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27号初代不識(2)

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斗酒庵 夢にて出逢う の巻月琴27号 初代不識(2)

STEP2 リアルで逢いましょう



  三日ほどして,楽器がとどきました。

  思ったとおり,間違いなく1号と同じ時期に製作された,石田義雄の中級普及品月琴です。

  明治27年の『東京諸営業員録』によれば,当時石田義雄の工房の住所は南神保町五,「五十稲荷前ヲ北ヘ一半南ヘ〓〓」とあります(近デジの画像だと「〓〓」のところが汚れで見えない)。神田の「五十稲荷(ごとおいなり)」といえば,いまは小川町3-9,社殿の位置は震災で多少ズレてますが,位置的にはだいたい変わりません。そこから北へ靖国通り沿いに一丁半,白山通りとの交差点の,ちょっと手前で小路を南へ切れるあたりかと。現在の神保町交差点,スーツ屋の小川町がわ向いの一角にあったのでしょう。
  明治30年代には「神田区錦町一丁目二番地」に移動,南神保町時代には「大日本東京神田/石田不識作/南神保町五番地」と書かれたラベルが,錦町時代には「不識作/日本神田/錦街在住/石田義雄」と書かれたやや縦長のラベルが貼られています。


  28年の第4回および36年の第5回内国博覧会で受賞していますね。
  ここにあげたラベルの上のほうにある丸いシールは,博覧会の受賞メダルを写したものですね。

  楽器の類例とラベル痕の比較などから考えまして,1号やこの27号のように目摂の菊が正面を向いている楽器は,南神保町時代の比較的初期に製作されていたものではないかと。

  南神保町時代の後期,また錦町時代には,8号と同様の,彫りが精緻で横向きの典型的な菊の意匠に戻っているようです。


  さて,楽器が届くまでの間にも,庵主の夢では,ふと気がつくと真っ暗な廊下にぼーっとたたずんでいたり,家の裏庭で不思議な踊りを踊っていたり,書き物をしてるといつのまにか背中に寄りかかっていたり,と……佳菜ちゃんが,すっかり定住してしまっておりました。




  さて,まずは修理前の全景と採寸をどうぞ。


  全長:660mm(蓮頭を除く)
  胴径:縦 356/横 358 厚さ 36(うち表裏面板とも4mm)
  棹長:304
  有効弦長:427


  蓮頭,糸巻き,左右目摂にフレット,と,見た感じほぼオリジナルの部品と言って間違いなさそうです。
  工房到着時,蓮頭はすでにはずれていましたが,ニカワに染汁の混じった接着痕などからして,オリジナルの部品であることは間違いありません。
  壊れて部品のなくなっていることの多い清楽月琴としては,ちょっと奇跡的な保存状態ですね。

  では続いて各部の観察に移りましょう。



■蓮頭:胴や棹と同じ素材をスオウ等で唐木風に染めたもの。82×58,最大厚 10mm。オリジナルで損傷ほぼなく,保存状態は良好。

  この意匠は明治期の国産月琴によく見られるもので,おそらくは荷花に波唐草をあしらった紋様(前26号の記事等参照)から発展したものと思われる。「宝珠」(柏葉堂の楽器など)よりやや上の中級楽器に多く,石田義雄のほか,田島勝,山田縫三郎の楽器にも,同様のデザインの蓮頭をつけた例が見られる。


■棹:糸倉から棹茎まで一木造。かなり褪せてしまっているが,指板部分の地の色などからして,もとは全体がスオウで染められていたようだ。



  1)糸倉:損傷なし。基部からの長さ 146mm,幅 34mm。アールがやや浅くきわめて長い糸倉は,石田月琴の特徴の一つ。中級普及品の月琴では,糸倉は真ん中を切り抜いて二股フォーク状にし,開いた天の部分に別材で間木をはさみこむ加工が多いが,石田義雄の楽器では,弦池も彫りぬきになっていることが多い。弦池の寸法は14×116。1号と比べると若干左右に厚みがある。

  2)軸:4本残。ホオかカツラをおそらくカテキューで染めたもの。六角一本溝。4本とも加工に違和感はなく,オリジナルと思われる。8号の黒檀製の軸と比べるとやや長く細身。




  3)山口/フレット:残存。骨か象牙。再接着の痕もなく糸溝も切られており,おそらくオリジナル。高 11.5mm。棹上のフレットは4本,材質は山口と同じ。うち第1~3フレットはボンドによって再接着されている模様。

  4)指板部分/棹背:1号と違って,指板はついていない。指板相当部分は長 156mm,幅は胴体との接合部で30,山口手前のくびれのところで最小幅 24mm。棹背のうなじにつながる「ふくら」の部分が左右に張り,くびれがやや深いのも石田義雄の楽器の特徴の一つである。棹背はほぼ直線。

  5)棹茎:長 124,最大幅 23。最大厚 10。表面板側に「二十七」の書き込み。

■胴体:表裏面板にヒビ割数箇所。ボンドによる再接着,補修痕あり。


  1)表面板:ほぼ柾目の矧ぎ板。中央にヒビ,上下貫通。右端に小ヒビ。



  2)左右目摂/扇飾り:意匠は菊。1号と同じく花が正面を向いている,石田義雄の月琴の比較的初期の楽器に見られるものらしい。扇飾りの代わりにコウモリの飾り板。どちらもカツラかホオの薄板を彫ったもの。スオウで染められていたはずだが,色はかなり褪せている。木目に沿った割レが数箇所見られるが欠損はほとんどない。1号の修理の時にも書いたが,石田義雄の彫り物は見た目よりも真似るのが難しい。その彫りから見ておそらくどちらもオリジナル。

  3)フレット:胴体上のフレットも4本完備。黒檀製で,厚みが7ミリほどもある。いづれもボンドによる再接着痕があるため,今のところ,オリジナルの部品かどうかは定かではなく,フレットの順番もこれで正しいものか分からないが,これと同じように,棹上のフレットを象牙,胴上に太い唐木のフレットをつけた楽器は,ほかにも数例見たことがある。


  4)半月/絃停:絃停はヘビ皮,100×74。かなり傷んでおり,左上に再接着痕と思われるボンドのハミ出しが見える。半月の下縁を,ノミで切り落としたように角ばらせているのは,石田月琴最大の特徴の一つ。105×48×h.11。糸孔には象牙の薄板が埋め込まれている。外弦間 31.5,内弦間 24。材はおそらく紫檀。多少汚れ,色も褪せているがほぼ健全。

  5)側板:4枚組み。材はホオかカツラ。全面をスオウで染められ,色がかなり残っている。いちばん単純な木口同士の接着による接合。各接合部および面板との接着部に剥離数箇所,歪みや段差も見られる。



  6)裏面板:あまり木目の鮮明ではない板で構成されている。かなり大きめな節も数箇所見え,お世辞にも質の良い板とは言えない。ヒビ割れ多く,左端の小板の矧ぎ目に割レ,上下貫通。左肩より小ヒビ,90mm。右肩に小ヒビ,45mm。右端小板2枚分は一度完全に剥離したらしい,再接着の痕と小ズレ。


■そのほか

  フレットは再接着されており,その順序などには一部疑問があるが,その接着位置は,だいたいオリジナルどおりと思われる。
  山口の下端を起点とした場合,それぞれのフレットまでの距離は以下の通り。

46.584108143173213238268




  ううむ……全体としては欠損部品もほとんどなく,
  オリジナルの状態をよく保存しているように見えるのですが…。

  この胴体の状態は,ちょっと酷いですね。



  側板があるところでは沈み込み,あるところでは面板の縁からハミ出ています。
  おそらくこの楽器は,一度バラバラに近い状態にまでなったのを,前修理者が組み立て直したものと思われます---ボンドで(怒)。
  とはいえその工作はかなり手慣れていて。全体としてはちょいと見,ぜんぜんマトモに思えるくらいですが,側板はほとんど噛合ってないし,新しく出来た剥離箇所も多く,楽器として弾ける状態でないのは確かですね。
  この前修理者の工作が,オリジナルの部材にどの程度の影響を与えているのか,そしてこの百年の間に生じた部材の歪みがどのくらいで,どうなっているのか,そのあたりが今回の修理では最大の難問だと思います。



  さあて,この楽器最大の怪談は,じつは夢に出てくる佳菜ちゃん,ではありません。

  石田義雄はあまり楽器の内部に署名したり,年期を記したりする人ではないのですが,唯一,棹の茎のところにおそらく製造番号と思われる数字を書き込んでいます。
  1号月琴のオリジナルの棹の茎には 「十一」 と書かれていました。
  この楽器では,棹茎と胴体の棹穴の縁のところに 「二十七」 と書かれています。


  このシリアルは,もしかすると通し番号ではなく,年毎や等級などによってそれぞれに付けられていたものかも知れませんので定かには言えませんが,工作の違いなども考え合わせますと,やはり1号のほうが若干前と考えたほうが良いような気がします…ふぅん二十七かぁ,二十七ね………えっ?


  ……お気づきでしょうか?
  じつは庵主,馬鹿なことに,二三日気がつかないでいたんですが。

  庵主は研究のため自費で購入した楽器には,通し番号に「号」を付けて呼んでいます。
  この楽器は庵主が買い入れた27本目の月琴ですので,落札した時から 「27号」 と呼ばれることが決まっておりました。

  で,楽器が到着して,棹を引っこ抜いてみたら。
  そこに, 「二十七」 と書いてあったわけで,考えてみますと………

  ヾ(;゚曲゚)ノ ぎゃああああっ!!!なんかコワいっ!ヽ(゚曲゚;)゛ノ


  むかしの中国の怪談集なんか読んでると,よく 「予言された未来」 みたいな話が出てきます。

  ----ある人がたまたま地面を掘っていたら,大昔の墓の入口に当たる。
  そこには 「何年の何月に,これこれこういう奴がこの墓を掘り当てるだろう」 みたいなことの書かれた石があった,という類の説話ですね。

  コレ,「怪談」としては,べつだんどこがコワいとも分からない,ただのお話……というくらいに思ってたんですが。(^_^;)

  このくらいのこと,たんに「偶然のなせるワザ」---と片付けるのもカンタンなれど,届く前から続く妙な夢見とも併せ。ふと気づいた時,庵主の顔から血の気が薄れ,背筋に思いっきりぞンぞが走った(出雲方言)のは,まがいもなく事実,でありましたとさ。

(つづく)


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