鶴壽堂月琴
![]() 鶴壽堂月琴 ![]() 「4号」「おりょうさん」,ともにはじめての本格ウルシ塗りに手間取り,部屋の片隅の仮ムロにぶるさがったまま,約1ヶ月が経過しております。この間,ボディに塗装の用がなかった「松音齋」は早々と修理完了。依頼主の元へと帰ってゆきました。 ――で,ワタシ,さみしいの。などと頬杖をついていたら,またまた月琴がコロがりこんできてしまいました。もうなんも言わん!わしゃ月琴修理で今年も終わるんじゃ! 背のラベルに「鶴壽堂」とありますので,以下この月琴は「お鶴さん」と呼ぶことといたしましょう。さん,ハイ―― 「おつうさ~ん!」 ヨゴレで分かりにくいのですが,側板や棹はウルシではなく,飴色のニスのようなもので塗られてますし,このラベルも洋紙にしっかり銅版印刷されたものですから,明治の後期以降,比較的新しい時代に作られた月琴だとは思います。 内部構造の手ヌキを除けば,「松音齋」のウデ前はなかなかのものでしたが,この「鶴壽堂」さんはどうでしょう。 ――期待でドキがムネムネいたしますねえ。 | ||||
修理前所見 ![]() 1.全体の採寸ならびに損傷箇所簡見 全長 660mm 胴径 357mm 厚 38mm うち表板(平均)5mm 裏板 3.5mm 棹長 290mm(蓮頭をのぞく) 糸倉 152mm 指板 139mm(+ 山口取付部分 10mm) 絃長(山口-半月) 421mm ■ 表裏板のヨゴレ,かなり。表板に使用痕,キズ多数。三味線のバチ痕と思われる。 ■ 裏板右下に径1mmほどの虫穴。そのすぐ左横,板の継ぎ目にヒビ。板接合部内部に虫食いがあると思われる。 ■ 側板・棹もかなりのヨゴレ,褪せ。ただしキズはあまりない。 ■ 側板接合部,工作上々。部材の木口同士を接着しただけのふつうの接合だが,スキマ,ユガミほとんどなし。 ■ 左上接合部付近に表板のハガレ。長150mm。 2.細部ならびに各部品・所感 ![]() ** 材質不明。唐木の類でないことは確か。彫刻なく,刻みは柔らかで,全体に丸っこく,最下部のトンガリもひかえめ。 ◎ 糸倉:損傷軽微。 ◎ 軸:全欠落。 ** 天に別木をはさんだ組木型。工作良く,左右の厚さは7~8mm ほどしかない。 ** 軸穴も小さく,径大9mm-小7mm。内側に軽くウルシを刷く。 ** 糸倉の材自体は健全だが,軸穴上2コ,大きなほうの縁周に,使用によって圧迫され,わずかに変形した痕がある。サイズの違う糸倉を挿してみたか,経年の使用によるものかは分からないが,軸穴内部の塗装がさほど損傷していないことから見て,前者ではないかと思われる。 ![]() ** 山口の前で切れる「おりょうさんの月琴」と同じ型。ただし厚みは「松音齋」のほうに近く,1mm ほどしかない。材はおそらくタガヤサン。 ** 指板上のフレットは1コのみ存。3号4号と同じく竹製で,表皮部を胴体側に向けたもの。工作は悪くないが,いままでの例にくらべるとかなり厚く感じられる(底部で厚5mm 以上)。 ** 指板上のフレット痕,あと3ツ確認。棹上に第4フレットをおくロングスケールタイプならん。 ◎ 目摂:オリジナル。 ** 右がやや黒っぽく変色するも,キズなく健全。材質はもしかすると紫檀。やや厚めで彫り線が細い。左右の意匠は牡丹。真ん中は結紋。 ![]() ![]() ** こういう材質感のものははじめて。くっきりとした木目のある木で,おそらく蓮頭と同材だろうが,例によって正体不明。糸孔の配列はV字,孔の径はきわめて小さい。 ** 半月内部,高音絃側に,何かちり紙を丸めたようなものが,糸で巻かれて入っている。 ** 絃停はもと紺か緑地の錦布だったようだ。すっかり色も落ち,今やかすかに模様がうかがいしれるのみ。 | ||||
修理開始! STEP1 小部品の除去 ![]() 三味線のバチを用いた場合でも,通常の演奏をしていれば,こんなところにキズはつかない――ナゾですね。 大作業にかかる前に,目摂とか柱といった細かい部品は,いったん取り去っておきましょう。 ![]() ■ 目摂は同様にしてから,周縁のあちこちから均等に,刃物で持ち上げるようにしてはずします。 ■ 絃停も筆で全体に水を含ませ,はじのほうからひっぺがしてゆきます。ちゃんと和紙で裏打ちしてあり,ノリはあまりゴベゴベとついてませんでした,アリガタヤ。 今は真っ黒な布切れにしか見えないんですが,剥がしたあとの裏地から見るに,もとは緑色の地に,薄い銅色の花唐草紋が踊っている,渋い錦布だったようです。 ![]() この色から推して…左右二つはおいといても,この部品はおそらくベンガラかなにかで染められてるんでしょうね。 部品をはずしたあとに,もう一度水を含ませて,残ったノリやニカワを布でかるく拭い去っておきましょう――あとの仕上げ作業がラクになります。 | ||||
STEP2 裏板はがし 内部観察 今回の月琴。裏板の接着はやはり完璧に近いものでしたが,ニカワ付けがそれほど強固ではなく,楽器左肩のハガレてる接合部のあたりにあったスキマから刃物を入れ,そのスキマと板の周縁を水で濡らしながらすこしづつハガしてゆきました――1時間以上かかりましたが,結構キレイにハガ…ややっ,これはなんじゃ! 何か書いてあります。 墨書が出てきました! ![]()
裏板の3行目,表板の後2行――カンジンの名前のところが読めましぇん。しかも[ ]内は自信ナシ。 表板と裏板で,まる一年違ってるのというはちょっとナゾですが,でもまあ,とりあえず明治36年に名古屋で作られた楽器であることが分かりました。百三年前の楽器かあ…そういえば大正琴の発明者・森田吾郎さんも名古屋の出身でしたね。しかも月琴奏者でもあったとか。何やら縁がありそうななさそうな。 ![]() ** いちおう真ん中が厚く,両端が薄い…ほかと同じ部材どりにはなっているのだが,全体に分厚いためか,両端と中心部との厚みの差もあまり感じられない。木口接着のみの単純な接合だが,板が厚い分,作業がしやすかったのか,部材同士のすりあわせはかなりきっちりしており,楽器右肩の接合部などカミソリの刃も入らない。ハガれている左肩のスキマでさえ,テレホンカードがやっとである。 ** 材質は「松音齋」と同じ,赤っぽい色の木(おそらくカバかサクラ)。内面の処理も「松音齋」と同様,鋸痕がきわめて薄く,ヤスリかカンナで少しなめらかに仕上げられている。 ![]() ◎棹取り付け基部 ** 4号と同様の継ぎ方。工作は悪くない。上桁が近いだけ,同タイプのほかの月琴に比べると短い。長 115mm 幅 18-12.5mm 厚 15-10mm。 ** ふつう延長材は棹と異材のスギかヒノキを継いであることが多いが,この月琴は棹と同じ材をわざわざ継いでいる――ほなら,最初から一木造りにした方が良かったんとちゃいまっか?――とは考えるものの,整形や後での微調整など実際の作業を考えると,このほうが容易いかもしれない。 ** 裏面根元のところに,幅1cm ほどの薄板を貼って調整している。 ** 表面根元に「ま」とエンピツ書。 ![]() ** 上が短く,下が長い。側板にホゾを切り,両端をハメこみ。中央よりやや上に配置。 ** 音孔はいづれも左右に2つ。きっちり長方形にくりぬかれているが,効果を考えるとやや小さいか? 上音孔 54×12mm ×2 下音孔 90×12mm ×2。響き線の構造・配置から考えると,両方とも二つ孔である必要はなさそうだが? ◎響き線 真鍮線2本,真っすぐ。上 265mm 下 165mm 径 0.6mm 程度 ** 楽器左側板中央(高音絃がわ)に長いのが,右側板下部(低音絃がわ)に短いのが2本ささっている。留め釘のない直ざし。 ** 当初,灰緑色のサビに薄く覆われていたのを軽く磨いてみると,黄金色の地肌が出てきた。真鍮線と判明。 ** 今まで見たハガネ線のものよりかなり細いので,振動に対するレスポンスはさほど大差ないが,音質的にどのような差が出るのかは不明。 ◎そのほか ** 墨書のほかにエンピツによる指示線,指示書アリ。 ** 表板:「や 表」。裏板:「や うら」。 | ||||
STEP3 接合部再接着・補強 今回の月琴は部材が厚いぶん作業しやすかったのか,各接合部とも木口と木口ぴったりと密着するよう,きちんと擦り合わされています。 しかしながら,時のチカラというものはオソロしいもので,やっぱり部材同士を貼り付けていたニカワは飛んで,今や接着されたままなのは右肩接合部のみであります。 ■ 作業はいつものとおり。 ![]() 次は新しいニカワをユルめに溶いて,流し込む――と,これもスキマが狭くて,なかなか木口全体に行き渡りません。ニカワに水を足して,さらにユルく溶き,両手で部材をひっぱり,スキマを広げながら,筆で流し込みました。 ■ 楽器左肩と対角線の右下は,表板もハガレてますのでこれもついでに接着(←)。 ![]() 表面が滑らかなんでいくぶんラクであります。乾燥ののち,柿渋を染ませて,表面をウルシ塗料で保護。 | ||||
STEP4 各部第一次清掃・補修 ![]() 蓮頭や楽器の肩の部分のヨゴレは,もう表面の塗装と同化しちゃっていて,濡れ雑巾くらいじゃとてもとても…細かい目の耐水ペーパーに,エタノールを付けて,コスコスします。 オリジナルの塗装をなるべく傷つけないように,慎重にコスコスコス…。 細かいキズやヘコミのなかに入りこんだヨゴレまではムリですが,表面を曇らせていたヨゴレはあらかたとれたかと ![]() 墨書もあるし,あんまりいじりたくない箇所なんですが,この部分の板は,もー薄皮一枚状態になってしまってますんで,見てみぬふりしたままだと,弾いてるうち,ズボッ!と大穴があいちゃうかもしれません。補修しておきましょう。 ほじった孔の内側を多少キレイに均してから, ■ 中心の一番大きなところのカタチに桐板を削って,埋め込みます。 ニカワを塗り,はめこむほうの板を水ですこし湿らせてから,焼き鏝でイッキに接着。枝分かれした,細かなぐにょぐにょ孔の痕は木屑を混ぜたパテで埋めます。もともと表面には1ミリほどの孔が一つあいていただけ,裏側からの作業なもんで,裏板表面からはほとんど分かりません。 ありがたいことに,虫食いはほとんどこれ一箇所。それにしても一匹の虫がここまで食い荒らすのかとカンシンいたしました。 | ||||
STEP5 軸(糸巻き)製作! ![]() 今回の月琴では,4本ぜんぶ無くなってしまっているので(良くある),もともとどんなのが付いていたかは分かりませんが,胴体や棹の色が,少し前に直した「松音齋」に似てますから,今回はアレのを真似して黄色っぽい色の軸でイってみましょうか。 ■ いつものように材はカツラ。休日のある日,まずは材料四本分を,長 115mm 程度,四面を斜めに削ぎ切っておきました。(写真上) あとはヒタスラ,ミニカンナとヤスリで削るダケ。「おりょうさん」の軸をこさえた時,イッキにやって腕が飛雄馬りましたので,一日一本,四日で四本!――と今回は決めて作業をいたしました。のんびりいこうよぉ~。 ■ はじめは「松音齋」のと同じに,三本線彫りこもうと思っていたんですが,今回の月琴は蓮頭や半月にも装飾がない,ちょっと「実用本位」っぽい造り。糸巻きを削りながらふと,軸もそういうのが似合うんじゃないかと考えまして,大体カタチが揃ったところで組んでみたら…コレが,けっこうイイ。(写真中) 今回は装飾線ナシ。プレーン・タイプでゆきます! ■ ヤシャブシの汁に砥粉を溶いたもの(表板を染めるのと同じ)で塗装,黄金色に染め上げたら,油で磨いて,一週間乾かし。乾いたところに今回はセラックニスを塗布。黄金色のピカピカ仕上げ!(写真下) | ||||
STEP6 表板清掃 ![]() 裏板をへっつける前に表板のクリーニングをしておきましょう。 ■ 作業前はこんな黒子さん。(写真左上) いつものように,エタノールをたらしながら#240くらいの耐水ペーパーで,垢すりみたいにコスってゆきます。削っちゃダメよ,こすこすこす… 棹や側板に付いてたのもそうでしたが,今回のヨゴレは全体に手ごわい。 ふだんよりずっと濃い,こげ茶色のモロモロが出てきました。一度に全体を濡らすと楽器に影響が出ますので,あっちゃこっちゃと少しづつ,濡らしてはコスり垂らしてはコスります。 ■ ヨゴレの層が硬くて,一度では除ききれず,まずは全体が灰鼠色に。(写真左下) この時点ではまだ,ヨゴレが表板表面に薄皮一枚かかってるんですね。 ■ コスっては乾かし,表面の様子を見ながら,さらにコシコシすること半時間。ようやく濡らすとオレンジ色っぽくなって,ヤシャブシ染めされた桐板の真皮にまで到達しました(写真右上)。 ■ 乾いたら,こんなに白っぽいカンジになりました(写真右下)。 ずいぶん白いですが,楽器内面の,ヤシャ染めしていない桐板もともとの色などから推して,おそらくこれが製作当初の染め色にけっこう近いと思われます。 コスりながら感じたんですが,この表板のヤシャ染め工作。ヤシャ液の調合をちょっと間違ったかしたらしく(もしくはこういう流儀か?),木はしっかり染まっているのに,それほどの発色がありません――おそらくは,砥粉の分量が足りなかったかと。 砥粉が多いと木目が全部埋ってしまって,やたらペカペカした仕上がりになりますが,少ないと木に汁が染み通るばかりで,ちゃんと黄金色になりません。 こないだ修理した「松音齋」あたりの染まりグアイが最適なんですが…さて,今回もああ上手くゆくかどうか? そのへんはまだ先の作業ですが。 | ||||
STEP7 裏板再接着/塗りぬり各種 ![]() 月琴の裏板には表板と比べるとプアーな板がよくへっついています。松吉さんには横に9枚もの細い板を継いでデッチあげたものが貼り付けてありましたし,3号のは木目があっちゃこっちゃに向いてるのが,おりょうさんや2号のなんかにも,薄くて質もあまり良くない板が使われています。 鶴壽堂のは,柾目ですが左右で厚みが違う。左側は3mm 以上あるんですが右に行くにつれてうすーくなり,右端では 1.5mm くらいしかありません。 それでもまあ,デカい虫食いがあったほかは,剥がしたときについた周縁のキズをちょいと埋める程度で充分に使える状態です。 ■ 工程はほかと同じ,さして付け加えることナシ。 やっぱり難しいですね。 これだけ何回もやってるのに,例によってピッタリ元どおり,とはまいりません。 ちょっと段差が出来てしまいました。 数日置いて,裏板がくっついたら,裏板のクリーニングと,表板をもう一度磨いて,ヤシャブシ染めの準備にとりかかります。 ** 「鶴壽堂」のラベルを残して周りだけキレイにするのがちと骨でしたが,耐水ペーパーの薄いのを裏返して,ラベルを隠しながら,なんとか周りのヨゴレだけ取り去りました。 裏板のクリーニングはそんなにしっかりやらなくてもいーです。どうせあんまり見えないし,質が悪いんで,あんまりゴシゴシするとどっかに穴があきかねません。 ![]() 濡れてる時には不穏な黄色,乾くと白粉拭いたように真っ白々になりますが,まずはこれで結構。 ■ 一晩置いて乾かしてから,表面に浮いた砥粉をペーパーや布で拭き取り,次の仕上げ染めの地をこさえたら,今度は砥粉を混ぜないヤシャ液だけを全体に塗布。塗った汁が生乾きのうちに,カルナバ蝋の粉をつけた布でこすりあげ,ツヤ出しをします。 このとき色むらがあるようなら,布をヤシャ液に浸して,こすりつけながら修正,少しづつ全体を均等に黄色っぽく染め上げてゆきます。 ついでに木目の凸凹に入った余分な砥粉なんかも,拭い払ってしまいましょう。 ![]() ** 今回の月琴は,蓮頭も黄色なら,軸も黄色,半月も黄色。 あまり白っぽいと面板がやたらと浮いちゃいますし,あんまり黄色黄色してると今度はほかを食っちゃいそうです。黄味加減が,むつかしーっ! これでいいかな?ってくらいになったら,いったん完全に乾かして様子を見,仕上げにもう一度,乾いた布に蝋の粉をつけて,モレなくキュッキュと磨き上げます。 ** 今回は表板のキズや凸凹が数多く,いったん最後まで作業をしたんですが,仕上がってみると,あちこちの光沢ムラやらキズの影がヒドく,けっきょく表板を磨ぎなおして,最初からもう一度するハメになりましたが…まあ,こんなもんでしょうか。 桐板の質がそれほど良くなかった割には,うまく染まったほうかと思います。 ■ 棹と側板にシェラックニスを薄く刷きます。 あとは次の仕上げ磨きまで,4~5日乾燥ですね。やれやれ。 ** 放置されている間にこびりついたと思われるヨゴレは取り去りましたが,あちこちについた伝世のキズについては,今回はあえて磨き直しませんでした。 表板のムチャクチャな使用痕とかと違って,木質の硬いこういう部分についてるキズには,何だか見てるとそれぞれに物語があるような気がして…キズの上からの塗装,てのは修理人としてはちょっと恥ずかしい行為なんですが,上に塗ったニスはいつでもハガせるシロモノですし。 このキズは楽器の勲章,みたいなものですね。
(2006.04.30.まで)
さてこの間に,5号鶴壽堂,めでたくお嫁入りが決まりました。うわーい!ぱちぱちぱち!なもので自分で使うんならこの程度でいいや,と思ってた所を何箇所か補修することに。まずは「プレーンタイプで行きます!」なんていってた軸に,もう一手間。 ![]() この筋はよく「滑りどめ」だとか言われてますが,実際には装飾程度のもので,あまり実用性はありません。ただ,軸は糸合わせの時などもっとも感覚的に使う部分ですから,筋一本でも感触の変化を感じ取るまさに「手がかり」になるには違いありません。 今回製作した軸は寸法的には,直前に修理した「松音齋」のもののコピーですんで,最初はあちらと同じく3本線を彫りこもうかと考えたんですが…くじけまして,普及品に多い一本筋に…弱いボクです。 達人の彫りは浅いそうですが,わたしは彫りに関しては,小僧の門前のイヌの糞てくらいに下手なんで,こういう線を刃物で刻むとどうしても余計な深彫りをしてしまいます。そこで今回は切り出しや彫刻刀ではなく,棒ヤスリでしょりしょりと線を削ってみました――うん,これなら深彫りにならず,軌道の修正もしやすい。 下手は下手なりに考えるものですわ。 | ||||
STEP8 最終仕上げ~修理完了! キミ待つこの身はツラかった…10日後,トップコートのコーパルニスはいーぐあいに乾いてます。おっと,とはいえこのニスが完全に,芯まで乾くのは何年か後のことです。いまはまだ全体が固まって,表面のほんの表層がカチンコになってるに過ぎず,その下はまさに赤ちゃんの柔肌。仕上げ作業も慎重に行きましょう。 ![]() ■ 塗装面を磨き上げます。 まず,#600の耐水ペーパーで刷毛目や塗りムラで盛り上がってしまったようなところを均します。次に#1200~#2000までに石鹸水をつけながら,しょこしょこしょこ…と全体をまんべんなく擦りあげましょう。 ペーパーがけが終わったら今度は,パフ研磨用の研磨剤をタオルにこすりつけて。磨く磨く磨く磨く磨く磨く磨く磨く磨く…!電動工具とかならカンタンでしょうが,そんなもの持ってないし,第一工具では指ほど細かなところまで届きません。まんべんなく,ムラなく,もれなく,一箇所で「小野川のマメモヤシ 煮て食った 美味かった」と5回以上唱えながら,ひたすら,磨く磨く磨く磨く磨く磨く磨く磨く磨く… 作業も終わったころにはもう,汗だくっす。 磨きに磨いた甲斐あって,もーぴかぴか。オニの鏡面仕上げとなりましたタガヤサンの指板なぞ,凶悪なほど美しく細やかな縞模様を醸し出しております。 この磨き作業だけで,まる一日。 ちかれた~。 翌日,いよいよ最終仕上げであります。 ![]() 前につけた目印は,その後の磨きで,まーキレイさっぱりなくなっちゃってますから。チューナーを頼りに再度位置決めからの作業となりました。棹上の四本はまあいいんですが,面板の四本は左右のバランスをちゃんと見ておかないと,へっつけたあとにも一度直さなきゃなくなりますんで注意。 さて次に,絃停なんですが。いつものとおりヘビ皮じゃなく金襴錦でまいります。 ■ 臙脂地夕雲花手毬(でいいのかな?)の布を貼り付けます。 ![]() 5号では数種類の絃停を試作しました。 じつは最後に,今回へっつけた臙脂色の花手毬の柄の布と,緑地の花小紋の布が候補に残り,すでに決まっているお嫁入り先サマのご意見なども聞きながら,最終的には緑色の布をへっつけることとなっていたんですが…さあ,へっつけるべいとキリフキで濡らすと,なぜか緑の布のほうだけ,裏に張った和紙がペロン,と剥がれるんですね。しょうがないか,と予備の一枚を濡らすと,こっちもペロンと端がめくれる… この布,何か楽器にキラわれてるようで,どうやら臙脂色のほうがお好みのようですね。 布の質,工程も作った日までまったく同じなのに,こっちでは何の事故も起こらない――すんません,当座はこの第二候補にしといてください。 楽器の機嫌が直ったらあとで張り替えましょう! そんな怪奇現象も少々ありましたが,最後に目摂とお飾りをはりつけ,飾り紐を結いつけて。 ■ 5月20日,修理完了いたしました! | ||||
![]() ● 楽器自体の製作時期・由来について。 あらためて述べるまでもないが。 内部墨書の解読は完全ではないものの,明治後期に名古屋で作られたものであることは間違いない。ただし表と裏の面板で年次に一年の差がある。書き間違い,という可能性もないではないが。ただ,このことから,いままで推定するだけだったこの楽器の製作工程が,また一つ解明されたようにも思う。 すなわち,墨書をそのまま信じるのなら,胴体に最初に接着されたのは表面板であったはずである。墨書がなされた後に横桁がはめこまれたのか,あるいはすでに組まれた状態の胴体に墨書をほどこした表板を接着したものかは不明であるが。最後に接着されたのが裏板――そして,製作期間が年末から翌年始にかかった場合は,こういうこともありうるだろう。 棹の組み込みがどの時点でなされるのかについてはまだ確証がないが,延長材と内部桁との噛み合わせ等を後で調整することを考えると,胴体が完全に閉じられた後でないことは確かだ。 ● 材質から考えると,普及品クラスであるが,工作のレベルは高い。 意匠にやや特殊性を感じる。蓮頭と半月が色の薄い木で作られていること,また真鍮の響き線とその配置などは,この作家のオリジナルだろうか。またその装飾の簡易さ,部材の厚みなどから,まったくお飾りではなく実用本位に製作された楽器の感が強い。 ● 以前に修復された形跡はない。 修理で取り替えたとかいうのでなければ,裏板の材があまりといえばあまりな気もするが,保存中に受けたと思われる水濡れの痕がわずかに見られるほかには,全体に初心であり後で手を加えられた形跡は見られない。 ● 前所有者について~使用痕からの推察~。 使用痕から前所有者は三味線を弾く者と思われる。表面板に残っていた擦痕は,三味線のバチ痕であることは間違いない。そのことと,その使用痕の多くが表面板上半分にあることから考えて,この楽器によって演奏されていたのは,明清楽ではなく日本の俗曲,あるいは当時の流行歌であった可能性が高い。 月琴本来のピックや明清楽の奏法ではこうしたキズはまずつくことがないし,胴上のフレット音域まで使われることが多いため,バチ痕は楽器のもっと下部,絃停周辺に点在することが多い。また三味線のバチを使用した場合でも,楽器を膝上にのせ,琵琶と同じく左右にバチを展開して弾かれたはずで,演奏時の姿勢から考えても,バチ痕は同じく中央から絃停周辺となる。それが楽器上部に集中しているのは,棹上のフレット音域のみで構成される,単純なメロディの曲を立ってかかえた状態で弾いていたのではないかと考える。 ただ,戸外で使用したような形跡はない。 木部各所に擦りキズや打ち痕が多少見られるが,いづれも通常の使用によってつけられたものであり,全体に付いた汚れはいづれも屋内における保存中についたもので,それ以上の不自然なものは見つからない。 ● 操作性は上々。 細く裏面にアールの軽くついた棹は手に優しい。わたしの演奏スタイルだと,最下の軸に左手が触れることがあるが,それほど邪魔にはならない。ただしニスがまだ完全に乾いた状態でないため,これより多少の期間,演奏時の取り扱いには注意を要する。 今回のフレットはオリジナルに合わせて,やや厚め(従来 2~3mm,今回 3.5~4.2mm)に製作したのだが,これも接地面が大きく安定が良い。 上から2番目の軸が,現状ややユルいかもしれないが,使用にさほどの支障はない。 ● 音色について。 重量感のある音(戦車に喩えるなら,タイガーIとまではいかないものの,パンターD型なみかと)。 側板が厚めだったわりに,音ヌケはかなりいい。前にも出てるし,おなかにもズンときます。 響き線の感度・効果もかなり良好で,ほとんど雑味のない金属的サスティンがかかる。 また線自体がきわめて細く,やや短いためか,演奏中の線触れによるノイズもほとんど起こらない。 そのいかにも「実用本位」っぽいデザインや装飾には,やや好き嫌いがあるかもしれないが,音色・操作性からは,きわめて優秀な楽器であり,いままで手がけたものと比較しても,「銘器」と言って過言ではない逸品だと思います。末永くご大切に。 |