13号柚多田(6)
![]() STEP5 スレ違いの日々 とにかく,この楽器の修理で何より気にかけたのは,「歴史的な証拠を損なわないように」という一点。 内外の墨書や,「江戸時代の楽器」である,と分かるような特徴にはなるべくキズをつけないようにして,楽器として使用可能な範囲で,補修・修理を行うことでございます。 そのため,庵主,今回はいつもより余計に「刃の下にココロと書く」修理をばしております…ああ,ギターとかむしょうにブチ壊したい,こふー。 石村さん,アナタも一世紀半以上この楽器に取り憑いているのなら,こんなヤツのところにきちゃダメです。 とわいえ,きちまったものはしょーがない。 さンざもてあそばしてもらいやすぜ,へっへっへ。 ![]() 軸が出来たところであと二つ,小物をこさえます。 まずは山口,ギターでいうところのトップナットですね。 オリジナルがどんなのだったかはまったく分かりませんが,今回は全体の色合いや雰囲気を考え,黄色のツゲで,さらに古い月琴で多い「富士山型」で作りましょう。 それにしても幅が36ミリと,ふつうの月琴よりかなり長いですね。 (通常は30ミリほど) ![]() ![]() ![]() 1~5フレットの位置には,後世の誰かさんがへっつけた「フレットもどき」(左画像)がついてましたが,6~8フレット(右画像)は竹製で加工も良く時代もあり,接着痕も一つ----おそらくこれらはオリジナルお部品だと思われます。 さて,フレットを作る段となり。あらためてそのオリジナルのフレットを観察していましたら,面白いことに気がつきました。 このフレット,糸に触れる頭の部分に竹の皮の部分を当てている----つまり,中国月琴のフレットと同じ作りになってます。 詳しくは拙記事「月琴フレットの作り方」などご覧いただきたいのですが,国産清楽月琴のフレットは,多く煤竹を用い片面に皮を残した簡単な作りのものが多いのです。 フレット頭に皮の部分を向ける,こうした中国月琴型の場合,フレットの高さのぶんの厚み(1センチ以上)をもつ,かなり太い竹材が必要になりますが,国産清楽月琴の型だと比較的細い竹でも作れるので,明治の大流行の大量生産期にそちらが主流になったと思われます。 さすが江戸時代の月琴,こんなところにまだ「唐渡り」時代の影響が残っているのですね。 このあたりも再現してあげたいのは山々なれど,しかし----手持ちの竹材に太目のがございません。 まあ,これも消耗品ですのでいいでしょう(何がだ?)。 とりあえず斗酒庵式で削らせていただきます。 ![]() さてこの楽器には,複数のフレット痕がついています。 上に触れた「フレットもどき」設置時のものと思われる痕をのぞいて,ですね。 最も古いのはおそらくこの虫食いのある部分だと思うのですが,そのほかにケガキ線やらヤスリの痕やらがありました。 最終的には例によって,現在のチューニングに合う,西洋音階に近い位置にしちゃうつもりですが,せっかくの江戸時代の楽器,まずこの楽器の「原音階」は知っておきたいところです。 そこでまあ,まずはふつうにフレット削りをしてったわけですが……… ![]() 高い。 洒落にならんぐらい,フレットが高いです。 おまけに第4フレットまで削って,ほとんど高さの差がありません。 オリジナルの第6~8フレットも,明治の月琴に比べるとかなり背の高いほうなのですが,それでも第8最終フレットの頭と糸との間には,6ミリ以上の空間ができています。 フレット頭と糸にこれだけの間が開くと,おそらくは糸を押えるだけで半音近く音があがってしまうでしょうし,音の出るところまで押し込むのに時間がかかるので,運指にもかなりの影響が出てしまいますね。 ![]() まあ,「江戸時代の楽器だから」と割り切ってしまうなら,そのままでもいいし,無理に糸に合わせず,オリジナルフレットの傾斜から,ほかのフレットの高さを割り出すことも出来なくはありませんが----そうした場合,少なくとも「ワタシの弾きたくない楽器」になってしまう可能性が大であります。 自慢じゃありませんが,10年やってる庵主が弾きこなせないなら,おそらくこの世の誰も弾けない,お飾りにしかならない楽器になってしまうでしょう。 庵主は正確なところでは「修復家」ではない,一月琴ファンとしてこの楽器を,ちゃんと楽器として弾いてみたいので,この際,実用のほうをとらせていただきましょう---- ![]() ![]() ![]() まずは半月に,ゲタを噛ませます。 この楽器の半月のポケットは,天井がアーチ型になってますので,ゲタはなんと,こんなカタチに…… さすがにハジメテ作るカタチでしたが,これにより半月のところで絃高を2ミリほど下げることができました。 さらに山口のほうも削って全体の絃高を下げます。 これで第1フレットの高さを1ミリくらい下げることが出来ました。 半月のゲタと山口を削ったおかげで,かなり絃高は下がったはずなのですが,それでもオリジナルのフレットの高さから推定される「作者の理想とした絃高」(17~19号の修理記事参照)より1ミリばかり高いですね。 これではやっぱりどうしようもないので,オリジナルの残っている6~8フレットも新作に交換することといたします。 前回こさえた軸も,このフレットも半月のゲタも,後ではずそうとおもえば容易に外してしまえる部品ですから,後世の修理者でこれにガマンのならないヒトがいたなら,どうぞひっぺがしてとっかえてやってくださいな。 ![]() じつはフレットが高くなっちゃうのには,そもそもの理由があります。 まずこの楽器の棹は,胴体表板の水平面より楽器前方に向かってわずかに傾いているのです。 このブログで何度も書いているように,フレットの低く弾きやすい月琴は,棹の指板面が山口のところで3ミリほど「楽器背面がわ」に傾いています。そのあたりがこの月琴という楽器の構造として理想的な設定なのですが,この楽器はそうなってないどころか,逆なわけですね。 ちなみに古物の月琴で,こうした棹の逆傾きはよくある不具合で,多い原因としてはまず 1)棹基部と茎の延長材との接着部の割レ があります。 もっとも,この13号は棹から茎までムクで出来ていますのでこれはナシですね。 ![]() ![]() 次に 2)茎自体の変形 というのもあります。 ----たしかに,13号の棹は弦楽器にするにはかなり柔らかい材料で作られているため,茎にはわずかに反りが見られますし,実際棹基部には棹の角度を調整するため,かなり色んなスペーサーが貼られています。 しかし製作後,長い年月のうちに部材に変形が生じたような場合,通常は胴体との接合部のところにスキマができるはずなのですが,この楽器の場合,そうしたスキマや棹と胴体との差込の不具合はほとんどありません。スペーサーも後世に貼られたものではなく,製作時からついていたもののようです。 どうやらこの原作者は月琴という楽器の,そういう製作上の定番みたいなものをあまり知らないで,この楽器を製作したようですね。 前回もちょっと触れましたが,この楽器の加工には何となく,作者が「月琴」という楽器に慣れていないまま作っている感じがあるんですね。部分部分の工作のウデはいいんですが,全体から見ると,何か足りなかったり,逆にただのムダだったりするチグハグな加工が目に付きます----これもその一端かと。 まあ逆に傾いてるとはいえ,山口のところで1ミリほどなので,半月のゲタと山口の削りで,ある程度は補正できてるはず。これだけで弾けないような楽器になることはありますまい。 ![]() ![]() ちょっと紆余曲折がありましたが,これでようやく,なんとかまともに音が出せる状態になったので,まずは原音階を調べてみました。上にも述べたとおり,第2~5フレットに関しましては,古いフレット痕が二箇所あるので,それぞれで測ってみています。 開放で4C/4Gのチューニング,誤差は±5%ほど。無印なのは虫食いのある古いフレット痕,( )の中はヤスリ痕のついた,新しいフレット痕によるものです。
全体にまあ,目新しいことは思ったほどなかったんですが,最終・第8フレットの音階がちょっと。 通常,このチューニングだと低音は5F,高音が6Cくらいのはずなんですが…1音,違ってますねえ。 ![]() ![]() 左がフレット痕から見た,最終フレットの原位置。そして正しい音階の出る場所をチューナーで探ってみますと,右画像の位置に---1センチ以上も動いちゃう---なるわけです。 さてしかし,これについては,江戸時代の清楽月琴の音階が明治のものとは違っていた,とかいうことではなく,この楽器特有のはっきりとした理由がべつにございます。 最初のほうでも述べたように,この楽器の原設定では絃高が高すぎるので,とくに高音域のフレットでは,糸をかなり押し込まないと音が出なかったはずです。そうすると,もともとの絃高,もともとのフレット高で最終フレットを押えた場合には,通常よりも半音ほど高くなってしまう----つまりオリジナルでは,まさに左画像の位置で「5F/6C」の音が出ていたんだと思いますね。 ただ,弦を押し込んでその音になってるわけですから,ギターでチョーキングをしてるのと同じような状態なわけで,高音域での音階は,かなり不安定なものだったでしょう。 明治の月琴も高音域でのフレット高が適当で,たいていそのままだと弾きづらいことが多いんですが,江戸時代の楽器でも同じようなものだったようですねえ。庵主の改修により,フレットと絃高の関係がかなり改善されてますので,現在は糸を一生懸命押し込まなくても,だいたいふつうに音が出るようになってますが,これがこの楽器にとって,良いことなのか悪いことなのか,はたまた余計な蛇足だったのか----考えないでもありませんが。 そのへんもまあ,後世の持ち主にでも判断してもらうことといたしましょう。 何十年か,百年後くらいに。 (つづく)
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