10号菊芳(2)
2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)
第2回 菊芳さんのハラワタ 蘭秀有りて菊芳有り,佳人を懐いて忘るあたわず――という句が漢・武帝の「秋風辞(しゅうふうのじ)」のなかにあります。明清楽にはこれを歌うための楽譜もあったことだし,清楽器も作ってた「菊芳」さんの名前の由来はこのへんかな。 名前の「芳之助」にもひっかけて八重二十重の連想,さすがに江戸ッ子……言い過ぎかしらん? さて,当初の最大目的(裏面のラベルを拝む)は果たしたし,もうあとはいいや,ポイ。 …………と,いう,ワケには参りません! どうとあれ,庵主の下に,縁あってたどりついた楽器です。 しかも推測からすれば,百年はカクジツに経ているモノノケ。 ちゃんと鳴るように修理してあげなければ,間違いなく祟られちゃいますぅ!(泣) さあて,作業に入りましょう。 前回の所見で列挙したとおり,軸,棹,裏板はほぼ健全。側板も,軽く浮いたり歪んだりはしていますが,割レやヒビのようなものは見当たらず,重度な損傷箇所は主として表面板に集中しています。 なかでも心配なのはこの右端の虫食いですね。表面板を食い切り,ぐにょぐにょの溝が胴材にまで及んでいるのが見えます。そこからさらに,下のほうに向かって何本か,木目に沿って縦に食べてる痕も見受けられ,これがどこまで横に広がってるのかはちょっと判りません。 早苗ちゃんでのきょーふが甦る――ちら見くらいではそれほどヒドい感じじゃなかったんですが,板を剥がして調べてみたら,表面板のほぼ全面,まさしく「縦横無尽」に食い荒らされてたもんなあ。 側板各接合部にも傷みが見られることですし,この食害の範囲を確かめるためにも,やはり表面板をハガし,内部から調べる必要があるようです。 んでわ,ばりばりーっ!の,ぼりぼりーっ!とな。 このところ早苗ちゃんにしろ乙女ちゃんにしろ,ニカワ付けのそれほど上手くない(というかはっきり言って下手くそな)作者の楽器を手がけてきましたが……お江戸菊芳,なかなかにニカワ上手です。 百年超える時間を経ているはずなのに,オリジナルの接着部分のニカワはまだかなり生きていて,実にキレイにしっかり接着されていました。 必要最小限のニカワの薄さと,加工部を密着させる確かな部材の加工。接着部の工作はかなり精巧かと。 まあ,ハガしちゃうんですが。 まずははじめからあるどこかのスキマに刃物を入れて,そこにお湯を含ませ,接着部をハガしながら刃を進め,縁辺をぐるりと一周。縁が完全に浮いたら,最後に金尺をつっこんで左右に引き,内桁からハガす,てのが庵主のいつもの方法です。 かなり手荒い仕業ですが,桐板は接着が良く補修が簡単なので,このくらいして少々割れても欠けても,後でけっこう直せます。 後世の,ボンドによる再接着箇所が一部あって,その辺りで少々板に被害を及ぼしてしまいましたが,だいたい無事に剥ぎとれました。 でわ,恒例の内部簡見とまいりましょう。 内部所見
さあて,例によってツッコミどころが多いのが,この楽器の内部構造の特徴(笑)でもあるんですが,まず何はともあれ,問題はこの下桁ですね。 表面はガサガサの荒材そのまま,途中から厚みが違ってて,しかも何だか板の表面を引き剥がして,テキトウに加工したって感じですね。こんなものを楽器の中に入れますかあ? しかしながら,板の左右は側板裏面にフィットするよう,ちゃんと斜めに削がれてますね。 なのに,なぜこんな中途半端な位置にあるのでしょう? 位置的には半月の上端のほぼ真下ですから,半月を支える構造にはなっています。 しかし…… しばらく観察していて気がついたのですが。 裏表の面板裏面,現在下桁のある位置の1センチほど下方にもう一筋,何やら接着痕めいたものが見えます。 もしやッ!――と,下桁をひっぺがし,表裏左右の接着面を濡らしてみますと…白い…ボンドだ。 うかつにもオリジナルの加工だと思い込んでたんですが,ちくそー,前修理者の仕業だったようですね。 しかもそれをキレイにしていてさらに気がついたんですが,この下桁も上桁と同じように左右の両端がちょっとだけ斜めに削いでありました。しかし,へっついていた時のままだと,その取付け方向が表裏逆……削いであるほうが「裏板がわ」になっていたのです。 桁の左右を削いで,側板・面板との接合部にせまい空間を残すというこの工作が,音孔としての効果を狙ったものなのか,表面板との接着になにか関係があるのか……正直,その意味がいまだ判らないでいるのですが,桁にこの加工がなされるのはだいたい「表板がわのみ」であって,これを上下の桁で逆にしていたような例は,いまのところ見たことがありません。 さらに観察してゆくと,地の側板はどうやら表板側だけではなく,裏板側も全面ボンドで接着されているらしいことが判ってきました。側板からはみだしたボンドが,裏板の内部にわずかに見て取れます。 ここから考えて,この楽器は前修理者の手元にあったとき,地の側板と下桁がはずれちゃっていて,楽器の下がわがぽっかり口をあけた状態だったのではないでしょうか? その状態で接着部にボンドだけをつけ,ほとんどめくら作業で下桁を突っ込んだとすれば,この中途半端な位置もうなづけるというもの。 おそらく突っ込みすぎて,響き線と接触した状態に固定してしまったんでしょう。 あるいは響き線と接触して板が止まったその感触を,「定位置」か何かのように思ってしまったのかもしれません。 外部から見た最初の所見では,この部分にボンド痕などは見つかりませんでした。 再接着のとき,はみだしたボンドを乾く前にきちんと拭い取ったのでしょう――古い楽器の修理にボンドを使うような輩を褒めたくはありませんが,意外と手馴れてますねえ。 また上下の位置はハンパでしたが,板自体をきちんと楽器面に対しほぼ垂直,左右からほとんど均等な位置となるよう調整した痕跡があるので,前修理者はいちおう楽器修理とかの経験者なのかもしれません。 この下桁の位置には,もう一つ。半月の裏にある孔――ある人は 「サウンドホール」 だと言い張ってますが――が関係しているかもしれませんね。 推測される原位置だとこの下桁はその孔のほぼ真下,わずかに干渉する位置に通ります。 この小さな孔から漏れる光を目印に取付け作業を行ったとすれば,この孔は完全に開いていなければならないもの,と考えたかもしれません。それであえて両端を着けず,位置を上方向にズラしたのかもしれません。 そもそも着いてたのが「半月の上端ほぼ真下,楽器垂直面とほぼ並行」という場所・配置も,何やら考えて,きちんと計ってやったぽいです。 さてしかし,ゲンジツは理論や想像よりも奇なり,でありまして。 庵主は内圧調整用の空気孔と考えているこの孔は,半月の接着前にかなりテキトウに開けられるものらしく,けっこう下桁で半分ぐらい隠れてたり,あるいはほとんど塞がってしまっているような例もないではありません。 さらに,前修理者がもう少しきちんと「観察する」余裕を持っていたなら,気がついたかもしれないのですが,この適当な加工の下桁の,表板側の中央には,ほんのわずかですが,その孔を開けた時の痕が残っているのです。(上画像参考) 板の表裏をひっくり返して,表面板の裏側にあるオリジナルの接着痕に合わせると,この加工痕と穴の位置がぴったりと重なります。(左画像参考)。 これに気がついていれば,部材の位置も取付け方向も間違えることはなかった――というのは言いすぎかな。 推理に推理を重ねる。 ときには邪推,ときには妄推。 その道のマニア,というわけではありませんが,庵主のHNは "CHARLIE ZHANG" 。 おおむかしのハワイ警察の警部さんで,有名な探偵さんであります。 ふッ……また推理ばかりで,修理の進まないことよ(笑)。 |