22号鶴寿堂2(3)/13号・柚多田の作者について
![]() 月琴22号・鶴寿堂 墨書再考 えー,番組の途中ですが臨時ニュースを二つばかり。 まずは現在修理中,22号の墨書について ![]() ![]() ![]() なるほど「花裏六」は「訶梨勒」か……あ,いや面板の墨書にあったナゾのコトバなんですけどね。 表裏面板の墨書に共通してあるこの「花裏六」というコトバの意味が不明で,全体がどういう文章なのかよく分かりませんでした。 「"花の裏に六" って何じゃい!」 ---と叫んでたら,むかしお世話になった坊さん(いっしょにマムシグサのイモ団子食ったことのある本草仲間)が 「かりろく,って読むんじゃね?」 と一言。 ![]() ----調べたら,まあ出てきましたわ出てきましたわ。 「訶梨勒」もしくは「呵梨勒」はインド原産のシクンシ科の植物ミロバランの果実で,薬・香料として使われたものらしいです。 匂袋に飾り紐をつけて柱にぶらさげるお飾り(お守りみたいなものです)にも「訶梨勒」というがあるんですが,それもそのカタチがこの実に似てるところから来た名前のようですね。(右図,早大古典籍ライブラリー『懸物図鏡』より) 薬種にしろ柱飾りにしろ「カリロク」に「花裏六」という字を当てた例はとうとう見つかりませんでしたが,茎や内桁に書かれていたように,この楽器は林治兵衛さんの 「第六号」 月琴。そこから考えて,「花裏六(かりろく)」 という銘はまず間違いなく,それ(数字)をこれ(訶梨勒)にひっかけた銘でありましょう。 ![]() 前回の記事では板裏の墨書をそれぞれ,「玄襄/花裏六」「物外逍遥/大観花裏六/鶴寿堂製/明治三十二年四月」と,とりあえず読んでみましたが,「花裏六」の部分が楽器の銘と分かりましたので,あらためて読み直して見ましょう。 まず表板の墨書----これよく見たら「玄襄」じゃないですね。一文字目の書き順がちょっと違いますわ。この楽器の製作された明治32年の干支は「己亥」ですから,一文字目は「亥」だと思うんですが,二文字目が分かりません。やっぱり「襄」に見えるんですが,「六・裏」の2文字を書いた上から,二本線で消してるようにも見えます。 裏板の墨書はそのままでいいみたいですね。「物外逍遥/大観」までが文章。「物外ニ逍遥シテ大観ス」,モノに捉われることのない自由自在な境地から,世界を大きく見渡しましょう,てなところでしょうか? 「花裏六(かりろく)」という銘にはまだほかに,いささか心当たる点が幾つかございます。 たとえば琵琶は「琵琶立て」に立てて置かれますが,三味線や月琴は鴨居からぶるさげられることが多いのですね(ちなみに庵主もそうしています)。匂袋の「訶梨勒」を柱にぶるさげる習慣は,関東ではあんまり見ません。関西方面の風習じゃないかと思うんですが,使われないときの月琴のぶるさがってる態を,その「訶梨勒」に見立てた銘なんじゃないか,というのが一つ。 ![]() ![]() あとひとつはこの楽器の側板の化粧板には「カリン(花櫚・花梨)」が使われてます。「カリン」と「カリロク」っていうのは語感が似てるので,もしかすると,そのへんからの発想もあったかもしれません。 以上,邪推ながら。 月琴13号・柚多田 製作者再考 「手がかり」とゆーものはどこからもたらされるか,分かったもんじゃないですね~。(^_^;) このブログの左隅のほうに 「アクセスワードランキング」 つのがありますわな。 ある日,何気なく自分のブログを眺めてたら,これの一位に 「藤原義治 石村近江掾」 というフレーズが輝いてまして……… 「藤原義治 石村近江掾」? ![]() うちの最長老楽器,文久三年作の13号・柚多田の作者さんですわな。 ほりゃ,なんでかいの~と逆にたどってみたところ,ある楽器屋さんのHPにたどりつきまして。 そりゃもう素晴らしい出来の和胡弓が売られてたんですが,その作者がなんと,かの「藤原義治」。 楽器屋さんの説明に「月琴も作っているらしいです」とあるとこを見ると,たぶんうちの記事,見てくださったんでしょうね~。 有難いのはその後。そこでかなり詳細に楽器各部の写真をうpしてらっしゃったんですが,その一枚に楽器内部の墨書の銘があり,そこに「西久保 石村近江掾 藤原義治」とっ! なにが有難いって?----「西久保」ですよ!「西久保」! 「石村近江」は三味線作りのビックネーム。 三味線という楽器とその音楽を完成させたとされる「石村検校」の流れを汲んだ店で,本家は八丁堀にあり,11世,幕末まで続いていましたが,13号の作者「義治」という名前の人は当時,そこにはおりません。 老舗だけに,暖簾分けもあったでしょうし,名を借りたような店もあったようで,八丁堀の本家のほかにも「石村近江」を名乗っていた製作者は複数いたのですが,そのどれが「義治さん」なのか----決め手がなく,分からないでおりました。 しかぁし!---これで判ります! ![]() 明治12年の『商業取組評』は「商売人何でもランキング」といった感じで,各職各業を相撲番付風に並べたものですが,そこの「三味線番付」で「西大関」----すなわち最高位に輝いているのが「西クボ八マン」の「石村」。 「西クボ八マン」は港区虎ノ門にある「西久保八幡神社(飯倉八幡)」さんですね。上にも書いたように「石村」を名乗るお店は数ありましたが,「西久保八幡」一帯では少なくとも一軒しかありませんでした。(もちろん今はありませんが) つまり13号の作者の「石村さん」は,そこのヒトだったわけですね。 もひとつ---13号の墨書には「石村近江大掾 藤原義治」のほかに,小さく「常吉」という銘が入っています。つまりこの楽器は,二人の共同製作だったようなのですが----文字の大きさから察するに「常吉」さん,てのは,義治さんのお弟子さんかお子さんでしょうね。 ![]() ![]() 最近ネオクで見た二絃琴に 「東京西久保/琴作元祖/石村平琴」 という銘のあるものを見つけました。またそれとは違う二絃琴で 「東京〓〓/西久保住人/石村近江直正」 という銘のあるものも見つけてあります。 「東京」となってますから,これらの楽器は明治以降の作だと考えられますが,この「石村直正」「石村平琴」もしくはそのどちらかが,もしかすると師匠の後を継いだ「常吉」さん,なのかもしれませんねえ。 (つづく)
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