16号再修理
![]() ![]() さて,人間,先に進む前には必ず後を振り返るもので。ワタシの前に道はなく,ワタシの後ろに草生すカバネ…… 16号が帰ってまいりました。 ----糸倉が,割れてますねえ。 一番下の軸孔を中心に左右とも。一方のヒビはうなじにまでかかっております。 16号於兎良(おとら),作者は馬喰町の福嶋芳之助。 うなじが平らなこと,内桁が一本であることなど----その外見や内部構造には唐物月琴の影響が残っており。以前修理した10号月琴と比べると,各部の加工にも構造にも,何だか「慣れてない」感が見てとれます。 作者が「月琴」という楽器を作るようになってから間もないころの,いわゆる「若作り」の一本だと思いますね。 銘の通り,その胴体はしましま虎杢の,いかにも高級そうなトチの木で出来ていますが,棹は何故か,普及品の月琴でよく使われるカツラです。 指板に朱漆を擦りこむなど余計なことをして(おかげでフレットが上手くくっつかなくなった)棹にも高級感を出そうとはしてますが,目の広い,かなり柔らかな材(そのぶん木目はキレイ)なため,弦楽器のネックとしてはもともと,少し強度的に難のある材料でした。 そもそもなにゆえ棹を,胴体と同じ材料で作らなかったのでしょう? まだ博覧会で賞とかとる前だったので,そんなに仕事もなく,棹の材料まで予算が回らなかったのかもしれません----胴体は1/4円の板を4枚切り出すだけなので,1寸ほどの厚みさえあれば素材は板でも角材でもよく,それほどの大きさも要らないんですが,棹材にはそれなりの大きさのカタマリが必要となりますからね。 ![]() いちおういつもどおり,ニカワと籐巻きでやってはみましたが……ヒビがうなじまで回りこんでいることもあり,またもとの材質が上記の通りなので,直ったとしても使い続けるならそう長くは保ちますまい,という状態にしかなりませんでした。 しかし庵主の大好きな芳之助の楽器。おまけに胴体はせっかくの特上物なのですから,これをこのまま「虎の皮」にしちゃうのは耐えられません。 棹を作りましょう----それもたぶん,芳之助が本来やりたかったろう風に。 ![]() 新しい棹の材料は,以前この楽器を修理するとき,蓮頭を作るのに買い入れた虎杢のトチの板,厚さ1.4センチ。 こいつを使いましょう。 しかしながら----1.4センチの板から3枚の部品を切り出し,貼り合わせて1本の棹に仕立てるわけですが。 トチというのはまあ,カタいだけでなく,粘りがあって切りにくいわ削りにくいわ!ピラニア鋸でも食い込みましたからね~。 いちばん大変だったのが,左右の2枚の工作です。元の板の厚さは1.4センチ。糸倉部分の厚みは左右ともに8ミリ,6ミリ多いわけですね。その分を縦挽きして切り落とす,という難工事……もう二度とゴメンです。 ![]() ![]() ![]() 出来上がった棹をヤシャブシで染めて,カシューで仕上げると… おおおおおおっ! 木の周りをグルグルしたらバターになっちゃいそうなくらいのトラ縞となりました。 軸はもちろんオリジナルのもの。せっかく作った蓮頭も,染めて色を合わせ,磨いて貼り付けました。 今度の棹はガンジョウですからね。 通常の操作では,世紀末覇王でもなければコワせますまい。 2012年3月末,16号於兎良,さらにド派手となって復活です。 ![]() 色のほうはまだかなり明るめになってますが,数年もすると落ち着いてくるでしょう---とはいえ実のところ胴体と材を同じにしたので,今現在もあんまり違和感がありません。 従前の工作では,棹の指板面と胴面板がほぼ平行,という,楽器製作者だと考えがちだけど月琴としては失敗な作りになってましたが,今回はイチからの製作だったので,「山口のところで約3ミリ背側に傾く」という,この楽器の理想設定に修整。 フレット高が平均で1ミリほど下がりました。 それにより運指への反応と,高音域での音の伸びが若干向上しています。 21号からこのかた,棹の再製作が続いてます。 おかげで部屋の片隅に,月琴の「首塚」が出現しました。(^_^;) ここまでやりますともう,楽器の「修理」というよりは「再生」に近いものとなるので,修理人としては微妙なところですが,この楽器の最大の弱点は,この糸巻きの挿さっている糸倉のところ----何度も書いてますが,この部分はこの楽器でいちばん力のかかる場所なので,修理したとしてもその後,楽器として使用するにはいろいろと制約がかかることになります。 古物として,また古楽器のオリジナルとしての価値はなくなりますが,何の気兼ねもなく演奏してもらう,ひいては 「楽器を楽器として使い続けてもらう」 ためには,いっそここまでやらないとならない時もあるわけですね。 楽器は音を奏でるために生まれてきたものなので,演奏できない楽器は楽器じゃありません。庵主は単なる古玩趣味としてではなくこの楽器が好きなので,ここまでやってしまいますが,ウデに自信がなく,庵主ほど後世に対しいろいろと背負うカクゴのない方は,止めておいたほうが賢明---ということも言い添えておきましょう。 モノが良ければなおのこと…… 次回もそういうお話となります。 (おわり)
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