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17号柏葉堂3(1)

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斗酒庵 柏葉堂と三たび見ゆ の巻月琴17号柏葉堂3(1)


正体見たり「柏葉堂」!

  おととしの年末,ちょうど日本における月琴の歴史や楽器としての変化についてまとめておりました。
  変化を知るためには始原を知らなければならない----この国に渡ってきたはじめのころの月琴というものが,どんな楽器だったのかが分からなければ,どこがどう違っていったのかなぞ分かるはずもありませんよね。

14号 15号
L氏 琴華
  するとなぜだか,唐渡りの14号玉華斎,倣製月琴15号,天華斎のコピー,琴華斎,と,ふつうはあまりそろって見られることのない,古いタイプの清楽月琴の修理が相続きました。
  先ごろまで明治中ごろの楽器だと思ってた13号柚多田を仕入れたのも,これと同じころでしたが,これなんてモロ「江戸時代の楽器」でしたもんねー。

  理由は不明ですが,この古式月琴ラッシュによって,初期のころの楽器については,一気にデータがそろってしまいました。

  そこで 去年の年末から,今度は「その後の展開」のほうをまとめはじめたわけで。こないだ公開した「明治大正期楽器店リスト」なども,その副産物みたいなものだったんですが----

----こんどもまたそれと連動するかのように,16号於兎良「菊芳・福嶋芳之助」,赤城山1号「清琴斎・山田縫三郎」と,明治流行期のしかも以前に扱ったことのある作者の楽器の修理が続いております。 個人作家における製作楽器の変化,それこそ「その後の展開」そのものなわけで。

  なんか憑いてますねー。

  こりゃもう「さっさとまとめて,早ぅこッちィ来い!」----と,ゆーことでしょうかー。(^_^;)

  さて,庵主がいままで扱った楽器のうち,製作者が同じものには,このほか1号と8号生葉の 「不識・石田義雄」 がありますが,じつはもう一人,正体の分からない,ナゾの製作者がおります,それが----
11号ラベル
  4号と11号を作った「柏葉堂」というヒトですね。

  庵主が入手したほかにも,ネオクでもう何度も見かけているので,数量的にはかなり大々的に作っていたのじゃないかと思われるんですが,資料を探しても探しても,なかなか名前が出てこないんです,「柏葉堂」っていうお店が。
  たとえば福嶋芳之助のお店の正式な名前は「菊屋」ですが,通称「菊芳」で通してて,二代目の時には「菊芳楽器店」になっちゃってました。「菊屋」と同じように,東京に昔からよくある楽器店の名前に「柏屋」というのがあるので,この「柏葉堂」というのは,そのどこかの「柏屋」さんの別号なんじゃないかなー,とまで考えてたんですが---。

  つい最近,まったく関係のない,ほかの資料を探してたおり,偶然にも発見いたしました。

  「柏葉堂」の正体を!


  資料の名前は『東京諸営業員録』(M.27 国会図書館近代デジタルライブラリーより)…うーむ,ふつう開きますか?
  わたしゃてっきり,どこかのデパートの従業員さんの名簿かと思いましたよ。
  副題が「買物手引」----なんでしょうね,そッちでいいじゃない!責任者出て来い!って感じですが。

  「楽器商笛太鼓商琴三味線商清楽器」という項目に,かなりの数の楽器店が,住所店名に簡単な道案内までついて載っております。
  これによれば「柏葉堂」の住所は「下谷区南稲荷町七 広徳寺前ヲ東ヘ一丁」。「広徳寺」さんは江戸時代から続くこの地の名刹で,関東大震災のあと現在の練馬の別院のほうに引っ越してますが,これはまだその二十年以上前のおハナシです。
  「広徳寺前」というのは東上野4丁目,上野署のあたり。そこから「東ヘ一丁」,浅草通りをはさんでハローワークの向かいあたりがおそらく「南稲荷町七」,いまの東上野3丁目36番地のあたりだと思われます。
  うむ,こんど回ってきましょう。たぶん何もないでしょうが…

  本舗ハ清楽器及付属品一切ヲ製造シ,音律共極メテ精巧且美ナリ,請フ四方ノ諸君普通ノ楽器ト同視スルコト勿レ。

  この宣伝文句! いや,すごい自信家ですね~。
  ようやっと名前と住所が判明しましたが,今のところ判っているのはここまで。
  なにせ上にも書いたとおりほかに資料が見つかっておりません。

  実際にどういう腕前の人だったのかというあたりは「11号柏葉堂」の修理記事などでご確認いただきたいのですが,楽器製作者としての技術はじゅうぶんにあるはずなのに,これのほかには本名でも店名でも,一般的な楽器店のリストにも,博覧会の名簿にも出てこないのです。

  はて……もしやすると,当時仲間うちからハブられて(^_^;)……いやいや,「一匹狼」的なヒトだったのたのかもしれません。
  イヤ,でも----11号修理のときに感じたそこはかとない(技術上の)感想,それにこの宣伝文句見ると,そういうこともありえるかな~とか思ってみたりして。

  大正時代に音楽の教科書とかを編纂したりした人に「高井徳造」という人物がおります。
  出版元が「高井楽器店」になってますから,楽器の販売もしていたんでしょうね。
  お店の住所は「東京市本郷区本郷三丁目六番地」,扱っているのは西洋楽器らしいですし「徳まで同じ」ってくらいしかないんですが,もしかすると関係者なのでしょうか?

  で,正体が分かった翌日。
  ネオクをながめてたら,これが……
  しかも入れたら落ちました。

  ここまで来ると,もう,仕込まれてるとしか思えませんねー。

(つづく)


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