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10号菊芳(5)

KIKU_05.txt
斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(5)2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)

第5回 菊芳さん,直る

完成前

  さあ,表面板が戻って,胴体も箱になったし。
  ここまでくればあとひとふんばり,がんばりましょう。
  しからば今回はここから――

  半月を付けます。

  棹や胴体に数箇所,中心の目印を書いて。山口から垂らした糸を使い,中心線を出し,左右の糸のバランスを見ながら,取付け位置を探ってゆきます。
  計測や計算はあくまで目安。
  最終的には自分の眼で決めましょう。

  ハカリより眼の方が合ってることが,結構多いもんです。

半月位置決め(1) 半月位置決め(2)

半月接着
  位置が決まったら,両面にニカワを塗って,ズレないように当て木をしてクランピング。

  接着面はよーく均し,湿らせ,面板のほうは粗めのペーパーで少し荒らしておきます。
  今回は胴体が箱になってからのクランピングですので,それほど大胆に圧がかけられませんが,これだけやっておけば,まあそうそう吹っ飛ぶこともございますまい。

  力のかかる箇所ですので,用心のため,接着の養生に二日ばかり置きます。

山口製作
  山口は今回,最近清掃・改修した愛器コウモリ月琴にいままで使用していたものを,削りなおしました。
  材質はいつものとおり,ローズウッド+象牙の,ツーピース斗酒庵仕様。
  上手く合わなかったときの用意に,いちおうもう一つ作っておきましたが,高さもちょうどよく,不用だったようですね……次の修理にでも使いましょう。

  半月が付き,山口が付けば,この楽器はほぼ完成したも同然。

第一次フレッティング
  フレットをこさえます。

  10号菊芳さんは中級の普及品なので,定番の竹フレットにします。
  竹フレットは事後の処理(強化・塗装)がタイヘンなものの,本体の製作自体は,ひじょーやり易く実にカンタン。

  スパスパ,ゴシゴシ,サッサッサー。

  しかし,胴体上の第5フレットまで作ったあたりのことでした……高い,高すぎるっ!

  弦高が高すぎます。

  普及品クラスの楽器は,あまりきちんと調整がなされないまま製作されるので,だいたい弦高が高め。
  現状での棹の傾きも,同レベルの楽器であるコウモリさんとほぼ同じで,その意味ではこんなものではあるのですが,これだとちょっと弾きにくい。

  奏法から言っても,昔はそれでよかったのかもしれませんが。
  せっかく百年の時を生き延びて,庵主の下にきた楽器です。
  これからはずっと弾いてもらえるように,ちょっと調整いたしましょう。
  まずはコウモリさんと同じ手を。

ゲタ接着
  半月にゲタを履かせます。

  ゲタ,つまりスペーサーですね。
  半月の端,糸穴の裏に竹を細く削ったものを貼り付け,糸の出る位置を下げるわけです。
  これも毎度おなじみの技法ですね。
  二度ほど作り直しましたが,絃高を半月のところで 1.5 ミリほど下げることに成功しました。


  この状態で,一度最終フレットまで完成させ,出来たフレットは柿渋+ヤシャ液のタンニンな汁にほおりこみ,色付けと強化をしておきます。
  タンニン液に一昼夜,一昼夜乾燥。ラックニスに一昼夜,一昼夜乾燥…フレット本体の工作は,ほんの4時間ほどだったんですが,その後のなんと長いことよ。

  一週間ぐらい,かかっちゃってますもんね。



塗装(1)
  さて,塗装に入ります。

  菊芳さんの棹や本体にはヒビも割れもなく健全ですので,敢てニスやカシュー塗りなど,塗膜のある塗装で表面を保護する必要はありません。
  塗装は早苗ちゃん以来定番となった,「古色付け」技法の流用。

  ベンガラと砥粉,炭粉,柿渋と亜麻仁油,で参ります。

  糸倉や半月に,オリジナルの色合いが残っていますから,それを参考にベンガラや炭粉を調合し,柿渋で溶いて布でこすりつけます。面板に滲みこむとタイヘンなので,ちゃんとマスキングしときましょうね。
  ベンガラは隠蔽性の高い顔料なので,厚めに塗ると木目がまったく見えなくなっちゃいますが,この塗料はあとで磨きながら落とすので,最初に塗るときはちょっと厚めでもかまいません。

塗装(2)
  いちど塗装を乾かしてから,柿渋に亜麻仁油を二三滴垂らしたものを布につけて,拭い取るように磨き上げます。
  隠したいところは軽くこすってベンガラを残し,木目を立たせたいところは何度もこすって下地を透かします。
  ベンガラの色が薄くなりすぎたところは,また塗って,また磨く――なんどもやり直せるところが,この工法の好い所ですね。

  お飾りも塗装します。
  塗装法は同じ。

  ふっふっふ…もはやどれがオリジナルだか分かるまい。

  胴体はいー感じに出来たんですが,棹の左右にどうしても色が乗ってくれないところがありました。
  木目の関係でしょうか?
  あるいは弾き手の手の油が滲みちゃってるのでしょうか?
  エタノで拭いてもまったく効果がなかったのですが,濃い目の重曹水で拭ってからやり直したところ,今度はしっかりと色が付きました。

  ……重曹水,スゲェ。

塗装(3) 塗装(4) 塗装(5)



軸先強化   塗装の合間に,小作業をいくつか。

  軸先を強化します。
  菊芳さんの糸巻きはかなり軽く,かつ柔らかめな素材で作られています。
  使用痕として,調弦で糸の食い込んだ痕跡もバッチリ残ってるくらい。

  前回紹介した記事で,もう一つ発見だったのは 「轉手胡桃(てんじゅ,くるみ)」 の一節ですね。
  「轉手」は糸巻きのこと。

  日本の「クルミ」は西洋の「ウォルナット」と違って,木目がやや粗く,軽くて柔らかな素材です。
  糸を巻き取りチューニングをする,大事な,力のかかる部品なので,こういう柔らかめな材料で作るという頭があまりありませんでしたが,たしかに思い返してみると,4号千鶴ちゃんの糸巻きなどは間違いなくこれですね。
  菊芳さんの軸は4号月琴のにくらべると木目は密ですが,これももしかすると同じ「クルミ」で,その辺材(樹皮のがわ・木目が粗く柔らかい)と中心材(一般に辺材よりも密)の違いかもしれません。

  経年のほったらかしでツヤのなくなった全体を亜麻仁油で磨き,ちょうど塗装でも使っている,柿渋+亜麻仁油の溶液を軸先に塗って固めます。

棹茎調整
  続いて棹の調整。

  ゲタを履かせたので,このままでもオリジナルよりは絃高がかなり低くなってはいるのですが,イマイチ足りません。

  差込が少しゆるいので,その調整も兼ねて,棹茎の先端裏側にツキ板を貼ります。
  これでわずかながら棹尻のほうが上がって,棹の傾きが増すはず。



第二次フレッティング(1)
  塗装も仕上がりましたので,楽器を組み立て,フレットを再接着します。

  強化やら色付けやらで一週間もかけたフレットは,竹ながらツヤツヤのピカピカ,ですが……最後に噛ませたツキ板が効いたのか,絃高がさらに下がり,そのフレットを削りこみながらの作業となりました。

  1ミリは低くなったね。

第二次フレッティング(2)
  より強固なフレット接着をお約束。
  「フレットやする君」,今回も大活躍です!


菊芳は:
 弾きやすさが10あがった。
 音量が5あがった。


  そしてお飾りを付け,絃停を貼って。

  2009年6月13日,10号菊芳,修理完了!!!

修理完了!




  さっそく試奏してみました。

  まずやっぱり――

  江戸ッ子の月琴ですねえ。

  音の胴体は比較的短く,シャキシャキと小気味のいい響きながら,低音の余韻が深くて長い。
  音量も出ていますよ。かなり大きい。
  いまはまだ修理の影響もあって,耳に少しキツいくらいの音量・余韻が出てますが,この夏を過ぎた頃にはもう少し落ち着いた,しっとりめの響きに変わってきましょう。

  N氏や生葉にくらべるとまだやや高めではありますが,絃高下げをしつこくやらかしたおかげで,運指も何とかなめらかにできるくらいのフレット高となりました。
  材質のせいかやや軽めですが,楽器自体のバランスも悪くはありません。

  何度も言っているように,この10号菊芳は普及品中等クラスの楽器ですが,作りや材質がちょっとアレでも,あちこちに手抜きがあっても,さすが「第三回内国勧業博覧会」受賞者の作品。
  ゲタを履かせて絃高を下げたり,各部の接合を補強するなど,ちょっと手を加えただけで,コンサーティナ・レベルの楽器にも,じゅうぶん対抗できるよう楽器になっていると思います。
  まあ,もっとも音全体の深みではかないませんが,演奏者の腕前次第では,逆に食うことも可能でしょうね――そんなことさえ感じさせる,力強さと確かな音質を持っています。

  イキ,というよりはイナセ,な音です。


10号菊芳全景

  馬喰町四丁目七番地,店名は菊屋,屋号は菊芳。
  初代は福嶋芳之助(第三回内国勧業博覧会受賞者),二代岡戸竹次郎(第五回同会受賞)。
  その初代の作品,製作時期は明治10年代~20年代前半。

  平成年間修理担当:東都琴士・斗酒庵

  主要修理箇所:表面板右側補修,内部構造修復・補強,蓮頭・山口・フレット・右目摂,ならびに中央扇飾りの再製作。棹基部調整。表面板清掃ならびに棹,胴側部再塗装。


  さて,この楽器は,できればせめて,関東に残しておきたいですねえ……




10月琴菊芳・音源

  1.開放弦
  2.音階(1)
  3.音階(2)低音弦/高音弦それぞれ
  4.九連環
  5.蝴蝶飛
  6.十二紅



10号菊芳(4)

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斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(4)2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)

第4回 菊芳さん,箱になる

  月琴音楽の全国的な流行は,日本における印刷技術の近代化と,維新に伴う新知識への欲求からきた出版ブームと時期が重なります。それなもので,現在では弾く人もほとんどいなくなってしまった楽器ですが,楽譜や関係する当時の文献が,けっこう大量に残されているのですね。

  そういう本がいっぱい見れるのが「国会図書館近代デジタルライブラリー」。

  興味のある方は一度のぞいて「月琴」や「明清楽」で検索してみてください。

  でもって,相変わらずその国図のアーカイブをほじくってたんですが,今回は『明治十年内国勧業博覧会出品目録』(M.10)という本の中に,月琴に関する資料を見つけました――第一回の内国勧業博覧会のカタログですな,絵は入ってませんが。
  ほかの回のカタログでは,一等二等の受賞者のもの以外に,こういう記述のついてた記憶があまりないのですが,それぞれの月琴の作者についてのほかに,簡単ながら,その材料として「どんな木が使われた」のかが書かれています。

  月琴(一)紫檀外雑品,琵琶(二)黒檀,胡琴(三)鉄刀木,提琴(四)樟  東京牛込矢来町  田島勝
  月琴(一)桐胴桜棹轉手胡桃,胡琴(二)竹製  東京小梅村  石川幸蔵
  月琴(一)桐朴紫檀  東京長谷川町  井出武四郎
  月琴(一)桐他諸木,撥鼈甲  東京本所横網町一丁目  村上致信

  月琴の高級なものの本体は,紫檀・黒檀・鉄刀木といった,三大唐木で出来ています。
  そうした手合いだと一目瞭然で比較的分かりやすいのですが,中級以下の楽器の場合は種々雑多な……そりゃもう,何だか分からないような材木が使われています。
  それを,庵主も良くやってるように,ベンガラや柿渋なんかで染められちゃったりすると,表面的な色や木肌からだけでは,何の木だかはまず分かりません。

  唐木以外の材料で庵主が確認できた確実なところでは,「鶴寿堂」のカヤ(棹・胴),「1号月琴」「コウモリ月琴」のサクラ(胴)があります。また月琴の主材料として「クリ」をあげている本もあるのですが,今のところこれで出来た月琴は,早苗ちゃんくらいしか見たことがありません。胴材として「エンジュ」が使われた,という記述も見たことがあるのですが,それで出来たと分かる楽器にも,まだお目にかかっていませんね。



矯正・補強完了

  では修理です。

  前回,水をふくませ,クランプでしめた接合部の矯正は,かなりうまくいったようすで。
  接着の劣化と,木材の収縮。そして修理の過程で生じた部材同士の食い違い段差は,かなり小さくなりましたし,接合部をつなぐように裏から補修板を噛ませたので,強度的な心配ももう余りありません。

  さて,んでは開いた箱を,閉じるとしましょう。

表面板縁の補修
  まずその前に,表板の裏側,ボンド野郎のせいで剥がすときに痛めてしまった縁辺部を補修しておきます。

  これをちゃんとやっておかないと,へっつけたあと,縁が凸凹になっちゃいますからね。

下桁接着
  そして内桁……といっても上桁ははずさなかったので,再接着するのは,例のミョーなところにボンド着けされてた下桁のみ。

  前々回の記事で書いたとおり,前修理者が接着面に塗りたくった木工ボンドは,すでにキレイにこそげてあります。本来の取付け位置のすぐそばには接合部があり,この部分の補強材はあらかじめ,この下桁が乗っかるようなカタチに,細く削っておきました。
  補強材としてはかなりギリギリな大きさですが,ここに下桁を密着させれば,強度的には問題なくなりましょう。

  下桁が定位置にはピッタリまるよう,補強材をさらに微妙に削って調整,ニカワを塗って,クランプで固定します。

下桁接着(2)
  下桁がくっついたので,その両端に合わせて,補強材の上端も削りこんでおきます。

  この加工の意味はいまだに不明なので,何らかの効果があったとして,そこに影響があるかどうかも分からないのですが,内部のことなだけに後で何かあったら困ります。そういう危険は少しでも減じておきたいところ……こうしてとりあえず合わせておけば,そんなにヒドいことにはならないでしょう……たぶん。


  最後に作業中,テープでとめておいた響き線を開放し,曲がりや角度を調整します。
  楽器を立てて,演奏姿勢に構えたときに,ちょうど中心でチワワのように震えているくらい。
  最大に揺れても,表板を叩かないように,あっちを曲げ,こっちを戻し――けっこう時間がかかります。

  接合部のスキマには,ツキ板を削って埋め木をしておきます。


  これで中身はばっちり。

  なるべくなら,もう開くようなことはありませんように。
響き線調整
スキマ埋め

表面板再接着(1)
  胴体と表板を重ね,もっともピッタリな(というか,「削りなおし」の時もっとも被害の少なそうな)位置を探ります。

  今回は半月も取っぱらってしまっているので,表板のもともとの中心線もあまり気にする必要がありません。
  また,虫食いの補修部分に大きめの板を継いだので,左右にも余裕があり,多少ならズレても平気です。

表面板再接着(2)
  これぞ!という位置が決まったら,すかさず縁辺三箇所ばかりに,ピンバイスで小さな穴をあけます。

  これを 「命のアナA」 と名づけます。

  ここに削った細い竹を挿し,再接着のガイドとする――前回「N氏の月琴」でお試し済みの,スグレ技です。

  二度ばかりシュミレーションして,穴の位置と手順を確認したらいよいよ再接着。
  ニカワを塗る前に,接着部にはよーく水分を含ませておきましょう。
  たんに板をかぶせるだけながら,この作業,意外と時間がかかります。その間にニカワが乾いちゃうと,さらにやり直しですからね。

  ニカワもごく薄く溶いたものを,何度も塗っては指の腹でなじませます。

  表面にニカワの層がないのに,指を押し付けるとベタつき感がある,というくらいに染ませたら,最後に筆で軽くお湯を刷いて。「命のアナA」に挿した竹串を目安に,練習したとおりの位置に,板をハメこみます。

  んで,すかさずクランピング。
  何度やってもけっこう大変。




表面板接着完了(1)
表面板接着完了(2)
  翌日……胴体がとうとう箱に戻りました。

  再接着作業のイノチ綱となった,ガイドの竹串も引っこ抜いておきましょう。

  ――ご苦労様でした。ありがとうございます。

  ほんの小さな穴,ほんの小さな工夫ですが,これがあるとないとでは作業の精度が,そして難易度が問題にならないくらい違ってきます。

胴体整形(1)
  さあ板の余分を切り取り,胴側面を削り直しましょう。

  ジョリジョリ,ゴリゴリ…………おや?

  冒頭に紹介した記事の三番目の項目で,「月琴の素材」として「朴(ホオ)」というのがあげられておりますね。ホオはやや柔らかめですが加工しやすい木で,ちょっとした細工物や彫刻に良く使われ,ほかの月琴でもよく,お飾りや目摂の材料として,よくベンガラで塗ったこれの薄板が使われています(今回,庵主が作った目摂や扇飾りもホオ板製)。
  そうした小物,付属品はともかく,この木材をこういう「弦楽器の本体」に使ったというような記述は,庵主,あまり見た記憶がありませんが――

  菊芳さんの胴体………これ,「ホオ」ですね。

  当初,庵主はこれを,楽器としての等級,また色合いから,早苗ちゃんと同じく 「クリ」 だと見ていたのですが,実際に削ってみると,感触がまったく違います。
  早苗ちゃんの胴材はもっと軽くて木肌も粗く,どちらかというとモロモロとした削れ具合だったのですが,木肌の色は似ているものの,菊芳さんのほうはずっと密で,シャリシャリと削れます。以前,彫刻材とカタマリを削ったこともあるので,たぶん間違いないと思います。

  「10号菊芳月琴,胴体はホオ。」
  訂正して了んぬ。

  ヤスリで段差をなくし,#240のペーパーでヤスリ目をキレイにします。

胴体整形(2) 胴体整形(3) 胴体整形(4)



棹基部補修(1)   さて,胴体も無事箱になりました。
  しかしここに来て,色塗りの前にどしてもやっとかなきゃならないことが一つ……

  よ~し~の~すぅ~けぇ~っ!(怒)

  てめェはホントーに,なんて雑な仕事しやがるッ!

  「はっはん,棹なんざ誰も抜いて見ねェヨ~」

  ――とか考えたろ,テメッ!
  (と,ゲンノウを投げつける)

棹基部補修(2)
  棹茎と棹本体の接合部にあるエラいスキマを,ツキ板で埋めます。


  接着は上手いヒトなので,これだけスキマってても,現状,割れもヒビもないのですが,このところココが原因の不具合をけっこう見てきたので,長期的に見るとかなり心配。

  転ばぬ先の杖,先手を打っておきまする。

棹基部補修(3)
  更に棹基を調整。

  修理作業の前に棹の傾きを調べたところ,かなり浅い方だったので,これをもうあと2ミリほど傾けたいところです。
  とりあえずは胴体にもともと刻まれていた調整用の溝を,ナイフとリューターで少し深くして,棹の背面側がもう少し落ち込むように加工。胴体を少し削ってしまったので,棹との接合部にほんのすこしスキマが出来ており,その調整と同時にやってます。
  うーっ。
  単純な面と面の問題じゃなく,3Dで考えなきゃなんで,数学恐怖症のこの脳味噌には多少キツい事態ですね。



表面板清掃(1)
  ついで表面板の清掃に入ります。

  例によって「重曹水」を使用――ぬるま湯に重曹を溶いて,これを垂らしながら,耐水の#240をブロックにつけたのでコスコスします。
  汚れ落としが主眼なので軽く軽く,あんまり力を入れると,板が削れちゃいますからね。
  ヨゴレ自体が意外とキツかったのと,染めにものすごく濃い目のヤシャ汁を使っていたようで,たちまちお湯がまッ茶色になりました。

  けっきょく一度ではキレイにならず,日を置いてもう一度作業をすることにしました。
  重曹水はエタノとかと違って揮発性はないんで,再接着したての表板の負担も考えなきゃなりません。
  元の色がかなり濃かったので,いつもの修理よりややくすんだ色になりましたが…まあいかにも古物っぽくもあるので,これくらいでヨシとしましょう。

表面板清掃(2)
  ただ,ヨゴレを剥いでみたら,虫食いの補修で継いだ部分が少し目立ってしまってました。

  汚れてたときには同じくらいの色合いだったんですがね。
  菊芳さんに使われている桐板は,目がかなり詰んでいて,細かいギラ目が横方向に入ってますが,継いだ板のほうは木目が広いふつうの板目材…なんか多少,BJ先生っぽくなっちゃったかなあ。

  最近はそうでもないですが,むかし「桐」という材料は,材木屋さんでは扱っていませんでした。
  桐は専門に扱う「桐屋」さんがあって,そこを通して買うものだったんですね。

  その理由は材木屋さんの曰く,「アレは木じゃないから…」

表面板清掃(3)
  そう,キリはゴマノハグサ科の植物。ふつうの「木」にくらべると成長も早く,どちらかといえば「草」の扱いなのです。ただ,成長が早いだけに,その生育環境は木目にはっきりと現れます。

  むかし聞いたところによると,平野部,たとえばお百姓さん家の庭先なんかでのびのび育ったキリは,年輪の幅が広めで,気胞はやや目立つものの,材質としては固めなんだそうです。

  環境のキビしいところ,たとえば山地や地味の痩せたギリギリの土地で育ったキリは,目は詰まっていますが,意外と柔らかい。ギラ目やバーズアイのような木理が生じることもあるそうな。

  オリジナルは後者,継ぐのに使った古板は前者のものだったようです。

  まあ,後世の人に庵主のシワザ(修理部分)が判って,かえっていいのかも。


10号菊芳(3)

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斗酒庵 菊芳の月琴を直す の巻(3)2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)

第3回 菊芳さんちょッち直される

『第三回内国勧業博覧会褒賞授与人名録』
  この月琴の作者である「福嶋芳之助」さんについて,追加情報。

  国会図書館のアーカイブにある『第三回内国勧業博覧会褒賞授与人名録』(M23)で,楽器屋さんの情報を調べてたら,「第五部・褒状」のところに――

  三絃,二絃琴 東京府日本橋区馬喰町 福島芳之助

  とあるのを見つけました。
 「島」の字は違うし店名もありませんが,住所は同じだし,別人って事はないでしょう。

  前回書いたように,明治末年ごろには「岡戸竹次郎」さんが「菊芳」の店主となっているようです。
  ということは,この明治20年代はじめころまでは間違いなく,初代菊芳,まだ現役だったというわけですねえ。初代芳之助は第3回の,2代岡戸さんは第5回の受賞者,腕のいい師系ですこと。

  日清戦役前のこのころはまだ清楽が盛んだったと見えて,「清楽器」「月琴」で受賞している人がけっこういます。この時の芳之助さんは「三絃,二絃琴」での受賞ですんで,彼が月琴を作っていたのが,これ以降だったのかこれ以前だったのかは分かりませんが,修理で各部見た限りでは,この楽器,「老練のワザ」といったところがあまり見て取れません。

  正面から見たとき,なんか左右のラインの揃ってない棹とか,茎や内部の手抜きっぽい造りとか――楽器による得手不得手とかもあったかもしれませんし,あんがい歳とってから流行に乗って,急に作り始めたため雑なだけかもしれないので,即断は避けたいところではありますがね…もしかすると,この楽器の製作年代,明治10年代後半くらいまでさかのぼれるかも………

  ――ああッ!またこんな邪推を!(汗)



  …さて,修理しましょ。

ぜんぶ剥がします
  今回の修理における最大の懸案は,表面板右端のヒドい虫食い痕をどうするか…ですが。

  まずは表面板上の物体をぜんぶ取り外します。
  片方だけ残った目摂,オリジナルかどうかは分からない竹フレット。

  今回はさらに半月もはずしてしまいます。

  月琴の胴体は丸い。

  いちど板をはずしたら,どんなに注意して精密に作業しても,これを完全に元通りにすることは出来ません。
  一つにはその円形という取っ掛かりのない形状が原因ですが,この表裏の板は,ちょうど三味線の皮のようにぴんと胴体に貼り付けられているため,これをはずすと長年部品間で保たれていたパワーバランスが崩れて,接合部や胴材にどうしても歪みや狂いが生じてしまうためでもあります。

剥がしますた
  さいわい,ギターやバイオリンなどと違い,月琴の胴体は厚めの板でできていますので,面板との間に多少段差が出来ても,胴材を削って整形しなおすことが出来ます――まあ,出来ればあまり派手にはやりたくない作業ですが。
  面板がただの板のうちに,先に半月を着けてしまうほうが,力のかかるこの部品を,より強固に接着することができるのですが,それだと板の接着位置がわずかでもズレれば,そのぶん弦の向きがズレるわけで。

  弦楽器ではそうして楽器の中心線がズレてしまうのが,いちばん困るんですね。

  胴体が箱になってからの作業には,いろいろと制約がつくものの,半月の再接着を修理の最後の方にすれば,修理再生の過程で生じるそうした誤差を,あるていど解消(誤魔化す…ともいう)ことが出来ます。

  半月の周囲と内刳の内部に筆でお湯をしませて,板の裏側に布をあて,焼き鏝で裏がわから温めてニカワをユルめます。鏝をあんまりあて続けると,板が焦げたり堅くなっちゃったりしますので,お湯を足しながらゆっくりと。
  十分ほどで上手くはずれました。

表面板(1)
  次はいよいよ,虫食い部分の補修にかかりましょう。

  板の表裏から虫食い痕をほじった結果,さいわいにもこの虫損の被害は,さほど広範囲にまでは渡っていないことが分りました。
  とはいえ一部は板自体がなくなるほど,また一部は木目に沿って縦方向にかなり食われてしまっており,強度的にも埋め木ていどでは処理し切れません。

  もっとも単純な手段とまいります。

  庵主の工房には,過去の修理で不要となった古い面板がけっこうありますので,虫に食われちゃった範囲の板を切り取り,これでつぎはぎしましょう。桐はもともと接着がいいし,表板を清掃するとき,そこで出た汁を混ぜ込んで,ついでに均してやれば,どこが新しく継いだ部分なのか,ほとんど分からなくなっちゃうかと。

表面板(2) 表面板(3) 表面板(4)

  この月琴の胴体の接合は,4枚の部材の木口同士を擦り合せて接着しただけ。
  もっとも単純な接合工作になっています。

  もともとの工作精度はさほど悪くなかったと思うのですが,経年の劣化と水濡れなど事故の影響,おまけにボンド野郎の修理作業などのせいで,各接合部ともゆるみ・歪み,反り等の不具合がオンパレードで出ております。

  いづれもそれほど深刻なものではなく,あとで削って均しちゃえばいいくらいのレベルではありますが,そのまえに。

接合部矯正中
  ちょっと矯正してみましょう。

  接合部付近によくお湯をしませて,クランプで二方向から締め付けます。
  そのまま二日ほど置いたところ,凸凹だった表面板との接着面がほぼ水平になり,段差も多少解消されました――クリというのは以外に素直な木ですね。

  ちょっとした違いですが,このほうがより原型をキズつけなくて済むし,次の作業の精度があがります。


接合部補強
  さらに各接合部裏側に桐の板を削って貼り付け,補強しておきましょう。
  下の二箇所は下桁といっしょに固めちゃいましょうか。

  さて,この接合部がちゃんと仕上がってくれないと表板も貼れないし,そもそもいつ楽器がバラバラになるか分からないので,接着は慎重に行っています。
  濡らしたらゴベっと木工ボンドが着いてたのが分かったり(けっこう苦労してコソげ落としましたぜ,ボンド野郎!),補強板の接着がうまくいかなかったりで時間がかかります――ということで。



  いささか早めなれど,S.K.T.(SUPER・小物・ターイムっ!)に入ります!!
  イェーイ!!!

  庵主至福の時間がやってきましたねえ。
  小物,お飾り,作るのダイスキです。

目摂(1)
目摂(2)
目摂(4)
目摂(5)
  まずは失われた右目摂。

  今回,生き残ってる左は無傷ですのでハナシは早い。
  ひっくり返して板に輪郭をなぞります。

  板には割れ欠け防止に,薄い和紙を貼っておきましょう。
  細工物のちょい知恵です。

  だいたいのところを糸鋸で切り出したら,ヤスリやアートナイフ,ピンバイスを駆使して,切ったり削ったり。

  うおおおおおおおっ!意味もなく萌えるぜぇっ!!

  だんだん出来てきました。

  えいえいえいっ!

  そりゃ!そりゃ!そりゃ!

  …彫りあがりました。

  仕上げにリューターで彫り線をざっとキレイにし,軽くペーパーをかけて残った紙をこそげ取ります。
  #240,いって#400くらい。装飾の仕上げとしてはやや荒めですが,このときシャープすぎるカドや線が上手い具合に削られ,擦れ線も適度につくので,あとで塗ったときちょうどよく古物っぽくすることが出来るのですね。

  誤魔化しきかな彼の御ワザ。

ぶった切り奉行
  次は蓮頭ですね。

  その前にへっついてるこのナゾの物体,はずしてしまいましょう!
  …うむ,ボンドでベッタリがっちり接着されてますねえ。

  こんなものはこうしてやるッ!

  ハードコア系リペアーマンの本領発揮ですね。ピラニア鋸でぶッた切り。

  それにしてもコレ,いったい何の部品なのでしょう?

  はじめは椅子の背もたれかと思っていたのですが,それにしては内側のアールがキツめ……ベビーチェアでわ?という意見もありましたが,厚みが3センチ以上もあります。ちょっとゴツ過ぎるかなあ。
  色は後で塗ったものですね。左右の切り口に塗料がかかっていますから。
  そもそもが,この底面のミゾがナゾ。
  まっすぐです。凸凹になった上面の曲面との整合性がありません。
  寄木で作られたもっと大きな部品からもぎとられた一部なのでしょうか?

  ネオクの写真で見たときは,てっきり三味線の海老尾を切ったものだと思ってました。
  まあ,その程度には似せてあるわけで――コレといい,山口のところにへっつけてあった竹板といい。前修理者はおそらくこの楽器を「月琴」とは知らず,「箱三味線」の一種と考えていたんだと思いますね。

  楽器を扱うときは,いちおうちゃんと勉強しましょう。


  さてと,これはポイ。

  新しい蓮頭を作ります。
  オリジナルがどんなだったのか分かりませんが,中級普及型の月琴ですんで,そんなに凝った意匠のものではなかったと思います――ここは一丁定番で参りましょう。
如意
  材料はカツラ。モデルとしたのは7号コウモリ月琴の蓮頭です。

  この模様,このクラスの月琴では良く見る意匠なのですが,正直なところ何なのかはわかりません。
  おそらく「如意」の雲形板の紋様を簡略化したものだとは思いますが(右図参照),上のほうにある渦巻き,角ばった形にはなってますが,これの上部にも残ってますもんね。

  コウモリ月琴の蓮頭を計って,だいたいの大きさとカタチを決め,切り出します。
  あとはひたすら削る削る削る。

  最後に模様をざッと刻んで……はい,一丁あがり。

蓮頭(1) 蓮頭(2) 蓮頭(3)

扇飾り(修理前痕跡)
扇飾り(1)
扇飾り(2)
扇飾り(3)
  SKTの最後は扇飾り。

  こちらもニカワの接着痕がわずかに残っているだけで,日焼け痕も見えず,オリジナルの意匠は分かりません。
  定番は唐草紋様のようなもの(これも実のところ何なのか不明)なんですが,せっかくなのでここくらいは遊びましょう。

  「菊芳(きくよし)」さんの月琴なのですから「蘭」とまいります(分からない人は前回記事のはじめのあたりをご覧ください)。
  この「蘭秀」の「蘭」はいわゆるオーキッド,「ランの花」ではなく「蘭草」――秋の七草のひとつ「フジバカマ」の類を指す語です。

  生の花に鼻を近づけてもさしたるニオイは感じませんが,これを採ってきて部屋で干しておくと,ちょっとなつかしい,お香のようなほのかな香りが漂い,これを昔の中国の人たちは愛でたわけです。

  「蘭」というだけで記憶の中から香りが浮かぶ,だからこそ秋風の詩の中で「菊芳(かぐわしい菊の花)」と対になるというもの。

  ただこれ,じつに意匠にしにくい花なんですねえ。

  細密画にするならともかく,特徴を残したまま簡略化しようとするとなかなかムズかしい。
  蒔絵や陶器,着物には,「秋草図」という意匠のものが多々ありますが,この「フジバカマ」。いちばんおざなりにされてたり,ちょっと見には正体不明の植物と化してたりしてます。

フジバカマ
  まあ,このあたりでカンベンしてください。(汗)

  仕上がる直前に,花のところがバキッ!と半分欠けちゃったことはナイショだ。
  裏から和紙で継いであります。まあダメそうなら作り直すさ。


  3回目にしてようやく修理らしい工程に…
  

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