月琴WS@銀狐!2026年2月!
2025.9~ 痩蘭斎旧蔵月琴02 (1)
STEP1 松音さんちのそっくりさん 稼ぎ仕事のほうの都合もあって、11~12月は修理作業のほうを優先させたため。この痩蘭斎シリーズ、修理報告がかなり遅れておりますです。 大晦日から松の内いっぱい、記事の更新に費やしましたが……まだ終わってません。(しくしく) 今回からは痩蘭斎旧蔵月琴の三面目。 かつてバラバラになった01号といっしょに、ネオクで出品されていたもう1面の月琴の記事となります----よそ様の楽器じゃなく、ウチに来た楽器のほうなので、シリーズとしては3面めではありますが、番号は「02号」となります。ややこしくてごめん。
01号松琴斎の記事でも少し触れましたが、こちらの楽器の作者は「松音斎」と推定されています。 01号の作者である松琴斎と、この松音斎の関係については、今のところ裏付けとなるような資料が見つからないので、はっきりしたことは分かっていないのですが。両者の楽器には形状・寸法から加工の手まで含め、単に「そっくり」というだけでは済まない共通点があることや、双方の楽器の工作の差異・変遷から、ほぼ同時代ながら、おそらくは松音斎のほうが若干先で、二人は親子か師弟の関係にあるのではないかと推測されます。 庵主がいままで扱った松音斎の作品は----
松音斎(2006):http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2006/11/post_4ccf.html
33号(2013):http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2013/09/post-928b.html
45号(2015):http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2015/11/post-6cbd.html
松音斎(2021):http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2021/04/post-5390d0.html ----と4面ほどあります。工作の差異から、おそらく、響き線の基部が肩部にある3面が比較的初期の作で、胴体横に移りつつある「松音斎(2006)」のみが、これらより若干時間のたった、清楽流行のなかばから晩期にかけての作ではないかと考えられます。 すでに述べたように、松琴斎も彼の楽器と寸法・外見的にそっくりなものを製造してはいるのですが、二人の作にはいくつかの特徴的な差異があります。表面処理やいわゆる工作の「手」といった細かいものや感覚的なものを除き、分かりやすいのを二つあげるなら、
1)棹の断面形状:松音斎はU、松琴斎はV。
2)内部構造:響き線の基部が松音斎は基本的に肩部、松琴斎はほぼ中央。 といったところになりましょうか。 二人の楽器は基本的に、関西の連山派の好みに沿って作られたものであり、関東の楽器に比べると棹や糸倉が少し短めです。松音斎の楽器では、その路線に即した伝統的な形状・構造のものがほとんどなのですが、松琴斎では、一部の工作がより簡略化されていたり、01号のように、関東の楽器に寄せて作られたものなどが見られます。これはおそらく、清楽の広範な流行の影響で、流派を問わず使えるような、均等化された規格の楽器が受けるようになっていったことが関係していようかと考えます。 今回の楽器の作者を「松琴斎」ではなく「松音斎」と判断した理由は、こうした各部の形状的特徴や寸法の一致が大きいですが、決め手は----- コレでしたね。
ラベルの痕。
文字は完全に消えちゃってますが、痕跡部分のサイズは 32×26。 そっくりな楽器を作る松琴斎のラベルは、これよりも一回り大きく。 スタイルの似た関東の唐木屋は、ラベルの形状自体が異なります。 そして同じ松派の一員と思われる松鶴斎は、ラベルのサイズや形式こそ松音斎と同じですが、楽器の構造や作風が他二人とは一目で分かるレベルで異なっております。 ちょっと前置きが長くなりましたねえ。 まあこりゃ、前回01号を最初「唐木屋」の作だと勘違いしちゃった言い訳リベンジみたいなもんと思ってください。 調査開始当初バラバラの状態だった01号と違い、こちらははじめから全体を俯瞰・観察できる状態でしたし、実際に持って感触で確認することもできましたので、間違いないとは思いますよ----「手の記憶」てのは、けっこう正確なもんです。 さて原状の観察とまいりましょう。 01号と同様に、扇飾りが中央に移され、それがなくなった第5・6フレット間にフレットが追加されていた痕跡があります。
痩蘭斎先生も半音のフレットを追加しちゃう方でしたが、ネオクでの出品写真の段階からすでにこうなってましたので、これは元の所有者の仕業でしょう。 01号と同じように各部真っ黒になっちゃってますが、ネズミの食害は、こちらのほうがはるかに少ないようです……とはいえ、
あっちゃあ…糸倉のうなじのところ、かなり派手に齧られちゃってますねえ。 棹を抜いてみましょう。
棹なかごが細くて長い----これも実は松音斎の特徴なんですね。 松琴斎の棹なかごはもうすこし太目ですし、唐木屋のだともっと横幅が広い。国産月琴の中でも、この松音斎のなかごがいちばん細いんじゃないかな。
基部に何枚かスペーサが貼られてます。 ヒノキか杉のツキ板のようですね。 なんか基部の端にごく細い糸が結わえられていますね。 見たところ延長材も抜けてないし、基部にも割れらしい痕跡は見つかりませんが……延長材接着の補強みたいなものでしょうか。 延長材はおそらくヒノキ、ワンチャン栂(ツガ)の類かな?びっちりと目の詰んだ材です。 先端部分が妙にガタガタになっています。これもおそらく原作者じゃなく後の使用者による加工のようですが、何があってこんな風にしたのかは、現状では分かりません。 ----とりあえず、この楽器はこのあたりに何か問題がありそう、ということは分かりました。 さて、01号もヨゴレがスゴすぎ、木部が隠れちゃってたので、先に少しキレイにしましたが、今度のもオリジナルの指示線とか加工痕が見えないんで、本格的な調査計測の前に軽く清掃しておきたいと思います。
布や歯ブラシを使って、棹や側板をゴシゴシ…っとな。前回同様、側板に使われてる染料が分かりませんので(たぶんスオウ)ぬるま湯で。ガンコなヨゴレのみ中性洗剤をちょっとつけ、取り除いてゆきました。 この作業中、気が付いたんですが。 今回の楽器、棹口のところに3本、斜めに線が書いてありますよね。調べたら、これと同じもの、45号の同じところ(下右画像)にもついてたんですよ。
他の作のは全部違う漢数字だったので、製造番号だと思ってたんですが、同じものがあるということは、製作年とかなのかもしれませんね。 少しキレイになったところで、ちょっと面白い比較をしてみましょうか。
紐のついてるのは松琴斎の楽器の棹です。ほら、長さも糸倉の形も、糸巻の孔の位置までそっくりでしょう? 違っているのはここ----
山口を乗せる「ふくら」と、握りの部分の間にある段差。 ここが松音斎はぬるりと滑らかなのに、松琴斎は比較的くっきりとしています。
これは既に述べたように、松音斎の棹が根元からうなじのところまで同じUシェイプになってるのに対して、松琴斎では、根本部分は同じUシェイプながら、うなじの方に向かいVシェイプとなっていることに由来します。松琴斎の棹のほうが、松音斎のより若干握りが細いんですね。 平面的に描き出した時のフォルムや寸法はぴったり同じになるので、両者ともこれを同じ型紙から作っているのではないかと想像されます。それでいて立体とした時の加工にのみ差異があるというのは、ちょっと面白い事態かもしれませんね。 おそらく後発と思われる松琴斎が、なぜ棹の握りの形状を変えたのか、詳しいことは分かりませんが。 庵主の個人的な感想から言うなら、一般的なUシェイプ型のほうがいくぶん使いやすいですね。庵主は棹を握りこまず、棹背につけた左手の親指の腹だけで楽器をコントロールするのですが、このときVシェイプの棹ではポイントが少しせまいため、指がずれてしまう危険性があるのですよ。 さらに調査を続ける前に。 この楽器、糸倉先端の間木がなくなってしまっており、このままだとちょっと危険なので、とりあえず先行してここを補修しておきます。 この状態だと、ちょっと何かにひっかかっただけで、折れたり割れたりしちゃいそうですからね。
棹の材はおそらくサクラ。 端材箱の中から似た色味と硬さのものを見つけ出し、接着しておきます。新しい間木、これはサクラかな…いやカツラかも…いやいや、材の厚みから見て、たぶんサクラだと思います。
くっついたところで整形。 この蓮頭が接着される部分、松琴斎ではほぼ真四角になっていることが多いんですが、松音斎は背側がわずか~に浅い曲面となってますので、ちょっと慎重にカタチを合わせます。 といったあたりで今回はここまで----まだちょっと、調査が続きます。 (つづく)
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2025.10~ 痩蘭斎旧蔵月琴ー依頼修理01 (3)
STEP3 ユリ科の植物ではないユーリカ
さてさて、お飾り作りは楽しいのですが、並行して地味かつシビアな作業もやってゆかなければなりません。 庵主の修理は基本的に、音階など古い月琴のデータを集めることが主目的ですが、修理人としての立場では、これを楽器として再生、ちゃんと使える道具にして、オーナーさんのところへ還してあげることですからねえ。 お飾りなどは所詮華拳繍腿、いくら外見がキレイでも、鳴らない楽器は楽器じゃありません。おエラいさんにはそれが分からんのです!(でもキライではないWWW) 前回書いたように、今回のこの楽器には「楽器として使用された痕跡」がほぼ見受けられません。 もちろん、最初の所有者が、単なる装飾品、音も鳴る置物、くらいの感覚で購入し、そのままだった----というようなことも考えられますが。この謎の作家さんの作る楽器は、装飾が華美で、お飾り的な要素は強いものの、基本的な構造はしっかり押さえられており、そのままでもいちおう楽器として使えるようにはなっております。 ただ、彼は楽器の専門職といったわけではなかったらしく、その作品にはしばしば「楽器」としては意味のない、あるいは無茶な工作や加工が見受けられます。
たとえば前回紹介した内部構造。 渦巻になってる響き線の一部と、棹なかごの先端を接触させる----作者の意図としては、響き線の振動を棹にも伝え、あわよくば延長材にしこんだ鉄釘で、より余韻を増幅する----みたいな事を考えてたんだと思いますが。 響き線というものは基本的に、胴内で片持ちフロートぶらんぶらんな状態になっていて効果を発揮するもので、そのどこか一部でも何かに接触していると、振動が途絶え、効果が出なくなります。つまりは、渦巻がぶるぶる震えてくれてても、それが棹なかごの先端に触れてしまった瞬間に、余韻への効果が消える、もしくは極端に減衰してしまうはずなんですね。 まあこの響き線の機能については、日本の作家さんの多くがよく分からないで、人によっては楽器を振って「ガランガラン」と鳴らすためのモノだと勘違いしていたようで、もっとヒドい「自称」工夫・工作もよく見かけます。 そのほとんどは、けっきょく「思ったより鳴らねぇなあ」ていどの結果で終わるので、機能上で「楽器として使えない」というほどの支障にはなり得ません。ましてやこの楽器の流行当時でも、ほとんどの清楽演奏者は「よく鳴る月琴」というモノがどんなだか、知らずに弾いていたでしょうから。自分たちの弾いている楽器が実際「どのくらいのモノなのか」は分かってなかったと思いますよ。 最初の推測のように、これがお飾りとして購入されたために弾かれなかったのじゃないとするならば、どこかに道具として「使いモンにならなかった」原因があるはずなのですね。今後はそのへんも考えながら、修理作業と各部の再査・再考をしてゆこうと---- …あ、コレだわ。
棹基部、表板がわに桐の小板が貼られていました。 棹孔が若干大きめなので、スキマをこの板で埋めたんでしょうね。 その工作自体は正しいんですが、場所と、材料の選択がいけません。 桐板は加工がラクなので、確かにこういうスキマ埋めに使いやすいのですが。ごく軟らかい木であるため、力のかかる部分には不向きです。 おまけに棹本体はおそらくカリン、胴の主材はサクラ。どちらも硬い木なので、ここのスキマにこういうのが付けられた状態で弦を張るととうぜん、
というように。弦の力でスペーサが潰れて、棹は表板がわに浮き上がります。 まあ上の図はかなり誇張したものなので、実際の変化は微々たるものでしょうし、一瞬浮き上がっても反発して、その後あるていどは元に戻りますが。弦楽器の音というものは、こういうわずかな変化にもかなり過敏に反応します。 貼りつけられた桐板がもっともっと薄いものであったのなら、この影響も限定的で「ちょっと調弦がしにくい」ていどで収まったと思うのですが、ちゃんと測ってみるとこの板…厚みが2ミリ近くありますね。これじゃ硬い木の間にスポンジはさんでるようなもので、おそらくこの楽器は、いくら糸を巻いても音が定まらず、正確な調弦がほぼ不可能な状態であったと考えられますね。 もちろんこの状態でも、音は出ますし、まあいちおう「弾く」ことはできましょう。しかしながら「出したい音が出せる」のが楽器という道具であって、ただ音が出ればイイというものでありません。使用されている材料から考えても、おそらくは結構な高級品だったでしょうし見目は良いので、「使えない」からと言ってポイ捨てられることはなかったのでしょうが……なるほどこれは致命的ですね。 小板たった1枚、材料の選択を間違えただけのことではあるんですが。 さて、では過去を清算してゆきましょう。
現状における棹の取り付け位置や傾き・角度、そうした設定値についてはさほど問題がありません。スペーサがついてる状態で、指板の端が表板の縁から髪の毛1本ぶんくらい沈んではいますが、棹の中心は楽器の中心線にバッチリ沿っていますし、ちゃんと背面がわに傾いています----ほんと外見上の寸法的なところは、ちゃんと仕上げてるわけですねえ。 まずはすべての元凶である桐板をひっぺがしましょう。 再利用する予定はないので、ガリガリ行きます----おぅりゃあああっ!!往生さらせぇやあぁぁッ!!
板の下からは、謎の作者のサイン(花押?)が出てきました。 つづいて端材捨てられない病の庵主の端材箱から、適当な硬さで、精密な加工の可能な、ちょうど良い厚さ寸法の板を探します。 ----これにしましょ。
棹本体と同材のカリン、というのも考えたのですが、硬さでは問題ないものの。導管がやや太いので、薄板にすると、桐板ほどではないものの潰れる可能性があり、けっきょく選んだのはツゲの薄板でした。 以前フレットか山口刻んだ時の端材でしょうね。
硬く緻密な材なので、かなり正確に厚みの調整が出来ますし、月琴の弦圧くらいなら圧縮されてもビクともしませんね。 ただし貼りつけ相手のカリン同様、接着にやや難がありますので、両接着面をじゅうぶんに湿らせ、ニカワをたっぷり吸わせ、時間をかけて接着します。
ほとんど弾かれはしなかったようですが、おそらくそうなる前段階として、何度も調弦を試みようとはしたみたいですね。 上に掲げた絵図からも想像つくかとは思いますが、ああやって棹が浮き上がった場合は、表板の端っこ、指板の基部が当たる部分も潰れてしまいます。 さらにここにはちょうど第4フレットが接着されるので、これが調弦のたび下の板が圧縮されるせいで何度もはずれ、その都度接着し直されたようで。ほかに使った痕跡らしい痕跡もないくせに、この部分だけが荒れています。 ここも補修、ついでに補強しておきましょう。 まず表板木口の棹と当たる部分に、樹脂を浸透させて固めます。
ついで棹による圧迫と、フレットの脱着で荒れた凸凹を、桐の粉を樹脂で練ったパテで埋めましょう。ちょっと範囲が広めですが、ほとんどはフレットで隠れるのでさほど目立ちますまい。
また、同じ行為が原因だと思いますが、上桁の棹孔にも少しガタがきているようです----ここもやわらかい針葉樹材ですからね。 さすがに内桁を交換するわけにもいかないので、まずは棹孔から筆を入れて、上桁の孔の内壁に樹脂を吸わせ補強します。そうして、これ以上孔が広がらないよう固めたうえで少々整形、ついで棹なかご延長材にツキ板を貼って、ガタつきやゆるみが出ないように調整しました。
オモテの棹孔にも少々加工不良があったので、これも木粉パテとツゲの薄板で修整しときましょう。こっちの孔が精確に四角くなってないと、いくら基部に手を入れてもイタチごっこみたいになって意味がありません。 こうしてあっちを均し、こっちにツキ板を貼っては削り込み、最後には指先の感触が頼りみたいな繊細な作業を繰返し、棹と胴体を徹底的にフィッティングしてゆきます。
…かなり時間がかかりましたが、これでようやく、この「モノ」にちゃんと使える「楽器という道具」として再生する目途がつきましたね。思えばこの原作者はけっきょく、桐の小板一枚で自分の作品を、ある意味台無しにしちゃってたわけで……良い材料、良い腕前を持っており、これも外見の出来は素晴らしく良いだけに、なんともやりきれませんなァ。 さて何度も書いてますが、この楽器は保存状態が良く。
糸巻もオリジナルの、黒檀で出来た上等のが4本とも揃って残っていたわけですが。 そのうちの1本の先端に、けっこうでっかいエグレがありました。
エグレの外縁は、なにげにひっかからないよう角を丸めてありますんで、これには原作者も気が付いてたはずなんですが………もう1本削って交換するでもなく、メンドくさいんで放置しやがりましたね。 こういうとこをちゃんと始末しないので、百年後に詰られるんですよ、ホント! まあ糸倉に触れる部分からはちょうどはずれてますんで、「糸を巻く」というだけなら問題はないと思われるものの、精密な調弦となると支障が生じる可能性がありますんで、きっちり埋めておきますね。
といったところで、今回はここまで---- (つづく)
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2025.10~ 痩蘭斎旧蔵月琴ー依頼修理01 (2)
STEP2 とんで王柏 棹孔から確認したところ、幸いにもこの楽器の内部はキレイで内桁や響き線に、現状修理補修の必要な箇所は確認できませんでした。
側面に唐木の薄板を貼りまわしたこのタイプの楽器は、完全分解となるとエラい大工事になるので、ありがたいところです。
上左画像、内部棹孔のすぐ右に見えてるのが響き線の基部。 全容は見えませんが、響き線の形状はおそらく渦巻型で、ここから上桁にぶら下がるように取付けられ、根元の部分が棹なかごの先端と一部接触しているようです。 棹なかごの延長材側面に、釘が2本打ちこまれてましたが、これはたぶん、この響き線との接触による金属的な余韻の効果を増すための工夫だと思われますね。(実際の効果のほどは未詳) だいたいの調査計測が終わったので、さっそく修理してゆきましょう。 まずは例によって、現在へっついてる余計なものを、ぜんぶひっぺがします。
指板上のフレット痕は最近のもので、おそらく木工ボンド。少しでも残ると後々ニカワでの接着に支障がありますので、刃物や歯ブラシ、スポンジやすりで丁寧に除去します。
胴体も同様に、ニラミや中央飾り、後補のフレット、バチ皮を除去してゆきますが、表板がいかにも暴れそうなもっくもくの板目杢板ですので、どれもできるだけ短時間で、湿らせる範囲もなるたけ最少限としときたいところですね。 ニラミはある程度浮いてきたら、クリアフォルダを細長く切ったものをスキマに挿しこんで挽き切りました。
右がわのニラミが、挽き切ったら二枚に分かれちゃいましたが、この程度で済んだなら無問題です。 半月は接着に浮きもなく、状態も悪くないので、このままとしましょう。 作業箇所が乾いたところで、胴体表裏板の清掃にかかります。
まずは側面をマスキング。 この作業も、あんまり湿らせたくないので、擦っては拭い、擦っては拭いで、ふだんより格段素早くやってゆきます。
まあ元があまりひどくはヨゴレてなかったので、今回は清掃というより、フレットや小飾りの脱着により変色したりシミになっている、過去の作業痕を補彩するような意味合いのほうが強いかもしれません。
左のニラミが接着されてた部分に、そこそこ大きな補修痕がありますね。板表面がめくれたように割れたものでしょう。木目の入込んだ板なので、何もなくてもある日突然このくらいのことが生じても不思議ではありませんが、ニカワで補修してあるので、おそらくは最初の使用者か、原作段階での補修と思われます。 さて、こうして濡らしてみると、ふつうは見えてくるはずの使用痕が、今回の場合はまったく見つかりません。
黒っぽくなってるところはだいたい木目の関係、節の部分なんかですね----バチ先で突いた痕も、擦ったりひっかいたような筋傷も、どこにもありません。 そもそもヨゴレ具合が、板のどこでもほぼ均等です。 ふつうに使っていれば、手の当たる半月の横とか、胴の両肩とかに、黒ずんだ手垢くらいつくものですが……… つまり、この楽器には「楽器として用いられたことがほとんどない」可能性があるというわけです。 月琴は見めの良い楽器なので、同じ支那趣味として同時代に流行った、煎茶事のしつらいとして、お飾り的に使われることもありましたし、この作者の楽器にはそういうお飾り月琴の傾向も確かにありはするのですが。 時折、なんらかの理由があって、そもそも「お飾りにしかならなかった」というようなケースもありはするので、早計には結論付けられません。 とりあえず、いまのところ、楽器として使用するのに致命的な損傷・故障、工作不良の類は見受けられませんので、このあと、その理由につながる何らかの発見があることに期待します。 表裏板が乾くまでの間に、お飾り等の補修をやってゆきましょう。 まずは二つに割れちゃった右のニラミ。
木目に沿ってパックリ逝っただけ、割れ目もキレイですし、これは比較的簡単に直りますね。 左のニラミは下部先端、羽根の先っちょが欠損してしまっています。 右のと重ねてみますね----
----この部分がなくなってるわけです。 端材箱から似た色味の紫檀材を見つけ出し、右のニラミを参考に切り出して接着します。
こんな感じですかね。接着剤が固まったところで、表面を磨いて完成です。
左右ともに裏から薄い和紙を貼り、樹脂を浸透させて、補修した箇所を補強しておきます。この部分は軽くペーパーがけをして荒らしておけば、ニカワによる接着でも支障はありません。 胴や指板に残る痕跡から、おそらく本器には、55号同様フレットの間に凍石の小飾りが付き、5・6フレット間には扇飾りが貼られていたはずですが、前所有者が半音刻みにする段階かそれ以前に、それらの飾りは除去されてしまったようです。
今回、小飾りについては現物が一つも残っておらず、痕跡も薄いことから推測が難しいため諦めますが、扇飾りは補作しようと思っております。 なお、現オーナーさんより、10フレット化の御希望を承っておりますので、補作する扇飾りは、内側にフレットを立てられる10フレット仕様のデザインでいきますね。 第一回で述べたように、この楽器の半月は低い。
いや、演奏する側としてみれば、それ自体は操作性が良くなるので有難いんですが。 この原作者の他作品における行状から、おそらくこの低さは、そうした「操作性の向上」以外の目的でもってなされたモノと、庵主は確信しております。 そこで過去資料をいろいろと精査してみると、どうやらこの半月の上面には、もともと透かし彫りの飾りが付けられていたらしいことが分かってきました----この飾り板の厚みぶん、半月本体の厚みを低くしたわけですね----うん、やっぱりこのヒトが操作性とか考えてやるワケがないよねえ。
半月上面に同様の飾り板を貼った例は、老天華や玉華斎など福州の作家にも例があり、意匠は「海上楼閣(蜃気楼)」をモチーフとしたものが多くなっています。 もとの図像がけっこうデザイン化されていたのもあって、日本の作家さんの多くは、その意匠の意味がよく分からなかったらしく、やがては右の画像のように、フォルムをさらに単純化した唐草文様のようなものにしてしまいました。 55号では、装飾自体はなくなっていたものの、半月上面にその接着痕がべっとりと残っていました。本器の場合、前使用者か古物屋により、半月の上面がきれいに磨かれてしまっていたので、オリジナルの装飾の形の手掛かりとなるような痕跡は認められませんでしたが、過去にネオクで出品された、同じ作家によると思われる楽器の画像の一つに、該当の装飾が残っている例があったので、それを参考に、今回はここの装飾を復元してみようと思います。 扇飾りと同時進行で作っていきますねえ。
まず材料は桐板です。 オリジナルはたぶん、扇飾りは紫檀、半月の装飾はツゲあたりで作られていたと思いますが、材料が高いし硬いので作るのがタイヘンですし、ウチにはそれ用の工具もありません。それに桐なら基本表裏板と同材、あんまり音の邪魔になりにくいですから。 半月の装飾は、まず参考となる楽器の画像を実物大に拡大、それをトレーシングして板に写します。 つぎに薄くて丈夫な和紙を、でんぷん糊で板の裏面に接着。割れ止めをしときましょう----細かい作業になりますからね。
そしてトレーシングされた図柄の、貫く予定のところ----背景に当たる部分を彫り下げてゆきます。この時点でズボッと貫いちゃうと、細かいところが、間違いなく欠けたり割れたりしちゃいますので、ここでは輪郭外周を彫り下げるだけです。なお、彫りこみがもっとも細かくなる唐草の先端、渦巻になっている部分の中心には、あらかじめピンバイスで孔をあけておきました。
うーん、お祭りのカタヌキ感がハンパねぇ。 すべての背景部分をギリギリまで薄く彫り下げたら、樹脂を浸透させて固めます。
樹脂が固まったところで、半月の飾りは下縁部を切り落とし、実器に当てながら実物合わせで輪郭を微調整。半月上面の輪郭に合ったところで、縁をななめに削り落とし、内側を抜いてゆきます……ちちち、しくじった。中心部分がちょっと大きすぎましたね。このままだと内がわの糸孔を塞いでしまいます。せっかくここまで削ったモノですが、 こうしましょ----ていッ!
ばっさりこんとな。 糸孔にかからないよう、リデザインした板をへっつけ、彫り直しました。
ここまでも、ちょっと彫ったり削っては度毎樹脂を染ませてますんで、この時点ですでに、工作時の感触が桐板のなんかソレじゃないふうになってます。上左画像なぞ、そぎ落とした縁のところをヤスリやリューターでゴリゴリ削ってキレイにしてるんですが、ただの桐板だったら、ボロボロに崩れちゃうとこでしょうねえ。 細かいとこまでだいたい彫りあがったので、全体をヤシャブシと砥粉で軽く染め、さらに樹脂掛けして固め、磨いてゆきます。
触った感じも色つやも、桐板とは思えない風に仕上がりましたね----ツゲには見えませんが、それに近い何か?…みたいな----なぜか虎杢っぽいテカリも出てますし、かなり良い感じ、ヨシヨシです。
扇飾りのほうも同様に、削っては樹脂で固めながらで。 画像だと分からないかもしれませんが、このコウモリさん、胴体のところ、タカアシグモの胴体と同じくらいの大きさですからね(w) 同形のフレットは自作楽器のウサ琴シリーズでも作りましたが、翼の間の空間に追加のフレットを抱え込むようなカタチになるんですね。 こちらはスオウ染め、オハグロがけで黒染めです。 (つづく)
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2025.9~ 痩蘭斎旧蔵月琴01 (6)
STEP6 かすかに香る菊と蘭 さあて、痩蘭斎旧蔵月琴、推定作者:唐木屋あらため松琴斎。 修理も終盤となってまいりました!
まずは半月をあらかじめ確認しておいた正位置---楽器の現在の中心線に沿った位置---に接着しました。 これが原作者の設定したもとの場所から微妙にずれてる原因については、長期バラバラになっていた影響なのか、庵主の組み立てのせいか、あるいは元からそうだったのかはけっきょく分かりませんでしたが、流行期の日本の月琴は多分にいいかげんな作りのものが多いので、このくらいのズレならさほど問題ではありません。 大陸のものなんかだと、棹が見て分かるレベルでへにゃ曲がって取り付けられていたような例もありましたからね。
胴が桶状態のうちに、棹の角度調整もあらかた済ませており、現状この楽器の棹は、胴オモテの水平面に対し、指板の先端、山口のあたりで5ミリほど背面側に傾いております。やや雑だった胴体の棹孔や、棹の基部も薄板や樹脂等で修整・補強してありますので、ガタつきもなく、スルピタでおさまるようにしてあります。 では完成に向けて。足りないものをイロイロとこさえてまいりましょう。 まずは蓮頭----糸倉のてっぺんにつく飾り板ですね。
本器は痩蘭斎旧蔵月琴の修理の第一号となりましたので、ちょっと象徴的なデザインにしようと思います。 材料の板はカツラ。 ホオとともに版画や彫刻でよく使われる木ですが、繊細な意匠を彫りこみたいとき、庵主はホオよりこっちを選ぶことが多いですね。 と、木彫はじめるその前に----
凍石で二つばかり作っておきたいモノがあります。 これらは----
----こんな感じに付く予定です。 蓮頭の飾りに凍石を埋め込むのは、庵主ときどきやってますが。モロい材料なので、あんまりこまかかったり細かったりするフォルムは作れないんですが……けっこう強度限界に近いとこまで削りましたねえ。
今回は陽刻で木地は背景部分を彫り下げるだけ、意匠が複雑すぎて強度不足になる懸念があるため、透かし貫きはしません。 さあて彫れ彫れどんど彫れ!!
無地の背景部分をぜんぶ彫り下げたところで、花の内がわを軽く彫りこみます。葉や茎の部分は基本的にシルエット設定なので、前後関係等は強調しません。そして、全体の絵柄が彫りあがったところで、最初に作った凍石のお飾りを埋め込むため、いちど彫りあげた絵柄の一部を破壊します……ううう、なんかキツいけどしょうがないなあ。
ここでスオウで染めつけ、オハグロで軽く重ね染め。 今回は、あまり黒くなく、棹や糸倉とあまり変わらないくらいの色合いにとどめます。 染まったところで凍石を接着。
強度の関係で、二つともかなり厚めに作ってあります。接着剤が固まったところで、これを薄く削り落とし、表面を彫りこみます。もともとハンコの材料なので、けっこう細かい彫りこみが可能です。
最後に、凍石飾り周辺のモールドを少し修整して、「幽菊痩蘭図」完成です! 続いて糸巻。
オリジナルのものと思われる糸巻が2本残っていたのですが、けっこうネズミに齧られちゃってたのと、使用により先端もかなり消耗しており、いちおう修復はしたものの「使えるっちゃあ使えるけど…」くらいな状態です。 うむしょうがない。 ウチの修理は文化財としての復元ではなく「楽器としての再生」が主眼。次の使用者がストレスなく演奏できなきゃ意味がありません。 新しく1セット削りましょう。
材料は例によって百均のめん棒。いろんなお店で売っており、材料も白楊やヤナギの類から集積材まで様々ですが、これはブナ・ナラの類で出来てるやつ。カシの仲間ですから硬さは問題なし。 ----まあ、「硬い」ということは、削るのもずいぶんタイヘンなわけですが(w)
二日かけて4本、削り上げました。 今回は実用楽器っぽく、装飾はナシ。
ドングリの仲間は硬いけれど、パサパサしてて比較的モロいところがあります。樹脂を浸透させて補強し、ステインで染めてカシューで保護塗り。材としては丈夫なんですが、木目が入込んでいるものが多いので、時間のかかる伝統技法で染めると、作業中に歪んだり曲がったりしちゃいますので、比較的負担の少ない現代のモノを使っちゃいます。 フレットも実用性重視、竹でいきます。
オリジナルは牛骨か象牙だったかと思いますね。 竹は入手が簡単ですし、加工もラクなので、できるのは早いんですが。 ウチの場合、これをさらに染めたり磨いたりしているので、じつのところ、かかってる手間は、牛骨や唐木で作った場合とさほどかわりがありませんね。
前使用者は、二箇所ほど追加のフレットを付けて使っていたようですが、原作者によるオリジナルの目印をもとに、フレットを配置した場合の音階は-----
----となります。第5フレット以降の高音域で、やや乱れはありますが、これはおそらくオリジナルは弦高が高く、逆にフレットが低すぎて、このあたりでは糸をかなり押し込まないと音が出せなかったからでしょうね。とはいえ最高音(最低音の3オクターブ上)のところではだいたいピッチがあっており、清楽音階の定石どおり開放からの第3音もちゃんと低くなっています。 オリジナルの音階の調査計測が終わったところで、西洋音階準拠に配置し直し、接着します。
庵主は操作性向上のため、半月にゲタ(※右画像参照)を噛ませるなどして弦高を下げたうえ、各フレットをギリギリの高さで調整してますので、弦をぎゅっと押し込まなくても、軽く押えるぐらいで発音されるようにしてあります。 西洋音階で並べると、オリジナルでは胴体の端に配置されていた第4フレットが、棹の上に移動しました。関東と関西の楽器を比べるとき、その相違の一つになっていることの多いのが、この第4フレットが「棹の上にある(関東)」か「胴体端にある(関西)」かってとこなんですが。 今回の報告で何度か書いたように、この楽器は関西で作られたものであるにもかかわらず、棹の形状や寸法が関東の楽器に近いものとなっています。これまで修理してきた松音斎・松琴斎の楽器は、関西方面での伝統的な設定に、かなり忠実に準拠したものばかりだったので、これはちょっと珍しい例ですね。 各部を補彩してゆきます。
糸倉はネズミに齧られた箇所がけっこう目立っちゃうので、やや濃いめに。 ほかはスオウで軽く染め直してから、柿渋と亜麻仁油を染ませ、ロウ磨き----元がヨゴレて真っ黒くろだったとは思えないくらいキレイに仕上がりました。
ニラミと扇飾りを戻し、バチ布を貼って。 原作者変更(w)のため、急遽作り直したラベル類を貼りつけ、
2025年11月21日。 痩蘭斎旧蔵月琴01、推定原作者:松琴斎。 修理完了いたしました。 組み立てて撮影できないくらいバラバラになってたんで、「修理前全景」はありません。(W) ![]() 代わりに、原状をまとめたフィールドノート、再掲しときますね。(※下画像クリックで別窓拡大※)
糸巻が損耗してたり、表板に無数の使用痕が残っていたことからも、元からかなり使い込まれた楽器であったことは疑いありません。
今回はほんとに「再生」と言って良い壊れ具合からの復活でしたが、やはり使い込まれた楽器は音が良いですね。 オリジナルのすべての部品が、「音を出す」ということを良く分かっている、みたいな感じ。 構造や形状がほとんど同じな唐木屋の楽器同様、操作性にクセがなく、万人向けな使いやすい楽器です。
響き線も、このサイズにしては胴鳴りの少ないほうですし、より範囲広めで効果を発揮できるよう調整しときましたから、多少演奏姿勢が崩れても、そこそこきれいな余韻を響かせてくれると思います。内部構造や各部の接合の工作・加工精度をかなり上げ、音が漏れなく全体に伝わるようにしてあるので、音の胴体部分も太目になりましたしね。
音色にさほどクセがないので、「個性と個性のせめぎあい」みたいなことを望む演者には不向きでしょうが、この音で自分の望む音楽を実現したいような方、これをあくまで実用品、音を出すための「道具」として必要とするかたにとっては、格好の相棒となってくれるでしょう。
現在、お嫁入り先、絶賛募集中です。 (おわり)
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2025.9~ 痩蘭斎旧蔵月琴01 (5)
STEP5 ※※作者変更のお知らせ(W)※※ 内部構造と胴体オモテ板がわの作業がだいたい終わったところで、いちど棹を挿し、半月も載せて、楽器の中心線の確認をします。
結果、再組立て後の中心線は半月のところで、原作者の設定した中心線より左に5ミリほどズレているらしいことが判明。元がバラバラだったので、これが庵主の組立てのせいなのか、はたまた原作段階からこうだったのかは定かでありませぬが----後ほど、半月の貼り付け位置に反映させましょう。
それではさらに組立てを進めます! ここまでくれば、あと裏板を貼り直すだけで胴体が箱に戻りますね。 表板は、それ自体が組立ての基準なので問題がないんですが、一度バラバラになっていた胴体に、円形の板をズレなくぴったりもどすのは至難の業----というより長年の放置により、裏板自体もそれ以外の部材も、わずかながら変形しているので、もともと「ズレなくぴったり」ということ自体、不可能と言えましょう。 そこで再接着の際は、板を中央付近から2枚に割り、間に数ミリのスペーサを噛ませ、左右に寸法的な余裕を作ったうえで接着して、最後に余った板端を整形し直して仕上げるのが、庵主の常法となっております。
今回の場合、表板と同じく裏板も、最初から2枚に割れちゃっていたのではありますが、割れ目が少し端寄りだったため、これをそのまま使うわけにいかず、いちど接ぎ直してから、あらためて適当な位置で2枚に割る、ということになります。
多少迂遠な作業とはなりますが、修理において「作業のための作業」はけっこう大事。こういうのをメンドくさがると、後でその数倍よけいに苦労することになるのを、庵主は経験則として知っております。
さて----響き線のお手入れとか防錆も、済ませてありますんで、後は組み立てるだけ、なんですが…このあたりから、庵主のムネに、この楽器の作者に関する疑念がムクムクと湧いてきたのでありました。
当初は、特徴的な響き線の形状、棹なかごや棹全体の感じから、日本橋本石町・唐木屋の作、といったんは同定したのですが。その時点では完全にバラバラで、「楽器」として全体を俯瞰できる状態ではありませんでした。 まだ完成してはいないものの、ようやくいちおう「手に持てる」状態となり。はじめに違和感があったのは、持った時に手指から感じられる感触的なものでした----何か違う----同じ唐木屋作の7号月琴は、庵主のふだん使いの相棒ですから、手指はとうぜんその感触を覚えているわけで………
まずは楽器全体の重量バランスですかね。 唐木屋の月琴は総じて胴が軽く、ややヘッドヘビーであることが多いんです。しかるにこの楽器、棹は7号より少し長めになっているにもかかわらず、重心が胴のほうに寄っているように感じられました。
次に全体の、総合的な「作り」。 これも当初がバラバラでしたので。部分部分に唐木屋の楽器の定則にそぐわないところがあっても、それらは「後で部分的に改造されたもの」とか考えてたわけですが。 たとえばこの楽器は、本体の作りからして数打ちの量産器であることは間違いないんですが。唐木屋の同じようなレベルの楽器だと、半月やニラミに高級な黒檀や紫檀が使われることはなく、たいていはホオやカツラの木を染めたものとなってます。唐木屋で黒檀や紫檀が使われるような楽器は、もうすこし高級上等な類で、その場合はボディの工作なんかも、もう少し手が込んだ凝った作りになっていますね。 また、今回の楽器の半月は、曲面で透かし彫りが施されていますが、唐木屋の楽器で、半月が透かし彫りになっていた例はほとんど見つかってないんですよ。 上にも書いたように。このへんを庵主は、前使用者がほかの楽器から取ってきて交換したのじゃないか?----と思ってたんですが、この半月も含めて、いざあちこちハガしてみると、そうした箇所に後人による作業の痕跡はほとんど見つかりません。つまり疑問箇所のほとんどは、原作者によるオリジナルの工作であったわけです。
そして最後、棹の形状です。 この楽器の棹を図面に起こした場合、その形状ならびに寸法は、以前修理した唐木屋の楽器のそれと、共通点が非常に多いのですが。実際に演奏状態で握った時の感触が、全然違っているのですよ。 唐木屋の棹は、棹の胴がわからうなじのあたりまで、断面がUシェイプ。ほとんど同じ船底形のまま、糸倉がわに向かって均一に、わずかにすぼまっているだけですが。 今回の楽器の棹は、糸倉に向かう2/3あたりのところから、棹背の部分だけ幅がせまくなってゆき、うなじの手前ではほぼVシェイプのような形状となっています。 同じような工作は、今まで扱ってきた唐木屋の楽器では見たことがありませんが……同じような作りの棹を、庵主は知っています。ていうか----
----コレ(左写真左がわの棹)ですね。 かなりむかしに修理した24号の棹です。 修理で交換したほかの棹といっしょに、かもいの隅にひっかけておいたのですが、今回のことがあるまで、すっかり忘れてましたよ。 縦方向の寸法は少し異なり、今回の楽器のもののほうが握りも糸倉もやや長め。うなじから棹背に至る曲面の処理にも、若干の差異は認められますが、握った感触はまったく同じです。 これが決定打となりました。 この比較による「感触」の差異同定。24号の作者、また本楽器のネオク出品当初、セットで売られていた楽器(痩蘭斎02)が大坂の「松音斎」の作であろうと推定されること、さらに「唐木屋の楽器に酷似している」ということ。 ![]() これらをまとめて過去の資料を見直し、再度考察してみた結果。この楽器は唐木屋の作ではなく、 大阪・北区西梅ヶ枝町、伊杉堂・松琴斎 ……の楽器だったのではないかと。 松琴斎の作にしては、棹や糸倉の形状がかなり関東寄りになっているあたりなど、まだ多少疑問は残っておりますが。とりあえずは間違いないかと思われます。 詳しい関係や経緯等は分かっていませんが、唐木屋の月琴は、その外見や構造の共通点から、そもそもこの人たち、庵主が「松派」と呼んでいる、室号に「松」のつく松音斎、松琴斎といった作者の楽器を模倣したものであったと考えられます。 大坂を中心に関西圏で勢力のあった連山派では、その門弟に「松」の字を与えることが多いことから、これら松派の作家は、連山派の影響下で、同派好みの楽器を主に製作・販売していた楽器商だったようです。
現状、数人確認されているこの「松派」に属すると見られる月琴の作家のなかで、あるていどまで正体のわかっているのは「松琴斎」だけですが。唐木屋に比べれば少ないものの、現存する楽器の数もけっこうあるようなので、関西ではそこそこの大手であったようですね。関東の楽器に比べると、棹や糸倉が短く、胴がやや厚めなのが特徴で、倣製月琴ほどではありませんが、関東の楽器よりは大陸産の唐物月琴の影響が、寸法や形状に残っています。 関東の月琴が、じつは本物の大陸の月琴を見たことがあるかどうかもちょっと怪しい鏑木渓菴自作の楽器を元としているのに対して。連山の月琴は福州の天華斎作のものだったと言われてますから、松派の連中が参考にしたのが、彼女の持物だったりしたのなら、そうなってもおかしくはありませんね。 唐木屋はお江戸のど真ん中みたいなところ(日本橋)にあるお店でありながら、関西風の楽器を作っていたわけですが、関東にも連山派から派生し、東京に拠点を置いた梅園派があったので、「関西風」の楽器の需要はあったことでしょう。また、そもそも唐木屋の祖は京都で、本宅もそちらにあり、モノだけでなく職工の行き来なども常頻繁にあったようですから、松派との関係も、そのへんからもたらされたものだったのではないでしょうか。
ちなみに----京都の唐木屋の近所に、唐物指物師で「駒井」と名乗る家があったようなのですが、東京の唐木屋が林才平のもとで会社組織となり、楽器業を中心に営むようになってのち、幹部となった者の一人に、おなじ「駒井」姓のものがおります。さらには、その作風の差異から、二人いると考えられている、唐木屋の月琴職人のひとり・コードネーム「唐木屋B」がこれと同一人だと推測しておるのですが、もしかしたら彼が、江戸に下るついでに、大坂で松派の楽器をおぼえてきたのが、唐木屋の月琴のはじまりだったのかもしれませんね。 さて、ちょいと作業報告を中断しちゃいましたが、修理を続けましょう。 裏板の接ぎ直し&スペーサ挿入も終わったので、これを貼りつけます。 カモン!----板クランプ!
側面をテープで保護し、胴体からはみだした板の縁を削り落とします。
ここで表裏板の二次清掃を行います。 すでに一度、重曹を溶かした洗浄液で洗ってるんですが、板の汚れが想像以上にひどく、木目に入り込んだ細かい黒いヨゴレが目立ってしまっています。
板が乾いたところで、再び中心線の確認。 そして、半月を接着します。
補作した山口も棹に取付けましたので、ここまでくれば完成まであと一歩。 というあたり、今回はこのへんで---- (つづく)
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2025.10~ 痩蘭斎旧蔵月琴ー依頼修理01 (1)
STEP1 出所はおなじ さてもさてさて、縁とは奇なるものかな----(○年ぶり×回目) 現在、修理報告連載中の01号と時ほぼ同じく、先年お亡くなりなられたさる先生のところで、未修理のまま収蔵されていた楽器のうちの1面が、めぐりめぐって庵主の許へとやってまいりました。
あ----これは前にお話ししたウチの3面とは別口の依頼修理です。 ※※※今期の修理作業、賑わってまいりました!※※※ パッと見はかなりキレイ。
みごとに景色のある、もっくもくの表板が目を引きますね。 では頭から見てゆきましょう。 まず蓮頭。
ツゲで作った木地に、透かし彫りを施した唐木の薄板をはめ込んでいます。凝ってますね~。 意匠は龍なんですが……雲龍、ですかね。かなりデザイン化されちゃってるのと、大陸の定則からちょっとはずれちゃってますんで、確定はできませんが。 糸倉はやや厚めで、アールがきつめ。 このへんの形状は国産月琴よりは唐物月琴に寄っています。
うなじ部分は唐物に多い絶壁型ではなく、曲面でなだらかになってますが、続く棹背のラインは唐物寄りで、握りの中央部分がエグれているタイプです。 糸巻は細く繊細な作りで黒檀製。握りが六角で溝が各面3本、凝ってますね。
唐物月琴に似せて作られた倣製月琴という類に分類される楽器ですが、まあこのくらいになると、「大陸から輸入された月琴のコピー品」というよりは、「倣製月琴」から「国産月琴の定番」へと移行する中間的存在で「唐物月琴の影響が強い」楽器、といったところが正確でしょうか。 ![]() 馬喰町の菊芳・福島芳之助なんかも、初期にはこうしたスタイルの楽器を作ってますね。 庵主が「倣製月琴」と呼んでいるのは、厳密には、流行当初大陸から輸入されたものを模倣・参考として、長崎などで作られていた楽器、つまりコピー品を指しますが、その後、そうした楽器がさらにコピーされ、さまざまな職種の作家(楽器屋とは限らない)がそれぞれの解釈で、零細的に、独自に製造していった楽器----それらもまた「唐物の影響を強く受けた」月琴という意味で「倣製月琴」としております。
やがてこうした、「楽器」というよりは贅沢な「音の出る飾り物」として作られていた、高価で中間的な形状の「倣製月琴」は、「明清楽」というイベント音楽の大流行の中で、そのムーブメントを作り出した連山派の影響の強い関西の松派----松音斎・松琴斎や、渓派の祖・鏑木渓菴の自作楽器に影響を受けた石田不識、頼母木源七等の作り出した、糸倉・棹が細く、胴の薄い、国産月琴の定番的なスタイルに呑み込まれ、数を減らしてゆきますが…まあ実際には、月琴自体の流行期間がさほど長くなかったので、国産月琴が定型化した後も、こうした倣製月琴のスタイルの楽器をそのまま作り続けていた作家さんは、けっこういたようですがね。 さて、楽器の観察に戻りましょう。 ニラミ(胴左右の飾り)は「鳳凰」…つか「鸞」ですね。
左のニラミ、最下部ツバサの先っちょがちょっと欠けちゃってますね、ここは要修理。材質は紫檀だと思います。
国産月琴の数打ちモノに付いてるのは、左の天華斎のと同じような、シッポの飾り羽根が直線的になっているのが多いんですが、先っぽがくるりと優雅に巻いている凝った形状になってますね。 ただ、意匠としてはより形骸化しており、画像としての情報を失いかけてはいます。たとえば、これが「鸞」なり「鳳凰」である場合、本来は片方が「笙」、もう片方が「笛」を咥えており、左右でわずかに意匠が異っているわけで。作家さんによっては全体の意匠は崩れていても、口元に「L」と「-」がそれぞれ咥えていたりするのですが、ここにはそういうのは見られません。吉祥の模様としての意味合いが薄れ、「カタチとしての美しさ」に傾いて行ってるわけですね。 このように、蓮頭やニラミは意匠として「こんな感じのモノ」的なイメージになっちゃっているようですが、これに対して中央飾りは妙に具象的ですねえ。
コウモリとモモ、ですか。 コウモリ(蝙蝠)は中国語で「ピェンフー」、これは「遍福」と近い音。月琴の丸い胴体は「円銭(イェンチェン=穴あき硬貨)」に見立てられ、こちらは「眼前」と近音。で、今回の場合、そこに「桃(タオ)」が加わっているわけですね----いくつか考えられますが「蝙蝠円銭桃」で表わす意味は、「遍福眼前到(来てるよぉ!幸せのビックウェーブ!)」ですか? または、桃が「三多」の一つとして「多什」(物質的な豊かさ)の意味を持つことから、コウモリと合わせて「遍福多什」(しあわせいっぱいモノいっぱい)かもしれませんね。 ここまでの蓮頭・ニラミ・中央飾りともに彫りは緻密で、材料もかなり良い唐木材が使われています。 こういう中国風の意匠にも、あるていどは造詣があるようですから、作者はこういうのの得意な、煎茶趣味のお道具や文房具などとして使われる中国風家具を作る、唐木細工の指物職人さんとかだったかもしれませんね。 側面には唐木の薄板が貼りまわされており、棹口のところで終始してます。 この細工自体はほかの作家さんもやっていますが、この人の工作は唐木の特性を分かってやっており、かなり上手です。
この部分も棹もお飾り類も、唐木で作られた部分には表面にウルシ塗りが施されているらしく、ツヤツヤしています。 前所有者はこれに半音付きの全音階のフレットを付けて使おうとしたようですが----わたしは先生がこれを使ってるとこを見た記憶がありませんね。
糸巻・山口・半月と、弦楽器として使用するうえで主要な部分がすべてそろっていたわりには、棹上のフレットは全部はずされてしまってますし、胴上のフレットも配置はやや雑…なんか再生作業を途中でやめて放置しちゃった感がありますね。見映え的はかなり良い楽器だと思いますが----なんでだったんでしょう? さらに観察を重ねてゆきましょう。 棹を抜いて、なかごのところを見ます。
----うん、これは庵主が「よく知ってるけど分からない作家」さんの一人の楽器ですね。 修理や資料でちょくちょく見かけ、同じ作者の作であることは確実なのだけれど、その作者がどこのなんという人なのか分からない…けっこうあるんですよ。 唐木を贅沢に使用、装飾多し、倣製月琴----中でもこの、短く太めで断面のタテヨコの差が小さい、カッチリした形の棹なかごが、この作家さんの特徴です。あと、響き線が渦巻型なことが多いみたいですね。 うちで過去に扱ったものだと、55号「お魚ちゃん」が同じ作家の作品だと思われます。
55号のほかにも数件、同じ作者のものと思われる楽器を見かけたことがあるので、それなりの数を作ってる人だとは考えられるのですが。残念ながら今のところ、どこのなんという人なのかまでは突き止められていません。
表板の材質は違うし、55号のほうが胴が数ミリ大きいのですが、画像ご覧のとおり、棹から糸倉にかけての形状、左画像のようにニラミもソックリですね----使用している木材の質や加工から、名古屋より西のヒトだとは思うんですけどねえ。 この「55号お魚ちゃん」の記事も見てもらえば分かるとは思いますが、この人の作品は装飾を全面に施した豪華なものである一方、楽器としては多少問題がある場合が多いです。いわゆる典型的な「お飾り月琴」ですね。 主構造には唐木材のかなり良質なものが多用され、加工・工作技術そのものも悪くはなく。いちおう楽器として使用できるように組まれてはいますが、たいていどこかしらに疑問・問題のある工作をやらかしています。 カタチも構造も知っているのだけれど、楽器という「道具」としての「使われかた」がちゃんと分かっていない、という感じ----とはいえ実は、当時のけっこうな大手でも、同じような楽器の作り手は流行期にはおったわけですが。 すでに触れたように、全体に状態はよろしい。 前所有者の多フレット化工作の痕以外は、糸倉先端にちいさな補修痕があるほか、本体部分にはさして「損傷」と言えるようなものは見つかりません。
ただ。 まず気になりますのがこの裏板……なんか横に2本、桁の接着痕みたいのが浮き出てますよねえ。
近接で見てみても、ニカワの残りなんかは見られないんですが、コレ、なんでしょう? 聖骸布じゃないんだから、さすがに~聖なる内部構造が板を貫通して浮き出し~て見えてたりしてるわけじゃないですよねえ。 次にナゾなのがこの半月。
材質は黒檀。形としてはごくごく定番の板状半月形なんですが… コレ、やたらに低いんですよ。
月琴の半月の高さは、だいたい9~10ミリ程度ですが。今回の楽器のはそれが7ミリほどしかありません。 いえね、ここが低いということは弦高も低くなるので、この楽器的に、音質や操作性のためには良いことなんですよ。 月琴のことをよく分からんで作っている作家さんの楽器は、弦高がむやみに高いことが多いので、修理楽器の性能向上のため、庵主はよくここの糸の出口のところに「ゲタ(スペーサ)」を噛ませたりすることが多いくらいですからね。 しかし……言っちゃあ何ですが、過去に扱った楽器の例からして、この作家さんが 「うし!音が良くなるから半月を低く作ろう!」 なんてこと考えるとは、庵主、どうにも考えられないんですよ。 このあたりも、とうぜん、ほかに何か理由がありそうでしかない。 というところで、次回に続く---- (つづく)
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2025.9~ 痩蘭斎旧蔵月琴01 (4)
STEP4 襤褸着一枚足る身とて さて、表裏板と側板の一次清掃、内桁の補修補強も、響き線のお手入れもだいたい終わりましたので。 いよいよ胴体を組み立てていきましょう。
組立ての際の基準となる表板は、小板の接ぎ目からぱっくり二枚に割れちゃってます。ここまでは、マスキングテープで仮止めして使ってきましたが、まずはこれを一枚に戻しましょう。 接ぎ面端っこのほうに、ごく軽微な虫食いがありましたが、割れた原因はこれではなく、劣悪な保存状態によって、ごく自然に剥離したもののようです。接ぎ面自体は、全体的にキレイな状態だったので、ちょっとした凸凹を桐塑で軽く埋め込んでから接ぎ直します----カモン!簡易接ぎ台くん・スーパーデラックス!
まあ、いつもの、作業台の板にビニール袋かぶせて、クランプで角材固定しただけのやつですがね。
作業中に数箇所、板の端のほうに小さな割れが見つかったので、このあたりは一枚に接ぎ直した後、ニカワを流し込んで順次補修しておきました。
表板がしっかり一枚になったところで、ここに部品を接着してゆくわけですね。 最初にくっつけるのは、棹口のある天の板からです。 原作者による中心線や、そのほかの部品の接着位置を示すような目印も、あちこちについてはいますが、量産器だとこういうのに必ずしも信用がおけないので。すべてあらためて測り直した上で、最終的には仮組した際の実物合わせで、胴体と棹の中心線が合う、最適の位置を探ってゆきます。
天の板が確実に固定されたところで、左右、そして最後に地の板と接着してゆきます。 経年の歪みや狂いは、この地の板のところで消化するとしましょう。
この場合、地の板左右の接合部を削ったり足したりして、寸法の辻褄を合わせるわけですが、今回はけっきょくぜんぶ合わせても1ミリほども削りませんでしたね。 木肌も見えないくらい真っ黒で、部材ぜんぶバラッバラという劣悪な保存状態で、何十年か放置されていたにも関わらずですよ----量産機とはいえ、良く乾燥していて狂いの少ない木が使われてるようですし、作者もちゃんと木取りのできる良い腕の人だったみたいですよ。
周縁部が組みあがったところで、つぎは内桁を組み込んでゆきましょう。
とはいえ胴四方接合部の補強もあるんで、まずは上桁だけです。 この楽器の内桁は、基本的には側板の内がわに接着しているだけという、もっとも単純な工作ですが、上桁の場合は響き線の基部とその反対がわにある木片に懸けるようにわたされており、いちおう木口とここに触れる部分の二方向から固定されるカタチにはなってます。のりしろはどちらもせまいものの、きちんと接着されていれば、そう簡単にはずれることもないでしょう。 接着面にニカワを塗ります。このときメインの接着箇所となる木口面は吸い込みが良いので、接着前に薄めに溶いたニカワをじゅうぶん吸わせていちど完全に乾かし、ある程度の滲みみ止めをしておいたほうが、接着不良の心配がよりなくなって良いですよ。
板との接着面にも、じゅうぶんにニカワをふくませ、クランプや当て木で固定して、スキマなく密着させます。 「構造の要(かなめ)」と言っていい部品ですからね。 外からは見えなくなるとこですが、それだけに逆に、見えなくっても大丈夫なくらい丁寧な仕事を心がけましょう。 二三日置いて、上桁が完全に固定されたのを確認。 続いて、胴四方の接合部の補強をします。 この部分がしっかり接合されているかどうかも、この楽器の楽器としての基本性能に大きな影響があります。 単純なハナシ、ここの接合にスキマがあればそこで音の伝導は止まっちゃうわけですから。4つの部材が密着して、1本の輪っかのようになっているのが理想なのです。 庵主自作のウサ琴が、オリジナルの月琴にくらべ素材や寸法で分が悪いハズなのに、オリジナルの月琴よりデカい音でキレイに鳴る理由の一つも、この胴の側面部分が、ほぼモノコック構造、一枚板の輪っかで出来てるからなんですね。 この楽器の側面接合部は、凸凹の組継ぎとなっています。ほかのメーカーのものだと、外側からはピッタリ組み合わさって見えるものの、内側がスカスカ、スキマだらけだったりしますが、今回はオリジナルの工作が良いのでスキマも少なく、いつもほどガッツリやらなくても大丈夫のようです。
まずは接合部裏側を桐塑で埋め込み、小さなスキマをふさぎ、裏面の凸凹を均します。
つぎに部材を渡るように、薄くて丈夫な和紙をニカワで重ね貼り、柿渋を塗って防虫・補強をしておきます。
下桁は接着位置がちょうどこの接合部にかかるため、作業は接合部の補強作業終了待ちとなっております。
こちらには上桁のような支えはないので、接着面となる左右端を、側面内壁の曲面に合わせて慎重に整形します。 接着は上桁と同じ。クランプと当て木で、上からも軽く圧をかけつつ、定位置に固定します。 ほぼ同時進行で、棹の組み立てとフィッティングも開始です。 まずは指板の補作と接着。 オリジナルの指板は、山口のあたりをネズミに食い荒らされてたのと、前使用者の魔改造により傷みが激しいので、手持ちの唐木板で新しいのを作ることとなりました。
手持ちの材料にオリジナルに近いものがなかったので、紫檀から黒檀になっちゃいましたが、たぶんこの板のほうが質は若干高いと思いますよ。 厚みをそろえてから、だいたいのカタチに切り抜き、各種テープと輪ゴムでふン縛り、固定して接着します。
接着後、棹からハミ出た部分を削る…のですが……うん、このくびれたところが難しいですねえ。ハマグリ(根付なんか作る時のヤスリ)があって本当によかった。
まずまずキレイに仕上がりました。
次に棹なかご、延長材を接着すれば棹は完成、なんですが。 前使用者はどうやら棹と胴の水平面を面一に----つまり胴から竿先までを平らかまっつぐにしたかったらしく、棹基部や延長材に数多くのスペーサを接着して調整しています。
庵主としましてはとりあえず、ここらを製造当初のカタチに戻し、原作段階での設定がどのようなものであったのかを調べてから、再度調整を考えてみようと思います。まずはこの、ゴテゴテへっつけられた薄板はぜんぶひっぺがしちゃいましょうね!!
スペーサをぜんぶハガしたところ、延長材の先端に前使用者が削ったヘコミとかも見つかりました。削って足してと…お忙しいことですなあ。ここは樹脂と木粉のパテで埋めて、加工前のラインを復活させておきましょう。
こうしてスペーサをハガしエグレを埋めた状態で、仮組みして測ってみますと、原作者による元々の設定は、棹なかごの上面(表板がわ)が表板とほぼ平行、棹本体は山口のあたりで3~5ミリ、背がわに傾くという、この楽器の理想値にほぼ近いものだったことが分かります。 前使用者に棹基部(胴体と触れる部分)も少し削られちゃってるようなんで、この後も微調整は必要ですが、とりあえずはこのまま組み立てて問題ないようですね。 棹と延長材にマスキングテープを貼って目印をつけ、新しく中心線を出してから、これに合わせた位置で接着・固定します。
棹がととのったところで、胴体側の棹口と内桁の孔を棹なかごに合わせて調整・加工。また、棹口に原作段階の加工不良によるヘコミが見つかったので、ここもパテ埋めしておきます----こういう小さなところをきちんとしとかないと、この後の調整に支障が出ますからね。
ううむ、こうして見てきますと今回の「修理」、どうやら庵主の仕事は基本的に、前使用者の「やらかし」を是正して、楽器を「原作状態に戻す」ことになっちゃうみたいですねえ。
では、今回はこのへんで---- (つづく)
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月琴WS@銀狐! 2025年師走!!!
*こくちというもの-月琴WS@銀狐 12月のお知らせ-*
…今年も暮れましたねえ。 12月の月琴WS@銀狐は、20日(土)。 いつもより30分遅い17:00からの開催となります!
会場は台東区下谷・小野照崎神社(通称・小野照さん)のお隣、「銀狐」さん。
最寄駅はJR「鶯谷」もしくは地下鉄日比谷線「入谷」となりまあす。 前とかわらず、参加費無料のオーダー制。 お店のほうに Drink or Food のオーダーお願いいたします。 ほぼ銀狐さんの通常営業にまぎれての、酔いどれ飲み会WS。 予約は特に不要、参加自由、途中退席自由。 楽器は余分に持っていきますので、手ブラでのご参加もお気軽に~~~! 初心者、未経験者だいかんげい。 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい、弾いてみたい方はぜひどうぞ。 うちは基本、楽器お触り自由。 絶滅楽器「清楽月琴」なんてぇものに触れられるエエ機会。 1曲弾けるようになっていってください! 依頼修理の月琴、痩蘭斎01唐木屋。 ともに修理報告は執筆中なれど、修理は完了いたしました。 唐木屋のほうはお嫁入り先募集中です。 流行時の量産数打ち品ですが、唐木屋さんは当時、けっこうな大手で老舗なんで、材質も職工さんの腕も良い。 そのうえ原作の手抜き部分は、前使用者の魔改造部分を是正するついでに、庵主怒りの大修整を施してますんで、たぶんオリジナルより良く鳴ってると思われます。 ぜひこの機会にWSで飲み…いや弾いて試してみてくださいね~。 |