工尺譜の読み方(2)
工尺譜の読み方(2)
「柳雨調」の巻 前回は こちら をどうぞ。 工尺譜は音階だけの文字譜なんで,それだけでは通常,どんな曲なのかはわかりません。 ドレミが分かっても,ドードレミーミーなのかドドレミミーなのか――つまり音の長さが分からなければ,メロディにならないからですね。 工尺譜というものは,西洋の五線譜のような「音楽の設計図」として,ある程度完成されたものではありません。基本的に「すでに知っている」曲を演奏するための,まあ備忘録のようなものでしかなく,本来はお師匠様から教えてもらいながら,その文字の羅列に拍子の点を打ったり,くっつけて弾くところに線を引いたりして使うものなのだからです。 「九連環」とか「紗窓」とか。有名な曲はまだいいのですが,珍しい曲になればなるほど資料も少なく,どんな曲だかを知る手がかりは少なくなってゆきます。 そういう,あまり見かけない曲の一つに「柳雨調」というのがありました。 明治15年に出された『清楽雅譜』(村田きみ)という本に載ってたのですが,ぜんぶで48コしか音のない,ごく短い曲ながら,ごらんのとおり,簡単な区切りが「○」で示されているほかは手がかりがない。 似た曲名に「柳青娘」♪ というのがあって,庵主はずっとそれの間違いか別名だと思ってたんですが,いざ工尺譜をくらべてみると,これがまあぜんぜん違う曲。 ふつうはこれでおしまい。こりゃ分からんわ,となるんですが。 最近,月琴の譜面以外の雑多な資料を整理していたら,明治末期の『明笛清笛独習案内』(明治42 香露園主人)という本に,同名の曲が入っているのを見つけました。 こちらの楽譜は新式の数字譜で書かれているので,なんと音長が分かります。 やった!そいでは今回は,これを手がかりに「柳雨調」を解読・復元してみましょうか。
まずはその笛の数字譜を読み解かなきゃなりません。このころのこういう譜面はだいたい同じような形式ではあるのですが,明治という新進の時代がら,時には「こッちのほうがイイ!」と,画期的な(でもそのあと誰も使ってない)形式を提唱したりする「革新犯」も多いので,短くても解説の部分はちゃんと読んでおく必要があります。 『明笛清笛独習案内』の数字譜は,音階をあらわす漢数字に,●○を付けたもの。 「●」は弱く吹いた時に出る低音をあらわし,「○」はその反対,強く吹いた時の,1オクターブ上の高音です。 同書の解説をもとに,指譜・工尺譜・西洋音階と対照させると,次のようになります。
工尺譜と西洋音階の対応は「上=C(ド)」としてあります。 指譜の「●」は笛の孔をおさえるところ,「○」はあけとくところですね。 音長は4分音符が無印とすると8分が下線,16分が二重下線。逆に伸ばすほうは一拍を「-」で表すほか,スラーやレガートの表記も付いています。ごく簡単,かつ当時としては一般的な記譜法の一つですね。 右のが『明笛清笛独習案内』に載ってる「柳雨調」の譜面です(クリックで拡大)。これをMIDIに組むため,MMLで書き直すとこうなります。
上の●○の印刷が潰れてしまって,高低がはっきり分からないところもあるのですが,こんなところでしょうか。 ギターとかやっている方にはすぐピンと来るとは思いますが,cがド,dがレ,rは休符,><ではさまれてる部分の音は1オクターブ上で,4とか2というのは音の長さ,つまり2が二分音符,無印と4は四分音符,・は半拍のばすところです。 3小節目が楽譜のまま組むと「>c2 c2<a 」と,4拍子なのに5拍になっちゃいますが,前後の関係から考えて,ここは6行目のお尻と同様のフレーズ,単純な書き間違えでしょう。
さて,「柳雨調」に戻りましょう。 『明笛清笛独習案内』のおかげで,曲全体,だいたいの音長は分かりました。 次にこれを,最初に見つけた『清楽雅譜』にフィードバックして検証してゆきます。 まずは『清楽雅譜』の工尺譜から,その音階だけを,MMLで書き直して並べてみましょう。 音階対応表にもあったように笛は最低音がG,最高音がF1なんですが,庵主がいつも弾いている月琴は,最低音が「上(C)」なので,その下の「合(G)」「四(A)」は,楽譜に書いてあっても,実際には1オクターブ上の「六(G1)」「五(A1)」で演奏されます。 笛譜以外の独習本ではだいたい,後者の月琴方式,つまり「合/六」「四/五」は同じ音,と解説されているものが多いですね。そのへんは前回でもお話したとおり。 『明笛清笛…』のほうには工尺譜が付いていなかったので出来なかったんですが,庵主は曲を復元するときは,実際に弾きながら確かめてゆくことが多いので,こちらの工尺譜の音の高低は,そういうときに一般的な月琴方式で読み解きましょう。 ここでは区切り線は小節ではなく,工尺譜にあったフレーズの区切り,「○」の位置です。 dega>c<|a>c<|>c<ag d|ddegaage|a age|agadc|dc a|dca|aag>c<ag edeg|aca>c<| こういう作業を長いことやってると,この時点でもう「あ,おんなじ曲だ」というぐあいに分かってしまうのですが,はじめから説明してゆきましょう。 『明笛清笛…』のほうの出だしは「ddegga」で,こちらは「dega」ですが,前者は二音を三音にして演奏しているのだと考えられます。よくあるアレンジですね。またそこから,後者のはじめの「d」は,次の「e」と同じ長さじゃなく,少し長いんだろうな,てことにも気づく。「gga」と「ga」も同じ理屈ですね。 つぎに,工尺譜の「○」のついた区切りの部分というのは,たいがい直前の音が長いか,そこに休みがあるわけで。てことは「dega>c<」の「>c<」つぎの「a>c<」の「>c<」,そのつぎの「ddegaage」の最後の「e」は長い音符になるはずだなあ,とか考えながら,『明笛清笛…』のMMLを参考に,こっちのを一小節4/4であてはめてゆくと―― d2. e |g2. a |>c2< a>c< |[2 >c2.r4< a2.g |d2.r4 |d2 de |g2.r4 |a2 ag | e2.r4 |a2 ag |e2.r4 |ag ad |c2.r4| d2.c |a2.r4 |d2.c |a2.r4 |a2 ag | >c2< ag |e2.r4 |d2.e |g2.a |c2.a | >c2.r4<| ] ――だいたい,こんなところになりましょうか。 『明笛清笛…』の楽譜にはなかったくりかえしの指示([ )が,『清楽雅譜』の工尺譜には付いてますので,1行目の4小節目から最後までをリピートさせます([2 ]でかこまれた部分)。最後の「aca>c<」の最初の「a」だけが,区切りどおりでなく,長くもならず,前の小節に組み込まれてしまいましたが,資料が少ないので,どちらかの間違いなのか,あるいはアレンジ違いのヴァリエーションとかなのか,今の時点では分かりません。 ■ 『明笛清笛独習案内』の版 ■ その音長をもとに組んだ『清楽雅譜』の版 『明笛清笛…』では,題名の下に「四拍子(急)」とあります。 そのわりにはゆっくりした曲だなあ~,とお思いになられるかもしれませんが,「九連環」とかが Tempo 64(一分間で64拍)くらいなのに比べれば,この曲は Tempo 88 ですから早いといえば早い。 明清楽の曲はほんらい,ほんわかのびりーしたのが多いので,「急」とあっても,もっと遅くてもいいのですが,コンピューター音楽の場合,あんまりゆっくり演奏させると,いろいろとその,ボロが出ますんで。 今回の曲はまだ類例が少ないので,これだけでもって,これらの復元が「正しい」なんてことは毛頭申せません。今後,たとえばモロ録音資料が見つかった,とか,五線譜におこした明治時代の演奏の採譜資料が出てきた,とか(キセキ!),そこまでではなくても朱の入った,実際に使用されて朱の入った工尺譜がせめて見つかると,より当時の演奏に近い再現ができるとは思うのですが。 もうちょっと,遊んでみましょうか。 『明笛清笛独習案内』はもともと笛のための譜面。 『清楽雅譜』の版を月琴や胡琴の譜として,これと合奏させたらどうなるでしょう? 『明笛清笛…』のMMLの,音階・音長はそのままで,本来は付いてないリピートの記号だけを加えて,二つを合わせてみます。 うまくソレっぽく…つまりは合奏してるみたいに聞こえたなら,御喝采アレ。 今回はまあ,こんな方法で,こんなふうに曲を復元してるんだ。 という,例として。 ■ 合奏版「柳雨調」 |