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13号柚多田(2)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (2)

STEP1 やっぱり玉手箱

  記録によればこの楽器,購入したのは2009年の暮れごろのことでございました。

  以降,一年以上ほっぽっといたわけですが,この年末,16号於兎良,赤城山1号と修理が順調に終りまして。
  脳味噌の痛い入力作業の片手間,気晴らしにする実作業として,修理を開始することに。

  また,一年間も手をつけなかったのは,表面の墨書をなるべく傷つけず,虫食いだらけの面板を補強・補修する手立てを模索しておりまして----文化財の修復をやってる方のサイトをのぞいたり,書物をひもといたり,実際にその筋に関わってる方にいろいろ尋ねてみたり…で,そのあたりはなんとか目途がついております。

  めんどいんだけど。

  何度も書いてますが,庵主 「やいばのしたにココロと書く」 ような作業は好きではなく,どちらかというと中くらいの楽器を,もー,こんでもかっ!!と,ゆーくらい,自由にあーしたりこーしたりしたいほうなので,こういうヒストリカルな,資料的価値のほうが高そうな楽器の実作業には,正直あまり関わりたくないんですね。

13号内部
  まあ,ともあれ13番めなので楽器の名前は「柚多田(ゆだだ)」。
  見た感じ,明治の中ごろくらいに,文人かぶれの旦那が指物屋さんにでも頼んで作らせた楽器,ってとこでしょうか?糸倉のデザインなんかも武骨で,なんか全体に素人っぽい感じのする工作です。

  振ってみると,響き線の音のほかに,胴内になにかコロコロと転がる音がします。棹をひっこぬいて孔からのぞくと,円柱状の物体が二つあり,そのうちの一つが定位置からはずれて,左右に転がってまわっているようです。
  こうなりますと,手術用のマジックハンドみたいのでもないと修理できません。

  ひさびさのオープン修理ですね!

  ちょうどよく,地の側板付近に表面板の大きな剥離があります。
  このあたりからいっちょう,バリバリ~っ!とハガしちゃいましょうかあ。

  あ,そーれ!ばりばりばりーっ!


  「ころん」と中から,丸竹の切ったのが出てきました。

  表裏の面板ではさみこむように接着してたみたいですね~,板の裏に丸く痕が残ってます。
  棹孔から見えた円柱状の物体はこれ,一個はずれてるのが胴内を転がってたのの正体ですね。

  さてー,月琴の内部構造としてこんなもん,今まで見たことありませんが…なんなんでしょうかね,この部品は。


  と……墨書も出てきましたねえ。えーと,ナニナニ。
  「文久三癸亥年五月吉日 御楽器師 石村近江大掾/藤原義治(花押)」
  ふんふん。文久ってことは明治の後で平成のちょっと前で昭和の先……………
しぇええええーっ!!!
  ナ~ニが「明治の中ごろ」かあっ!
  テキトー言うなあっ,自分ッ!!!!

  文久3年は1863年。
  新撰組が結成され,長・英,薩・英戦争あり,まさに幕末真っ只中。
  もちろん「江戸時代」なわけで。
しぇええええーっ!!!

  えー,その筋のプロの方々………これ以降の修理過程はかなり心臓に悪いと思いますので(ワタクシが,見られると),ゼヒ見ないようにお願いいたします。

石村近江代々の墓(魚籃坂・大信寺)
  作者名もオゴってますねえ。
  「石村近江」ときましたか……


  「石村近江」といえば三味線の祖,初代は日本の三味線という楽器をこの世に生み出したヒトとされております。
  以降「石村近江」宗家は11代に渡り名工を輩出したそうな。
  邦楽界のグァルネリかストラディバリウスと言ったような連中ですね。(画像は魚籃坂・大信寺「石村近江代々の墓」。)
  ここに書かれている「石村近江」が宗家筋なら,年代から言えば最後の11代(-d.1865)か,12代を継いだと言われる小林幸栄(-d.1874)ですが,どちらも名前が合いません。

商業取組評「三味線」
  明治のころの月琴の作者にも,「石村巳之助(鑠斎)」とか「石村勇造」といった人がおりますが----いまのところ楽器屋石村一門で「義治」もしくは右下にある「常吉」に該当するのが誰なのか,情報が少なく分かりません。「近江大掾(官名)も藤原氏の姓も,もちろん勝手に名乗っていいものではありませんが,「石村近江」というブランドがあまりにも高名であるため,宗家筋以外にも,いわゆる「のれんわけ」みたいな感じで,名乗りを許された楽器屋さんもあったようですから,もしかするとそういうところの人なのかもしれません。

  庵主,このあたりについてそんなに深く知っているわけではないので,邦楽関係,ご存知の方ございますればご一報を。

  明治10年に出された『商業取組評』(尾崎富五郎 画像は国図近デジより)という本を見ますと,東京のいろんなところに「石村」がうじゃうじゃいるのが分かりますねえ。「菊岡(もしくは菊屋)」「柏屋」「石村」ってのは,当時から琴・三味線製造の三大家名だったようです。




  さて,んじゃ気をとりなおして,内部観察とまいりますか。

  側板はぶ厚く,内側には鋸ではなく鑿で「はつった」ような痕がついてますね。
  材質は何でしょう----分かりません。
  そんなに堅くも重くもない木です。
  カツラにしては気胞が大きいし,ホオは木色が違う……強いてあげるなら,クリとかクルミですね。


  内桁は二本。

  ----これも材質が分かりません。
  少なくともスギとかヒノキではないようだし…サワラのような気もしますが,これもまた何とも。
  音孔の穴あけ工作は丁寧ですが……でもまた,ずいぶんとまあ不規則で。 楕円形をした大きいほうの穴は,穴錐で両端をあけてから間を鋸で挽いてるようなんですけどね。
  上桁は棹茎のほぞ穴左右にそれが二つ,そのほかに丸い孔だけあけたのが3つ,下桁は大きいのが三つ,丸穴三つ。 穴錐であけた丸孔以外は長さがみんな違っておりまして,その位置や大きさ,配置にも,たとえば「音響を考慮した」とかいうような形跡はまったく見られません。


  テキトウですね……もしそうじゃないんなら,こんな中途半端な工作しませんて。

  響き線は直線が1本。
  細めの鉄線で楽器向かって右側板の中央に直接差し込むかたちで取り付けられています。

  サビを落そうと磨いていて気がついたのですが,このハリガネ,断面が丸くない,四角ですね。
  クギの場合,江戸時代には丸釘は少なく,特に木工では月琴でもよく使われている四角釘がほとんどだったわけですが,金銀を延伸してハリガネを作る技術は日本でも14世紀ごろにはすでに存在し,江戸時代には鉄のハリガネも作られていました。やや工作や材質は異なるものの,それらはほぼ現代のハリガネと同じで断面は丸です。

  ----もしかするとハリガネではなく,板金の類を細く切って整形したものなのかもしれません。

  かなり柔らかく,手荒に扱うとすぐにでもポッキリ折れてしまいそうです。

  響き線の先端部が当る,表裏面板の裏側には竹の板が,皮部分を内側に向けて,それぞれ接着されていました。
  この竹板と例の丸竹の切ったのは,どうやらこの響き線の振幅を制限するための,一種の「囲い」であったようです。

  こういう構造は今のところほかで見たことがありません。もちろん同じ作者の月琴のほかも知りませんので,ぜんぶ同じだったかどうかも分かりませんが。響き線の材質がかなり弱そうなモノなので,明治時代の月琴の線みたいに大きく振幅させると,根元から折れてしまう可能性があるのかもしれません。
  石村さんが独自に工夫したものですかねえ。

  いやほんと,人生いろいろとビックリドッキリですわ…ははははは。

(つづく)


明治大正期楽器商リスト

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斗酒庵 資料を公開す の巻明治大正期楽器商リスト


  人により,調査の方法というのは千差万別である。
  しかし,民俗学をはじめ,博物学から派生した研究学問の多くは,たった一つの方法論しかもたない。
  すなわち「あつめて・ならべて・くらべて・かんがえる」である。
  この種の研究では,一人の人間の一生のうちに,「あつめて」から「かんがえる」までを通しで達成できたなら,それは奇跡のような幸福である。しかし,それぞれの一段階,いや,その一段階の数%に関わり,一生を捧げただけであったとしても,人類の叡智への貢献という意味の中では,その功績は等しく尊い。
  庵主は深大なる叡智もなく,ケダモノのようなカンも持ち合わせていないので,恥ずかしながら,何かを「発見」するための方法はいつも同じである----いわく,「シラミつぶし」。
  その本の中にその情報があるのが確かなら,どんな大部の本であったとしても頭から一枚づつめくってゆけば,そのうち望みの項目にぶつかる。ある種の本の中にその情報があるのが分かっていれば,その分野の本をすべて一枚づつめくってゆけば,そのうち望みの情報が集まるものである。
  無論手間だし,一人の人間が独力でやれることはたかが知れている。
  しかし,拙いものでもやれるだけやって公開しておけば,次にそれを使うものがまったくの0からはじめなくて済む。
  人の叡智は,そうやって紡ぎつがれてきたのだもの。


  というわけで,誰かの何かの役に立つだろうと思われますので,国会図書館・近代デジタルライブラリーの資料中から抜き出した,明治~大正期にかけて存在した楽器商のリストを。
  もちろん,庵主が調べえた範囲のものですので,まだまだ疎漏。のちのち改訂して行く所存ではございますが,とりあえず公開いたします。

  誤字脱字の発見,またここにある以外「こういう資料に楽器屋の広告が。」「この本に楽器屋の情報が。」という情報がございましたら,是非ともご一報,ご協力くださいませ。

   【明治大正期楽器商リスト】へ




赤城山1号(6)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (6)

STEP6 幸運なる楽器・楽器の幸福


  楽器本体の修理は,前回書いた剥離箇所の再接着と,表面板のヒビ割れの充填くらいなもので。
  同時進行で軸はじっくり製作中。
  1本だけなんですが,塗装があるため,いちばん時間がかかるんですね。
  しかし今回は,オリジナルの軸が3本も残っているので,実際に音を出して調整が必要なあたりも,関係なく作業をすることができます。
  さあ,一気に仕上げますよ~。


  まずは半月をもどしましょう。
  山田縫三郎の月琴は,ここの接着が弱いのが弱点です。
  オリジナルの接着はお米を練った「そくい」の類でしたが,ニカワの薄貼りで接着しなおします。
  量産機ゆえにオリジナルの位置そのものが完全に信用できるものではないので,糸倉から糸を張ってあらためて正確に位置決めを行います。
  まあけっきょく,ほとんどズレはなかったんですが。
  設定位置からズレないよう当て木をして,クランプで固定。大事な場所なのでまる一日おいて,しっかりと接着します。


  続いて張られる糸の反対側,「山口」も作っておきましょう。
  オリジナルは残ってませんが,おそらくは象牙もしくは鹿角,あるいは練り物(象牙の粉を固めたニセモノ)で作った白い山口がついていたと思います。薄板で済むフレットと違ってさすがにこの厚みを象牙で作るのは大変ですし,高くつく割にあまり意味もないので,蓮頭の飾りと材質と色をおそろいにして,今回はツゲで作ります。
  高さはとりあえず1.1センチとし,後で底を削って高さ調整できるよう,左右の幅をちょっと長めに,取り付け箇所ギリギリに作ります。

  半月と山口が完成したので,山口を仮止めして糸を張ってみたのですが----やっぱり,絃高が高い。



  一つの原因は,棹の指板と胴体表面板が面一になっていることですね。
  このブログでも何度か書きましたが,これは一般に弦楽器の工作としては素晴らしいのですが,月琴のようにフレットの背丈のある楽器の場合は,フレットが全体に高くて,ただ弾きにくい楽器になってしまうことが多いのです。
  ちゃんと考えて作られた職人ものの月琴では,棹が山口のところで約3ミリほど背面側に傾いています。傾けすぎるとデッドスポットが出来てしまいますが,こうすることで低音域ではフレットの背丈が高く,bebung やビブラートがかけやすくなり,高音域はフレットが低く,弦圧が高くてもより確実にきれいに,音を出すことができる楽器となるのです。


  赤城山1号,棹と胴体の接合はカンペキと言っていいほどなので,ここに手出しをしたくありません。
  棹を傾けられないのなら,反対側を低くすればよろしい----いつもの手,でまいりましょう。
  半月に「ゲタ」を穿かせます。
  今回のゲタはちょっと厚め,竹板の皮ぎしを削って接着しました。
  約2ミリ,これが限界。これ以上さげると半月のポケットから糸が出せなくなっちゃいますねえ。

  ふと思いついて半月といっしょに,スオウとベンガラで染め直したら,あんまり目立たなくなりました。




  フレットは浅草橋で買ってきた象牙の端材で作りました。
  上が新しく作ったフレット,下に並べたのがもともとついていたものです。
  最初,この胴体上のフレットはそのままもどすつもりだったんですが,半月にゲタでぎりぎりまで絃高を下げたのにそれでも低すぎて使えず,けっきょくぜんぶ再製作となりました。
  ほぼ同じクラスの十六夜が練り物製のフレットだったこと,またこの元のフレットの象牙の質がかなり良いものであることなどを考え合わせますと,これらも目摂下の凍石飾り同様,古い時代にほかの月琴から移植されたものだったのかもしれません。



  出来上がったフレットは,粗めのペーパーでざっと表面を均したら,そのままヤシャブシで煮込んで二晩ばかりそのまま漬け込み,古色をつけます。まっ茶色になった表面を,ペーパーの番手をあげながら磨きがてらこそいでゆき,ちょうどよく茶色っぽい表面に仕上げます。
  お縁日の露店なんかで,よくこの手の古色をつけた今出来の根付が売られてたりしてますね。
  画像でご覧のとおり,この「ニセ古色」と本来の「象牙の古色」というものは,まったく違うものです。ニセ古色はせいぜいがところ,タバコのヤニにまみれて数ヶ月といった感じで,その変色もごく表面的なものにすぎませんが,本当に時代を経た象牙は,全体に少し黄味がかり,表面はトロリとした上質の脂みたいに半透明に透き通って見えるのです。


  お飾りは,左右の目摂,中央の扇飾りと中心の円飾り,それに目摂の下についていた古い凍石の柱間飾り,それだけを戻します。
  いくつか前にも書いたとおり,山田縫三郎の楽器にはもともとお飾りが少なく,また元から付いていた証拠の日焼け痕なども確認できなかったこと,さらに木工ボンドによって接着されていたことなどから,フレット間についていたお飾りの類は,ごく最近,ほかの楽器から移植されたものだと推察されます。
  まずオリジナルであると確実なのは「そくい」で接着されていた左右の目摂と扇飾りだけなのですが,中央の円飾りと二つの凍石飾りは意匠も古雅ですし,ニカワでかなり上手につけられていました。
  これらもまた「オリジナル」ではありませんが,少なくともこの楽器が「楽器として使われていた」時代に近いものだと思われますので,まあこのまま付いていても良いかと考えます。


  ただし小飾り二つは元の位置ではなく「本来あるべき」位置に戻しましょう。

  ほかの楽器の画像資料から推察して「ブドウ」は第4・5フレットの間,「魚」は扇飾りの下の柱間であると思われます。
  「ブドウ」の位置には「花」をあしらった飾りが付いていることが多いのですが,その先細りになったフォルムはこの「ブドウ」とほとんど同じです。「魚」はどれもだいたい同じような位置についてますが,明治晩期の月琴では「これ,魚…?」というくらい,左側に口と眼らしきものがあるだけにまで模様化されたお飾りになっていることも少なくありません----そうしたものに比べると,これらのお飾りは具象的で,悪くない彫りをしていると思いますよ。


  絃停にはやや厚めのニシキヘビの皮が使われていました。
  右下に少し欠けがありますが,くっついていたボンドをこそいで洗ったら,けっこう丈夫だしまだまだキレイだったので,これをそのまま使うこととしましょう。

  この手のナマモノの皮は,乾いて変な風に縮むとやっかいなシロモノなので,洗って乾かしている間は,新聞紙と板にはさんで重石をし,ずっとそのまま熨しておきました。
  貼り付ける前に10~20分ほどぬるま湯につけて,柔らかくしておきます。


  これの接着剤には,かならずヤマト糊をお使いください。
  面板上の他のお飾りと違い,接着の面積が広いので,ニカワだと器体への影響が大きすぎるからです。
  オリジナルの工作でも「そくい」もしくは「ふのり」の類が使われていることが多いですね。

  あらかじめ,板のほうも少し濡らして糊を塗っておき,裏返したヘビ皮の表面を軽く布巾で拭ってから糊をまんべんなくたっぷり塗りつけ,すかさず面板へ。
  水気取りにキッチンペーパーか新聞紙を当て,端材の板をのっけて,重石をのせて。
  あとはとにかく,乾くまでそのまま----

  お釜のご飯じゃありませんが,こればっかりは中途半端な段階でのぞいてみたり,変に動かしたりしないこと。
  そこからペローンと簡単に剥れちゃいますからね(経験者,談)。



  そしてこいつで最後の最後。

  塗装の乾燥待ちをしていた補作の軸を指し,内弦の糸溝を山口に刻んで,弦を4本張ります。

  いつも思うことなんですが,ほんとにこの楽器たちは,何年ぶり…いや何十年ぶりに,ちゃんと音を鳴らすことが出来たのでしょうね。


  受け取ってからちょうど一ト月目の,まだ松飾りもとれない一月三日。
  「赤城山1号」,修理完了いたしました!!




  さて,試奏後の感想ですが----

  素晴らしく,弾きやすい楽器です。


  ずっと書いてきたとおり,量産楽器なので,楽器としてはどうあっても「中の上」どまりですが,そのぶん操作感にも音質上もヘンなクセがありません。フレットの高さ調整もうまくいったので,運指への反応も良くなり,スラスラと流れるように弾けます。
  あんまりにも気持ちよく弾けるので,庵主,一回の試奏で30曲ぐらいづつ録音しちゃいました。

  音の深みや高音の伸びが少し足りないあたりは,材質・構造的にどうにもなりませんが,このクラスの楽器でここまで鳴れば十二分,下手くそな職人ものの銘入りよりは格段に上等で,意外と「のびしろ」を感じさせます。
  面板が完全に乾いたら,まだまだ「化ける」かもしれません。


  面板の清掃時にあらわれた演奏の痕跡などからみて,「赤城山1号」はもともとかなり弾き込まれておりました。
  それほど高価でもないため破棄されることの多いこのクラスの楽器を,これだけ弾き込んでいたのは,うちのコウモリ月琴などと同じようにこれが「量産品中の佳品」であったからなのかもしれません。

  まあ,陶芸の世界なんかでもありますよね。
  同じようなものでも百,二百,千と大量に作っていると,中に一個二個,思ってもみなかったような傑作が出来ちゃうことがあります。規格品の,大量生産の楽器でもその状況は同じです。


  そもそもこの楽器が,震災も戦争も越えて,百年の時を生き延びてきたこと,そして骨董屋さんでのその出会い。
  それらはみんな,ほんの小さな組合せの絶妙,確率の奇跡。

  「運が良い」というのは,本当に,こういうことなのかもしれません。

   1) 音階(1)
   2) 音階(1)
   3) 韻頭環
   4) 韻頭串
   5) 平和調
(おわり)


赤城山1号(5)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (5)

STEP5 11枚ある!(by 矧尾都望)

  さて,修理の邪魔になるお飾り類,半月,ボンドによる補修痕の除去も終わりましたので,いよいよ本格的な修理作業に入ることといたしましょう。


  この楽器の表面板には,胴体の天地をほぼ貫通する割レが一本入っており,それを発生源に,地の側板の表面板がわ周縁はほとんどハガれ,左下の接合部がハズれてしまっております。


  そのほかにも同じ割レを原因として,天の側板の棹孔付近ほか,ところどころに面板のハガれが生じていますね。
  幸いにも側板の部材自体にはさしたる歪みも出ていないようですので,まずはこれらを定位置に再接着して,固定してしまいましょう。



  面板のハガれているところにまずはぬるま湯をふくませ,つぎにゆるく溶いたニカワをたらして,もみこむようにしながらハガれている箇所全体に回します。
  筆の入らないような細いスキマからも,ニカワを含んだ粘っこい汁がにちにちと滲み出るようになったら,クランプで固定。

  表面板は内桁からもハガれているようなので,割レを少し持ち上げ,内桁の接着面に筆でニカワを垂らし,重石に辞書をのっけて,いっしょにくっつけてしまうことにします。


  二日ほどしてくっついたら,ヒビ割れを埋めましょう。



  根元のところで1ミリくらい開いちゃってますから,今回は木粉パテでは埋まりません。

  まずはヒビ割れの両岸を,アートナイフで軽く削って均しておきます。
  つぎに過去の修理で出た古い面板から,うすーい細板を切り出し,さらにペーパーで削って,なるべく奥までビシッとはまるような埋め木を作ります。

  乾いたら整形して,っと----うん,まあこんなものかな?
  埋め木としてこんな薄いのがうまくハマったのはハジメテかも。
  ともかく,割レがほぼまっすぐなんで助かりました。


  ヒビ割レの始末もうまくいったので,次は表面板を清掃してしまいます。


  ヨゴレはそれほどでもなかったんですが,さすが量産特化型。
  使われてるヤシャ液はやたらに薄いわ古いわ,砥粉の質は悪いわ。
  「ヤシャ液が古い」ってのは,この変色が楽器の経年劣化によるものではなく,使いまわされて劣化した質の悪いヤシャ液だったってことですからね----絃停の下のオリジナルの板の色が,にじみ出てくる汁の色が,なんと悪いこと!

  まあコスト減らすんなら,真っ先に質を落とすところの一つでしょうから,しょうがありませんかね。

  !!そして全体を濡らして分かった衝撃の事実!!


  この表面板,なんと11枚もの板を矧いであります。

  ええ,「矧ぐ(はぐ)」というのは,板を横に並べて接着して,一枚の板にすることですよ。
  写真だと判りにくいとは思いますが,紙の置いてあるところがそれぞれ違う板でできているんです。

  ちょっとした小物入れや,細工物に使う板や材はともかく。桐というものはもともと,このように横に継いで板にするものではありますが,これだけ数多くの小板を使った板を,音に直接関係のある表面板に使っているというのははじめて見ましたね。

  こんな薄い板をたくさん並べて横に接着するのだから----と考えると,その手間のぶん大変そうに思えますが,月琴に使われる桐の薄板は,わたしがよくウサ琴でやっているように板の状態のものを横に継ぐのではなく,桐の角材や厚板を重ねて接着剤と竹釘で固定し,でっかいカタマリにしたものを,ローストビーフよろしく板目から薄切りにして作っていたと推測されます。


  一つ一つのカタマリが大きければ,接着箇所が少ないわけですから,板としては質が高く,一枚の板は高価になります。逆に部材が小さくても,目をうまく組み合わせればちゃんとした板にはなりますし,極端なはなし,端材のような中途半端な材料も,組み合わせ次第でムダなく板とすることができるわけですね。

  むかしから「桐は桐屋」と言いまして。
  桐の流通というのは木材の中でもちょっと特殊で,同じ木材を扱う指物屋さんなどでも,桐箱や桐板のことに関しては,桐を扱うお店に直接頼んでたりしてました。従って月琴に使われているこうした桐板も,多くは工房で自作したのではなく,桐屋さんに発注してまとめ買いしていたと考えられます。


  山田縫三郎,このあたりでもたぶん,コスト削減のため抜け目なく立ち回ったんでしょうねえ。
  端材寸前の細かい材を継いだ安い板----とはいえ目はうまくそろっていますし,おかしな節目もない。
  そのへんはちゃん選んではあるようですね。

  前にも書いたとおり,唐渡りの月琴では桐の一枚板を使っている例が多く見られます。
  月琴はそんなに大きな楽器ではありませんが,それでも一枚板で表裏を貼るとなると,けっこうな額になります。
  全体が均質な一枚板の場合,音の伝導にもちろん支障は何もありませんが,木目によってはかえってアバれて,ひどい歪みや割れが生じてしまう場合があります。そうした板自体の自然な質を原因とする不具合は始末が悪く,板自体をまるっと交換するくらいのことを考えなければ,根本的な解決はなく,けっきょく何度となく再発することが多いですね。


  2~5枚矧ぎくらいで,板をうまく組み合わせたもののほうが,歪みや割れが生じにくく,安定しているように思われます。またその程度だと多少壊れても,同じような目の板で一部をすげ替えれば,ほとんど元通りになりますから,かえって長持ちかもしれません。

  矧ぎの枚数がそれ以上に多くなっても,組み合わせをしっかりと考えてやっているものならば,さほどの問題はありません。しかし,部材が多くなれば目の組み合わせも複雑になります,ましてやそこらの余り材をてきとうに積み重ねてへっつけ,板にしたようなものですと,それぞれの小板の経年の収縮やクセで,どんなことになるか分かりません。

  赤城山1号,表面板のこのヒビは,おそらくそうした板の収縮によるものと思われますが,逆にこれだけ数を継いだ板で,百年を越え,このくらいのことで済んでいるのですから,とんでもなくウデがいいとも,キセキだとも言えるかもしれません。

  では平成の月琴士から,賞賛とともにささやかな贈り物を。

  いつもより少ししつこくヤシャ液を拭いとった表面板を,しぼったばかりの新しいヤシャ液と,ちょっと上等の砥粉で染め直しました。

  すっきり黄金色,ですね。
(つづく)


赤城山1号(4)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (4)

STEP4 接着戦隊!ボントマン!!

  きっとこの世界のどこかに 「狂聖ボンド帝国」 というのがあって。そこからハケンされた連中が,わたしをピンポイントで困らせるため,古い楽器にボンドをつけてまわっているのだと思う。

  ----いや,間違いない!

  「狂聖ボンド帝国」の前身,三鷹にあった「聖ボンド王国」は,日本月琴教会の先代大首領が,自らのイノチと引き換えに倒したのだが,その残党が越ヶ谷のフリー○ーソンと結託して新たに阿佐ヶ谷のあたりに作り上げたのが「狂聖ボンド帝国」である。われら悪の秘密結社・日本月琴教会に対抗するため結成された特殊工作員……その名こそ


  ----である。

  つけろつけろ,くっつけろー
  なんでもかんでもつけちまえー
  この世のすべてがついたなら
  世界に平和が訪れる!
  ゴム!木工!瞬間!

  つけーつけつけつけ
  接着だー(シャキーン!!)


  というわけで。


  「赤城山1号」本体の修理作業に入ったとたん,イキナリ現実逃避しております。
  まずは表面板上についてるものはハガせるだけハガしちまいます。


  中心線上についていたピンクっぽい凍石のお飾りは,それぞれのついてる位置が適当(いちおうキマリというか,順番らしきものがある)なんで,そじゃないかなーとは思ってたんですが,やぱーりほとんど後付けでした。棹上の竹フレットも間違いなく同じです。
  ----なんせどちらも,木工ボンドでペタぺたり………ううううう。


  逆に,オリジナルの接着だと思われるものは,左右の目摂と,扇飾り,胴上のフレットと中心の円飾りです。
  ただし接着に使われているのはニカワじゃなく,おそらく「そくい(お米系の接着剤)」の類。
  ヘビ皮の絃停の貼り付けにはよく使われてるんですが,お飾りの接着もぜんぶ「そくい」ってのは,ほかではあまり見ませんね。
  「そくい」の接着力はニカワ同じくらい,もしくはそれより強固ですが,一度はずれたら濡らしてもう一度くっつける,といったことはできません。あと,ニカワよりは虫の害を受けにくいみたいですね。今回の楽器,虫の食害が今のところほとんど見られません。

  お米からつくる「そくい」は基本,炭水化物なんで,ニカワと違って,劣化すると炭化して黒いモロモロになります。
  このモロモロとボンドは,できうるかぎり,徹底的に除去いたします。
  どちらもあるていど耐水性があるんで,再接着のときの障害になるからですね。


  棹上のフレットや柱間飾りの剥離とボンド痕の始末は,範囲も小さいし,たいしたことなかったんですが,絃停をハガす段になりましたところ,そのはじっこのほうにそれはまあコンモリと----その始末をしていたら,なにやら半月がグラグラしはじめました。


  これもついでにはずしちゃいましょう。

  前に修理した兄弟器「十六夜」は,演奏中に半月がスポーンとハガれて友人のおデコ直撃したそうですが,どうやら山田月琴最大の弱点は,この半月のようですね。以前ネオクで出てた楽器や博物館にあったものでも,半月のはずれてるのがけっこうありました。
  今回のは保存状態のせいで,半月の材がやや反ったせいもあるみたいなんですが,そもそもちょっと濡らしたぐらいでガタつくこんなユルい接着じゃ,安心して弾けやしません。
  半月はこの楽器のなかで,最も力のかかる部品のひとつ。ここは転ばぬ先に手を打っておくことといたしましょう。

  半月をはずしたら,穴が出てきました。
  一部の解説ではサウンドホールとされてますが,清楽月琴の場合はたんなる空気穴です。
  唐物や中国の月琴にはないので,日本の楽器職が琵琶の「陰月」のつもりで付けたんでしょうね。
  ただ,この穴が四角いのは,はじめて見ます。そもそも,どやってあけたんだ,この穴?


  表面板のヒビ割レの根元,地の側板のハガレの周囲にも,ニカワじゃない接着剤が使われていましたが,こちらは濡らしてもカッチリ硬く,透明なまま----たぶんボンドじゃなくセメダインじゃないかな。ハガレの接着面に数箇所垂らした程度だったので助かりました。


  蓮頭もボンド接着のようなんですが,修理の邪魔にはならないので,ここはとりあえずそのままにしておきます。
  山田縫三郎の楽器は量産品なこともあり,通常あまり凝った装飾は施されていません。この蓮頭は彫りの手も違うし(かなり巧い),同社の楽器中に似たような例を見たこともないので,柱間飾りと同様,ほかの楽器から移植されたものだと思われます。

  また,左右の目摂の下に一つづつ付けられた凍石飾りも明らかに後補のものですが,その接着にはボンドでなくニカワが使用されていました。接着も上手い。これだけはほかのお飾りより以前に,楽器屋がやったんじゃないかな,と考えております。修理で出た余ったお飾りでも貼り付けたのかもしれません。

  けっこう苦労しましたが,なんとかぜんぶひっぱがせました。
  やれやれ。

(つづく)


赤城山1号(3)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (3)

STEP3 軸先に見える天国,軸先から見える地獄

  さて,データーもだいたいとりおわったので,いよいよ修理に入ります。
  わたしゃ楽器屋さんぢゃないので,修理のほうはデーターとらせて貰ったお礼みたいなもんですが,もちろん手ェ抜いたことは(あんまり)ありません。

  本体のほうにも面板の割レやハガレなど要修理なところが数箇所ありますが,いづれも急は要さず,重症でもないので,何はともあれ,いちばん嫌な仕事から参りましょう。

  軸を削ります。(^_^;)


  夏前のウサ琴製作とこのところの修理で,ストックしておいた素体がなくなってしまいましたので,ひさしぶりに四面落しからのスタートです。四面落し用治具「軸切り太郎くん」(…だったっけ?),ひさびさの登場---ご覧のとおり,角材に軸の斜面の角度に切った板をへっつけただけのシロモノですが,やっぱりあるのとないのとでは大違いです。Fクランプと木片で材料を固定し,ひっくりかえしながら,斜め切りしてゆきます。
  これを使う前は片手で材料を押さえ,片手で切ってました。木材というものは,横より縦,縦より斜めに切るのがいちばん大変です。なんせ繊維の方向を完全に無視して,まさに「ぶった斬る」わけですから。

  「軸切り太郎くん」のおかげで,材料を足で踏んづけてがっしり固定し,鋸を両手で握って切れるようになりました。

  ----とゆうても,やっぱりキツイのはキツイんじゃあ!(汗)

  軸の作業は,1本だけやっても10本同時にやってても,実は同じくらい時間がかかります。
  「赤城山1号」に足りないのは1本だけですが,なんか1本だけってのがかえってシャクなので,ついでにうちの8号月琴・生葉の軸も削ることとしました。生葉ちゃんはたぶん石田不識の作。一応うちのコンサート用楽器なのですが,そのマグロ黒檀の軸が,いまいち糸倉と噛合っておらず,せっかくのスペックをじゅうぶんに発揮できずにおります。この際ですから,糸倉にちゃんと合った軸を作ってバリバリ弾ける楽器にしてやろうと思います。


  軸をつごう5本,四面落しに一日,削るのに二日。
  何度も言ってますが,六角形にする作業は,なぜか好きなんだなあ。

  「赤城山1号」の軸は,ほかの作家の楽器のものと比べると,やや短めで11cm ほどしかありません(平均は12cm )。
  実はうちのウサ琴の軸と,ほとんど同じサイズなのですね。おそらく理由も同じでしょう。
  ---いわくコストダウン!
  ウサ琴の軸は,初期のものにはチーク,後では¥100屋さんで買えるスダジイの丸棒を使いました。どちらも長さは45センチ。12センチの軸だと1本の材料から3本しか取れないうえ,かなり大きな余りが出ます。平均から1センチ縮めるだけで,1本の材料から1セットぶん取れて,加工の上での誤差損失を入れると,余りはほとんど出ません。

  個人・職人レベルでの製作なら,なにもそこまで考える必要はないでしょうが,これが楽器工場レベルでの量産体勢となれば,この差は大きい----こういうところからも逆に,山田楽器店の「近代的な」センスがうかがい知れますよね。

  とと,また少し横道に。


  削り終えた軸は,糸倉とのフィッティングを済ませてから,握りの部分をたんねんに磨き,スオウで染めます。
  煮立てたスオウの汁にくぐらせては乾かすこと数回。
  ほどよくオレンジ色に染まったら,ボウルに熱湯を入れ,ちょっと濃い目に重曹を溶いて,その中でさッと転がします。


  ほーら!みごと「1.3倍速い人専用のザク色」に染まりましたよ!
  おほほほほーっ!

  数日放置して,よく乾燥させます。
  乾燥しながらも,空気中の水分を吸ってさらに反応が続くので,色はしばらくの間多少変化しますね。
  今回は,こんな感じに落ち着きました。
  ここまでのところは何度もくりかえした実験結果の反映ですが,庵主,化ケ学がニガテなこともあり,この技法,正直なところ,何をどのくらいどーすればどーなるのか,いまださぱーり分かりません。

  こんな真っ赤にして,いったいどーする気だ?
  と,不安に思われるかたもございましょうが。ここまでは下染めの下準備,これからが本番。


  つぎにこれを,温めたオハグロ液にくぐらせます。
  黒くなった----まあオハグロですから。

  ちなみに,うちで「オハグロ液」として使っているものは,クメゾー(茶ベンガラ)とヤシャ液に家庭用のお酢を混ぜたものを煮立たせ,寝かせたものです。江戸時代にはベンガラでなく,古釘なんかを使ったみたいですが作り方はまあ同じようなものですね。
  煮立たせるのは最初と,あとは「たまに」でいいんですが,そのおりちょっと……いやかなり,サツジン的なニオイがしますんで,そこんところ,ひとつご注意を。あとときどき,使ったり蒸発して減った分,ヤシャ液やお酢を注ぎ足しておいてください。


  うちので3年目くらいになりますが,よく本にもあるように,年を経るごとに黒味が深くなってきますね。

  また乾かしてはくぐらせるのを二三度やって,乾いたら布で表面をしっかり擦ります。ベンガラのせいで表面がなにやらメタリック風味になりますが,これはただの「黒染め」ではありません。写真だとちょっと分かりにくいんですが,実はこの段階で,下染めのスオウがオハグロ液と反応して,下地は濃く暗めな赤紫色に発色しているのです。
  実験の結果,木の場合は,スオウ染めから直に「鉄媒染」に入るより,いちど「重曹(アルカリ媒染)で赤を発色させてから」のほうが,より深く濃い色が得られることが分かりました。

  うん,何でかは知らんけど。



  これをカシューで塗ってゆきます。昔のひとはウルシでやったんでしょうけど,庵主,えらくカブれるもので。
  下地は「染め」,ある程度の磨きがききますんで,どちらかというと「塗り」というより,拭き漆風に塗料を染ませてゆきましょう。
  最後に二度ばかり,こってり捨て塗りで塗膜を作り,ごしごしごし………

  どです?

  「黒檀」というよりは「紫檀」の軸って感じですね。
  下地の木の微妙な感じがうまく出て,ニセモノではありますが,単に黒く塗ったのとはエラい違いです。


  さっそく取り付けてみましょう!

  おそらくオリジナルの軸も,いくつか材料は違いましょうが,技法としてはほぼ同じような方法を使って染められてるのだと思います。

  この写真だけで,どの1本が今回作ったものか一目で見破れたら----あなたには美術品詐欺師の才能と資格があるかもですよ。

  今回は軸の工程だけまとめてみましたが,次回は楽器本体の修理へと入りまーす。
  お楽しみに~。


(つづく)


赤城山1号(2)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (2)

STEP2 内部の暗黒大陸


  前回の記事を読んだ方から「赤城山1号」のラベルに書いてあったという「改良律月琴」とは何じゃい----という質問がありましたので。

  庵主も,実物にはまだお目にかかったことがないのですが,おそらくこんなシロモノかと。

  画像は加藤徹先生のHPから,『月琴雑曲自在』(静琴楽士 明31)の口絵ですね。
  半音と,より西洋音階に近い正確な音を出せるように工夫したものですが----ナニ,要はフレットを増やしただけというとこで。
  あっしの作るウサ琴ほども,変わったトコロはござンせんよ。


  明治における月琴の近代化,というか改良・改造については,文部省にあった「音楽取調所」の『音楽取調成績申報書』(明17)にすでにその一案が見えます。

   月琴ハ,固ヨリ符ノ定付セルヲ以テ便ナルトコロアリトイヘドモ,従来ノ符ニテハ其数不足ニシテ,数種ノ音ヲ生スルコト能ハズ。其律モ不定ニシテ,改正セザルベカラザルモノアリ。因テ客年二月以降,其方法ニ苦辛セシニ,到底此楽器ヲ唱歌ニ用インニハ,唱歌ニ用フル諸音ノ,容易ニ生ズベキ方法ニ由テ,之ヲ改製セザルベカラザルハ言ヲ待タサレバ,此目的ヲ以テ,先ヅ其符ヲ改メテ長音階ト為シ,十二律ヲ付シ,其絃数ニ一絃ヲ加ヘ,棹長ヲ縮シ,胴面ノ板地ヲ改メタル等,種々ノ改正ヲ加ヘタルニ,大ニ其音質ヲ爽快ニ為シ,且諸音ヲ発作スルコト自由自在ニシテ,最モ軽便ナル楽器ト為リタリ。此楽器ニ十二律ヲ付シタル方法ハ,即チ左ノ如シ----以下略----

  「其絃数ニ一絃ヲ加ヘ,棹長ヲ縮シ,胴面ノ板地ヲ改メ」ってあたりが,べつにふつうの清楽月琴でいいじゃんよォ,と思ってるムキには,ちょっと不穏というか不安ですが,ほかはやっぱりフレットを8本から10本に増やしてるだけみたいですね。当時,この「音楽取調所」には,連山派・長原梅園の息子である長原春田のように,清楽・明清楽に関わる人物もおりましたので,そういうところから出た意見なのかもしれません。

  ちなみにこの試案に準じたような楽器も,今のところ見たことがありません。

  1980年代初頭まで「改良」を重ねた中国現代月琴が,けっきょく昔からあった「月琴」とは何ら関係のない,ギターだか琵琶だか分からない中途半端な楽器になってしまったように,この手のものでこういうトップダウンの改造が成功したためしがほとんどない,というのが,楽器の歴史の世界です。まあ楽器でなくても,使う人の考える理想の道具と,使う上での理想から考えられた道具,というものは決して一つになると限らない,ってことでしょうね----たとえばこれ読んでるうち何人の方が,エルゴキーボード使ってます?

  庵主,じつは清楽月琴で演奏してて,8本のフレット,13コの音でそれほど困ったことはありません。

  もともと「難しいことのできない楽器」なのですから,できないことはやらなくていいんです。
  出来ること,出せる音の中から,もっとも最善の表現を---なんて,エラそうなこと言ってますが,まあ実際のところは,コード内の3音ぐらいをくりかえしそれらしく弾いたり,あとはひたすらトレモロで誤魔化すってのがせいぜいでしょうか。
  でも,そうしてる限りにおいてはこの楽器,「最強の伴奏楽器(笑)」の一つだと思いますよ。(^_^;)



  さて,余談で半分ぐらい書いちゃいましたが。
  山田楽器店製造「赤城山1号」,内部構造の調査とまいります。
  とはいえまたまた,オープン修理に値する重症箇所がないもので,今回も棹孔から覗く程度です。

  でわ----



  ……見えません。(汗)

  さすがは山田縫三郎……「量産のツボ」をよくおさえていらっしゃる。

  内桁はほぼタダの板,上桁真ん中にあいた棹孔のほかに孔がありません。
  ただ,松か杉かは分かりませんが,板の材質は悪くないですね。月琴10号なども,同じように音孔のない板で仕切られてましたが,表面が凸凹の明らかな端材板でした。それに比べれば表面もきれいだし厚みも均等のようです。

  ということで,今回の内部調査はほぼ触診と推測によるところがほとんど,と。
  いやあ,ファイバースコープとかあっても,今回はほとんど同じでしょうねえ。

  「十六夜」に同じものがあったかどうかは不明なんですが,棹孔の裏面板側に「山」の墨書があります。「山田縫三郎」,間違いないみたいですね。
  そのほか見える範囲においては,簡単な目当て線や目印以外,特に署名や墨書の類は見つかりません。


  棹孔の周辺は平らに加工されています。
  工作は丁寧で,棹基部との接合もかなり緻密ですね。前回も書いたとおり,棹基部には薄い板が一枚スペーサーとして噛ませてありましたが,それだけの調整で出し入れはスルピタ,左右にも前後にもゆらぎません。

  とりあえず,内視鏡での観察と棒による触診で分かった限りのことをまとめて,右画像に。
  (クリックで拡大します)


  響き線はおそらく,ゆるい弧を描く型だと思うのですが,なにせ上桁から下の見える範囲がせまいもので,基部も確認できませんでした。やや太めの鋼線だと思われます。
  幅はありませんが表面板にかなり長い割レが入っているので,湿気など内部への影響も懸念されましたが,響き線にもサビらしいものはなく,問題となるような部材のハガレも発見できませんでした。

  側面内部の加工痕は浅く,鋸痕はやや太めなものがかなり均等な間隔で残っています。
  桁と側面との接合方法も,単なる接着なのかそれとも溝を切ってはめこんであるのか分かりませんが,少なくとも観察した上では隙間らしいものもなく,かなり精密に組上げられているようです。

(つづく)


赤城山1号(1)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (1)
STEP1 斗酒庵 覚えず清琴斎と再会す


  菊芳・福嶋芳之助作の2面め「16号於兎良」の修理も終り,楽器も知り合いのところへお嫁に片付き。
  やれやれ,これでこの年末,あとはデスクワークで心静かに過ごせるわいな。
  ----と,思っていた矢先,修理の依頼が舞い込みました。

  この楽器に関わってる限り,どうやら年末年始はブジに過ごせないみたいですね~。

  とりあえず写真を送ってもらったところ----庵主,ネオクに出た月琴は,だいたいチェックしてるんですが,そういうところでは見たことがない楽器でありました。オーナーさんに話を聞いてみますと,なんと群馬の骨董屋さんの店先にぶるさがっていたのだとか。
  まあ,まだまだあるところにはあるということですわい。

  面白いので,修理をさせていただくことにして。

  出所の地名をとりまして,勝手に命銘・「赤城山1号」。

  赤城の山も今宵限り---と,まずは調査から。


1.各部採寸

 ・全長:660mm
 ・胴径 355mm(縦横同じ) 厚:38mm(表裏板ともに 厚4.5mm)
 ・棹 全長:293mm 最大幅:30mm  最大厚:30mm 最小厚:23mm
   * 指板ナシ 指板相当部分の寸法は,長:149mm  最大幅:30mm  最小幅:24mm 
 ・糸倉 長:169mm(基部から先端まで) 幅:30mm(うち左右側部厚 8mm/弦池 13×112mm )
   * 指板面からの最大深さは 58mm
  ・山口欠損のため未確定ながら,推定される有効弦長: 424mm


2.各部所見


 ■ 蓮頭: おそらくツゲ製。意匠不明。
   「天」もしくは「大」の字のアレンジ,あるいは「月宮殿」か?
 ■ 糸倉: ほぼ無傷。間木をはさまず,ムクの彫り貫。
   アールは浅くすらりと長い,明治後期の月琴の典型的な形の一つである。
 ■ 軸: 1本欠損。
   残3本は噛合せに問題がないことなどから,オリジナルと思われる。長さが11センチほど,最大径が3センチで,短く太め。材は例によって染めてあり,正体不明だが,やや重めで堅く密な木。クワではないかと考える。


 ■ 山口: 欠損。接着痕のみ。幅9ミリ。
 ■ 棹: 損傷なし。
   背のアールはほとんどなく,直線に近い。うなじは浅く,左右のふくら下の入込みもそれほど深くはない。指板はない。材質はホオと思われる。
 ■ 柱(棹上): 3本存。
   竹製。胴体のフレットと材質が異なり。また工作も取り付けも雑であるところから後補部品と思われる。


 ■ 棹茎(なかご): 損傷なし。
   棹基部は 42×23×13mm。茎に同材のホオを継ぐ。茎表板側の中間に墨書あり。
   V字継ぎ。全体の長さは 140mm。先端四面を斜めに削ぎ落とす。直前の寸法は 18×10mm。
   棹基部と継ぎ材との接合は健全。基部の左にスペーサーを一枚噛ませ,挿込みもかなり精密に調整済み。


 ■ 胴体: 比較的健全。
   表面板:おそらく5枚継ぎか。
   全体にヨゴレ。中央左に割レ,胴下端よりほぼ貫通。
   裏面板:おそらく8枚継ぎ。
   中央上部にラベル,左下端欠けるも保存よし。


   側板:4枚,木口同士の直線的な接着。棹と同材のホオ。
   地の側板と左側板の接合部を中心に表裏板にハガレ。
   同じく地の側板の表裏2/3,左側板少々。表面板の割レにも関連か。


 ■ 柱(胴体上): 5本存。
   第4フレットで高さ5ミリ,最終フレットで4ミリと,かなり低い。
 ■ 目摂・柱間飾り
   左右目摂: 意匠は花,名称不明。
   扇飾り: 万帯の変形,典型的なもの。
   *いづれもホオ板を染めたものとおぼしい。
   中心円飾: 鳳凰,凍石製。
   各柱間に凍石製の小飾り各種: 後補か?順番がかなり適当。
   左右目摂下に凍石の飾り: 左・ブドウ,右・魚。接着位置もその方向も違うため,明らかに後補と思われるも,柱間のものとは手が異なる,時代もこちらのほうが古そう。


 ■ 半月:損傷なし。100×41×8.5mm。
   低め。おそらくホオの染めたもの。板状,半円型,円周部分をノミで斜めに削ぎ落としたかのように面取り。
   外弦間:35mm/内弦間:25mm。内外弦間:約4mm。やや広め。
 ■ 絃停:蛇皮。115×77mm。
   右下小欠損。貼りなおした痕あり,状態は悪くない。




  さて,トップに貼ったこの画像は,裏面のラベルです。
  庵主,一目見て分かります----この「赤城山1号」は,浅草区蔵前片町十八番地・山田縫三郎さんの楽器です。

  以前修理した「十六夜月琴」の兄弟ですね。

  もともと5×3センチくらいの小さなラベルですし,この楽器の場合だとかなり変色してしまってて分かりにくいですが,まず「清琴斎二記山田」(注意!右から左に読むのだぞい!)てのは「清琴斎二代目」という意味です。上のほうに描かれてる丸いのは「第三回内国勧業博覧会(明23)」のメダル。メダルのわきには「清琴斎初記」「有功大賞牌」「受賞之種品」,ラベルの真ん中には右から「月琴/改良律月琴/提琴/胡琴/携琴/木琴/阮咸/琵琶/瑶琴/清笛/明笛/洞簫」と当時の取扱い楽器が,小さな文字で書かれてます。

  山田さんが「清琴斎二代目」であるからには,当然「初代」がいたわけで。ラベルにもある「清琴斎初記」というのは,「頼母木源七」という人のことです。
  ただの楽器職人さんではなく,かなりいい家柄の人だったようですね。鈴木バイオリンの鈴木政吉さんより以前に,日本でバイオリンを作り始めた人の一人であり,一族からは音楽家や政治家が輩出されておるようです。
十六夜ラベル
  庵主がいままで目にしたことのある「清琴斎」のラベルは,このメダルの絵が2つのタイプがほとんどなんですが,「十六夜月琴」についていたものでは,このメダルがどんと増えています。

  ご覧のように「十六夜」のラベルは断片的なもので,またこれに類するタイプの資料も,画像の粗いもの一件しか手元にはないんですが,ほかの文献資料や,この断片に見えるメダルの模様などから,ここで増えてるのは「第五回内国勧業博覧会(明36)」のものだと分かりました。この博覧会で,初代に続き二代目,山田縫三郎さんも入賞しているんですね。
  この勧業博覧会の受賞者リストからお店の住所をたどり,頼母木さんと山田さんのお店はたしかに同じであることもつきとめています。

  さて,単純な推理ですが----

  ラベルの変遷から考えて,「赤城山1号」の製作年代は,内国勧業博覧会の第三回よりあと,第五回より前ということになります。明治20年代末から30年代のごくはじめ に作られた楽器,と思ってまあ間違いないでしょう。

  軸が1本と山口が欠損,棹上の竹フレットはおそらく後補でしょう---第2・3フレットなんて,斜めになってますね。
  左右の目摂の下に柱間飾りがそれぞれ一つづつへっついていますが,この位置にこういうものがつけられることはないので,後でつけたものでしょう。ほかの凍石の柱間飾りも,順列などに多少の疑問があるし,両者彫りの手も違うので,どちらがオリジナルだかは分かりませんね。
  山田さんの楽器はごく実用的な作りでお飾り類もシンプルなものが多く,このように満艦飾的にお飾りが付いている例はあまりありません----もしかするとどちらも後からへっつけられたものかもしれません。


  外見上分かる要修理箇所は,あと表面板の割レと,地の側板のハガレ。
  損傷はそのくらいなものなので,古物の月琴としては比較的状態の良いものと言えましょう。



  石田不識や福嶋芳之助の楽器と比べると,山田さんの楽器は「近代的な」作りをしています。

  たとえば胴体。
  手作りの清楽月琴の胴は,たいてい縦の方向にわずかに長く,真円にはなっていませんが,山田さんの楽器では,だいたい縦横の幅が同じです。


  たとえば棹や糸倉の作り。
  左画像上は「十六夜」下が今回の「赤城山1号」の糸倉です。ほとんどの作家のものは,一面ごとに寸法が微妙に異なりますが,山田さんのものは,時代により楽器の等級により幾分の差はあるものの,どれも形や寸法がほとんど同じです。

  現在残っている楽器の数,またその内部の加工痕や部材の寸法の正確さ,表面の仕上げなどから見て,この人の楽器は何らかの近代的な加工機械を用いて,かなり大量に製作されていたのではないかと考えています。
  職人の「手」を感じない……というと,何か感性の問題みたいになりますが----当時どのような加工機械があったのかは分かりませんし,たんに統一された型紙のようなものを使い,多くの職工さんを雇って,部材を規格的に量産していただけなのかもしれませんが,木の「目」がほとんど無視されていたり,それでいて寸法や形が正確に同じだったりしているのから見ると,何らかの近代的な製作法で作られていたことは間違いないと思います。

  そうした山田さんの月琴には,楽器としては「中の上」を越えるものはまずありません。
  しかし,大きなハズレもない。

  何度も書いているように,月琴は琵琶やお琴からすると安価で,もとからかなりの数を作らなければ割に合わない楽器でした。そのため当時の職人さんの作ったものの中にも「流行ってたから作ってみた」みたいな,どうしようもないようものがけっこうありますから,量産の数打ちモノとはいえ,細部まで正確に,しっかり作られている山田さんの楽器は,そういうものよりもちろんはるかにマシです。


  山田縫三郎の楽器店は尺八のような和楽器から,月琴などの清楽器,はては入ってきたばかりのヴァイオリンまで,さまざまな楽器を扱っていました。

  国図のアーカイブで見ると「山田縫三郎 著」で『吹風琴独案内』(明34)という本が出てますね。左画像はその奥付です。「吹風琴」というのはハーモニカを縦型にしたような金属の笛です。
  以前ネオクで出ていた「山田楽器店」のカタログでは,その「吹風琴」の改良型とおぼしい「ソプラネット」なる楽器の広告も載っていましたね。


  また大正4年に出された『ヴァイオリン曲譜』という本の奥付から,大正初めには蔵前片町の本店のほか,神田表猿楽町に支店があったことが分かっています。(右画像も,国図アーカイブより。)

  大正10年の『最近東京市商工案内』にはその名があり,既述のカタログにも「平和記念東京博覧会(大11)」で「弊店出品の尺八が…」と書かれていますが,大正13年の『最近東京市商工名鑑』には「山田楽器店」も,「山田縫三郎」の名前も見られなくなります。

  間にあるのは関東大震災……記録によれば,本店のあった浅草から蔵前にかけての一帯は,相当の被害を受けたそうです。

  震災後の消息等について,今のところ資料がないため,そのあたりについてもはっきりとは言えせんが,けっきょくYAMAHASUZUKIにはなれなかったものの,震災前の明治末から大正期において「山田楽器店」は,ほぼ同時代を生きたその創業者,山葉寅楠や鈴木政吉らと,ほぼ同レベルの楽器製造能力と販路を有した大手~中堅の楽器製作販売店の一つだったと言えます。

  「清楽月琴」というと幕末のイメージが強いので,このあたりの話になると少し違和感をおぼえる方もあるかもしれませんが,この楽器は「日本の夜明け」と「日本の近代の夜明け」,二つの夜を駆け抜けて,ここまでたどりついてるんですね。


  さて,修理に入りましょうか。
(つづく)


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