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南越1号(6)

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斗酒庵 ベトナム月琴に手を出す の巻南越1号(6)

STEP8 神々への挑戦

そら庵
  深川の正木稲荷といえば,時代劇ファンやら池波先生ファンだともうちょっとたまらないスポットですが,そのお隣に「そら庵」というカフェ&フリースペースがございます。
  演奏中の画像がなくって申し訳ないが,4月4日,南越1号,和尚♪さんによる塗装前ホワイト状態での試奏は,目出度くここで行われました。

  なんせ名前は同じですが,本来,専門ではない楽器ですから,あっしにはどこがどうやら分かりません。

  塗装前に,ちゃんと弾ける人に実際に演奏してもらい,問題点を叩き出して…と思ったんですが,工作の方は意外におおむね好評,指がひっかかるとことか,削って欲しいとこがあれば即対応,というくらいの工具類を持っていったものの,出番ありませんでしたね(やった!)。

  さすがに専門職。

  複弦の感触も面白いようで,この楽器で庵主にゃ出せないような音,いっぱい出てました。
  この組み合わせは,面白い音楽を生んでくれそうです。

  まあもっとも,今回はまだあちこち仮接着で,楽器をパワー全開バリバリで弾けたわけではないので,本格的に弾きこんだ場合,どうなるかは分かりませんが。

  一通り弾いてみてもらい,問題点とご要望を……やっぱり出ましたか。

  低音域のEが欲しい,とな。

  ベトナムで頼んでも断られちゃうからね。



ウサ琴F
  庵主はウサ琴で,通常,明清楽の月琴では8本であるフレットを,2本増やして10本する,ということをしています。
  これによって全音で出せる音数は13個から,15個へ。
  音域は完全2オクターブとなり,対応できる曲数が格段に増えました。

  もっと増やして,半音含めた全音階にしたら?

  ――という人も,確かにちょくちょくいますな。

  フレットを増やすと,音数は増えます。
  どんどん増やしていけば中国月琴のように,かなり色んな音楽に対応できるようにもなるでしょう。

N氏の月琴,フレッティング中
  しかし,月琴のような高いフレットを持つ楽器では,フレット間の距離によっても,その音色がかなり変ってしまいます。

  弦を指板に押さえつけるようなかたちで演奏される,ギターのような低いフレットの楽器にくらべると,月琴の弦は,指板の上でも上下左右,より自由に振幅しています。

  これが次のフレットに完全にぶつかるようですと 「ビビリ」 という不具合になり,弦の振幅が止まって,音がミュートしてしまうわけですが,わずかに触れる程度の場合,そこにいわゆるハーモニクス,一種の倍音のようなものが発生することがあります。

  この現象をナットの部分で発生させ,効果として使っているのが,三味線や琵琶についている 「サワリ」 なわけですが,月琴のフレットの場合は,そこまで効果を意図した工作ではなく,結果として同じような現象が発生しているのですね。
  それが胴内の響き線の効果と相混って,月琴の独特な音色・余韻を生み出す,一つの要素となっているわけです。

南越1号・塗装前表裏
  このことは例えば修理の途中で月琴を,山口とフレットのない状態で,糸を張って弾いてみるとよく分かります。
  それでもちゃんと音は出るのですが,まあその音は,下手な作りの箱三味線といったとこ。
  キンキン,ペコペコとした音で,余韻も何もありません。

  フレット間が開いていたほうが,障害物がないぶん,弦の動きは大きくなります。
  フレット間が詰まると,弦がフレットにぶつかる回数が多くなる反面,振幅は小さくなり,余韻は浅く短くなってしまいます。

  ウサ琴のフレットを「10本」としたのも,楽器が作り上げてきた音色を損なわず,今の音楽により対応しやすくするため,庵主が実験しながら考えた,必要最小限かつギリギリの「改造」なんであります。


  もちろんフレット間を詰めたとしても,中国月琴のように,弦の工夫や構造上の改造などにより,音色への影響をある程度改善することは出来るのですが,楽器というものに関する限り,その本来の音色をわざわざ損ねてまで「便利さ」に追従する必要はない――と庵主は考えます。


  歴史を背負ったすべての楽器は,その楽器が成立してゆく過程で生じた構造上の不合理やその操作上の不便ささえも,ある意味その楽器の「音」の要素の一部としていることが多いのです。

  だから,その楽器の歴史や構造をきちんと調べもせず,ただ 「こうしたほうがいいと思う」「必要だから」 というような浅はかな思い,考えだけで行われる,やみくもな「改造」やら「改良」は,その楽器のアイデンティティたる「音色」を,引いてはその楽器の音楽における存在意義さえもかえって損なうもの――とも,庵主は考えます。




フレッティング(5)
  間話が長くなってしまいましたが,庵主は何も,その楽器を未来へと進めるための改造や工夫までも否としているわけではありません。その工作に正当な理由があり,必要があり。それでいて楽器の持つアイデンティティのようなもの――「いちばん大切な部分」 を損なわないような配慮があるならば,逆にどんどんやっちゃって構わない,と思いますよ。

  南越1号はまず,現在2弦の楽器であるものを,4弦複弦としています。

  これの理由(いいわけ)は,最初の方の記事でも述べたとおり,この楽器が古くは 「4弦の楽器であった」,とされているとこを再現してみた,というところ――ここまでは歴史,ちゃんと考えてますよね?

  だからまあ,そちらのほうは良いとして(ホントか?)。
  では 「棹上のフレットの追加」 というのはどうでしょう?

  ベトナム月琴の場合,フレット高は月琴よりもさらに高く弦長も長いので,もともとの糸の振幅が大きく,ご要望のあった2~3フレット間のEと4~5フレット間のBを足したくらいでは,楽器本来の音色への影響は,さほど大きくはないものと考えます。

  しかし,こちらの改造には,過去の歴史の支えはありません。
  しかもそのうえ 「神のご加護」 もないご様子。


  「今の曲を弾くのに必要だから」という未来の力はありますが,これだけじゃとても足りません。
  神様も納得するような理由(いいわけ)が欲しい。
  八百万の神々の国のニンゲンといたしましては,他国の神様とはいえ神様は神様。
  神罰,コワいですからね。

神罰回避策
  で,ですね。

  庵主が何日も頭を絞って考えた,フレット追加における 「神罰回避策」 です。

  「穴あけただけぢゃーんっ!!」

  ――とか,言うなかれ。

  これは棹の上に鎮座まします神様を踏んづけないための配慮であり,神様が自由に通れる「道」です。
  だって,人間は通れないでしょ? こんな小さな穴。
  神なればこそ,通う通い路。

  しかもこれによって,演奏者はこの2本のフレットが,伝統的なフレット配列にないものであることが一目で分かります――つまり伝統的な曲を演奏するときには,この2本を避けて弾けばいい。そのための実に分かりやすい目印にもなるわけですね。

  さらに現代と未来に対しても,いくらか弁明(いいわけ)しておきましょうかね。

神罰回避策(2)   12本のフレットは「一年の "月" の数」。
  4本の弦はそこにめぐる「四つの季節」です。

   古代の阮咸からベトナム月琴の古型,明清楽の月琴,そしてウサ琴――時代の中で,交叉し,雑じり合う,音楽と楽器。

  この楽器は,神います天をめぐる「お月さん」の琴,ではなく。過去から現在,未来へと続く「時間をめぐる」月の琴。

   時間の「もしも」の,パラレル月琴。

  ――こんなところで,いかがでしょう?


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