10号菊芳(1)
2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)
第1回 菊芳さんを探せ! 9号早苗ちゃん以来,ひさびさの落札月琴の修理です。 記事で「号」のついている月琴は,研究用に自費で購入した月琴ですね。 そうでないのは主に知人や演奏仲間からの持ち込みですが,庵主,基本,研究のために楽器をイヂくるヒトなので,たんに 「銭出すから,直せや」 という輩には,スパイク付きの軍用ブーツで蹴り入れて,丁重にお断りしております。 中国から渡ってきて大流行。おりょうさんから演歌師まで,猫も杓子も弄び。 日清日中,二度のイクサのそのせいで廃れて,作るヒトも弾く人もいなくなり,お蔵のなかで数十年―― こういう楽器は,何がなんでも幸せになってもらわらなきゃ,修理する甲斐がありませんもの。 修理が終わって再び音が出るようになったなら,毎日,ではなくとも,その存在が忘れられることなく,いつも楽しく弾いてもらえる――それが理想ですね。 たんに 「珍しい楽器なので一度弾いてみたい」 とかいう手合いは工房へどうぞ,いくらでも触らせてあげます。楽器は音を出すもの 「持っていたい」「飾って見ていたい」 だけなら,段ボール製の模型でじゅうぶんです。 いままで修理した月琴たちが,みなそんなふうになってくれてるのかどうか。 正直,それは分かりませんが。 願わくば,楽器も人も,幸せな日々でありますように。 過去のデータを整理していて気がついたのですが,庵主,今回の楽器も含めて,この4年間で同じ方から3面も月琴を買っちゃってますねえ――5号鶴寿堂・コウモリ・そしてこの楽器……いやあ,出るところには出るもんだ。 そしてこの月琴が工房に届いたちょうどその日,たまたま帰ってきてた鶴寿堂は,修理も終わり現オーナーのもとへ帰る準備中,そしてコウモリ月琴はいつも庵主の傍ら,出どころの同じ三面の楽器が,偶然にも一庵に会す,という事態になっておりました。 何か呼び合ったんだのですかね,楽器同士で? ちょっと「因縁」,とかアタマに浮かんじゃいましたよ。 さて,では梱包を解いて。 いつものように観察から。 修理前所見 1.採寸
全長:628mm(棹先端の飾りをのぞく)
胴体 径:352mm 厚:38mm(うち表板 4.5m/裏板 4mm) 棹 全長:278mm(先端飾りをのぞく) 最大幅:31mm 最大厚:30mm 最小厚:23mm 指板相当部分 長:142mm 最大幅:31mm 最小幅:22mm 糸倉 長:150mm(基部から先端まで) 幅:31mm(うち左右側部厚 8mm/弦池 15×110mm ) 指板面からの最大深さ:63mm 山口欠損のため未確定ながら,推定される有効弦長は 405mm 2.各部所見
作者について 久しく月琴の入札から退いていた庵主が,この楽器を落とそうと思うに到ったかについては,この裏板の上のほうに貼られている,5×3センチほどの小さなラベルに理由があります。 ネオクの写真は不鮮明でしたが,そこにわずかに「日本橋区馬喰町四丁目七番」という住所が見えました。 庵主のマシンには明治大正の古い人名録などから抜粋した楽器屋さんの一覧があるんですが,そこでその住所でもって検索をかけましたら……出てきたんですねえ,『最近東京市商工名鑑』(東京市商工課・編 大正13年)に 琴三味線販売 菊芳 岡戸竹次郎 日本橋区馬喰町四丁目七番地 という方が。 「日本橋区馬喰町四丁目七番地」は現在の浅草橋のあたり,いま女学校になってる場所ではないかと思われます。もちろん,この楽器屋さん,調べた限りでは現在はここには存在しないようです。 「岡戸竹次郎」の名前はこのほかに,明治36年に行われた勧業博覧会「楽器部」での受賞者の一人としても出てきます。 第5回の博覧会で,三絃(しゃみせん)で二等,お箏で三等を貰ってますね。 腕のいい職人さんだったのでしょう。 同じ回では,前に紹介した(「十六夜月琴」「月琴の製作者について」参照)清琴斎・山田縫三郎さんが尺八で三等,清笛や月琴で褒状を貰ってますし,スズキバイオリンの祖・鈴木政吉さんは,ヴァイオリンで一等を獲ってます。 楽器としてどうかはともかく。明清楽の月琴で作者の手がかりがあるのは,資料的に珍しい。 ネオクの写真では,拡大してもこの住所くらいしか判らなかったんですが,岡戸さんなら清琴斎さんなんかとほぼ同時代の製作家。前に修理した十六夜月琴の記録などと合わせれば,この時代の東京月琴の特徴とかが判るかもしれない!――と,期待わくわくで到着を待ち,包みをほどいて,まずまっさきに確認したのはこの裏面のラベルでした。 さあ読むぞ! ちょっと篆刻風の字体で書いてますが,もともと漢文読みのうえハンコ彫りの前科もある庵主,問題ございません!(ただし草書はまったく読めない) と……あで……岡戸さんじゃないぞ……?
〓琴三弦清 〓器製造并 販売舗東京 日本橋区馬 喰町四丁目 七番地菊屋 福嶋芳之助 最初の二行は一字目が欠けてます。でもたぶん,「御琴三弦清/楽器製造並ニ」 で間違いないと思うな。「清楽器」は清国(中国)の楽器。「明清楽(みんしんがく)」は,この名前で定着する前は,当時の中国の音楽ということで「清楽(しんがく)」とも呼ばれていました。 ………知らないヒトだ。 しかし住所は合ってる。 「菊芳」 は屋号だから,店名は 「菊屋」 でもいい。 しかも岡戸さんにはない,「芳」 の字がこのヒトにはある――とすると,この 「福嶋芳之助」 さんこそは菊芳・菊屋の先代(もしくは初代)なのではないでしょうか? 岡戸竹次郎さんがこの店の二代目だとして,明治41年の博覧会で受賞ということは,その前,最短でも10年ちょっとは親方の下で頑張ってたとする……月琴の流行時期と重ね合わせると,先代のこの楽器は,店を譲る直前,明治20年代から30年代なかばくらいの作と考えていいのでわなかろうか。 うむ,推理っぽい。(笑) いささか邪推っぽくないでもありませんが…まあ今回の採寸・所見・推測から言うと,この「菊芳さん」,楽器としては 「明治20~30年代なかばくらいまでに作られた,普及品中級クラスの中型実用月琴」 ということになります。 明治後半になると,明清楽の月琴は胴体がやや大型化して薄くなり,棹も伸びて,第4フレットが棹上にあるものが現れてくるようです。菊芳さんの第4フレットも棹上にありますが,位置的には胴体とのほぼ境目,といったところで,棹も胴体もそれほど大きくはなく,だいたい古書に出てくる通常の月琴の寸法内で収まっていますね。 そこからさらにしぼると…20年代の後半かな? ああッ,また邪推が! ――というところで,次回に続く。 あら。「修理報告」なのに,修理してねえや。 |