10号菊芳(4)
![]() 第4回 菊芳さん,箱になる 月琴音楽の全国的な流行は,日本における印刷技術の近代化と,維新に伴う新知識への欲求からきた出版ブームと時期が重なります。それなもので,現在では弾く人もほとんどいなくなってしまった楽器ですが,楽譜や関係する当時の文献が,けっこう大量に残されているのですね。 そういう本がいっぱい見れるのが「国会図書館近代デジタルライブラリー」。 興味のある方は一度のぞいて「月琴」や「明清楽」で検索してみてください。 でもって,相変わらずその国図のアーカイブをほじくってたんですが,今回は『明治十年内国勧業博覧会出品目録』(M.10)という本の中に,月琴に関する資料を見つけました――第一回の内国勧業博覧会のカタログですな,絵は入ってませんが。 ほかの回のカタログでは,一等二等の受賞者のもの以外に,こういう記述のついてた記憶があまりないのですが,それぞれの月琴の作者についてのほかに,簡単ながら,その材料として「どんな木が使われた」のかが書かれています。
月琴(一)紫檀外雑品,琵琶(二)黒檀,胡琴(三)鉄刀木,提琴(四)樟 東京牛込矢来町 田島勝 月琴(一)桐胴桜棹轉手胡桃,胡琴(二)竹製 東京小梅村 石川幸蔵 月琴(一)桐朴紫檀 東京長谷川町 井出武四郎 月琴(一)桐他諸木,撥鼈甲 東京本所横網町一丁目 村上致信 月琴の高級なものの本体は,紫檀・黒檀・鉄刀木といった,三大唐木で出来ています。 そうした手合いだと一目瞭然で比較的分かりやすいのですが,中級以下の楽器の場合は種々雑多な……そりゃもう,何だか分からないような材木が使われています。 それを,庵主も良くやってるように,ベンガラや柿渋なんかで染められちゃったりすると,表面的な色や木肌からだけでは,何の木だかはまず分かりません。 唐木以外の材料で庵主が確認できた確実なところでは,「鶴寿堂」のカヤ(棹・胴),「1号月琴」「コウモリ月琴」のサクラ(胴)があります。また月琴の主材料として「クリ」をあげている本もあるのですが,今のところこれで出来た月琴は,早苗ちゃんくらいしか見たことがありません。胴材として「エンジュ」が使われた,という記述も見たことがあるのですが,それで出来たと分かる楽器にも,まだお目にかかっていませんね。 ![]() では修理です。 前回,水をふくませ,クランプでしめた接合部の矯正は,かなりうまくいったようすで。 接着の劣化と,木材の収縮。そして修理の過程で生じた部材同士の食い違い段差は,かなり小さくなりましたし,接合部をつなぐように裏から補修板を噛ませたので,強度的な心配ももう余りありません。 さて,んでは開いた箱を,閉じるとしましょう。 ![]() まずその前に,表板の裏側,ボンド野郎のせいで剥がすときに痛めてしまった縁辺部を補修しておきます。 これをちゃんとやっておかないと,へっつけたあと,縁が凸凹になっちゃいますからね。 ![]() そして内桁……といっても上桁ははずさなかったので,再接着するのは,例のミョーなところにボンド着けされてた下桁のみ。 前々回の記事で書いたとおり,前修理者が接着面に塗りたくった木工ボンドは,すでにキレイにこそげてあります。本来の取付け位置のすぐそばには接合部があり,この部分の補強材はあらかじめ,この下桁が乗っかるようなカタチに,細く削っておきました。 補強材としてはかなりギリギリな大きさですが,ここに下桁を密着させれば,強度的には問題なくなりましょう。 下桁が定位置にはピッタリまるよう,補強材をさらに微妙に削って調整,ニカワを塗って,クランプで固定します。 ![]() 下桁がくっついたので,その両端に合わせて,補強材の上端も削りこんでおきます。 この加工の意味はいまだに不明なので,何らかの効果があったとして,そこに影響があるかどうかも分からないのですが,内部のことなだけに後で何かあったら困ります。そういう危険は少しでも減じておきたいところ……こうしてとりあえず合わせておけば,そんなにヒドいことにはならないでしょう……たぶん。
![]() 胴体と表板を重ね,もっともピッタリな(というか,「削りなおし」の時もっとも被害の少なそうな)位置を探ります。 今回は半月も取っぱらってしまっているので,表板のもともとの中心線もあまり気にする必要がありません。 また,虫食いの補修部分に大きめの板を継いだので,左右にも余裕があり,多少ならズレても平気です。 ![]() これぞ!という位置が決まったら,すかさず縁辺三箇所ばかりに,ピンバイスで小さな穴をあけます。 これを 「命のアナA」 と名づけます。 ここに削った細い竹を挿し,再接着のガイドとする――前回「N氏の月琴」でお試し済みの,スグレ技です。 二度ばかりシュミレーションして,穴の位置と手順を確認したらいよいよ再接着。 ニカワを塗る前に,接着部にはよーく水分を含ませておきましょう。 たんに板をかぶせるだけながら,この作業,意外と時間がかかります。その間にニカワが乾いちゃうと,さらにやり直しですからね。 ニカワもごく薄く溶いたものを,何度も塗っては指の腹でなじませます。 表面にニカワの層がないのに,指を押し付けるとベタつき感がある,というくらいに染ませたら,最後に筆で軽くお湯を刷いて。「命のアナA」に挿した竹串を目安に,練習したとおりの位置に,板をハメこみます。 んで,すかさずクランピング。 何度やってもけっこう大変。 ![]() ![]() 翌日……胴体がとうとう箱に戻りました。 再接着作業のイノチ綱となった,ガイドの竹串も引っこ抜いておきましょう。 ――ご苦労様でした。ありがとうございます。 ほんの小さな穴,ほんの小さな工夫ですが,これがあるとないとでは作業の精度が,そして難易度が問題にならないくらい違ってきます。 ![]() さあ板の余分を切り取り,胴側面を削り直しましょう。 ジョリジョリ,ゴリゴリ…………おや? 冒頭に紹介した記事の三番目の項目で,「月琴の素材」として「朴(ホオ)」というのがあげられておりますね。ホオはやや柔らかめですが加工しやすい木で,ちょっとした細工物や彫刻に良く使われ,ほかの月琴でもよく,お飾りや目摂の材料として,よくベンガラで塗ったこれの薄板が使われています(今回,庵主が作った目摂や扇飾りもホオ板製)。 そうした小物,付属品はともかく,この木材をこういう「弦楽器の本体」に使ったというような記述は,庵主,あまり見た記憶がありませんが―― 菊芳さんの胴体………これ,「ホオ」ですね。 当初,庵主はこれを,楽器としての等級,また色合いから,早苗ちゃんと同じく 「クリ」 だと見ていたのですが,実際に削ってみると,感触がまったく違います。 早苗ちゃんの胴材はもっと軽くて木肌も粗く,どちらかというとモロモロとした削れ具合だったのですが,木肌の色は似ているものの,菊芳さんのほうはずっと密で,シャリシャリと削れます。以前,彫刻材とカタマリを削ったこともあるので,たぶん間違いないと思います。 「10号菊芳月琴,胴体はホオ。」 訂正して了んぬ。 ヤスリで段差をなくし,#240のペーパーでヤスリ目をキレイにします。 ![]() ![]() ![]() ![]() しかしここに来て,色塗りの前にどしてもやっとかなきゃならないことが一つ…… よ~し~の~すぅ~けぇ~っ!(怒) てめェはホントーに,なんて雑な仕事しやがるッ! 「はっはん,棹なんざ誰も抜いて見ねェヨ~」 ――とか考えたろ,テメッ! (と,ゲンノウを投げつける) ![]() 棹茎と棹本体の接合部にあるエラいスキマを,ツキ板で埋めます。 接着は上手いヒトなので,これだけスキマってても,現状,割れもヒビもないのですが,このところココが原因の不具合をけっこう見てきたので,長期的に見るとかなり心配。 転ばぬ先の杖,先手を打っておきまする。 ![]() 更に棹基を調整。 修理作業の前に棹の傾きを調べたところ,かなり浅い方だったので,これをもうあと2ミリほど傾けたいところです。 とりあえずは胴体にもともと刻まれていた調整用の溝を,ナイフとリューターで少し深くして,棹の背面側がもう少し落ち込むように加工。胴体を少し削ってしまったので,棹との接合部にほんのすこしスキマが出来ており,その調整と同時にやってます。 うーっ。 単純な面と面の問題じゃなく,3Dで考えなきゃなんで,数学恐怖症のこの脳味噌には多少キツい事態ですね。 ![]() ついで表面板の清掃に入ります。 例によって「重曹水」を使用――ぬるま湯に重曹を溶いて,これを垂らしながら,耐水の#240をブロックにつけたのでコスコスします。 汚れ落としが主眼なので軽く軽く,あんまり力を入れると,板が削れちゃいますからね。 ヨゴレ自体が意外とキツかったのと,染めにものすごく濃い目のヤシャ汁を使っていたようで,たちまちお湯がまッ茶色になりました。 けっきょく一度ではキレイにならず,日を置いてもう一度作業をすることにしました。 重曹水はエタノとかと違って揮発性はないんで,再接着したての表板の負担も考えなきゃなりません。 元の色がかなり濃かったので,いつもの修理よりややくすんだ色になりましたが…まあいかにも古物っぽくもあるので,これくらいでヨシとしましょう。 ![]() ただ,ヨゴレを剥いでみたら,虫食いの補修で継いだ部分が少し目立ってしまってました。 汚れてたときには同じくらいの色合いだったんですがね。 菊芳さんに使われている桐板は,目がかなり詰んでいて,細かいギラ目が横方向に入ってますが,継いだ板のほうは木目が広いふつうの板目材…なんか多少,BJ先生っぽくなっちゃったかなあ。 最近はそうでもないですが,むかし「桐」という材料は,材木屋さんでは扱っていませんでした。 桐は専門に扱う「桐屋」さんがあって,そこを通して買うものだったんですね。 その理由は材木屋さんの曰く,「アレは木じゃないから…」 ![]() そう,キリはゴマノハグサ科の植物。ふつうの「木」にくらべると成長も早く,どちらかといえば「草」の扱いなのです。ただ,成長が早いだけに,その生育環境は木目にはっきりと現れます。 むかし聞いたところによると,平野部,たとえばお百姓さん家の庭先なんかでのびのび育ったキリは,年輪の幅が広めで,気胞はやや目立つものの,材質としては固めなんだそうです。 環境のキビしいところ,たとえば山地や地味の痩せたギリギリの土地で育ったキリは,目は詰まっていますが,意外と柔らかい。ギラ目やバーズアイのような木理が生じることもあるそうな。 オリジナルは後者,継ぐのに使った古板は前者のものだったようです。 まあ,後世の人に庵主のシワザ(修理部分)が判って,かえっていいのかも。 |