2025年5月!!月琴WS@銀狐!!!

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斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@銀狐! 2025年5月!!!


*こくちというもの-月琴WS@銀狐 夕暮れWS のお知らせ-*

 
再開の月琴WS、5月場所は、

24日(土)16:30よりの開催です!


 会場は台東区下谷にある小野照崎神社(通称・小野照さん)のお隣、「銀狐」さん。
 最寄駅はJR「鶯谷」もしくは地下鉄「入谷」となりまあす。

 前とかわらず、参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに Drink or Food のオーダーお願いいたします。
 ほぼ銀狐さんの通常営業にまぎれての、酔いどれ飲み会WS。

 予約は特に不要、参加自由、途中退席自由。
 楽器は余分に持っていきますので、手ブラでのご参加もお気軽に~~~!

 初心者、未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい、弾いてみたい方はぜひどうぞ。


 うちは基本、楽器お触り自由。
 絶滅楽器「清楽月琴」なんてぇものに触れられるエエ機会。
 1曲弾けるようになっていってください!



 4月のはじめに明清楽・長崎派の資料を相次いでGET。

 現在、「長崎派」の楽曲の復元と標準化、そしてまとめ記事を作成中です。ほかの流派----渓派や連山派----と違って、譜本の題は同じなのに、資料ごとに収録曲も違えば、楽曲もなんか微妙に異なるという状況。
 伝系も伝承もゆるゆるなので、なかなかにまとまりが悪く、苦戦中です。そうですねえ、おぼろどうふをまとめて木綿豆腐にしようとしてるみたい(w)
 現在までの成果は----

  【清楽曲曲譜リスト】

 http://charlie-zhang.music.coocan.jp/MIDI/LIST.html

 よりどうぞ。随時更新。資料ごと、すでにまとめや解説のあるものは、各項目末の「解説」のところから、それぞれがどんな曲で、どうやってメロディを復元したのかが分かるようになっています。

依頼修理の月琴(4)

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斗酒庵,重たい月琴に出会う の巻2024.11~ 依頼修理の月琴 (4)

STEP4 怪奇月琴のはらわた

 四方四塊、中央付近に内桁1枚----という、唐物月琴などで定番の、すなわちは日本に伝わった段階における、月琴という楽器のもっともプリミチヴでオーディナリーなスタイルの内部構造であることが判明した、今回の依頼修理の月琴ではありますが。

 その内桁の上のほう、左右の内壁に並んだこの凹溝は何ぞや?

 さらに観察してみますと、凹溝の周辺や表裏の板ウラに、明らかに何度もやり直したと思われる作業痕が多数発見されました。
 ううむ----作者はどうやら、この楽器の完成までに、様々な構造を試してみたようでありますな。
 先に報告したとおり、この楽器の棹は胴体を貫通しているタイプになのですが、その棹なかごには不自然に継ぎが多い。「ここで継ぐ必要ある?」ってくらいが驚異の四段継ぎとなっております。そのことと、この内部の凹溝、そして板ウラについた接着痕の重なり等から総合的に推察しますに、この楽器の内部構造が現在の状態に至るまでには、おおよそ次のような過程が踏まれたものと考えられます。

 まず第一段階。当初おそらく、作者はこの楽器を国産の月琴でもっとも一般的な二枚桁の構造として製作したものと思われます。(以下解説4画像は、クリックで別窓拡大)

 この時点ではおそらく、棹なかごはまだ楽器中央くらいまでしか長さはなく、上桁は同様の構造の月琴とくらべ、かなり上のほうに位置していました。中央の空間を限界まで広くとって、ここで音を響かせよう、と考えたんでしょうね。
 ただこれですと、見た感じ、胴体の中央部がスカスカで構造として見た目バランスが悪く、強度への不安があったのでしょうか。

最上部の桁溝----均等の深さに刻まれており、おそらく組立前に加工されたと思われる。

 次の段階では、上桁を中央やや上くらいの位置、下桁も板厚1枚ぶんくらい下げて、唐木屋や松派の月琴などに近い、国産の月琴でもっともよく見られる、安定感のある構造に変更しています。
 見た目にもバランスがよく、実績も多い一般的な構造----庵主なんかですと「もうコレでいいじゃん」となるところですが、いえいえ、さすがは明治御一新を越えてきた気鋭の匠----ここからなぜか、思いつきと迷走という名の実証実験が、突如開始されたようであります。

 すでに定番である案に安住せず、いままで誰も考えたことのないアタラシくスバラしい構造をハッケンしよう!----とでも腹をくくったのでしょうか。上下桁の位置をさまざまに工夫した様子が、接着痕から見て取れます。
 多くの場合、上桁は Take2 と同じ位置だったようですが、時には最初の位置に戻したりもしていたようです----当たり前のことですがこの場合、それぞれの構造を検証するためには、いちど完成した楽器を、都度々々分解したり組み立てたり(最低でも裏板は剥がす)しなきゃならないのですから----すごい労力になりますよね。

2・3段めの桁溝----おそらく組立後、表板が接着された状態で裏板のみ剥がした状態で加工。溝底が斜めで浅く、工作が粗い。

 なおここまでの段階においては、内壁の桁の溝の上下に直接木片を接着したような箇所も見受けられるので、響き線は現状の左(楽器正面からだと右)肩口に直挿しではなく、左右壁のどこかに木片を接着、そこから横向きに取り付けられていた可能性があります。これも唐物月琴ではなく、国産月琴の定番構造ですね。


 そして最終段階!彼の情熱は天に鳴り響くかあッ!!!!----と、アニメとかなら盛り上がりなんかゾーンに入ったみたいな幻想的な光景が繰り広げられるようなところですが。ここでなぜかストンと……ある意味実験的なところのない、別のところ(大陸)での「定番」をただ模倣しただけの構造に落ち着いちゃうんですよねえ。

 下桁が廃され内桁は上桁一枚だけとなります。新たに溝が切られて、桁は胴のほぼ中央に移され、響き線は左肩口からの長い孤線に。棹なかごは延長されて、地の板中央に小孔が切られ、胴を貫通する型となりました。

 この棹が胴を貫通するタイプの構造は、現代中国月琴ではごく一般的であり、古く大陸から輸入された月琴でも当初から混在してはいましたが。棹なかごが内桁で止まるタイプに比べると、日本の流行期においてはそれほど一般的ではなく、清楽・明清楽に供される楽器として数多く輸入されるようになったのは、明治の比較的遅いころになってからだったと庵主は考えています。
 見ないこともないけど、あんまり見慣れない----くらいの感じでしょうか。わたしも今回のを含め、数例ほどしか扱ったことがありません。
 さてでは、あれだけイロイロと試行錯誤し実験し検証してきた作者が、なぜ最終的に、ただの模倣であるこの構造に行き着いたのでしょう?
 すでに述べたように、この一枚桁の構造は、唐物月琴----すなわち大陸の月琴ではごく一般的なものです。この楽器のいちばん原初的な構造であり、起源たる本場でのスタイルなわけですから、それに合わせること自体に不思議はないわけなのですが。作者がもし、最初からそれを知っていてそれが目標であったのなら、そもそも回り道になるような数々の実験は必要なかったはずです。
 ですので庵主は、この楽器の作者は製作当初、大陸の月琴の構造を知らなかったもの、と考えます。

 二枚桁で中央に響き線を置く国産月琴の構造は、輸入月琴のそれとは異なり、日本で独自に形作られたものと考えられます。過去の修理報告でも何度か書いたように、この楽器の構造としては、唐物で定番の中央一枚桁でじゅうぶんな強度が得られるのですが、主にこうしたものの内部構造に対する日本の職人の感性から、国産月琴では(見た目上)より安定感のある二枚桁という構造が採用されたのだと庵主は考えています。
 ですので、そうしたある意味民族的な感覚である「見た目の不安感」みたいなところから、一枚桁を二枚桁に、すなわち国産月琴の一般的な構造に変更したというなら納得がゆくのですが、心に不安と葛藤が生じながらも、あえてその逆とするほうには疑問を感じざるを得ません。推測される理由としてはまず----

 1)作者が真正の唐物月琴の内部構造を、実際に見る機会があった。

ということがあったのではないかと。そして----

 2)作者製作目的が「楽器を作ること」から「"中国の月琴" を作ること」にシフト

したのだと思います。当初、この作者にとっての「月琴」は、清楽を演奏するための「音を出す道具」としての「楽器」であったため、彼の知り得た範囲における「より優れたもの」や「新しいもの」から努力と試行錯誤が繰り返されたのでしょうが。「本(場)物」の楽器を目にすることによって、それをより忠実に模倣することのほうに軸が移ったんでしょうな。明清楽やら清楽やらを演奏するなら、同じ月琴でも国産のものより、中国からの輸入楽器のほうが、なんか「正当性」みたいなものがある気がしますからね。
 しかしながらそもそも、明清楽というものは多分にインチキなところのある中国 "風" 音楽ですし、明治のころ中国から輸入された満艦飾の「月琴」は、楽器と言うより「輸出用の装飾品」として製作販売されたものらしく---さすがに最初から演奏不能なものまではないようですが---中には明らかに実用品の楽器の失敗作・歩留まり品を素体として再利用したようなものまで含まれていました。

要は当時の唐物月琴の大半は、いちおう月琴のカタチに組まれたモノに、それらしいテキトウなお飾りをイッパイへっつけただけのものだったわけですが。これがなぜか東洋の蛮族にウけて、飛ぶように売れてゆくものですから、売るがわからすればずいぶん分の良い商品であったのと思います。実際、唐物月琴には、楽器として必要な仕上げの調整が施されていないことが多く、そのままだと「ギリいちおう音が出る」といった程度のシロモノが多いですね。
 その意味では、そもそもの勘違い設定や考えすぎの無駄工作など問題は多々あるものの、いちおう最初から音の出る「楽器」として作ろうとしていた国産の月琴のほうが、ホントのとのところ、参考にするならいくらかマシだったかも----という一面もあったろうことを付け加えておきましょう。

 さて、分解作業の続きに戻りましょう。
 側板の細かな彫刻などの関係で、再組み立ての際にはかなり精密位置調整が必要となると思われましたので、当初はなるべく分解を控え、できれば表板と側板はつけたままで作業を進めたかったのですが。

 今回紹介した原作者による試行錯誤の影響や、各接合部位の工作不良、また表裏板の板ウラの加工が絶望的に粗かったことなどあり、けっきょくナミダの完全オーバーホールと相成りましてございます-----こりゃ組立作業の時、タイヘンだぞおい。

(つづく)


2025年4月!!月琴WS@銀狐!!!

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斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@銀狐! 2025年4月!!!


*こくちというもの-月琴WS@銀狐 夕暮れWS のお知らせ-*

 
再開の月琴WS、4月場所は、

月末26日(土)16:30よりの開催です!


 会場は台東区下谷にある小野照崎神社(通称・小野照さん)のお隣、「銀狐」さん。
 最寄駅はJR「鶯谷」もしくは地下鉄「入谷」となりまあす。

 前とかわらず、参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに Drink or Food のオーダーお願いいたします。
 ほぼ銀狐さんの通常営業にまぎれての、酔いどれ飲み会WS。

 予約は特に不要、参加自由、途中退席自由。
 楽器は余分に持っていきますので、手ブラでのご参加もお気軽に~~~!

 初心者、未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい、弾いてみたい方はぜひどうぞ。


 うちは基本、楽器お触り自由。
 絶滅楽器「清楽月琴」なんてぇものに触れられるエエ機会。
 1曲弾けるようになっていってください!



 修理報告なかなか進まず。
 お待ちのみなさま申し訳ない。伝えたい内容はだいたい決まってるのですが、表現が難しいですねえ。ほら庵主、音楽用語とか専門でないので…

 明笛57号石生刻は修理完了。全長73センチはかなり長大ですが、重心位置が比較的ちゃんとしているので取り回しは悪くないです。
 細身の明笛は、吹きにくいのが多めの印象なんですが。
 これは唄口をやや大きめに切ってあるせいか吹きやすいですね。

 合(筒音)4B-20、上が5E。呂音での最高が5B+20なんで、少しだけピッチが合ってないかな?
 筒が細身なのと元々の材質、またバキバキに割れてたのを固めたので、やや硬音・高音気味なところあり。
 こっちも早々に報告あげないとなあ。

 ほかはまず40号キリコさん。
 9年近く Anzuさんでマスコット兼置き楽器として働いてくれました。引き揚げたついでに各所のヒビ割れなどを補修。

 新しい会場「銀狐」さんにても、置き楽器としてがんばってもらいます。WS以外の時でも「銀狐」さんへお立ちよりの際はぜひ、弾いて触ってあげてくださいね。

 続いて、去年10フレット化した64号不識の糸巻がナスビみたいに変形しちゃってたので緊急交換!材質を替えて補作しました(すまなんだ…すまなんだ…泣)

 不識の糸巻は先端が細いんで、染めとかの過程で影響が大きかったみたいですね。

 うちで修理したもので同様の症状になってたら、無償で交換しますからね。おきがるに~


 あと40号クギ子さんが出戻ってきました。

 前オーナーさんに大切にされてたおかげで、フレットが1枚なくなったくらい、じゅうぶんに使用可能な状態ではありましたが、せっかくなんでこちらも糸巻を新作のものに交換してあげようかと。
 オリジナルの糸巻は3本現存、ただし使用による身痩せて、糸巻から先端がつきだしちゃってる状態です。
 64号のついでもあり、ちょっと丈夫な同じ材質で。
 こっちはまだしばらくかかりそう。

月琴65号 清琴斎初記(終)

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斗酒庵、春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (終)

STEP7 再考・運河を穿ちお城のお濠を埋めたてた男の楽器

 さて、修理は完了しましたが、今回の楽器について、あと少しおつきあいくださいまし。

 流行当時の広告なんかを見る限り。
 明治の後半において月琴という楽器は、薩摩・筑前琵琶やお箏や三味線という、同時代に一般的であった弦楽器とくらべ比較的安価なモノであったと言えます。そしてまた、この 「安くて手軽な楽器」 という点が、この時期における月琴大流行の一因でもあったと、庵主は考えています。

 しかしながら、以前紹介した 『東海三州の人物』 は、65号の作者・頼母木源七の商業的な成功について----

  当時流行せる月琴の高価なるに着眼して、是を廉価に売出せしかば、忽ち繁盛し…

----と書いてます。
 実際、幕末から明治の初期にかけて、中国から輸入された唐物月琴や、それを真似て紫檀や鉄刀木などの高価な材料をふんだんに用い、一流の職人によりワンオフ製作された国産の倣製月琴は、正確な値段こそ分かりませんが、ごく一部の趣味人のための、新奇な高級品であったことは間違いありません。
 そうしたものと比べるなら、頼母木源七の月琴が「安価」なものであったということは、使われている材料から見ても間違いありません。
 では言葉を変えて----
 実際に目にした頼母木源七の月琴は「安物(ヤスモノ)」だったでしょうか?


 庵主の答えは----"否" です。

 加工の精度、部材の木取り、主構造の堅牢さ、半月の銀象嵌……メインの材料として、比較的手に入りやすい国産の広葉樹材が多く使われている、というその一点を除けば。彼の楽器の品質はかなり頭抜けたものとなっています。

 単純に音を出す道具----「楽器」として見た場合にはむしろ、彼以前からあった外貨獲得のための置物スレスレな唐物楽器や、黒檀や紫檀を多用してカタチだけでっちあげた国産の「高級月琴」より、はるかに優れていると言えましょう。

 もちろん、他の国産月琴の作者たちと同様、棹の角度や内部構造などには、研究不足や知識不足からくる伝統的な設定や構造の間違いが見えますが。少なくとも、その仕上がりと性能を見る限りにおいては、彼の月琴がもし「廉価品の安物」だったと言うのなら、よその月琴はそもそも値札を付けて売っちゃあいけないんじゃないかというくらいのレベル差がありますね。

 実際に見た楽器の仕上がりからも分かりますが、明治20年の『東京府工芸品共進会出品目録』では、頼母木源七の名は楽器と碁盤の両方でそれぞれ別箇に見え、葛生玄の『金玉均』(1906)という本でも、同氏に贈られた唐木細工の碁盤の作者 「東京で有名な唐木細工の名工・頼母木源七氏」 と名が挙げられていますので、明治前半、頼母木源七という人の腕前は、楽器と唐木細工の両方ですでにある程度知られるほどのものであったということは分かります。
 もともとのその腕の良さに加え、当時このレベルのものを「安価」で「大量」に売ることができたのは、おそらく入ってきたばかりの西洋風の加工機械などを積極的に使用したためと考えられます。

 加工痕などから少なくともジグソーやボール盤的なものが使用されたのであろうことは推測できるものの、実際、どのような機械を以って楽器の製作をなしていたかの詳細は分かりませんが、明治22年には新聞社に 「金属を以て手軽に製造し廉価に多数販売可相成日用品」 の専売特許譲渡に関する広告を出しているというので、このころにはすでに何らかの加工機械を入手使用していたのではないかと考えられます。
 細かな部分は従来通りの手工具でやっていたと思いますが、機械加工によって基本的な部材の加工が精密で均一となり、かつ時間や手間が大幅に縮小・軽減され、さらには同じ分量の材料から、より多くの部材を確保することが容易になったというのが、 「月琴の高価なるに着眼して、是を廉価に売出」 すことのできた最大の要因であったのでしょう。
 商業的に似たような効果は、たとえば工程を統一化し細かく割って外注を多くしたり、老舗なら優秀な職人を数多く集めるなどの人海戦術によって、手工具による工作でもある程度は得られたかとは思いますが、手と機械の差は、火縄銃百挺で機関銃一挺に対抗するようなものですし。さらに基本的部分が機械加工であったとしても、もともと腕の良い源七が、そこに仕上げを加えるのですから、多人数を関与させることによる品質のバラつきを考えるなら、そこに商品としても値段の上でも差が出るだろうことは想像に難くありません。

 まあ、何かモノが流行っている時、それを他者より安価に、大量に製造・販売して利益を獲るという、その手法自体はいつの時代でも常套手段なので。同時期彼以外に同じようなことを考え、実行した者が誰一人いなかったとは到底思えず、『東海三州の人物』の記述だけをもとに、頼母木源七を「ハジメテ月琴を機械量産したヒト」みたいに扱うのは、現実的には難しいのですが。
 同じ時期に、同じような目的で作られたと思しい月琴たちの外見が、互いに非常に良く似通っていることから考えると。少なくとも、彼が作り大ヒットさせた楽器が、ほかの量産月琴作者たちにとって、追従すべきフラッグシップ的なモノであった可能性は高かろう、庵主は考えています。


 これらは外見的には関東の渓派の楽器に近しいのですが、渓派の月琴では棹上にある第4フレットが、唐物や関西の楽器のように、胴の縁ギリギリに位置しているあたりが違っています。
 渓派では、流祖・鏑木渓菴の自作の月琴を雛形に、弟子である田島真斎や孫弟子にあたる石田不識といった自身が清楽家でもある作家が、同派の好みに合う楽器を作っていました。坪川辰雄「清楽」(『風俗画報』102,M28)に月琴について 「…棹の長さは天神より八寸位なり、渓菴は之を一尺内外に造れりと云う…」 とあるとおり、渓派の月琴は唐物や関西のものより、棹と糸倉が長くなっていました。
 頼母木源七は東京に居を構えていたわけですから、売れる月琴を作るに際し、楽器全体のカタチを、周囲でもっとも流行っていた渓派のものに準じたことは当たり前の選択ですが。さらに第4フレットの位置を連山派・梅園派と同じにすることで、外見は渓派、スケールは連山派という、どちらの流派でも使えるような楽器としようとしたのかもしれません。


 柏遊堂、柏葉堂、山形屋(石村)雄蔵などの楽器は内部構造の一部を除けば、頼母木源七のものとほぼ同様の外見と寸法、設定となっています。
 馬喰町の菊芳(福嶋芳之助)も、初期のころはあまり他に似ない個性的な月琴を作っていましたが、後期にはこちらのスタイルのものを作るようになっています。また石町の唐木屋の月琴は、基本的には関西で使われていたトラッドな国産月琴のスタイルを踏襲していますが、そのほかに庵主が「唐木屋A」と呼んでいる、こちらに似て棹が細く、よりスマートな楽器も売られていました。この唐木屋の頼母木風月琴は、工作の特徴から下谷黒門町の栗本桂五郎が卸していたのじゃないかと庵主は考えています。

 そのほかラベル不明のものや、そもそも名もなき有象無象作で、頼母木源七とその楽しい仲間たちの楽器にウリふたつといった例は枚挙に暇がありません。庵主は数度しか見たことがありませんが、名古屋の箏師・小林倫祥作の月琴も、これに近いスタイルでしたので、頼母木源七の作り出した月琴のスタイルは、最終的には関東の枠を越え全国的な標準となったと言えるかもしれませんね。

(いちおうおわり)


2025年3月!月琴WS@銀狐!!!

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斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@銀狐! 2025年3月!!!


*こくちというもの-月琴WS@銀狐 夕暮れWS のお知らせ-*


 あけましておめでとうござます!(おくればせながら)

 おまたせいたしました----月琴WS、再開でえす!!!

 2月、移転しての初WSはお試しということで、こちらでの告知等はナシで、仲間内こっそり飲んでました(w)。

 2025年、3月の月琴WS@銀狐は、22日(土)の開催予定です。


 会場は台東区下谷にある小野照崎神社(通称・小野照さん)のお隣、「銀狐」さん。
 最寄駅はJR「鶯谷」もしくは地下鉄「入谷」となりまあす。
 江東区から台東区----西へ移ったのに「東」変わらずとはこれいかに。つぎは安東市か、はたまた広東か。

 前とかわらず、参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。
 15:00時開始、17:00からは銀狐さんの通常営業にまぎれての、飲み会酔いどれWSとなりまする、うーぃ。

 予約は特に不要、参加自由、途中退席自由。
 楽器は余分に持っていきますので、手ブラでお気軽にご参加ください!

 初心者、未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい、弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本、楽器はお触り自由。
 絶滅楽器「清楽月琴」なんてぇものに触れられるエエ機会。
 1曲弾けるようになっていってください!



 月琴の修理は帰省前ギリギリに終わって、現在はデータをまとめ、記事書きながら、明笛を一本また直してます。
 57号かな?
 バキバキに割れてましたが、なんとかなりそう。
 管体は細めですが、けっこう太めの音で鳴るみたいですね。

依頼修理の月琴(3)

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斗酒庵,重たい月琴に出会う の巻2024.11~ 依頼修理の月琴 (3)

STEP3 キミの内部構造が見たい(刃物ギラリ)

 はい,それでは分解作業のその前に----

 いつものとおり,棹および胴体上に接着されている種々を取り外してゆくことといたしましょう----まずは脱脂綿を細く刻んで準備です。

 はずしたいものの周りにお湯を刷き,濡らした脱脂綿で囲んでラップをかぶせてゆきます。ラップは対象よりちょい大きめに刻んでから,濡れた縁を指でズラして壁にして,余計なとこまで水気が広がらないようにしましょう。
 木への負担を少しでも減らしたいので,1~2時間放置したら,はずれるものからどんどんはずしてゆきます。

 予想していたとおり,棹上のものは山口以外すべてボンドづけ,近年になってからの再接着でした。

 白い木工のと,透明で硬質なものの二種類が使われてましたよがっでむ。透明なほうは木瞬かな?
 さすがに下地が紫檀なので,木地に滲みこむようなことにはなってませんでしたが,木目に入りこんだ細かいのまでキレイに取り去るのはけっこうタイヘンでした。

 胴上部,第5フレット接着部の下からは,浅いエグレが出てきました。胴上はここと第6・7フレット間の小飾りのみがボンド,ほかはオリジナルと思われるニカワづけでした。
 第5フレット下のエグレは,フレットがモゲた時に板の一部が道連れになったものだと思いますが,表面がなめらかになっていることと,周囲との色味の差があまりないところからすると,ここがボンド付けされるよりずっと前の古い故障痕だったのかもしれません。
 何で補修されなかったのかはちょと気になりますが,何にせいフレット取付の障害になりますから,後で埋めとかなきゃですね。

 ニカワづけの部分は比較的簡単にはずれたところが多かったものの,例によってこの作者も,後のメンテにおける手間とかちゃんと考えてないようで。左右のニラミや半月などには,これでもかというぐらい大量のニカワが使われており,はずれるまでにちょっと手間と時間がかかりました。

 おかげで凍石のニラミが少し割れちゃいましたが……
 とはいえ,庵主が割っちゃったのは左のニラミの細っこい部分だけで,左右ともに尾羽の部分のは,はずす前から割れちゃってたみたいです。
 たぶん石は弾性がないんで,板の収縮についていけなかったんでしょうね。ニカワでガッチリ貼りつけちゃったのも原因でしょうか。
 凍石の飾りの取り外しは難しいので----ともあれ,この無情な取付け状態でこの細かい細工,これだけの大きなサイズのが,この程度の損傷で保護できたなら,かなり上々な結果。
 正直もっとバラバラバラになると思って,超細密ジグソーパズルするカクゴしてたくらいですから。

 まあ庵主,この手のものの補修は得意ですので,即行修復してゆきますね。

 割れを接ぐついでに,裏がわ全面に薄い和紙とエポキで層を作って補強しときましょう。
 木と石なので意外に思われるかもしれませんが。凍石は水が滲みこまないうえ,接着面を平滑にしやすいため,板と接着面の間が真空みたいな状態になり,必要ないほど強力に接着されてしまいます。
 ですが,その裏面に一枚紙を貼ったり,庵主みたいに薄い樹脂の層を作っておくと,そこには水の滲みこむ余地が出来るので,メンテ上もラクになります。
 一般的な唐物楽器は多く,演奏に使う楽器というよりは「おめでたい置物」(メンテ不要)として作られているので,そういう配慮がなされていることは少ないのですが,国産の倣製月琴や装飾付の高級楽器では時折,同様の処置をした凍石や唐木細工の飾りを見ることがあります。まあ,庵主的には----「そもそも弦楽器の "共鳴板" の上に,こんな音の邪魔にしかならんモノ貼るなあッ!」----ってとこなんですけどね(w)

 やや小さめのバチ皮は,かなり厚手のシロモノでした。
 月琴という楽器の本来の奏法では,ピックが板を打つようなことはまずありえないですし,大陸の実用楽器として作られた月琴には,当時も今もそういうものを付ける習慣はほとんどなく。清楽月琴のこれはごく装飾的なものに過ぎないのですが,この皮の収縮によって周辺の板に割れが入ったりすることが多いので,基本的には取り外して裂地の布に換えています。
 これもさほど傷んではいませんが,傷んでいないだけに,このまま戻すと板がまた傷んで,さらなる故障の原因となってしまいますので戻せません,どうかご了承のほどを。

 半月をはずしたら,陰月が2コ出てきました。
 時折,孔を穿ったら下桁に当った等であけなおしてたりする例を見ますが,楽器の中心線をはさんで左右にキレイに並べて開いてますので,これは意図してやったものでしょうね。
 理由?----知りませんよ!?
 琵琶の覆手の下にある孔と同じ名前で呼ばれてますが,この小さな孔は国産の月琴にはよく付いているものの,そもそも大陸の月琴にはないことが多く,日本の職人さん…たぶん琵琶師兼業の方とかだと思いますが…がつけはじめたらしき意味のない構造で。一部「サウンドホール」だなぞと言っているトンチキ解説も見たことがありますが,テールピースの板の裏に隠れた直径7ミリほどの孔にそんな機能があるワケもなく,実際空気孔ていどの効能しかないうえに,むしろここから内部のニカワを狙って虫が入ったりしちゃってますね~。
 それが2コに増えてるのも,たぶん「こッちのがカッケぇ!」くらいの思いつきでしょうねえ。
 まあ半月に隠れて,ふだんは見えないわけですけど。

 半月はさらに上面の装飾もはずします。コレはずさないと本体磨けませんからね。
 あと裏面,ポケットになってる部分の工作が雑の極みです。切込みを入れてノミで抉ったんでしょうが,中身をむしりとってポイしたみたいな状態----中央部分がくぼんでかなり薄くなってしまってますね。このへんも補強しておいたほうが良さそうです。

 さて,一日二日置いて,濡らした部分が乾いたところで,いよいよ裏板を剥がすとしましょうか----それぃ,ベリベリベリ!っとな。

 ふむ,四方四塊,楽器ほぼ中央に一枚桁。
 内桁の片側に響き線を通す木の葉型の孔。
 響き線は,棹口のすぐ横辺りから,胴内をほぼ半周する長い弧線。

 中心線や指示線・目印の類以外には,作者の署名など楽器の由来につながる手がかりはここにもありませんね…
 響き線の固定方法や内桁の通す孔の工作が微妙に違ってますが,基本的には大陸の月琴の一般的な構造をきちんとなぞってます。
 ほかは棹なかごが胴を貫通するタイプなので,孔が1コ多いとこだけ違ってますが。いままで手掛けたこれと同様の構造した唐物の内部ともほとんど違いは………あれ?

 ----なんだコレ?

(つづく)


依頼修理の月琴(2)

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斗酒庵,重たい月琴に出会う の巻2024.11~ 依頼修理の月琴 (2)

STEP2 キミをもッと教えて(ハァハァ)

 さて,前回庵主のもとに届いた唐木製・超重量級・満艦飾の高級月琴。

 前回はこの楽器がどのようなモノなのか,というあたりをざっと概観してみたわけですが。続いて今回はこれが現状「楽器」としてどうなっているのかというあたりをふくめ,各部順ぐりに見てゆくこととしましょう。

 まずは糸倉と棹から。
 弦楽器として大切なところですからね,しっかり見てゆきましょう。

 鉄刀木製の蓮頭が紫檀製の糸倉にへっついており,ふつうはどちらも接着の悪い材なので容易にはずれてしまいそうなものではありますが。現状接着は頑強でビクともしません。
 なにかホゾのようなものでも噛ましてあるのか,それとも近年誰ぞが超強力な接着剤でくっつけたものかもしれませんが,へんな加工痕や接着痕も見えません----向きとかも正常だし,あまり音に絡む箇所でもないので,庵主としてはできればここは,このままそッとしておきたいところであります。

 今のところ,糸倉に傷らしいものは見えませんね。
 アールがきつめで左右各厚8,弦池が広めなので糸替えなどの操作がラクそうです。

 真正の唐物だと糸倉左右が頭のほうに向かってやや開き,末広がりの形になってることが多いんですが,これはきっちりまっすぐ平行。
 弦池は彫り貫きで,蓮頭取付部のあたりはかなり厚めになってます。内がわに少し作業痕が残っていますが,軽く均されてガタガタにはなっておらず,軸孔もきれいに貫かれて,歪みや縁の欠け等はほとんど見えません。
 向かって右側面先端に少しだけ白太(黒檀や紫檀で色のついていない部分)が混じってはいますが,全体としては非常に良質な素材が使用されています。そもこれだけサイズの紫檀のカタマリでアラがこの程度ですから,現在では考えられないくらいゼイタクな素材をゼイタクに使ってますね~おのれブルジョア起てバンコクのろうどうしや。

 この類の倣製月琴としては棹背のアールは緩く,中央のエグレも浅めになっています。唐物や初期の国産月琴では,ここのエグレがキツすぎて手が滑らせにくくなってしまったりしてる例もありましたが,この楽器の棹はそれらよりはずいふん実用的になってますね。  加工粗もきわめて少ないほうですが,指板面の基部左がわの縁が少しだけ欠けてしまっています。

 断面もキレイに磨かれていることから,これは使用中に欠けたのではなく,原作者が製作段階でやらかしたものと想像されます。たぶん本当は上図のように,うつくしーく末広がりにしたかったんでしょうねえ。
 損傷としては小さなものの,このせいで棹全体のフォルムがちぐはぐなものになっていますし,場所がよりによって音合わせで使う第4フレットの取付位置にかかっていますので,後でなんとかしときましょう。

 続いて糸巻です。
 いちおう4本揃ってますが,見てのとおりうち1本は寸法も材質も異なっており,間違いなく後補ですね。

 ほか1本は先端が折れ欠けており,さらに1本はそれと同じような感じで折れたのを接着剤で継いであります。
 つまり現状,オリジナルでまともに残ってるのは1本だけというわけですが,この1本も良く見ると糸孔のところからぐるりとヒビが廻ってますので,このまま使用できるか怪しい所です。

 材質は黒檀か紫檀かな?
 六角無溝のシンプルな外見ですが,かなり複雑な杢理の材を,それが最も綺麗に見える角度で木取りするという,凝った工作をしています----まあヒビが入ったり折れたりしたのも,間違いなくこの木取りと材質のせいでしょうけどね。
 つまり現状,糸巻は4本残ってはいるものの,使用できるものは0----ドラゴン怒りの糸巻全削り確定であります。


 牛角製の山口には糸擦れの痕が複数付いていますが,いづれも浅いもので,はっきりと糸溝を切った痕跡がありません。
 複弦楽器である月琴は,2本づつ同じ音に調整した弦を,それぞれ2本同時にはじくものなので,本当はここに溝を切ってコースを固定してやらないと,弾いているうちに糸がずれて間隔が開いたり,逆にくっついてしまうことで,調弦がおかしくなったり音が出なくなったりしてしまうのですが。日本の弾き手はそのあたりをあまり気にしなかったらしく,時折このように,山口に糸溝を切らないまま使用していた例を見かけることがあります。
 まあ作ってるがわも弾いてたがわも,よく知らないでやってた楽器ですからね。
 ここは完成後,きちんと糸溝を切って,ふつうに使えるようにしておきましょう。

 そのほか,棹上のフレットが1枚なくなってます。

 ちょうどこの二つの小飾りの間に入っていたんでしょう。
 また第3フレットはかなり傾いて取付けられてますから,これは最近再接着されたものじゃないかな?

 再接着されたものも数枚あるようですが,モノ自体はオリジナルの部品であろうと思われます。竹の皮目をそのまま片面に残したフレットは,国産の月琴で見られるもので,この加工自体はさほど珍しくありませんが,通常は薄く尖らせていることの多い頭頂部(弦に触れる部分)がやや太目にとられており,全体の形状も,唐木や骨牙材のフレットのほうに寄せているようです。
 糸の圧痕・擦痕もしっかり刻まれ,削れてかなり凹んじゃってるものもあるので,ここは全交換ですね。ただここから,これが飾り物ではなく楽器として実際に使用されたものであるところは間違いないようです。

 棹と胴体の関係がどうなっているのかしらべたかったんですが,表板がそうとうに歪んでいるらしく,曲尺や定規だと置いた場所で数値が異なってしまうため,山口と半月の間に糸を張って,それを基準に測ってみたところ----現状,胴表板の水平面と棹の指板面は,ほぼ面一か,わずかに前方にお辞儀をしてしまっているようです。

 実際,接合部の棹背がわがわずかに浮いて胴との間にスキマができちゃってますので,もとはちゃんと背がわに傾いていたのが,使ってるうち棹なかごが反ってこうなったのかも。ただ計測の結果で言えば,もし現在の接合面の角度で胴体についていたとすると,棹は山口のところで胴水平面より1センチ近く背がわに傾くこととなり,棹なかごも表板を突き破ってしまうことになりますので,これは原作者のもともとの工作に問題があるだけのことかもしれません。
 予想される弦高もかなり高めなうえ,山口と半月の間での落差がほとんど出来ませんね。
 このままだとやたら弾きにくい楽器にしかならないので要調整なんですが,前回も書いたよう,この楽器は棹なかごが胴を貫通しているタイプ。庵主もそう数多く扱ってるわけでもありませんし,一般的な構造の月琴より調整しなきゃならない箇所が多くなっているうえ,なかごが長大なぶん,ちょっとした加工の影響が大きくなるので難しいんです。
 ぶあーてぃ…棹と胴体のフィッティングは,ただでさえ毎回もっとも労力のかかる作業ですからね-----こりゃあけっこうタイヘンそうだぞ。


 胴は表に中央の景色が山となる板目の板が使われています。
 裏板はやや柾目っぽくはありますが,おそらくもとは表板と続きの板で,その上にくっついてた部分なのじゃないかと。それを天地ひっくり返して使ってますね。
 表裏ともに小板の接ぎ目が見えません……もしかすると一枚板なのかも。

 表板中央部・景色になっている山の中心を,斜めに横切るように割れが入り,上下をほぼ貫通しています。
 詳しい原因はもうちょっと調べてみないと分かりませんが,部分的に左右に裂けたような感じになっているので,衝撃等によるものではなく,長年の板の収縮により材質的に弱いところから壊れたと見るほうがよさそうです。
 そのほか,地の板の中央付近から半月の右端あたりに向けて,もう1本ヒビが入ってますが,ちょうど半月やバチ布で隠れてしまってるので,これがどこまで続いてるのかは不明です。

 棹口もお尻の孔も工作は丁寧で,比較的きれいに貫けてます。

 よく見ると棹口の上のほうにも,棹なかごにあったのと同じ「を」のシルシが書かれてますね。

 楽器内部も汚れはあまり見えませんね。
 棹口から覗きこんだ感じでは,内桁は中央に一枚,楽器向かって右がわに響き線が通っているようです。

 内桁が少し剥離しているようで,板との間にスキマが見えるところがありますね。実際板をタップしてみても,ボエンボエンと言うばかりでまったく響かないような箇所が多いみたいです。

 胴側,四方四か所の接合部にはスキマが目立ちます。

 月琴の胴体は内桁とここが密着してないと,ちゃんと鳴りませんし響きません。
 経年劣化による剥離だけでなく,元の工作があまり良くないようで,微妙にズレたり食い違ったりしてるとこがありますね。
 内桁の剥離やここの補修・補強等の作業は,とにかくバラさないとどうにもならないので,今回も完全分解・オーバーホールとなるのは既定の路線でありますが,この側面ほぼ全周に彫り物がされてるので,一度バラして組み直した時これがちゃんとつながるか少し心配ではありますとほほ……

(つづく)


依頼修理の月琴(1)

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斗酒庵,重たい月琴に出会う の巻2024.11~ 依頼修理の月琴 (1)

STEP1 君のことが知りたい


 さて,ひさびさの自出し月琴に続いて,こちらもひさびさにやってまいりました,依頼修理の月琴!

 事前のやりとりで,とりあえず清楽月琴であることと,満艦飾な装飾がついてるとこまでは分かってました。画像で見た感じでは唐物月琴っぽかったんですが,お飾りの意匠とか棹の作りとか…何か納得ゆかないところもアリ。
 最近は古い国産月琴に,適当なお飾りをたくさんへっつけて,少しでも高く売ろうとするようなにわか古物屋も多いんで,その類かとも考えたんですが,まずまずは届いてから,と。

 まあ庵主,こう見えても結構な数扱ってますからね!
 実際に見れば,どんな出自のもンか,一発で分かるでしょうよ,がっはっは!


 ------------すみません。分からないです……ナニコレぇ?

 全長:655(含蓮頭)
 胴径:360
 胴厚:40(板表裏各4.5)
 有効弦長:422

 棹は紫檀。胴の主材は鉄刀木のようです。
 胴厚く,全体に平均的な月琴よりは,やや大ぶりに見えます。
 胴側には古梅図漢詩が彫られています。

 コウモリの蓮頭は鉄刀木…この硬い木を良く彫りました。
 高さも厚みも13ミリと,かなり大きめの山口は黒い牛角製のようです。一般的な半割りカマボコ形ではなく,琵琶や現在の中国月琴なんかでも見られる,糸を載せる部分が凹んだ形状になってますね。
 半月も,正体は不明ですが黒っぽい唐木の上面に,薄板で唐草飾りを貼りつけたもの。この後乗せ飾りはたいていツゲで作られることが多いんですが,木目から見てこれは違うようですね。タモの類を染めたのかな?

 胴上,窓飾りはツゲ,柱間の小飾りと鳳凰のついた中央の円飾り,そして左右のニラミは凍石で出来てます。
 糸倉の背がわ先端に,金具で小さな環が付けられています。もともとはここのほか,棹尻のところにある孔に割り金のピンが挿してあり,そこに飾り紐を通す環と飾り金具が止めてあったそうですが,運送時の安全のため,棹を抜く必要があったのでそちらは現在取り除かれています。
 この孔のあいた棹尻のでっぱりは棹なかごの一部で,この楽器の棹なかごは長く,胴を貫通して地の側板から少し出ています。


 これと同様に棹が胴体を貫通するタイプの楽器自体は,お江戸の頃から入ってきてたようですが,明治流行期の「明清楽の月琴」の構造としてはさほど一般的ではなく,流行晩期に輸入された唐物楽器にやや多い感じで,国産の月琴ではじめからこのタイプにしている楽器は,最初期の倣製楽器以外ではほとんど見たことがありませんねえ。
 ちょっと変わっているところは,この棹が,棹本体(紫檀)>正体不明の赤っぽい木>たぶんホオ>紫檀の先端---という4つのパーツの継ぎになっていることですね。
 こういう工作はいままでほかに見たことがないし,唐物の貫通型ではだいたい棹本体と延長材の一段か,延長材の先端に短い唐木材を足した二段継ぎですね。
 工作の効率化や強度のことを考えると,ここの継ぎ数は少ないほうがよろしく,見ばえのためなら先端に短い唐木材を足すだけで良い----にもかかわらず間にもう一段異材を噛ませる理由がイマイチ謎です。

 どこも材質はかなり良く,お飾りの彫りも凝ってて,木部表面もツルツルピカピカ仕上げも丁寧で美しい,それでいて抑えた色調----いかにも文人好みのしつらえという感じです。

 表裏板には書き込みやラベルのようなものは見当たりません。
 棹なかごの基部付近にひらがなの「を」のような墨書が見えますが,これに該当する署名を記した作者を庵主は今のところ知りません。
 また,胴側・地の板に,たぶん「天外紹客」だと思われる銘が刻まれてます。「紹客」というからには紹興のヒトなのかな?とも考えますが,そもこれが楽器の作者なのか,古梅図の描き手なのか,はたまた楽器にこれを刻んだ者なのか分かりませんから。現状,楽器作の作り手について直接分かるような手掛かりはありませんね。

 さて,まずの問題はこれが唐物なのか,それとも国産なのか。

 全体的な印象は,かなり唐物に近いのですが。フレットは皮目を残した煤竹製,うなじはなだらかで,これはどちらも国産月琴で見られる特徴です。

 逆に,蓮頭のコウモリや凍石のニラミ,小飾りのデザインは唐物のほうに近く,それぞれが何であるか,あるていど分かるものになってますね。小飾りのうち3つは,おそらく八仙人をそれぞれの持物で表現した「裏八仙(暗八仙)」,残りは2つづつ吉祥図に良く使われる,「元宝」と「如意」かと----ただこれも,「裏八仙」の意匠に多少の劣化が見られるのと,「裏八仙」なら残りの5つがなぜないのか等,これをもって真正の唐物の証左と言うには弱そうです。

 あと言っちゃうと,工作・加工がちょっと丁寧過ぎる気がします。大陸の楽器だと,かなりの高級品でもどこかしらワイルドなところが見えてくるんですが,この楽器には表面的に見て,そういう「隙」がない。
 神経質な凝り性の多い,日本の職人の手仕事に見えます。
 おそらくは唐物を模倣した,いわゆる「倣製月琴」というものの一つでしょう。材質や工作から見ても,量産品ではなく,特別に作られた一品ものの高級楽器だと思いますが----さて,「モノ」として素材や作りが良いのと,「楽器」として良いものかどうかは,同じようであって異なることも多いもの。

 ----今回の楽器はどうでしょう?


(つづく)


月琴65号 清琴斎初記(6)

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斗酒庵,春秋を思ふ の巻2024.4~ 月琴65号 (6)

STEP6 運河を穿ちお城のお濠を埋めたてた男の楽器は行く

 半月の手入れが終わったところで,全体の組上げに向け,表裏板の清掃に入ります。
 工房到着時の状態では表面板に水ムレの痕が見てとれ,ちょうど胴体の半分ぐらいのところで上下うっすら色が分かれてましたね。

 今回のヨゴレはけっこうキツくしつこく。

 最初の洗浄液は表板の半分ぐらいで真っ黒になってしまいました。あと中央部や左右のニラミ周辺に薄いシミが残ってしまっていたので,清掃作業はなんどか乾燥をはさんで間をおき,楽器の状態を確認しながら3度ほど繰返しました。
 ヨゴレの状態は保存してあった場所や環境の影響もあったのでしょうが,この楽器の表裏板の染めは,二記山田縫三郎のに比べると若干濃く,砥粉もやや多めに感じられましたね。

 けっきょく,このところ修理したのの平均からすると,まだ少し色黒な感じになっちゃったんですが,この色味には桐板自体の質も関係しているようなので,水ムレや大きなシミが目立たなくなったあたりで終わりにします。

 数日乾燥して,いよいよ組立てに入ります。
 まずは半月の接着。
 楽器の中心線を出し,正確に位置決めをします。

 保定中にズレないよう,周りを板で囲んで軽くクランピング。
 一晩置いて完了です。

 これで棹のほうに山口をのせ,フレットを置けばいよいよ楽器としての復活!----と,なるわけなんですが…ここで非常事態発生!!!

 いちおう仮組みして糸を張り,フレットを置いてみたところ。
 低い,低すぎる!

 フレットの頭と糸の間が3ミリくらい開いちゃってますね----残念ながら,このオリジナルフレットは使えませんや。

 前回書いたよう,半月にはすでにゲタを噛ませてありますので,そっちの弦高はもうじゅうぶんに下がっているはずです。
 さらに山口のほうをさらに2ミリほど削っても,オリジナルフレットがまともに使用できるような高さにまで糸を下げられませんでした。こうなるともうあとはどっか削って棹角度の設定を変えるとかなんですが,これも前の記事で書いたように楽器自体がかなりギリギリな作りなので,これ以上は難しい所……現状の弦高に合ったフレットを作り直したほうが断然早いですね。

 補作のフレットは竹製。オリジナルフレットが真っ白な骨牙製でしたので,山口も色を合わせて白っぽい材料で作ってたんですが。かなり削っちゃったので,またツゲで作り直しました。板がちょいと色黒ですし,竹フレットもこれに合わせてちょっと濃いめの色に染めるとしましょう。
 新旧のフレットをならべてみるとこんな感じになります。

 新旧の高さの差は最大で2ミリ近く。
 他の作家さんの楽器でも似たような事態はちょくちょくあるんですが,これは当時の職人さんの「フレット楽器への無理解」のほか,こうした量産楽器では生産数を上げるためもあったかと思います。

 この楽器のフレットの加工は,本来なら庵主がやっているように,個々の実器合わせで正確な設置位置を探りつつ,各フレットの頭と糸の間をギリギリに,かつ前のフレットに干渉しないような高さに調整してかなきゃならないんですが,これは手間もかかるし時間もかかる。
 そこで基準となる楽器,あるいはスケール定規のようなものを用意して,それを参考にフレットの位置をどの個体でも同じ固定のものとし,各フレットを本来の理想的な高さよりいくぶん低めに製作する事で,製作と調整の手間を省き,製品としたときの歩留まりを回避したのだと考えています。

 まあ,このころの日本人にとって,月琴と似たようなフレット楽器となると琵琶くらいなものでしたからね。薩摩や筑前といった同時代に一般的であった日本の琵琶は,糸が太く弦高がきわめて高く,フレットは少なく,細かな音程は弦をフレットに「押しこむ」ことによって取ります----だからたぶん,月琴もそうやって「糸を押しこん」でも問題ないくらいに思ってたんでしょうね。

 琵琶とは違って月琴のフレットは基本的に1枚で1つの音にしか対応していません。弦長が短く糸のテンションも弱いので,琵琶のように押しこんで押さえると音程が安定しません。いくら「正確な位置」に設置してもあっても,「正確な音」は出せないんですね。そのあたり何となく伺い知れるのが,下に掲げた音階調査表----

開放
4C4D+104E+74F+114G+144A+115C+275D+45F+29
4G4A+114B+45C+65D+145E+25G+165A+45C+27

 このころの月琴としてはかなり露骨に西洋音階寄りですね。これは頼母木源七や山田縫三郎が,ヴァイオリンとかも作る人だったからかもです。清楽の音階としてはEのところが30%くらい低いのがふつうですが,西洋音階準拠と考えると,チューナーで測って,平均10%前後の誤差なのだから,かなり正確なほうです。
 ほぼ均等な低~中音域に比して,高音域,特に最後の3枚のあたりで誤差の幅が搖動し,最終フレットで30%近くになっているのは,高音域のほうが耳で差異を拾いにくいのもありましょうが,まさに上に書いたよう,オリジナルのフレット高では音程が安定しなかったろうことも影響しているかと思います。

 さあて,まあフレットの問題が片付きますれば,あとは組上げです!
 オリジナルのお飾りは左右のニラミと,窓飾り。ともに細工も良く,唐木のそこそこ上等な材で出来てます。剥離の際に片方がバラバラに割れてしまいましたが,すでに修復済。これらはキレイに清掃して,さッと油拭きすれば元のツヤが甦ります。

 欠損していた蓮頭も用意しました。
 清琴斎初記の楽器は参考となる例が少ないので,二記・山田縫三郎の作例の中から,最もここの工房のオリジナルだと考えられる意匠を撰んでます。
 とはいえ,これ自体,田島真斎の楽器に良く付いていた蓮頭の模倣ではあるのですけどね。

 糸巻は2本がオリジナル,2本が補作。
 ベンガラとスオウで似た感じに補彩してあります。今はまだ補作のほうが多少色濃いですが,数年するとスオウが褪せて,似た色合いに落ち着くでしょう。

 最後にバチ布と修理札を貼って,2024年11月19日。
 「運河を掘ってお城のお濠を埋めた男」こと,
 清琴斎初記・頼母木源七の月琴,修理完了いたしました!!


 銘は「孤雁」,添詩は----

 寒蝉数弄咽柳條  寒蝉数弄,柳條に咽び
 孤雁一声堕江浦  孤雁一声,江浦に堕つ

 誰の詩の一節かは検索してや。

 うん凄い----「透徹」とでも形容しましょうか。
 輪郭のはっきりした,澄んだ音の楽器です。
 余韻もすごいね----「中途半端なカタチ」なんて言ってゴメン。直線型より深みがあり,曲がりの深い線より胴鳴りが発生しにくい。うちのZ線と同様,直線と曲線の特性のイイとこどりしようとした構造だったんですね…まあZ線と違って曲げが微妙なので,この部分に関しては生産性が良くなさそうです。

 木部の工作自体は精密で頑丈ではあるものの,棹と面板が面一だったことや,響き線にちゃんと焼きが入ってなかった事を考えると,オリジナルは操作性も若干アレだし,響きもこんなにはなかったと思いますよ。元は楽器として考えると「悪くないけど良くはない」程度の数打ちの量産品だったと思われますが,この楽器にとっての理想的な設定に近づけるべく調整に調整を重ねた結果,現状は市販車がレーシングカーになっちゃってる,みたいな感じですね。
 胴の厚みがあるわりに多少楽器が軽めなので,ふだん重たい楽器使っている人には,取回しに少しだけ違和感があるかもですが,現状,その程度しかアラが見つかりませんね。

 ただコレ…正直,まったく素人さん初心者さん向きの音ではないなあ。

 あまりにも「音の輪郭がはっきり」しているので,上手い人は上手く,ヘタクソはヘタクソに聞こえます。上手く弾ければそのまま上手に聞こえますが,ちょっとミスすれば誰の耳でも聞き取れる感じ。デバフはかかりませんが,補正もかかりません。

 個人的にはジャズが似合う音だと思いますよ。

 ゆうつべのほうに試奏あげています。聞いてみてください----

  1)Moon River
  2)Fly Me to the Moon

 修理は終わりましたが清琴斎初記のお話は,あと1回続きます!
 といったところで請読次回。


(つづく)


えいこうの月琴WS@亀戸!ラストワルツ!

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斗酒庵 WS告知 の巻月琴WS@亀戸・最終回! 2024年12月!!!



 

 

*こくちというもの-月琴WS@亀戸 ラストWS のお知らせ-*


 
 2024年,12月の月琴WS@亀戸は,討入もクリスマスも越えた28日(土)の開催予定です。



 会場は亀戸 EAT CAFE ANZU さん。
 いつものとおり,参加費無料のオーダー制。
 お店のほうに1オーダーお願いいたします。

 長年会場を提供してくださっていたANZUさんが,年内でお店を閉じられるため,@亀戸での開催は今回でラスト!!----いまのところ1月以降はなんもかんも未定ですので,この最期の機会にどうぞお立ち寄りくださいませ~。

 なお,いつもどおりお昼さがりのゆるゆる開始ですが,ANZUさんフェアウェルとも重なるので,17:00までの早じまいの予定です。

 参加自由,途中退席自由。
 楽器は余分にありますので,手ブラでお気軽にご参加ください!

 初心者,未経験者だいかんげい。
 「月琴」というものを見てみたい触ってみたい,弾いてみたい方もぜひどうぞ。


 うちは基本,楽器はお触り自由。
 1曲弾けるようになっていってください!

 



 

 

 

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