松音齋の月琴
![]() 松音齋の月琴,到着す ![]() こんなHPを垂れてますが,べつだん楽器の修理を商売としているわけではないので,他人様のを直すのは実質はじめてですが(「おりょうさんの月琴」はお寺のモノなので,人の所有物でわない)――シロウト修理ながら少しはオボエもあることとて,出来るだけのことは,やってみることといたしましょう! 今回の月琴には,裏面中央の上の方に「松音齋」という小さな紙が貼られております。 おそらくこれが,製作者の銘ではないかと思いますので,この月琴を「松音齋の月琴」と命名――え?まンまやんけ…って,わたしはネコに「ネコ」って名前を付けるニンゲンですぞ! 古物の月琴というものは,まず間違いなくどこかが壊れているか,部品が二つや三つかならずなくなっているもので,この月琴のように,ほとんどの部品が揃った状態であることはキセキに等しいのですが,揃っているからと言って完全に「弾ける状態」であるとは限りません。 依頼者が購入後,実際に糸を張って弾いてみたところ,演奏上の不具合としては―― 1) 糸 が す ぐ ゆ る む。 2)低 音 絃 の 音 が こ も り が ち。 3) 高 音 域 の フ レ ッ ト に ビ ビ り。 また―― 4)裏 板 に ヒ ビ 数 箇 所( 増 え て る ? ) 5) 棹 が 抜 け る。 ――と,いうような不具合があることも判明。 実際に手にとって見てもかなりキレイな保存状態で,一見何も問題はなさそうに見えはしますが,こういう年月を経てきた古い楽器は,表面上は何ともなさそうに見えても,どこに故障が隠れているやも知れぬもの。外側,内側,とにかく隈なく調べてみんことには,原因も何も分かりませんが,どこかしらコワれてることは確か。 幸い,修理中の4号,おりょうさんの月琴ともに,仕上げ段階で塗装の乾燥待ちのほか,さしてすることがない――ここらでもう一台増やしても大丈夫,でしょう,かね? オレ。 |
修理前所見 ![]() 1.全体の採寸ならびに損傷箇所簡見 全長 635mm 胴径 350mm 厚 40mm うち表板(平均)5mm 裏板 3.5mm 棹長 294mm 糸倉 140mm 指板部 143mm 絃長(山口-半月) 415mm ![]() ■ 側板,棹など木部表面の状態はしごく良好。染色,艶とも保存よし。木部表面は柿渋染めのあと,生漆で拭いてあるようだ。 ■ 裏板中央および右肩部にヒビ(←),中央のものは棹下「松音齋」のラベルから,胴径の4/5にまで達する。 ■ 裏板右端中央あたりに虫食い。 ![]() ■ 棹基部の接着がはがれ,棹が脱落する状態となっている(→)。 ■ 側板の接合工作は良く,顕著な歪み等は見受けられない。ただし例によって経年の風化により,ニカワはほとんどはがれている様子。下部左右の二箇所,裏板との接着部にウキがみられる。 ■ 柱の工作よろしからず。太すぎ。また第5柱高音部に減りかカケあり。 ■ 柱現位置に疑問。前修理者の仕業か。胴上の4本は,だいたいオリジナルの位置と思われるも,棹上のものは等間隔に取り付けられている。木工ボンドか。 ■ 絃停,ボロボロになり,はがれかけていたものを前修理者が再接着か? |
2.細部ならびに各部品・所感 ![]() ** 材質はカツラか,茶ベンガラとウルシで上品な色に仕上げてある。糸倉の大きさに比すると,やや小さいように感じる。意匠はコウモリ。 ◎ 糸倉:損傷なし。 ** 天に別木を挟む組木。正面から見るとさほど気にならないのだが,軸をはずしてみると,下2本の軸孔の間隔がやや狭く感じる。 ◎ 山口:オリジナル。 ** 小型月琴でよく見る富士山型。象牙か練物か現状では判別不能。 ◎ 軸:長(平均) 115mm 最大径 28mm。 ** 3本オリジナル,1本後補。 ![]() ** 断面で見たとき,ほかの月琴のような逆カマボコ形(三味線の棹などと同じ)ではなく,ほぼ角を落とした正方形となっている。 ◎ 指板:紫檀と思われる薄板を接着,厚 0.2mm ほど。 ** 驚異の薄さだが,正直あまり意味のない加工。ヒビが数箇所に走るが,浮き上がりはなく,健全である。 ◎ 柱:オリジナル。山口と同じ材質。 ** 工作はそれほど良くない。とくに月琴の柱としては,やや厚すぎるように感じる。 ![]() ![]() ** 形式は「おりょうさんの月琴」と同じだが,工作の精度はこちらのほうがずっと上。例によってニカワはとんでいるようだが,全体に食い違いはわずか,めだったスキマは見られない。 ◎ 目摂:オリジナル。 ** 目だった損傷はない。左右の意匠は菊。中央の扇板は不明。 ![]() ** 材質はおそらく紫檀。形状はは4号月琴のものによく似ているが,糸孔の配列がVではなくハの字型である。 ◎ 絃停:たぶんオリジナル。ニシキヘビの皮。105×80mm。 ** おそらく何度か直しているが,あちこち裂けてボロボロになった皮をまた,そのまま貼りなおしたもののようだ。 |
修理開始! STEP1 裏板はがし ![]() 柱や目摂は簡単にとれるのですが,絃停がちょっと難物。前の所有者は,同じ皮を,ボロボロになってもなお何度も貼り直したようです――ちょっとけなげというか何というか。 ■ ハケで水を含ませながらひっぺがし,剥ぎ取った後を刃物でこそげて(←),皮の残りやノリのかたまりを取り除きます。これをちゃんとしておかないと,後でここだけつるつるしたヘンな色になったりしますので,けっこう時間をかけて丁寧にします。 ちなみに接着剤はフノリのようです。 内部観察 ![]() 今回も裏板の接着が見事で,かなり手こずり,裏板周縁部にいくらか損傷を出してしまいましたが,側板にはほとんどキズをつけず剥ぎ取ることに何とか成功。 では,以下内部観察結果,報告です。 ![]() ** 目の詰まった硬く赤っぽい木。おそらくカバかサクラ。部材切り出しの技術はかなり精度が高く,4枚ともにほぼ同形同寸で,中央部もさほどぶ厚くはなっていない。 ** また,他の月琴では顕著な鋸目がほとんどなく,内辺はなめらか。部材切り出し後,カンナで整形したものと思われる。 ** 各接合部裏面にかなり多めにニカワを盛った痕があるが,すでに風化してボロボロ。面板と凸凹組のおかげではずれていないだけにすぎない。表面からはさして大きなスキマは見えないが,やはり組み合わせの工作は不完全で,部材同士は密着しておらず,裏面から見ると各接合部に最大 1.5mm 幅程度のスキマが見受けられる。 ![]() ** 配置は4号に近く,取り付け方法は「おりょうさんの月琴」同様,ホゾにはめず胴内壁に直接ニカワ着けするタイプだが,工作は良く,胴体・表板と強固に接着されている。ただし,上桁の取付はずいぶん斜め―故意の工作か手ヌキの結果かは不明。上桁には音孔はなく,左端に響き線を通すための円孔が穿たれているのみ。下桁は中央に一つ。 材質はおそらくヒノキ。 ◎響き線 鋼線,半円弧。 ** 左側板のやや上に直接,鉄釘で止める。25mm 程のところから円弧を描き,上桁の円孔を通り,2/3ほどのところで下桁中央の音孔にわずかにかかり,右へと抜ける。サビ浮くも健全で,焼入れもきちんとされているらしく,感度・音ともに素晴らしく良い。 ![]() ** 棹は4号と同様の継ぎ方,ただし延長材の材質は不明。丁寧な工作ではあるが,補填材なしで脱落しないほど精度は高くない。棹基部に墨で目印。ちょうどその下の表板上には,エンピツで指示線が書かれている。 (06.01.28) |
STEP2 接合部の補強 ![]() いよいよ修理にかかります。 ■ まずはニカワがとんでスキマが出来ている側板の接合部を再接着。部材のスキマを刃物の先でこそいでキレイにしてから,新たにニカワを流し込み,キリをうすーく削いだ板をかまします(←)。 ![]() このあとは紙の上から柿渋を数度塗って強化したうえで,ウルシ塗料を塗れば,補強・防虫・防湿,いづれもバッチリであります。 (06.01.29) |
STEP3 裏板の継ぎなおし ![]() 左肩にあったヒビは,部材の収縮で桐板の継ぎ目が裂けた,ふつうのものですが,中央の大きなヒビは,虫食いによって板同士の接合が弱くなったのが原因のようです。表面からは見えないのですが,ちょうど中心のあたりに,細ながい虫食い穴が,板の継ぎ目に沿って走っていました(← 下写真)。 ![]() ついでに長い間割れたままだったせいで,板が多少狂って,継ぎ目のあたりが反ったりしていますので, ■ 数箇所にリューターでくぼみを彫りこみ,クサビ板で固定。(→) ■ 修理箇所の補強に和紙を貼り,柿渋で強化。 補強に貼った和紙は,乾燥後不要な部分をペーパーでこそげ落として,必要最小限の範囲に――ハイ,元どおり円い板になりました。 今度はほかのどこかが割れるかもしれませんが(^_^;),とりあえずここで修理した部分は,そうカンタンにヒビますまい。 (06.01.29) |
STEP4 軸の再製作 ![]() ![]() 軸先のほうにベンガラか何かと思われる,茶色い塗装痕が残っており,たぶんほかの月琴の軸を削りなおしたものと思います。加工は雑で,先がやや細すぎ,糸倉との噛み合わせもイマイチです。 ![]() オリジナルは一見,ツゲみたいな黄色をしてますが,例によって材が何なのか分からん。とりあえず「おりょうさんの月琴」で使ったカツラの角棒がまだ残っているので,これで作ること――さて,でもそのままだとちょっと色がね…。 で,月琴の表板を染めるのに使うヤシャブシの液を塗ってみました。おおーっ…「カツラの七化け」良く染まります(← まだ途中ですが)。けっこうツゲっぽいじゃん。 ■ ついでに山口さん(ナット)を作っておきます。 上写真,奥。右がオリジナル,左が新しく製作したもの。 オリジナルの裏側をちょっと削って,ニオイを嗅いでみたところ,刃先の感触といい,ツメに似たニオイといい,間違いなくムクの象牙であります。 斗酒庵製のツーピースなんかよりよりずっと高級ですが,良材かならずしも良音を出さず――というか調整のために削ったりしなきゃならんかと思うとモッタイナイので,象さんキバのオリジナルは後世のためにとっておきましょう,そうしましょう。 (06.01.30) |
STEP5 表板清掃 ![]() さて,今回は側板の塗装等,ヨゴレ作業がもうあまりないので,ここらで表板をある程度キレいにしておきましょう。 ■ 表板にエタノールを垂らしては,#240 の耐水ペーパーで擦ってゆきます。 ヨゴレているのはごくごく表層だけなので,削る,ってほど強くでなく,垢すり程度のキモチで木目にそって擦りあげてゆくと,濃い黄土色の汁と,モロモロしたものが沸いてきます。これをボロでぬぐいながら…ハイっ!出来ました(←)。 一番下のナベの中身は,作業後,ボロを洗った汁。 こすると出てくるモロモロと黄土色の汁の正体は,表板についたヨゴレと,桐板を染めるのに使われたヤシャ液なんですが,この汁の色,まさしくヤシャ液そのものであります――リサイクルできんかな? とか考えてみる。 第一次のクリーニングは終わり。あとは乾燥させて,表面の様子を見ながら,細かいヨゴレやキズをぬぐいます。 (06.02.04) |
STEP6 裏板再接着 塗装作業がないと早いなあ。 さて,いつものことながら,内部構造が見えなくなると,なにか「おナゴリおしい」ような気がしますが,裏ブタをしめないと弾けないわけで,名残を惜しんでもいられません。 ■ 裏板を貼る前に,まずは棹を再接合。 始めはオリジナルどおり,側板との合わせ目部分のみにニカワを塗って接合してみました。製作当初は部材の噛み合わせも完璧で,この工作だけで抜けなかったでしょうが,今はアナが広がり,ユルくなってるので,結局,桐の薄板を削ったのをおしこんで,内側からクサビを噛ましておくことに。 たった二箇所ですが,たぶんこれでそう容易くは抜けないでしょう。 ![]() ![]() ■ 裏板再接着。 工程はほかの月琴と同じ。 最後にクランプを等間隔に配置して一晩おいときます。 翌日,クランプをはずして裏板をクリーニング。「松音齋」のラベルを傷つけないようにこするのが,ちと難しかったですが,やりかたは表板と同じです。 |
STEP7 仕上げ作業(1) 仕上げ第一段階は表裏の板の表面処理と,フレット立て。 ![]() ■ 表裏板はヤシャ液+砥粉を拭いて,クリーニングで白っぽくなっちゃった木地の黄金色を復活。仕上げにカルナバ蝋の粉をふりかけて磨きあげます。 ■ フレットは黒檀+象牙のコンパチ。 当初は棹上のフレットがほぼ等間隔に(木工ボンドで)接着されてたりしたのですが(古物屋の仕業ならん)。製作者が指板上に,ケガキでシルシを付けておいてくれたおかげで,オリジナルの位置は判明――スゴいな。例によってチューナーで測りながら,フレットを立てる位置を探っていったんですが,ほとんどすべてのフレットが,けっきょくほぼオリジナルどおりの位置。いままで修理したものの中で,ここまで精確だったことはありません。 ![]() この付近でビビりが発生した主な原因は,この部品の加工不良にありますが,そのほか,この月琴は1号と同じく,棹がわずか~に背面に反って取り付けられているため,フレットの高さがちゃんと調整されていないと,その周辺が音の響きが死んじゃう場所,デッド・スポットになってしまいます。ただでさえ絃がほかのフレットにふれてビビってるとこに,響きもない。依頼者の感じた「低音の違和感」も原因の一つはここにあると思われます。 さて,今回の修理でも,毛先一本,高いとビビるし,低いと響かなくなる――この第4~第5フレットの調整にはかなり手こずり(^_^;)。試作品,全部で4~5本,オシャカりました。 ![]() 今回は帯地のハギレ,流水小桜紋ですね。正絹ではなくレーヨンですが,まあ,虫食いがないからいいか。 和紙を重ね貼りして裏打ちし,柿渋を拭いて,ちょっと褪せた,落ち着いた感じにしてみました。どだ? ![]() 当初は枯れたようなぼやけた色をしていたんですが,荏油を拭いて磨いたら,紫檀のような濃い赤茶色になりました。ベンガラ染めに拭き漆だったかと。 |
STEP8 仕上げ作業(2)――低音絃の軸孔の調整 依頼者も「低音絃がすぐユルむ」と言ってました。 フレットを立てるため糸を張ってみると,確かに軸がすべって,つるりつるりとよくユルみます。 軸自体が長年の使用によって減っていることもあるのですが,低音絃にくらべると,高音絃のほうはそれほどでもありません。軸をあちこち取り替えてみても同じ。 なもので,糸倉にあいた孔のほうを,あらためて観察してみますと―― ![]() 上二本の軸の,太いほうの孔の内側周縁に,かなり大きなエグレがあります。 これは後でつけられたキズではなく,製作時からあったもののようです。下二本の孔の周縁はキレい――このエグレとその後の使用によって,軸孔の一方が変な形に広がって,固定が悪くなっているのですね。 ためしに孔の内部をエンピツで汚して軸をさしこんでみると,細い方は黒くなるのに,太い方にはほとんどつきません。 ■ 軸孔の内側に薄い和紙をニカワで貼って,軸とのスキマをせばめます。 和紙にはさらに柿渋を染ませ,上から合成ウルシを刷き,乾いてから,軸をさしこんで様子を見ながら磨いて調節しました。 |
修理後・所感 ![]() ● 明治中期以降に作られた月琴である。 それほど自信はありませんが(^_^;)。響き線のとめに四角釘が用いられている点は,江戸以来の古例に倣っているが,一つには内部に見える指示線などがエンピツで書かれていること,またオリジナルのフレット位置から推測される音階が,かなり精確に西洋音階をなぞっていることなどが,推測の理由としてあげられます。明治末から大正初期か。 ● 材料や工作からいうと,楽器としてのランクは中の(かなり)上。 この上のものは,もう黒檀や紫檀で出来ていまーす。といったところか。その工作には他人の手が感じられない。部材の切り出しから,組み立て,飾りや柱の取り付けまで,おそらく一人の職人が一貫して行ったものと思われる。 ● 以前に数度修繕されたことあり。 ネオクに出品した古物屋が最後であろうが,そのうちの一回は,おそらく製作者の手によるものと思われる。裏板周縁の下部にある貼りなおしの痕がそれで,裏板はもしかするとこのとき貼りなおされたもので,製作当初からの部材ではないかもしれない。 次が第五フレットと後補の軸で,加工の水準から見て,これらは同じ時に作られたものではなかろうかとも思う。 手の小さなわたしには,棹がやや太めに感じられるのだが,演奏上はじつに扱いやすい。当初,やや不自然に感じたその四角い断面も,実際に持ってみると,そのおかげで楽器が自然に,最適の演奏ポジションにおさまってくれる。 音色的には,明るく,クリヤーな音であり,内部の「響き線」もほどよく共鳴し,無駄な鳴りもそれほどない。 じつに優秀な楽器であります。末永く大切にご愛用のほどを。 「おりょうさんの月琴」の修理中に,それに近いタイプの月琴が,それもほぼ完全なカタチで手元に来るというのは,ともかく因縁めいたものを感じるなあ。とてつもなく参考になりました。 |
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