26号菊芳3(6)
![]() STEP6 ぼくらの時間 ![]() さて「修理」という立場からすると,今回も「オリジナルの改変」という余計なことを,かなりしてしまったかもしれませんが,思い入れのある大好きな作者の楽器なだけに,より良い音でより永く弾いてもらいたい----だからまあ,毎度のことではありますが,「修理」に関する批判は甘んじて受けましょう,責任は背負いましょう。 こういう古楽器の修理において,それが出来るなら何をやっても良いとは考えませんが。受け継いだものに感謝をしつつ,自分も出来る限りのことをして,次の世代に受け渡したいものです。 2012年5月,日本橋区馬喰町菊屋(菊芳)製,清楽月琴26号,修理完了! ![]() ![]() 線落ちのために使わなくなったようですが,それ以前にかなり使い込まれた楽器だったようで。 表面板を清掃したら,絃停の横に,無数のバチ痕が浮かび上がってきました。 「使い込まれた楽器」だったということは,それが良い楽器だった証拠でもあります。 単に材料が良いものだとか,名工中の名工の逸品であったとか言うのとは別に,使いやすく,弾きやすい実用的に「良い」楽器だったということですね。 まあ,壊れる前の音を知っているわけではないので,そういう楽器の音が,今回の修理でどう変わったかは分かりませんが---- ![]() 思い切って棹を傾け,絃高を下げたので,運指への反応も高音域での音の伸びも,かなり改善されています。 弾きやすいですね----一言で言うと。 音は10号と同様,明るくシャッキリ。まさに「江戸っ子楽器」といった感じです。 嵌め直した響き線がかなり敏感で,演奏中に胴鳴りがしてしまうこともありますが,まあこれは功罪両面。響き線自体が長く,その揺れ幅も大きいので,余韻の振幅はかなりのものです。 石田不識の月琴同様,多少「雅味」とやらには欠けるムキがありますが,「楽器の音」としては素晴らしい。 16号の修理のときもちィっと思ったんですが,菊芳の楽器を修理していると,なぜか福島芳之助の 「尻拭い」 をさせられているような気分になるんですね----いえ,けっして彼の腕前が悪いわけではないし,他の職人さんにくらべ,とくべつ手抜きが多いとかいうわけではないんですが。 ![]() 何度も書いてるように芳之助の楽器には「のびしろ」があります。 楽器というものは概して,ギリギリの材料,ギリギリの技術で,万事ギリギリに作られるものなのですが,芳之助の工作には良い意味での余裕があり,その部分のおかげで演奏者の成長にも,時代による修理やちょっとした改変にも長く耐えうるだけの「しぶとさ」が生まれています。 あと1ミリ削ればギリギリになるところを,1.5ミリ残して後のモノに任せる----これもまた一種の「手抜き」といえば「手抜き」なのですが,全体が均一にそうなっているうえ,楽器としてはきちんとそれなりに成立しているので,演奏者にはまず分かりません。 ![]() 気がつくのは庵主のように,不運にもこいつの楽器を修理することになった苦労性のニンゲン。(怒) モノがギリギリでないだけに,「さあやれ!」と,宿題を突きつけられたというよりは,気がついたら「後よろしくねー」とバっクレられた……そんなハラダタシサもあり(笑)----そして事実,その残された1.5ミリのうち,1ミリを削ると,楽器が化けるのです。 また一つ,修理の終わった今,芳之助に言いたいことは一つ。 ----そッちィ逝ったらオボえてやがれ, 酒の一本や二本じゃカンベンしねェぞ! さて,庵主,修理楽器が完成すると「成仏させる」と称し,それを担いで外で弾くのを常としております。 月琴というものはもともと室内楽器なので,辻楽士でもない限り,まああまり,庵主のように,外で弾かれることは本来ないのですが,うちにくるたいていの楽器は,薄暗い蔵や納屋や押入れの奥で,コワされたまま長いこと眠ってた連中ばかりです。 一度くらい外の空気を吸わせ,陽光を浴びさせてやりたいのですね----まあ,ついやりすぎて,板がヒビちゃったりした時もありますが。(^_^) 今回,26号を連れて行ったのは新座市片山のあたり,黒目川の川岸にある「妙音沢(みょうおんざわ)」。 なんでもむかし,琵琶の名人が弁天様から秘曲を授けられた,という伝説のある地。 曲は……まあ,漫奏なんでテキトウ弾きですが。 崖地のあちらこちらから湧き出した水が,幾筋もの流れを作り,それがまじりあって,それこそ「妙なる音」を奏でております。 いつもの音源資料の代わりに,26号の音とともにお楽しみください。 (おわり)
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