N氏の月琴(仮)終
![]() 棹の調整 ![]() 面板も戻り,茎を付け直し,磨いた棹を胴体に挿します。 ようやく「楽器」のカタチに戻りました。 ――そう,ここまでの作業はある意味「楽器のカタチ」を復元してきただけで。 ここからが,実はタイヘン。 なにせ「楽器のカタチをしたモノ」と,「楽器」は違うわけで。 岩を削って,ヴァイオリンの形にしたとして,たとえそれが,どんなに精巧なものであったとしても音は出ません。木で外見だけ同じに作っても,やはりそれは 「楽器ではないモノ」。 さらに内がわも外がわもちゃんと作ってあったとしても,その楽器に合う調律や調整というものがちゃんと施されていなければ,やっぱりそれは「楽器」ではないです。 音の狂いまくったピアノは,ジャマなオブジェか物置台にしかなりません。ネックのズレたギターは,ギグでお客をぶン殴る小道具くらいにしか使えません。 その楽器としてちゃんと使えるようになっていて,はじめてそれは「楽器」と言えるわけで… ![]() 前にも推測したとおり。 この 途中まではちゃんと「楽器として」作られたわけですから,岩のヴァイオリンよりはマシと言うものの,「音を出すため」の大切な作業,たとえば本来ならば,棹を抜き差ししながら行う,仕上げ調整の部分などが出来ていない可能性があります。(参照→) そのあたりに「楽器として足りないところ」,不都合や不安要素がいろいろ出てきてるわけですね。 まず,棹の指板面と面板がほぼ同一の水平面となっていること。 ![]() 西洋の弦楽器では理想的なこともあるし,加工技術の精密さもうかがい知れますが。 じつはこれ,月琴という楽器においては,あまり有難くない状況なのです。 通常,月琴の棹は表面板の水平面から,山口のところで2~5ミリほど背面側へ傾いたカタチに取り付けられます。 この構造はフレットの低い楽器だと,棹と胴体の合わせ目あたりで音が響かなくなる――いわゆるデットポイントが出来てしまいますが,月琴の場合もともとフレットが高く,その高さで調整が可能なので,あまりそういうことはありません。 またネックの取り付けが,ギターやリュートのように接着固定ではなく,三味線のように胴体に挿してあるだけなので,絃のテンションに対抗するためにも,多少反り気味なほうが良いということもありましょう。* これが浅いと,全体的にフレットが高くなって,多少弾きにくい楽器となります。 今回は胴体上のオリジナル・フレットがかなり低めですので,できれば8号生葉なみの,3ミリくらいは倒れていてほしいものです。
フレットの再作製と調整 糸を張ります。 音が鳴ります。 楽器が,甦ります。 ![]() さるナイフ作家さんに鑑定してもらったところ。 棹上の山口と,二本残っていたフレットの材料は練物象牙ではなく 「たぶん鹿角」 とのことでした。 そういえばフレットの横に,象牙や練物では見たことのない,気胞みたいな孔があったり,山口にへんなエグレ痕が残っていたりしています。 胴体上のフレットのほうは,間違いなく象牙だそうです。 時代がかかってアメ色に変色しています。 胴体上のフレットのほうは,質も加工も良いし,かなり低めに作ってあるんで,操作性も問題なさそうです――こちらはそのまま使うことにしましょう。 一方,棹上の鹿角フレットのほうは,質も加工もそれほど良くないので,胴体のと同じ象牙で,いッそ総交換しちゃうことにしました。 まずは,低音域のフレット4本,普通に作って,たててみたのですが。 やはり,棹を思ったように傾けられなかったせいですね。 絃高が高いのが問題です。 ![]() 庵主はフレットを新しく作るとき,その高さを糸ぎわギリギリ,ビビリの出ない限界のところに調整します。そのほうが反応が良い――指で糸をおさえれば,すぐ音が出る楽器になるからですね。 しかしそうしたところ,新しく作った第4フレットと,胴上の第5フレットの落差が3ミリ近くにもなってしまいました。また棹の上,低音域での操作性はいいんですが,高音域では糸が高すぎて,音は出ないわ,出ても狂ってるわ。 明清楽だけしか弾かないのなら,胴体上の高音域はあまり使われないので,今のままでもさほど困らないかもしれません。 また段差をなくすだけなら,棹上の4本をもっと削って,上手く背丈をそろえてもいいのですが,そうすると全体に糸が高くなって,糸のおさえにくい,たんに使いづらい楽器になってしまいます。 逆に,胴上のオリジナルをあきらめ,8本ぜんぶを新しく作り直す,という手もありますが。そうすると今度はフレットが全体に高くなりすぎて,反応は良くても音程の狂いやすい――やっぱり弾きにくく,使いにくい楽器になってしまいます。 これだけの素材の楽器が,そうした半端モノになるのは,あまりにも可哀そうというもの。 より反応が良く,より正確な音の出せる,最高の楽器に仕上げるため。 絃高を下げる,算段をいたしましょう。 ![]() 方法はいくつかありますが,そのうち 「棹を倒す」 という方法は前述の通り限界です。 あとは 「山口(ナット)を削る」,という手もあるのですが,それをした場合,山口のほうが半月より低くなってしまいます。実際そのようになっていた例もないわけではありませんが,運指や演奏ポジションの関係もあって,この月琴という楽器では,やはり山口のほうがほんのわずか半月がわより高くなっていたほうが弾きやすいようなのですね。 その反対側, 「半月をはずして裏面を削る」 という手もあります。 何度もいっている通り,原作者さんは接着がナニな方ですから,半月の取外しもさほど難しいことではないでしょう。ただこれはその裏側を平均に削るのも,元の位置に戻すのもタイヘン。 修理も終盤のこの期に及んでは,なるべくヤリたくない仕事です。 ではむかし,カメ琴やコウモリ月琴で使った手を使うことといたしましょう。 半月のポケットの内側に,竹でスペーサーを作ってニカワ着けし,この部分の厚みを増すことで糸の出る位置を下げます。 庵主はこれを 「ゲタを履かせる」 と表現するんですが,ギターだとサドルを「削る」ところ,月琴では「足す」ことになるわけですね。 ![]() 材料箱を漁ったらちょうどいいサイズの竹の端材が出てきました。斑竹の皮ぎし,かなりしっかりとした硬い部分なので,素材的にも申し分ありません。 これを削って半月にはめこみ,絃高を半月のところで1.5ミリほど下げることに成功しました。 これにより,棹上第4と胴体上第5フレットの高低差も,およそ半分になり。運指もスムーズで,高音域もかなりおさえやすくなりました。 さあ,フレットも出来た。弾きやすくもなりました。 あとは,調律ですね。 音程を合わせながら,フレットの高さをさらに微調整してゆきます。 ![]() 今回は依頼主よりのご要望で,オリジナルの音階に合わせます。 さて,明清楽の楽器の音合わせは,本来は「排簫(はいしょう)」,もしくは明笛の音階に合わせるものですが,現在わが庵にはそのどちらもないし,そもそもがところ庵主,笛の類がまったくの不得手で,あったとしても,たぶんマトモに吹けません。 なもので,こうした場合は主として,原作者の残してくれたフレット痕に頼ることになるわけですが,今回の場合,そのフレット痕にいまひとつ信用がおけないのですね。 再々言っているように,なにせこの楽器には「実際の演奏に使われた」形跡がありません。 お飾りでしかないようなモノが,果たしてきちんと調律されているか,否か…………まあ,考えていてもしょうがないですわな。 まずなにはともあれ,オリジナルのフレット痕にたててみましょう。 さいわい,斗酒庵のコンサーティナ・8号生葉は,ほぼオリジナルのままのフレット構成になっています。 この貧乏人にはあまりにももったいない高級月琴だったんで,きっちりの西洋音階に調整するのは,さすがに気が引けたんですよね。 この楽器は実際に使われていたものですから,その音階は当時の明清楽のそれに近いはず――さらには材質や寸法も,おそらくは製作年代も乙女ちゃん月琴に近いので,こういう比較の対象とするには,まさに適任と考えます。 そこで今回はこの8号・生葉ちゃんを基準として,乙女ちゃん月琴の音を比較検討してみることにしました。 使用したチューナーは SEIKO の SAT-800。 どちらの楽器も,開放弦で低音4C,高音4G,±05%の範囲内で計測し,低音域では3度鳴らしてその平均を,音の拾いにくい高音域では6度鳴らして,最大と最低値を除いた値の平均をとりました。 これが適当かどうか,音響学は専門じゃないんで分かりませんが,まあ傾向ぐらいは分かりましょう。
高音域が高めの数値になっていますが,音がそれほど伸びないんでチューナーで正確には拾いにくいため。第6フレット以降の数値はそれほどアテになりません。 うむ,基準とした8号と比べると…ずいぶん第2フレットの音が低いですねえ。 第5フレットが同じくらい低くなっているのも,第2フレットを基準にたてたからでしょう。 「明清楽の音階」については――加藤先生のHPでも紹介されているんですが――『明清楽独まなび』(大塚寅蔵 十文字屋楽器店)という本に,西洋音階と明楽・清楽の音階の対応表が載ってます。そこでは 上(低音弦)=Eb/六(高音弦)=Bb になっており,長崎などではこのチューニングも使われています。 もしかすると,そっちのチューニングでフレッティングしたのかなあ,とも考え,そちらでもいちおうテストしてみました。
うむ,ほかの部分は正確な音程に近づいてる気がするんですが,第2と5だけ,やっぱり低すぎるなあ。 第2フレットの音が低めなのは8号でも同じです。 古渡りの月琴では,より第2が低く,第3がやや高いようですが,フレット位置は後期の楽器になるほど,より西洋音階ぴったりに近くなってゆきます。 明清楽という音楽分野自体が衰退したのと,世の中も作ってる楽器屋も,西洋楽器を扱うようになってきたためでしょう。 ![]() しかし乙女ちゃんのこの第2フレットの低さは,「古い音階に合わせた」とかにしては,ちょっとどっちつかずで,前後の音階とのつながりも悪く,どちらかというとただ浮いた,気持ち悪いだけの音になっています。 そもそも,ほかの部分が西洋音階に対して10%くらいの誤差のうえ,第3フレットもこれに合わせて高くはなっていない,ってとこもなんだかアヤしい。 ためしに一度はずして,生葉の音くらいの位置を探ってみると…オリジナルの目当てから,ちょうど 「フレットの厚み」 ぶんズレてます―― うん,決定的ですね。 これが 「1センチ」 だとか,逆にもっと 「微妙な値」 だとかだったなら,それはそれでこの奇妙な音階も「こういうもの」として納得できたんですが,ただの音楽屋ならぬ楽器職(みたいなもん)として,この 「フレットの厚み」 という違い,しかもそれが 「測ったようにキッチリ」 というところが何をかイワン。 ――「目当ての付け間違い」ですね。 この目印のケガキ線,人によりフレットの上につけたり,下につけたり,はたまた中心になってたりしますが,音に直結の重要な作業である割には,自分でもたまに 「あれ,どっちだったっけ?」 なんてことがあります。 そのうえ演奏されたことがないお飾り楽器だったから,誰もツッコミを入れてくれなかったんでしょうねえ。そもそも,カンバン楽器をちゃんと手順を踏んでフレッティングしたかどうか,ちょっとアヤしいものですし。 けっきょく第2・第5を下げたほか,第4フレットの位置を微調整することにしました。 第4フレットは,楽器のチューニングにも使う重要なとこなんで,ピッタリ合ってなきゃいけません。 こちらは原作者のせいではなく,庵主の貼り間違いでした。 目印はちゃんと付いてたんですが,元の線がちょっと薄すぎて,正確な位置に貼れていなかったんですね。 ちゃんと貼り直したところ,4G(+15) が ±2 くらい,ほぼ正確な音程に直りました。 このへんはキチンとしてるのになあ。 小物さんたちのサンバ ![]() さて,今回のブツは欠損部品も少なく―― 目出度いこととはいえ,小物好きの庵主としてはサミシイかぎりではあります。 前の記事で書いたとおり,どうやら元はフレット間に満艦飾でお飾りが着いていたようですが,跡形もないうえ,痕跡も定かではないので,どんなものがついていたやら,再現ができません。 残っている目摂も扇飾りも,本物の紫檀やマグロ黒檀,といった高級材で出来てますから(「塗り」ではありませんでしたあ!!),まあそれだけでもじゅうぶんに贅沢なものと思うのですが。 これからちゃんとした「楽器」となるあなたへ,縁有りてこの時代の修理者となったニンゲンから,ひとつ,贈り物を。 蛇足の第9フレットの場所には,もと円形のお飾りの類が着いていたものと思われます。 前修理者がおそらくその痕跡をごまかそうと,使えもしない蛇足のフレットを貼ったのだろう,という推測は既述の通り。 ただ,そのおりボンドをこってり使ってくださいやがりましたため,そこに少々キタない痕が残ってしまっています。絃停の周囲にも,同様のシミのような痕が少し残っていますが,この楽器の中心,いちばん目立つところなもので,少々問題があります。 ![]() まあ,ついでにここを誤魔化すため,でもあるんですが。 工房の定番デザインで申し訳ないが「跳ねウサギ」のお飾りを,キミに。 材料の黒檀板は,ウサ琴の指板の余り,それ自体そもそも新木場で銘木屋さんから譲っていただいたゴミなんですが――やっぱり,磨くとキレイですね。 八角蓮華鏡,太極玉兎。 月とめぐるよ,永遠に。 ![]() いちばん最初に手がけた作業だったんですが。 新作の軸は仕上げにけっこう時間がかかり,塗膜が実用強度になるまで一ヶ月はかかるので,それまでの間使えるように,もともとついてた後補のタガヤサンの軸を改造することにしました。 この軸,材料や工作はいいのですが,しょせんほかの楽器から「とってつけた」モノなので,軸穴とちゃんと噛み合っていません――先端が細すぎるのですね。 握りのがわはほぼ軸穴と合っているので,このままでも使用できなくはないのですが,これをこのまま使い続けると,片方の軸穴だけに余計な負担がかかり,楽器のためにはあまりよろしくありません。 軸が合わない,てのはまあ,現代の量産品中国月琴ではよくあるハナシ。 詳しくは当ブログ内「軸の調整について」をお読みください。 ふつうは軸穴のほうに和紙を貼ったりして調整するのですが,今回の場合は新作の軸が仕上がるまで保てばいい,ということですから,ちょっと冒険して新技法を―― 細い軸先に,薄く溶いたニカワで和紙を交差貼り。カチンコに乾いたところで磨いて調整し,ラックニスを染ませて強化します。 ![]() オリジナルはオリジナルでリッパな軸ですから,ちょっともったいない,というか,修理の本筋にはもとるような気もするんですが。 さらに操作感と外見をほか3本にそろえるため,ポッチを削って,アタマを少し尖らせ,ミカン溝を彫り込みました。 先端の工作は意外と丈夫に仕上がり,まあ半年くらいは保ちそうですが,しょせんは間に合わせ。 新作軸が交換可能になったら,即とりかえてくださいね。 そして,修理完了! 今回はなるべくオリジナルを尊重,古風に,とのことでしたので。 庵主が作り直したのは低音部フレット4本と軸1本,付け足したのは中央の円飾りと半月の「ゲタ」くらい。 胴側を削りなおし,虫食い穴を埋めたほか,楽器として基本的な部分での改変は,それほど大きくないかと。 まあ原作者のめーよのため,(伏字→)「茎」のことは言うなーっ! てこととして(どこが「めーよ」だ)。 そもそも「楽器として」作られながら,きちんと「楽器として」成立されず,「楽器として」使われたことのないような物体を,「楽器として」使えるように「修正」する,という行為を,何ンと言っていいのかが分かりませんが―― 2009年1月12日,乙女ちゃん月琴,修理完了! ![]() 前修理者の「修理」痕を完全には取除けなかったのが,ちょっとザンネンかなあ。 呪!ボンド使いめ! ![]() さて,肝心の音ですが。 お飾りであったとしても,作りはほぼきちんと「楽器」のそれになってますし,もともとの保存状態も,材料も工作も(伏字→)(「茎」のことは言うなーっ!)悪くはない。 ちゃんと直せば,よく鳴るのはあたりまえ。 ![]() 楽器として弾かれたことのない割には,角のとれた,まるっこい,暖かみのある音質で,懐の深い余韻がついてきます。
作られて百年ちかく,楽器として作られたのに楽器として使ってもらえなかった。
こんなにいい音なのに――と考えると,さすがに可哀そうになりますね。 願わくば,次の一世紀,御身つねに人の手と。 そして,音楽とともに,あらんことを。 乙女ちゃん月琴・音源 1.開放弦 2.音階(1) 3.音階(2)低音弦/高音弦それぞれ 4.試奏(徳健流水) |
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