18号唐木屋(3)
![]() STEP2.方舟の日々 ![]() 側板の矯正と面板の再接着がだいたい終り,胴体全体がいちおうのカタチに安定したところで。 18号の修理,次の段階へと進みます。 まず問題の右肩接合部の補強をしておきましょう。木口接合の隙間には,クルミの端材を薄く削って埋め込みました。 裏からは,和紙を重ね貼り。 仕上げに,そこと今回矯正した部分を中心に,内壁に柿渋を塗りまわし,以降の湿気などによる影響の対策としています。 次に,前回の記事にも書いたとおり(実際にはちゃんとくっついてはいなかったようですが),ニカワの痕から見て,作者の意図としては,上桁は側板内壁と響き線基部の両方に接着させたかったようです。 先の矯正作業で側板との再接着はバッチリですが,響き線基部との間にまだスキマがありますので,ここもクルミの薄板で埋めておくこととします。 これにて,出来る範囲での内部からの補強は済みました。 ![]() ![]() 裏板は,ムシりとった部分よりも少し大きめ,矧ぎ目が上下の接合部にかからないように切り取り,その部分をまるっとほかの板で貼替えます。とりあえずは後々の工作も考えて,なるべく色の似た,薄い板を選びました。 1号の裏板だった板ですね,コレ。 1号は石田義雄作,面板は薄いほうですが,それでも18号のより1ミリ近くも厚いのですよ! ![]() ![]() 裏板が着いたらつぎは表面板。 こちらは楽器の顔ですから,なるべくオリジナルそのままでいきたい。 表面板に走るヒビの下端は,右下の接合部より1センチばかり中央よりにあり,面板との接着さえしっかりしていれば,強度的には問題ありません。しかしその反対側,ヒビの上端は,例の右肩接合部,つまりはいちばんの問題箇所からはじまっています。 接合部の歪みをおさえるためにも,ここはなるべく丈夫な板でふさいでおきたいものです。 まずはその右肩接合部を中心に左右1センチほどを底辺として,割れ目に沿い,面板を細長い三角形に切り抜きます。 表面板には,ほぼ柾目の板が使われているので,埋め板にも同じような柾目の板を使うのが常套ですが,この厚さで接合部をおさえこむため,あえて節目があり目の混みあっている板を使いました。 あきらかに目が違うので,この修理箇所は多少悪目立ちしてしまうかもしれませんが,楽器としての寿命を考えたら,このほうが良いと思います。 カタチを合わせ,なるべく奥まで押し込みます。 残ったヒビ割れの細い部分は,薄く削いだ桐板をさしこんで埋めました。 一日ほど固定したまま放置して。 くっついてたら,後はひたすら,埋め板を,ほかの部分と面一になるまで--- 削る!削る!!削る!!! はーひ,はーひ………桐は柔らかい素材ですが,電動サンダーもプレーナーもナシで「面」を1ミリ落すってのは,けっこうタイヘンな作業なンであります。 ホコリもスゴいし細かいし,この作業だけで,布ペーパーの#40,という岩みたいな奴が1枚と,空砥ぎペーパーの#120が何枚かおシャカりました。 ![]() ![]() これでようやく,胴体がちゃんとした密閉箱状態に戻ったわけで。 18号の胴体の不具合は,前回書いたように,乾燥の甘い材料をそのまま用いたことと,胴材も面板も極薄なその加工・構造が原因です。9号早苗ちゃんの側板はこの18号と同じ材質ですが,4枚の板はすべて同じ材から切り出されたもので組みあげられていました。 ![]() 一方,18号の側板には,あきらかに目の異なる板----つまりいろんな材から切り出された板で構成されています。 同じ材から切り出された材は,歪みや収縮の方向や度合いも同じようなものと予想されますから,部材の組み合わせ方向などを工夫することで,経年の変形による悪影響を小さくすることも出来ますが,18号のように,異なる材から取った部品を目の向きもあまり考えずに組み合わせた場合,それぞれの歪みは小さくても,通常想定されないような損傷を生じさせてしまう可能性もあるわけわけですね。 9号早苗ちゃんの工作は,そちらの記事でも書いたとおり,けっして巧くはないものの,「慎重さ」と「丁寧さ」が感じられました。 おそらくはこの18号よりも前の作,唐木屋が月琴を作りはじめたころのものであったと思われます。 それにくらべると,18号の工作はずっと手馴れしてますが,各所にかなりの「粗さ」や「手抜き」が見てとれます。 ----接着剤はいいものを使っているのに,接着自体が雑だったりね。 またかなり急いで作っている風もあるのですね。 そうしたことから考えると,この楽器は,月琴の流行がピークに達した,明治20年代なかばごろに作られたんじゃないでしょうか。 大流行で作れば売れたものだから,少し驕ったのじゃないかな? ![]() 何度も書いているとおり,月琴はほかの和楽器類にくらべるとかなり廉価な楽器だったので,かなりたくさん作って売らないと利益をあげることができません。伝統的な和楽器の職人にとっては,構造的にも材質的にも難易度の低い楽器ではあったでしょうが,そのあたりがむしろ,こうした「手抜き」の付け入るスキとなり,後世,ワタシみたいな野郎にグチグチと後ろ指さされるようなハメになる,そういう「落とし穴」でもあったのかもしれませんね。 最初から壊れていたので,この楽器がどんな音を出せるのかについては,まだ分かりません----加工・工作にはすでにかなり文句もついたものの,楽器としての質というあたりでの評価は,さて今のところ何ともくだせないわけですが。この18号唐木屋のあちこちに見えるギリギリっぽい作りは,江戸時代の循環社会から,現代に通じる消費社会へと世の中が向かうなかで,機械と職人が競争をはじめた,明治の一時代を象徴する,ニンゲンがわの証人といえるかもしれません。 唐木屋・林才平はもともと三味線師だったようですが,明治20年代にはすでに「清楽器・和洋楽器」とかなり手広く楽器を扱っており,大正時代に入ると「唐木屋商店」「唐木屋楽器店」と,ちょっと名前を変え(しかも「株式会社」に),楽譜など書籍の販売まで手がける,より総合的な楽器販売店の一つとなってゆきます。 和楽器の老舗の路線変更,その根底のあたりにも「月琴」という存在があったのかもしれませんね。 (つづく)
|