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20号山形屋(3)

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斗酒庵 山形屋と出会う の巻2011.5~ 月琴20号・山形屋 (3)

STEP3 さらば,内なるものよ。


  内部構造のお手入れが続きます。
  まずは側板の接合部ですが,再接着のおりに水を染ませてゴムで締め上げ,矯正したところ,もとあった食い違いはほとんどなくなりました。
  おまけとして,裏面にニカワで和紙を渡し貼り,上から柿渋を塗って保護,補強としておきます。

  おつぎに下桁。
  オリジナルのままですと左右の端が側板についていないので,この部品は表裏面板との接着だけで固定されていたわけです。
  構造的にはそれでも問題はないとは思いますが,もうすでに一回取れちゃってたわけで。
  今後いつの日か,下桁が胴体内をコロコロ転がってるなんてことにならないよう,少しだけ転ばぬ先の杖を削っておこうかと思います。


  左右端の側板とのスキマに,桐板を削ったスペーサーを埋め込みます。
  この前までは,表板にくっついていただけなので,つまんで揺らすとグラグラしてましたが,これでほとんどうごかなくなりましたね。


  この下桁ですが,ちょうど半月裏の小孔の上辺りに位置しております。
  仔細に観察すると,真ん中にあいた音孔の中に小さな孔がひとつ。その横になにやらミゾのようなキズが……
  半月裏の孔が縦長だった原因,コレですねえ。
  最初にあけた孔が,見事桁に当っちゃったんでしょう。
  そのままだと意味がないので(とはいえ,この孔自体,構造的にはあまり意味のないものなんですが…)しょうがないのですぐ下にもう一つあけた----なるほど,よく見ると一つにはつながってますが,二つの孔ですね。

  実はこの手の失敗はこの楽器ではよく見ることなんです。
  中には孔が桁で止まってるのにそのまま(つまり"アナ"になっていない)という例もありました。
  ある意味「失敗」ではありますが,月琴の工程を知るうえでは貴重な材料でしたね。

  半月をどの段階で取り付けるか?----ウサ琴の実験中も,さンざ迷ったんですが。
  現状のように裏板がオープンな段階で取り付けるのなら,こういう失敗もまずないし,接着のとき表裏から強く圧をかけられるので,より強固な接着が可能です。一方,胴体が箱になっていると接着は弱くなりますが,最後の段階で弦の位置を自由に決められるので,加工の誤差の修整がしやすく,失敗作が少なくて済みます。

  この「孔」がこういうコトになってるということ,それはこの孔が「胴体が箱」になってからあけられた,言うなれば「めくら作業」であったから,ということにほかなりません。さらにいうなら,この孔があけられた時点で半月はまだ取付けられていないのですから,半月の接着は,これよりさらに後,ということになりますよね。

  何度も書いてますが,清楽月琴は廃れてしまった楽器なため,その製作工程はほとんど伝わっていません。
  この程度のことでさえも,実験をし実証を積んで,ようやく結論に到るわけです。
  たいへんなんですよ?


  次に裏板を矧ぎ直します。
  第一回目の写真にも写ってるように,裏板には下に山のような板目のある,いかにもアバれそうな板が使われていました。
  かなり縮んで,あちらこちらに矧ぎ目の剥離がみられます。
  作られてから100年以上経ち,かなり安定しているはずなので,これ以上縮み続けるようなことはないでしょうが,いままで縮んだぶんがありますので,このまま矧ぎ直したら左右の寸法が足らなくなり,胴体との間にあちこち段差ができてしまいます。

  足りなくなったのなら,足せばいいのよ,おーほほほ!………というわけで。分離した板と板の間に埋め木を入れて,左右の幅をひろくすることとしましょう。ラベルの残っている真ん中部分が,資料的にもっとも重要ですから,ここを中心に考えましょう。


  こんなふうにします----

  矧ぎ目から割れてるケースは,いつもですと虫食いによるものが多いのですが,この楽器のは部材が縮んで割れただけなので,矧ぎ目はキレイで,接着の作業はラクですね。

  板に並べて左右に角材を置き,ゴムをかけて軽く圧をかけます。あと板が浮き上がってこないよう,上下に板材を渡してクランピング。ウサ琴で何回もやったので慣れたもんです。一晩置いて出来上がり。補充材とのスキマを埋め,表面を軽く削って均しておきます。


  新しく継いだ部分がちょっと目立ちますが,まあ裏板ですからいいでしょう。


  裏板を戻す前に,表面板のヒビ割れ箇所などを埋めておきます。
  表面板は半月右下を貫いてる一本がいちばん大きなヒビ割れ箇所。桐板を薄く砥いで差し込み,裏からニカワを垂らし接着します。
  裏から見ると,もともとの矧ぎ合わせが上手くいってなかったようですね。
  裏のほうにもそのヒビ割れの原因となったスキマがあるので,こちらからも充填をして,ヒビ割れをモトから断ってしまいましょう。


  同様の箇所がほかにも見つかり,まだヒビ割れてない箇所もありましたが,埋められるところは埋めました。
  埋め木をした箇所は表面を均してから,さらに上に和紙を重ね貼りし,柿渋で固めて補強・保護しておきます。

  さあ,補強の終わった裏板を胴体に戻しましょう!
  板の周縁と桁の接着部や胴体の接着面は,筆でお湯をふくませ,あらかじめよく湿らせておきます。
  ニカワはごく薄めに溶いたのを,何度も刷いては指でなじませ,表面がちょっとベタつき加減になったところでクランピング。

  円形胴のクランピングはちょっと見にはラクそうですが,バランスを考えなながらやらなければズレちゃったりするので,これでけっこうたいへんです。時間もかかるので,上にも書いたとおり接着面はあらかじめよく湿らせ,乾かないようにしておきましょう。


  いつものように1.3倍早い「赤いワラジ虫」が出現です
  一晩たって裏板が接着され,胴体が「箱」に戻りました。

  さて,次回いよいよ,完成です!

(つづく)


20号山形屋(2)

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斗酒庵 山形屋と出会う の巻2011.5~ 月琴20号・山形屋 (2)

STEP2 白い悪魔…ふたたび


  阿佐ヶ谷のあたりに本部のある秘密結社「狂聖ボンド帝国」の構成員,接着戦隊・ボンドマンによって「修理」された楽器は,あちらもこちらもボンドまみれになるのだっ!


  ----というわけで,いつものとおり修理前に,まずハガせるところはみなハガしてしまいましょう。


  白い!白い!白い!白い!白いいいッ!

  前修理者は,ボンドの前に 瞬間接着剤 を使用してみたようです。
  しかし,そもそもくっつけようとした面にニカワが塗られていたため,サラサラな瞬接は表面でハジかれてうまくくっつかなかったんですね----なもんだから,今度はその上からボンドを,余計にこってりと。

  しかしながら,ある意味その 意味のなかった作業 のおかげ,とでも申しましょうか。
  木工ボンドが瞬接のカリカリした層でせき止められ,桐板の木目にあまり入り込んでおりません。
  濡らすとカリカリモロモロ,うまいこと一度でいっしょにハガれてくれます。

  フレットは第4のみがボンドづけ,ほか二本はオリジナルのニカワづけ。その第4フレットと,ド真ん中に貼られた「蓮頭」の接着だけがなぜか強固で最後まで残りましたが,ほか,左右の目摂や柱間飾りは比較的簡単にハガれました。



  半月の下を貫いてヒビが走ってますので,今回は半月もはずしてしまいます。
  ここはオリジナルの接着でしたが……ニカワづけが上手ですね,この原作者。
  琵琶の陰月に当る穴は小さく,縦長でした。ちょっとフシギな穴ですね。

  これにて表面板上に構造物はなくなり,めでたく「のっぺらぼう」となりました!

  ぬぼ~ん。




  表面板が片付いたので,間髪入れず裏板へとまいります。



  裏面板は,いちばん左端の小さな一枚以外,みなボンドによる再接着。

  つけかたもかなり乱暴で,ズレてるわ,接着剤ハミ出してるわ,ちゃんとついてないわ----まあ 「ちゃんとついてない」 のはこの場合ありがたいことで。
  あちこちにあるスキマに刃物を入れ,水を垂らして接着剤をふやかしながら剥がしてゆきます。

  ちなみに上左画像,棹の根元と側板の棹孔の周辺にも,ボンドをつけた痕跡がありますね。
  棹を固定しようとしたんでしょうか?幸いにもうまくくっつかなかったようですが…

  さて,月琴の内部は宝箱----


  内桁は2本,材質は松。音孔はやや小さめですが,きちんと四角くキレイに開けられています。
  表面板側の左右両端が,かなり大きく斜め削ぎされています----ほかの月琴でも見たことのある加工ですが,通常は端から5ミリか1センチほどをわずかに落とすだけで,ここまで大きい事はありません。
  上桁の左右木口は,側板の内壁に合うようにすこし斜めに削られてますが,下桁の木口は切り落とされたままのまっすぐで,左右には接着されていなかったようです。


  上下桁とも,ほぼ原位置のようですが,どちらもボンドで再接着されちゃってますねえ。
  さらにほら,なんでしょうねえ----

  桁にセロテープを渡して表板に止めてます!

  まず表板に接着して,それが乾いてから裏板を貼りなおせば,こんなふうに保定したままじゃなくてもいい気がしますが,たぶんせっかちに,一度で表裏やっちゃったんでしょう。接着剤が乾くまでズレないように,ってキモチはまあ分からあでもありませんが,内部構造にコレはないわな,ふつう。



  内桁もみなひっぺがし,接着面のボンドをこそぎます。
  桁だけじゃなく,もちろん面板の内側のもキレイにこそぎとります。
  一度箱に戻してしまうと容易に手の出せないところですから,このへんは慎重に,丁寧にやっておかなきゃなりません。
  作業中に表面板にも数箇所,ボンドによる再接着の箇所が見つかりましたので,同様に処理をしておきます。

  側板の接合部はすべて接着が飛んでいるので,裏からニカワを垂らし再接着。その固定と側板接合部の矯正のため側板にはゴムをかけ回して,胴体の形状保護のため上桁も先に再接着しておきます。

  左画像,つまり,その4つぐらいの作業が同時にやらかってるんですねえ。

  このブログでも,何度か書いたと思いますが,中国の月琴の桁はたいがい一枚で,胴体のほぼ真ん中に位置しています。
  これに対し,国産の清楽月琴の多くは上下に二枚という構造になっています。
  「○に一」より「○に二」のほうが,確かに安定して見えますが,ウサ琴による実験などから,構造的にも強度的にも一枚桁で問題のないことは分かっており,こうなったのはおそらく作るがわの合理性,もしくは民族的なカタチに対する嗜好の差異といったところから来ているのじゃないかと,庵主は考えています。

  実際,いままで修理してきた楽器でも,上桁は胴体にミゾを切ってハメ殺しにしてあるのに,下桁は内壁に接着しただけというパターンがけっこうありました。この楽器のもそうですが,この加工の差は,下桁が言うなれば「盲腸的な構造」であることを示唆しているのかもしれません。


  響き線は見たことのないカタチですね。根元のところで一度上にあがって急角度で下げています。
  表面にサビが若干浮いてはいますが,状態は悪くありません。焼きもちゃんと入っているようです。
  裏板を剥がした時点では先端が上桁にささっていて,ほとんど機能していない状態でした。
  基部は木片を丁寧に刻んだもの。この型の基部は,多くの場合側板内壁の中央に取り付けられ,面板には接していないのですが,この楽器のものは表面板がわにも接着されています。


  はじめ,開いたときの状態から見て,上真ん中の画像のようにもとは上桁の音孔を通過していたのだろう,と思っていたのですが。上下に揺らすともとの状況---上桁にささってる--に,たやすく戻ってしまうというのが一つ,次にそういう構造だったにしては音孔が小さいので,響き線がきちんと機能する範囲がきわめて狭いこと,そして音孔の内側に線による打痕や線に浮いているサビの付着などがないことから,ちょっと考え直し。楽器内部をあらためて観察してみたところ----ありました。

  いや,写真にも写ってないかもしれませんが,上右画像
  上桁の音孔の斜め下,例のセロハンテープが貼ってあったあたりに,線の先端によるものと思われる,かすかな「ひっかき傷」が見つかりました。

  それをモトに響き線のカタチを修整してみたのが,この画像----

  ま,ふつうですね。
  若干,アールが深めですが,今度は楽器を多少揺らしても,桁にはささりませんし,かなり傾げても響き線がちゃんと機能しています。

  どうやら前の状態は,前修理者のシワザだったみたいですね。

(つづく)


20号山形屋(1)

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斗酒庵 山形屋と出会う の巻2011.5~ 月琴20号・山形屋 (1)

STEP0 せんでんな前フリ

  さて----もう何も言うなあっ!

  自出しで買った清楽月琴,これにて20面の大台にのってしまいました。
  ちなみに月琴マニアでも楽器マニアでもない庵主にとって,調査の終わった楽器はダシガラ同然のシロモノです。
  買いも買ったり……てな数ですが,修理終わったそばから他人に譲ってしまっているので,手元に残ってるのは,始原の1号,ふだん使いのコウモリさん,コンサーティナの生葉ちゃん,資料用の13号の4面だけです。


  最近の修理楽器は,主として庵主のやってるWSの常連さん,通称・SOS団(そら庵大川端清楽団)のメンバーに,美味しくいただいてもらっております。

  SOS団といえば,そら庵と狛犬と月琴の修理を通じて集まった自然発生的集団みたいなものですが,自出し月琴とかウサ琴を譲られた(押しつけられた?)方のほか,修理した楽器のオーナーなども含めて,20人くらい。月一ペースで開かれるワークショップ(はんぶん飲み会)を活動の中心として,関東でも屈指(ほか余りありませんが…)の月琴集団となりつつあります。

  会場の「そら庵」は深川は万年橋のたもと,「おできの神様」こと正木稲荷さんとなりのカフェ&イベントスペース。

  ・ 参加費はお店のほうにオーダーひとつ(会費ナシ)。
  ・ 途中参加・退席自由


  ----のゆるゆる集会ですので,興味のある方はいちどおいでください。

 「清楽月琴」とかいうものにただ触ってみたい,鳴らしてみたい方。
  現代中国月琴,二胡のほか,関係ないほかの楽器の方でも乱入上等であります。
  現在,笛子吹き募集中!こちらの活動にご参助いただければ,もれなく一本,明笛をあげちゃいます。

  -----とまあ,宣伝はこのくらいにしましょうか。



STEP1 20号が来た!!!!


  今回はどうしても知りたい一点のある楽器でしたので,少し強引に落とさせていただきました。
  競り合っちゃった方,ごめんなさい。(^_^;)

  出品者さんの手配が素晴らしく,落札して2日めに届くという奇跡のような最速取引となりましたこの楽器。
  8号生葉,18号モナカちゃんと同じ,秋田からの品であります。
  ネオクに限らず現在は古物の業界もボーダーレス,仕入れも売りも宅急便で全国どこへでもという時代ですので,秋田から届いたからといって秋田で使われていたものとは限りませんが,江戸時代の秋田の殿様は,洋学好きで有名でした。藩内にも長崎とかへの留学者が多く,清楽もけっこう盛んだったようですから,こういう楽器が数多く残っていても不思議はありません。

  概して東北から届楽器は保存がよろしい。
  気温が低いおかげで各部材の劣化も遅く,虫食いなどの被害も少ないんですね。
  18号なぞ,表面的にはまさに「新品同様」といって良い状態でありました。
  今回の楽器はそれらに比べると多少ヨゴれて見えますが,これにはワケがあります。
  そのあたりはこの後の各部簡見にて----


1.各部採寸

  ・全長:638mm
  ・胴径:縦 346mm 横 342mm 厚:36mm(うち表裏面板厚ともに 4.5mm)
  ・棹 全長:289mm 最大幅:29mm 最小幅:23mm 最大厚:30mm 最小厚:23mm
    * 指板ナシ 指板相当部分の長さは:148mm。
  ・糸倉 長:158mm(基部から先端まで) 幅:29mm(うち左右側部厚 8mm/弦池 12×115mm)
    * 指板面からの最大深度: 64mm
  ・推定される有功弦長:418mm

2.各部所見


  ■ 蓮頭:無傷。
    蓮花,透かし彫り。53×80mm。
    なぜか胴体の中央に貼り付けられているが,間違いなく蓮頭である。




  ■ 糸倉~棹:ほぼ無傷。
    糸倉は,先端中央に同材の間木をはさむ。側面から見てやや幅の広い古典的な形だが,うなじはなだらか。
    棹背はアールなくほぼ直線。測ってみると平均よりわずか1ミリ程度の差であるが,デザインや加工の良さからか,かなり細身に見える。
    弦池先端に軽い削ぎ落としがあるなど,加工は精緻である。
    素材はおそらくカツラ。スオウで赤く染め,油仕上げと思われる。質の良い材が用いられ,側面に柾目が出るよう木取されており,糸倉から棹背にかけての木理が美しい。
    軸は全損,ネオク出品時には三味線の糸巻きが挿してあった。

  ■ 棹茎:損傷ナシ。
    全長:156mm 基部 32×20(厚さ 15mm),延長材はヒノキと思われる。長 144mm。

    棹同様,かなり細身の作りとなっている。加工は精緻で,延長材の接合等の工作も精密である。延長材の表板がわの面に「ね」字のような署名がエンピツ書きされている。

  ■ 山口・柱
    山口は欠損。棹上にある接着痕から厚みは 10mm ほどであったと思われる。
    柱は第4,第6,第7フレットのみ残存。棹上フレットは全損,接着痕のほか目印のケガキ線が残る。
    山口の接着痕の端を有功弦長の起点としたとき,各フレットおよびその接着痕までの距離は----

     46 86 113 144 175 210 230 265

    残存フレット,材質は象牙と思われる。第7フレット右端にネズミの齧痕少々。


  ■ 目摂等装飾
    左右目摂,四角いが「扇飾り」に相当する柱間装飾が残る。左右目摂は菊,四角い飾りは花。
    損傷らしいものは見当たらないが,いづれもはみだすほどの多量の木工ボンドにより接着されている。
    胴体中央に貼られた蓮頭の下が分からないので,このほか中心に飾りがあったかどうかは不明。
    絃停は欠損し,痕跡のみ。105×80mm。


  ■ 半月:損傷ナシ。
    101×36 高さ 9mm。装飾の意匠は9号や18号と同様(おそらく蓮花)であるが,かなり薄手に,低く作られている。
    外弦間:29.5mm 内弦間:23.5mm 内外弦間だいたい 3.5mm。 内外の弦間以外は,棹に合わせてやや狭め。


  ■ 胴体:軽度の損傷。
    経年のヨゴレ,部材の収縮による軽度のヒビ割れや剥離に加えて,比較的近年の修理により各部に「白い悪魔」木工ボンドが付着。

    表面板:おそらく7枚矧ぎ。
    全体にヨゴレ。
    半月右横,斜めに引っ掻き傷一本,目立つが浅く,表面のみ。
    中央やや右下端より矧ぎ目に沿ってヒビ割れ,細いが,半月下を貫いて胴体中央まで及ぶ。
    その先,第8フレット接着痕の右横に小エグレ。
    棹左横から左肩接合部までかなり大きくハガレ。
    右肩接合部より右側板へ小ハガレ。
    下部・両接合部を中心にハガレ。
    左下接合部付近に小鼠害。
    ほか周縁数箇所に軽度の打撃痕や鼠害。


    裏面板:7枚継ぎ。
    * 左より,それぞれの板材に1,2…と番号を振った場合。

    1・2間剥離,貫通しやや開く。1の板矧ぎ目下端にやや大きな欠ケ。 2・3間同上,割れ目に小メクレ。3・4間下端に小ヒビ,長 70mm ほど。 4・5間,ヒビ割,ほぼ貫通。割れ目に小メクレ。5・6間,下端より小ヒビ,矧ぎ目の中央ほどまで。
    左肩接合部付近より天の側板の4/5ほどまでにかけて剥離。再接着により側板と小段差。


    左下接合部付近より地の側板全周縁,右側板7/8あたりまで剥離。再接着により側板と小段差。 左端周縁部,中央よりやや上に打撃か圧痕らしきもの。
    中央上端にラベル。かなりボロボロであるが断片的に文字が残る。ラベル付近および数箇所に小さな孔,虫食いか?

    側板:4枚,単純な木口同士の擦り合せ接着。
    材質はおそらく棹と同じくカツラ。スオウで赤染め。
    スキマは小さいが,4箇所とも剥離。やや食違い段差が出ている。




  20号,現在の状態を概観で言いますと,前修理者の「修理」さえなければ軽症だった----といったところでしょうか。

  表面的なヨゴレは8号と同じくらいでしたし,各部材の保存状態も悪くはない。 寒冷地の乾燥と温度変化により接着が飛んだり,部材の収縮で多少歪みも出ていますが,さほどのこともありません,ただ……
  目摂の周囲,貼り直した面板の周縁……ちょっと見で分かるくらい,そりゃもうコッテリと白い悪魔「木工ボンド」がハミ出しております。

  まったく噛み合っていない三味線の軸が挿さっていたこと,絃高より分厚い蓮頭が胴体の中心に接着されていることなどから見て,前修理者の目的はこれを楽器として弾くことではなく,装飾品となるていどに,そこそこカタチを整えるところにあったことは間違いありません。

  今回の作業は,まずこの真っ白な「修理」の痕跡を取除くところからとなりましょうか。


  前修理者の「修理」箇所を除外すると,いまのところ分かっている欠損部品は,軸4本,山口,フレット5枚。
  「軸全損」は(作るのがメンドウなので)イタいですが,楽器本体の損傷はそれほどでもなく見えます。

  表板はヒビが1本だけ,木目からみて裏板がかなり暴れるらしく,ほとんどの矧ぎ目にヒビが入ってますが,いづれも部材の収縮によるもので,虫食いによる矧ぎ目の損傷はないようです---今回はホジくらなくてすみそうですね。


  裏板はその大部分が一度ハガれてボンドで再接着されているようですから,これはもうひっぺがさなきゃなりません。
  ひさびさのオープン修理となります。
  面板の剥離とその後の放置の影響で,側板4箇所の接合部は接着が飛んで,一部にわずかながら部材の歪みからくる食い違いが出ていますので,裏板をハガした後,これら接合部の矯正と再接着も必要でしょう。

  いづれも今まで何回もやってきたことが多いので,「ボンドの下から何か出てこなければ」さほどの困難はありますまい。




  今回,けっこう高値で競り合ってまで知りたかったこと,それはこの楽器の作者です。
  最初に見たときは,そのほっそりしたスタイル,やや古典な糸倉,そして半月の意匠などから,9号・18号と同じ「唐木屋」の楽器ではないかと思ったのですが,裏板にあるラベルらしいもののカタチがどうも合いません。カタチだけでいうと似ているラベルの作者は二三いるのですが,今度は楽器の特徴が合いません。

  ゲンブツを手にして,ようやく拝めたそのラベルが,これです----「ラベル」って言うか…もうほとんど「その断片」ですね,こりゃ。
  ボロボロではありますが,幸いなことに文字の部分がけっこう残ってくれてます。読めるだけ,読んでみましょう。

  本………楽器総附
  属〓…是東京日本
  橋区…〓薬研堀丁
  四十…番地
     山形屋〓〓
 (…は無くなっている箇所,〓は文字は残っているが解読不能)


  さて月琴の作られていた江戸明治大正,東京で「山形屋」というと,まず京橋の「室内平兵衛/伊助」という老舗中の老舗の有名店が出てきますが…そう遠くないものの住所が違いますねえ,「薬研堀」ですか。そこでもう一度拙編「明治大正楽器商リスト」で検索をかけてみますと

  琴三絃商,清楽器 日本橋区薬研堀町四七 山形屋雄蔵(『東京諸営業員録』M.27)

  という人が……こちらですね。お店の場所は「汐見橋ヨリ東ヘ二丁南ヘ一丁」だそうな,今度寄ってみましょう。
  薬研堀にはもう一人「鶴屋・大海太郎」さんという三味線師が住んでまして,こちらは色んな名簿に載ってるんですが,「山形屋雄蔵」さんの名前が見つかったのは,前回,庵主が「柏葉堂」さんを探し当てたこの冊子のみで,ほかに記録もなく,これ以上の詳細は今のところ不明です。
  ちょっと気になっているのは,明治20年の『東京府工芸品共進会出品目録』に月琴を出品してる「日本橋区薬研堀町・石村勇造」という人物。名前の字は違いますが読み方は同じ,石村は屋号でしょうし……もしかすると改名した同一人物かもしれませんね。

(つづく)


13号柚多田(7)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (7)

STEP6 永い永い空の下

  さてさて,一年近く放置したあげく,江戸時代の楽器だと分かってどびっくり!の展開となった13号の修理ですが,いよいよ仕上げです。

  フレットに使っている竹材は,もともとただの晒し竹なので,そのままだと白っぽく安っぽくて,古い楽器にへっつけるには適しません。
  そこでまずはこれを,一晩ほどヤシャ液に漬け込み,黄色く染めます。
  一度引き揚げて乾燥させ,亜麻仁油で拭き磨き----いつもの竹フレットならここまで。こうして染めたフレットは,一見高価なツゲ材と見まがうような黄金色になりますが,今回はさらにもう一手間。油拭きから二三日,表面の油が乾いたところで,柿渋を塗ります。

  前にも書いたと思いますが,この柿渋とヤシャ液という染料は,どうも相性が悪いらしく。そのまま合わせたり,上から重ね塗るとヤシャ液の黄金色が褪せて,なんだか白っぽくなってしまいます。
  最近の実験により,上に一度,油を引いてから柿渋をかけると,ヤシャ液で下地を染めた場合でも,この褪色はあまり起こらないことが分かりました。どうやらそうすると,柿渋はヤシャ液と反応する前に,油のほうと反応してしまうようなのですね。

  むかしの時代劇などで,貧乏なおサムライさんが傘を作ってたりしますね。あの番傘にはられている紙には,柿渋と桐油が交互に何回も塗られています。柿渋と油が反応してできる層は,かなり強くて丈夫,耐水耐湿性もありますし,年月が経つと柿渋が変色して黒ずみ,けっこういー感じの古色となってくれるはずです。


  13号にはお飾りの類がありませんので,フレットを貼り付ければ,修理完了……とその前に。
  よく見たら,半月の前部分がわずかに浮いていましたので,付け直しておきましょう。

  表面板,かなりイジメましたからねえ。むしろよくいままでくっついてたものだ。



  さて,これでほんとに修理完了です!


  さっそく音を聞いてみましょう。

  1)開放弦
  2)音階1.
  3)音階2.(高低各弦)

  ……う~む…べつだん悪い音,でわないんですが。
  なんか思ったより「ふつうの音」ですねえ。
  「江戸時代の月琴」という期待が多少大きすぎたのかもしれません。


  ……いや,考えますと,この材質,あの構造でこれだけ鳴るのは,むしろスゴいのかも。


  厚みのある糸倉や太めの棹,細すぎる糸巻き,段差のある半月など,13号の各所の寸法やデザインはかなり独自なもので,古いものでありながら,天華斎や琴華斎のように「唐渡り」の楽器を単純に模倣したものではありません。またこの楽器の各所の加工や接合の工作には,妙に精緻なところと異常に稚拙なところが,チグハグなかたちで同居しています。(これつまり内部の署名「石村近江大掾藤原義治」&「常吉」さんという二人の職工が共同で作ったという証左なのでしょうか?)


  上に述べたように,この13号には「清楽月琴」という楽器の定型や定番からハズれたところが多く見られます。

  明治以降に作られた楽器にもないではないことなのですが,ほんらい三味線や琵琶が専門の職人さんが作った場合,初期の作品に本職の楽器の影響が強く出たりします。

  13号の場合は三味線。
  糸巻きの先端の寸法,またその軸穴のあけかたもそうですが,胴側板の内壁を,回し挽き鋸ではなく鑿ではつって刳っているのも,三味線の胴体の加工に近い。



  柔らかすぎる響き線やそれを囲む竹の構造,ぶ厚すぎる側板や中途半端にあけられた内桁の音孔----そうした特徴はかなり「独自」ではありますが,月琴の流行は化政期から続いていましたし,彼らが月琴という楽器を「まったく見ずに」作った,とは思われません。しかし,定番・定型からはずれているところから見ても,多少統一感のない各部の加工から見ても,それほど「通暁していた」段階で作られたものとも思われません。そのためある意味,いまだ「 "月琴" になりきっていない!」ところがある楽器なのですね。

  それでもいちおう「月琴の音」がし,操作上も違和感があまりなく,楽器として成立しているのは,まさに職工の「ウデ」によるところが大きい。

  三味線の始祖流「石村」の名と,「近江大掾」はダテじゃない,ってとこでしょうか。

  思いのほか(まだ言ってる)大きく,明るい音がします。
  絃高はかなり下げたものの,フレットはいまだ高く,弦はふつうの月琴よりも多少押し込まないとなりません。
  しかし,操作性はそれほど悪くない。ふつうの月琴より半月のサイズは大き目ながら,高低・内外の弦間はそれほど広くはなく,ピッキング上の問題はありません。また,素材は軽めですが,厚みがあるため安定は良いほうです。


  表面板中央付近に,ピックによるかなりの数の擦痕が見られますので,通常よりやや楽器を横倒しにして弾いていたか,右ヒジで押えつけて立ち弾きで演奏されていたのかもしれません。これだけの修理をして「思ったより鳴る」楽器であるもう一つの理由は,これがお飾りではなく「ちゃんと弾きこまれていた」月琴だったからかも,という点もあるのかもしれませんね。


  この楽器の調査はまた,国産月琴の成立に関わるいくつかのギモンも残してゆきました。
  ひとつには,完全な国産化がいつごろから行われていたのか,という時期的な問題。
  上にも述べたように,この時期の職工がいまだ月琴という楽器の製作に慣れていない,定番や定型が知られていない,とすると,そうした共通知識や技能が広まったのは何時ごろなのか(それともこの楽器が特別だったのか?)----このあたりは,もっと古い楽器や同時期の楽器を調査できないと分かりませんが。

  つぎに棹背の「うなじ」のカタチです----従来,庵主は日本における月琴の伝来とその変化について,

  「古渡り(完全輸入)」>「唐渡り模倣」>「国産」

  という図式を画し,その外見上の代表的な変化の一つとして,この「うなじ」の形状を掲げていました。


  つまり,輸入された月琴の「うなじ」は「絶壁」だったのが,国産化されてなだらかになった,と言っていたのですが,13号の「うなじ」は---多少武骨ではあるものの----明治になってから作られた楽器とデザイン的にはほとんど変わりません。
  つまり,いままで後になってからそうなったんだろう,と思ってたカタチが,はるか昔,江戸時代にはすでにあったというわけで。数字的に「古渡り」「唐渡り」とされる楽器に「絶壁うなじ」が多い,というところは変わりませんが,この形状の変化は,清楽月琴が完全に国産化されるようになってから生じたという点は瓦解してしまいました。

  あらためて考えてみますれば,現在の中国月琴のうなじも,アールはゆるいもののなだらかなものが多く,馬琴の随筆(『耽奇漫録』)に見える木の葉形の半月を持った月琴の棹背も(絵はヒドいですが)あまり角ばって見えません。海外の楽器博物館のサイトで,13号と同じ19世紀に中国で作られたとする月琴で,同じようになだらかなうなじを持っているらしいものもあり,「古渡り」の段階で,中国から同様のタイプの「月琴」も輸入されていたというところは間違いなさそうです。

  江戸時代から「名器」とされ,数多く摸作された「天華斎」など福州系の楽器が「絶壁うなじ」であったために,初期の楽器ではこのタイプが多く,のち国内で広く製造されるようになってから,日本人好みな「なだらかうなじ」のタイプが多く作られるようになった----という図式が,修正案としてはもっとも都合が良いのですが,ハテサテ。

  最後にもう1曲,弾いておきましょうかね。

  4)13号試奏(例のアレ)


(おわり)


13号柚多田(6)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (6)

STEP5 スレ違いの日々

  とにかく,この楽器の修理で何より気にかけたのは,「歴史的な証拠を損なわないように」という一点。
  内外の墨書や,「江戸時代の楽器」である,と分かるような特徴にはなるべくキズをつけないようにして,楽器として使用可能な範囲で,補修・修理を行うことでございます。

  そのため,庵主,今回はいつもより余計に「刃の下にココロと書く」修理をばしております…ああ,ギターとかむしょうにブチ壊したい,こふー。

  石村さん,アナタも一世紀半以上この楽器に取り憑いているのなら,こんなヤツのところにきちゃダメです。

  とわいえ,きちまったものはしょーがない。
  さンざもてあそばしてもらいやすぜ,へっへっへ。


  軸が出来たところであと二つ,小物をこさえます。
  まずは山口,ギターでいうところのトップナットですね。

  オリジナルがどんなのだったかはまったく分かりませんが,今回は全体の色合いや雰囲気を考え,黄色のツゲで,さらに古い月琴で多い「富士山型」で作りましょう。
  それにしても幅が36ミリと,ふつうの月琴よりかなり長いですね。
  (通常は30ミリほど)



  1~5フレットの位置には,後世の誰かさんがへっつけた「フレットもどき」(左画像)がついてましたが,6~8フレット(右画像)は竹製で加工も良く時代もあり,接着痕も一つ----おそらくこれらはオリジナルお部品だと思われます。
  さて,フレットを作る段となり。あらためてそのオリジナルのフレットを観察していましたら,面白いことに気がつきました。
  このフレット,糸に触れる頭の部分に竹の皮の部分を当てている----つまり,中国月琴のフレットと同じ作りになってます。

  詳しくは拙記事「月琴フレットの作り方」などご覧いただきたいのですが,国産清楽月琴のフレットは,多く煤竹を用い片面に皮を残した簡単な作りのものが多いのです。
  フレット頭に皮の部分を向ける,こうした中国月琴型の場合,フレットの高さのぶんの厚み(1センチ以上)をもつ,かなり太い竹材が必要になりますが,国産清楽月琴の型だと比較的細い竹でも作れるので,明治の大流行の大量生産期にそちらが主流になったと思われます。

  さすが江戸時代の月琴,こんなところにまだ「唐渡り」時代の影響が残っているのですね。

  このあたりも再現してあげたいのは山々なれど,しかし----手持ちの竹材に太目のがございません。
  まあ,これも消耗品ですのでいいでしょう(何がだ?)。
  とりあえず斗酒庵式で削らせていただきます。


  さてこの楽器には,複数のフレット痕がついています。
  上に触れた「フレットもどき」設置時のものと思われる痕をのぞいて,ですね。
  最も古いのはおそらくこの虫食いのある部分だと思うのですが,そのほかにケガキ線やらヤスリの痕やらがありました。
  最終的には例によって,現在のチューニングに合う,西洋音階に近い位置にしちゃうつもりですが,せっかくの江戸時代の楽器,まずこの楽器の「原音階」は知っておきたいところです。
  そこでまあ,まずはふつうにフレット削りをしてったわけですが………


  高い。

  洒落にならんぐらい,フレットが高いです。
  おまけに第4フレットまで削って,ほとんど高さの差がありません。

  オリジナルの第6~8フレットも,明治の月琴に比べるとかなり背の高いほうなのですが,それでも第8最終フレットの頭と糸との間には,6ミリ以上の空間ができています。
  フレット頭と糸にこれだけの間が開くと,おそらくは糸を押えるだけで半音近く音があがってしまうでしょうし,音の出るところまで押し込むのに時間がかかるので,運指にもかなりの影響が出てしまいますね。


  まあ,「江戸時代の楽器だから」と割り切ってしまうなら,そのままでもいいし,無理に糸に合わせず,オリジナルフレットの傾斜から,ほかのフレットの高さを割り出すことも出来なくはありませんが----そうした場合,少なくとも「ワタシの弾きたくない楽器」になってしまう可能性が大であります。
  自慢じゃありませんが,10年やってる庵主が弾きこなせないなら,おそらくこの世の誰も弾けない,お飾りにしかならない楽器になってしまうでしょう。
  庵主は正確なところでは「修復家」ではない,一月琴ファンとしてこの楽器を,ちゃんと楽器として弾いてみたいので,この際,実用のほうをとらせていただきましょう----



  まずは半月に,ゲタを噛ませます。
  この楽器の半月のポケットは,天井がアーチ型になってますので,ゲタはなんと,こんなカタチに……
  さすがにハジメテ作るカタチでしたが,これにより半月のところで絃高を2ミリほど下げることができました。

  さらに山口のほうも削って全体の絃高を下げます。
  これで第1フレットの高さを1ミリくらい下げることが出来ました。

  半月のゲタと山口を削ったおかげで,かなり絃高は下がったはずなのですが,それでもオリジナルのフレットの高さから推定される「作者の理想とした絃高」(17~19号の修理記事参照)より1ミリばかり高いですね。
  これではやっぱりどうしようもないので,オリジナルの残っている6~8フレットも新作に交換することといたします。

  前回こさえた軸も,このフレットも半月のゲタも,後ではずそうとおもえば容易に外してしまえる部品ですから,後世の修理者でこれにガマンのならないヒトがいたなら,どうぞひっぺがしてとっかえてやってくださいな。


  じつはフレットが高くなっちゃうのには,そもそもの理由があります。
  まずこの楽器の棹は,胴体表板の水平面より楽器前方に向かってわずかに傾いているのです。
  このブログで何度も書いているように,フレットの低く弾きやすい月琴は,棹の指板面が山口のところで3ミリほど「楽器背面がわ」に傾いています。そのあたりがこの月琴という楽器の構造として理想的な設定なのですが,この楽器はそうなってないどころか,逆なわけですね。

  ちなみに古物の月琴で,こうした棹の逆傾きはよくある不具合で,多い原因としてはまず 1)棹基部と茎の延長材との接着部の割レ があります。
  もっとも,この13号は棹から茎までムクで出来ていますのでこれはナシですね。


  次に 2)茎自体の変形 というのもあります。
  ----たしかに,13号の棹は弦楽器にするにはかなり柔らかい材料で作られているため,茎にはわずかに反りが見られますし,実際棹基部には棹の角度を調整するため,かなり色んなスペーサーが貼られています。
  しかし製作後,長い年月のうちに部材に変形が生じたような場合,通常は胴体との接合部のところにスキマができるはずなのですが,この楽器の場合,そうしたスキマや棹と胴体との差込の不具合はほとんどありません。スペーサーも後世に貼られたものではなく,製作時からついていたもののようです。

  どうやらこの原作者は月琴という楽器の,そういう製作上の定番みたいなものをあまり知らないで,この楽器を製作したようですね。
  前回もちょっと触れましたが,この楽器の加工には何となく,作者が「月琴」という楽器に慣れていないまま作っている感じがあるんですね。部分部分の工作のウデはいいんですが,全体から見ると,何か足りなかったり,逆にただのムダだったりするチグハグな加工が目に付きます----これもその一端かと。

  まあ逆に傾いてるとはいえ,山口のところで1ミリほどなので,半月のゲタと山口の削りで,ある程度は補正できてるはず。これだけで弾けないような楽器になることはありますまい。


  ちょっと紆余曲折がありましたが,これでようやく,なんとかまともに音が出せる状態になったので,まずは原音階を調べてみました。上にも述べたとおり,第2~5フレットに関しましては,古いフレット痕が二箇所あるので,それぞれで測ってみています。
  開放で4C/4Gのチューニング,誤差は±5%ほど。無印なのは虫食いのある古いフレット痕,(  )の中はヤスリ痕のついた,新しいフレット痕によるものです。

開放
4C4D-114Eb-1
(4E-12)
4F+23
(4F#-30)
4G+28
(4G-9)
4A+11
(4A+24)
5C+45D-95E+2
4G4A-234Bb-4
(4B-18)
5C+39
(5C+34)
5D+23
(5D-17)
5E-4
(5E+15)
5G-125A-225B-8

  全体にまあ,目新しいことは思ったほどなかったんですが,最終・第8フレットの音階がちょっと。
  通常,このチューニングだと低音は5F,高音が6Cくらいのはずなんですが…1音,違ってますねえ。
  左がフレット痕から見た,最終フレットの原位置。そして正しい音階の出る場所をチューナーで探ってみますと,右画像の位置に---1センチ以上も動いちゃう---なるわけです。

  さてしかし,これについては,江戸時代の清楽月琴の音階が明治のものとは違っていた,とかいうことではなく,この楽器特有のはっきりとした理由がべつにございます。
  最初のほうでも述べたように,この楽器の原設定では絃高が高すぎるので,とくに高音域のフレットでは,糸をかなり押し込まないと音が出なかったはずです。そうすると,もともとの絃高,もともとのフレット高で最終フレットを押えた場合には,通常よりも半音ほど高くなってしまう----つまりオリジナルでは,まさに左画像の位置で「5F/6C」の音が出ていたんだと思いますね。

  ただ,弦を押し込んでその音になってるわけですから,ギターでチョーキングをしてるのと同じような状態なわけで,高音域での音階は,かなり不安定なものだったでしょう。

  明治の月琴も高音域でのフレット高が適当で,たいていそのままだと弾きづらいことが多いんですが,江戸時代の楽器でも同じようなものだったようですねえ。庵主の改修により,フレットと絃高の関係がかなり改善されてますので,現在は糸を一生懸命押し込まなくても,だいたいふつうに音が出るようになってますが,これがこの楽器にとって,良いことなのか悪いことなのか,はたまた余計な蛇足だったのか----考えないでもありませんが。

  そのへんもまあ,後世の持ち主にでも判断してもらうことといたしましょう。

  何十年か,百年後くらいに。

(つづく)


13号柚多田(5)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (5)

STEP4 丸い竹の憂鬱

  重曹で漂白,虫食いを埋めて矧ぎなおした表面板。
  墨書があり,表面からの手当てができないため,かなり苦労して修理したのですが。さらに修理後,半月ほど置いて,新たな割レやら修理箇所の陥没やらという二次的なヒゲキが起きないか,じっくり様子を見ていました。

  表面をまんべんなく濡らしたので,多少の反りは出たのですが,それ以上のさしたる支障も発生しないようですので。
  さて,胴体にもどしましょう----でもその前に。


  これをやっておかなきゃなりません。
  13号月琴の大きな特徴の一つが,響き線の先端を囲む竹の内部構造。
  表裏板裏面に竹の板と丸竹を張って,柔らかな響き線の振幅範囲を制限し,線を保護しているものと思われます。

  しかし,工房到着時,すでにその構造の一端,丸竹の片方がはずれて,胴体内をコロコロ転がっておりました。

  接着痕は表裏面板の裏面,双方についてますが,あらためて楽器に当てて測ってみますと,丸竹の長さと胴体の幅の間にかなりのスキマが……何でしょうねこれは。
  一世紀半年の間に,木が縮んだり伸びたりしたのでしょうか?
  いやいや,竹がこんなに,1ミリ以上も縮んだなんてハナシは聞いたことがありません。しかもこれ,きちんと乾燥させた煤竹みたいだし。じゃ,胴体がふくらんだ…あるか~いっ!
  ----というとこですんで。
  ……テキトウやりやがったな石村あ。

  月琴という楽器は,サウンドホールのない構造ですから,こいうものがハズれると,直す方法はオープン修理しかなくなります。
  したがって,こういうものは,できればまずもってハズれたりハガれたりしないよう,ガッチリ接着されてて欲しいものです----



  まずは,竹にスペーサーを。
  桐の薄板を接着します。写真では写ってませんが,これ,ただの板でなく内側にもう一枚,ポッチになるような丸い板の欠片が貼り付けてあり,そう簡単にハズれないようになっています。

  底部を削って胴体内の厚みギリギリに合わせましょう。


  竹という素材,さらににこうしたその木口の部分は,特に接着の悪い箇所なのですが,片面に接着のいい桐板のスペーサー&はずれないように,もう一枚ディンプル状になった木片が内側に仕込んであります。
  これでまあ,どっちか一面の接着がはずれたとしても,前みたいに胴内コロコロといった事態には,容易にはなりますまい。

  丸竹を接着し,あらためて観察してみて,すごいことに気がつきました。楽器を横にしていると,響き線の位置はこんなもんですが。



  楽器を立てて演奏姿勢にすると,なんとその先端は下の丸竹の上,約3ミリのところでピタリと止まり,胴内で完全フローティングな状態になります。
  このへんはさすが石村,GJです。

  テストもしてみて,丸竹の両面が表裏面板の裏側にちゃんと密着することも確かめましたので,いろいろあった表面板ですが,これでいよいよ再接着となります!


  胴体が箱になります。
  100年の時を経て,物体がまた「楽器」になる----その瞬間に立ち会えること。

  楽器修理者の喜びってのは,そういうところにあるのかもしれませんね。

(つづく)


13号柚多田(4)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (4)

STEP3 じくじたる日々2

  さて,本体のほうは,表面板の修理という最大の難関を越えました。
  これをへっつければ胴体が箱になり,あとは楽器として弾くために必要ないくつかの部品を作れば,庵主も聞いたことのない江戸時代の月琴の音が甦るわけですね~。

  まずは軸を削りましょう。
  工房到着時,この楽器の糸倉には,こんな軸がささっておりました。

  よくこのブログを見てくださってるような物好きの方々も,たぶんそう考えると思うのですが,庵主ももちろん,一目見て,ああこりゃ棹上のフレットなんかといっしょ,後世,月琴のことをあんまり知らないシロウトさんが,間に合わせで作ったもンだろう----と,考えました。
  軸尻はラッパ状に広がってますが,太さはほぼ三味線の軸と同じくらい。噛合わせもよくないみたいだし,全体の工作もやや雑。
  ----しかしこれ。どうやらオリジナルの部品だったようです。

  ホンモノの証拠しょの1) まず材質,胴体と同じクルミかクリですね。
  ホンモノの証拠しょの2) 塗装,ヤシャブシ染め,油磨き,これも棹,胴体などと同じ加工。
  ホンモノの証拠しょの3) 軸先に糸の圧迫によるキズ,ミゾ多数アリ。
  ホンモノの証拠しょの4) また軸先にカーボンがかなり付着しています。これは軸穴が焼き広げ(三味線屋さんはそうします)の工法で加工されているためつくものですが,かなりしっかりとついています。

  ----うむ,信じたくないカタチではありますが。
  前に見た江戸時代の月琴には,明治のころの楽器と同じような軸がさしてありましたし,今まで扱った古式月琴や唐物の14号の軸も,みなこんなものじゃありませんでした。
  そうするとこれは,石村さんのオリジナルと考えるのが妥当なようです。


  13号の軸に関しては,そのカタチ以外にもいくつかほかと異なる点があります。
  まずはその先端の細さ。
  通常は軸穴に刺さっている部分で,太いほうが直径9ミリ~1センチ,細いほうは6~7ミリくらいですが,この楽器の場合,先端が4ミリほどしかありません。華奢なお座敷三味線などで時々ある太さですね。

  つぎに軸穴のほう。
  通常,月琴の軸穴はたんなるテーバー,先細りのカタチなわけですが,この楽器では細いほうの入る軸穴が…えー,コトバだと説明しにくいんで図に描いちゃいますが,こんなふうになっています。
  なもので,細いほうの穴から見ると軸先の周りに空間があり,しっかりささっていたとしても,ちゃんと噛合わされていないように見えるのですね。(^_^;)

  実はこの軸穴のほうはハジメテじゃありません。
  軸先の太さは違いますが,8号生葉ちゃんも同じようになっていました。
  そしてこれは三味線の糸倉の加工で時折見かける「手」です。

  石村さん,この文久三年の時点ではまだ「月琴」を作った経験があまりなかったのじゃないでしょうか?
  糸倉や棹のデザインや工作も,庵主が「シロウトの自作」と思ってしまうほど,ある意味稚拙といいますか,定則からはずれたものでしたし。分厚すぎる側板,例の竹で響き線を囲んだ内部構造や,テキトウにあけられた(しかも一部は途中でやめている)内桁の音孔など,そこには何か手抜きというよりは「戸惑い」みたいなものも感じられますね。

  この軸がオリジナルだと分かった以上,修理の本筋から言えば,これと同じ軸を削るべきなんでしょうが。
  さすがに,これは……(~_^;)

  石村さん,すみません。

  後世の方,これただの付属品ですから,そちらでオリジナルにもどすなりなんなりしてください!

  そんなに長い職人生活ではありませんが,明治の月琴をずっと修理してきたワタシのビイシキと,現代の月琴弾き,プレーヤーとしての本能が,このカタチを拒否しております!!

  今回の修理では,ふつうの月琴の軸のカタチにさせといていただきます。


  江戸の楽器に敬意を表し,素材はちょっと高級にチーク。
  も一つの理由としては,胴体と同じ材料で作った場合,このデザインだと先が細すぎておそらくあまりもちません。
  実際,この楽器でも1本しか残ってなかったわけですからね。

  さすがにオリジナルほどではありませんが,いつもよりはかなり細身に削ります。

  まあ,こんなものでしょうか。

(つづく)


13号柚多田(3)

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斗酒庵 石村近江の衝撃波 の巻2011.1~ 月琴13号・柚多田 (3)

STEP2 穴埋めの日々,ふたたび

  ----間があきましたが。

  17~19号,明治月琴ドトウの三面同時修理も終え,資料の整理も終わりましたので。
  13号・柚多田(ユダだ)の修理にかかります。
  最初は,明治中期ぐらいにどっかの風流なシロウトさんが自作したか,近所の指物屋さんにでも頼んで作ってもらった楽器だろう,などとタカくくっていたんですが。フタをあけたら,あらビックリ!
  文久三年石村義治……江戸時代,それも何と新撰組と同い歳の楽器,しかも和楽器職の名流「石村」を名乗る楽器屋さんの作品でした。

  やっぱり「13」という数字には何かあるもンなんですね~。((^_^;)))

13号表裏面板

  13号,表裏面板上にお飾り類は何もついていませんが,表面には「弄琴明月 酌酒和風」の聯句が墨書で,裏面には見事な竹が描かれております。ただし表面板はヨゴレがひどく,また虫食い穴があちこちにあいて,かなりヒドイ状態。

  今回の修理の眼目は,この面板上の墨書をなるべく傷つけず,いかにして虫食い穴を埋め,表面を清掃するか,といったあたりとなります----さてそれでは。

  まずは表面板。写真だと何やらキレイに写るのですが,近くでじっくり見るとけっこうなもので。しかも,いつものような,たんにホコリがついたり,ヤシャ液が変色したというようなモノではなく,触ると少しベタついて,油っぽいというかヤニっぽく,今までに経験のないタイプのヨゴレです。

  まずはこれを落としましょう。


  墨書がありますので,もちろんいつものように Shinex に重曹水でゴシゴシ,というわけにはまいりません。
  策を案じます。
  キッチンペーパーで半月をのぞく板の表面をまんべんなく覆い,ハケでぬるま湯に重曹を溶いたものを染ませて,全体をラップでくるみます。

  このあたりの作業もいちおう,事情通各所にお伺いをたててからやってるわけですが。
  むかしの墨書というのは,けっこう丈夫なもので,耐水耐薬品,紙やすりでゴシりでもしない限り,ちょっとやそっとのことでは落ちないそうです----とわ聞いたものの。
  なにせこんなTVで見る壁画の修復みたいな作業,ハジメテやったもんで,さすがにどうなるかと不安でしたねえ。


  数時間おきにペーパーを換え,浮かび上がったヨゴレを,墨書を傷めないよう,脱脂綿で慎重に拭いとってゆきます。

  キッチンペーパー,一箱空になりました。

  ヤシャ液はけっこう上等なものだったようですが,かなり濃い目に塗られていたらしく,そこに積もったホコリとヨゴレで,脱脂綿をしぼると真黒な汁が出てきました。

  重曹はお台所でお茶碗の茶渋落しなんかにも使いますよね。月琴の面板の染めに使われるヤシャブシの主成分は,茶渋と同じタンニンです。今回の作業,要は桐板を漂白したみたいなもので。
  楽器内部は玉手箱,といつも言ってますが,作業が終わったら表面板が何やら白茶けてしまって----なんか浦島太郎がおじいさんになったみたいです。

  表面には墨書がありますんで。面板の虫食い穴の充填は基本,板の裏がわから行います。


  この楽器,側板が分厚い(2センチ以上もある)ので接着箇所が広いんですね。
  なもので,板の周縁部がまあ,こんなアリサマで。
  とはいえ,こういうのは裏がえすとふつうに見えますから,そのまま埋めりゃいいんですが。板の内部が食われているような箇所は,表面からは見えないので,そもそもどこにあるのか,またどのくらいのキズなのか,ふつうはまったく分かりません。

  ただ,その手の損傷は,今回のように板を濡らすと,やや色の濃いスジになって浮かび上がるので,清掃のとき細かくチェックしておきました。さらに表面にあいた虫の侵入穴から,細いハリガネなどで触診し,おおよその方向を確認しながら,裏からほじくります。

  大きな箇所は埋め木をしましたが,小さなミゾやグニャグニャに食われた場所には,楽器自体から出た虫食いの木粉や,ほじくったときに出た破片に木粉粘土と砥粉を混ぜ,ヤシャ液で練ったものをつめこみました。

  一つ一つ丁寧に。
  ただ指でなぞってつめこんだだけでは,板内部に空間が出来てしまいますからね。
  目安として,詰めものが虫の侵入穴から「ニョロン」と突き出てくるまで充填を続けます。


  向かって左端に一箇所,矧ぎ目にそって長く食い荒らされた部分があり,ほぼ貫通されていました。


  ここは一度分離させ,矧ぎ目両岸の半トンネルをそれぞれ充填し,矧ぎ面を整形してから,再度矧ぎなおしました。

  けっきょく虫食いの被害のほとんどは,周縁部の接着箇所で,縦筋で食われている箇所は思っていたよりも少なかったので,規模からいうと,ここがまあ,いちばんヒドい箇所でしたかね。


  この矧ぎ目は中心のあたりに,例の響き線を囲む構造の竹板が接着されており,そこのニカワが狙われたようです。
  竹板の下だったあたりが,特に酷く食われていてスカスカになってました。その部分は充填だけではちょっと問題があるので,やや大きくエグり,少し大きめに埋め木をしておきました。

  側板の接着箇所も埋めておきます。
  グニャグニャに食われまくってはいますが,板と違ってこちらには強度上の心配はありません。
  しかしこういうのをちゃんと埋めておかないと,面板の再接着に支障が出るでしょうし,接着剤のニカワが余計に入り込むことになるので,またぞろ虫に狙われる原因となりかねません。

  せっかく江戸時代からここまで来てくれた楽器です。
  まだまだ長生きして欲しいですものね。


  え~,一つ一つの工程にかなりの時間がかかったので,ほとんど表面板だけ,ここまでの作業で,2週間かそこらかかってますねえ。

  重曹水でかなりしつこく漂白清掃したもので,表面がずいぶん白っぽくなっちゃいましたが,墨書にはほとんどキズもつかなかったし,落款もカスレませんでした。

  虫食いも埋まり,分離した部材も矧ぎなおし。これにて表面板は,楽器の部品としてなんとか再使用可能な強度になりました。

  最大の難関-----突破ですっ!
  ここからはふつうの修理ですね。

(つづく)


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