« 2012年4月 | トップページ | 2012年7月 »

26号菊芳3(6)

G026_06.txt
斗酒庵 芳之助とみたび再会す の巻月琴26号 菊芳3(6)

STEP6 ぼくらの時間


  さて「修理」という立場からすると,今回も「オリジナルの改変」という余計なことを,かなりしてしまったかもしれませんが,思い入れのある大好きな作者の楽器なだけに,より良い音でより永く弾いてもらいたい----だからまあ,毎度のことではありますが,「修理」に関する批判は甘んじて受けましょう,責任は背負いましょう。

  こういう古楽器の修理において,それが出来るなら何をやっても良いとは考えませんが。受け継いだものに感謝をしつつ,自分も出来る限りのことをして,次の世代に受け渡したいものです。


  2012年5月,日本橋区馬喰町菊屋(菊芳)製,清楽月琴26号,修理完了!



  線落ちのために使わなくなったようですが,それ以前にかなり使い込まれた楽器だったようで。
  表面板を清掃したら,絃停の横に,無数のバチ痕が浮かび上がってきました。

  「使い込まれた楽器」だったということは,それが良い楽器だった証拠でもあります。
  単に材料が良いものだとか,名工中の名工の逸品であったとか言うのとは別に,使いやすく,弾きやすい実用的に「良い」楽器だったということですね。

  まあ,壊れる前の音を知っているわけではないので,そういう楽器の音が,今回の修理でどう変わったかは分かりませんが----


  思い切って棹を傾け,絃高を下げたので,運指への反応も高音域での音の伸びも,かなり改善されています。

  弾きやすいですね----一言で言うと。

  音は10号と同様,明るくシャッキリ。まさに「江戸っ子楽器」といった感じです。
  嵌め直した響き線がかなり敏感で,演奏中に胴鳴りがしてしまうこともありますが,まあこれは功罪両面。響き線自体が長く,その揺れ幅も大きいので,余韻の振幅はかなりのものです。
  石田不識の月琴同様,多少「雅味」とやらには欠けるムキがありますが,「楽器の音」としては素晴らしい。

  16号の修理のときもちィっと思ったんですが,菊芳の楽器を修理していると,なぜか福島芳之助の 「尻拭い」 をさせられているような気分になるんですね----いえ,けっして彼の腕前が悪いわけではないし,他の職人さんにくらべ,とくべつ手抜きが多いとかいうわけではないんですが。


  何度も書いてるように芳之助の楽器には「のびしろ」があります。

  楽器というものは概して,ギリギリの材料,ギリギリの技術で,万事ギリギリに作られるものなのですが,芳之助の工作には良い意味での余裕があり,その部分のおかげで演奏者の成長にも,時代による修理やちょっとした改変にも長く耐えうるだけの「しぶとさ」が生まれています。
  あと1ミリ削ればギリギリになるところを,1.5ミリ残して後のモノに任せる----これもまた一種の「手抜き」といえば「手抜き」なのですが,全体が均一にそうなっているうえ,楽器としてはきちんとそれなりに成立しているので,演奏者にはまず分かりません。


  気がつくのは庵主のように,不運にもこいつの楽器を修理することになった苦労性のニンゲン。(怒)

  モノがギリギリでないだけに,「さあやれ!」と,宿題を突きつけられたというよりは,気がついたら「後よろしくねー」とバっクレられた……そんなハラダタシサもあり(笑)----そして事実,その残された1.5ミリのうち,1ミリを削ると,楽器が化けるのです。


  また一つ,修理の終わった今,芳之助に言いたいことは一つ。

  ----そッちィ逝ったらオボえてやがれ,
  酒の一本や二本じゃカンベンしねェぞ!


  さて,庵主,修理楽器が完成すると「成仏させる」と称し,それを担いで外で弾くのを常としております。
  月琴というものはもともと室内楽器なので,辻楽士でもない限り,まああまり,庵主のように,外で弾かれることは本来ないのですが,うちにくるたいていの楽器は,薄暗い蔵や納屋や押入れの奥で,コワされたまま長いこと眠ってた連中ばかりです。
  一度くらい外の空気を吸わせ,陽光を浴びさせてやりたいのですね----まあ,ついやりすぎて,板がヒビちゃったりした時もありますが。(^_^)

  今回,26号を連れて行ったのは新座市片山のあたり,黒目川の川岸にある「妙音沢(みょうおんざわ)」。
  なんでもむかし,琵琶の名人が弁天様から秘曲を授けられた,という伝説のある地。



  曲は……まあ,漫奏なんでテキトウ弾きですが。
  崖地のあちらこちらから湧き出した水が,幾筋もの流れを作り,それがまじりあって,それこそ「妙なる音」を奏でております。
  いつもの音源資料の代わりに,26号の音とともにお楽しみください。

(おわり)


26号菊芳3(5)

G026_05.txt
斗酒庵 芳之助とみたび再会す の巻月琴26号 菊芳3(5)

STEP5 あの鳥はまだうまく鳴けない


  10号,16号ともにそうだったんですが。

  芳之助の月琴は理想のわりに,現実がついてきてません。

  ----ええ,当「修理報告」をずっとお読みになっている方々にはなンのことだかお判りでしょうが。フレットの高さ(理想)と,絃高の高さ(現実)が合っていないのです。
  清楽の通常の演奏では,月琴の高音域,胴体上のフレットの音はほとんど使われないため,たとえ最終フレットの頭から弦までが,デフォルトで5ミリ以上開いていようとも,使用上大した不便はナイのですが,清楽の廃れた現在,このぜんぶで13コしか音の出ない楽器が弾かれ続けるためには,せめてその13コの音すべてがくっきりはっきりと出るくらいでないとなりません。

  芳之助のオリジナルフレットは,高井柏葉堂のソレほどゲンジツ(絃高)に対して無茶に低いようなわけではありませんが,その理想の低い(つまりは背の高い…メンドくせえなあこの言い回し)フレットをしてなお,ゲンジツとの乖離が大きすぎます。


  その最大の原因が棹基部の工作----芳之助のオリジナルでは,棹の基部・胴体との接合面は,棹の指板面に対しかなり正確に垂直で,胴体に挿したとき,棹の指板面は胴体表面板とほぼ面一になるよう加工されています。

  何度も書いているとおり,月琴としては,棹が山口(トップナット)のところで3~5ミリ背面側に傾いているのが,実のところもっとも良い工作なのです。
  棹がその角度だと,低音部ではフレットが高く,弦を強く押えることによって出されるビブラート,いわゆるbebung 効果などを自在に使うことができ,高音域では一気にフレットが低くなるため,弦のテンションがキツくても正確な音がおさえられるわけです。
  最近修理した古い唐物月琴,清音斎や茜丸などは意外ともとからそういう工作になってましたし,石田不識,山形屋雄蔵など硬派な作者の楽器も,はじめから棹がそういう工作になってますから,この「指板面と胴が面一」というのは勉強不足の唐物倣製月琴あるいは国産月琴の製作者が,ややもすればよく陥る「間違い」「勘違い」の一つなのだと思います。

  まあ,キモチは分かります----

  「指板面が胴体表面板と面一」というのは,弦楽器ではよくある理想的な設定の一つですし,しかもちゃんとそうなっている,という工作精度はそれなりに賞賛されるべきレベルであります,が。


  同じ作者の10号では,半月にゲタ(スペーサー)を噛ませることで格段に絃高が下がり,弾きやすく発音しやすい楽器となりました。
  16号はメインの材料がやたらと良いものだっただけに,あまりオリジナルを改変するような補修が出来ず,最初の修理ではかなり高い絃高とフレットの楽器となってしまったのですが,先ごろオーナーがオリジナルの棹をブチ割ってくれやがったので,これサイワイと,ちゃんと傾かせた新しい棹を作り,修理後は絃高が下がってずいぶんに弾きやすい楽器となってくれました。

  今回の26号。
  まずはじめはいつもと同様,半月にゲタを噛ませてみたんですが……

  てンで効果がありませぬ。


  最初作ったものは1ミリ,次では思い切って3ミリもの厚さの竹板を付けてみたんですが,それでもオリジナルの最終フレットの頭から弦までの間がほとんど変わりません。
  もちろんフレットが高くとも,弦とフレットの頭がどんなに離れていようとも,部品さえ揃っていれば少なくとも演奏可能な楽器には仕上がりますが----庵主はこれまでの修理からして,芳之助のところの楽器は「のびしろのある楽器」だと知っています。ある程度,少しの手を入れれば,1ランク2ランク上の楽器とも存分に渡り合える,そういう楽器になることを知っています。

  16号,この26号,10号と3本の修理を通じて,彼の月琴作者としての進化が見えてきました。
  だんだん理想に近づいていることも知っています。そしておそらくそれが,頓挫したろうことも……

  庵主としてはできるなら。芳之助の理想をもう一つ,実現させてあげたいのですね。


  棹基部を調整します。

  面板面に対しほぼ垂直になっている胴体との接合面を,ほんの1ミリ,斜めになるように削ります。

  削ったのはほんの1ミリですが----これで棹全体は大きく動きます。
  山口のところで,背側に3.5ミリ。理想的な角度ですね。




  削ったのはほんの1ミリですが----この作業によって,棹茎は内桁の孔に挿さらなくなります。

  延長材との接合部を濡らした脱脂綿で湿らせること3日。
  延長材をいったんはずし,接合部の刻みの角度を調整してから継ぎなおします。

  これにて半月にゲタを噛ませることなく,逆にオリジナルフレットを少々削らなきゃならないほどまで絃高が下がりました。

  たった1ミリの工作なんですけどね。


(つづく)


26号菊芳3(4)

G026_04.txt
斗酒庵 芳之助とみたび再会す の巻月琴26号 菊芳3(4)

STEP4 半分の月がのぼる空

  今回の修理最初の,かつ最大の難所を越えたところで,さて次とまいりましょう。
  こまごまと,色々なものを修理したり,作ったり。


  まずは半月の補修から。

  第一回の記事でも書きましたが,どうやら古物屋さんが琵琶の弦を通すため,半月の糸孔をグリグリっと広げちまったらしく,高音側の糸孔がちょっとカワイそうなことになってしまっております。
  まあもちろん,このボサボサになった加工痕をヤスリかペーパーで均す程度でも,使用上さほどの支障はナイとは思われますが,この斗酒庵,そんな手抜きはできませぬ!(エラそーに…)



  まず用意するのはコレ。
  象牙の端材,ですね。5ミリ角ほどのものを削って,丸棒をこさえます----んでそれにコウ…
  ドリルで穴をあけ,パイプ状にするんですね。

  次に傷んだ糸孔の周縁を,ドリルでエグります。
  貫通しないぐらい,0.8ミリくらいの深さになったところに,先ほどの象牙パイプを輪切りして----


  ----埋め込む,と。

  糸孔が広がるのをふせぐ手段として,月琴でもよく使われる工作ですから,まあやって悪いことはありますまい。
  ニカワで接着固定したら,平らに均して,作業箇所を補彩しておきます。

  ほい,まずひとつ完了。


  ちなみに修理作業のため絃停の布をハガしたら,裏打ちの紙としてこんなのが出てきました。

  庵主ミミズ(草書)が読めないため,何が書いてあるのかまったくですが……手紙かな?…何かの注文表かな?……読める方いましたら教えてくださいな。


  おつぎは糸倉の鼠害の補修です。

  「鼠害」…要するにネズミがガジガジっと齧った痕ですね。

  糸倉左右の根元のあたり,弦池の左右が齧られています。
  いづれも糸倉の強度に影響するほどのキズではないのですが,楽器に向かって左のほうが少し目立つくらいなので,補修しておきましょう。


  ガタガタになっている齧り痕をヤスリで少し均し,カツラの端材を削って接着します。
  場所が曲面なので,少し固定しにくかったですね。
  補修材をマスキングテープで軽く巻いて止め,その上からゴムをかけて圧着固定しました。

  あとは乾いたら整形っ……と。



  おつぎ,これはやらなくても良いのかもしれませんが………


  扇飾りを作ります。

  これも第一回の記事で書いたとおり,この楽器の扇飾りは意味不明なほど薄っぺらです。
  ハガしてみたら,染料で染めたときのシミがついてたので,この工作,オリジナルなんでしょうね。

  このまま戻してもいいんですが,庵主,こういう意味不明の工作にはどうしてもガマンがなりません。
  どっちを付けるかは最後に決めるとして,とりあえず,複製。


  つぎは蓮頭ですね。

  オリジナルは割れて,上半分しか残ってません。
  芳之助の楽器はどうも,この蓮頭の接着が弱いのか,あるいはこの楽器同様,どっかにぶつけてついぶッ壊してしまうような乱暴なオーナーが多いのか,この部品の生存率が低く,参考になるような例がありません。
  しかしながら生き残っていたこの上半分から,これが蓮の花に二股になった波唐草をあしらった,中級月琴によくつけられる意匠のものであろうことは分かりますので,他の作者の楽器についている同様の飾りから,大体のデザインを推測してやってみましょう。

  素材はカツラの板,このところよく作ってた複製棹の端材ですね。
  だいたいのデザインをざっと書き写し,削り込んでいきます。


  染めはスオウ,媒染に使ったオハグロの上澄み液を少し希釈して,いつもの真黒でなく「焦げ茶」に近い色に染め上げます。

  庵主,計測器具とかで量るようなことはできないので,何%の液をどのくらい塗るとどうなるのか,とかいう詳細や,その仕組みまではてんで分からないんですが。スオウは特に,媒染剤に対する反応が早くて顕著なんで,あややの間に色が変わっていくのが間近に見れて。このあたり 「染色ってバケ学の世界なんだ…」 と,いつもながら思い知りますね。



  おつぎ,山口(トップナット)を削りましょう。
  フレットはオリジナルの象牙のをそのまま使うつもりなので,ここはあんまり色の濃くない素材がいいですね。
  象牙のカタマリがあればそれで作ってもいいんですが,さすがに勿体無い。

  ツゲと象牙の端材のコンボ。
  糸の出口,真っ直ぐになっているところに象牙の端材を埋め込んだ,ひさしぶりの斗酒庵式山口です。
  今回,本体のツゲ材はあえて染めず,骨っぽいナチュラルカラーのままにしてみました。



  さて最後は糸巻きが1本です。

  工房到着時についていた4本のうち3本は,間違いなく月琴の軸ではあるものの,他の楽器から移植されたもので,軸孔にきちんと合っていません。しかし材質や工作は悪くなく,長さも12センチちょっと,月琴の糸巻きとしてはやや長めなので,軸先を調整して,ちゃんと糸倉に噛合うようにすればじゅうぶんに使えそうです。

  残るは1本。
  古物屋さんあたりが急ごしらえで作ったにしてはまあまあな出来ですが,材質的にも工作的にも実用に供しうるようなシロモノではありません。



  いつもいちばん辛悩な作業である軸削りが,たった一本で済むというのはウレしいことですね。
  素材はおなじみ¥100均屋で買うスダジイの丸棒,扇飾り同様にスオウ染めオハグロ媒染ですが,こちらは他の3本と合わせるため真黒に。
  仕上げにカシューで塗りこめます。

  ちなみに右画像上がもとついてた補作の軸,下が庵主製作のものです。


  いちばん厄介な胴体の修理はすでに終わってるし,これで欠損部品もだいたい揃いました。
  あとは組み立てて,フレッティングくらい……なのですが。

  芳之助の尻ン拭い(しんのごい)----まだ少々残っておりました。


(つづく)


26号菊芳3(3)

G026_03.txt
斗酒庵 芳之助とみたび再会す の巻月琴26号 菊芳3(3)
STEP3 鳴かせてみしょうホトトギス


  26号,棹孔と響き線修理のためハガした裏板の開口部から観察した,内部構造は右図の通り。
  上桁には中央に棹茎の受け孔のほか,左右に2つ木の葉型の音孔,下桁には3つの音孔が開けられています。素材はスギだと思われます。
  工作は比較的丁寧。

  上桁は左右の木口を斜めに削いで,側板内面にぴったり合わせ接着していますが,下桁の左右は真直ぐなままで,側板にはほとんど付いていません。つまり下桁は表裏の面板にサンドイッチで接着されているだけなわけですね。
  10号はもちろん,4号や20号などほかの作者の楽器でも,ほぼ同様の加工になっていました。
  庵主としては下桁だけこのように不安定な構造にすることには疑問があり,時々修整したりしちゃってますが,もしかすると,何か意味があってやってるのかもしれませんね。



  さて,まあほかのヒトもやってる工作なら,そッちはそれで良いとして----

  この基部の取付角度をご覧ください。

  斜めになってますよね。
  ちょっと前に修理した24号などもそうですが,この響き線の基部は内桁の「支え」も兼ねてる場合が多いのですが,これではほとんどその用はなしません。
  また,わざわざこんなふうにナナメに取付けている理由自体不明です。
  同じことなら響き線の取付面だけを斜めに切ればいいことですしね。

  このへんも……

  ふっ…若さゆえの,あやまち,か。(CV:池田秀一)

  また,ここがせめてふつうに四角い木片を噛ませただけだったら,線が落ちたとしても,棹孔から棒でも突っ込んでうまいこと直せたかもしれませんが,妙な角度で下に向いてるのでそれも難しそうです。

  ほんとにもー。


  ここまできて気がついたんですが----

  たとえば裏板中央下縁の切れ目というか穴,側板と面板の接合部につけられた刃先の痕----楽器の側部や面板の端,何箇所かに,不自然な加工痕があるんですね。
  「加工痕」と言っても, 「なにかをした」 という痕跡ではなく,どちらかというと 「何かをしようとしてあきらめた」 ,まあいうならば 「ためらい傷」 って感じなんですが。

  これらはもしかすると前の所有者が,この響き線をなんとかしようとしたアトなんじゃないでしょうかね?

  はじめは刃物で裏板をハガそうとし(失敗),次に思い切って胴体に少し穴をあけ,ハリガネでもさしこんでどうにかしようとし(もちろん失敗),結局あきらめて,墨で音符の位置を書き込み,お教室の教材用にでも使っていたのかもしれません。

  庵主はもう慣れちゃったんで,こんなふうにバリっと板をハガしちゃいますが。
  シロウトさんだと,たしかにその行為はコワかろう,と思います。
  庵主だってハジメテ1号の裏板をハガすとき,かなりの勇気と自棄っぱちが要りましたもんね。(w)


  修理はここから----と,言いましても。まあ,抜け落ちた線をモトの穴につっこんでやればイイだけなんスけどね。
  もっとも,前回お話したように基部には「タガヤサン」が使われてますので,ニカワあたりを塗って挿し込んだ程度では,間違いなくまた抜け落ちてしまいます。
  線が抜けるたびに,板を剥がして修理するわけにもいきませんので,ここは一つエポキシ系の強力な接着剤で,ガッチリバッチリと接着固定してしまいましょう。
  23号茜丸の修理でも使いましたが,タガヤサンという,最強なうえに暴れやすくおまけに接着の難しい素材に対しては,このくらいの材料を使わないと,実用的にはとても保ちません。

  接着前に,何度か実際に取付けて,線の位置とか角度をシュミレートしてみたんですが----どうやらここにも芳之助のワカゲが発揮されているようす----どうやっても,線が,長すぎます!
  基部の一番奥までさしこんでも,先端が反対側の胴材の裏にひっかかる。
  その状態でもまあ,響き線として,いちおう機能しないこともないのですが,音色に与える効果はかなり弱くなってしまいます。

  けっきょく根元の部分を約5ミリほど切縮め,先端をもう少しだけ内側にカーブさせることで,ちょうど何とか,ギリギリで,胴体内部におさまりました。

  ----本当はこの部品,サビ落しとか以外では,あんまりイジりたくないのですが。


  エポキの硬化を確かめ,あらためて響き線の角度等を調整し。
  修理のため切り開いた部分を塞いで,胴体を箱に戻します。

  さて,今回の修理最大の難関,突破!

(つづく)


26号菊芳3(2)

G026_02.txt
斗酒庵 芳之助とみたび再会す の巻月琴26号 菊芳3(2)
STEP2 鳴かぬ鳴かぬぞホトトギス


  月琴26号,外がわからの観察から見つかった損傷箇所は以下の通り----

  1)蓮頭半分欠損。
  2)糸巻き全損(他の楽器の糸巻きを移植3本+自作1本)。
  3)糸倉に鼠害少。   4)山口(トップナット)欠損。
  5)フレット3本欠損(第1・2・8フレット)。
  6)表面板左肩にヒビ。
  7)裏面板中央下に加工痕。
  8)半月高音弦がわの糸孔加工損傷。
  9)絃停ボロボロ。

  細かな打圧痕などを加えればまだ多少ありますが,比較的,欠損部品も少なく損傷も軽微,と,いったところですね。
  しかしながら,この楽器のいちばんの損傷箇所は,外がわでなく----内部。

  「響き線」 が,おかしい。

  楽器を振れば,確かに金属の音はするのですが,演奏位置に立ててみても響き線の動いている感触がありません。
  通常,月琴の響き線は,楽器を演奏姿勢に立てたとき,胴体内部で完全な片持ちフローティング状態になって,ぷらぷらしてるものなんですが,棹孔からのぞくと,線らしきものは見えるものの,なんか,ピクリとも動いてないんですね。

  この修理報告で何度も書いているとおり,この「響き線」という部品は「月琴の音のイノチ」。
  楽器の音色を左右する重要な部品でありながら,外部からは操作も調整も出来ないというフシギな構造ですが,これがちゃんと機能していない限り,その楽器は「月琴」とはいえない,というくらい大事なモノです。

  つまりこれは楽器としてのアイデンティティ存亡の危機……ある意味,外がわのどっかがコワれているより重症なんですねえ。

  響き線がどうにかなっていることは確かなのですが,棹孔からの観察では,内桁に阻まれて正直よく分かりません。
  今までの経験等から推測して,考えられる状況は次の三つ----

  1)線の先端がどっかにひっかかっている。(20号山形屋の記事等参照)
  2)サビて根元からモゲた。(13号三耗の記事等参照)
  3)留め釘などがはずれて胴体内に落ちている。

  1)の場合だと,響き線自体はぷーよぷーよと動くはずなので,2)か3)でしょうなあ。
  どちらにせい,これを直さなければこいつは月琴という楽器として成立しないので。


  少々手荒に逝きますよ----ほああああっっ!!

  裏板を,剥がします。
  ただし,ぜんぶではなく片側の矧ぎ板の小板一枚分のみ。
  棹孔からの観察では,胴体のどちらがわに基部があるのか,はっきりとは分からなかったのですが,10号・16号と同じ作家の楽器をすでに2面直した経験と,いままで修理した楽器の構造からも考えて「こっちがわだろう」という方をバリリと。

  ああ…キズのない胴体を…キズもんにしちゃったぜい。

  あ,やっぱりこっちがわだった(ほ…)。出てきました,これが響き線の基部ですね。


  響き線は----胴体を振ったら出てきましただ。
  サビ朽ちて落ちたのではなく,根元からすっぽぬけてたみたいですね。
  少しサビは浮いていますが,比較的健全な状態です。

  以前修理した芳之助の10号は,かなり手慣れた工作で,「余裕のある手抜き」はあっても「余計なこと」は一切してない,そういう作りをしていました。つぎに来た16号は,芳之助,若気の至りの一本だったらしく,硬いトチを胴材に使うわ,指板にウルシは塗るわ,「余計な工作」がやたらと目に付く楽器でした。
  26号は,外見的な工作や材質の点では10号のほうに近く,イヤミのない,実用本位な作りとなっております…が,しかし----これはイケません。


  見たとたん分かっちゃいましたもんね。
  響き線がこうなった理由……
  この基部----「タガヤサン」で出来ています。

  清楽月琴の響き線は,唐物ではほぼ胴材に直挿しとなっています。
  国産月琴ではこの楽器と同じように,胴内に木片を接着して,そこに基部を埋め込むという形式のもののほうが多くなっています。
  今までの修理経験とウサ琴での実験からして。実際のところ,直挿しであろうが木片を噛まそうが,線自体の材質や形状によるものほど,音色上さほど顕著な影響や違いはありません。唐物や初期の国産月琴で直挿しだったのが,この木片を噛ませる形式になっていったのは,「抜けたらどうする!」的な(ある意味余計な)心配から来た工作で,内桁が2枚になっていたのと同様,中・日職人間での嗜好の違いみたいなところに起因しているのではないか,と庵主は考えています。
  たしかに,厚みが1センチないような胴材に穴を開けてじかに埋め込むより,こうした木片を噛ませた方が,より深く,確実に響き線の根元を固定できる----ような気がします。あくまでも「気がする」だけで,たとえば基部の木片ごとポロリするような場合,また根元からサビて落ちるような場合を考えると,大して違いはありませんね。

  響き線の基部は一般的には胴や棹の端材で作られていることが多く,この楽器のように,本体にまったく使われていないような材料をわざわざ用いることは,あまりありません。
  また実験と経験によれば,この木片が何で作られていようと,これもまた音色上顕著な違いはないのですが。

  ----キモチは分かります,なんとなく。(^_^;)

  響き線は金属です。金属を受け止める木の部品は,硬い方がイイだろう,と,音も良くなるだろう,とかも。

  前にも書きましたがタガヤサンは漢字で書くと「鉄刀木」。
  唐木の中でも最高級,かつ最強の硬さを誇る素材です。
  ただ----これもなんども書きましたが----この木,工作上,接着がとても難しい。
  同材同士の場合など,かなり時間をかけて接着面を湿らせるなどの処置をしとかないと,上手くくっつかないのですが,濡らしたら濡らしたで今度は「割れる」か「歪む」か……どのように暴れるか分からないムズかしい素材なのであります。
  ふつうの木なら,穴あけて,線の基部にニカワを塗ってつっこめばそれで済んだかもしれませんが,タガヤサンの場合は----


  こうなるわけですね。(笑)

  ----さらに言うなら,上にも書いたとおり,この部品はカタかろうがヤワかろうが,実のところ音色上の影響はほとんどナイのですね。

  この工作から考えて,この楽器の製作年代は16号より後,10号より前……てとこでしょうかね。
  芳之助,全体にだいぶん手慣れてはきましたが,まだ余計なことを考えつく余地が残っておったようです。


  修理のためあけた部分から内部をのぞきましたところ。表板の中央あたりに,何か書いてあるのが見つかりました。
  角度的に……撮影はムリですねえ。

  内視鏡等を使って,何とか書き写したのが右画像。いちばん向こうがわの二文字(?)はほとんど分かりませんが,おそらくは----

  菊芳
  明治廿〓年
  一月二日〓上
  重吉作

  ----と,書いてあるのではないかと。

  明治20何年なのかがちょっと分かりませんが……棹茎の基部裏板側にも,二文字目が「○」になった署名らしいものがうっすら書き込まれているんですが,それもたぶんこの「重吉」(?)なんじゃないかと。メインで作ったお弟子さんの名前でしょう。
  福島芳之助が内国勧業博覧会で賞をとったのが23年,27年の『東京諸営業員録』ではまだ店主ですが,31年の『日本商工営業録』では奥さんと見られる「福島すて」さんが店主となっています。


  そして明治40年代にはお弟子さんと思われる「岡戸竹次郎」さんがこの馬喰町の「菊芳本店」の店主となり,血縁と思われる「福島直矢」という方が牛込区津久土町一番地に「菊芳支店」を開いています。この津久土町(筑土町)の店は大正10年からは「福島真吉」さんの名義になってますね。
  このあたりの資料から推測して,芳之助さんが馬喰町の店で月琴を作っていたのは,おそらく明治10年代後半から20年代の末くらいまで,10年ちょっとの間のこと,と考えられます。
  16号は明治19年ごろの作らしいので,それで10号より前,と考えますと,20年代の比較的初頭くらいの作と考えるのが妥当ではないかと----あくまで推測ですが。

(つづく)


26号菊芳3

G026_01.txt
斗酒庵 芳之助とみたび再会す の巻月琴26号 菊芳3(1)

STEP1 馬喰町からの使者


  さて,なんにゃら溜まってしまった月琴修理。

  せめて修理報告だけでも,の在庫一掃のため,次なる一面はこれ。
  自出し月琴26号。
  楽器のスタイルにどことなく見覚えを感じたのと,出品者さんの画像にラベルの一部がチラリと見えたため,ちょっと無理して購入いたしました。競り合った方ごめんなさい。


  で,その問題の「ラベル」というのが,コレ。

  いや,「残片」というか,「破片」というか。(^_^;)


  …拡大しますね。

  もー「文字」というより,「文字の一部」しか残ってません。

  しかしながら,資料集めには定評のある斗酒庵工房。
  過去の資料をシラミ潰しで見比べること三日。

  ----ついに発見いたしました。


  これだーっ!!

  ラベルの色は褪せちゃったのか,ミドリとピンクでエラく違ってますが,文字のカタチは間違いなく一致。なんせ同じサイズにして,レイヤーでかぶせたら,ほぼピッタリ重なりましたからね。

  写真はこの間再修理の終わった16号於兎良のもの。
  ふむ,そうするとこの月琴は,当修理報告登場3面め,日本橋区馬喰町4-7「菊屋(菊芳)」こと福島芳之助さんとこの楽器ということになりますな!!

  太めの棹,長いうなじなど,外見も菊芳の楽器の特徴と一致します。
  ではまずは,組み立てて測ってみましょう。


  [採寸]
  全長:640(除蓮頭) 胴径:353 胴厚:36
  棹 全長:287 糸倉:130 幅:31 弦池:115×14
  棹基部-茎先端:173
  指板相当部分の最大幅:31,最小幅:26
  山口下縁から各フレット下縁までの間隔(山口接着後より推定):
   1)56 2)86 3)116 4)150 5)182 6)222 7)245 8)274
  有効弦長(推定):420 


  蓮頭は損傷して上半分だけ残存。

  この蓮の花の下に,二股になった波唐草のついた,中級の楽器でよく見るデザインだったと思います。

  糸倉に深刻な損傷はありませんが,弦池の左右を少しネズミに齧られているほか,軸穴の周辺に圧迫痕,弦池下端にかなり深めの糸擦れ痕など,使用によるキズがかなりついています。


  糸巻きは4本,いちおうそろってはいます。

  うち3本は間違いなく月琴の糸巻きですが,他の楽器から移植されたもので,軸先は飛び出ているし,太い方はまったく噛合っていません。材質はおそらくカツラかホオでしょう。
  画像上から3番目の1本は,おそらく楽器屋ではないシロウトさんの作。割と良く出来ていますが,材質的にも工作的にも実際に使えるようなものではありませんね。こちらはラワンかラミンか…あるいは軽軟な針葉樹の類かもしれません。


  山口は欠損。四角い木片が貼り付けてあります。

  棹は指板のないタイプで,フレットの間に墨で工尺譜の符字と思われる書き込みが見えます。
  三味線なんかでも初心者で同じようなことをするヒトがいますが,お師匠さんとかに見つかると怒られますよ。(^_^;)

  楽器正面からだとそうでもないんですが,糸倉も棹部分も横から見るとやや太めで,いかにも頑丈そうに見えますね。


  胴側部は4つの部材を木口で接着しただけの簡単なもの,塗ってあるので材質は分かりませんが,ホオかカツラでしょう。
  ちょっと前に紹介したとおり,棹穴の周縁に残っている当初色から,カテキュー(阿仙)で染めてあるのだと思います。
  天地の側板が一度はずれかけたようで,棹孔を中心とした表面板の左右と,楽器下縁部分に再接着の痕や再度の剥離が見られ,一部には少しだけ段差がついています。
  かなり深めの打圧痕が数箇所,そのほか側部の面板との接合部に刃物を入れようとした切込みが数箇所見られますが,そこから板をハガしたような形跡はありません。


  表面板はほぼ柾目の板で構成されていますが,中心部分に一枚,大きな山のある板目板が使われてますね。多少「景色」をつけたのでしょう。
  楽器左肩にヒビ割れ,長さ11センチほど。さほど広くはないです。
  中心部フレットの左右にも工尺譜の符字,あと左端の方になにやら小さな字で墨書が見られますがいづれも署名や所有者名とかではないようです。解説用の楽器にでも使ってたのかしらん?


  目摂は仏手柑。彫りは丁寧ですね。デザインもよくあるおざなりなものじゃなく,オリジナルっぽいです。

  扇飾り。こちらはよく見る「万帯」のデザインなんですが----なんじゃあ,この薄さわあっ!!
  0.5ミリくらいでしょうかね……たしかにこの部品,背の低い高音フレットの間にありますから,庵主もそれなりに削りますが----いや,何もここまで紙みたいにせんでも。
  さて,もとからだったんでしょうかね,それとも前の所有者さんのシワザでしょうか?

  オリジナルのフレットは棹上に2本,胴体上のが3本残っています。第1,2および最終第8フレットの部分には木の板で作ったものが貼り付けてありますが,使用した形跡はありません。
  オリジナルは象牙のようですが,胴体上の第5フレットのみ工作がやや異なり,他のものより薄めになっています。
  材質も異なるようで,もしかすると鹿角か骨材の類かもしれません。


  半月は半円板状。95×44×h10。上面下縁にメアンドロス紋----中国でいうと「雲龍紋」,ラーメン丼のふちによく見る,渦巻き模様が彫りこんであります。
  推定される外弦間は37,内弦間は29。内外の弦間がやや広くとられているようです。
  板自体に損傷はないんですが,糸孔が…特に高音部の糸孔がエグられてますね。


  工房到着当初,この楽器には琵琶の弦と思われるぶッ太い糸が張ってありました。これも古物屋あたりが楽器の体裁を保つためにやったことだとは思いますが,その糸をムリヤリ通して結ぶために,糸孔をグリグリッ,っと広げちまったもンだと思われます。その工作も,錐やドリルと言ったちゃんとした工具を使ってくれればまだ良かったんですが,どうやらクギの先か何か,そんなようなものでやらかしたみたいですね。穴の周縁がボサボサになってめくれあがっていますわい。
  なんかさすがに痛々しいなあ。この部分,要修理です。

  絃停には白っぽい布が貼り付けてあります。110×83。ボロボロで,紋様も良く分かりませんが,糸目から見て,おそらく元はけっこうな錦布だったと思われます。


  裏面板には表と違ってあまり木目の鮮明でない板目のものが使われています。

  板にヒビ割れ等はありませんが,中央左下に大き目の孔があり,そこから続くキズが地の側板にまで入っています。虫害などによるものではなく,人為的につけられた工作痕(?)のようなものだと思われますが目的は不明です。


(つづく)


25号しまうー(仮)

G025_01.txt
斗酒庵 変な楽器に出会う の巻月琴25号 しまうー(1)

STEP1 しましましまの陰謀


  さて,なんだかこのところ壊れて帰ってくる楽器やら,過去の亡霊やらが多くて,修理報告もなかなかつぎに進めない感じです。
  現在,工房にはこのあいだ修理した24号を含め,自腹で購入した資料用の月琴が5面ばかり転がっております。
  今期はけっこう製作者の判明している楽器が多いので,修理過程からは,国産月琴の時代的変遷や,明治工人の技巧や製作状況を考えるのに良いデータがいろいろ得られるとは思うのですが,もうすぐ夏になるとニカワも腐っちゃうし,暑くてまともな修理もできなくなるので,いくつかの楽器については,先に基本的なデータだけを公開しておこうと思います。

  まず25号から,仮に付けた銘は「しまうー」。


  [採寸]
  全長:628 胴径:350 胴厚:41
  棹 全長:446 糸倉:160 基部-茎先端:173
  指板相当部分の最大幅:30,最小幅:28
  糸倉の先端で幅:35
  山口下縁から各フレット下縁までの間隔:
   1)45 2)75 3)105 4)135 5)164 6)209 7)234 8)262
  有効弦長:404 


  蓮頭欠損。糸倉の接着面と思われる部分に白色の付着物。部材には及んでいませんが,その付着物の表面に虫の食害痕無数。
  軸はおそらくトチ。4本存。山口はおそらく紫檀製,高さ11.5。
  棹材は不明。クリのような木目なのですが,比重が重く,硬いことから,タモの類ではないかと思われます。
  棹茎の延長材はおそらくヒノキ,表面に中心線,根元に 「八」 と墨書。


  胴体の側板は16号と同様の虎杢のトチ----と見えますが,外側に厚さ1ミリほどのツキ板をめぐらせたもの。
  ですので,胴体側部には部材の接合部が見えません。
  楽器下縁部に,そのツキ板が内材から剥離してわずかに浮いている部分があります。


  表裏面板には玉杢の浮いた複雑な木理の桐板が使用され,裏面に刻書「雅不俗之楽不淫/是月琴乎/玩音堂主人」
  「玩音堂主人」については現在のところ不明。鋭意調査中ですが,作者というわけではなさそうですね。

  フレットは棹上のものも胴上のものも煤竹ですが,当初品かどうかは不明。
  第2フレットは後補,第3フレット欠損。


  目摂は庵主が「獣頭唐草」と呼んでいるタイプのものですね。先のとんがった,一見ただの植物紋様のようですが,中央あたりによく獣の頭部や開いた口になったような部分があります。おそらくは雲龍紋とかの一種だと思いますが,定かではありません。
  扇飾りはなく,小さな菊花の彫り物が付いています。ほかに柱間飾りなどが付いていたかどうかは不明。少なくともはっきりとした痕跡は見当たりません。


  半月は小さく,半葉形で,上面だけを平らにした曲面板タイプ。100×35×h8。装飾はありません。
  このカタチは唐物もしくは倣製の廉価版月琴に類例が多いですね。
  糸孔の間隔は意外と狭め。外弦間:29,内弦間:24,内外弦間:約3
  どうしたわけかヒドく虫害に食われていて,ボロボロにされています----ほら,ポロリっと(うわあぁあああっ!)。
  面板のほうはそんなに食われていないのに,ここだけというのもちとフシギですね。

  カツブシででもできてるのかしらん?

  絃停はなにやら更紗の類のように見えますがどうでしょう?




  比較的初期のころの国産月琴と思われます。

  蓮頭が正面を向くほどアールのキツい糸倉,絶壁になった糸倉うなじ,やや厚い側板----材質は異なりますが,これと良く似た工作の楽器をほかに二面ほど見たことがありますので,あるていど流通していた作家の楽器だと考えられます。

  上にも述べたように,側板は見た感じいかにも高級そうな虎杢のトチ,なのですが,それにしては16号に比べ格段に軽い----ので,あらためて観察してみたら。内材はなんと,ヒノキかサワラと思われる針葉樹で出来ていました。


  しかも棹孔から観察した限りにおいて,この内部構造は,一般的な月琴で見られるような,いくつかの部材を組み合わせて円形にする工法ではなく,厚さ5ミリほどの一枚の板材を撓めた,曲げ木で作られているようです。
  側部内面の棹孔直下,楽器の下縁の中心に,その接合部と思われる筋が確認できます。


  この報告書でも何度か書いてきましたが,一部の音楽・楽器解説書には「月琴の胴体は板を撓めた,曲げ木で作られている」とあるものの,古い唐物もふくめほとんどの月琴は,一般的に円のちょうど1/4になるような部材を板や角材から切り出し,それを組み合わせることで円形の胴体を作り上げています。
  「清音斎」の時に紹介した,舞台の小道具と思われる楽器(?)なども胴体は薄いスギかヒノキの曲げワッパで出来ていましたが,それにしろ本楽器の例にしろ,いままで庵主が「誤謬」としてきた,月琴の構造に関する説をひっくりかえせるようなものではなく,むしろこの楽器としてはかなり特殊な工法例であると考えられますが,マジ,曲げ木で作ってあったのを確認したときには,正直,驚きましたねえ。
  庵主の実験楽器,ウサ琴の胴体もスプルースを円形に曲げた加工材で出来てますが,100年前にほぼ同じことをしていた作家がいたわけですねえ----ある意味感動です。

  凝った材質,凝った工法で作られてはいますが,楽器としては「お飾り」に近い部類のようです。
  絃停の周りにバチ痕はなく,山口や,ボロボロにはなっていますが半月にも,糸擦れのような使用痕はほとんど見られません。
  庵主のウサ琴から考えて,内材がヒノキやサワラであっても,工夫してあればそれそこ楽器としては成立するのは分かってますが,さて,弦を張ってほんとにちゃんと音が出るのやら。


  蓮頭の接着部と裏面板のヒビ割れ周辺,そのほか側板と面板の剥離箇所などに白っぽい物体が付着しています。
  なんでしょうねえ……木工パテの類でしょうか?…胡粉のようにも見えますが。
  修理としては,これらを除去するのが大変そうなほか,半月を再製作しなければなりませんね。

  しかし,全体としては欠損部品も少ないほうで,さほどの苦労はなさそうです。

  国産月琴の古い型であることは間違いなく,内桁に丸孔をいくつも穿つなどの点が江戸時代に作られた13号(西久保石村作)に似てなくもないので興味はあるのですが,曲げ木の内部構造や,先に書いた木工パテのような物質の付着をふくめ,いくつか気になる点があるため,本格的な作業に入るのは少し調べてからにしたいですね。
  よって,この楽器の修理はとばして,次回からは26号以降の修理報告を先行させてまいります。

(つづく)


1号再修理(3)

G001re_03.txt
斗酒庵 過去の亡霊と対峙す の巻2012.3月~ 月琴1号再修理 (3)

  さて,1号月琴再生修理。
  複製した棹も作り,裏板も貼り直して,本体のほうの作業はだいたい済みました。


  あとはまあ,恒例の「小物の王国」ですね。

  まずは蓮頭を作りましょう。

  従前は紫檀の一枚板を雲形に削って貼り付けてましたが,今はいろいろと参考資料もあるので。
  石田不識の普及品月琴によくついてるデザインのものを。


  これですね----写真の黒いほうは,最近入手した27号佳菜ちゃんについていたもの。
  「蓮に波唐草」のタイプを抽象化していったようなモノだと思うのですが,紋様としての正式名称は不明です。
  石田不識のほか,田島勝,山田縫三郎(清琴斎)の楽器でも似たような意匠の蓮頭がついていた例があり,中級品の月琴ではわりと普及していたデザインだと思われます。

  桂の板を切って削って,染めはスオウにオハグロ液で鉄媒染。

  唐木のものは別として,当時の月琴の中級品では,胴体や棹に必ず何らかの染めを施して高級感をだしていることが多いのですが,その染めに二種類あって,(福島)芳之助なんかはカテキュー(阿仙薬)派,石田不識とか山形屋(石村)雄蔵なぞはスオウ派ですね。


  棹を抜いたとき,その基部に隠れていた棹孔の周辺が赤茶ならカテキュー,赤紫色ならスオウですわ。
  本体はカテキュー,飾りはスオウというような場合もありますから,一概に派閥があったようなわけでもなく単に製作者の好みでしょう。


  あとは目摂と扇飾り。

  最初に修理したとき,オリジナルの飾りを濡らしたら青インクのような汁がとめどもなく滲み出してくるので何かと思ったものですが,今考えるとあれもスオウの染め汁だったわけですね。
  スオウの欠点としては,耐水性がないこと,そして保存状態によっては褪色が激しいことがあげられます。
  左の写真は以前ネオクで出た楽器の目摂。
  そういえば最初の修理のとき,「青インク,とらなきゃ!」っと思って,庵主もこんなふうにしちゃいましたねえ。



  その後,何度も付けたり剥がしたりしたのもあり,オリジナルのお飾りはかなりボロボロになっています。
  表面をカシューで固めてなんとか止めてますが,どれもヒビ割れてバラバラに近い状態なのです。

  そこで今回は,これらのお飾りを複製することにいたしました。


  素材はオリジナルと同じホオの薄板。
  ふたたび(つか何度目だか…)剥がしたお飾りをツギハギし,板に輪郭を写し取って切り抜き,オリジナルを見ながら彫ってゆく----まあ,いつもやっていることなんですけどね。

  これで彫りに入る前までは,あれから修理した楽器およそ30本あまり……あのころのあたいとは違うのだよ!

  とゆー自信もあったのですが…


  ……まいりました。
  やっぱりぜんぜんかないません。(多汗)



  左右の目摂は菊。

  この部品で定番の「菊」のデザインは,左の参考図のように,横向きで花笠みたいになっているものなんですが,ある時期の石田義雄は,この1号や27号,先にあげた画像の楽器のように,オリジナルの「正面を向いた菊」のデザインを用いています。

  ほかに同じようなデザインの目摂もないので,長い糸倉,4フレット目が棹上にある長い棹,半月下縁の切り削ぎと並んで,この「正面を向いた菊」も,彼の作品であることを示す独自の特徴なんですね。




  扇飾りはコウモリ。

  全体の輪郭がこのお飾り定番の意匠,「万帯」(←画像)の変形にもなっています。
  こういうコウモリの類例はほかでは見たことがありませんから,これもまた不識オリジナルのデザインですねえ。
  石田不識はどうも,このコウモリというものが好きらしく,8号では蓮頭にコウモリが透し彫り,27号でも扇飾りのところにそのまんまのコウモリがついています。ネオクに出た楽器では,蓮頭と扇飾りの両方がコウモリだった例も見たことがあります。

  まあ,この菊にしろコウモリにしろ,一見するとコドモが描く絵みたいなデザインなんですが,これらのお飾り----「彫り」が「異様」です。

  他の作者のお飾りとどう違うのか……というと,彫刻とかやったことのない人にはなかなか説明しがたいんですが。


  そうですね,まず 「刀の入り方」 が違うんです。
  たとえばふつうのヒトなら,右から左に削るところをその逆してみたり,上から下に削ぐところを真横から削っていたり,という具合ですかね。こういうカタチなら,こうこう削ればいいよなーと思ってオリジナルをよく見ると,まったく違う彫り方になってたりするわけで。

  輪郭的にカタチだけ似せるのなら,どう彫って削っても同じなわけですが,こういう半立体物では,彫りの角度や方向によって,出来上がる 「陰影」 に大きな違いが出来てしまいます。
  完全に3Dになっている彫刻よりも,こうしたレリーフ的なモノのほうが彫りの陰影による効果が強く出るので,いくら輪郭をそっくりにしても,彫りのほうをちゃんとトレースできてないと,結果としては似ても似つかないものになってしまうわけですね。


  いや,このヒト,じつは左利きなんじゃないのかな----という気もします。
  何か作業台に特殊なものを使っているとかなのかもしれませんが,同じように同じ方向から彫ろうとすると,腕をカギ型に曲げて,かなり不自然な格好でやらなければならないことが多くありました。
  「反対がわから彫りゃあいいだけなんじゃね?」などとおっしゃる方も中にはいらっしゃるでしょうが,木の板には「目」とゆーものがあり,お飾りにはそれぞれカタチというものがあります。
  あるカタチのものに,あるラインをある方向に入れようとする場合,対象を手で押える位置や,刀を入れる角度は誰でもふつうはそう違いがありません。
  ここを押えて,こっちからあっちへ----特別な理由のない限り,そのほかの角度でやろうとはあまり考えないものです。


  庵主はこういう小物の製作が好きなので,どんなお飾りでも1コ数時間で彫り上げる自信があったのですが,この彫りのトレースには大いに手間取り……

  今回はなんと----たかだか3コに4日間!
  しかも,かなり頑張ったのに,庵主的に80%くらいの出来,としかなりませんでした…ううう。

  まあずっと見続けてきた庵主意外には判りますまい,というくらいにはなってると思いますし,あとは染めちゃえばもう……と言ったところでアクマの声に負けて妥協いたします。


  オリジナルではおそらく,この3コの飾りのほか,中央に円飾りがついていたらしく,今でも第8フレットの下あたりにうっすらとその接着痕が見てとれます。
  たぶん8号のと似たような,蓮華円の透かし飾りだったと思います。
  今回はこれも付けてやろうかと,庵主オリジナルのデザインなものの,いちおう彫ってみたんですが,長いこと中央飾りなしで弾いてきたもので,イザ付けてみるとどうも違和感が……相手がモノとはいえ,付き合いが長いとそれはそれでメンドウなもんですねえ。


  ツゲの山口に,竹のフレット。
  自分使いの楽器だから,ということもありますが,実用第一。

  今回も複製棹ですが,角度等の設定は原作どおり。
  半月にゲタもナシですが,絃高もフレットもバリ低目です。

  最後に,絃停にとっておきの緑の花唐草を貼って。

  2012年4月末。
  庵主にとっての始原の月琴にして,マイベターハーフ。
  月琴1号,再生修理完了!!!


  数年ぶりに弾いてみましたが,やはりいい楽器ですね。
  まあ,いちばん弾いていた期間が長かった,という手慣れ感もありますが。


  やや縦長に四角張った薄い胴体,長い棹,大きく角度のついた糸巻き。
  この楽器としてはやや大柄な部類ですが,バランスは良く,立奏してもポジションがほとんどズレません。
  音は大きく,くっきりとしており,太目直線の響き線の効きがかなり良いので,けっこう強い余韻が出ます。

  石田不識が薩摩や筑前などの近世琵琶を本格的に作るようになったのは,おそらく清楽が廃れて,月琴などの清楽器が売れなくなってからのことだとは思いますが,8号の工作などからその唐木の扱いを見るに,もともと琵琶師だったのかもしれません。
  茎を無垢にしたり,半月の下縁を切り落としにしたり……少なくとも「三味線屋」ならやらないだろう加工が多いのです。


  そのためか,1号の音は「月琴の音」というより,琵琶のそれに近いですね。
  音色そのものではなく,音の出る方向や余韻のかかりかたに,そういう感じがします。
  まっすぐ,前向きなんですよ。余韻もあまり拡散せず,面板から前方向へ飛んで減衰していきます。

  デンジロウ先生の空気砲を思い浮かべてください。

  30本以上の楽器を見て,弾いてきた今となっては,こりゃ「月琴の音」としてはどうかなー?と思う部分もかなりありますが,楽器の音として,これはこれで素晴らしい。
  庵主,この楽器を手に入れた当初は清楽をいっしょにやるような仲間もなかったもので,主としてジャズの人なんかに良く遊んでもらいました。音数がなにせ13コしかないもので,コードチェンジのたびにアワアワ,ソロふられるたびにオロオロ----しかしそうした,この楽器としてはもちろんイレギュラーな音楽場面であっても,かなりくらいついていけたのは,この音色のおかげだと思いますね。

  おかえり。
  そしてまた----ヨロシク。

(おわり)


1号再修理(2)

G001re_02.txt
斗酒庵 過去の亡霊と対峙す の巻2012.3月~ 月琴1号再修理 (2)

  これは後で…27号の修理記のときに書いたほうが良かったのかもしれませんが。

  月琴1号の修理は,24号の修理とほぼ同時進行でした。
  この年末から年始にかけて,資料用にけっこうな数の壊レ楽器を買っちゃったので,その修理と支払いに毎夜うんうんうなされていたんですが----そういうある夜の夢の中。

  庵主珍しく,黒の三つ揃いなぞ着て,どこかの学校の体育館のような,講堂のようなところにいます。
  パイプ椅子がところせましと並べられていて,けっこうな数の人が座り,講演か演説みたいなもののはじまるのを待っている様子。
  ふと気がつくと…何歳くらいかなあ。たぶん二歳か三歳くらいのごく小さな女の子が,大人と大人の間のせまいとこをトコトコと歩いてきたかと思うと,いきなり庵主の膝につかまって,うんしょとよじのぼってきたんですね。
  ちょっと古風な黒いワンピースを着てて,さらさらのおかっぱ頭をしてました。
  膝のうえに乗っかった幼女は,無言のままけっこうエラそうにふんぞりかえっています。


  何故だかは知りませんが,庵主はこの子が「石田佳菜」ちゃんで「紗菜」ちゃんという小学生のお姉ちゃんがいる,ということを知っているんですわ。
  まあお父さんとでも間違いているんだろう,と思い,しょうがないのでとりあえず,落ちないようおなかのあたりに手をまわして,ポンポンと叩いてやっていたら,佳菜ちゃんの身体が熱ーくなって,少しくにゃり,としてきました。
  あーこりゃあこのまンま寝ちゃうのかなー,と思ったとき。

  「かな~…かなあ~。」

  と向こうのほうで,紗菜お姉ちゃんの呼んでる声。
  佳菜ちゃんは膝からとびおり,声の方に向かって人群れの中に消えていったのでした。

  まあ夢のハナシなんですが,妙にリアルな夢で。
  二三日,膝の上に,抱っこしてたときの感触が残ってましたね。

  次の日に届いたのが月琴27号,現在修理中の1号とほぼ同時期の,石田不識による月琴です。
  棹茎の番号から27号がどうやら「佳菜ちゃん」,呼んでたお姉ちゃんは修理中の1号だったのでしょう。
  ちなみにこの27号,どうやら業の深い楽器らしく,カイキな現象はこれだけではありませんでしたが,そちらはいづれ……。


  今回の再修理も,主眼は棹の複製であります。
  石田不識の棹はほかの作者のに比べると,糸倉も棹本体も長く,前から見るとすらりとしています。
  棹背はほとんどまっすぐで,太さの変化はゆるやかですが,長いので細めに見えます。
  糸倉のアールは浅め,その付け根「うなじ」にあたる部分は短く,ふくら(山口…トップナットの乗っかっている部分)はやや広く,その下のくびれもすこし深めにとられています。第4フレットが棹の上にのっかっているのも特徴の一つ。

  まあ庵主くらいなものでしょうが(汗),この棹の部分だけで誰の作だか分かっちゃうくらい,特徴的なものです。
  オリジナルの材質は胴と同じくサクラだと思われますが,棹の中心や糸倉に小さな節があったりして,そんなに良質な材料ではありません。


  さあて名工の作をコピーするわけですからね。
  腕が鳴りますポキポキと(あ,折れた…)

  斗酒庵式月琴複製棹,材料は例によってカツラとサクラの板。
  サクラの板(厚 1.4cm)を中心にした,3ピースの寄木細工でまいります。

  切り出した板3枚に,糸倉の天のところの間木を,ニカワで貼ってクランプで圧着固定。
  この弦池(糸倉の内側の空間)のところも,多くの月琴作者が二股フォーク状態に切り抜いてから,最後に間木をはさんでいるのに対して,石田不識オリジナルの棹は彫り貫きになっています。茎まで無垢だし,どこまで一木にこだわるんでしょうねえ。


  数日置いて,出来上がった四角い物体を,カンナやヤスリで削りますぞえ,えんやらや。
  オリジナルを横に置いて,寸法を確かめ,見た目を確かめ,ときおり撫でては表面の感触まで写してゆきます。

  最初に手に入れて以来,ずっと何年も使ってた楽器ですからね,測った寸法より手のほうがすべてを覚えてる感じです。


  今回,軸には8号生葉のオリジナル(黒檀製)を使います。
  8号生葉も不識作の月琴で,1号よりずっと手の込んだ総唐木造りの楽器だったのですが,なぜか糸巻きが糸倉とちゃんと噛合っておらず,糸がユルみやすかったため,先年,糸倉に合わせて新たに軸を削ってやりました。そこでこのオリジナルの軸が余ってしまったわけなのですが,なんせこの軸,今では貴重なマグロ黒檀の無垢,ただほかしておくのは何とも勿体ない。

  いつもは先に穴があって,そこに軸先を調整しながら合わせていくのですが,今回は逆。
  糸巻きにぴったり合うように,穴のほうを広げてゆきます。


  先にも触れたように,棹から棹茎まで無垢であるのもまた,石田月琴の特色の一つながら。
  3ピースの寄木細工で同じことをするわけにも(強度的に)イカないので,複製棹では一般的な月琴と同じく,棹本体に延長材を継ぐ形式とするんですが----
  今回はせっかくなので,というか,棹を作りなおすぶんせめて,というか。この切り取ったオリジナルの茎部分を,そのまま延長材として使っちゃおうと思います。
  ここにはオリジナルの「十一」も書も入ってますからね。



  剥がしてしまった裏板には,最近24号の表板に使ったのと同じ,ウサ琴製作用に仕入れた桐板を使います。
  24号のときもこれをわずか1ミリほど削るのに,けっこう大変な目に遭いましたが,1号はさらに板が薄いので----ジゴクが見えました。

  ほぼ半日かけて,約2ミリほど薄くしましたが,この作業で,半丸の鬼目ヤスリ1本と#80番のペーパーが2枚逝きました。
  なーむー。

(つづく)


1号再修理

G001re_01.txt
斗酒庵 過去の亡霊と対峙す の巻2012.3月~ 月琴1号再修理 

  それはある初夏の4のつく日。バイト帰りの庵主がいつものとおり,旧中山道---巣鴨の地蔵通り商店街にさしかかりますと。その日はお地蔵さんのお縁日。庚申塚がわのほうに,露店の古物屋さんが数件出ておりました。
  時間はすでに夕刻6時に近く,古物屋さんたちも荷物をまとめて帰り支度もはじめたころ。
  ある古物屋さんの店先に----ホッケさんの団扇太鼓のボロいのが一つ,出ていたと思いねえ。
  ああ,あれ持ってドンツクしながら踊念仏でもやったら面白そうだ,と手に取れば,なにやら違和感。
  太鼓じゃない…木で出来てる。それになんだ,この握りの左右についた穴は?
  と,裏返して見れば,左右に菊の飾り,半月形のテールピース。
  蓮頭も軸もなく,フレットも山口もとんでおりましたが,振ればカラカラ響き線----これは,紛うことなく日本の,清楽の月琴!

  庵主,もとより中国民俗学屋,いちおう音楽に関わるあたりが専門分野なため,知識の一端として日本でむかし月琴という楽器が流行ったことがあった----と,いうようなことは,とおに存じてはおりましたが,実物の「清楽月琴」を見たのも手にしたのも,実にこれがハジメテ。

  露店のおばちゃんに値段を聞いたところ,特価¥1,000。
  うーん,マケてよ,と言ったら\700にマカさりました。

  爾来10余年。

  庵主にとってこの1号,まさに始原の月琴であり,その後の5年以上,さまざまな音楽の場で苦楽をともにしてきた戦友でもあるわけでありますが,数年前糸倉を損傷して一線を退き,それからはなかば記念品のように,「壁の花」 となっておりました。

  しかしながらこの楽器----名工・石田義雄(初代不識)の作なんですよね。

  もっともそれを証明するようなラベルや墨書もないし,棹と胴はサクラ,総唐木の8号ほどの高級品でもなく,普及品クラスの一本ですが,長い糸倉,長くてまっすぐな棹背,薄くて広い胴体,西洋楽器なみのくっきりとした音色など,唐物の影響を脱した国産月琴が,やがてなろうとしていた未来の姿の一つを,先取りしたような独創的な楽器です。

  去年暮より21号,16号と2本続けて3ピースでの複製棹を製作し,実際に使用してもらって,その加工や実用性に自信がついたことですし,ちょうど24号の修理で,また棹を作ることになったついでに,1号の棹も複製し,これをまたバリバリの実用楽器,庵主のベターハーフとして復活させようということになりました。

  この楽器を最初に修理したのは,なんせ10年ほどもまえのことで。知識も経験もまったくと言っていいほどなかったわけですから,まあよくやったものだと自分に言ってやりたいですが,10年経ちますともう別人みたいなもので,この「修理」を今評するなら----

  よくもまあ,こんだけテキトウやらかしやがったな!!
  ケツから皮ひん剥いて苛性ソーダのプールに沈めちゃる!!!!

  とまあ(汗)いうようなものですね。
  中学生のころのポエムを書き綴ったノートか,あのころ好きな子に送ったラブレターなみに,キモチは分かるけど心情的にユルせない……オレ自身を!
  という甘酸っぱい,いやすでに加齢臭のする酸っぱいニオイ的に見ていられないので。まずはその「修理」の痕跡をすべてひっぺがします。


  まず,棹が基部の部分を接着剤---たぶん木工ボンド---でガッチリ固めてありました。(汗)

  どうにもならなくて,けっきょく鋸で切り落さなきゃなりませんでしたが----もうなんでこんなことをしたのか!今となっては知るヨシもありません。たぶんネックの固定がユルユルなことがガマンできなかったのでしょう。
  茎を胴体の棹孔の表裏から切断,中に残ったぶんをほじくってようやく貫通です。




  表板裏面のブレーシングもどき,意味不明です。これもみんなひっ剥してしまいましょう。

  棹基部の除去とこの作業のため,裏板の中央を切り取ったんですが,良く考えたらこの裏板自体,自分で貼っつけたモノ。
  替えの板もあるしで,エイッと剥がしてしまいました。


  久しぶりに見た1号の内部構造ですが,あのころは気がつかなかった石田不識の独自性が,こんなところからも発見されて,いまさらながら驚きますね。

  まず,内桁が胴体と同じ材質で出来ています。
  通常,この部分は唐物では面板と同じ桐,国産の月琴ではマツやスギやヒノキなど,比較的入手しやすく,安価で加工の容易な針葉樹の板が用いられます。
  材質はかわってると言ってもやっぱり粗板で,表面加工もあまりされていないし,音孔の加工もお世辞にも丁寧とは言えませんが,内桁がこうなっている例は,この10年間ほかにありませんでした。

  つぎ,響き線の基部。
  この厚みが1センチない側板に切込みを入れて木片を精密に嵌め込んでいる技術もさりながら,最大の特徴は,この木片が表裏面板と密着していることです。
  ----なんてことはない当然の加工と,思われる方もいるかもしれませんが。これもまたほかの月琴ではなかったことで。
  胴内側に直挿ししている場合は別ですが,たいていの作者はこの部分,面板面を斜めに削ぐなどして,面板からわずかに離していることが多いのですね。

  面板と密着させた(石田義雄)のは,面板の振動を響き線に伝導しようと考えたのでしょうし,面板から離す(他作者)のは,楽器に触れている身体の余計な振動を拾わず,空気中の振動だけに共鳴することを意図したのじゃないかと思います。

  しかしながら,ウサ琴による実験結果などからいたしますと,じつのところ,どちらの加工にしても,音色上,顕著な違いはまったく生じませんでした。
  よーく考えてみますと,もともと唐物の月琴などでは胴に直挿しで,それで構わなかったわけで。こういうふうに木片を噛ませたのはどちらかというと,音の伝導うんぬんより「落ちたらどうする!!」的な,余計な心配からきた加工だったと思われます。つまり薄い胴体側部だけより,線の基部をより深く差し込めて安心,ということだったのでしょう。

  日本人,こういうところは律儀というか…心配性なのですね,余計に。

(つづく)


16号再修理

G016re_01.txt
斗酒庵 油まみれ! の巻2012.2月~ 月琴16号再修理 

  さて,人間,先に進む前には必ず後を振り返るもので。ワタシの前に道はなく,ワタシの後ろに草生すカバネ……

  16号が帰ってまいりました。
  ----糸倉が,割れてますねえ。

  一番下の軸孔を中心に左右とも。一方のヒビはうなじにまでかかっております。

  16号於兎良(おとら),作者は馬喰町の福嶋芳之助。
  うなじが平らなこと,内桁が一本であることなど----その外見や内部構造には唐物月琴の影響が残っており。以前修理した10号月琴と比べると,各部の加工にも構造にも,何だか「慣れてない」感が見てとれます。
  作者が「月琴」という楽器を作るようになってから間もないころの,いわゆる「若作り」の一本だと思いますね。
  銘の通り,その胴体はしましま虎杢の,いかにも高級そうなトチの木で出来ていますが,棹は何故か,普及品の月琴でよく使われるカツラです。
  指板に朱漆を擦りこむなど余計なことをして(おかげでフレットが上手くくっつかなくなった)棹にも高級感を出そうとはしてますが,目の広い,かなり柔らかな材(そのぶん木目はキレイ)なため,弦楽器のネックとしてはもともと,少し強度的に難のある材料でした。

  そもそもなにゆえ棹を,胴体と同じ材料で作らなかったのでしょう?

  まだ博覧会で賞とかとる前だったので,そんなに仕事もなく,棹の材料まで予算が回らなかったのかもしれません----胴体は1/4円の板を4枚切り出すだけなので,1寸ほどの厚みさえあれば素材は板でも角材でもよく,それほどの大きさも要らないんですが,棹材にはそれなりの大きさのカタマリが必要となりますからね。


  いちおういつもどおり,ニカワと籐巻きでやってはみましたが……ヒビがうなじまで回りこんでいることもあり,またもとの材質が上記の通りなので,直ったとしても使い続けるならそう長くは保ちますまい,という状態にしかなりませんでした。

  しかし庵主の大好きな芳之助の楽器。おまけに胴体はせっかくの特上物なのですから,これをこのまま「虎の皮」にしちゃうのは耐えられません。

  棹を作りましょう----それもたぶん,芳之助が本来やりたかったろう風に。


  新しい棹の材料は,以前この楽器を修理するとき,蓮頭を作るのに買い入れた虎杢のトチの板,厚さ1.4センチ。

  こいつを使いましょう。

  しかしながら----1.4センチの板から3枚の部品を切り出し,貼り合わせて1本の棹に仕立てるわけですが。
  トチというのはまあ,カタいだけでなく,粘りがあって切りにくいわ削りにくいわ!ピラニア鋸でも食い込みましたからね~。

  いちばん大変だったのが,左右の2枚の工作です。元の板の厚さは1.4センチ。糸倉部分の厚みは左右ともに8ミリ,6ミリ多いわけですね。その分を縦挽きして切り落とす,という難工事……もう二度とゴメンです。



  出来上がった棹をヤシャブシで染めて,カシューで仕上げると…

  おおおおおおっ!

  木の周りをグルグルしたらバターになっちゃいそうなくらいのトラ縞となりました。
  軸はもちろんオリジナルのもの。せっかく作った蓮頭も,染めて色を合わせ,磨いて貼り付けました。

  今度の棹はガンジョウですからね。

  通常の操作では,世紀末覇王でもなければコワせますまい。

  2012年3月末,16号於兎良,さらにド派手となって復活です。


  色のほうはまだかなり明るめになってますが,数年もすると落ち着いてくるでしょう---とはいえ実のところ胴体と材を同じにしたので,今現在もあんまり違和感がありません。

  従前の工作では,棹の指板面と胴面板がほぼ平行,という,楽器製作者だと考えがちだけど月琴としては失敗な作りになってましたが,今回はイチからの製作だったので,「山口のところで約3ミリ背側に傾く」という,この楽器の理想設定に修整。
  フレット高が平均で1ミリほど下がりました。
  それにより運指への反応と,高音域での音の伸びが若干向上しています。

  21号からこのかた,棹の再製作が続いてます。
  おかげで部屋の片隅に,月琴の「首塚」が出現しました。(^_^;)

  ここまでやりますともう,楽器の「修理」というよりは「再生」に近いものとなるので,修理人としては微妙なところですが,この楽器の最大の弱点は,この糸巻きの挿さっている糸倉のところ----何度も書いてますが,この部分はこの楽器でいちばん力のかかる場所なので,修理したとしてもその後,楽器として使用するにはいろいろと制約がかかることになります。
  古物として,また古楽器のオリジナルとしての価値はなくなりますが,何の気兼ねもなく演奏してもらう,ひいては 「楽器を楽器として使い続けてもらう」 ためには,いっそここまでやらないとならない時もあるわけですね。
  楽器は音を奏でるために生まれてきたものなので,演奏できない楽器は楽器じゃありません。庵主は単なる古玩趣味としてではなくこの楽器が好きなので,ここまでやってしまいますが,ウデに自信がなく,庵主ほど後世に対しいろいろと背負うカクゴのない方は,止めておいたほうが賢明---ということも言い添えておきましょう。
  モノが良ければなおのこと……

  次回もそういうお話となります。

(おわり)


24号松琴斎(5)

G024_05.txt
斗酒庵 油まみれ! の巻2011.11~ 月琴24号 松琴斎 (5)

STEP6 油地獄再び!

  そう----ご覧のとおり,一度は完成したのですよ。

  失敗その1。試奏しようと糸を張りなおしたら,低音部に少しビビりが出ていたんでフレットを削ったんですが。

  削りすぎちゃいました。(泣)
  第2,第3フレット,作り直しです。(泣

  この作業のため,せっかく完成したのに二日ばかり弾けず,修理フックにぶるさがったままでありました。

  まあフレットは,言ったら消耗品みたいなもんですからまだ良いのですが,真の悲劇はその後。
  フレットの再作成も終わり,こんどこそ試奏だァ!---と,壁のフックから楽器をおろして,手近でふと見ると。

  お飾りの周囲に,なにやら不穏な影が…
  わわわわうわっ!油だ!----油ジミだよこれっ!

  たしかに,染め直すとき染め液がハジかれたりもしましたが,表板ほど表面にベトつきもなかったし,小さな薄い部品なので,まあ問題はなかろうと軽く考えていたのですが……っ!!

  貼り付けてから二日三日で,左右目摂では周縁から最大で1センチくらいの範囲まで,扇飾りのまわりなぞは,ほぼ第5フレットと第6フレットの間の空間いっぱいにまでシミが広がってしまっていました。

  ----コリャ大変!


  まずは原油の流出源であるお飾りを除去。
  次に,表面板のシミの出来た範囲を,エタノールや中性洗剤で吹き擦り続けます。

  はあはあ……かなり時間がかかりました。


  はずしたお飾りは中性洗剤でジャブジャブ洗い,乾いたところで裏面をこそいでエタノールで拭い,柿渋を二三度染ませました。柿渋は油と反応して固化するので,ふつうはこれでオイルフェンスみたいになるのですが……
  処置後,用心のため,白い和紙を敷いて,二日ばかり重石をかけたら----まだうっすらとシミができやがったとです。(泣まあ,前に比べると流出量は微々たるものでしょうが,これでもまた桐板にシミがつくだろうことは明白。

  こ~ぶ~つ~や~めええ。

  たかがこんな小物に,いったいどんだけの量の油しませやがったァ!?

  おまけにこの油,やはり工芸などで使う「乾性油」ではなく,乾かない食用油の類みたいですね。
  そうすると柿渋との反応もあまり期待できません。

  ええい,最終手段じゃ。



  茹でます。

  第一液は水に重曹と木灰液をブチこんだアルカリ溶液,煮立ったところで界面活性剤,要するに家庭用の中性洗剤を一垂らし。染み出した油分を分離させます。そのまましばらく漬け置き。
  洗浄液は,染めに使ったスオウと反応してたちまちムラサキ色に,ついで油分で白濁して,ブルーベリー味のフルー○ェ風色合いになりました----オソロしや。

  二時間ほどおいて丹念に水洗いし,ふたたび釜茹でます。
  第二液は第一液に洗剤を入れないだけのアルカリ溶液。


  黒檀や紫檀といった材は,もとから材そのものに油分を多く含んでいるのですが,むかしそういう高級材を運ぶとき,温度・湿度変化などで割れが入ったりしないよう,表面をグリスのような油でコーティングしたり,油のプールにつけこんだまま輸送したそうです。
  いまはどうなってるのか知りませんが,油まみれのまま売るというわけにもいきませんからね。それを強アルカリの溶液を満たしたプールに漬け込んで「脱脂」という作業をしたそうです。

  今回のはそういう唐木屋さんから得た知識の応用。
  素人の身分でなんにゃら言う強アルカリの薬品を使うわけにもいかないので,重曹や木灰液といったご家庭アルカリ液で脱脂,効率的に油を浮かせるため,コンロの熱をちょっと借りました。

  第二液による煮沸を二~三度くりかえし,水に一晩漬け置き,いちおう油分による白濁も,表面に浮く油膜もなくなったようなので,水から出して乾燥させます。
  乾燥後,用心のためもう一度,油が染み出してこないか和紙を敷いてチェックしましたが,今度は同じ日数置いても油ジミはできなかった模様---うーん,でもまだ少し,何となく心配。(^_^;)

  せっかくなのでこの機会に,左目摂の欠けてた羽根の先端を補修。
  しかるのち,スオウとオハグロ液の上澄みで染め直しました。



  悪事魔多し----この作業中にさらなる失敗をしてまいました。

  扇飾りが----なくなっちゃいました。乾燥中にぽろっと落ちて,「ああ,あのあたりに落ちたな。」って見えてたくらいなんですが,後刻いくらさがしても見つからず。

  結局,ええい,と再製作。

  作業時間は40分ほど,完成まで2日----考えてみますと。目摂もこんな作業しないでいッそ作り直しちゃったほうが,よっぽど早かったかもしれません。ちくそー。

  油抜きでハジマリ,油抜きでオワった修理……まさに「油地獄」でありました。
  2012年4月末日,24号松琴斎,修理完了。




  棹・軸・表面板と,複製や交換した部分はかなりあるものの,月琴の音のほとんどを決める胴体の主構造や響き線,側板部分にはもとから損傷もほとんどなかったので,原作の音色はそれほど損なわれていないとは思います。

  西洋音階に合わせたこともありますが,棹をオリジナルより若干背側へ傾けたため,有効弦長はほとんど変わらないものの,フレットの位置が若干オリジナルとは違っています。
  とくに,オリジナルでは胴体の最端に位置していた第4フレットは,5ミリほど楽器中央側になりました。

  短めの棹,厚い胴体などに好みが分かれるところかと思いますが,床に横向きに立てて支えナシで自立するくらいバランスは良く,原作者工夫の棹断面,フレットの低さもあって,弾きやすい楽器に仕上がっていますね。


  音色はまあ 「ギリ平均点」,と言ったところでしょうか----今の時点で,このクラスの楽器でこれだけ損傷があって,なおこの音が出てれば文句はないとこですが,けして 「すンばらしく好い音の名器」で,ない ことだけは確かです。

  胴体に厚みがあるぶん,柔らかく,深みのある音がします。響き線の効きは良く,室内では余韻がうるさいぐらい耳に残るのですが,野外で弾くと意外と響かない。音がちゃんと前に出てません。表面板が新しいので,まだ多少正面方向への音ヌケが悪いせいもあるようですね。

  コンサートやギグでバリ弾くのには向かないかもしれませんが,ふだん使いの楽器としてはちょうど宜しいかと。
  遊んでやっている間に,音はいくらか良くなってゆくと思われます。
  修理の手間の割には,ちょっと辛口評価になりますが,楽器もさまざまですからねえ。(汗)

(おわり)


24号松琴斎(4)

G024_04.txt
斗酒庵 油まみれ! の巻2011.11~ 月琴24号 松琴斎 (4)

STEP5 修理は踊る

  さて表板はへっつきましたが,胴体はまだ箱に戻っておりません。

  裏板の右端に比較的重度の虫害があり,矧ぎ板一枚分切除してあるので,そこに板を当てます。
  この楽器の場合,表面板がまるっと残ってるわけですが,ザンネンなことに油まみれで使い物になりませんので,例によって,過去の修理で出た古い面板を使います。

  この古い面板の桐板,言っちゃえばゴミみたいなものですが,うちにある材料の中で,ある意味いちばん貴重なものの一つかもしれませんね。


  表面板の接着やこの作業などで,側板の表面を多少こそいでしまいましたので,補彩と古色付けをしておきます。
  面板の木口をマスキングした後,柿渋に乾性油を一垂らし,それを布にとり,炭粉と木灰をなすりつけて磨き上げます。

  こういうとき,クリは材質的に染みこみと色づきがいいので,作業は比較的ラクです。


  棹は染めた後,カシューで塗膜のない擦り漆風に塗装。
  接着固定はもちろん慎重にやりましたし,指板を厚めのものにしたりと強度の面では問題ないと思いますが,ギターと違って月琴の棹は細くしかも,3ピースの寄木棹ですからね。
  湿気対策としてある程度の表面保護が必要と考えます。

  いつもながら,この塗装作業がいちばん時間のかかるところで。
  まずは塗装前の下処理として,#1500ほどのShinexで,二日間ほど棹表面を磨きまくりました。


  その後,二日ほど間を置きながらカシューの擦りこみを3度ばかりしたあと,1週間乾燥。
  今年はやたらと寒かったので塗装の乾きが遅く,いつもより余計に時間をかけましたね。

  そのまんまだと若干テラテラしてるので,表面を乾性油と炭粉で磨きます。
  右画像下が処置前,上が処置後。最後にカルナバ蝋で磨いて仕上げ----う~ん,しっとり出来ました。


  小物作業そのイチは,半月の補修。

  前面の端の部分が,かなり齧られてしまってます----くそ~ネズちゅうめ。
  凸凹を均し,斜めに削って,ローズの端材で「入れ歯」をします。
  接着面が狭いのと斜めになってるので,対した大きさではないんですが,輪ゴムやらクランプやら総動員。


  なんとかうまくくっついたみたいですね。
  でっぱってる部分をヤスリで整形します。

  木色は異なりますが,スオウやオハグロ液で染め直して補彩すると,ほとんど分からなくなります。


  小物そのニは蓮頭の作成。

  蓮頭のデザインは,以前ネオクで出た,同じ作者の楽器についていたものを参考にしました。
  荷花に波唐草をあしらった同種の意匠は,この部品ではコウモリと並ぶ定番の一つですね。


  まだ染めてませんが,つけてみるとこんなふう……ふむ,上々。

  今回の軸はカツラ。カテキューとスオウで棹とほぼ同じ色に染めてあります。
  オリジナルの軸も3本残っていましたが,かなり使い込まれており,先端の痩せが酷いので新たに作り直しました。
  こちらも表面をカシューで拭き漆風にしてありますが,棹よりはややフラットに仕上げてあります。


  小物そのサン。

  中央飾りを作りましょう。

  オリジナルの表面板には痕跡が見つかりませんが,同じ作者の類例には付いているものもありますし,鸞鳥の目摂の場合,デザインとしてここになんかないと真ん中がガランとしてなンかサミしいですからね。

  円盤型のお飾りが基本ですが,今回はちょっと凝ってみましょう。
  「魚」は中国語で「ユー」。「余裕」の「余」と同じ音です。昔の穴あき貨幣「眼銭(イェンチェン)」は目の前「眼前」と同音。
  したがって「穴あき銭にお魚」つまり「眼銭有魚」は「眼前有余(もうすぐラクになる)」ということ。その「お魚」が「コイ(鯉)」だったとしますと「鯉(リ)」は「利」に通じますので「もうすぐもうかる」になり,さらにそれが「双」になりますと「もうすぐガッポガッポでウッハウハ!」というような目出度いことになります。


  ほんと,洒落の解説ってのは,ある意味苦行ですねえ。(^_^;)

  書いてるうちに彫りあがりました。直径は4センチくらい。
  北海道人の性として「大きなお魚」を描いたり彫ったりしますと,どうしても「シャケ」になってしまうのです---今回もデザイン段階でかなり苦しみましたが……まあなんとかギリ「鯉」に見えますかね?


  棹がなるべくまっすぐ挿さるように,棹基部を調整します。
  写真ではちょっと分かりにくいかと思いますが,この楽器,棹を挿す孔自体が,もともと胴体の中心線から2ミリほど右方向へズレ,さらに棹孔周縁がやや右方向に傾いた形で斜めに均されてしまってるので,立体的になかなかムズかしいところがあります。
  あまり見苦しくならないあたりで妥協しましょう。あとは半月の位置と角度で補正するしかないですね。



  さて,表面板は白木のままですので,ヤシャブシで染め,裏面板は軽く清掃しておきます。

  かなりまっ黄色に染めましたが,乾いちゃうとなんかあんがい白っぽくなるんですよね。
  でもご注意。このあたりが天然染料のコワいところで----
  何週間か経つと色があがってきて,黄色味が増してきます。ですのでいい気になって染め続けると,半年後くらいにはタバコのヤニがついたみたいになって,逆に色抜きしなくちゃならなくなっちゃったりしますので。
  染めはほどほどにしましょう(経験者・談)。

  乾いたところで布で磨き上げ,あらかじめ決めておいた位置に半月をへっつけます。


  さてここまできたらあと一息ですぞ!

  小物そのヨン,山口は今回ツゲです。

  オリジナルは欠損,残ってたフレットは象牙でしたからここも象牙だったかもしれませんが…

  なんかもったいないので。

  同じ理由につき,フレットも竹に変更。
  普及品の実用楽器ですし,前にも書いたとおり斗酒庵製竹フレット,手間だけ考えると端材の象牙なんかよりはるかに上等です。
  今回の棹は自作の複製品ですので,オリジナルより背側へ傾斜させてあります。
  山口のところで表面板の面より3ミリ----この楽器の工作としては理想的な角度ですね。
  おかげで半月にゲタを噛ませなくても,高音部がかなり低くまとまりました。
  低音部はっやあ高く,高音部は低いほうが,操作感もよく,音の伸びやヌケが若干向上しますので。


  調整の終わったフレットは,表面を#400くらいまで磨き上げてから,\100均屋で売ってる不繊紙の「ダシ袋」に入れ,ヤシャ液で10~20分ほど煮立てます。
  (注意!ヤシャ液はかならずホーロー鍋かガラス鍋で煮ましょうね。金属の鍋はダメですよ。)

  そのまま一晩漬け置いて翌日取り出し,一日乾燥させます。
  また#1500くらいのペーパーで磨き,ちょっと薄めたラックニスに1~2時間漬け込み,また1~2日置いてから磨いて完成。


  何度も書いてますが竹製フレット,ふつうは切って削るだけなんで,価格は安いし加工とフレッティングまではお手軽なんですが,斗酒庵,凝り性なもので,その後がかくのごとくであります----しかしながら,染められ,滲まされ,磨きあげられたフレットは,裏も表も黄金色。上等のツゲ材とも見まがうほどの出来。しかも強度と,擦れに対する耐久は,ツゲより上だと思いますよ。


  さて,フレットもできたし,新作の蓮頭と中央飾りも染め終わりましたし。オリジナルの鸞の目摂と扇飾りは染め直しました。

  全部そろったところであとはこれ,接着したら,わーい完成だァ!

  ----などとウカれていたら。
  最後の最後に,思いも寄らないヒゲキが!
  待て,次回。

(つづく)


24号松琴斎(3)

G024_03.txt
斗酒庵 油まみれ! の巻2011.11~ 月琴24号 松琴斎 (3)

STEP4 嗜好の世界


  複製棹がほぼ完成したので,オリジナルの茎を移植します。
  外に出ていた棹の本体部分は,枯れ木のようにスカスカのパサパサ状態になってしまっているのですが,胴内にあったこの部分は劣化していません。
  まあ茎ぐらい新しく作ってもいいのですが,少しでもオリジナルを残しておきたいですしね。

  棹の基部を水を含ませた脱脂綿でくるみ,約二日。


  ようやくはずれました----かなり雑な内部構造の24号ですが,ここの接合の工作だけは,かなりきっちりとしたものでした。接着面のニカワはまだ活きていて,このまま挿せばまだ何度でもくっつきそうです。

  複製した棹基部の刻みを調整するのに三日ばかりかかりましたが,なんとかオリジナルと同じようにくっつきました。(ぜったい新しいの作ったほうが早かっただろうなあ-笑)
  さすが「移植手術」だけに,非常に微妙かつ精緻なる作業となりましたねえ。


《閑話休題--内部構造と棹茎の長さについて》

  24号の茎はやや長め。上桁がそれだけ中央に寄って配置されているということですね。

  作家さんにもよりますが,明治初期の国産月琴ではまだ唐物の影響が強く,内桁も一本だったりするので,棹茎は長めのものが多いようです。明治後半の山田縫三郎や石田不識の楽器では,上桁がもう少し上になり,棹茎は比較的短くなっています。

  この変化の原因としては,響き線の形状の変化が考えられます。唐物月琴や初期の国産月琴の響き線には,楽器の肩あたりから出て,ほぼ内側を半周するような長い弧線が使われていましたが,次第に楽器中央に位置する直線や曲がりの浅い弧線が主流になってきます。

  国産の月琴が普及してゆく過程で,なぜ前者が廃れるようになっていったのか,理由は今ひとつ分かりませんが,こうした響き線の振動の方向や幅の違いが,内部構造の変化に影響しているだろうことは考えに難くありません。


  24号は明治の後期に作られたものと推定されますが,この内部構造や短めの棹,厚い胴体などには,まだ若干唐物の影響が残っています。
  ただしこれは時代的な潮流とは関わりなく,おそらくは作り手の伝系の影響でしょう。第一回目で書いたように「松琴斎」の少し前に「松音斎」という作家さんがおり,加工の精度は異なりますが,全体の構造や寸法,内桁の配置(下桁が傾いてるとこまで!)などがかなり似通っていて,たぶん関係があると思われますので。



  さて,虫食いだらけ油まみれの表板をひっぺがしたので,代わりの板を貼りつけます。

  おっと,その前に。

《閑話休題2--表面板の材質について》

  面板の楽器内側の部分にはヤシャブシ等による染めが施されておらず,板の矧ぎ目が見分けやすいので数えてみたんですが……すごいですね,表裏同じく,なんと12枚もの板を継いでいます。
  小板をつなぐ手間を考えたら,矧ぎの少ない板よりかえって高くつくんじゃないかとも思いますが,石田不識の1号でも10枚くらいは矧いだのを使ってますから,当時はそれほど珍しいことではなかったのかもしれません。

  面板の桐板は,唐物では一枚板が多いということも,前何度か書きましたよね。
  国産の月琴では,この表面板の質にも時代的な変遷が若干存在しています。
  すなわち唐物から比較的初期の国産楽器では板目の板が多く,お箏などと同様それを一種楽器の「景色」として鑑賞したり,特定の板目を製作者の個性のように使っていた感もあるのですが,明治後期の楽器ではほとんどが柾目の板が使用されるようになっています。
  板目ですと,木目がうまくつながるように一枚の板にするのも大変なので,矧ぎの枚数は多くても5~6枚程度ですが,柾目の板の場合は直線的なので簡単なのか,この楽器の板のように矧ぎの枚数が格段に増えてきます。

  ギターやバイオリンなんかの例にあてはめて考えれば,弦楽器としての共鳴板,音色的にはある意味いちばん大切な箇所である表面板に,音伝導の良い柾目板が好まれるようになったというのは理解できるものの,月琴の場合,共鳴空間自体が小さいので,実際には柾目板と板目板の間にさほど顕著な音色上の格差は生じません。
  また,単純に見た目が「柾目」とは言っても,これだけ多くの小板を継ぎ接ぎしたものが,果たしてどれだけ柾目としての特性を発揮できるのかについても疑問があります。

  そこからするとこの変化もやはり,一本桁から二本桁が主流となっていったのと同様,中日職人間の感性とか嗜好の違いとかいうものの影響のほうが強かったのじゃないかと思いますね。


  代えの板は以前ウサ琴の製作用に購入した桐板。
  ちなみにこちらは,ほぼ柾目なところは同じで3~4枚矧ぎ程度----オリジナルよりは上等ですね。
  少し大きめに切りだして,胴体に貼りつけます。

  この板,欠点といえば1ミリ程度厚いことで。
  さて以前にも書いたと思いますが,棒や角材を削るのと違って,板の面を削って薄くするのはけっこう大変な作業です。
  桐板は木材の中ではごく柔らかい部類ですが,これを手道具だけで1ミリ薄くするのですよ。

  やってみぃ。
  SAN値だだ下がりしますからね!

  さて,木は濡らすと柔らかくなります,柔らかくしたところで加工すると少しはラクになるわけで---
  「楽器の板」の加工としてはかなりギリギリな手段となりますが,今回はその方法でいってみました。
  板の表面にハケでさッと水を含ませ,半丸の鬼目ヤスリで繊維に対して垂直方向へキズをつけ,アラカンなどで均してゆきます。


  あまり水分が滲みちゃうと厄介なので,ハケで刷いてはタオルで拭き取り,滲み過ぎないうちにその層を削り取る…なんか曲芸みたいなことをくりかえすこと約4時間。オリジナルの板とほぼ同じ厚みになったところで終了。

  上が24号の加工済み表板,下は同時修理中の1号月琴の裏板,未加工。
  こんくらい削ったんですが……後遺症として二日ばかり,腕が上がらなくなりましたとさ。(泣)


  粗削りの終わった表面板はさらに,長めの角材にペーパーを貼った特大の紙ヤスリブロックで表面を均し。
  周縁を整形して,オリジナルの板から陰月(空気穴)の位置を写し,穴を一つあけておきます。
  24号のはやや小さめで,直径5ミリ程度でした。


(つづく)


« 2012年4月 | トップページ | 2012年7月 »