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南越1号(終)

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斗酒庵 ベトナム月琴に手を出す の巻南越1号(終)

STEP9 漢の塗装道

塗装中

  うおおおおおっ!!塗るんじゃーいッ!!!!!

  ――というほどのことではありませんが,まあいつもながらタイヘンな作業なので,ちょっと気合を。

  南越1号の下塗装は,これでまいります。


ベンガラ溶いて
塗って
拭いて
柿渋/油
色ニスかけて
仕上げにオイルニス
  早苗ちゃんの修理以来,庵主は「ベンガラ」という,ずっと使ってきた自然顔料をあらためて見直しています。

  ベンガラと砥粉と炭の粉,そして柿渋という,工房に常備されている素材で,さまざまな木の色――調合の割合でいくらでも微妙な色合いが作り出せるのですね。

  古代からの知恵ばんざい!古色付けばんざい!

  まずはベンガラを柿渋でよく溶きます。
  色合いを見ながら,混ぜるのはほんのすこしづつ。
  板切れか何かで,皿の底に押し付け,すり潰すようにしながら,完全に混ぜ合わせます。
  ちゃんと混ぜておかないと,塗ってる途中でダマがつぶれて,思わぬマーブルカラーになっちゃったりしますので,気をつけましょう(経験者,談)。

  ウサ琴ですんで,月琴の修理で使うよりはいくぶん赤めの調合です。

  木目や工作部を隠したいところのみ筆でベタ塗り,そうでない部分は布で擦り込み,なるべく薄く色付けをします。上から色ニスを塗るのが前提なので,ちょっと薄めの色でいいでしょう。
  乾いたら布でこすって余分を落とし,薄くなってしまったところは再度塗装します。

  けっこう何度もやりなおせるので,前回の染めとかにくらべると気がラクですね。

  だいたい具合が良くなったところで,全体に柿渋を塗布して固め,それが乾いたら,つぎに極少量の亜麻仁油をつけた布で,表面を磨いて落ち着かせます。乾性油が乾くまで一週間,できれば一ヶ月くらいは放置したいとこですね。

  中塗りは日本リノキシンさん謹製,ヴァイオリン用ヴァーニッシュのダークレッド。下地にすでに色が付いているので,3度も塗ればウサ琴カラー。

  トップコートは,同じくオイルヴァーニッシュ。
  紫外線硬化なので,天気のいい日を狙って作業をします。

  下地の塗装に柿渋を使ったので,オイルニスの硬化とともにこれも紫外線で発色して,色がちょうどよく濃くなりました。

  さらにこれも柿渋のおかげでしょうか。
  いつもより木地が締まって,固めの感触になってるような気がします。
  ただ,この下地と上面に塗ったニスの相性がどんなものなのか不明なので,そのへんには不安もないではありませんね。

  とまあ,書き並べてゆくと,大したことがないのですが。

  実際には塗装開始から終了まで,およそ2ヶ月近い日々が流れています。
  その間にも,古い資料を漁ったり,コウモリ月琴を改修したり,鶴寿堂の再修理が終わったり,彼氏月琴の調整があったり,10号菊芳の修理が始まったりと,色々なことがございました。



STEP10 S.K.T.(すーぱー小物たーいむ)!

新作軸
  さあて,この間に小物を作ります。

  最初に作ってやった軸は鶴寿堂のほうに回してしまったので,まずは再び軸削り。
  こんどはちょっと細身のスマートな軸にしました。
  オハグロベンガラで塗って黒軸に…なかなかかっこいいですね。


目摂1
目摂2
目摂3
目摂4
  つぎに目摂,もちろんこんなもの,ホンモノのベトナム月琴には付いてませんが,ウサ琴とのハイブリット楽器ですんで何としても付けたい。

  日本に音楽をくれた国の一つに「林邑」というのがあります。
  雅楽の「林邑八楽」のふるさとですね。
  これは現在のベトナムの古い王朝の一つなんですが,そこの伝説によれば,この国の最初の王様は,川で捕まえた二匹の魚が刀に化け,その刀を使って新しい国を切り開いたことになっています。
  その魚が何だったのか――「フナ」だとか「ハモ」だとか諸説あるようですが,「魚」で「王様」と言って分かりやすいので,とりあえず「鯉」に。

  そもそも,月琴の丸い胴体はお金(銭)に喩えられます。
  そこに「魚」が付くと 「魚銭」 となり,それは 「余銭(ユウチェン)」 と同音。
  「お金が余ってお目出度や!」という洒落となります。
  しかも二匹いるから 「双鯉」  「双利」 の近音,余ったお金が倍倍倍…

  朴の木の薄板を両面テープで二枚貼りあわせてざっと切り抜き,剥がすと左右対のお魚が出来上がります。
  両面に和紙を貼って,細工中の割れ止めをしておきましょう。
  ヤスリで削って,アートナイフで刻んで。こちらもオハグロベンガラで黒く塗装。

  庵主,海浜の出なので川魚に今ひとつ縁が薄く,「鯉」のつもりでデザインしているのに,何度描いても,なぜか 「シャケ」 になってしまいます。出身地のせいでしょうかねえ?
  今回の鯉も,庵主的にはまだどこかシャケっぽい気がするんですが,まあこれ以上どうにもなりませんや。


フレット塗装
  フレットも渋く塗装しときましょう。

  胴体に使ったのと同じベンガラを,ごく薄くさッと刷いて,柿渋とラックニスで止めました。

  うん,ちょっとなんだか古楽器っぽくなってきたぞ。



STEP11 完成!!

  軸の塗装の乾燥に思ったより時間がかかり,一週間ほど余分にとられてしまいましたが。
  最後に全体を軽く研磨して,鳥口,フレット,お飾りを取り付けて。

  2009年5月27日。

  ベトナム月琴とその古形である「丐彈雙韻(かいだんそういん)」,古代楽器「阮咸(げんかん)」,そして明清楽の月琴とウサ琴の詰め込みすぎハイブリット楽器 「南越1号」 ,完成です!

完成!


  記録を見返しますに,最初に棹を切り出し,製作をはじめたのは2007年4月のこと。

  その間,しょっちゅうクジけたり,何ヶ月も放置したまま忘れたりしていたので,べつだんコレにずっとかかりっきりだったわけではありませんが。

  ――2年ちょっとかかってるワケですね。

  ウサ琴の製作が月割り一本だったことを考えると,こりゃまさに「記録」だわ。

  * 去年までの一年ちょっとで13本。製作は4本同時のことが多い。でも「楽器」の製作ペースとしては,これもちょっと異常。




南越1号・音資料

南越1号全景

南越1号試奏中!

  庵主,正直ベトナム月琴の奏者ではないので,作ったはいいものの,この楽器をちゃんと使いこなせません。

  そこで今回の音は,受け取りに来た和尚♪さんに頼んで,試奏してもらったものです。
  bebung(弦を押し込んでかけるビブラート効果)の効きかたが,もーぜんぜん違います。高音域での音がまた,庵主がちょいと弾いてみたのたあ比べものにならないくらいいい!

  祝杯挙げながらの録音,かついつもより少なめですが,まあどうぞ。




10号菊芳(2)

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斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(2)2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)

第2回 菊芳さんのハラワタ

ハガします!
  蘭秀有りて菊芳有り,佳人を懐いて忘るあたわず――という句が漢・武帝の「秋風辞(しゅうふうのじ)」のなかにあります。明清楽にはこれを歌うための楽譜もあったことだし,清楽器も作ってた「菊芳」さんの名前の由来はこのへんかな。
  名前の「芳之助」にもひっかけて八重二十重の連想,さすがに江戸ッ子……言い過ぎかしらん?


  さて,当初の最大目的(裏面のラベルを拝む)は果たしたし,もうあとはいいや,ポイ。

  …………と,いう,ワケには参りません!

  どうとあれ,庵主の下に,縁あってたどりついた楽器です。
  しかも推測からすれば,百年はカクジツに経ているモノノケ。

  ちゃんと鳴るように修理してあげなければ,間違いなく祟られちゃいますぅ!(泣)


  さあて,作業に入りましょう。

  前回の所見で列挙したとおり,軸,棹,裏板はほぼ健全。側板も,軽く浮いたり歪んだりはしていますが,割レやヒビのようなものは見当たらず,重度な損傷箇所は主として表面板に集中しています。

表面板虫食い
  なかでも心配なのはこの右端の虫食いですね。表面板を食い切り,ぐにょぐにょの溝が胴材にまで及んでいるのが見えます。そこからさらに,下のほうに向かって何本か,木目に沿って縦に食べてる痕も見受けられ,これがどこまで横に広がってるのかはちょっと判りません。

  早苗ちゃんでのきょーふが甦る――ちら見くらいではそれほどヒドい感じじゃなかったんですが,板を剥がして調べてみたら,表面板のほぼ全面,まさしく「縦横無尽」に食い荒らされてたもんなあ。

  側板各接合部にも傷みが見られることですし,この食害の範囲を確かめるためにも,やはり表面板をハガし,内部から調べる必要があるようです。


ハガれました
  んでわ,ばりばりーっ!の,ぼりぼりーっ!とな。

  このところ早苗ちゃんにしろ乙女ちゃんにしろ,ニカワ付けのそれほど上手くない(というかはっきり言って下手くそな)作者の楽器を手がけてきましたが……お江戸菊芳,なかなかにニカワ上手です。

  百年超える時間を経ているはずなのに,オリジナルの接着部分のニカワはまだかなり生きていて,実にキレイにしっかり接着されていました。
  必要最小限のニカワの薄さと,加工部を密着させる確かな部材の加工。接着部の工作はかなり精巧かと。

  まあ,ハガしちゃうんですが。

  まずははじめからあるどこかのスキマに刃物を入れて,そこにお湯を含ませ,接着部をハガしながら刃を進め,縁辺をぐるりと一周。縁が完全に浮いたら,最後に金尺をつっこんで左右に引き,内桁からハガす,てのが庵主のいつもの方法です。
  かなり手荒い仕業ですが,桐板は接着が良く補修が簡単なので,このくらいして少々割れても欠けても,後でけっこう直せます。

開けちゃった

  後世の,ボンドによる再接着箇所が一部あって,その辺りで少々板に被害を及ぼしてしまいましたが,だいたい無事に剥ぎとれました。

  でわ,恒例の内部簡見とまいりましょう。


内部所見

 ■ 胴体側板:厚 7-8mm,ほぼ一定。

  裏面に挽回鋸の痕がやや顕著に残る。接合部付近に数箇所ボンドを染ませた痕跡あり。天の板,表面板がわ接着面,棹孔から左方向にボンドによる再接着痕。地の側板の同箇所ほぼ全面にも同様の痕跡あり。ほかはほぼオリジナルか,ニカワ残る。地の側板裏板側中央に点,右側板に△,いづれも指示墨書。


 ■ 内桁:2本桁。

  1)上桁:長 333mm,厚約 8mm。松の荒材か?楽器の垂直面中央よりわずかに下,楽器上端から 158mmのところに位置し,左右側板と,そこに取付けられた小さな木のブロック(右手は響き線基部にもなっている)に接着固定され,板の表面板がわの両端は,少し斜めに削がれている。

  2)下桁:長 258mm,厚み不定の板で 4-6mm。表面に荒く削ぎとったような痕が見られる。材質は上桁と同じ。何かの端材か?楽器上端から 276mm のところ,左右の側板からわずかに間隔をあけ,面板にのみ接着固定されている。意図不明。上桁は棹孔付近にエンピツによる指示線,同じく上桁,楽器上がわ右と下桁の下がわ左に,それぞれ「七」の字,いづれもエンピツ。


 ■ 響き線:鋼線曲1本。径約 1mm。

  基部は前述のとおり,上桁を支えるブロックにもなっている。基部木片に四角釘にて固定。基部から 20mm ほどのところでほぼ直角に曲げ,下桁の直前からゆるく弧を描いて,上桁左ブロックの数センチ手前で終わる。基部から下桁までの弧がややきつく,形状はコウモリ月琴と早苗ちゃんの中間ほどか。ややサビ厚めに浮く。

  指で弾いた音から,線自体の加工は健全で,響き線としての機能はじゅうぶんに持っていると思われるが,弧の最深部分が下桁と完全に接触しており,楽器を逆さまにしてようやく振動をはじめる状態。従って通常の演奏状態では,ほとんど効果が出ないだろと考える。
  現状況が製作時の調整ミスからきたものか,あるいは線自体の自重変形によるものかは不明。

 ■ 表面板裏面

  楽器右端の虫損以外,目だった損傷はなし。棹孔手前あたりに指示墨書。中央に△のエンピツ書。

 ■ 裏面板裏面

  楽器右下方接合部付近に,わずかな虫害痕。ほかはほぼ健全。



胴体側部から離れてる下桁
  さあて,例によってツッコミどころが多いのが,この楽器の内部構造の特徴(笑)でもあるんですが,まず何はともあれ,問題はこの下桁ですね。

  表面はガサガサの荒材そのまま,途中から厚みが違ってて,しかも何だか板の表面を引き剥がして,テキトウに加工したって感じですね。こんなものを楽器の中に入れますかあ?
  しかしながら,板の左右は側板裏面にフィットするよう,ちゃんと斜めに削がれてますね。

  なのに,なぜこんな中途半端な位置にあるのでしょう?

  位置的には半月の上端のほぼ真下ですから,半月を支える構造にはなっています。
  しかし……

ナゾの筋
  しばらく観察していて気がついたのですが。

  裏表の面板裏面,現在下桁のある位置の1センチほど下方にもう一筋,何やら接着痕めいたものが見えます。

  もしやッ!――と,下桁をひっぺがし,表裏左右の接着面を濡らしてみますと…白い…ボンドだ。

  うかつにもオリジナルの加工だと思い込んでたんですが,ちくそー,前修理者の仕業だったようですね。

ボンドづけ露見!
  しかもそれをキレイにしていてさらに気がついたんですが,この下桁も上桁と同じように左右の両端がちょっとだけ斜めに削いでありました。しかし,へっついていた時のままだと,その取付け方向が表裏逆……削いであるほうが「裏板がわ」になっていたのです。

  桁の左右を削いで,側板・面板との接合部にせまい空間を残すというこの工作が,音孔としての効果を狙ったものなのか,表面板との接着になにか関係があるのか……正直,その意味がいまだ判らないでいるのですが,桁にこの加工がなされるのはだいたい「表板がわのみ」であって,これを上下の桁で逆にしていたような例は,いまのところ見たことがありません。

地の側板は全面ボンドづけ
  さらに観察してゆくと,地の側板はどうやら表板側だけではなく,裏板側も全面ボンドで接着されているらしいことが判ってきました。側板からはみだしたボンドが,裏板の内部にわずかに見て取れます。

  ここから考えて,この楽器は前修理者の手元にあったとき,地の側板と下桁がはずれちゃっていて,楽器の下がわがぽっかり口をあけた状態だったのではないでしょうか?

  その状態で接着部にボンドだけをつけ,ほとんどめくら作業で下桁を突っ込んだとすれば,この中途半端な位置もうなづけるというもの。

  おそらく突っ込みすぎて,響き線と接触した状態に固定してしまったんでしょう。
  あるいは響き線と接触して板が止まったその感触を,「定位置」か何かのように思ってしまったのかもしれません。

  外部から見た最初の所見では,この部分にボンド痕などは見つかりませんでした。
  再接着のとき,はみだしたボンドを乾く前にきちんと拭い取ったのでしょう――古い楽器の修理にボンドを使うような輩を褒めたくはありませんが,意外と手馴れてますねえ。

  また上下の位置はハンパでしたが,板自体をきちんと楽器面に対しほぼ垂直,左右からほとんど均等な位置となるよう調整した痕跡があるので,前修理者はいちおう楽器修理とかの経験者なのかもしれません。


ここにキズが…
  この下桁の位置には,もう一つ。半月の裏にある孔――ある人は 「サウンドホール」 だと言い張ってますが――が関係しているかもしれませんね。

  推測される原位置だとこの下桁はその孔のほぼ真下,わずかに干渉する位置に通ります。

  この小さな孔から漏れる光を目印に取付け作業を行ったとすれば,この孔は完全に開いていなければならないもの,と考えたかもしれません。それであえて両端を着けず,位置を上方向にズラしたのかもしれません。
  そもそも着いてたのが「半月の上端ほぼ真下,楽器垂直面とほぼ並行」という場所・配置も,何やら考えて,きちんと計ってやったぽいです。

  さてしかし,ゲンジツは理論や想像よりも奇なり,でありまして。

ひっくりかえしたら表板の穴にピッタリ
  庵主は内圧調整用の空気孔と考えているこの孔は,半月の接着前にかなりテキトウに開けられるものらしく,けっこう下桁で半分ぐらい隠れてたり,あるいはほとんど塞がってしまっているような例もないではありません。

  さらに,前修理者がもう少しきちんと「観察する」余裕を持っていたなら,気がついたかもしれないのですが,この適当な加工の下桁の,表板側の中央には,ほんのわずかですが,その孔を開けた時の痕が残っているのです。(上画像参考)

  板の表裏をひっくり返して,表面板の裏側にあるオリジナルの接着痕に合わせると,この加工痕と穴の位置がぴったりと重なります。(左画像参考)。

  これに気がついていれば,部材の位置も取付け方向も間違えることはなかった――というのは言いすぎかな。


  推理に推理を重ねる。
  ときには邪推,ときには妄推。

  その道のマニア,というわけではありませんが,庵主のHNは "CHARLIE ZHANG"
  おおむかしのハワイ警察の警部さんで,有名な探偵さんであります。

  ふッ……また推理ばかりで,修理の進まないことよ(笑)。


10号菊芳(1)

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斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(1)2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)

第1回 菊芳さんを探せ!

10号到着!
  9号早苗ちゃん以来,ひさびさの落札月琴の修理です。

  記事で「号」のついている月琴は,研究用に自費で購入した月琴ですね。
  そうでないのは主に知人や演奏仲間からの持ち込みですが,庵主,基本,研究のために楽器をイヂくるヒトなので,たんに 「銭出すから,直せや」 という輩には,スパイク付きの軍用ブーツで蹴り入れて,丁重にお断りしております。

  中国から渡ってきて大流行。おりょうさんから演歌師まで,猫も杓子も弄び。
  日清日中,二度のイクサのそのせいで廃れて,作るヒトも弾く人もいなくなり,お蔵のなかで数十年――

  こういう楽器は,何がなんでも幸せになってもらわらなきゃ,修理する甲斐がありませんもの。

  修理が終わって再び音が出るようになったなら,毎日,ではなくとも,その存在が忘れられることなく,いつも楽しく弾いてもらえる――それが理想ですね。
  たんに 「珍しい楽器なので一度弾いてみたい」 とかいう手合いは工房へどうぞ,いくらでも触らせてあげます。楽器は音を出すもの 「持っていたい」「飾って見ていたい」 だけなら,段ボール製の模型でじゅうぶんです。

  いままで修理した月琴たちが,みなそんなふうになってくれてるのかどうか。
  正直,それは分かりませんが。


  斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(1)願わくば,楽器も人も,幸せな日々でありますように。斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(1)


  過去のデータを整理していて気がついたのですが,庵主,今回の楽器も含めて,この4年間で同じ方から3面も月琴を買っちゃってますねえ――5号鶴寿堂・コウモリ・そしてこの楽器……いやあ,出るところには出るもんだ。

10号到着!(2)
  そしてこの月琴が工房に届いたちょうどその日,たまたま帰ってきてた鶴寿堂は,修理も終わり現オーナーのもとへ帰る準備中,そしてコウモリ月琴はいつも庵主の傍ら,出どころの同じ三面の楽器が,偶然にも一庵に会す,という事態になっておりました。

  何か呼び合ったんだのですかね,楽器同士で?
  ちょっと「因縁」,とかアタマに浮かんじゃいましたよ。



  さて,では梱包を解いて。
  いつものように観察から。



修理前所見

10号修理前全景

1.採寸

 全長:628mm(棹先端の飾りをのぞく)

 胴体 径:352mm 厚:38mm(うち表板 4.5m/裏板 4mm)

 棹 全長:278mm(先端飾りをのぞく) 最大幅:31mm  最大厚:30mm 最小厚:23mm
  指板相当部分 長:142mm  最大幅:31mm  最小幅:22mm
  糸倉 長:150mm(基部から先端まで) 幅:31mm(うち左右側部厚 8mm/弦池 15×110mm )  指板面からの最大深さ:63mm


 山口欠損のため未確定ながら,推定される有効弦長は 405mm


2.各部所見

 ■ 先端飾り:椅子の背もたれか?

  ネオクの写真で見た当初は 「あー,蓮頭取れたんで,三味線の海老尾さんぶった切って付けたのねー。」 と思ってたんですが,実物を見てみるとどうも違います。やたらとゴツくて,表面は赤っぽい塗料で塗られてる。先端には三本の飾り彫り,基部には何やらはめ込んでいたらしい溝が一本。材質は分かりませんが広葉樹材,家具の一部かと。

 ■ 糸倉:ほぼ無傷。

  先端方向でややすぼまる。軸の配置からするとやや長めで,最下の軸孔が棹側にかなり近接しているわりに,上の軸から先端までの余裕を大きくとってある。しかし側面のアールがやや浅いためか,軸を挿して楽器正面見たときのバランスは悪くない。
  軸孔のうち上から二番目の右と最下の右の内側に,加工時のものと思われるエグレ痕が少しあり,最下のものはやや深いが問題はない。


 ■ 軸:4本完備。オリジナル。

  長:120mm  最大径:28mm。やや細身のすらりとしたタイプ。材質は例によって不明だが,やや重みのある緻密な材。サクラかカヤあたりではなかろうかと。

 ■ 山口:欠損。

  代わりに幅 10mm 厚 5mm ほどの竹の板が貼り付けられている。意図不明。普通のさらし竹を切ったものと思われるが,両端を焼いて固めてある工作がさらにナゾ。

 ■ 棹:損傷なし。

  裏面のほぼまっすぐな実用月琴スタイル。指板のくびれ,裏面のうなじともにふくらみがやや浅く,指板部の左ラインはややよれて真ん中でわずかにふくらんでいる。握った感触はコウモリ月琴に似て悪くはない。
  フレット全欠損。ただし接着痕は4本ぶん残る。表面塗装のやや落ちたところはあるものの,健全。材質はおそらくクリ。指板部分にあたる木理がなかなか美しい。


 ■ 棹茎(なかご):ほぼ損傷なし。

  やや長めで,棹基部から先端まで 196mm。太さは根元で 21×18mm,先端削ぎ落とし前で 11×10mm。棹基部でV字に継ぐ。継ぎ材はおそらく松。
  接着はよく,接合部に割レや歪みは認められないが,棹側接合部の先端に欠けがあるなど,工作はやや荒い。





 ■ 胴体:各部損傷あり。

  1) 側板は棹と同じく,おそらくクリ。部材は4枚,木口擦り合わせによる単純接合。四方接合部,いづれも軽く剥離あり。右上接合部の剥離はとくに酷く,木口付近が表板方向へややせりあがるように変形。
  2) 表面板右端に虫食い。 右端から幅 55mm ほどの範囲に,出入孔3。天の側板との接合部付近から,側板に縁辺に沿って右方,約70mmほどのあたりが最も被害が大きく,面板はほとんどなく,食害は胴材にまで及んでいる。そこから二筋ほど,木目に沿って下方へ向かう食害もあり,損傷範囲が面板のどこまで及んでいるかは不明。
  3) 半月の下方縁辺の周辺に水濡れ痕。ほぼ半月を中心に幅約130mm,山形に伸びた先端は楽器中央付近にまで及ぶ。地の側板から右側板1/3ほどまでに,同様の水濡れによるシミ・褪色が認められる。

-----以上重度,以下軽度-----

  4) 表面板左端中央にエグレ。鼠害か? 幅 25mm ほど。目立つがそれほど深くはなく,軽症。
  5) 同左端下部,目摂の下あたりに打痕。軽症。
  6) 天の側板,棹孔からやや右あたり,面板方向から斜めに小キズ。軽症。
  7) 同,棹孔からやや左,表面板との間に接着剤のハミ出し痕,ボンドか?
  8) 裏板はほぼ健全。上端中央よりやや右にふつうのヒビ割れ。ラベル裏を貫き,木目に沿って120mmほど。幅はごくせまく,軽症。
  9) 同左下方に荒れたような変色痕。打痕か材にもともとあった節目のようなものか不明。軽症。
  10) 同右下方,木肌に荒れ,少ケバ立ち。軽症。


 ■ 柱(フレット):胴体上に2本存。

  第6と最終第8フレット。竹製。ただし山口に貼られた板同様に,両端及び頭部・肉面に焼いたような加工痕があるため,オリジナルかどうかは不明。フレット高はそれぞれ 5mm/4mm とかなり低い。また通常,第6フレットはもう少し長い。

 ■ 扇飾り:欠損。

  胴体上,第5フレットの痕と第6フレットの間に,接着痕のみわずかに残る。日焼け痕も薄く,オリジナルの形状は判らない。

 ■ 目摂:左一枚のみ残。

  右は痕跡のみ残る。意匠は「彼氏月琴」と同じ(「月草(ツユクサ)」か?)。彫りはふつう,可もなく不可もなく(笑)。


 ■ 半月:損傷なし。

  横:93mm 最大縦:42mm 厚:10mm。赤っぽい色の木で,材質は不明。「コウモリ月琴」「彼氏月琴」等と同じ縁周を斜めに落とした台形板状の半月。高音側の糸が2本,わずかに残っている。糸孔の配列は外弦の下がった逆V字,間隔は外弦間:33mm,内弦間:26mm,1号月琴とほぼ同じで,やや広め。

 ■ 絃停:なし。

  面板上の痕跡も,簡見の限りでは認められない。



作者について

10号胴体裏面
  久しく月琴の入札から退いていた庵主が,この楽器を落とそうと思うに到ったかについては,この裏板の上のほうに貼られている,5×3センチほどの小さなラベルに理由があります。

  ネオクの写真は不鮮明でしたが,そこにわずかに「日本橋区馬喰町四丁目七番」という住所が見えました。
  庵主のマシンには明治大正の古い人名録などから抜粋した楽器屋さんの一覧があるんですが,そこでその住所でもって検索をかけましたら……出てきたんですねえ,『最近東京市商工名鑑』(東京市商工課・編 大正13年)に

  琴三味線販売 菊芳 岡戸竹次郎 日本橋区馬喰町四丁目七番地

  という方が。

  「日本橋区馬喰町四丁目七番地」は現在の浅草橋のあたり,いま女学校になってる場所ではないかと思われます。もちろん,この楽器屋さん,調べた限りでは現在はここには存在しないようです。

  「岡戸竹次郎」の名前はこのほかに,明治36年に行われた勧業博覧会「楽器部」での受賞者の一人としても出てきます。
  第5回の博覧会で,三絃(しゃみせん)で二等,お箏で三等を貰ってますね。
  腕のいい職人さんだったのでしょう。
  同じ回では,前に紹介した(「十六夜月琴」「月琴の製作者について」参照)清琴斎・山田縫三郎さんが尺八で三等,清笛や月琴で褒状を貰ってますし,スズキバイオリンの祖・鈴木政吉さんは,ヴァイオリンで一等を獲ってます。

  楽器としてどうかはともかく。明清楽の月琴で作者の手がかりがあるのは,資料的に珍しい。

  ネオクの写真では,拡大してもこの住所くらいしか判らなかったんですが,岡戸さんなら清琴斎さんなんかとほぼ同時代の製作家。前に修理した十六夜月琴の記録などと合わせれば,この時代の東京月琴の特徴とかが判るかもしれない!――と,期待わくわくで到着を待ち,包みをほどいて,まずまっさきに確認したのはこの裏面のラベルでした。

裏面ラベル
  さあ読むぞ! ちょっと篆刻風の字体で書いてますが,もともと漢文読みのうえハンコ彫りの前科もある庵主,問題ございません!(ただし草書はまったく読めない)
  と……あで……岡戸さんじゃないぞ……?

  〓琴三弦清
  〓器製造并
  販売舗東京
  日本橋区馬
  喰町四丁目
  七番地菊屋
  福嶋芳之助

  最初の二行は一字目が欠けてます。でもたぶん,「御琴三弦清/楽器製造並ニ」 で間違いないと思うな。「清楽器」は清国(中国)の楽器。「明清楽(みんしんがく)」は,この名前で定着する前は,当時の中国の音楽ということで「清楽(しんがく)」とも呼ばれていました。

  ………知らないヒトだ。
  しかし住所は合ってる。


  「菊芳」 は屋号だから,店名は 「菊屋」 でもいい。
  しかも岡戸さんにはない,「芳」 の字がこのヒトにはある――とすると,この 「福嶋芳之助」 さんこそは菊芳・菊屋の先代(もしくは初代)なのではないでしょうか?

  岡戸竹次郎さんがこの店の二代目だとして,明治41年の博覧会で受賞ということは,その前,最短でも10年ちょっとは親方の下で頑張ってたとする……月琴の流行時期と重ね合わせると,先代のこの楽器は,店を譲る直前,明治20年代から30年代なかばくらいの作と考えていいのでわなかろうか。

  うむ,推理っぽい。(笑)


  いささか邪推っぽくないでもありませんが…まあ今回の採寸・所見・推測から言うと,この「菊芳さん」,楽器としては 「明治20~30年代なかばくらいまでに作られた,普及品中級クラスの中型実用月琴」 ということになります。
  明治後半になると,明清楽の月琴は胴体がやや大型化して薄くなり,棹も伸びて,第4フレットが棹上にあるものが現れてくるようです。菊芳さんの第4フレットも棹上にありますが,位置的には胴体とのほぼ境目,といったところで,棹も胴体もそれほど大きくはなく,だいたい古書に出てくる通常の月琴の寸法内で収まっていますね。

  そこからさらにしぼると…20年代の後半かな?
  ああッ,また邪推が!

  ――というところで,次回に続く。


  あら。「修理報告」なのに,修理してねえや。


5号・鶴寿堂 再修理(2)

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斗酒庵 過去をふりかえる の巻5号・鶴寿堂 再修理(2)

旧悪は三悪よりも強し

割れキターっ!
  接合部の剥離は,生葉や1号のように茎までのムク棹でないかぎり,この楽器ではよくある故障と考えてよいようです。
  しかもいちおう内部のことなんで,意外と分かりにくい。
  今回だって実のところ,あーでもないこーでもないといちおうイジくったすえ,気がついてます。

  普及品の月琴の場合,茎の材料には多く,スギやヒノキなどが使われています――その手の木だとまあ,曲がったり折れてイザ交換となっても,何ももったいなくありませんが。
  中級品以上のものでは,棹材と同じか,同等程度の硬さの木が継がれていることが多いようです。

  鶴寿堂の茎も,おそらく棹と同じカヤ材でしょう。

  同じ材質のものを,わざわざ別部品として切り出し,削りだすよりは,いっそ生葉のようにムクにしちゃったほうが,音的には良いのではと考えますが,一つにはそこまでムクにしちゃうと,より大きな材料が必要になったり,一枚の板から取れる本数が少なくなる――棹茎なんざ,そういうのを切り出した後の,端材余り材でいいわけですし――限られた材料をより無駄なく使う工夫と申せましょう。
  二つには加工上の難度を下げるため,三つ目に,取り外そうと思えばはずせるので,後で棹の角度などを微調整する必要が出た時に,製作側としてラクなわけですね。

棹基部修理(1)
  では修理を…

  ハガれてしまったほうの割れ目に,まずは筆でお湯を何度もふくませ,水分をよく染みこませておきます。

  前にも言ったように,カヤは油分を含んでいます。
  ただニカワを塗っただけでは,表面ではじかれて層になり,またぞろ割レの原因となりますので,まずは接着面を時間をかけてじっくり濡らし,古いニカワをしめ出すと同時に,新しいニカワが木地に染み込みやすいようにしておきます。

  20分ほど,お湯を垂らしては,割れ目を広げたり閉めたりをくりかえし,お湯が接着面全体に滲みたら,ごくうすーく,お湯に近いさらさら状態に溶いたニカワを垂らし,またクニクニと行き渡らせます。
  何度もくりかえしているうちに,割れ目から出てくる水滴がニカワであぶくだってきますから,これを指で拭ってみて,やや粘り気が出てきたら作業終了。

  当て板にくっつかないように和紙をはさんで,クランピング。
  力のかかる箇所ですので,最低一昼夜はそのままにしておきましょう。

棹基部修理(2)
  接合部の割れも無事くっついたようで。

  前のようにちょっと力をかけても割れ目は開きませんでしたが,いちおうさらに補強をしておきましょう。

  棹基部に和紙を貼ります。

  ニカワを薄く塗り,紙の目を交差させて重ね貼り。仕上げに柿渋を刷いて強化します。
  こんなものでも大した丈夫なのですよ。
  電話帳を引き千切れるレスラーでも,たぶん交差貼りした雁皮紙の小片とかは破れないでしょうね。

  スペーサーとしてブナのツキ板を,棹根元の表板側に一枚,茎先端の裏板側に3枚重ね貼りして,胴体とのフィッティングも完了。胴体におさめてみると,棹の指板面は山口のところで,胴体の水平面から約3ミリ背面側に倒れています――いままでの経験から言うと,かなり理想的な数字ですね。



理想の果てのゲンジツ

フレット削り(1)
  棹が理想的な角度におさまり。
  絃高もかなり下がりました。


  それは良いのですが,棹基部のこの不具合,修理の最後の方 「さあ,あとは糸を張って返すだけ!」 てな時になって見つかったもので。

  フレットとか,もうしっかり立てちゃってます。
  そこで絃高が思いっきり下がったもンですから,今度は音が出なくなっちゃいました。

  ビビる,どころじゃありません。

  糸がフレットに完全に乗っかっちゃってるみたいで,もう開放弦すら鳴らない。
  まずはフレットの頭を擦り板で削ってみたんですが,これがもう,その程度じゃぜんぜんダメダメなご様子。
  そのまんま削っていったら,フレットの象牙部分が全部なくなっちゃう!

フレット削り(2)
  …せっかく立てたフレットですが,こりゃまたぜんぶハズして削りなおし,立てなおしですわ。

  もともと今回の修理は,フレットがぽろぽろ取れちゃうので付け直して,というのが発端だったので。
  よっしゃー,そんなら取れんように着けちゃるわいと,かなーりマジで作業してしまいました。

  結果――ここ数年来の修行の成果,といいますか積みあげた巧夫といいますか,我ながら完璧なニカワ着けで…

  棹上のフレットがなかなかハズれてくれません。結局2時間ぐらいかかりましたねー。

  はがれた接着面にはニカワの層すら見えず,指の腹でこすって,わずかにベトつく程度。
  接着前の表面処理と,薄いニカワがポイントだというのが,身に沁みて良くわかりましたよ。

削りカス
  さて,はずしたフレットを削りなおします。

  これがけっこうなもので――どのフレットも,削れど削れど,なかなか合いません。

  最終的には棹上のフレットは平均で約1ミリほど低くなり,胴体上のフレットにいたっては元の2/3ほどの高さにまでなってしまいました。

フレット削り(4)
  最初の修理のときと比べてあまりにも低くなってしまったものですから,ちょっと心配になって,オリジナルのフレットを引っ張り出してきて並べてみたんですが……なんとこれが,ほとんどピッタリ!

  うれしいですねえ。

  期せずして修理の本道,原状回復,道はオリジナルへ――というか,まあ怪我の功名。


  旧悪の懺悔も兼ねて,目出度し。



修理完了!

高音域フレット
  棹基部の不具合は,一箇所を直すと,今度はほかの箇所で再発することもあるので,しばらく様子を見なきゃなりません。
  とりあえず一週間ぐらい,糸張りっぱなしでもとに戻らなきゃ大丈夫。

  最後に,試奏しながらフレットの頭のひっかかるところを均したり,音色や操作感の違いを確かめます――保護塗膜のなくなった,直・木肌の感触がなんともキモチイイですわい。
  カヤは使い込むほどに味の出ることでも有名。

  飴色になるまで,使い込んでやってください。

新作軸
  フレットが低くなったので,操作感があがりました。
  運指への反応も前より早めです。
  新しいスダジイの軸はまだちょっとキツめですが,前作ったカツラのものより丈夫で硬いので,安心して音締めができます。

  今回の再修理で,よりオリジナル(林治兵衛さんが製作した当初)の楽器状態に近くなったとは思いますが,従前の修理時からするとフレットも軸も,絃高も違ってしまったので,弾くがわとしては感触の違いにちょっと戸惑われることになるかもしれませんね。

  音色も,かなり変わりました。

  表面を覆っていた塗膜がなくなり,表面板のお化粧もかなり落としたので,やはり音のヌケが良くなりました。前よりかなりくっきりはっきりした音になったと思いますが,大きくなった音の胴体部分が余韻にかぶさって,ちょっと余韻の響きを損なっていますね。

  前の状態の方が,塗膜のおかげで音がこもって,音は小さくとも余韻が出やすかったのかもしれません。

修理後全景

  ただし,鶴寿堂の修理前,手慣らしでコウモリ月琴で同じように表面処理の改修をしたんですが,そちらの例から言うと,処理後しばらく経って削ったり濡らしたりした部材が落ち着くと,音のバランスが変わって,音量はそのままで,余韻がクリアに伸びてくるようです。
  まだ多少余韻を出しにくいのですが,狭い部屋で弾いてるのに,ときおり天井の高いコンサートホールで聞くような,澄んだリバーブがかかってくるので,余韻のみなもと,響き線はちゃんと機能しているようです。現在は「巨音月琴」の類の音色ですが,おそらくコウモリさんと同じように,一ヶ月ほどすると落ち着いた音色に戻ってゆくことでしょう。



鶴寿堂月琴・再修理後音資料



5号・鶴寿堂 再修理(1)

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斗酒庵 過去をふりかえる の巻5号・鶴寿堂 再修理(1)

ほんの小さな
鶴寿堂,帰る
  工房に5号鶴寿堂が帰ってまいりました。

  新内・端唄の柳家小春さんの手に渡って以来,数年,あちこちのステージで使い込まれてきました。
  主たる修理は,破損した軸の再製作と山口やフレットが取れちゃったのの再接着だけだったんですが,この際なんで,ついでに楽器の表面処理をしなおして,全体をキレイにしてあげることとしました。

  5号鶴寿堂。製作者は名古屋の林治兵衛さん,屋号は鶴屋。(「月琴の製作者について」参照
  明治36年の完成,と分かっております。

  この方の楽器の特徴は,まずその棹にあります。
  棹裏と左右がゆるやかにカーブすながらすぼまってゆく,まさしく「鶴の頚」のようなきれいな棹です。
  指物師などの作ったお飾り月琴では,よくこの棹裏のカーブを付け過ぎて,演奏しにくい楽器になっちゃったりしてますが,鶴屋さんの曲線は行過ぎず,倒れ方が浅めの糸倉と相雑って,実用上の性能と楽器としての美も兼ね備えた,いい仕事の楽器になってますね。

主要修理箇所
  棹裏が曲線なのと完全に真っ直ぐなのとには操作感の好き嫌いがあり,庵主はどちらかといえば「真っ直ぐ派」なんですが,鶴寿堂のカーブは指に心地よく,ネックのうなじのところから最下のフレットまで,手がなめらかに動きます。
  やっぱり西の人だからでしょうか。
  おなじ実用本位の月琴でも,お江戸の清琴斎・山田縫三郎さんの楽器などにくらべると,どこかしら優雅なんですね。


  つぎに特徴的なのはその黄色い材質。

  前回の修理では,木の硬さや色合いから,これをいちおう「サクラ」と推断したものの,サクラにしては薄いその色が「塗り」なのか「染め」なのかも不明。
  再塗装の方法も分からなかったので,各部に残る使用痕もほとんどそのままに,軽くヨゴレ落し程度のことをして,あとはその正体不明の木部表面を保護するため,アルコールニスで全面塗り固めたのでありました。

前回修理全景

前回塗装の様子
  鶴寿堂の修理後も,ネオクなどで同じような色合いの月琴を何面か見かけましたが,実物を手にして確かめられたわけではないので,黄色の正体はいまだに不明ではあるのですが。
  庵主,このところの修理で,古色づけやら塗装やら,誤魔化しのぎじゅちゅに磨きがかかり,黒檀紫檀からチークに白木まで,たいていの木色は再現できるというような,不穏な自信がついてきました。

  月琴の塗装は,薄いほうが音のヌケがよろしい。

  あのころこってりと塗りたくってしまった楽器を,今こそその本来に近いうっすら塗膜のしっとり仕上げに戻し,よりいい響きにしてあげるのは,ヘボながら楽器修理者としての責務なのではなかろうか!――とかって(汗)。
  まあ,旧悪,改むるに如くはなしってところでしょうか。

  さて,アルコールニスは剥がすのがカンタン。
  表面にざっとペーパーをかけ,エタノールを染ませた布で何度も拭います。
  塗装後数年経ってますから,多少は染みこんでいるでしょうが,もしこれが塗りか染めだったら色止めにもなってるハズなのでかえって安心,ごしごしごし。

  地が白木系の木なら,ヤシャブシと砥粉でかなりきれいな黄金色に染められることが「アルファさんの月琴」の製作などを通して分かってます,だからたとえこの黄色が塗りで,多少落ちちゃっても大丈夫,ごしごししゅっしゅ。

棹もごしごし
  ――落ちませんね。

  実用月琴である鶴寿堂は,かなり使い込まれてまして,表面板はバチ痕でいっぱい。
  棹にも胴体にも,大まか細かなキズがついてます。
  前回は表面処理への恐怖からあまり手出しが出来ませんでしたが,今回は,目立つ大きなキズはなるべくキレイにします。
  ペーパーで,こしゅこしゅこしゅ。

  ――色が,変りませんね。

  ハテ?ということはこの黄色い色は「塗り」じゃなく,木材それ自体の色,ということになりますな……。

  これが何の木なのかさえ分かればより完璧な処理ができますし,これ以上なにか間違ったことを仕出かす可能性も下がるというもの。

  そこでいったん作業を中断して,これが何の木で出来ているのか,本格的に調べてみることしました。
  といっても,Web図鑑などを片っ端から見たり,ハンズやウッディプラザさんに行って,実木を見て触って回ったりするくらいしか出来ませんが。とりあいず,候補にあがった木材は次のとおり――

  ツゲ
  イチョウ
  トネリコ
  クワ
  ニレの辺材
  イヌエンジュの辺材
  ヤマエンジュ(フジキ)
  カヤ

  黄色い木材で楽器,といえば。まずまっさきに思い浮かぶのが 「ツゲ」 ですね。
  ツゲは硬く重たく緻密。以前,ツゲのカケラを加工しようとしたことがあるんですが,さすが細密なクシの歯が削れる材,硬く粘りもあって,アートナイフの刃がほとんど進まないくらいでした。

木肌-棹
  こちらの材も,粘りはあり硬いには硬いのですが,それこそサクラくらい?なもので。
  比較的削りやすく切りやすそうです。
  またツゲならきわめて緻密で,木理(木目)もほとんど見えないのですが,こちらの蓮頭や半月に使われている材にはかなり顕著な木目が見えます。棹や胴体の部材はそれほどではありませんが,ツゲほどの緻密さはないようです。目の詰んだ木はほとんどそうですが,触ってみると冷たいものです。この木の肌合いはそれよりも少し温かい。そして比重がツゲにしてはやや軽いですね。

  イチョウはもっと軽くて柔らかい。
  トネリコだともうすこし粗い,削ると独特のニオイがあります。
  クワは琵琶など楽器によく使われる材で,これで作られた月琴も二面ばかり見たことがあります。クワの特徴はその硬さと美しい木理ですが,クワにしてはそれが不鮮明で,やや柔らかい。
  色は近いものの,辺材(丸太の皮に近いほうから採った木材)2種は,そもそも量が少ないので,月琴という比較的量産される楽器には不向きです。また心材に比べると材質的に不安定なところもありますから,これをわざわざ選んで使用するメリットは余りありません。

木肌-胴
  最後まで迷ったのがヤマエンジュとカヤ。

  木材関係の資料にむかし 「エンジュ」 で月琴を作った,と書いてあるのですが,庵主,まだこれで作った楽器を見たことがありません。ふつう「エンジュ」というと黒っぽい材ですんで,黒檀とか紅木紫檀の代用品にしたのではと考えておりましたが,これが 「ヤマエンジュ」 のことだとするとハナシは違う。
  現在はほとんど見かけませんが,「藤木」とも呼ばれるヤマエンジュは,けっこうきれいな黄色い木材です。

  「カヤ(榧)」は針葉樹イチイの仲間。
  ご存知,最高級将棋盤の材料とかで有名ですね。
  ウサ琴では何度か,地元でヲンコとも呼ぶこのイチイを棹材として使用したことがあるのですが,針葉樹とは思えないほど硬く粘りがあって,ノコを噛んで進まないので挽くのにエラく難渋した覚えがあります。
  その仲間であるカヤも,同様に硬く粘りはあるものの,加工性はイチイよりもずっと良い木材で,切る削るの苦労はあまりないそうな。

  まあ,胴体がほとんど針葉樹材,というウサ琴を作ってる庵主が言うのもなんなのですが,九州のゴッタンのようなものを除けば,琵琶にしろ三味線にしろ,邦楽弦楽器の主材といえば広葉樹,という感じもありますし,このカヤを「楽器に使った」という話もあまり聞かないのですが,かつては九州産のカヤ材が,西日本では高級家具の材料としても流通していたという記事も見つけましたから,そうありえないことでもないでしょう。


  決め手がないので,ちょいと実験をしてみます。

  調べた限り,両木材の相違点は 「油分」 のアルナシ。
  これがもし,ヤマエンジュなら,ちょっとやそっと磨いたくらいではツヤらしいツヤは出ません。
  ツヤツヤにするためには,おそらく何らかの塗装が必要でしょう。
  一方,カヤならもともと油分を含んでいるので,空磨きていどでかなりのツヤが出てくるはずです。

  実験箇所は半月。
  蓮頭同様,柾目のきれいな木目が出ていて,当初はヒノキか何かを染めたものだと考えていましたが,さあどうでしょう。

  落としたニスが染まないように周囲をマスキングしてから塗装を拭い去り,ペーパーを#600から#1000まで上げて磨いてみました。

半月実験1 半月実験2 半月実験3

  ――てっかてかです。

  研磨剤もロウがけもせずに,このツヤ。
  さらに削った表面に鼻を近づけてみると,かすかに,ニスやエタノールのではない,針葉樹独特のちょっとツンと来る刺激臭が,わずかにします。

  100%,自信があるかどうかでいうと,そこまでではありませんが。
  これがカヤだとすると,ハナシは早い。
  どこもかしこも「磨けば光る」ハズ。黒檀紫檀と同じくらい,仕上げはラクです。

  仕上げの研磨剤は,砥粉を柿渋で溶き,カルナバ蝋の粉を入れて,亜麻仁油をほんの少し垂らしたもの。
  それ磨け,やれ磨け,で,棹も胴体もたちまちしっとりツヤツヤに。

  うーむ,正体が分からなかったためとはいえ,わざわざこれを塗りこめてたとわ。
  もったいない,もったいない。

フレットやする君
  全再塗装をカクゴしていたんで,この修理,かなり時間がかかると思っていたんですが,最大の山場である表面処理が,異常に早く終わってしまったので,さあ出来た出来た,と,早速組み立てました。

  軸は南越1号に使っていたものを転用。
  スダジイのナチュラルカラー。
  前に作ったカツラの物と比べると,いくぶん短めですが,なかなかに似合ってますぞ。

  ぽろぽろ取れやすいと不評だった山口とフレットも,こんどはジャマな塗膜がないので,ばっちりくっつけます。
  特に取れやすかった棹上フレットの接着には,新兵器 「フレットやする君」 を使用。
  ナニ,竹フレットの端材に両面テープで紙やすり貼り付けただけのものですが。
  これで接着面を適度に荒らし,ニカワを滲みこみやすくして,より強力に接着させようという次第。
  なにせ指板の厚さが1ミリないくらいなので,金ヤスリだとちょっとシンパイなんですわ。

出来た?1
  おお,今回の修理はラクだったなあ。

  でわ,さっそく試奏してみませう。
  糸を張って きゅっきゅっきゅー,とな。
  スダジイの軸はカタいから,キリッ,キチッってな音がして,なんかいい感じだぞ。

  それキチ,キチ,キチ…あれ…チューニングが合わないぞ。

  糸を張ると,棹がわずかに前に傾いてきます。
  もともと棹の取り付け自体がユルめになっていたので,茎にスペーサーを貼ったり,棹元を削って調整したりしてあるのですが,棹と胴体の接合部自体はきっちりハマっているのに,やっぱり棹が倒れてきます。

  さてわ!と,もう一度,棹を抜いて基部を確認してみますと――案の定。
  最近,十六夜月琴,早苗ちゃんの修理で同じような目に合いましたので,はたと気がつきましたね。

割れキターっ!
  茎と棹の接合部が割れています。

  棹基部のV字ホゾの表板側の接着面が剥離。
  両手で握って,ぐっと力をかけるとハガれてるのが分かりますね。
  これですもん……いくら棹基部と胴体をフィッティングさせてても倒れますわな。

  現オーナーに確認したところ,「三味線にくらべるとかなり調弦はたいへんでした、複弦だし仕方ないのかなと思っていましたが…」

  と,いうことは(汗)この箇所は前回修理のとき,すでに……いやいや,すみません。
  こりゃ気がつかなかったワタシのミスでござんす,てか,よく弾いてましたね~。

  かつての自分のいたらなさ,旧悪を改めようとはじめた修理で,さらなる旧悪が…ああ。
  ――というあたりで,次回にツヅク。


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