赤城山1号(6)
![]() STEP6 幸運なる楽器・楽器の幸福 ![]() 楽器本体の修理は,前回書いた剥離箇所の再接着と,表面板のヒビ割れの充填くらいなもので。 同時進行で軸はじっくり製作中。 1本だけなんですが,塗装があるため,いちばん時間がかかるんですね。 しかし今回は,オリジナルの軸が3本も残っているので,実際に音を出して調整が必要なあたりも,関係なく作業をすることができます。 さあ,一気に仕上げますよ~。 まずは半月をもどしましょう。 山田縫三郎の月琴は,ここの接着が弱いのが弱点です。 オリジナルの接着はお米を練った「そくい」の類でしたが,ニカワの薄貼りで接着しなおします。 量産機ゆえにオリジナルの位置そのものが完全に信用できるものではないので,糸倉から糸を張ってあらためて正確に位置決めを行います。 まあけっきょく,ほとんどズレはなかったんですが。 設定位置からズレないよう当て木をして,クランプで固定。大事な場所なのでまる一日おいて,しっかりと接着します。 ![]() 続いて張られる糸の反対側,「山口」も作っておきましょう。 オリジナルは残ってませんが,おそらくは象牙もしくは鹿角,あるいは練り物(象牙の粉を固めたニセモノ)で作った白い山口がついていたと思います。薄板で済むフレットと違ってさすがにこの厚みを象牙で作るのは大変ですし,高くつく割にあまり意味もないので,蓮頭の飾りと材質と色をおそろいにして,今回はツゲで作ります。 高さはとりあえず1.1センチとし,後で底を削って高さ調整できるよう,左右の幅をちょっと長めに,取り付け箇所ギリギリに作ります。 半月と山口が完成したので,山口を仮止めして糸を張ってみたのですが----やっぱり,絃高が高い。 ![]() ![]() ![]() 一つの原因は,棹の指板と胴体表面板が面一になっていることですね。 このブログでも何度か書きましたが,これは一般に弦楽器の工作としては素晴らしいのですが,月琴のようにフレットの背丈のある楽器の場合は,フレットが全体に高くて,ただ弾きにくい楽器になってしまうことが多いのです。 ちゃんと考えて作られた職人ものの月琴では,棹が山口のところで約3ミリほど背面側に傾いています。傾けすぎるとデッドスポットが出来てしまいますが,こうすることで低音域ではフレットの背丈が高く,bebung やビブラートがかけやすくなり,高音域はフレットが低く,弦圧が高くてもより確実にきれいに,音を出すことができる楽器となるのです。 ![]() 赤城山1号,棹と胴体の接合はカンペキと言っていいほどなので,ここに手出しをしたくありません。 棹を傾けられないのなら,反対側を低くすればよろしい----いつもの手,でまいりましょう。 半月に「ゲタ」を穿かせます。 今回のゲタはちょっと厚め,竹板の皮ぎしを削って接着しました。 約2ミリ,これが限界。これ以上さげると半月のポケットから糸が出せなくなっちゃいますねえ。 ふと思いついて半月といっしょに,スオウとベンガラで染め直したら,あんまり目立たなくなりました。 ![]() ![]() フレットは浅草橋で買ってきた象牙の端材で作りました。 上が新しく作ったフレット,下に並べたのがもともとついていたものです。 最初,この胴体上のフレットはそのままもどすつもりだったんですが,半月にゲタでぎりぎりまで絃高を下げたのにそれでも低すぎて使えず,けっきょくぜんぶ再製作となりました。 ほぼ同じクラスの十六夜が練り物製のフレットだったこと,またこの元のフレットの象牙の質がかなり良いものであることなどを考え合わせますと,これらも目摂下の凍石飾り同様,古い時代にほかの月琴から移植されたものだったのかもしれません。 ![]() ![]() 出来上がったフレットは,粗めのペーパーでざっと表面を均したら,そのままヤシャブシで煮込んで二晩ばかりそのまま漬け込み,古色をつけます。まっ茶色になった表面を,ペーパーの番手をあげながら磨きがてらこそいでゆき,ちょうどよく茶色っぽい表面に仕上げます。 お縁日の露店なんかで,よくこの手の古色をつけた今出来の根付が売られてたりしてますね。 画像でご覧のとおり,この「ニセ古色」と本来の「象牙の古色」というものは,まったく違うものです。ニセ古色はせいぜいがところ,タバコのヤニにまみれて数ヶ月といった感じで,その変色もごく表面的なものにすぎませんが,本当に時代を経た象牙は,全体に少し黄味がかり,表面はトロリとした上質の脂みたいに半透明に透き通って見えるのです。 ![]() お飾りは,左右の目摂,中央の扇飾りと中心の円飾り,それに目摂の下についていた古い凍石の柱間飾り,それだけを戻します。 いくつか前にも書いたとおり,山田縫三郎の楽器にはもともとお飾りが少なく,また元から付いていた証拠の日焼け痕なども確認できなかったこと,さらに木工ボンドによって接着されていたことなどから,フレット間についていたお飾りの類は,ごく最近,ほかの楽器から移植されたものだと推察されます。 まずオリジナルであると確実なのは「そくい」で接着されていた左右の目摂と扇飾りだけなのですが,中央の円飾りと二つの凍石飾りは意匠も古雅ですし,ニカワでかなり上手につけられていました。 これらもまた「オリジナル」ではありませんが,少なくともこの楽器が「楽器として使われていた」時代に近いものだと思われますので,まあこのまま付いていても良いかと考えます。 ![]() ただし小飾り二つは元の位置ではなく「本来あるべき」位置に戻しましょう。 ほかの楽器の画像資料から推察して「ブドウ」は第4・5フレットの間,「魚」は扇飾りの下の柱間であると思われます。 「ブドウ」の位置には「花」をあしらった飾りが付いていることが多いのですが,その先細りになったフォルムはこの「ブドウ」とほとんど同じです。「魚」はどれもだいたい同じような位置についてますが,明治晩期の月琴では「これ,魚…?」というくらい,左側に口と眼らしきものがあるだけにまで模様化されたお飾りになっていることも少なくありません----そうしたものに比べると,これらのお飾りは具象的で,悪くない彫りをしていると思いますよ。 ![]() 絃停にはやや厚めのニシキヘビの皮が使われていました。 右下に少し欠けがありますが,くっついていたボンドをこそいで洗ったら,けっこう丈夫だしまだまだキレイだったので,これをそのまま使うこととしましょう。 この手のナマモノの皮は,乾いて変な風に縮むとやっかいなシロモノなので,洗って乾かしている間は,新聞紙と板にはさんで重石をし,ずっとそのまま熨しておきました。 貼り付ける前に10~20分ほどぬるま湯につけて,柔らかくしておきます。 ![]() これの接着剤には,かならずヤマト糊をお使いください。 面板上の他のお飾りと違い,接着の面積が広いので,ニカワだと器体への影響が大きすぎるからです。 オリジナルの工作でも「そくい」もしくは「ふのり」の類が使われていることが多いですね。 あらかじめ,板のほうも少し濡らして糊を塗っておき,裏返したヘビ皮の表面を軽く布巾で拭ってから糊をまんべんなくたっぷり塗りつけ,すかさず面板へ。 水気取りにキッチンペーパーか新聞紙を当て,端材の板をのっけて,重石をのせて。 あとはとにかく,乾くまでそのまま---- お釜のご飯じゃありませんが,こればっかりは中途半端な段階でのぞいてみたり,変に動かしたりしないこと。 そこからペローンと簡単に剥れちゃいますからね(経験者,談)。 ![]() そしてこいつで最後の最後。 塗装の乾燥待ちをしていた補作の軸を指し,内弦の糸溝を山口に刻んで,弦を4本張ります。 いつも思うことなんですが,ほんとにこの楽器たちは,何年ぶり…いや何十年ぶりに,ちゃんと音を鳴らすことが出来たのでしょうね。 受け取ってからちょうど一ト月目の,まだ松飾りもとれない一月三日。 「赤城山1号」,修理完了いたしました!! ![]() さて,試奏後の感想ですが---- 素晴らしく,弾きやすい楽器です。 ![]() ずっと書いてきたとおり,量産楽器なので,楽器としてはどうあっても「中の上」どまりですが,そのぶん操作感にも音質上もヘンなクセがありません。フレットの高さ調整もうまくいったので,運指への反応も良くなり,スラスラと流れるように弾けます。 あんまりにも気持ちよく弾けるので,庵主,一回の試奏で30曲ぐらいづつ録音しちゃいました。 音の深みや高音の伸びが少し足りないあたりは,材質・構造的にどうにもなりませんが,このクラスの楽器でここまで鳴れば十二分,下手くそな職人ものの銘入りよりは格段に上等で,意外と「のびしろ」を感じさせます。 面板が完全に乾いたら,まだまだ「化ける」かもしれません。 ![]() 面板の清掃時にあらわれた演奏の痕跡などからみて,「赤城山1号」はもともとかなり弾き込まれておりました。 それほど高価でもないため破棄されることの多いこのクラスの楽器を,これだけ弾き込んでいたのは,うちのコウモリ月琴などと同じようにこれが「量産品中の佳品」であったからなのかもしれません。 まあ,陶芸の世界なんかでもありますよね。 同じようなものでも百,二百,千と大量に作っていると,中に一個二個,思ってもみなかったような傑作が出来ちゃうことがあります。規格品の,大量生産の楽器でもその状況は同じです。 そもそもこの楽器が,震災も戦争も越えて,百年の時を生き延びてきたこと,そして骨董屋さんでのその出会い。 それらはみんな,ほんの小さな組合せの絶妙,確率の奇跡。 「運が良い」というのは,本当に,こういうことなのかもしれません。 (おわり)
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