N氏の月琴(仮)4
![]() 表面板の清掃(2) ![]() 庵主はたいてい新品同様に真っ白にしちゃいます。 この楽器の桐板は薄く,琵琶やお琴のそれよりは,三味線の皮に近く,恒久的なものではないと考えるので。桐箪笥と同じに,汚れたら削り直して使う,スカスカになったら貼りなおす,というほうが,いっそこの素材にはふさわしい,と思ってるからですね。 しかし,今回はなるべく古色を残して,とのことですので。 いつものようにエタノールやら掟破りの漂白剤やら強力なモノは使わず,軽く「汚れ落し」をする,という方向でやっていきましょう。
今回の作業には「重曹」を使います。 最近,低公害な洗剤として人気ですよね。 湯飲みの茶渋なんかはよく落ちます。 その茶渋は,お茶に含まれる「タンニン」ですが,ヤシャ液の成分も,じつは「タンニン」。 こういうのが,うまく落ちるのも当たり前で。 薬局で買ってきた重曹をぬるま湯に溶いたものを,#240の耐水ペーパーにつけて軽くこすります。 ただし,エタノールと違い速乾性はないので,一度に大きな範囲をするのは,板に負担がかかり危険です。特に汚れのひどい箇所からはじめ,乾かして全体の様子を眺めながら,なるべく変なムラができないように,ちょこまかとやってゆきます。 ![]() おそらく古物屋さんの仕業でしょうが,この表面板は一度,雑巾か何かで水拭きされたことがあるようです。 水拭きすること自体はいいんですが,お飾りやフレットをつけたままでやると,その周辺がぬぐい切れず,面板が二日酔いのパンダみたいになってしまっていますね。 こういうシミやムラをなくして,全体を均一な色合いにもどしてゆきましょう。 いつもそうなんですが。 たいていはこのクリーニング中に,楽器のもとの状態について,なにかしらの新しい発見があります。 ![]() まず,もとは胴体のフレット間すべてにお飾りがあったようですね。 ちょうどそれぞれの中心のあたりに,ニカワ付けの黒いシミが見つかりました。 形までは分かりませんが,おおよそ1センチか2センチくらいの,小さなものだったようです。 扇飾り以外のそうしたお飾りは,玉や凍石の類で作られることが多いので,ニカワ着けだとはずれてしまいやすい。 ――ましてやこの原作者先生,ニカワの扱いが下手くそです。 残らなかったのもしょうがない。 蛇足の第9フレットの着いてた下からも,同様のシミを発見しました。 こちらはちょっと大きく,やはり推測どおり,円形飾りが着いていた模様。 直径3センチくらいかな。 ![]() 次に,棹穴の上になるあたりの縁に数箇所,新しく虫食いを見つけました。 板目に沿って縦方向に3本,さほど長くはありませんが,きちんと(?)食べられてしまってますね。 深さはそれほどないようですが,幅1ミリくらいの溝が出来てしまいそうです。 この部分はちょっと目立ちますし,再接着の際に力がかかるので,あらかじめ処置しておく必要がありそうです。 そして最後に,この月琴は楽器として使われたことがない,ということ。 ほぼ確信できますね。 「痕跡がないのが確かな証拠」――ってわけで。 原作者による目当てのケガキ線,古物屋によると思われる修理(?)でついたヨゴレやキズのほかは,義甲や撥による擦り疵はおろか,手擦れのシミも,持ち運びで着いたようなキズ痕さえ見つかりません。 ![]() キレイなもんです。 いくら大切に弾いてたにしても,ここまで疵一つなく使用することは,道具としては不可能。 ウソだと思うなら,やってみなさい。 板を濡らし過ぎないように,ちょっとづつちょっとづつ…二日かけて板はだいたいキレイになりました。 今回はキレイ過ぎてもイケナイようですので,見苦しいムラやらシミがなくなれば,まずまずヨシといたしましょう。 棹穴の補修 ![]() ここが割れてる月琴は,過去にも何度か修理したことがあるのですが,今回のが厄介なのは,ヒビが部材を貫通していない,ということです。 変に思われるかもしれませんが,修理としてはいっそパックリと割れて,欠片が剥離してしまっているほうが直しやすい。 このように中途半端だと,これからこのヒビがどういう方向に,どのように割れるのか分からないのです。 なにせ相手は木材,生き物ですから。 木目がまっすぐな柾目板でさえ,内部の状態によって,予測のつかない方向に割れが走ることがあります。神ならぬ身ゆえ,不安と不信は尽きませぬ。 でもまあ,修理者としてやれる事は決まってますので,その範囲内で最善を尽くすことといたします。
表面板貼り直し前の小作業 今回の庵主の,壊れているものを直す――修理――と言える作業は,ある意味,前の棹穴のところだけだったかもしれませんねえ。 「茎」の事は原作者のミスを「修正」してやったのだし,表面板を剥がしたのも,これから貼り付けなおすのも,別に「壊れていた」からではないですもの。 それはさておき,表面板を胴体に戻す前に,いくつかやっておかなければならない事があります。 1)上桁の調整と,再接着。 ![]() 3の「内部構造」のところに書いたとおり,例によってこの楽器も内部の加工がかなり手ヌキでテキトウです。 中でも上桁の棹穴は,ノミを入れて出たカケラを裏の方でテキトウにひきむしったらしく,左の方に大きなササクレが――これが茎にひっかかり,茎をムダに抜けにくくしてしまっています。ムリに引き抜こうとすると,上桁が真ん中から弓なりにしなって,裏板との接着がはずれてしまいました。 桁を裏板にへっつけ直すほうは大した作業でもないのですが,まずはこのササクレをなんとかしとかにゃなりません。 やりかたはヒビ割れと一緒。 木口の方からニカワを流し込んで,当て板とクランプで挟み込んで固定。 一晩ほど経って乾いたところで,出っ張ってるところをヤスリで均して出来上がり。 もう二度と抜かないつもりなら,キツキツのまんまでもいいんですが,この後も作業はありますからね。 原作者はテキトウにやってもいいんですが,わたしらは,面板を戻しちゃうと内部のことはどうにもならないので,あらかじめ一つ一つ,やるべき事をキチンとこなしておかなきゃなりません。 なもので,もう一つ。 2)響き線のお手入れ。 ![]() 今回の楽器は保存状態がいいし,響き線は通常,密閉された内部にあるものなので,さして経年劣化の影響は受けにくい部品ですが,それでもさすがに星霜百年。 鋼線の表面に,うっすらと錆が浮いてしまっています。 この楽器の響き線は,かなり細く繊細なものなので,紙ヤスリでゴシゴシとかいうわけにはまいりません。 市販のサビ落し剤等を使用するという手もありますが,それほどの状態でもないし,手持ちのものでなんとかしましょう。 まずは筆で全体に柿渋を塗りつけます。 柿渋は鉄と反応して,真っ黒い皮膜を作ります。 乾いてから布で軽くこすると,表面のサビといっしょに,黒い粉となってポロポロ落ちてきます。 このくらいの薄サビなら,これで十分です。 ちょっと画像が小さいんで分かりにくいんですが,上が柿渋を塗ったあと,下が布拭き後。 面板の上に,粉が落ちてるんです。 布に柿渋をつけて,もう一度拭い,乾いたら表面に軽くラックニスを刷く。 これでこの後の防錆対策もバッチリです。 3)虫食い穴の充填。 ![]() 面板をクリーニングしたときに見つけた,胴体の縁,棹穴の付近にある虫食い穴を埋めておきます。 ここは目立つし,なによりクランピングで力のかかるところでもあるので,お手軽にパテ埋めというわけにはいきませんね。 正攻法で行きましょう。 以前の修理で出た,古い桐板の表面のところを刻んで埋め木を作り,これで埋めます。 虫食いは三箇所とも縦に走っており,二本はほぼ直線的なものだったのでさほど苦労がなかったんですが,画像いちばん左の,最後の一つがちょいとグニャグニャ迷走モノで。 けっきょく,リューターで少し溝を広げ,ハメこみしやすい形に削り込みました。 表面板の貼り直し さあ,今回の修理も,いよいよ最大の山場にと,さしかかりました!! 裏板なら少しぐらいテキトウに貼りなおしても,さしたる支障はないのですが,表面板ではそうはいかない。 ふつうはなるべく手を着けたくないところですね。 というのも,月琴という楽器の胴体は見ての通りまン丸で角がない。 表板だからとくに,精確に,きっちりと元に戻さなきゃならないんですが,位置の目当てがつけにくく,作業中も動くわズレるわ,均等に圧をかけにくいわ――実に厄介なものなのです。
ふう…何とか終わりました。 ほんの小さな竹釘,短かなとっかかりだったんですが,丸い物体を相手にするときは,とてつもなく偉大に感じるものですねえ。 作業中に板が変にズレちゃう心配がないおかげで,クランピングもいつもよりずっと早く,スムーズに終わりました。 元はと言えばこの方法は,コウモリ月琴で,シロウト修理の釘穴を使って貼り直したのが,思いのほか上手くいったところから思いついた方法なんですが。 作業上のズレは少なくて済むものの,もともと利用できるそうしたキズのない場合,面板という目立つところに,わざわざ新しい傷痕をつけてしまうことになるのが多少残念ですね。 何かもっといい方法,ありましたらどうか教えてくださいな。 例によって恒例の,赤くて丸いワラジ虫 が,部屋の中に出現。 こいつのせいで庵主は以後二日間,お布団を敷いて眠ることができませんでした。 まだ正月も明けきらぬ1月に,寝袋にくるまってこの横で寝返りもうてず。 足も伸ばせないんでよく眠れないし。 ――背中がイタイです。 側板の削り直し ![]() さて眠れない夜を二日も過ごし,面板は無事,まン丸胴体に戻ってくれました。 ヤマは越した…しかし―― 木という生き物を相手にして,丸いものをまったく元通り,100%ぴったり戻すことは不可能です。 今回の場合も,面板を片方はずしたことで側板にわずかな歪みや狂いが生じており。 楽器の中心線がズレるようなことはありませんでしたが。 主として左右の側板と面板に,少し段差が出来てしまいました。 ![]() 最大で0.5ミリってとこでしょうか。 そのままにしても,それほど見苦しいものでもなく,元の状態を知っていなければ,特別目立ちもしないでしょうが。今やってやらないと,この先また百年ぐらい放置されるかもなー,と思い直し,削りなおすことにしました。 ギターやヴァイオリンと違って,この楽器。 側部は板が厚いですから,ちょっとやそっと削り減らしても問題はございません。
削りなおすと決めたからには,目指すはやはり,蜀の山の断崖のごとく,垂直にピンと切り立った側面。面板の木口と胴材のまさに 「シベリア」*超特急! 状態 (「お菓子」「シベリア」でググれ推奨)。
庵主はここも明清楽の月琴の美しさの一つだと思っております――ああ,あやういかな高いかな。 ![]() #120をホルダーにつけ,削っては角材を当て,垂直具合をチェックします。 表面ちょいと削られて,板はピンクとなりにけり。 続いて#240のペーパーで作業痕を消し,#600で磨きこむ。 黒檀紫檀や花梨が,塗りのものよりラクなところは,こうして削っても,ただ磨けば元通りピカピカになるってとこですねぇ……硬いけど。
しかーし,このままで仕上げると,「真!新品!」 状態になってキモチが悪い。
ちょっと古ぼかすため,骨董屋から盗んだぎじゅちゅで表面に古色づけをします。 おっとその前に。 まずは面板の木口に,余計な染みが出来ないようマスキング――せっかく貼りなおしたばかりですものね。 使うのは植物乾性油,木炭,茶ベンガラ,砥粉,棚にたまったホコリ,など。 炭粉や茶ベンガラをいーカンジの「ホコリ色」に調合したら,油をちょっと含ませた布にこれをこすりつけ,ゴシゴシと磨きます。 檀木や花梨などは,気胞が荒いので,そこにこの偽ホコリが入り込み,上手い具合に「汚れ」を演出してくれる,という寸法。 あとはその上を通常通り,研磨剤やカルナバ蝋で磨きこむと,ちょっと「時代のかかった」カンジの仕上がりとなります――まあ,所詮ズルの手ですが。 |