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13号柚多田(2)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (2)

STEP1 やっぱり玉手箱

  記録によればこの楽器,購入したのは2009年の暮れごろのことでございました。

  以降,一年以上ほっぽっといたわけですが,この年末,16号於兎良,赤城山1号と修理が順調に終りまして。
  脳味噌の痛い入力作業の片手間,気晴らしにする実作業として,修理を開始することに。

  また,一年間も手をつけなかったのは,表面の墨書をなるべく傷つけず,虫食いだらけの面板を補強・補修する手立てを模索しておりまして----文化財の修復をやってる方のサイトをのぞいたり,書物をひもといたり,実際にその筋に関わってる方にいろいろ尋ねてみたり…で,そのあたりはなんとか目途がついております。

  めんどいんだけど。

  何度も書いてますが,庵主 「やいばのしたにココロと書く」 ような作業は好きではなく,どちらかというと中くらいの楽器を,もー,こんでもかっ!!と,ゆーくらい,自由にあーしたりこーしたりしたいほうなので,こういうヒストリカルな,資料的価値のほうが高そうな楽器の実作業には,正直あまり関わりたくないんですね。

13号内部
  まあ,ともあれ13番めなので楽器の名前は「柚多田(ゆだだ)」。
  見た感じ,明治の中ごろくらいに,文人かぶれの旦那が指物屋さんにでも頼んで作らせた楽器,ってとこでしょうか?糸倉のデザインなんかも武骨で,なんか全体に素人っぽい感じのする工作です。

  振ってみると,響き線の音のほかに,胴内になにかコロコロと転がる音がします。棹をひっこぬいて孔からのぞくと,円柱状の物体が二つあり,そのうちの一つが定位置からはずれて,左右に転がってまわっているようです。
  こうなりますと,手術用のマジックハンドみたいのでもないと修理できません。

  ひさびさのオープン修理ですね!

  ちょうどよく,地の側板付近に表面板の大きな剥離があります。
  このあたりからいっちょう,バリバリ~っ!とハガしちゃいましょうかあ。

  あ,そーれ!ばりばりばりーっ!


  「ころん」と中から,丸竹の切ったのが出てきました。

  表裏の面板ではさみこむように接着してたみたいですね~,板の裏に丸く痕が残ってます。
  棹孔から見えた円柱状の物体はこれ,一個はずれてるのが胴内を転がってたのの正体ですね。

  さてー,月琴の内部構造としてこんなもん,今まで見たことありませんが…なんなんでしょうかね,この部品は。


  と……墨書も出てきましたねえ。えーと,ナニナニ。
  「文久三癸亥年五月吉日 御楽器師 石村近江大掾/藤原義治(花押)」
  ふんふん。文久ってことは明治の後で平成のちょっと前で昭和の先……………
しぇええええーっ!!!
  ナ~ニが「明治の中ごろ」かあっ!
  テキトー言うなあっ,自分ッ!!!!

  文久3年は1863年。
  新撰組が結成され,長・英,薩・英戦争あり,まさに幕末真っ只中。
  もちろん「江戸時代」なわけで。
しぇええええーっ!!!

  えー,その筋のプロの方々………これ以降の修理過程はかなり心臓に悪いと思いますので(ワタクシが,見られると),ゼヒ見ないようにお願いいたします。

石村近江代々の墓(魚籃坂・大信寺)
  作者名もオゴってますねえ。
  「石村近江」ときましたか……


  「石村近江」といえば三味線の祖,初代は日本の三味線という楽器をこの世に生み出したヒトとされております。
  以降「石村近江」宗家は11代に渡り名工を輩出したそうな。
  邦楽界のグァルネリかストラディバリウスと言ったような連中ですね。(画像は魚籃坂・大信寺「石村近江代々の墓」。)
  ここに書かれている「石村近江」が宗家筋なら,年代から言えば最後の11代(-d.1865)か,12代を継いだと言われる小林幸栄(-d.1874)ですが,どちらも名前が合いません。

商業取組評「三味線」
  明治のころの月琴の作者にも,「石村巳之助(鑠斎)」とか「石村勇造」といった人がおりますが----いまのところ楽器屋石村一門で「義治」もしくは右下にある「常吉」に該当するのが誰なのか,情報が少なく分かりません。「近江大掾(官名)も藤原氏の姓も,もちろん勝手に名乗っていいものではありませんが,「石村近江」というブランドがあまりにも高名であるため,宗家筋以外にも,いわゆる「のれんわけ」みたいな感じで,名乗りを許された楽器屋さんもあったようですから,もしかするとそういうところの人なのかもしれません。

  庵主,このあたりについてそんなに深く知っているわけではないので,邦楽関係,ご存知の方ございますればご一報を。

  明治10年に出された『商業取組評』(尾崎富五郎 画像は国図近デジより)という本を見ますと,東京のいろんなところに「石村」がうじゃうじゃいるのが分かりますねえ。「菊岡(もしくは菊屋)」「柏屋」「石村」ってのは,当時から琴・三味線製造の三大家名だったようです。




  さて,んじゃ気をとりなおして,内部観察とまいりますか。

  側板はぶ厚く,内側には鋸ではなく鑿で「はつった」ような痕がついてますね。
  材質は何でしょう----分かりません。
  そんなに堅くも重くもない木です。
  カツラにしては気胞が大きいし,ホオは木色が違う……強いてあげるなら,クリとかクルミですね。


  内桁は二本。

  ----これも材質が分かりません。
  少なくともスギとかヒノキではないようだし…サワラのような気もしますが,これもまた何とも。
  音孔の穴あけ工作は丁寧ですが……でもまた,ずいぶんとまあ不規則で。 楕円形をした大きいほうの穴は,穴錐で両端をあけてから間を鋸で挽いてるようなんですけどね。
  上桁は棹茎のほぞ穴左右にそれが二つ,そのほかに丸い孔だけあけたのが3つ,下桁は大きいのが三つ,丸穴三つ。 穴錐であけた丸孔以外は長さがみんな違っておりまして,その位置や大きさ,配置にも,たとえば「音響を考慮した」とかいうような形跡はまったく見られません。


  テキトウですね……もしそうじゃないんなら,こんな中途半端な工作しませんて。

  響き線は直線が1本。
  細めの鉄線で楽器向かって右側板の中央に直接差し込むかたちで取り付けられています。

  サビを落そうと磨いていて気がついたのですが,このハリガネ,断面が丸くない,四角ですね。
  クギの場合,江戸時代には丸釘は少なく,特に木工では月琴でもよく使われている四角釘がほとんどだったわけですが,金銀を延伸してハリガネを作る技術は日本でも14世紀ごろにはすでに存在し,江戸時代には鉄のハリガネも作られていました。やや工作や材質は異なるものの,それらはほぼ現代のハリガネと同じで断面は丸です。

  ----もしかするとハリガネではなく,板金の類を細く切って整形したものなのかもしれません。

  かなり柔らかく,手荒に扱うとすぐにでもポッキリ折れてしまいそうです。

  響き線の先端部が当る,表裏面板の裏側には竹の板が,皮部分を内側に向けて,それぞれ接着されていました。
  この竹板と例の丸竹の切ったのは,どうやらこの響き線の振幅を制限するための,一種の「囲い」であったようです。

  こういう構造は今のところほかで見たことがありません。もちろん同じ作者の月琴のほかも知りませんので,ぜんぶ同じだったかどうかも分かりませんが。響き線の材質がかなり弱そうなモノなので,明治時代の月琴の線みたいに大きく振幅させると,根元から折れてしまう可能性があるのかもしれません。
  石村さんが独自に工夫したものですかねえ。

  いやほんと,人生いろいろとビックリドッキリですわ…ははははは。

(つづく)


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