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赤城山1号(1)

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斗酒庵 覚えず清琴斎(二記)と再会す の巻2010.12~ 赤城山1号 (1)
STEP1 斗酒庵 覚えず清琴斎と再会す


  菊芳・福嶋芳之助作の2面め「16号於兎良」の修理も終り,楽器も知り合いのところへお嫁に片付き。
  やれやれ,これでこの年末,あとはデスクワークで心静かに過ごせるわいな。
  ----と,思っていた矢先,修理の依頼が舞い込みました。

  この楽器に関わってる限り,どうやら年末年始はブジに過ごせないみたいですね~。

  とりあえず写真を送ってもらったところ----庵主,ネオクに出た月琴は,だいたいチェックしてるんですが,そういうところでは見たことがない楽器でありました。オーナーさんに話を聞いてみますと,なんと群馬の骨董屋さんの店先にぶるさがっていたのだとか。
  まあ,まだまだあるところにはあるということですわい。

  面白いので,修理をさせていただくことにして。

  出所の地名をとりまして,勝手に命銘・「赤城山1号」。

  赤城の山も今宵限り---と,まずは調査から。


1.各部採寸

 ・全長:660mm
 ・胴径 355mm(縦横同じ) 厚:38mm(表裏板ともに 厚4.5mm)
 ・棹 全長:293mm 最大幅:30mm  最大厚:30mm 最小厚:23mm
   * 指板ナシ 指板相当部分の寸法は,長:149mm  最大幅:30mm  最小幅:24mm 
 ・糸倉 長:169mm(基部から先端まで) 幅:30mm(うち左右側部厚 8mm/弦池 13×112mm )
   * 指板面からの最大深さは 58mm
  ・山口欠損のため未確定ながら,推定される有効弦長: 424mm


2.各部所見


 ■ 蓮頭: おそらくツゲ製。意匠不明。
   「天」もしくは「大」の字のアレンジ,あるいは「月宮殿」か?
 ■ 糸倉: ほぼ無傷。間木をはさまず,ムクの彫り貫。
   アールは浅くすらりと長い,明治後期の月琴の典型的な形の一つである。
 ■ 軸: 1本欠損。
   残3本は噛合せに問題がないことなどから,オリジナルと思われる。長さが11センチほど,最大径が3センチで,短く太め。材は例によって染めてあり,正体不明だが,やや重めで堅く密な木。クワではないかと考える。


 ■ 山口: 欠損。接着痕のみ。幅9ミリ。
 ■ 棹: 損傷なし。
   背のアールはほとんどなく,直線に近い。うなじは浅く,左右のふくら下の入込みもそれほど深くはない。指板はない。材質はホオと思われる。
 ■ 柱(棹上): 3本存。
   竹製。胴体のフレットと材質が異なり。また工作も取り付けも雑であるところから後補部品と思われる。


 ■ 棹茎(なかご): 損傷なし。
   棹基部は 42×23×13mm。茎に同材のホオを継ぐ。茎表板側の中間に墨書あり。
   V字継ぎ。全体の長さは 140mm。先端四面を斜めに削ぎ落とす。直前の寸法は 18×10mm。
   棹基部と継ぎ材との接合は健全。基部の左にスペーサーを一枚噛ませ,挿込みもかなり精密に調整済み。


 ■ 胴体: 比較的健全。
   表面板:おそらく5枚継ぎか。
   全体にヨゴレ。中央左に割レ,胴下端よりほぼ貫通。
   裏面板:おそらく8枚継ぎ。
   中央上部にラベル,左下端欠けるも保存よし。


   側板:4枚,木口同士の直線的な接着。棹と同材のホオ。
   地の側板と左側板の接合部を中心に表裏板にハガレ。
   同じく地の側板の表裏2/3,左側板少々。表面板の割レにも関連か。


 ■ 柱(胴体上): 5本存。
   第4フレットで高さ5ミリ,最終フレットで4ミリと,かなり低い。
 ■ 目摂・柱間飾り
   左右目摂: 意匠は花,名称不明。
   扇飾り: 万帯の変形,典型的なもの。
   *いづれもホオ板を染めたものとおぼしい。
   中心円飾: 鳳凰,凍石製。
   各柱間に凍石製の小飾り各種: 後補か?順番がかなり適当。
   左右目摂下に凍石の飾り: 左・ブドウ,右・魚。接着位置もその方向も違うため,明らかに後補と思われるも,柱間のものとは手が異なる,時代もこちらのほうが古そう。


 ■ 半月:損傷なし。100×41×8.5mm。
   低め。おそらくホオの染めたもの。板状,半円型,円周部分をノミで斜めに削ぎ落としたかのように面取り。
   外弦間:35mm/内弦間:25mm。内外弦間:約4mm。やや広め。
 ■ 絃停:蛇皮。115×77mm。
   右下小欠損。貼りなおした痕あり,状態は悪くない。




  さて,トップに貼ったこの画像は,裏面のラベルです。
  庵主,一目見て分かります----この「赤城山1号」は,浅草区蔵前片町十八番地・山田縫三郎さんの楽器です。

  以前修理した「十六夜月琴」の兄弟ですね。

  もともと5×3センチくらいの小さなラベルですし,この楽器の場合だとかなり変色してしまってて分かりにくいですが,まず「清琴斎二記山田」(注意!右から左に読むのだぞい!)てのは「清琴斎二代目」という意味です。上のほうに描かれてる丸いのは「第三回内国勧業博覧会(明23)」のメダル。メダルのわきには「清琴斎初記」「有功大賞牌」「受賞之種品」,ラベルの真ん中には右から「月琴/改良律月琴/提琴/胡琴/携琴/木琴/阮咸/琵琶/瑶琴/清笛/明笛/洞簫」と当時の取扱い楽器が,小さな文字で書かれてます。

  山田さんが「清琴斎二代目」であるからには,当然「初代」がいたわけで。ラベルにもある「清琴斎初記」というのは,「頼母木源七」という人のことです。
  ただの楽器職人さんではなく,かなりいい家柄の人だったようですね。鈴木バイオリンの鈴木政吉さんより以前に,日本でバイオリンを作り始めた人の一人であり,一族からは音楽家や政治家が輩出されておるようです。
十六夜ラベル
  庵主がいままで目にしたことのある「清琴斎」のラベルは,このメダルの絵が2つのタイプがほとんどなんですが,「十六夜月琴」についていたものでは,このメダルがどんと増えています。

  ご覧のように「十六夜」のラベルは断片的なもので,またこれに類するタイプの資料も,画像の粗いもの一件しか手元にはないんですが,ほかの文献資料や,この断片に見えるメダルの模様などから,ここで増えてるのは「第五回内国勧業博覧会(明36)」のものだと分かりました。この博覧会で,初代に続き二代目,山田縫三郎さんも入賞しているんですね。
  この勧業博覧会の受賞者リストからお店の住所をたどり,頼母木さんと山田さんのお店はたしかに同じであることもつきとめています。

  さて,単純な推理ですが----

  ラベルの変遷から考えて,「赤城山1号」の製作年代は,内国勧業博覧会の第三回よりあと,第五回より前ということになります。明治20年代末から30年代のごくはじめ に作られた楽器,と思ってまあ間違いないでしょう。

  軸が1本と山口が欠損,棹上の竹フレットはおそらく後補でしょう---第2・3フレットなんて,斜めになってますね。
  左右の目摂の下に柱間飾りがそれぞれ一つづつへっついていますが,この位置にこういうものがつけられることはないので,後でつけたものでしょう。ほかの凍石の柱間飾りも,順列などに多少の疑問があるし,両者彫りの手も違うので,どちらがオリジナルだかは分かりませんね。
  山田さんの楽器はごく実用的な作りでお飾り類もシンプルなものが多く,このように満艦飾的にお飾りが付いている例はあまりありません----もしかするとどちらも後からへっつけられたものかもしれません。


  外見上分かる要修理箇所は,あと表面板の割レと,地の側板のハガレ。
  損傷はそのくらいなものなので,古物の月琴としては比較的状態の良いものと言えましょう。



  石田不識や福嶋芳之助の楽器と比べると,山田さんの楽器は「近代的な」作りをしています。

  たとえば胴体。
  手作りの清楽月琴の胴は,たいてい縦の方向にわずかに長く,真円にはなっていませんが,山田さんの楽器では,だいたい縦横の幅が同じです。


  たとえば棹や糸倉の作り。
  左画像上は「十六夜」下が今回の「赤城山1号」の糸倉です。ほとんどの作家のものは,一面ごとに寸法が微妙に異なりますが,山田さんのものは,時代により楽器の等級により幾分の差はあるものの,どれも形や寸法がほとんど同じです。

  現在残っている楽器の数,またその内部の加工痕や部材の寸法の正確さ,表面の仕上げなどから見て,この人の楽器は何らかの近代的な加工機械を用いて,かなり大量に製作されていたのではないかと考えています。
  職人の「手」を感じない……というと,何か感性の問題みたいになりますが----当時どのような加工機械があったのかは分かりませんし,たんに統一された型紙のようなものを使い,多くの職工さんを雇って,部材を規格的に量産していただけなのかもしれませんが,木の「目」がほとんど無視されていたり,それでいて寸法や形が正確に同じだったりしているのから見ると,何らかの近代的な製作法で作られていたことは間違いないと思います。

  そうした山田さんの月琴には,楽器としては「中の上」を越えるものはまずありません。
  しかし,大きなハズレもない。

  何度も書いているように,月琴は琵琶やお琴からすると安価で,もとからかなりの数を作らなければ割に合わない楽器でした。そのため当時の職人さんの作ったものの中にも「流行ってたから作ってみた」みたいな,どうしようもないようものがけっこうありますから,量産の数打ちモノとはいえ,細部まで正確に,しっかり作られている山田さんの楽器は,そういうものよりもちろんはるかにマシです。


  山田縫三郎の楽器店は尺八のような和楽器から,月琴などの清楽器,はては入ってきたばかりのヴァイオリンまで,さまざまな楽器を扱っていました。

  国図のアーカイブで見ると「山田縫三郎 著」で『吹風琴独案内』(明34)という本が出てますね。左画像はその奥付です。「吹風琴」というのはハーモニカを縦型にしたような金属の笛です。
  以前ネオクで出ていた「山田楽器店」のカタログでは,その「吹風琴」の改良型とおぼしい「ソプラネット」なる楽器の広告も載っていましたね。


  また大正4年に出された『ヴァイオリン曲譜』という本の奥付から,大正初めには蔵前片町の本店のほか,神田表猿楽町に支店があったことが分かっています。(右画像も,国図アーカイブより。)

  大正10年の『最近東京市商工案内』にはその名があり,既述のカタログにも「平和記念東京博覧会(大11)」で「弊店出品の尺八が…」と書かれていますが,大正13年の『最近東京市商工名鑑』には「山田楽器店」も,「山田縫三郎」の名前も見られなくなります。

  間にあるのは関東大震災……記録によれば,本店のあった浅草から蔵前にかけての一帯は,相当の被害を受けたそうです。

  震災後の消息等について,今のところ資料がないため,そのあたりについてもはっきりとは言えせんが,けっきょくYAMAHASUZUKIにはなれなかったものの,震災前の明治末から大正期において「山田楽器店」は,ほぼ同時代を生きたその創業者,山葉寅楠や鈴木政吉らと,ほぼ同レベルの楽器製造能力と販路を有した大手~中堅の楽器製作販売店の一つだったと言えます。

  「清楽月琴」というと幕末のイメージが強いので,このあたりの話になると少し違和感をおぼえる方もあるかもしれませんが,この楽器は「日本の夜明け」と「日本の近代の夜明け」,二つの夜を駆け抜けて,ここまでたどりついてるんですね。


  さて,修理に入りましょうか。
(つづく)


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