10号菊芳(5)
2009.5~ 明清楽の月琴(菊芳)
第5回 菊芳さん,直る さあ,表面板が戻って,胴体も箱になったし。 ここまでくればあとひとふんばり,がんばりましょう。 しからば今回はここから―― 半月を付けます。 棹や胴体に数箇所,中心の目印を書いて。山口から垂らした糸を使い,中心線を出し,左右の糸のバランスを見ながら,取付け位置を探ってゆきます。 計測や計算はあくまで目安。 最終的には自分の眼で決めましょう。 ハカリより眼の方が合ってることが,結構多いもんです。 位置が決まったら,両面にニカワを塗って,ズレないように当て木をしてクランピング。 接着面はよーく均し,湿らせ,面板のほうは粗めのペーパーで少し荒らしておきます。 今回は胴体が箱になってからのクランピングですので,それほど大胆に圧がかけられませんが,これだけやっておけば,まあそうそう吹っ飛ぶこともございますまい。 力のかかる箇所ですので,用心のため,接着の養生に二日ばかり置きます。 山口は今回,最近清掃・改修した愛器コウモリ月琴にいままで使用していたものを,削りなおしました。 材質はいつものとおり,ローズウッド+象牙の,ツーピース斗酒庵仕様。 上手く合わなかったときの用意に,いちおうもう一つ作っておきましたが,高さもちょうどよく,不用だったようですね……次の修理にでも使いましょう。 半月が付き,山口が付けば,この楽器はほぼ完成したも同然。 フレットをこさえます。 10号菊芳さんは中級の普及品なので,定番の竹フレットにします。 竹フレットは事後の処理(強化・塗装)がタイヘンなものの,本体の製作自体は,ひじょーやり易く実にカンタン。 スパスパ,ゴシゴシ,サッサッサー。 しかし,胴体上の第5フレットまで作ったあたりのことでした……高い,高すぎるっ! 弦高が高すぎます。 普及品クラスの楽器は,あまりきちんと調整がなされないまま製作されるので,だいたい弦高が高め。 現状での棹の傾きも,同レベルの楽器であるコウモリさんとほぼ同じで,その意味ではこんなものではあるのですが,これだとちょっと弾きにくい。 奏法から言っても,昔はそれでよかったのかもしれませんが。 せっかく百年の時を生き延びて,庵主の下にきた楽器です。 これからはずっと弾いてもらえるように,ちょっと調整いたしましょう。 まずはコウモリさんと同じ手を。 半月にゲタを履かせます。 ゲタ,つまりスペーサーですね。 半月の端,糸穴の裏に竹を細く削ったものを貼り付け,糸の出る位置を下げるわけです。 これも毎度おなじみの技法ですね。 二度ほど作り直しましたが,絃高を半月のところで 1.5 ミリほど下げることに成功しました。 この状態で,一度最終フレットまで完成させ,出来たフレットは柿渋+ヤシャ液のタンニンな汁にほおりこみ,色付けと強化をしておきます。 タンニン液に一昼夜,一昼夜乾燥。ラックニスに一昼夜,一昼夜乾燥…フレット本体の工作は,ほんの4時間ほどだったんですが,その後のなんと長いことよ。 一週間ぐらい,かかっちゃってますもんね。 さて,塗装に入ります。 菊芳さんの棹や本体にはヒビも割れもなく健全ですので,敢てニスやカシュー塗りなど,塗膜のある塗装で表面を保護する必要はありません。 塗装は早苗ちゃん以来定番となった,「古色付け」技法の流用。 ベンガラと砥粉,炭粉,柿渋と亜麻仁油,で参ります。 糸倉や半月に,オリジナルの色合いが残っていますから,それを参考にベンガラや炭粉を調合し,柿渋で溶いて布でこすりつけます。面板に滲みこむとタイヘンなので,ちゃんとマスキングしときましょうね。 ベンガラは隠蔽性の高い顔料なので,厚めに塗ると木目がまったく見えなくなっちゃいますが,この塗料はあとで磨きながら落とすので,最初に塗るときはちょっと厚めでもかまいません。 いちど塗装を乾かしてから,柿渋に亜麻仁油を二三滴垂らしたものを布につけて,拭い取るように磨き上げます。 隠したいところは軽くこすってベンガラを残し,木目を立たせたいところは何度もこすって下地を透かします。 ベンガラの色が薄くなりすぎたところは,また塗って,また磨く――なんどもやり直せるところが,この工法の好い所ですね。 お飾りも塗装します。 塗装法は同じ。 ふっふっふ…もはやどれがオリジナルだか分かるまい。 胴体はいー感じに出来たんですが,棹の左右にどうしても色が乗ってくれないところがありました。 木目の関係でしょうか? あるいは弾き手の手の油が滲みちゃってるのでしょうか? エタノで拭いてもまったく効果がなかったのですが,濃い目の重曹水で拭ってからやり直したところ,今度はしっかりと色が付きました。 ……重曹水,スゲェ。 塗装の合間に,小作業をいくつか。 軸先を強化します。 菊芳さんの糸巻きはかなり軽く,かつ柔らかめな素材で作られています。 使用痕として,調弦で糸の食い込んだ痕跡もバッチリ残ってるくらい。 前回紹介した記事で,もう一つ発見だったのは 「轉手胡桃(てんじゅ,くるみ)」 の一節ですね。 「轉手」は糸巻きのこと。 日本の「クルミ」は西洋の「ウォルナット」と違って,木目がやや粗く,軽くて柔らかな素材です。 糸を巻き取りチューニングをする,大事な,力のかかる部品なので,こういう柔らかめな材料で作るという頭があまりありませんでしたが,たしかに思い返してみると,4号千鶴ちゃんの糸巻きなどは間違いなくこれですね。 菊芳さんの軸は4号月琴のにくらべると木目は密ですが,これももしかすると同じ「クルミ」で,その辺材(樹皮のがわ・木目が粗く柔らかい)と中心材(一般に辺材よりも密)の違いかもしれません。 経年のほったらかしでツヤのなくなった全体を亜麻仁油で磨き,ちょうど塗装でも使っている,柿渋+亜麻仁油の溶液を軸先に塗って固めます。 続いて棹の調整。 ゲタを履かせたので,このままでもオリジナルよりは絃高がかなり低くなってはいるのですが,イマイチ足りません。 差込が少しゆるいので,その調整も兼ねて,棹茎の先端裏側にツキ板を貼ります。 これでわずかながら棹尻のほうが上がって,棹の傾きが増すはず。 塗装も仕上がりましたので,楽器を組み立て,フレットを再接着します。 強化やら色付けやらで一週間もかけたフレットは,竹ながらツヤツヤのピカピカ,ですが……最後に噛ませたツキ板が効いたのか,絃高がさらに下がり,そのフレットを削りこみながらの作業となりました。 1ミリは低くなったね。 より強固なフレット接着をお約束。 「フレットやする君」,今回も大活躍です!
そしてお飾りを付け,絃停を貼って。 2009年6月13日,10号菊芳,修理完了!!! さっそく試奏してみました。 まずやっぱり―― 江戸ッ子の月琴ですねえ。 音の胴体は比較的短く,シャキシャキと小気味のいい響きながら,低音の余韻が深くて長い。 音量も出ていますよ。かなり大きい。 いまはまだ修理の影響もあって,耳に少しキツいくらいの音量・余韻が出てますが,この夏を過ぎた頃にはもう少し落ち着いた,しっとりめの響きに変わってきましょう。 N氏や生葉にくらべるとまだやや高めではありますが,絃高下げをしつこくやらかしたおかげで,運指も何とかなめらかにできるくらいのフレット高となりました。 材質のせいかやや軽めですが,楽器自体のバランスも悪くはありません。 何度も言っているように,この10号菊芳は普及品中等クラスの楽器ですが,作りや材質がちょっとアレでも,あちこちに手抜きがあっても,さすが「第三回内国勧業博覧会」受賞者の作品。 ゲタを履かせて絃高を下げたり,各部の接合を補強するなど,ちょっと手を加えただけで,コンサーティナ・レベルの楽器にも,じゅうぶん対抗できるよう楽器になっていると思います。 まあ,もっとも音全体の深みではかないませんが,演奏者の腕前次第では,逆に食うことも可能でしょうね――そんなことさえ感じさせる,力強さと確かな音質を持っています。 イキ,というよりはイナセ,な音です。
馬喰町四丁目七番地,店名は菊屋,屋号は菊芳。
初代は福嶋芳之助(第三回内国勧業博覧会受賞者),二代岡戸竹次郎(第五回同会受賞)。 その初代の作品,製作時期は明治10年代~20年代前半。 平成年間修理担当:東都琴士・斗酒庵 主要修理箇所:表面板右側補修,内部構造修復・補強,蓮頭・山口・フレット・右目摂,ならびに中央扇飾りの再製作。棹基部調整。表面板清掃ならびに棹,胴側部再塗装。 さて,この楽器は,できればせめて,関東に残しておきたいですねえ…… 10月琴菊芳・音源 1.開放弦 2.音階(1) 3.音階(2)低音弦/高音弦それぞれ 4.九連環 5.蝴蝶飛 6.十二紅 |