はそれまで「目摂」と書いていた,月琴の胴体左右の飾りを 「ニラミ」,凍石などで出来た柱間の 「小飾り」 と書いてますが,それはこの本での山田縫三郎による記事から。「目摂」に比べますと,製作者間で通用の呼称みたいな感もありますが,同じ江都にてこの楽器に関わる者としてのセンパイ・リスペクトっす。(w)

 また以前「明笛について(19)」という記事で,昭和10年に出された 『工業・手工・作業・実習用材料-木・竹編-』(小泉吉兵衛) という本から右のような写真を引いたことがあったんですが----これ,この『木材ノ工芸的利用』からの無断転用だったみたいですね。まったく同じ写真が載ってましたから。

 とすればこれは,山田縫三郎の店の一角。すでに作られず売れもせず,倉庫にでも残っていた清楽器をかき集めた光景だったのかもしれません。

 20代で店を任され,博覧会や展覧会でも賞をとりまくってますから,創業者・山田縫三郎の手腕はもともと優れたものだったのでしょう。加えて時代を先読みした商品の拡大路線は当って,清楽が衰えたのちも,山田楽器店は蔵前片町の本店のほか神田にも支店を出すなど,いっときは都内でもそこそこの大手だったと思われます。


 大正1年の『京阪商工営業案内』の広告を見ると,猿楽町支店の店主名が 「名倉幸之助」 になってます。この人も明治終わりごろの博覧会で清笛・明笛・喇叭の類でよく賞をもらってた作家さんですねえ。山田縫三郎も吹風琴作ったり尺八で賞をとったりしてますので,糸竹両方イケた口だったんでしょう,うらやましい。(w)

 その後,昭和10年代に本店を神田に移した(昭和9年の電話帳ではまだ蔵前片町)もようですが,昭和17年の中央区の電話帳にもまだ「山田縫三郎 山田楽器店 神田小川町」と記されてますからそのあたりまではどうやらご存命。その後裔がそこで戦後~昭和40年くらいまで楽器店を続けていたそうですが,ざんねんながら本店のもとあった浅草蔵前片町にも,支店のあった猿楽町にも,いまは何も残ってません。

 この件に関しましては,「楽器商リスト」の縁による,
  さるヴァイオリン・マイスターからの情報で道がイッキに啓けました。
 まことにありがとうございます!



 あと二人,最近あい次いで 「面の割れた」(w)作者がおります。
 まずは明治43年刊『名古屋知名人士肖像一覧』より,「鶴寿堂」こと鶴屋・林治兵衛。

 「鶴寿堂」の楽器はこのブログでも,もう3回ほど登場していますね。
 カヤを主材とした重厚な音のする楽器の作家さんです。一見すると飾りも少なく,どちらかといえば武骨な感もあるのですが,よく見ると蓮頭やニラミ,扇飾りなどにきわめて精緻な彫りが施されている場合があります。またネックの裏がわ,棹背のところについた微妙なアールが美しい----細すぎず太すぎず,なだらかなふうわりとした曲線は,まさしく店名・堂号にある「鶴」の首みたいです。

 あと,ラベルのほか,かならずどこかに署名を入れてくれてるのも有難いですね。板書きしたものではありますがその字もなかなか達筆ですし,22号のように 「花裏六(注)」 なんて洒落た銘を入れてたりするとこから見ても,けっこうな教養人だったのではないかと思われます。『愛知県実業家人名録』(M.27)のころの住所は上園町。明治の終わりごろには西区下長者町一丁目になっています。この人も,月琴の製作は明治20~30年代のようですので,楽器に書された住所は上園町になってることが多いですね。

  注:花裏六=訶梨勒で,おそらくは楽器同様に壁にぶるさげられる伝統的な飾り物に見立てたもの。

 庵主の見つけた資料中で彼の名前が最後に見えるのは,明治45年版の『交信資要』。大正12年に出された『愛知県商業名鑑』では,鶴屋の店主は 「林岩蔵」 となっていますので,この10年あまりの間にお亡くなりになったか,引退して代替わりなさったのではないかと。同じ資料によれば 「創業は安政年間」 とのこと。

 なるほど,老舗の主人っぽい----そう思ってみると,写真の風貌も実にそんな感じですね。
 ガンコそう(w)


 おつぎも同じく『名古屋知名人士肖像一覧』より,小林倫祥。
 このブログの記事では扱ったことがありませんが,楽器は何度か見かけ,実際に手に取ったこともあります。
 彼の月琴はあまり奇抜なところもなく,ごく「標準的な楽器」という印象。清琴斎のものによく似た量産月琴を,けっこうな数作り,大流行期の関西方面ではけっこうメジャーな作家の一人だったようです。
 こちらも山縫同様,博覧会で何度も賞をもらってますから,腕前はもちろん悪くない。
 清琴斎の楽器に比べるとやや棹が太く,部材の加工精度はわずかに劣りますが,材は若干上等。胴がやや厚めで,響きは悪くないです。ほのかに暖色な空間系。

 うん,山縫同様,やっぱり洋装ですね。
 なんとなくそう思ってました(w)

 大正2年の『名古屋の実業』には

…明治維新ニ至リテ弾琴ノ道大ニ廃絶シ,深窓ニ弾奏ノ声ヲ絶チ,古琴ハ多ク古物商人ノ店頭ニ曝サレ,甚シキハ破壊シテ火鉢ニ製作スルコトノ流行スルニ至レリ。明治五六年ノ頃,市内袋町・小沢林蔵,小林倫祥,大ニ之レヲ惜ミ,多ク古琴ヲ買収シテ他日ノ流行ヲ期待シツツアリシニ,明治十四五年ニ至リ弾琴ノ趣味勃興シ,古琴応用ノ到底需要ノ大勢ヲ充スニ足ラザルヨリ,小林氏モ琴製作ノ業ニ転ジ,是ヨリ次第ニ製作者モ増加シ来リ今日ノ盛況ヲ呈スルニ至レリ。

----と,その楽器店主となった経緯が書かれています。
 こういうの読んじゃうと,月琴の流行期にその製造にまで手を伸ばしたのは,「同じ "琴" だから」 みたいなところも多分にあったのかもしれない,とか考えちゃいますねえ。まあ,その月琴もまた,時代の流れでかつての「古琴」と同じような扱いを受けることになるとは,作ってた時には想像もしなかったかもしれません。

 おじいちゃんやご先祖が「楽器を作ってた」なんて伝承の伝わっている方にお願い。
 一度ぜひ「明治大正楽器店リスト」をたぐってみてください。
 そんでもしその中に該当する人物がおったなら,庵主までご連絡を---
 ウラ話とか残ってたら,ぜひそれも添えてね(w)
 どうかよろしくお願いいたしまあす!!
(つづく)


月琴55号 お魚ちゃん(3)

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斗酒庵 わらしべ長者 の巻2017.6~ 月琴55号 お魚ちゃん(3)

STEP4 きぬぎぬのよあけ


 さて,測るものも測り,調べるところもあらかた調べ,ひっぺがすものも身ぐるみひっぺいだ(w)ところで,いよいよ修理開始です。

 いつも言ってるように,楽器はいくらおキレイに外がわが直っていても,その内がわで薄板一枚・棒一本はずれていたら,それだけで何の役に立たない,タダの置物にしかなりません。
 まあ,今回の楽器。意味もなく魚づくしの満艦飾なところからも想像がつくように,多分に 「お飾り月琴」 のキライはあり。表板にキズ一つ見当たらないことから言っても,おそらく,楽器としてはほとんど使用されたことがないと思われるのですが。棹の角度調整もしっかりされており,内桁の接着は頑丈で,胴の作りや響き線の加工も丁寧----本体部分のみに関して言えば,ちゃんと楽器として製作されてはおります。
 山口やフレットなど,欠損している部品を補作してあげれば,あとは経年の損傷と原作者のちょっとした工作ミスが少々。さほどのこともなく,マトモな楽器として再生させてあげられることでしょう。
 そのためにも,まずは内がわから----

 下桁の割レを継ぎます。
 これはもともと割れの入ってたとこが,裏板ひっぺがしのときに完全に逝ってしまったもの。
 そもそもの原因は響き線を鳴らす 「舌」 として打たれた鉄クギ。原作者の少々無茶な工作のために割れたもので,もともと割れるように出来てるような箇所ではないですし,大切な響き線の基部にも近いので,ここはエポキで継いでしまいましょう。


 つぎは右下の接合部。
 まあ原作者が胴体組み立ててみたら側板の長さが,1ミリくらい足りなかった,と。
 で,ここまできて直すのも面倒だしぃ,まあこのくらいなら唐木の外皮で締めつけておけばへっつくだろう----てな感じで。

 石工用のハンマーの尖ったほうで殴るぞ,オイ。

 唐木の飾り板の浮き,裏板のヒビ割れ,地の側板の剥離。
 この楽器の主要な故障のほとんどが,おそらくここの工作不良に起因しています。
 もちろんこのままには出来ませんので,ここが今回一番の要修理個所ですね。

 問題の箇所を補修する下準備として,手はじめにまず,地の側板のハガレを処理しておきます。ここがきちんと固定されてないと,部材が動いてこの後の作業の精度が下がりますからね。

 真ん中あたりの接着面に浅い虫食いがあって,そこからハガれたらしいので,そのあたりに板のスキマから木粉粘土をつっこみ,充填してからニカワを垂らしこんで固定。
 余分な木粉粘土とニカワがにじゅるとハミ出してきますので,きっちりと拭い取っておいてやります。

 そしていよいよ問題の右下接合部。
 まず,スキマにぴったりはまるような小板を作ります。
 端材の中からちょうどいいくらいのカツラの板を発見。接着も良い木ですので,これでいきましょう。
 スキマを埋める板が出来たところで,接合部にニカワを流し込んでつっこみます。事前の調査で異常はありませんでしたが,ついでにほか3箇所の接合部や内桁のホゾなんかにも新しいニカワをたらしこんでおきました。
 そこですかさず間髪入れず。胴側に太輪ゴムをかけてしめあげ,接合部各所を密着。
 右下接合部は,内がわの補強板も片がわ接着がはずれちゃってますので,ここにもニカワを浸ませ,輪ゴムの外からさらに,クランプで3D的に固定しときます。

 スキマ充填,接着補填。これにて内部構造はガッチリと固まりました。
 もともと部材が厚めで工作もよく,材質的にも接着に問題がないんで,きちんとニカワ仕事が出来ていればバッチリへっつく類の作りになっています。
 そのあたり,ひとつ前にやった53号なんかと比べると少しラクですね。

 つぎの日に再接着箇所を確認。
 地の側板や接合部のニカワのはみだしや,側面の工作アラの細かな凸凹を軽く均したところで,飾り板を巻き直します。
 まずはニカワを滲みこみやすくするため,本体側部の表面と唐木の飾り板を湿らせます。
 本体のほうはいいんですが,飾り板のほうは唐木なんで滲みこみが悪い。こういうときは,筆でぬるま湯を刷いたあと,表面にラップをかけておくといいです。

 そのまま10分ほど置き,いい感じに湿ったところで,緩めに溶いたニカワを塗布。楽器にだいたいぐるっと巻きつけたところで,端をちょっとクランプではさんで一時固定。その隙に太輪ゴムをかけ回します。

 接着面をじゅうぶんに濡らしといたので,輪ゴムをかけてからも調整する時間がかなり取れました。しめあげる輪ゴムを増やしながら,浮いてる箇所,ずれてる箇所を修正していったところ。両端のそろう棹口のところで,板が左右合わせて2ミリばかり余り,重なってしまいました。
 飾り板の端を急遽削らなければならなくなったんですが,縛りつけているゴムを当て木で浮かせたりしてよけながらの,せまい中での作業----使える工具も限られ,けっこう大変でした。
 まあそんな甲斐もあり,こんどはもう,どこにも浮いてブヨブヨしてるところはありません。(喜)

 百年前には輪ゴムなんてものもなかったでしょう。

 たぶん当時は,濡らした麻ヒモとか革ヒモなんかで縛りあげ,固定したもンかと思われますが,その手だと,瞬間的なしめつけの力は輪ゴムより強力なものの,かかる力の分布と持続性に少し問題があって,工作のムラができやすいんですね。

 オリジナルの接着剤自体はムラなくついてたのに,あちこちに浮きやハガレができちゃってたのもしょうがないとは思います。この原作者の木工の腕前自体は,おそらく庵主なんかよりかなり上だと思うんですが,100年の時間の流れ。まあ使ったのは現代ではありふれたモノではありますが,その工具の差が出ましたね。

 胴体を緊縛ボンテージ鬼しばりしている間に,欠損部品の補作にも取り掛かりましょう。

 まずは糸巻。
 例によって材料は¥100均のめん棒36センチ,スダジイとかの類で出来てます。
 今回はちょっとレベルの高い楽器なので,高級月琴に多い六角三本溝にします。

 普及品の楽器なんかだと六角形各面一本溝のタイプが多いですね。この溝はまあ飾りみたいなものなので,1本が3本に増えたからと言って,なにか操作性が向上するようなわけではありません。

 作り手の手間が三倍になるだけですね(w)

 おつぎは蓮頭。
 「魚づくし」なんていう装飾例がほかにないし,作者も不明なので,もとはどんなのが付いてたのか,まったく見当もつきません。
 まあこの楽器,ほかの飾りはだいたい揃ってますので,庵主が遊べるのはここくらいなもの。
 いっちょう派手に遊んでみましょう。今回はいつもみたいに意匠の意味や,吉祥などはあんまり考えない方向で。

 こんなん出来ました~。

 楽器の先端に仔猫が2匹。
 視線の先には水面----ここには翡翠色の凍石をはめ込みます。この小さな水たまりは,糸倉から下,魚づくしの水中世界へと通じてる,って感じで。
 いつもながら,庵主がネコを彫るときは,いつもちょっとあざとい(w)です。

 両方ともスオウ染ミョウバン媒染,薄くベンガラ下地で仕上げにオハグロ染。

 このところ定番の,深い紫黒色に染め上げます。
 仕上げは柿渋と亜麻仁油ですね。

 山口とフレットはツゲで作ります。
 オリジナルのフレットは竹でしたが,これも水中世界の一部にしちゃいたいので,ここでもまた,ちょっと遊ばせていただきましょう。

 いつも使ってる黄色い上物のツゲじゃなく,ちょっと前のベトナム琵琶魔改造でも使った,琵琶撥の端材。
 染めないまま磨くと,ちょっと白っぽく骨材みたいな質感になるのと,そこに入ったマーブル模様が,水中にある岩の表面にも,流水のゆらめきのようにも見えます。

 下磨きまでした山口と板状に切ったフレットの材料は,いちどアセトンで脱脂と軽く漂白。ツゲは密なので塗料染料の染みが悪いのですが,これしとくとニスの滲みこみが若干良くなります。
 強度的には問題がない材なので,今回のニス塗りは,あくまで表面の目止めとツヤ出しが目的です。


 さて,二日ばかり鬼六先生ばりの緊縛を施した胴体。飾り板の再接着もうまくいきました。
 さすがは現代科学(ゴム輪)。さっきも書いたとおり,浮きもなくバッチリへっついてくれたようです。これであと裏板をもどせば,胴体の修理はだいたい完了。


 楽器の修理のやりかた,というか,仕事の仕方というものは人によって様々ですが。庵主は細かい仕事を同時進行で片づけてゆき,最後にそれを一気にまとめる,というやり方が好きです。
 前にも書いたかもしれませんが,それまでは一見関係・関連のなさそうなバラバラの物件が,パズルのピースのように,パチパチと火花を放ちながら組み合わさって,それぞれの意味を叫びながら一つのモノとなってゆく光景,というのが何ともたまらないんですね。
 ただ,この方式だと,一度作業を始めたらノンストップ。スピード落ちるとぶッ飛ぶ爆弾の仕掛けられたターボチャージャー付きロードローラーなみに,最後まで止められません。最終工程のあたりは分刻み作業で,三日くらいほとんど徹夜みたいな状態となりますので,気力と体力,あとなにかしら,生きる上で大切なもの(w)がギセイとなります。
 ウチの修理は「修理」というより楽器の「再生」作業に近い。いちど失われたイノチを蘇らせるためには,それなりのカクゴと等価交換が必要,ということでしょうなあ。

 よって修理が終わると庵主,すべてを使い果たした状態,まッ白のバタンきゅうで寝込むことが多いです。さらに最近はまあ,寄る年波のだっぱあぁんとともに,年々キツくなっておりますですヨ,ハイ。

 次回はそういう(w)仕上げ工程のおハナシとなります。

(つづく)


糸巻がゆるみやすいとき

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斗酒庵 糸巻指導 の巻糸巻がゆるみやすいとき

STEP0 ゆるゆるゆーてぃ

 ウチで修理した楽器の場合。
 とくに糸巻がなくなっちゃってて,新しく作った楽器の場合などは,糸倉と糸巻の噛合せ等ちゃんとやってますので,修理後スグにゆるゆる~なんてことはまずナイ(と思うんですがww)。

 音合わせがどうしてもうまくいかないとき,大きな原因のひとつがこの糸巻のユルみです。

 1) 気がついたら糸巻のところで糸がほぐれてユルユルになっちゃってる。
 2) きっちり音を合わせたのに,糸巻がはずれて糸がもどってしまう。

 というようなことが頻発した場合----まあもちろん,単純な加工不良が原因な場合もあるのですが,そこらへんを疑う前に,まず確認してほしい点がいくつかあります。
 今回はそこらへんをまとめてみましょう。


確認1 糸巻の扱いかたが三味線式

 ほかの楽器の前科餅(w)の方にけっこう多いのですが。
 三味線の場合,調弦の時は糸巻を糸倉から少し浮かして音を合わせ,最後に糸巻をぎゅッと糸倉におしこんで止めるとゆーことをします。
 しかしながら,月琴の糸巻と糸倉は,三味線のと違う作りになっています。さらに単音の三味線と違って,4弦2コースの複弦楽器。2本の弦を「同じ音」にそろえる,という行為はかなりセンシチブなものなので,三味線と同じやり方をすると,最後の 「ぎゅッ」 のところで音が微妙にズレてしまうため,いつまでたっても糸の音がそろいません。
  
 またこの方式でやると月琴の場合,「ぎゅッ」の後も糸巻が糸倉の中でちゃんと止まってない場合が多く,つねに抜けやすくゆるみやすい状態になってしまいます。
 三味線弾きの場合,クセもついちゃってましょうが,「おかしいな」と思ったら,ちょっと注意してみてください。

 月琴の正しい糸巻の持ちかた・扱いかたは以下の記事をご参照あれかしこ。


確認2 糸巻の握りかたが違う

 まず最初に----

 糸巻の握りかたが,画像のようになっちゃってませんか?
  
 これが初心者に最も多い 「ダメダメ握り」(w) というものです。

 月琴の糸巻は先細りになってますので,こういうふうな握りで糸巻を回すと,回したら回したぶんだけ,先端が糸倉から浮き上がって,どんどんはずれていっちゃうんです。
 ----そうですね。ネジ回しでネジを抜こうとしてるのと同じ状態,ってとこでしょうか。
 月琴の糸巻の回し方は,むしろドライバーでネジを押し込む時のほうに似ています。
 こういうダメダメなやりかただと,調弦の時,たとえ一時的に音がピッタリ合っても,糸巻が糸倉にちゃんと固定されていないので,手を離したら糸巻が動いて,音がすぐにズレてしまうわけですね。

 糸の張り替えで,糸巻によぶんな部分を巻き取るときなんかは上の握りかたで回しても構わないんですが。
 糸があるていどピンとなってから,「さあ音を合わせるぞ!」 ってときの,糸巻の正しい持ちかたはこうです----
  
  A(左):糸倉と糸巻のお尻に指をかけ,糸巻が抜けないよう「おさえこみ」ながら回す。

 あんまり糸巻を 「押しこむ」 ほうに気を入れると,こんなふうに糸倉パックリ割れちゃいますからね(泣)
 あくまで,「抜けようとする糸巻をおさえこむ」 くらいの感じでお願いします。
 これは沖縄三線のちんだみなどでやるのと同じ方式ですが,庵主なんかも手が小さいんで,これだと小指が糸巻のお尻にとどかないことがあります。そのときはB(右)の方法で,

  B(右):反対がわの糸巻をひざなどに当てて,糸巻のお尻のあたりを握り込み,軽くおしこむようにしながら回す。

 画像と反対がわの糸巻を合わせる時は,ヒザじゃなくて肩や胸に押し付けたりしますね。

 そのほか,A)に似たやりかたとして,楽器を膝の上に置いて,こんなふうにやる方法もあります----
  
  C:人差し指を糸倉にかけ,糸巻の尻をおさえこむようにしながら回す。

 曲げた人差し指の先を壁にして,糸巻をおしこむわけですね。
 演奏の最中とかならAかBのほうが,とっさの対応が可能なのですが,ゆっくり時間をかけて調弦出来る場合はこちらのやり方でもいいです。楽器を寝かせてやるので,面板の上にチューナーを置いて確認しながら微調整が出来るのも利点ですね。


確認3 巻き取った糸が寄りすぎてないか?

 ウチでは月琴の弦に,お三味の糸を使っています。
 月琴はお三味にくらべるとかなり短いんで,糸の余分は,糸倉のなかに巻き込み,巻き込んだぶんはそのまま,すぐ使える予備の糸としています。
 半月のほうで切れた場合,だいたい2回くらいまでは同じ糸をそのまま使えるので経済的なんですよね。
 しかしながらこの,けっこうな長さ巻き込んだ余分の糸が,糸倉の中で悪サしてることがあるんですねえ。
  
 糸巻がなんかの拍子にハズれて,ぎゅるんと戻っちゃった後とか,糸を張り替えた後なんかによく起こります。
 急いで巻いたりするとこんなふうに,テキトウに巻き込んだ糸が邪魔になって,糸巻を糸倉から押し出してしまうことがあるんですね。
 対処法は,糸巻から糸を引き出し,キッチリと巻き直してあげるだけです。

 糸が軸孔に噛んじゃうと,傷んで切れちゃうこともありますし,あんまり一箇所に寄せて巻いて,おダンゴを作っちゃうと,弦の反発がすごくなって糸巻が回ったり,最終的な音合わせがうまくいかなくなったりもしますので,糸はなるべく均等に,キッチリ巻いてあげましょう----この楽器の扱いの中で,意外と見落とされがちな部分です。


確認4 それでもうまくいかない場合

 まずまず初心のうちは,上記のような理由であることが多いんですが,以上を確認しても,まだユルみやすい,音が合わないといった場合には,次のようなマジ故障のこともあるのでご連絡を。

 1)糸巻の加工不良。
 2)棹なかごの接着剥離。
 3)棹孔の割れ。

 1)はまあ調整ミスですね,ないではないです,ごめんなさい。
 2)3)の場合は糸を張るときよく見てると,若干棹が浮き上がったり動いたりします。こういう時は,棹を抜いて胴体の棹口と,棹なかごの基部を確認してみてください。
 2)の場合,棹本体と延長材を持って軽く反りや曲げをかけると接合部にスキマができちゃいますし,3)の場合は棹口のどこかにヒビ割れが出来ちゃってると思います。棹口に指をつっこんで軽く広げてやれば確認できるかと。
  
 何度も書いてるように,清楽月琴ってのは13コしか音のない,おぼえちゃえばバカでもネコでも弾ける,ごく単純な楽器ですが,「音合わせ」はこの楽器を扱う上での最初の関門。とはいえ,弦楽器ってのはチューニングができなきゃ,基本弾けないものです。

 さあ,みなさんがんばって,快適な月琴ライフを!!!

(おわり)


月琴55号 お魚ちゃん(2)

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斗酒庵 わらしべ長者 の巻2017.6~ 月琴55号 (2)

STEP3 渦まき楽器クロニクル

 ふぅ…………
 なかなか,良かったぜ。(…シクシク)

 というわけで,内部構造確認と修理のため,裏板をひっぺがしました。

 側面に貼りまわした唐木の薄板は,表裏の面板の間にはまってるカタチになってるんで,どのみちどっちかの板をハガさないと確実な修理ができませんゆえ……
 表板ははがすと後が面倒ですし,さいわい裏板は真ん中にビッっとヒビも入っており,その両端にハガレも少々----いえいえ,ただもうナカミを見たかっただけとか,お父さんの目覚まし時計同様ぶッ壊してみたかったとかいうわけでは,けっしてけしてございません。

 まず目につくのは響き線ですね。
 渦巻線自体は珍しくありませんが,取付けられているのが下桁で,さらに片側に寄っています。
 定番は上桁の真ん中か左右に一つづつ,といったところで。まあ推測するまでもなく,そのどちらもシロウトさんならだれしもが思いつきそうな 「いかにも構造」 ではあります。
 それに対してこちら。演奏位置に立ててみるとこれが,お客さんのほうに最も近く向き合う位置となりますので,もしかすると若干の音響的効果を考えてなされた工夫だったかもしれません。

 少しサビは浮いていますが,線の状態はごく健康的。
 かなり丁寧に,キレイに巻かれてます。
 下桁に挿されているクギは線の固定とはまったく関係なく,線を鳴らすための「舌(ぜつ)」 として入れられたモノと思われます。四角いクギでですが,頭がT字形になっていたり表面に若干加工の痕が見られますのでよく見かける和クギではなく,西洋式の丸クギを叩いて平たく延べたのかもしれません。
 ただ,こういう角のある鋭いモノを,ただでさえ割れやすい針葉樹材(おそらくマツ)の板に遠慮なくぶッこんだものですから,クギの刺さっているところから割れが入り,裏板がわがほとんどブラブラになるくらいハガれちゃってます----ちょっと下孔あけてから,とか考えなかったのかね,このヒトは(w)


 側板の本体は,やや厚めのホオ材。四方の接合部をちょっと彫り下げて小板を渡し着け,接合を補強しています。この補強工作のおかげもあって,四方のうち3箇所までは,カミソリの入るスキマもないくらいガッチリとくっついていますが,裏板がわから見て右下にあたる接合部の接着がトンでおり,完全に分離してしまっています。
 側部飾り板の浮きや裏板のヒビ割れなど,この楽器の主要な故障の原因は,おそらくここからきてるものかと直勘されますが,さて,どうでしょう。

 ひとしきり確認し,計測をすましたところで第二段階。


 側面の飾り板をハガします。
 これは唐木の薄板をただ巻いてへっつけてあるだけなので,現状のように何箇所も浮いたところがあるとそこからペリペリ,かんたんにハガれちゃいますね。

 (悪代官) うりゃああああっ!!
        よいではないか,よいではないか!

 (村娘) あ~~~~れ~~~~~!

 てな感じに。(w)

 ううむ,なるほど。やっぱりなあ…
 飾り板をハガしてみたところ,先に触れた右下接合部が,およそ1ミリほど離れちゃってます。周辺に表板との接着の剥離や接合部の歪みもないので,これ,よくあるように材料が年月を経て縮んじゃったとかじゃなく,もともと部材の寸法が足りなかっただけのもののようです。
 この作者,工作の誤差であるこのスキマを埋めないまま,飾り板で巻き締めて誤魔化しちゃったんですねえ。樽とか桶でもあるまいに…………まったくもう,意外と大胆な力ワザだなあ。(汗)

 続いて,棹と表板上のお飾りや,接着痕に残った古いニカワなどをとりのぞき,修理への下準備をはじめます。
 この手の満艦飾な楽器の例によって,凍石の小飾りもニラミも余計なくらい頑丈に貼りつけられてますので,けっこうタイヘン。あちこち難渋しましたが,なんとか三日がかりで,月琴の身ぐるみをぜんぶひっぺがすことに成功いたしました。

 左右のニラミも真ん中の板飾りも,本物の唐木----たぶん黒檀----ですね。
 材料的にもお金のかかってる楽器です。

 ではここで恒例のフィールドノートを。
 損傷個所と各部の寸法など,詳しいデータはこちらに書き込んであります。
 下の画像,クリックで別窓拡大。
 何かの参考にどうぞ。


(つづく)


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