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15号三耗(さんはお)

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斗酒庵 ようやく本領発揮 の巻(1)2009.12~ 明清楽の月琴(15号三耗 サンハオ)

  はーひ,はーひ…今日で三日,記事を書き続けております。
  何て正月だ…

  
  とりあえずデータの公開だけ済ませた13号,14号は,いづれもヒストリカルな意味合いの強い楽器で,たんに庵主が修理(破壊,とも言う)して楽しむには,あまりにも資料的な価値が勝り,かつ高級すぎ,うかつに手ェが出せません。
  11号の修理は終わりお嫁入り,12号も残るところ仕上げだけとなりますと,なにやらムラムラ…いえいえ,寂しいというか手持ちブタさんになってまいりました。
  そこでたまたま出ていた出物に,入れるともなく入札していたら,誰も入れずに落ちちゃったのがこの15号。

  さて,届いてみますとこれがけっこうな壊れ月琴。
  しかも中級,普及品(ココ,大事です)。

  チェーンソーを持ったウデが鳴ります,こふぅー。

  すさまじいことに,あちこちネズミに齧られております。

  清代の学者先生が「北京の官舎には鼠が非常に多い。俗に鼠のことを"耗子(ハオヅ)"と呼ぶのは,家具什器を耗(すりへ)らすからである。」(『模糊集』松枝茂夫 訳)と言うております。庵主がむかし訳したわらべ歌にも「小耗子兒上燈台/偸油吃下不來…」とネズちゃんを唄ったものがありましたな。
  庵主の筆号の一つに「張三耗」ってのがあります。
  むかし中国の人気漫画に「三毛(サンマオ)」てのがありまして,それのパロでもあるんですが,「張三瞎耗(チャンサンシアハオ)」の略でもあります。
  マザーグースですね。"Three Blind Mice"。

  当初はそれほど気が乗ってなかったのですが,一目見て気に入りました----いえいえ,今回は楽器としてではなく,「修理物」として。

  13号は墨書のある面板をいかにうまく修理するかで研究中,14号は資料的価値の高さに慎重な前調査と修理キボンヌ。
  到着の15号は,一目見て分かるその破損状態,そのうえ中級品。
  ツンデレ・ヤンデレ様な前の2面と比べると,こいつはなんでもヤらせてくれそうだ!と,善からぬ予感にウチふるえつつ,2面とばして現在絶賛修理中でございます。

  ではまず,データから。



【15号月琴・三耗 修理前所見】


15号修理前全景
1.採寸

 全長:637mm
 胴体 縦横ともに:345mm 厚:38mm(表裏板ともに 厚4.5mm)
 棹 全長:288mm(蓮頭を除くと278) 幅:29mm  最大厚:32mm 最小厚:21mm
 指板ナシ 指板相当部分 長:148mm  最大幅:29mm 最小幅:24.5mm
 糸倉 長:130mm(基部から先端まで) 幅:29mm(うち左右側部厚 8mm/弦池 13×95mm )指板面からの最大深さ:58mm

 推定される有効弦長: 約423mm

2.各部所見

15号蓮頭(1) 15号蓮頭(2)

 ■ 蓮頭:存。57×77mm

  意匠は不明。庵主は当初「栗」かなあ,とか思っていたが,友人が「蕪(カブラ)じゃネ?」と言ったのには開眼。
  表面のぼこぼこ加減や縦線を見ると,カブラというよりはコールラビだが,吉祥図にも使われる野菜だし,可能性は高い。

  ベンガラによる着色,おそらく棹,胴体と同じ素材。
  数箇所美味しくいただかれている。特に左上の食損はけっこう深い。
  糸倉との接着がはがれており,間木ごとはずれる。


15号糸倉(1) 15号糸倉(2) 15号糸倉(3)

 ■ 糸倉:蓮頭下中央に間木をはさむ。

糸倉横から
  左右薄く,横から見て厚みのある姿は,「唐渡り」ものの古い清楽月琴のタイプに近いが,棹背がわの「うなじ」はなめらかで,入込みは小さいが山口を乗せる部分が「ふくら」になっている。
  糸倉の下部2/3に軸穴が集中しているというあたりが,やや納得いかないが,配置から推測して,実際に4本軸を挿し,正面から見ると,それほど違和感はないものと思われる。

  今回の楽器の主要修理箇所か?

  特に美味しくいただかれてしまったようで,糸倉本体に3箇所と弦池の「うなじ」がわ端,そして「ふくら」の左横に食損。
  中でも糸倉右背がわのものは最大で,深さ2センチほどまで谷型に齧られている。
  さいわいなことにいづれの食損も,軸穴には関係がなく,また糸倉全体の強度を,特に損ねるには到っていないため,単純な穴埋め補修で使用可能な状態に回復可能なものと思われる。


15号軸
 ■ 軸:全損。後補2本。

   後補軸の材質は不明。
   庭木の枯れ枝あたりを削ったものか。ごくもろく,およそ実用できるものではない。実際に糸を巻いた形跡はあるが,そのためか1本は先が折れている。

15号棹(1) 15号棹(2)

 ■ 棹:「ふくら」左横のほか,その下に一箇所に食損。

   全体に細身の棹で,指板はない。
   左右にテーバー。棹基部から「ふくら」下に向かい,わずかにすぼまっている。
   棹背には少しアールがついており,「ふくら」入込みの裏あたりから,糸倉の「うなじ」にむかい曲面で流れる。

棹上墨書
 ■ 山口:欠。
   代わりに色を塗られた角材が接着されている。

 ■ 柱(棹上):接着痕残る,後補1本。
   後補のフレットも山口のところの角材と同じ材質と思われる。
   この第1フレットと第2フレット痕との間,柱間飾りの下に,小さいが何か墨書が見える。


 ■ 柱間飾り:2つ存。
   凍石製。同様の形状のものは14号でも見られた。

15号茎(1) 15号茎(2)

 ■ 棹茎(なかご):損傷なし。

   色合いは少し異なるが,棹本体と同じ材を継いでいる。
   長:202mm,幅:23>16mm,厚:15-7mm。

   棹基部楽器正面側に墨書。署名か。
   14号同様に基部裏面の処理が少し荒く,刃物の痕が交差。調整痕か?


14号表裏面板

 ■ 胴体:面板の剥離。部材の歪み等も見られるが,いづれも軽度。

   表面板:板目4枚継ぎ。
   楽器左がわ,左目摂下端すぐ横あたりに直径4mmほどの丸い孔を埋めた痕が二つ。そのほか目立った損傷はない。

   裏面板:同6枚継ぎ。
   左肩に小ヒビ,上端から板の矧ぎ目に沿って楽器中心方向へ,17センチほど。上のほうの横に虫孔と浅い虫損痕が見えることから食害によるものと思われる。そのほかにも虫孔と思われる小穴が数箇所見えるが,いづれもさほど深刻なものではない。



15号側板
   側板:単純な凸凹接ぎによる接合,板4枚。

   左と天の板の接合部にヒビ。
   同じく地の板との接合部にも段差があり,左側板全面と地の板の半ばほどにかけ,表面板がほぼ剥離。
   左側板,板自体も多少歪みが出ている模様。
   右側はほぼ健全,二箇所の接合部,面板との接着,いづれも堅固である。


   棹および胴体の主材は国産の 「胡桃」 と思われます。
   洋材の「ウォルナット」と違って,日本のクルミ材は白っぽくて柔らかく,挽き物の地などには使われるものの,ふつうはまあ弦楽器には使わない素材ですが,10号菊芳さん,また11号の記事にも書いたように,古い資料にこれを月琴の軸として使っている例も見えるので,これで楽器本体を作ったとしても,まあ不思議はありません。

   ちなみに「クリ」なども同じような質の木材ですが,これも「月琴の材料」とよく言われたり書かれたりしてますね。
   実際には国産品では,高級品が鉄刀木や黒檀紫檀などの唐木やカヤなど高級家具材。大量生産された中級品はホオやカツラ,サクラなどのほうが多いようです。

15号目摂
 ■ 左右目摂:損傷なし。

   これと似たタイプの花の飾りはいくつか見たことがあるが,どれも何なのか,はっきりとは分からない。
   花だけ見るとテッセン,ではないかと思うのだが,茎が蔓にはなっていないようだし…
   ホオにベンガラ塗りか。


15号胴体上フレット(1) 15号胴体上フレット(2)

 ■ 柱(胴体上):1本欠,4本存。
   煤竹製。
   フレット幅の変化はそれほど大げさではないが,扇飾り下の第6フレットがちゃんと長くなり,よく見る国産月琴のデザインに近い。


 ■ 扇飾り,柱間飾り(胴体上),円飾り:
   柱間飾りは2個存,1個は痕跡のみ残る。凍石製。中心飾りは痕跡のみだが,円飾りではなく,蝶か蝙蝠ではなかったかと推測される。
   扇飾りはよく見る唐草のより単純化したもの。目摂と同じくホオ板と思われる。


15号半月
 ■ 半月:95×41×10mm。
   おそらくクルミ。
   平面の半円形,上面下方に線刻。おそらく蓮花であろう。
   糸孔は外弦間:30mm/内弦間:23mm。内外弦間:約3mm。

   上端左右にかなり深い虫穴がある。

 ■ 絃停:後補。布 95×70mm。
   化繊の青い布が貼り付けられている。
   貼り付けてから再度大きさを調整したらしくカッターの刃痕が面板上に残っている(桐板の上で! 恐ろしいことを…)。


  一見平凡なこの半月が,実は14号に引き続きビックリドッキリ部品となったのですが…そのあたりは次回!



4.15号概観 & ちょっと月琴の歴史2

   月琴が「文人楽器」となったのは幕末,日本でのことで。

   何度か書きましたが,この楽器,中国におけるステータスはそれほど高くありません。

   京劇音楽の中では三大件,四大件の一つとされ,主要楽器の一つとなっていますが,一般的には「古琴」を頂上にする楽器ヒエラルキーの中にさえ入らない,お女郎さんや門付け芸人の使う,アウトカーストというかアンタッチャブルな楽器です。

   これが「文人楽器」となったのは,もともとは「お遊び」だったと思います。

   月琴を愛した幕末の一流の文人,たとえば漢詩人の梁川星巌などは,その音楽を讃える詩を作る一方で,月琴は淫声の楽器だとする文章「月琴篇」などというものも書いています。
   彼ら江戸時代トップクラスの文人は,鎖国下とはいえ海外の事情にもちゃんと通じており,それがどういう楽器であるのかちゃんと知っておりました。知っている上で,それを同じ「琴」の字で表される七絃琴に見立てたり,歴史上の楽器である「阮咸」と結びつけることで,聖俗の「地位の逆転」をも楽しんでいたはずなのです。

   「見立て」と「逆転」は江戸の美意識の根幹,「遊び」は本気でやるのが江戸の流儀です。

   しかしながら彼らのフォロワーズ----二流三流どころの知識人や,たまたま長崎に来て遊んでたような留学生くずれにとって,彼らの遊びは「エラい人のやっているエラいこと」にしか映りません。また,流行っているから金でもとって教えようという連中にとっては,絶好の宣伝材料,さらには自分たちのステータスを高めるための格好の材料ともなったでしょう。

   そうした駄目フォロワーズたちはさらに,当時大陸で流行っていたポップスを演奏する楽器だった月琴で,すでに廃れかけていた明楽(こちらは明代の家楽,宮廷音楽につながる雅な音楽)の曲を取り入れてみたり,雅楽の本から商やら宮やらと,本来はこの楽器と何の関係もない,大昔の小難しい音楽用語や理論を剽窃してきたりして,その本来の姿をどんどんと歪めていってしまいました。

   このへん,月琴のはじまりのあたりが,虚飾めいた伝承や,無茶な牽強付会,我田引水の説に覆われ,模糊として判らないその原因の一つでもあるのですね。

   ちょっと脱線しましたが,15号,ちゅーちゅーにカジカジされた楽器「三耗」。

   月琴が「唐渡り」の輸入品時代からコピー国産化され,それが日本独自の様式になってゆく,そのちょうど中間点にあたる楽器と位置づけることができましょう。
   全体のフォルム,厚めの糸倉の姿などにはまだ「唐渡り」時代の遺音がありますが,「うなじ」はなだらかになり,まだ小さいものの「ふくら」もつき,棹の左右には傾斜があって,ほっそりとしたフォルムに仕上がっています。

正倉院の阮咸(胴部分)
   また面板上の第六フレットが長く,ほかが短くなるフレットのデザイン。
   これも中国で作られた楽器にはあまり見られません。

   なぜってこれ,おそらく正倉院の「阮咸」のデザインを引いたものなんですね。

   誰がはじめたことかは判りませんが,唐時代の「阮咸」の実物は,この日本にしかありません。
   この時代に正倉院の御物楽器の詳細が,こんな俗楽器に使われるほど,中国で知れ渡っていたとは思えないので,このフレットのデザインは国産品の証しの一つなんですね。

   もっとも,月琴のフレットは弾いている内によくとれちゃう,いわば「消耗品」なので,唐渡りの古い月琴が,後世国内で修理された時に,そういうしたデザインにされちゃった例もないではないでしょうが。

   また脱線----とにかくそういう意味では,この時期にこういう楽器が到来したというのは,偶然とはいえ,もっとも古形である14号からこの15号,そして明治中期以降の一般的な清楽月琴へとつながる,楽器の変化の様子を,実物をもとに確かめられ,立証できるという絶好の機会が与えられた,と言えるのかもしれません。

   15号「三耗」,まずは糸倉から棹にかけて,あちこち盛大に齧られちゃっているほか,側板が歪んで面板がはがれかかっています。
   これを直さなきゃならないのが第一。

   そして……楽器を振ってもなぜか「響き線」の音がしません。
   あまつさえ棹穴から覗いてみても,その存在が確認できない。
   玩具みたいな最低級の楽器の場合,はじめから「響き線」を仕込んでいない,という可能性もあるのですが,棹穴からの目視では内桁に響き線が通る孔はちゃんとあることが確認されています。

   「響き線」は清楽月琴の音のイノチみたいな部品です。
   側板の矯正,また響き線のナゾ解明のためにも,さっさとひっぺがし…いえいえ,面板をあけて内部からの観察,修理を行う必要があります。

 ひさしぶりに月琴のハラワタがのぞけるぞぅ……げへげへげへ

(つづく)

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