5号・鶴寿堂 再修理(1)
5号・鶴寿堂 再修理(1)
ほんの小さな 工房に5号鶴寿堂が帰ってまいりました。 新内・端唄の柳家小春さんの手に渡って以来,数年,あちこちのステージで使い込まれてきました。 主たる修理は,破損した軸の再製作と山口やフレットが取れちゃったのの再接着だけだったんですが,この際なんで,ついでに楽器の表面処理をしなおして,全体をキレイにしてあげることとしました。 5号鶴寿堂。製作者は名古屋の林治兵衛さん,屋号は鶴屋。(「月琴の製作者について」参照) 明治36年の完成,と分かっております。 この方の楽器の特徴は,まずその棹にあります。 棹裏と左右がゆるやかにカーブすながらすぼまってゆく,まさしく「鶴の頚」のようなきれいな棹です。 指物師などの作ったお飾り月琴では,よくこの棹裏のカーブを付け過ぎて,演奏しにくい楽器になっちゃったりしてますが,鶴屋さんの曲線は行過ぎず,倒れ方が浅めの糸倉と相雑って,実用上の性能と楽器としての美も兼ね備えた,いい仕事の楽器になってますね。 棹裏が曲線なのと完全に真っ直ぐなのとには操作感の好き嫌いがあり,庵主はどちらかといえば「真っ直ぐ派」なんですが,鶴寿堂のカーブは指に心地よく,ネックのうなじのところから最下のフレットまで,手がなめらかに動きます。 やっぱり西の人だからでしょうか。 おなじ実用本位の月琴でも,お江戸の清琴斎・山田縫三郎さんの楽器などにくらべると,どこかしら優雅なんですね。 つぎに特徴的なのはその黄色い材質。 前回の修理では,木の硬さや色合いから,これをいちおう「サクラ」と推断したものの,サクラにしては薄いその色が「塗り」なのか「染め」なのかも不明。 再塗装の方法も分からなかったので,各部に残る使用痕もほとんどそのままに,軽くヨゴレ落し程度のことをして,あとはその正体不明の木部表面を保護するため,アルコールニスで全面塗り固めたのでありました。 鶴寿堂の修理後も,ネオクなどで同じような色合いの月琴を何面か見かけましたが,実物を手にして確かめられたわけではないので,黄色の正体はいまだに不明ではあるのですが。 庵主,このところの修理で,古色づけやら塗装やら,誤魔化しのぎじゅちゅに磨きがかかり,黒檀紫檀からチークに白木まで,たいていの木色は再現できるというような,不穏な自信がついてきました。 月琴の塗装は,薄いほうが音のヌケがよろしい。 あのころこってりと塗りたくってしまった楽器を,今こそその本来に近いうっすら塗膜のしっとり仕上げに戻し,よりいい響きにしてあげるのは,ヘボながら楽器修理者としての責務なのではなかろうか!――とかって(汗)。 まあ,旧悪,改むるに如くはなしってところでしょうか。 さて,アルコールニスは剥がすのがカンタン。 表面にざっとペーパーをかけ,エタノールを染ませた布で何度も拭います。 塗装後数年経ってますから,多少は染みこんでいるでしょうが,もしこれが塗りか染めだったら色止めにもなってるハズなのでかえって安心,ごしごしごし。 地が白木系の木なら,ヤシャブシと砥粉でかなりきれいな黄金色に染められることが「アルファさんの月琴」の製作などを通して分かってます,だからたとえこの黄色が塗りで,多少落ちちゃっても大丈夫,ごしごししゅっしゅ。 ――落ちませんね。 実用月琴である鶴寿堂は,かなり使い込まれてまして,表面板はバチ痕でいっぱい。 棹にも胴体にも,大まか細かなキズがついてます。 前回は表面処理への恐怖からあまり手出しが出来ませんでしたが,今回は,目立つ大きなキズはなるべくキレイにします。 ペーパーで,こしゅこしゅこしゅ。 ――色が,変りませんね。 ハテ?ということはこの黄色い色は「塗り」じゃなく,木材それ自体の色,ということになりますな……。 これが何の木なのかさえ分かればより完璧な処理ができますし,これ以上なにか間違ったことを仕出かす可能性も下がるというもの。 そこでいったん作業を中断して,これが何の木で出来ているのか,本格的に調べてみることしました。 といっても,Web図鑑などを片っ端から見たり,ハンズやウッディプラザさんに行って,実木を見て触って回ったりするくらいしか出来ませんが。とりあいず,候補にあがった木材は次のとおり――
ツゲ イチョウ トネリコ クワ ニレの辺材 イヌエンジュの辺材 ヤマエンジュ(フジキ) カヤ 黄色い木材で楽器,といえば。まずまっさきに思い浮かぶのが 「ツゲ」 ですね。 ツゲは硬く重たく緻密。以前,ツゲのカケラを加工しようとしたことがあるんですが,さすが細密なクシの歯が削れる材,硬く粘りもあって,アートナイフの刃がほとんど進まないくらいでした。 こちらの材も,粘りはあり硬いには硬いのですが,それこそサクラくらい?なもので。 比較的削りやすく切りやすそうです。 またツゲならきわめて緻密で,木理(木目)もほとんど見えないのですが,こちらの蓮頭や半月に使われている材にはかなり顕著な木目が見えます。棹や胴体の部材はそれほどではありませんが,ツゲほどの緻密さはないようです。目の詰んだ木はほとんどそうですが,触ってみると冷たいものです。この木の肌合いはそれよりも少し温かい。そして比重がツゲにしてはやや軽いですね。 イチョウはもっと軽くて柔らかい。 トネリコだともうすこし粗い,削ると独特のニオイがあります。 クワは琵琶など楽器によく使われる材で,これで作られた月琴も二面ばかり見たことがあります。クワの特徴はその硬さと美しい木理ですが,クワにしてはそれが不鮮明で,やや柔らかい。 色は近いものの,辺材(丸太の皮に近いほうから採った木材)2種は,そもそも量が少ないので,月琴という比較的量産される楽器には不向きです。また心材に比べると材質的に不安定なところもありますから,これをわざわざ選んで使用するメリットは余りありません。 最後まで迷ったのがヤマエンジュとカヤ。 木材関係の資料にむかし 「エンジュ」 で月琴を作った,と書いてあるのですが,庵主,まだこれで作った楽器を見たことがありません。ふつう「エンジュ」というと黒っぽい材ですんで,黒檀とか紅木紫檀の代用品にしたのではと考えておりましたが,これが 「ヤマエンジュ」 のことだとするとハナシは違う。 現在はほとんど見かけませんが,「藤木」とも呼ばれるヤマエンジュは,けっこうきれいな黄色い木材です。 「カヤ(榧)」は針葉樹イチイの仲間。 ご存知,最高級将棋盤の材料とかで有名ですね。 ウサ琴では何度か,地元でヲンコとも呼ぶこのイチイを棹材として使用したことがあるのですが,針葉樹とは思えないほど硬く粘りがあって,ノコを噛んで進まないので挽くのにエラく難渋した覚えがあります。 その仲間であるカヤも,同様に硬く粘りはあるものの,加工性はイチイよりもずっと良い木材で,切る削るの苦労はあまりないそうな。 まあ,胴体がほとんど針葉樹材,というウサ琴を作ってる庵主が言うのもなんなのですが,九州のゴッタンのようなものを除けば,琵琶にしろ三味線にしろ,邦楽弦楽器の主材といえば広葉樹,という感じもありますし,このカヤを「楽器に使った」という話もあまり聞かないのですが,かつては九州産のカヤ材が,西日本では高級家具の材料としても流通していたという記事も見つけましたから,そうありえないことでもないでしょう。 決め手がないので,ちょいと実験をしてみます。 調べた限り,両木材の相違点は 「油分」 のアルナシ。 これがもし,ヤマエンジュなら,ちょっとやそっと磨いたくらいではツヤらしいツヤは出ません。 ツヤツヤにするためには,おそらく何らかの塗装が必要でしょう。 一方,カヤならもともと油分を含んでいるので,空磨きていどでかなりのツヤが出てくるはずです。 実験箇所は半月。 蓮頭同様,柾目のきれいな木目が出ていて,当初はヒノキか何かを染めたものだと考えていましたが,さあどうでしょう。 落としたニスが染まないように周囲をマスキングしてから塗装を拭い去り,ペーパーを#600から#1000まで上げて磨いてみました。 ――てっかてかです。 研磨剤もロウがけもせずに,このツヤ。 さらに削った表面に鼻を近づけてみると,かすかに,ニスやエタノールのではない,針葉樹独特のちょっとツンと来る刺激臭が,わずかにします。 100%,自信があるかどうかでいうと,そこまでではありませんが。 これがカヤだとすると,ハナシは早い。 どこもかしこも「磨けば光る」ハズ。黒檀紫檀と同じくらい,仕上げはラクです。 仕上げの研磨剤は,砥粉を柿渋で溶き,カルナバ蝋の粉を入れて,亜麻仁油をほんの少し垂らしたもの。 それ磨け,やれ磨け,で,棹も胴体もたちまちしっとりツヤツヤに。
うーむ,正体が分からなかったためとはいえ,わざわざこれを塗りこめてたとわ。
もったいない,もったいない。 全再塗装をカクゴしていたんで,この修理,かなり時間がかかると思っていたんですが,最大の山場である表面処理が,異常に早く終わってしまったので,さあ出来た出来た,と,早速組み立てました。 軸は南越1号に使っていたものを転用。 スダジイのナチュラルカラー。 前に作ったカツラの物と比べると,いくぶん短めですが,なかなかに似合ってますぞ。 ぽろぽろ取れやすいと不評だった山口とフレットも,こんどはジャマな塗膜がないので,ばっちりくっつけます。 特に取れやすかった棹上フレットの接着には,新兵器 「フレットやする君」 を使用。 ナニ,竹フレットの端材に両面テープで紙やすり貼り付けただけのものですが。 これで接着面を適度に荒らし,ニカワを滲みこみやすくして,より強力に接着させようという次第。 なにせ指板の厚さが1ミリないくらいなので,金ヤスリだとちょっとシンパイなんですわ。 おお,今回の修理はラクだったなあ。 でわ,さっそく試奏してみませう。 糸を張って きゅっきゅっきゅー,とな。 スダジイの軸はカタいから,キリッ,キチッってな音がして,なんかいい感じだぞ。 それキチ,キチ,キチ…あれ…チューニングが合わないぞ。 糸を張ると,棹がわずかに前に傾いてきます。 もともと棹の取り付け自体がユルめになっていたので,茎にスペーサーを貼ったり,棹元を削って調整したりしてあるのですが,棹と胴体の接合部自体はきっちりハマっているのに,やっぱり棹が倒れてきます。 さてわ!と,もう一度,棹を抜いて基部を確認してみますと――案の定。 最近,十六夜月琴,早苗ちゃんの修理で同じような目に合いましたので,はたと気がつきましたね。 茎と棹の接合部が割れています。 棹基部のV字ホゾの表板側の接着面が剥離。 両手で握って,ぐっと力をかけるとハガれてるのが分かりますね。 これですもん……いくら棹基部と胴体をフィッティングさせてても倒れますわな。 現オーナーに確認したところ,「三味線にくらべるとかなり調弦はたいへんでした、複弦だし仕方ないのかなと思っていましたが…」 と,いうことは(汗)この箇所は前回修理のとき,すでに……いやいや,すみません。 こりゃ気がつかなかったワタシのミスでござんす,てか,よく弾いてましたね~。 かつての自分のいたらなさ,旧悪を改めようとはじめた修理で,さらなる旧悪が…ああ。 ――というあたりで,次回にツヅク。 |