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明笛について(3)

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斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(3)

STEP3 明笛1~11号

  さてさて,庵主,音響学や音楽の専門家ではないので,実のところ,こういう場合,調査に必要なデータというのがどれだけあればいいのか,ちょいと見当もつきません。
  さらに集めたはいいのですが,その笛を吹きこなせるわけでもないので,各方面に呼びかけ,笛吹きどもに協力を要請したのですが,関東の笛吹きさんというのはシャイな人が多いらしく,ちょうどいい吹ける人がなかなか捕まってくれません。(ちなみに提示していた報酬は,吹いてもらった明笛。「何本でもやる!タダでやる!」 でした。)

  そこで----このところ月琴のWSの常連になってくれてた柳静さん(http://d.hatena.ne.jp/liusei/)が「吹けそう」と言ったのをサイワイとガッチリと捕獲し,ウムを言わさず十数本の笛をおしつけて,測定のほうをお願いしてしまいました。丸投げですね,よっこらしょ。

  じつに,この夏いっぱい,かかったそうですわ。
  柳静さん,ほんとに有難うございました。(^_^;)


  その後,庵主も夏の間けっこう修行し,調査に必要な程度すなわち「ドレミ」はなんとか確実に吹きこなせるようになりました。
  また,夏以降も明笛の落札ラッシュは続き,柳静さんの十数本ぶんのデータに,庵主の17号以降10本近くのデータを合わせて,けっこうな量となっております。

  月琴のほうは製作者の研究もあるていど進み,年代的な変遷なども分かってきましたが,明笛のほうは楽器自体からその作者や製作年代を知る方法が少なく,作られた年がはっきりと分かっているのは,今のところ1本だけです(後述)。今後はそちらの研究も進めて,音階や基音の変化と結びつけて考えたいところです。

  それでは,楽器のデータを見てゆきましょう。各笛のナンバーは購入順です。

  柳静さんには,前回紹介したような文献からとった10種類以上の運指表を渡し,それぞれについて実験し,記録してもらいました。
  運指のパターンは重複しているものが多いので,けっきょくのところ,同じ運指を一本の笛について10回以上吹いてもらったことになります。
  庵主としては,だいたいの音階のパターンがつかめれば良いため,ここに集計した結果も,一つの運指について頻出する音程をその音に決めるといったくらいのもので。さほどに正確なものではありません。
  各個の詳細なデータにつきましては,ご連絡くだされば提供いたしましょう。



明笛1号



 口 ●●●●●● 合/六 5C
 口 ●●●●●○ 四/五 5D
 口 ●●●●○○  5E-40
 口 ●●●○●○  5F
 口 ●●○○●○  5G
 口 ●○○○●○  5A
 口 ○●●○●○  5B
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)

  ほぼふつうの西洋音階,Eがやや下がるほかは,ドレミ笛と言って良いくらいの音階になっている。最初に購入した1本で,保存状態は良好。やや太めで吹きやすい。歌口の塗装がやや劣化していたので部分的に塗りなおし。


明笛4号



 口 ●●●●●● 合/六 5C-25
 口 ●●●●●○ 四/五 5C#-30
 口 ●●●●○○  5D+20
 口 ●●●○●○  5E-10
 口 ●●○○●○  5F#-10
 口 ●○○○●○  5G#±10
 口 ○●●○●○  5Ab±20

  2号・3号欠番。4号は長さが30センチほどと極めて短い笛だが,響孔の存在から明笛の一種と思われる。大正以降に作られた携帯用サイズの笛なのではないか。後述11号がこれとほぼ同じ寸法なので,さほど特別なものではなかったかと。
  指穴,歌口ともに小さく吹きづらい。全閉鎖が4B~5C,最高音がA#~Bbというように,音の安定もかなり悪いため,データはさほど信用できない。参考までに。

明笛7号



 口 ●●●●●● 合/六 4B+30
 口 ●●●●●○ 四/五 5C+10
 口 ●●●●○○  5D-40
 口 ●●●○●○  5Eb+25
 口 ●●○○●○  5F+10
 口 ●○○○●○  5G
 口 ○●●○●○  5A-30

  5号音が出ず,6号欠番。
  古い楽譜の口絵などで「明笛」「清笛」として見られるのは,このタイプの笛。国内で使われたものらしいことは確かだが,国産かどうか,また清楽に使用されたものかどうかも分からない。管内は塗られておらず,歌口の処理等も現在の中国笛子と変わらないため,戦前に輸入された中国笛子の古いものと考えたほうが妥当。巻きが一箇所破損していたのを補修。比較資料として。


明笛9号



 口 ●●●●●● 合/六 5C
 口 ●●●●●○ 四/五 5D
 口 ●●●●○○  5Eb+40
 口 ●●●○●○  5F+20
 口 ●●○○●○  5G
 口 ●○○○●○  5A+10
 口 ○●●○●○  5B-10

  8号未調査。9号は1号に似たタイプだが,くらべるとやや細い。保存良く音出しは容易。安定して音の出せる笛なので,データの信用性は高い。

明笛10号



 口 ●●●●●● 合/六 4B+30
 口 ●●●●●○ 四/五 5C#-10
 口 ●●●●○○  5D-15
 口 ●●●○●○  5F-25
 口 ●●○○●○  5F#-40
 口 ●○○○●○  5G#-30
 口 ○●●○●○  5A#

  美しくまた吹きやすい笛だった。低音から高音まで,安定して滑らかに音が出る。指穴側の下端に露切り孔はないものの,やや古いタイプの楽器と思われる。管頭の飾りの接合部にはめてあった象牙の輪が割れていたが,保存状態に問題はなし。表面の斑模様は,生来のものではなく薬品処理によるもの。管頭,管尻の飾りはカツラかホオの挽きものを染めたものと思われる。本体は皮無し竹だが,極めてつややかなので,表面は生漆で処理されているかもしれない。


明笛11号



 口 ●●●●●● 合/六 5C+25
 口 ●●●●●○ 四/五 5D+10
 口 ●●●●○○  5E
 口 ●●●○●○  5F#-15
 口 ●●○○●○  5G#-30
 口 ●○○○●○  5A#
 口 ○●●○●○  -

  最高音がうまく出ない。高音でやや安定を欠き「工」の指遣いはA#からBbの間で安定が多少悪い。4号と同サイズだが,4号よりはやや音は出る。習熟により吹きこなせるタイプかもしれない。データは参考例。管体には皮付き竹が使われており,中央にやや曲がりがある。管頭および管尻の飾りは唐木。加工の手が極めて近いため,4号と同じ作者によるものかもしれない。「児玉宗三郎所有」と書かれた麻袋に入っていた。




  ここでちょっと小休止。

  ここまでの例では,かなりイレギュラーなものまで買い入れてますね。
  「清楽の明笛の音階」としてデータ的に信用できるのは1,9,10号の3本だけでしょう。

  古物ですから,買ったものの音が出ないような例も多々ありました。
  管内は篠笛などでは漆塗りが定番ですが,なかにはベンガラを柿渋で溶いたようなものを塗ってある場合もありました。
  管内の塗りが劣化していたり,ヒビ割れが入っていたりした場合は補修しています。しかし庵主,月琴は長いこと扱ってきましたが,べつだん笛の修理家ではないですし,もともと大きな補修をした楽器は,オリジナルの状態との比較が出来ませんので,データ的には使って良いのかどうか……少し躊躇があります。

  修理の面白い一例として6号の修理過程を少しご紹介しましょう。6号は,一見1号や9号と同じタイプの笛ですが,長さが50センチ以上もある大物。タイプとしては古典的な形態の明笛に近いものだったと思いますが,管の背面が----


  ---とまあ,そりゃあ見事に割れておりました。おまけにご丁寧に「白い悪魔」による,ほぼ効果がなかったと思われる補修(?)のベットベト痕つきでありますこんちくしょう。


  この笛の頭の部分,管頭の飾りと歌口の間には,安い篠笛などと同じで紙のカタマリが詰めてあります。
  たいていは和紙か新聞紙ですが,修理のためこれをひっぱりだしてほぐしたところ,こんな紙が出てきました。

  一枚目はどこかの工事請負会社の書類のようです。各職工に渡す賃金の予算について書かれてるみたいですね。面白いのは木工や冶金工のほかに「潜水夫」というのが見えること。二枚目は新聞の切れ端。「大正十三年」と見えます。「炬を翳す人々」という小説のタイトルが見えます。これをもとにググったところ大阪朝日新聞で連載されたそうですから,この笛は関西で作られた可能性がありますね。さらにこの小説の前に連載されていた谷崎潤一郎の「痴人の愛」が連載中止になったのが同年の6月14日だそうですから,この笛はそれ以降の製造。
  明笛でだいたいの製造地や製造年が分かったのはこれがはじめて。爾来笛を買うと内側をのぞいて見てますが,今のところほかには例がありません。



  修理は,まず前補修者のボンドを除去するところからはじめ,つぎに内側に棒(\100屋の暖簾用ポールですね)を通してから,濡らした新聞紙で包んで一晩おいて。
  全体を湿らせ,竹をいくぶん柔らかくしたところで一度締め上げ,最大3ミリ以上も開いていたヒビ割れを若干矯正。
  乾燥したところで,すこし狭くなった割れ目にエポキを流し込んで再び固定。内外を整形し,内側をカシュー塗り,外側に籐巻きを施して完成させました。

  修理はキセキのように上手くゆき,この笛,音も出やすい楽器としては良いモノに仕上がったのですが,ここまでやっちゃいますとさすがに,元の状態からどこまで音が狂ってるやら分かりませんので,データは使用できませんわな。

(つづく)

明笛について(2)

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斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(2)
STEP2 明笛の運指について


  明笛は笛ですから,指で孔を押えて塞ぐことで音を変えるわけですね。
  むかしの独習本などでも,たいてい冒頭にはこの,「どこを押えるとどの音が出る」という一覧表が載っております。
  「運指表」というやつですね。
  しかしこれが,イザ調べて並べてみますと,同じ楽器,同じ音階のはずなのに,いくつかの種類があります。
  この違いは流派によるものなのか,笛自体がなんにゃら違うせいなのか,そのへんは文献からはうかがい知れませんがちと困りましたね……まあどの指遣いが「正しい」のか,などとは考えず,まずはいくつか幅をもって調査するのが肝要かとは思われます。

  手元にある資料でいちばん古い明笛の運指表は,明治10年の『清楽曲牌雅譜』(川副作十郎 波多野太郎『横浜市立大学紀要』「月琴音楽史略」影印所載)の口絵にあるものでしょうか。


 口 ●●●●●● 合/六
 口 ●●●●●○ 四/五
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○●○ 
 口 ●●○○●○ 
 口 ●○○○●○ 
 口 ○●●○●○ 
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)

  前回紹介した大塚寅蔵『明清楽独まなび』(M.42 上画像)など,これと同様の指譜が,たぶんいちばん多いのですが,『明笛清笛独習案内』(香露園主人 M.42)や,庵主がよく使う『明清楽之栞』(百足登 M.27)などでは----


 口 ●●●●●● 合/六
 口 ●●●●●○ 四/五
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○●○ 
 口 ●●○○●○ 
 口 ●○○○●○ 
 口 ○●●○●● 

  ----と,最高音「凡」の指譜の少し違っています。

  また,このほかに,楓橋散士の『月琴胡琴明笛独稽古』(M.34)をはじめ,


 口 ●●●●●● 
 口 ●●●●●○ 
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○○○ 
 口 ●●○○◎○ 
 口 ●○○○◎○ 
 口 ○◎○○◎○ 
 (◎は「笛を支えるため」指を添える)

  ----と,尺以下で右から二番目の孔を押えるのは「笛を支えるため」程度,としている例,さらに同じ年に出された後藤新吉の『明笛流行俗曲』など,もっと単純に----

 口 ●●●●●● 合/六
 口 ●●●●●○ 四/五
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○○○ 
 口 ●●○○○○ 
 口 ●○○○○○ 
 口 ○◎○○◎○ 

  ----と,最高音「凡」以外の音階は,単純に「右から順繰りに開けてゆくだけ」となっているものもけっこうあります。

  古い清楽の楽譜にある楽器図などでは,よく指穴のところに工尺符字がふってあって,それをそのまま表にするとこんな感じになるのでしょうが----これらの例では「凡」の音は,ほぼ「全開放」になるわけです。

  またさらに,伝統的な運指ではありませんが,長原春田(連山派長原梅園の息子)は『明笛和楽独習之栞』(M.39)で,独自の運指表を提案していおり----


 長原春田発明
  日本俗楽明笛吹奏手法
  但シ此笛ハ本来「長簫」ノ称アレドモ衆人指テ之ヲ明笛或ハ清笛トモ云フ故ニ今仮ニ此称ヲ用ユ

 口 ●●●●●●凡(ハン 一音)
 口 ●●●●●○合(ホヲ 一音)
 口 ●●●●○○四(スイ 半音)
 口 ●●●○●○乙(イイ 一音)
 口 ●●○○●○上(ジャン 一音)
 口 ●○●○●○尺メ(チェ 半音)
 口 ●○○○●○尺カ(一音)
 口 ○●●○●●工(コン 半音)
 口 ●●●●●●凡(ハン 一音)
 口 ●●●●●○六(リウ 一音)
 口 ●●●●○○五(ウ 半音)
 口 ●●●○●○イ乙(一音)
 口 ●●○○●○イ上(一音)
 口 ●○●○○○イ尺メ(半音)
 口 ●○○○●○イ尺カ(一音)
 口 ●○●●○○イ工(半音)
 口 ○●●○○○イ凡(一音)
 口 ●●○●●○イ六(一音)

  ----この全閉鎖を「凡」とするこの新式運指はある程度広まったらしく,『明笛尺八独習』(津田峰子 M.42)など,運指表が

 口 ●●●○●●合(ハイ)
 口 ●○○○●○四(スイ)
 口 ●●○○●○乙(イー)
 口 ●●●○●○上(ジャン)
 口 ●●●●○○尺(チェ)
 口 ●●●●●○工(コン)
 口 ●●●●●●凡(ハン)

  と,「凡」が全閉鎖になっている例がいくつかあります。

  大正時代に入ると清楽色が薄れ,明笛の楽譜にも清楽の曲がほとんどなくなります。さらに大正4年に出された『明笛教本』(ノボル楽友会)では,指穴を「半開け」して半音を出す方法が紹介されていて,運指表も


 口 ●●●●●● 
 口 ●●●●●◎ 2(半音)
 口 ●●●●●○ 
 口 ●●●●◎○ 3(半音)
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○●● 
 口 ●●◎○●● 5(半音)
 口 ●●○○●● 
 口 ●◎○○●● 6(半音)
 口 ●○○○●● 
 口 ◎○○○●● 7(半音)
 口 ○●○○●● 
 口 ●●●●●● 
 (◎は半開け)

  と,ちょいと複雑になっております。
  この本,なんせ「明笛の本」なのに冒頭にキーツの詩なんか載ってるくらいで,中国原産の笛がモボモガの間でどんなふうに吹かれてたか,ちょっと気になるところですね。

  ちなみにSOS団の練習などでは月琴をC/Gで調弦し,音階もほぼ西洋音階に近くしてやっているものですから,庵主はこれを吹くときは----

 口 ●●●●●● 
 口 ●●●●●○ 
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○●○ ファ
 口 ●●○●●● 合/六
 口 ●○○●●● 四/五
 口 ○●○●●● 
 口 ○●●●●● イ上

  という運指で吹いています。このパターンだと,高音域では右手のほうをぜんぶ塞いでおいたほうが音の安定がよく,低音域へ戻るときも,開放した場合より音が出しやすいのです。
  まあ,まだ庵主,たいした曲も出来ませんが。

  さて,これはともかく。

  音階を調査するうえで,どの運指表を採用するか,けっこう悩むところですな。
  つまり「凡」を全閉鎖とする新式譜をのぞくと,明笛の音階表では最高音「凡」に---

 1)口 ○●●○●○
 2)口 ○◎○○◎○
 3)口 ○●●○●●

  ----と,三種類の運指があるわけなのですね。

  しかし,実際に笛で吹き比べてみますと,この三種類。
  笛の出来により多少音の安定が違う程度で,音程的にはどれもほぼ変わりがないということが分かりました。
  また「半開け」ではなく「支える」となってる場合の「◎」の箇所も,軽く押えようが強く押えようがほとんど変化がありません。

  ----吹奏楽器てのは弦楽器より繊細なところもありますが,このへんはさすがに言ってしまえばただの「筒」,アバウトなんですねえ。

  各笛の試験では,現実には上に書いたようなさまざまな運指を試してもらっているのですが,今回の調査報告は「清楽の基音と基本音階」が主眼ですので,基本的に---

 口 ●●●●●● 合/六
 口 ●●●●●○ 四/五
 口 ●●●●○○ 
 口 ●●●○●○ 
 口 ●●○○●○ 
 口 ●○○○●○ 
 口 ○●●○●○ 

  という運指表をもっとも一般的なものとして,各笛音の比較をしていきたいと思います。

(つづく)

明笛について(1)

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斗酒庵 笛吹き踊る の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(1)


STEP1 INTRODUCTION

  さて,以前にもちょっと書いたかと思いますが。

  庵主は糸を「はじく」タイプの楽器なら,琵琶だろがラバブだろがウポロン星人の12本の触手で弾く楽器だろうが,そこそこ弾ける自信があるのですが,「絃をこする」楽器と「吹く」楽器に関しましては,天才的な不得手さを有しております。
  二胡のお教室では,三週間ほどで先生から見放され,吹くほうは小学校のリコーダーでトラウマって以来数十年……この二種類の楽器の演奏とは,宇宙壊滅のその日まで無縁ならむと堅く信じておりました。

  ----そういう人間が,笛を吹く,というのですから。
  よほどに追い込まれたものと,お考えください。


  民謡だと尺八,オーケストラだとオーボエ。
  音楽には合奏のさいにすべての楽器がその音に合わせて,おのおの調整をすることになっている楽器があります。
  「基音楽器」というものですね。

  清楽における「基音楽器」は「明笛」もしくは「清笛」。
  現在も中国音楽で使われている「笛子(ディーツ)」の仲間の横笛です。

  そのほかに「排簫」といって,各音の管を並べた巨大なチューニングパイプ,というか据え置き型パンフルートのような楽器があり,これを基音楽器のように書いている本もありますが,これは「雅楽」や「清国の音楽」でないほうの「清楽(せいがく--伝統的な宮廷音楽,儀式音楽)」の分野で,「宮」とか「角」といった調子を確認するために使われるもので。通俗音楽,いわゆるポップスである「清楽(しんがく)」とは,本来関係のない楽器です。


  明笛の指孔は6コ,さらに歌口と指孔の間に「響孔」という吹きも押えもしない孔が一つあいていて,ここに「笛膜」という薄い膜を貼り付けます。

  「笛膜」はアシの茎の内皮や,竹から採った「竹紙」と呼ばれる植物性の薄い皮で出来ていて,息が通るとここが震動する----つまりカズーやおもちゃのブーブー笛と同じ仕組みですね。この笛膜が管音と共鳴することによって,ちょっとカン高い倍音が重なって出るようになってるんですね。


  本によってはこの「響孔」のないものを「清笛」としていることもありますが,名前が違っても基本的には同じ楽器。

  今回は「明笛」に統一しますね。

  古い楽譜の口絵などにある「明笛」は,たいてい長くて,指孔や歌口の間が総籐巻きになっています。これだとほぼ現在の中国笛子と同じ形状ですが,ネオクなどでよく手に入る国産の「明笛」の多くは,籐巻きがなくて,もうすこし短く,象牙や骨材,唐木の類で作られた,ラッパ状の飾りが管頭と管尻についています。


  清楽という音楽分野や月琴がすたれた後も,明笛という楽器はしばらく人気があって,大正のころまでよく売れていたようです。そのため,さまざまなメーカーがこの手の笛を作っており,今はほとんど吹かれてなくても,かなりの数が残っていることでしょう。

  けっこう出てるし,そんなに高いものではないので,短期間にかなりの数を落としまくりました。
  半年あまりの間で集めた明笛は,時代も形も様々ながら20を越す本数に及びました----笛本業の方々,ごめんなさい。

  再現MIDIの作成,またそら庵でのWSなどで庵主は,清楽の音階を----

(乙)
3G3A(3B)4C4D4E4F4G4A4B

  ---で教えています。
  これは月琴を4C/4Gで調弦しているのに合わせているためです。
  また,上=Cとするこの調弦のほうが,教えるのにもラクだし,西洋楽器などと合わせるときにも都合が良いからなのですが,本来清楽の音階は上=EもしくはEb,これより3音ばかり高かったとされています。

  良く引用される大塚寅蔵の『明清楽独まなび』の表では----


合/六四/五
A#/BbD#/Eb

  ---となっていますね。

  音階,もしくは基音というものは,ある音楽分野を考えるとき,けっこう基本的かつ重要なテーマだと思うのですが,問題は,こういうことをちゃんと検証した資料が見当たらない,ということです。
  清楽の音階については上にも書いたように,この『明清楽独まなび』の表など,古い文献をそのまま引用したものが多く,楽器自体の調査から,これをきちんと確認したものがあまりありません。
  明笛においても,ある1本,2本の笛の音階や音響について簡単に調べたものはいくつかあるのですが,一つの音楽分野における「基本音階の調査」ということになりますと,庵主にはそれで済むようには思えません。

  大流行した清楽という音楽で,実際,どのような音階が用いられていたのか。
  基音楽器である明笛の調査をもとに,ある程度の幅をもったデータを作成しておくことが,清楽というすでに滅んでしまった音楽分野を研究する上で,またその曲を再現するうえでも,大切なことの一つだと考えます。

  とはいえ……………笛かァ。
  たいへんだあ。
  さいしょに書いたように,おいら吹けないんだもん(泣)。


(つづく)


清音斎の月琴(5)

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斗酒庵 清音斎と邂逅 の巻2011.10~ 清音斎の月琴 (5)

STEP5 絶望からキボウへと


  棹位置の調整は簡単な話,棹のほうを削るか穴のほうを削るかの二択しかないわけですね。
  誤差が1~2ミリ程度なら,棹基部を削ったほうがラクだし,外からは見えないので都合も良いのですが,本器のズレは5ミリ以上もあります。

  多少,見栄えに問題が出ますが,穴のほうを広げることにしましょう。

  楽器正面から見て,左方向に穴を広げ,そのぶん右側を埋めます。
  こういう部分ですから,ただ板を接着しただけでは,棹の抜き差しなどで取れちゃう可能性が高いので,左右を少し斜めに切り,埋め木にニカワを塗ってガッチリとハメ込みます。



  今回埋め込んだのはマグロ黒檀の端材。庵主,象牙とか唐木の欠片が捨てられない病気なので,道具箱引っ掻き回してたらちょうどいいサイズのが出てきました----こうしてたまさか,役に立っちゃうと,病はさらに硬膏に入ってしまうのですね。(w)

  一日たってから整形します。
  まあ,こんなものでしょうか。

  ちょっと分かりにくいかもしれませんが。
  画像右が調整前,左が調整後です。


  さて前回も書いたとおり,この棹は左右にズレてるだけじゃなく,前後にもねじれております。
  この棹穴はサイズ的にはもともと大きめユルユルなので,こちらの調整は簡単。
  正位置でぴったり収まるよう,基部にツキ板を貼るだけですね。

  ふう…これでようやく,左右にも前後にも,ブレはなくなったわけで。


  楽器側面は,高級唐木材のタガヤサン。しかしこの楽器のは品質的に少し問題のある材で,何箇所も節目などの不安定な箇所があり,そこから薄いヒビが入ったり,欠けたり,割れて少し歪んだりもしています。タガヤサンは唐木の中でも硬く,丈夫なことで知られていますが,乾燥がむずかしく「暴れる」ことでも有名。この側面の材質からくる割れや歪みは楽器のあちこちに微妙な影響を与えていて,面板の裂け割レの原因もこの側面が「暴れた」結果だと思われます。
  作られてからかなり経つので,さすがに材自体は現在ある程度安定しており,これ以上ヒドいことにはならないとは思いますが,素材が硬くて丈夫すぎるのと,接着が悪いこと,そしてこの「暴れる」という性質を考慮すると,いつものような木粉粘土や埋め木とニカワによる補修では,強度が足りません。



  ヒビがこれ以上広がらないようにするには,充填材自体に強力な接着力と,ある程度の粘りがあることが必要ですので,今回はローズやら黒檀の端材を削って木粉を作り,それをエポキシで練って充填します。アナクロな庵主としましては,古楽器の修理にこういうものをなるべく使いたくないのですが,箇所は小さいので,楽器全体へもそう悪影響はないでしょう。

  糸倉には基本,使用の支障となるようなキズはないのですが,一番上の軸穴のところに,穴をあけるときに失敗してついたと思われるキズがありましたので,これもついでに同じ方法で埋めちゃいます。


  さてお次。表面板に1箇所,裏面板に3箇所ほどヒビ割れがありますので,これを桐の埋め木で埋めます。
  もちろん使うのは,過去の修理で出た古い面板の端材です。

  上に書いたとおりこの面板の損傷の原因の一つは,側板の歪みや収縮ですが,前にも書いたように唐物の月琴の面板は国産のもので一般的な矧ぎ板ではなく,桐の一枚板
  こうした場合,矧ぎ板ならば板と板の合わせ目「矧ぎ目」からまっすぐ割れますが,一枚板だと板の「弱い部分」が,「割れる」というよりは「裂けて」しまいます。こうして出来たヒビ割れは,木理に沿っていて不定形・不連続なため埋め木が入れにくいですし,板としてはこの「裂けた」状態がある意味自然当然の安定した状態なので,補修してもまた元の状態に戻ってしまおうとすることが多く,厄介ですね。

  といってもまあ,埋め木で埋める,割れたらまた埋める,というほか方法はありやせん。


  表裏面板を掃除して,フレッティング。

  オリジナルと同じく,竹製です。唐物月琴のフレットは,国産の月琴のと違って,上から下まで,ほとんど同じ幅なんですね。
  この楽器の山口(トップナット)の高さは12ミリ,国産の清楽月琴の平均が9~10ミリくらいですから,かなり高めなんですね。
  古式月琴はだいたい山口が高く,フレットも全体に高めになっていることが多いんですが,さすが清音斎といいましょうか,棹をちゃんと背面に傾けてあり,半月もかなり低いので,第1~4フレットまでは高めですが,高音域の第5フレット以降はかなり低めにおさえられています。


  お飾りを戻しましょう。

  はずして裏っ返すまでは「唐木かな~カリンあたりを染めたやつかな~。」とか思ってたんですが……

  コレ,桐板ですね。くうぅ,またダマされた~っ!!

  桐板をただ刻んだにしては,彫りがずいぶんシャープですので,表面を何らかの手段で,ある程度固めてから彫ったみたいですね----でんぷん糊かな?柿渋かな?----その上から,スオウで染めてあるようなので,表面を固くしても染め汁は通すものじゃなくちゃいけません。さて,なんだったんでしょうね。こんど類例がないかどうか,古い技術書でも読み返してみましょう。

  絃停はもともとついてたのが,洗ったらこんなにキレイになりました。唐物ではとくにヘビ皮の絃停がふつうで,これは後補のものだと思いますが,趣味のいい図柄の裂なので,これをそのまま戻すことにします。

  あとは柱間飾りですね。はがすときにいくつか割れてしまいましたが,エポキで継いどきました。タガヤサンは接着の良くない素材なので,棹の部分のものは紐でしばって,圧着しています。


  師走も半ばの12月13日。
  明治清楽界で有名だった唐物のブランド「清音斎」の月琴---
  修理完了いたしました!



修理後感想

  ……弾きやすいです,とても。

  もとが「弾けるようなシロモノじゃなかったモノ」とは,まったく思えません。
  国産月琴に比べると一回り小さめですが,楽器自体のバランスもよく,演奏姿勢での安定も抜群。上でも書きましたが,低音域のフレットが高く,高音域が低い。その高さがけっこう絶妙で,運指も滑らか,快適に演奏できる楽器ですね。

  音は低音域から高音域最終フレットまで,伸びのあるキレイな音がちゃんと出ています。
  通常,弾かれたことのない楽器の音ってのは,固くて良くないものですが,この楽器のはなぜか,割とこなれた柔らかいイイ音になってますね。
  音色は華やか,温かみのある,ゆったりとしたうねりのかかった余韻,深みのある音です。
  胴体が重い木なので低音がよく伸びるし,響き線の効きも良好。

  なるほど,たしかに「清音斎」。
  「失敗作か?」 という今回のこの楽器にしてこのスペック。
  ちゃんとした完品は,如何なる妙音だったことか!

  ----珍しいんですよ。
  唐物ギライの庵主が,唐物の楽器,ここまで褒めるのは。

  いい楽器です。どうか末永く,とにかく「弾いてあげて」ください。

   1) 開放弦
   2) 音階(1)
   3) 音階(2)
   4) 九連環
   5) 茉莉花

(つづく)


清音斎の月琴(4)

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斗酒庵 清音斎と邂逅 の巻2011.10~ 清音斎の月琴 (4)

STEP4 絶望楽器


  この楽器,曲がってます。
  いや,「ズレてる」んですね。
  なにがって,棹が,楽器の中心線から。

  楽器として中心軸がブレてます。

  絶望したァ!!

  左の画像だと,まあ棹が「傾いてる」ぐらいにしか見えませんが,ちゃんと測ってみますと,棹の根元,棹をさす穴の位置が,楽器を正面から見て,中心線から右に5ミリ以上もズレてしまってるんですね。

  極端に描きますと,右図みたいになってる,ちゅうことです。(汗)


  うむ,明治清楽界のビックネーム「清音斎」。>
  どうしたことだ,こりゃ?


  あらためて各部調べてみますと,このほかにも,楽器としてヘンなところがいくつか見つかりました。


しょの1) 演奏痕が皆無。
  ぶつけたりしてできたようなキズはあるのですが,撥痕,演奏痕のようなものがまるで見つかりませんね。
  ふつうですと左画像のあたりに,撥先が当ってできた線や点があるものなのですが……ご覧のとおりまあキレイなもので。
  半月や山口にも「糸を張ったらついた」程度の,ごく浅く,薄いキズしかありません。


しょの2) お飾りの意匠が同じ。
  楽器中央の柱間飾りは7個,いちおう柱間ぜんぶが埋まってわけですが----よく見るとコレ,図柄が2種類(ザクロ2個,仏手柑5個)しかありません。しかも,そのうち2つ(左上,中央一番下)は,どうやら製作中に欠けてしまったのをちょっと手直しして再利用したモノのようです。
  しかし日焼け痕もちゃんとついてますし,材質も彫りの手も同じですから,古物屋がいろんな楽器から落ちたのをかき集めて適当に貼り付けた,とかではなく,ほぼ間違いなく,オリジナルのようなんですが。


  右は14号・玉華斎のお飾り一そろい。
  この例などはまだそれぞれ何なのか分かるくらいですが,意味のない抽象的な紋様みたいになってしまっているのも多いですね。おそらくもともとは,それぞれに何らかの意味をもつ,特定の吉祥図柄だったと思われます。
  ふつう柱間飾りは,このようにひとつひとつ違う意匠になっているもので,ぜんぶがほとんど同じってのはハジメテ見ましたね。

  中国で演奏に使われる月琴の面板には,日本の清楽月琴に見るような装飾はついていません。
  考えてみれば楽器としてはあたりまえで,サウンドホールもない楽器なわけですから,糸の振動の共鳴部,音の出処であるところのこの部分に。こういう余計なモノが付いているほうがおかしいわけです。
  馬琴の『耽奇漫録』や喜多村信節の『嬉遊笑覧』など,文化文政のころの随筆の記録にある唐渡りの月琴,また国産月琴でも,庵主のところの最長老,文久3年製の13号のような古いものには,ペイントや書はあっても,明治の月琴によく見るような,立体的な飾りは付いていないのです。

  月琴渡来の初期のころ,清朝の商人たちが自分で弾くために持ってきた楽器には,当然こういうものはついてなかったのだと思いますが,それが「商品」として輸入されるようになり,また当時の日本人の好みにも合ったのでしょう,高級感があり利益率の高い,装飾のついた楽器が大量に入ってきたのだと思います。
  中国では今も,月琴に満艦飾の装飾を付け,胴に「円満」とか書いたのをお祝い事の贈り物に使ったりしますが,そういうもののベースになる楽器はたいてい安物で,楽器としてギリギリな,雑な作りのものが多いんですね。

  しかし,高級なタガヤサンがけっこう惜しげもなく使われていることや,棹穴以外の各部の工作は基本的にしっかりしていること,響き線もきちんと仕込んであって調整されていることなどから考えると,この楽器はハナから単なる「お飾り」として製作されたものだとは思えません。しかしこんなふうに棹が曲がっていては,実際,音を「鳴らせ」はするけど,マトモに「演奏」は出来ませんわな----

  ゆえにこれは,「失敗作」を「お飾り」に転用したもの,ではないかと思われます。

  明治の初~中期のころ,天華斎と並び称されていた清音斎ブランドの楽器は,けっこう売れに売れたはずです。そうした大量生産のさ中,組み立ててみたら「あちゃ~」(いや,唐物だから「アイヤー!」だな,この場合)であったものを,そこらに余ってたお飾りを貼付けて「装飾品」として売っ払ってしまったのではないでしょうか。


  ちなみにこの清音斎,棹のズレは左右方向だけではありません。
  左をご覧ください。分かります?なんか斜めにねじれちゃってますよね。

  3Dでブレブレなわけですよ,この棹わ!

  前所有者か古物商の方が,棹穴にスペーサーの板を接着して調整しようとしてましたが,ただの平らな板でしたのでほとんど効果ナシ。糸をギンと張ると,棹が少しネジれてしまいます。

  日本の職人さんだと案外,こんな楽器は修整してから売るか,たたき壊して最初から無かったことにしちゃうんじゃないかと思うんですが……このへんにもなんだか,大陸的なおおらかさというか商売根性の違いが出てるような気がしますね(汗)。

  まあでも,たとえ「失敗作」だろうが「不良品」だろうが。
  「清音斎」は「清音斎」。
  100年以上前のブランド楽器。とにかく音が聞いてみたいものです。

  いっちょう努力してみることといたしましょう。

(つづく)


清音斎の月琴(3)

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斗酒庵 清音斎と邂逅 の巻2011.10~ 清音斎の月琴 (3)

STEP3 まずは軽めに朝食を

14号「玉華斎」軸(オリジナル)
  さてそれでは唐物「清音斎」,修理に入ります。
  まずは軸ですね。うちにきた時には,三味線の軸が三本ささっておりました。
  古式月琴の軸は,明治期の国産のものとくらべると先がやや太くて,六角形ではなく---こういう(右画像)形のものが多いようですね。中国の楽器には,今もこれと同じかもっと筋溝の多い握りのものが多く,日本の月琴や三味線のように角ばった握りのペグってのは,あまり見かけません。
  とはいえ,これも基本は六角形なので,加工の工程中,一度は普段作ってる軸と---


  同じものが出来上がります。国産の月琴の軸の主流が,角ばった六角形になったのは,けっきょくココまでするのが皆メンドくさくなったから,なんじゃないかとも思いますね。
  三味線の軸も角ばった六角形が一般的なので,使うほうも作るほうも,それに慣れてて問題がない。

  「たかが糸巻きに,なにもここまで手をかけなくてもいーんじゃね?」

  といったところでしょうか。


  弦楽器のペグ,というものはたいてい,ボディよりは硬い木,たとえば黒檀とか紫檀などで作られます。唐物月琴でも黒檀紫檀のほか,ツゲとか象牙とか,そういう材料が多いんですが,何度も書いているとおり,明治の国産清楽月琴では,ボディと同じホオやカツラ,あるいはクルミなどといった,加工の容易な材が多く使われています(ごく高級なものを除く)。
  また棹がカツラやホオである場合,それよりも硬い木材を,軸という非常に力のかかる部品に使うと,張力や音締の際の操作でかえって本体を損じてしまう可能性があります(庵主も修理やウサ琴の製作で何度かやらかしました)。
  この軸の加工も材質の差異も,月琴という比較的廉価な楽器において,メーカーがわがかけられる,コストや手間から自然そうなっていったものと考えるのが妥当かもしれません。

  清音斎の主材は「鉄のカタナの木」と書く「タガヤサン」。
  硬さでは唐木中でもイチバンとされる木材です。
  現状,糸倉に作業の支障となるような損傷も見られませんし,どんな材料でもOKってわけですね。


  とはいえ庵主のフトコロ具合および工房の装備から,黒檀・紫檀で軸を製作するってのはなかなかに難しい。
  ここはいつものとおりスダジイでいかせてもらいます。スダジイはドングリの仲間,木刀や工具につかう「カシ」などに近い木ですから,硬さ・丈夫さの面では問題ありません。雑木なので色がちょいと白っぽくてアレですが…

  染めてしまうとこの通り!(今回はとくに上手くいきました)


  「清音斎」,なくなってる部品はあと蓮頭とフレットですね。
  フレットのほうは最後でいいので,次は蓮頭といきましょう。
  今回もカツラの板を使います。図柄はコウモリですね。

  唐物月琴の蓮頭は,国産のそれと比べるとやや小さめで,厚みのあるものが多いですね。加工もやや荒めで,周縁に切り出したときの鋸跡が残ったままになっているようなこともありました。このあたりにも何というか,日中での気質というかコダワリ,美意識の違いみたいのが出てるのかもしれません。


  それに倣って(手抜きぢゃないよ!),すこし荒っぽくテキトウに作ってみました。表面もふだんはスベツルにするんですが,ヤスリ目を残してザラついた感じを出してみました。
  スオウで染めて,オハグロで媒染。
  力がかかったり,手がしょっちゅう触れる箇所でもないのでラックニスを色止め程度に擦りこんで仕上げてあります。

  さあ,次回からは楽器本体の修理に入ります。
  そこでしょーげきときょーがくのナニかが!

(つづく)


清音斎の月琴(2)

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斗酒庵 清音斎と邂逅 の巻2011.10~ 清音斎の月琴 (2)

STEP2 「清音斎」とわ?


  前回の「柏遊堂」さんには手がかりがなく,名前は分かったものの今もってどこの作家さんだか皆目見当がついておりません。   今回の楽器にもラベルがついてますが----さあ,どうでしょうね。文章の二行目のあたりにヒビが貫通していてほとんど読み解けませんし,そのほかにもあちこち欠けてしまってますが,近代的な銅板印刷のラベルなんで文字はハッキリしていて,ある程度推測できる箇所もあります。

  上に「清音斎」

  本号福省南関外
  洋頭街坐西朝東
  開張七代老店造
  文廟(楽)器各款各
  琴諸〓賜顧者〓
  認三〓〓(房)〓〓
  (〓は文字損で解読不能,( )は文字の一部が残るなどから推定できた箇所。)

  「わが店は福省の南関外の洋頭街に店舗をかまえる七代続く老舗。文廟楽器(雅楽器のこと)や琴各種取り揃え,さまざまなお客様よりご愛顧を賜っております云々」といった文面ですね。

L氏の月琴ラベル
  このラベルの文章の形式は,以前にてがけた天華斎の楽器(過去記事「L氏の月琴」参照)のそれと似ております。楽器自体は天華斎に倣った国産品だと思うんですが,ラベルは本物とあまり変わりがありませんでした。
  ちなみにその後手に入れたほかの楽器のラベルの資料なども参考に,今回あらためて読み直して見ますと,こちらの文章は----

  本舗住福省在〓〓〓
  茶亭街坐西朝東(制)
  造文廟楽(器)迷古(各)
  琴開張八代老舗(賜)
  顧者請認庶不致候

  「本店は福省(たぶんこちらも「南関外」)の茶亭街にあり,文廟楽器をはじめ各種楽器を製造して八代になる老舗,他店との質の違いご覧あれ。」となってました。


  さて,『明治閨秀美譚』(明25 左画像,クリックで拡大)という本によれば,清楽の二大流派のひとつ「大坂派」の連山の妹・長原梅園が,大坂派の清楽を東京に広めようと乗り込んで来たとき,携えてきた数々の名器中に「初代天華斎の月琴(逸雲・卓文君等の名器と同時に渡来したもの)」のほか「初代清音斎の提琴」というものがあったと書かれています。

  なるほど,この「清音斎」というのは,清楽流行当時,「天華斎」と同じくらいよく知られていたメーカーさん,斯界のビックネームだったようですね!

  ラベルの印刷や紙質,また木部の年経などから察して,さすがにこの楽器は,初代天華斎と同じ18世紀末の人とおぼしい「初代清音斎」の作だとは思えません。
  また「清音斎」の楽器,とくに月琴については,未だほかに例を見たことがないので,楽器自体のスタイルや加工から,これが本当に「清音斎」製のなのかどうかというあたりも正直分からないのですが,まずはとりあえず,これが本当の唐物,つまり中国で作られた楽器なのか。それとも「清音斎」の名を騙った,国産の倣製楽器かどうか,というあたりにから鑑定してみましょうか。

国産清楽月琴(21号)との比較 清音斎うなじ
  唐物の古式月琴のおもな特徴としては----

  1)棹が短い。 2)軸がやや太い。
  3)山口のところにふくらみがない。
  4)棹背面糸倉の付け根の,いわゆる「うなじ」が絶壁。
  5)上から下までフレットの幅の変化がほとんどない。

  といったことが挙げられます。このへんは,欠損している軸以外のところはすべて合格。
  そのほか,オリジナルのフレットは竹製ですが,その形も表皮部分を片面に残した国産型ではなく,両面を平らにした中国型(「月琴のフレットの作り方」参照)にちゃんとなっています。
  つぎに内桁も一枚。材質は桐。国産の月琴は二枚桁が多く,材もスギやヒノキといった針葉樹なんですね。

  そして面板。
  国産のものの多くは集成材の矧ぎ板ですが,唐物ではほとんどの場合,桐の一枚板が用いられます。

  「清音斎」の面板は見る限りにおいては表も裏も一枚板ですね。

  さらにマニアックなところでありますが「鋸目の違い」というのもあります。これは糸倉の弦池の内壁で見るのがいちばん分かりやすいですね。日本のノコギリは「引いて」切る「引き切り鋸」ですが,中国のノコギリは太い糸鋸のカタチをした「推し切り鋸」です。この道具の違いから,鋸目の角度や細かさに色んな違いが出てきます----つても,あ~ちょいと見たってふつうは分かりませんよ。

  「清音斎」の糸倉に残っている鋸目は,かなり幅がせまく,まっすぐで,細かい。
  おそらくは中国鋸の痕だと思われます。

  結論としましては,この「清音斎」,材質・加工の面からは「唐物」である可能性が高いです。

  「清音斎」の系を引くメーカーさんが今もあるのかどうかは,いろいろと調べてみましたが分かりませんでした。まあはじめに掲げたラベルには「店は老舗で七代目」というようなことが書かれてますから(つまり自分が「初代」だとは言ってないので),「清音斎」の名を継いだ人が過去にいたのは間違いないでしょう。もっとも,天華斎のラベルにも同じようなくだりがあって「八代目」になってますよね。清音斎のほうが一代新しいわけですが,天華斎もいちばん隆盛だった清末民初のころで,現実的にはまだ三代目だったそうですから,ま,どちらも信用はできませんね。

  さて,なにはともあれ。
  明治月琴界における二大ビックネームの一つ,「清音斎」製の楽器。
  ホントのところはどんな楽器やら。
  ウデが鳴りますポキポキと(あ,折れた…orz)。


(つづく)


清音斎の月琴(1)

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斗酒庵 清音斎と邂逅 の巻2011.10~ 清音斎の月琴 (1)

STEP1 竹光楽器やら名器やら

  こういうことをやってますと,ときおり「ウチの月琴を直しちゃくらまいか?」というハナシが飛び込んでまいります。
  庵主にとって楽器の修理は,商売じゃなく研究のためにやってることですが,作業自体はまあキラいじゃないし,自出し月琴と違って,乏しいフトコロをあまり傷めないでも,貴重な楽器のデータを得られるという利点もありますので,大体はお引き受けしとるのですが。最近はたまーにその,「修理して欲しい」てのが中国現代月琴だったりすることもあります。

  作ったヒトがまだ生きてる類の楽器は,買った楽器屋さんで直してもらってくださいぃ。
  ウチは現在「とおに死んじゃってる」ヒトの楽器しか扱っておりませんので……
  (こう書くと,何だかホラー小説みたいですなあ)

  夏前にお話がありまして。
  いっちょうやってくれんかとのことで,ためしに画像を送ってもらったら清楽月琴。それも2面あるごようす。
  夏は実家に帰省しておりまして修理はできんので,秋まで待っていただき,帰京してさっそくに送ってもらいました。

  難波から来た刺客,その名は「清音斎」。
  たぶんこの楽器がきっかけになったのでしょう。じつはこの後…ほんとに怪奇なる連鎖が!(COMING SOON!)


  えー,ともあれまずは写真を。

  右のが「清音斎」。
  間違いなく清楽月琴。庵主が言うところの「古式月琴」というタイプですね。
  唐渡り・古渡りの,つまり本物の古い中国製である場合もありますが,模倣されて日本で作られたものも少なくありませんからね---この楽器がどちらかは,ちゃんと調べてみないと分かりません。


  さて,もう一本なんですが………

  あれ? なんだコレ。
  目摂やお飾りはついてないものの,カタチはたしかに古式月琴なんですがねえ。
  妙に軽い----わぁ!なんだこのボディわっ!
  これ…曲げわっぱですね。ここにつなぎ目が…
  棹も杉かヒノキか,針葉樹で出来てますヨ。


  そしてナニヨリあなた,この半月をご覧ください!!

  ううううううむ…(汗)

  板二枚を合わせて半月にする,というあたりは庵主もウサ琴でやってる工作ですが,表面の板の分厚いこと…こりゃカマボコ板か何かだなー。そのうえに,糸穴が…糸穴が……こりゃ,いくらなんでもな半月ですね~(~_~;)


  内部構造は一本桁,響き線は入っていません。表裏の板もちゃんと桐板ですし,半月のとこをのぞくと各部の加工は意外と丁寧。棹茎なんかもキレイに削ってあります。茎と胴体の棹穴のところに「進」と書いてありますね,作者でしょうか?
  糸巻きは三味線の,おそらく細棹のものだと思われますが,糸倉の軸孔ともちゃんと噛みあってますね。
  また,この原作者・進ちゃんのシワザかどうかは不明ですが,けっこう凝った蓮頭が付いてるほか,フレットが無駄に唐木で出来ています。

  この素材と各部の工作強度,また半月のずさんな工作,さらには表面板に演奏痕が見られないなどのことからして,これが楽器として使用されていたものである可能性はかなり低い…というか,まずムリ(たぶん弦張ったらコワれます)なのですが。じゃ単なる子供用の「おもちゃ」とかかというと,それにしてはうわべ上,ヘンにキッチリと作られています----言い訳じゃないすが,なんせ庵主も送ってもらった画像見て「間違いなく清楽月琴」って,即断しちゃったくらいですから。
  おそらく,なんですが,これは芝居に使う小道具か,お店のディスプレイ用カンバンとして作られたモノなんじゃないかなと思います。


  とはいえ,木部の状態からみて,最近のここ10年,20年どころのシロモノでないことは間違いありません。
  日本で「月琴」というものが現に流行していたか,まだその記憶が多くの人のなかにちゃんと残っていたころに作られたものであることも,間違いないところでしょう。

  楽器ではありませんでしたが,逆にこういうものが作られるくらい,かつては月琴という楽器が人々の間に浸透していたという,ごくごく珍しい一資料なのではないかと----

  ふむ。ひさしぶりにおツムが焼けるくらい推理して,知的好奇心が満たされたぞ。
  ではこちらが本命。「清音斎」のデータ,ご覧ください。



1.採寸・各部簡見
 ・全長:593mm
 ・胴径:349mm(縦方向)345mm(横方向) 胴厚:38mm 表裏面板厚:5~6mm(一部不定)
 ・有効弦長:393mm

A)棹部分


 ■ 蓮頭:欠損。
 ■ 糸倉部:損傷なし。
  長:117 幅:30 側面厚:7
  天のところに同材の間木をはさむ。古式月琴としてはアールもさほどにキツくなく,奥行きも広くはない。
  デザインとしてはコンパクトにまとまっている。右側面いちばん上の軸穴の周縁に,軸孔を穿つときの失敗痕と見られるカケがあるのと,左側面の基部あたりに小さなエグレ痕があるが,ヒビ割れ等はなく,健全である。


 ■ 軸:全損。
  太棹のものと思われる,かなり大ぶりな糸巻きが3本ささっている。

 ■ 山口
  山口(トップナット)存。やや左に傾いて取付けられている。古式月琴に多い背の高い台形。幅は底辺で30,天頂で20,厚み10,高さは12。



  棹表面に指板はない。棹上に残っているフレットは1本。竹製。オリジナルかどうかは不明。ほか2本ぶんの接着痕が見られる。14号玉華斎などと比べると,棹部はやや短く,第3フレットの位置も少しだけ低い。棹上の装飾は3つ残。
  材はかなり上質な鉄刀木(タガヤサン)と思われる。棹背面にアールなどはついておらず,糸倉の基部から左右を丸く削いだほかはほぼ直線。素材がきわめて堅いためか,完全には表面が滑らかになっていない箇所は見られるが,工作は比較的丁寧。糸倉内側の工作痕は細かく,日本でよく使われる唐木切りの小鋸よりは,糸鋸式の中国風推し切り鋸の痕のように見受けられる。


B)胴体部分


 ■ 側板。
  凸凹を噛ませた4枚継ぎ。材はおそらく棹と同じ鉄刀木。数箇所に小さな節目や欠けた穴があり,それを中心に細い亀裂の入っている箇所がある。接合部はだいたい健全で,目立った隙間も見られないが,地の側板,正面から見て左側の接合部に少々の歪みが見られ,凸の先がほんの少し出っ張っている。


 ■ 表面板。
  確証はできないが,おそらく一枚板。右側に大きな木目が「谷」になって見える。今まで見てきた例では,楽器正面から見たとき「山」に見えるように貼付けたもののほうが多い。木目が逆になっているわけで,これは少し珍しい。左下,歪みの見られる地の側板の接合部付近からヒビ一本。そのほか周縁部に多少の打痕があるほか,目だった損傷はない。バチ痕等の演奏痕もまったく見られず,楽器として使用された形跡は見当たらない。


 ■ 裏面板。
  表面板に比べるとかなり質の劣る桐板。これもおそらく一枚板だが,木目もはっきりとせず,気胞も荒め,表面にやや波打っているかのような凹凸があり,厚みが不規則で一定していない。おそらくはかなり木の表皮側に近い部分から取られた板だと思われる。
  上端中央やや右寄りにラベル(後述)。ラベル左,斜め上に墨書。おそらく作者のサインだが,板の変色によりはっきりとは読み取れない。
  下端中央から,ラベルの右がわを貫いて上端まで大きなヒビ割レ。下端で最大幅2ミリほど開く。上端中央左より下へ,胴の2/3強まで,同じくヒビ割レ。最大1.5mmほど。いづれも矧ぎ板で見られる単純な「割れ」ではなく,木部の弱いところから「裂けた」ものなので,やや不規則で断続的。左端下端より細いヒビ割れ,表面からは一見分からないほど細いが,木口の木目に沿って斜めに板を貫通。長さは上端近くまで10センチほど。
  打痕多少,下端,地の側板との周縁に接着のハガレ。同じ周辺にやや水濡れしたような染み痕と黒っぽい変色ヨゴレ。


 ■ 絃停/半月。
  絃停は錦裂。後補であろう。名称は不明だがそこそこに良い裂のようである。和紙で裏打ちしてあるらしい。
  半月は半円曲面。透かし彫りでこそないが,表面の彫りは緻密。おそらく胴などと同材であろう。横幅94,縦最大40。丈は最大で8ミリとかなり低い。糸孔の間隔は外弦間30,内弦間22,内外の弦間は約5ミリ。多少の糸擦れは見られるものの,目立った損傷はない。


 ■ 装飾:左右目摂・扇飾り・柱間飾り/胴上フレット。
  左右目摂は鸞。かなり厚めの板で出来ている。唐木か雑木を染めたものかは不明。
  扇飾りは日本でもよく見られる万帯型の意匠。中央に円形飾りのあったような痕跡は,今のところ見当たらない。
  柱間飾りは棹上のものも合わせて,すべて同じ色合いの凍石製。柱間飾りの意匠は通常それぞれ異なっているものだが,この楽器ににはザクロ(5)と仏手柑(2)の二種類しかない。
  フレットは5本のうち,第4フレットをのぞく4本が残る。第4フレットの跡の面板上に,少し深めの圧着痕が残る。フレットはいづれも竹製。横から見て台形の中国型。ただし斗酒庵式と同じく,楽器天頂に皮部を向けて両面を削ってある。かなり汚れてはいるが,工作は丁寧で,古式月琴にしては丈がかなり低い(最終フレットで高さ4ミリほど)。後補かオリジナルかは不明。


C)内部構造

  面板は剥がしていないので,棹穴からの観察である。側板内壁はおおよそ平滑で,鋸目は細かく,やや斜めに見える。内部は比較的清浄で,逆さにして振ったところ,製造時のものと思われるオガクズが少々出てきた。




 ■ 棹基部/棹茎。
  長:193,最大幅:30,先端で最小幅:13。
  棹基部のV字切れ込みに,針葉樹の延長材を挿す。
  表面的な加工は丁寧だが,棹基部が,先端から見て棹の指板面に対し左方向に傾いて切られており,安定は最悪である。
  前修理者は棹穴にスペーサーを噛ませ,さらにこの棹基部に接着剤を塗って,これを定位置に固定しようとしたようだが,接着しようとした面の片方が,そもそも斜めに傾いていたことと,タガヤサンの糊づきの悪さから,結局は失敗に終わったようだ。接着剤をなすりつけた痕跡が,棹基部表面板がわに残っている。

 ■ 棹穴。
  表面板がわに前修理者によるものとおぼしい,接着剤の付着痕。前述の通り,穴内部表面板がわにベニヤ板か厚紙と思われるスペーサーが接着されている。

 ■ 内桁。
  1枚。胴体のほぼ中心,棹穴上端より168mmのところに位置する。材質はおそらく桐。棹茎を受ける穴の1センチほど横にもう一つ,失敗して埋めたかと思われる同じような四角い穴の痕がある。右端に響き線の通る木葉状の音孔があいている。桁の固定方法もはっきりとは分からないが,この響き線の音孔の右端が切れて二股になって見えることから,溝を切っての埋め込みである可能性が高い。

 ■ 響き線。
  やや太めの鋼線1本。楽器正面から見て,右の肩口を基部とする長い弧線。観察範囲の制限から,その先端が楽器内部をどのくらいまでめぐっているのか,はっきりと視認は出来ないが。楽器を揺らしたり,面板をタッピングするなどしたところから,おそらく1/2周以上はしているもよう。表面に少しサビは見えるが,反応は良く,ほぼ健全。

  内部構造の概観をふくめた調査図は左。
  クリックで別窓が開いて拡大します。


(つづく)


21号柏遊堂(4)

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斗酒庵 柏遊堂と遊ぶ の巻2011.10~ 月琴21号・柏遊堂 (4)

STEP5 理想と妄想のカプリッチオ


  さて,21号ケロちゃん(いまつけた),修理もラスト・スパート。

  今回同時作業で修理している2面は,どちらも棹の取付が,楽器の中心線からズレてたり傾いてたりしてるという不思議な暗合がありまして,この21号でも,補作の棹の基部の調整に,多少手間取りました。

  いやナニ,まっすぐになるように,あちこちコリコリ削ったり,スペーサーを貼りつけたり程度ですが。


  上,右の画像で胴体の棹のささってるとこの横が白くなってますよね。けっきょく,元の位置からこれだけズラしました。けっこうなものです。この日焼け痕からも分かるように,このズレは後の修理とか部材の歪みとかによるものではなく,原作者の組上げ時の加工ミスだと思われます(コラっ! to 向うの世界)

  調整の結果,棹はほぼオリジナルとほぼ同じく,山口(トップナット)のところで,胴体の水平面から約2ミリ背面側に傾いているという,この楽器としては理想的な位置に落ち着きました(もちろん楽器の中心線にも合ってます)。


  欠損していた山口も,ツゲで作りました。
  高さ約9ミリは,この類の楽器でのほぼ平均値。明治後期になるほど西洋の弦楽器とかの影響でしょうか,やや低めになってゆきますので,こんなところでしょう。

  さて,あとは糸を張ってフレッティングするだけ。
  オリジナルのフレットは,第3フレットを1枚欠いただけで,あとはほとんどキズもなく残ってますからコレを使いましょう。新しいのを削らなくて済むからラクだなあ………と,思ってたんですが。


  低い………低すぎる!

  いや,絃高が,じゃないです…フレットのほうが。(汗)

  第1フレットでフレットの頭から糸までの間が3ミリ,第6フレットでは5ミリ以上も開いております。
  半月はオリジナルのままですし,山口も過去の例から見て,これ以上高くても低いことはまずない,というくらいの背丈。ですので絃高はオリジナルと大した違いにならないハズなのですが……


  しょうがない,ということで。まずはいつもの手,半月にゲタ(竹製のスペーサー)を噛ませてみました。
  フレットと糸とのスキマがけっこうあったので,このゲタもふだんよりやや厚めにして,半月での糸の出る位置を1.5ミリほど下げるのに成功したんですが。

  ……なんと,これでもまだぜんぜんです!

  今年のはじめごろ,17~18号の修理のときにも書きましたが。
  この月琴という楽器では,けっこうな数を量産するため,あらかじめ同じ寸法で同じ部品を多量に作っておいて,それを後で組み合わせる,という,流れ作業的な工法が使われていたようです。東京でも京阪でも,零細な楽器屋さんならば,そうした数打ちの部品を一人で組上げていったと思いますが,唐木屋・清琴斎山田・高井柏葉堂といった「大手」といえる店の楽器では,あきらかに複数人の手が入っているものも珍しくはありません。
  いまもそうですが,邦楽器の職人さんはあまり「図面」を引きませんので,こうした場合はまず指標となる試作品なり「お手本」となる作品を一本作って,ほかはそれに合わせて組上げてゆくという方法が一般的だと考えられます。
  試作品はとうぜん時間をかけて丁寧に作られますから,その寸法やフォルムや演奏感には作者のある意味「理想」が反映されてるはずですが,楽器は「木」という生き物を材料としていますので,たとえ名人級の職工をそろえたとしても,もともと「寸分違わぬ」ものを作り続けるということは基本的に不可能。
  人の手で同じものをくりかえし作ってゆけば,精度の劣化は避けられず,組上げられた楽器は,まずもってお手本どおりには仕上がりません。そのためこうして,定寸で作られたフレットが,実際の絃高よりかなり低くなっちゃうようなことがしばしばあるんですね。

  ----ああ。いまもむかしも「理想」というものは,しょせん高みにあってとどかぬもの,手をかけれど,地上に留められぬものなのでせうか!(詩人)


  ま,それはともかく。

  21号「柏遊堂」,作者はいまだ不明ですが,この絃高とフレットとの距離は,もはや「理想」というよりは「妄想」の領域ですね。
  とくに高音部----ゲタを噛ませてこんなだということは,オリジナル状態では音が不安定になるくらい押し込まないとならなかったことでしょう。

  あくまでもこのオリジナルのフレット高に合わせるとするなら,あとは半月を半分ぐらいの高さに削っちゃうとかでもしないとなりません。ここまできてそれも大事ですので,オリジナルのフレットを使うのはあきらめ,この楽器に合わせたのを,新たに削ることといたしましょう。
  上が絃高に合わせた竹フレット,下がオリジナルです。

  ほれぃ!理想とゲンジツの落差,思い知りませっ!


  フレットはヤシャブシで黄色く染めてから油拭き。お飾りはスオウで染め直して,こちらも亜麻仁油でさっと拭きなおし----清掃した面板の白さに,黄色と黒のコントラストが映えますねえ。

  2011年,12月12日。自出し月琴21号,修理完了いたしました!


修理後感想


  問題となった絃高はオリジナルの理想が低すぎるだけで,清楽月琴としてはふつうの高さですし,それに合わせて新しくフレットを削りましたので,操作上の問題はありません。
  試奏の折,低音絃の1~2フレットあたりで多少ビビりが出たのでちょっと削り直しました。庵主はいつもギリギリの高さでフレットを削るので,よくあるんですよ。
  糸巻きはオリジナルですが,高音域の内絃と低音の外絃のがちょっと調整しにくい気がしますが,松脂でもつければ直るでしょう。

  元来が普及品クラスの楽器なので,素材が軽くてやや安定が悪いのと,音がくっきりと出るぶん余韻の深みとやらに多少欠けるところはありますが,もとの所有者が,かなり使い込んでることからも分かる通り,いかにも使いやすそうな楽器です。

  洪水もあったし大震災もあったし原子炉もコワれたし,今年はホントにタイヘンな一年でありましたが,この楽器の修理中もなぜか雨の多い,関東の冬にしてはヘンな気候でありました。こいつが呼んだのかな?とも思いましたので,正式な銘は「雨師」,愛称は「ケロちゃん」(守矢神社へ行くがよい!)
  オリジナルでは,ヘビ皮の絃停がついていたのですが,これを付けてしまったので錦裂のに取換えました。
  いや,いくらなんでもカエルの下にヘビってのは可哀そうでしょう。

  この蓮頭のケロちゃん。気に入っているのでなくさないでくださいね。


   1) 開放弦
   2) 音階(1)
   3) 音階(2)
   4) 九連環
   5) 茉莉花

(おわり)


21号柏遊堂(3)

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斗酒庵 柏遊堂と遊ぶ の巻2011.10~ 月琴21号・柏遊堂 (3)

STEP4 カエルの出てきた日

  もー自出し楽器だけで20本越えてるんですから,修理も諸事サクサクっとまいります。
  これだけやって進歩…せめて作業効率やら速度やらの向上ってもンでもなけりゃ,そりゃアナタ,ナニってもんで。
  とはいえ,大量生産されてたクセに,一本一本同じものがないですからね,この楽器は。


  自作楽器・ウサ琴の実験製作で培ったいろんなワザで,新しい棹を作ってゆきます。

  前回書いたとおり,補作の棹の本体は,カツラとサクラの韻を踏んだ3ピース。そこに強度補強も兼ねて,ちょっと厚めの黒檀の指板を貼ってあります。材質や工法こそ異なりますが,寸法やカタチは,なるべくオリジナルどおり,ってことで。

  さあて,カタチが出来たら,お次は染めです。
  まずは棹の表面を丁寧に磨きます。#240で粗磨き,#400でヤスリ目をとり,#400と#1500相当のShinexで仕上げ----曲面が多いから Shinex 大活躍ですね。
  スオウを2回,重曹を1回刷くと,おひさしぶり,3倍速い人のザ○色になりました。
  これにオハグロ液を刷いて----リック○ムっぽい紫茶に。


  今回は塗膜を作らず,カシューで色止めを兼ねた刷り漆風に仕上げます。
  全体を刷毛で塗っては,布で木地にすりこむように。
  一日~二日おきに3度ほど重ねました。

  塗り終わったところで二週間ほど乾燥させます。


  棹の塗装の養生のあいだに,ボディの修理をしてしまいましょう。
  ----といっても,今回はやること少ないんですが。
  目立つヒビ割れは3箇所。表に2箇所,裏に1箇所。
  裏板のヒビ……というかおそらくこれ,前々修理者(オリジナルの糸倉を修理した人)が,剥離した裏板を貼り直した際に出来たスキマなのじゃないかと思われます。側板が変形し,裏板が痩せて縮んだぶんが,埋められないスキマになっちゃったんでしょうね。

  桐板を薄く切って,カンナで整形,はめこみます。
  先っちょのせまい部分には,埋め木を削る作業で出たカンナ屑なんかも埋め込みます。
  埋め木は薄いので,先にニカワを塗ってしまうとフニャフニャになって,そのあとの作業がしにくくなってしまいます。
  そこでまずは埋めこんでから,その左右に薄く溶いたニカワを筆で刷き,指先で板を指圧するように揉んで,ニカワをヒビ全体に行き渡らせます。
  余分なニカワは染みになるので,乾いたウェス等でこまめに拭き取りながら作業をしましょうね。

  ヒビ割れは完全にまっすぐではないので,埋め木の左右にできた細かいスキマには,木粉粘土を粉状態で撒き,アートナイフの先などで埋め込みます。

  翌日,カンナとペーパーで整形して終了。
  表面板の上下2箇所のヒビはごく薄く,さほどの影響もなさそうなので今回は無視します。


  表面板の,ヘビ皮の絃停が貼ってあったあたりに数箇所,虫食い痕があります。
  数も少なく範囲的には広がりはないのですが,それそこ目立つし,次の作業の支障にもなるので,木粉粘土をヤシャ液で練ったので充填しておきます。こちらも翌日,乾燥したところで整形。
  うちの部屋には,いろんな木片にペーパーを両面テープで貼ったのが,いくつも転がってます。
  こういうときベンリなんですよ。(w)

  半月は,糸の出るところの右端にあったカケを埋め,ベンガラで補彩。
  亜麻仁油で磨いておきます----もー分かりませんね。


  スキマや穴ぽこも埋まりましたので,清掃清掃~。
  いつものように,ぬるま湯に重曹を溶かし込んだのに Shinex を浸してコシコシと……


  濡れると板の矧ぎ目が数えやすくなります。この楽器では裏表に同じ板が使われてます。いえ,正確に言うと,長い板の上下からそれぞれの面板が切り出されているってところでしょうか。
  ----裏板の真ん中の下のほうに,同じ節目が二つ並んでるところがありますよね。この部分の木目をたどってゆくと,ちょうどつながるような木目が,表板の同じあたりに現れています。
  矧ぎは多いほうですが,比較的目の詰んだ堅い板が使われています。

  使い込まれた楽器らしく,表面板の真ん中あたりには,無数のバチ痕が浮かび上がってきました。


  さて,蓮頭を作ります。
  オリジナルの棹についていた猫足様の物体は,もちろん前修理者の補作。もともとどんなものがついていたのかは,同じ作者の類例も見当たらないため不明ですが,材質や作りから考えて,そんなに凝ったものではなかったでしょう----たぶん線刻の宝珠か,簡単な透かし彫りの蓮華,あるいはコウモリあたりだったのではないでしょうか。

  今回は棹自体が自作の補作ですからね,ちょっと遊ばせてもらいましょう。


  まずは凍石を刻みます。
  画材屋さんの大きなとことか書道用品屋さんで買える落款・印材用の石ですね。月琴のお飾りにもよく使われています。
  宝飾用の精密糸鋸でサクサクサクっと。だいたいのカタチに切り抜いたら,両面テープで手ごろな板の端っこに固定して,カリカリソリソリ……庵主が整形に使っているのは,篆刻用の印刀ってやつですが,\100の彫刻刀とかプラモ用のヤスリなんかでもカンタンに削れますよ。
  できたら Shinex に水をふくませたので磨いて…っと。

  げこ。


  蓮頭の本体はごくごくシンプルなデザイン。線彫っただけだもんなー。
  そして,ここにこーいうふうに乗っかります。

  げこげこ。

  塗装もシンプルに。ヤシャ液に少しスオウ汁を混ぜ,色を濃くしたもので染めて,油拭き。
  乾いたところで,ゲコちゃんを接着します。簡単に取れたらヤなので,接着箇所をヤスリで少し平らにし,ちょっと圧をかけて接着しました。

  蓮頭本体は,二回目の油拭きの際,炭粉と砥粉を油で溶いたのをなすりつけてあります。
  ゲコちゃんのほうは,仕上げのときに,あたためたオハグロ液をくぐらせてから磨き上げ,細かい凹みに黒っぽいシミをつけます。
  いづれも古色付けの手段としては常套。

  恒例,貴重なデータをくれた楽器さんの未来へ贈るささやかなるプレゼント。
  今回は,こんなところでどうでしょう?

(つづく)


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