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16号菊芳2(2)

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斗酒庵 再度芳之助と出会う の巻月琴16号 菊芳2(2)


STEP2 菊芳2於兎良・内部構造



  前回に引き続きまして,菊芳さんの月琴2号,修理前の調査報告でございます。

  あ,胴のトラ杢にちなんで銘を「於兎良(おとら)」とつけました。

  外からの採寸はだいたい終わりましたので,お次は恒例の内部観察を……と言っても,今回の楽器もまた,オープン修理をしなきゃならないような損傷は今のところ見つからないので,棹孔から覗き込んだり,棒を差し込んで測ったりした結果です。


  まず棹孔ですが。

  ----すいぶんと凝った加工がされています。
  かなり高級な楽器でも,ここはたいがい四角く孔を穿っているだけなんですが。孔の縁の部分を,2ミリほど落としてあります。
  まあ,キレイですが,何か意味があるのか?---っちゅうと,ちょっとギモンですね。

  内部は比較的きれいで,ホコリやゴミの類もほとんどたまっていませんでした。
  側板の内壁にもノコ跡はあまり残ってはおらず,軽く均してありますね。



  内桁は2枚。

  厚さ8ミリほどの杉板で,上桁は棹孔から10センチばかりのところにあり,茎の先を受ける孔の左右5センチほどのところに木の葉型の音孔があけられています。下桁は24センチほどのところ,ちょうど絃停の真ん中あたりのところにあります。こちらは左右3センチばかり残して,真ん中に細長く大きな穴を一つ。下桁の裏面板側の中央付近がとくに深くエグられており,裏板にくっついてる部分の厚みが,1ミリあるかないかくらい,うすーくなってしまっております(表板側は5ミリくらいありますね)。

  月琴の内桁は表裏板の強度のため,というよりは,側板の円形を保つための補助材程度のもの。桐板にくっついてさえいれば,強度的にはあまり心配は要りません。


  …ふむ,しかし。

  ここまで薄いと,これはあらかじめ加工した板を胴体に仕込んだんじゃなく(接着のときの圧で割れちゃうかも),あるていど加工した板を,内部に接着してから音孔を広げたと考えたほうが良さそうですよね----そうすると,この楽器の胴体は,1)裏板と側板を接着,2)内桁を仕込む,3)最後に表面板でフタ,という順番で組み立てられた可能性が高い。

  月琴の製作工程のナゾにまた一歩。

  響き線は1本,上桁の,正面から見て右端のすぐ下に基部が見えます。
  たぶん黒檀だと思うんですが,表面にノコ痕のあるいびつな木片に,ふつうの丸釘でとめてあります。
  そこから下方へ弧を描いて,棹穴の直下22センチほどのところまで延びているのは確かなのですが,上桁左の音孔からその先端が見えないので,先っちょがどのへんで止まっているのかは,いま一つつかめません。
  やや細めの線で,すこしサビが浮いているようですが,さして傷んでいる様子はなく,つっつくと軽やかでキレイな音を鳴らしてくれます。焼キもちゃんと入っているようです。

  棹孔のサイズと内部構造がある意味絶妙(泣)で,内視鏡もライトもうまくとどかず,。まったくの「暗黒空間」になっちゃってる部分がありますが,調査結果をまとめたのが右図です(クリックで拡大)

  いづれも国産清楽月琴の内部構造としては定番的なものですが,側板内壁の処理にしろ,内桁の加工にしろ,10号のもの(下2画像参照)にくらべると格段に丁寧ですね。

  10号内部構造(1) 10号内部構造(2)
  ちなみに10号の内部構造では,上桁も下桁もただの板(それも表面ガタガタの)でした。

  逆に響き線のあたりの工作は少し稚拙です。

  基部にはいかにも端材の木片,止めているのはただの丸釘----10号のほうが基部の工作も丁寧だったし,線も長く,容易にはずれないよう角釘が使われていました。


  前回,そして今回と各部を見てきて,そして前に修理した10号との比較から考えて,この楽器はおそらく10号より前,まだ芳之助さんが月琴という楽器を作り始めたころの作品ではないかと考えられます。

  古渡りの月琴に近い棹や糸巻,そして糸倉の加工。
  また,凝った材料,指板のベンガラ擦りこみ,棹孔の角落としなど,今ひとつ「音」に関係のない加工が目立つ反面,月琴の音のイノチである響き線周りの工作が,やや雑になっていること,など----

  前の10号の工作は良く言えば円熟しており,しっかり作んなきゃイケナイところも手の抜けるところも知り尽くした感じでした。今回の16号はそれに比べると,まだ工作上手探り的なところがあちこちに見てとれます。
  月琴はいっぱい作らなきゃ利益があがらない,比較的安価な大量生産楽器だったので,そのぶん作り手の練度や技術的な進歩も,いくぶん早かったとは思いますが,10号から見てこの16号は,少なくとも5年,10年くらいは前の楽器だったんじゃあないかと思われます。

  資料上,「馬喰町菊芳」は第5回の勧業博(明41)のころにはすでに,弟子と思われる岡戸竹次郎さんに譲られているようですから,芳之助さんが店主だったのは,明治30年代ごろまでと考えられます。そこに月琴の流行時期を考慮すると,この楽器は明治ヒトケタから10年代なかば,10号は20年代前半くらいの作品ではなかろうか,と推理されますが----さて。
(つづく)


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