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月琴の起源について その5

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まとめましょう の巻月琴の起源について その5

中国月琴について *イラストはクリックで別窓拡大*

  「外堀から埋めてゆく」--とか言ってイキナリ本題かよ!

  とか,勘違いしないように。
  第一回にも書いたと思いますが,庵主は月琴界でもマイナーな「清楽月琴」の弾き手でかつ研究者であります。その庵主が「月琴の起源」と言ったときの「月琴」は,あくまで日本の「清楽月琴」ですわな。(w)

  ではその「清楽月琴」は本家の「中国月琴」とどこがどう違うのか?
  まずはそのへんを分かってもらっとかないと,ハナシが前に進めにくい。

  「清楽月琴」のほうについてはまあ,このブログ,修理報告のあちこちをずらッと見てもらえば,だいたい分かるとして。「中国月琴」のことは,ある程度書いておかないとなりませんわな。

  だいたいの楽器辞典は,「清楽月琴」と「中国月琴」を分けてはおらず,だいたい「月琴」でひとまとめにしてますが,マニアックに,ゲンミツに言えば,「清楽月琴」には中国製の「古渡り」と「国産月琴」の二種類があり,「国産月琴」はさらに初期の「倣製月琴(古渡りのコピー)」や「古製月琴(江戸~明治初期)」に分かれ,そして大流行期である明治10年代後半から20年代にかけて,形態としてはいちおうの完成を見ます(ま,そのあと作られなくなっちゃったんですけどね)

  この「古渡り」が,日本にさかんに輸入されていたのとほぼ同じ時代,中国の各地で収集された月琴には,もっとポピュラーなタイプのものがありました。
  それらは面板に装飾がなくって,清楽のものとくらべると極端に棹の短い楽器です。そうした「清楽月琴」のものとは違う形態の古い楽器,またそれをほとんどそのままの形で継承しているもの,これを庵主は「古いタイプの(伝統的な)中国月琴」もしくは単に「中国月琴」と呼んでいます

  そしてこの楽器。
  これが現在,日本でも中国でも「月琴」といって一般的に売られている楽器ですが----

  絵にも書いてあるとおり,庵主はこのタイプの楽器を「中国現代月琴」と呼んで,「清楽月琴」につながる,短い棹で丸い胴体の「月琴」の仲間からは,基本的にはハブしております。

  この楽器,よくネット上の通販では「中国の民族楽器・月琴」として売られておりますが,この「中国現代月琴」は,主として解放後の1950年代より,民間の伝統音楽などとはほとんど関係のないところで,従来あった「月琴」をベースに(正確には主にその名前と外見だけいただいて)「改良」した結果でっちあげられたもので----ちゃんと調べると,何年ごろどこの誰がどんな改造を施したか分かっちゃうくらいですもんね----言っちゃえば,「古くからあるもの」でも「伝統楽器」でもありません。
  まあ,以前にも書いたとおり,中国における「民族楽器」というコトバは,「ある民族が古くから(伝統的に)使ってきた楽器」ではなく「偉大なる中華民族およびその兄弟民族が創造した楽器」のことなので,これでもイイカ。

  現代月琴が普及する以前から弾かれていた「古いタイプの月琴」伝統的な4弦2コースの「中国月琴」も,じつは各地で現在なお製造されておりまして,庵主も1950年代に作られたものを一本持っていますし,ネオクなどでもときおり出ているのを見かけます。
  ちょい見,現代月琴と区別しにくいうえ,時折,前の所有者が現代月琴を,それに近く改造して使ってたりすることもあるので,いささか分かりにくいかもしれませんが----

  1)ネックが現代月琴より細く,きわめて短い。
  2)現代月琴よりやや小ぶり。
  3)現代月琴とくらべると半月が丸まっちい。
  4)フレットの数が少なく,ぜんぶで10本くらい。
(特に棹上には2本くらいしかのっかっていない)

----といったところが特徴です。
  この二種類の楽器もまた,中国ではさして特別に,分けて考えたりはしていないのですが,ここまで知ってから今一度,Web上「月琴」で画像検索などなさってみてください。
  どれが「中国現代月琴」で,どれが庵主の言うところの伝統的な「中国月琴」だか。

  当てっこでも,してみてくださいな。

(つづく)


月琴の起源について その4

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まとめましょう の巻月琴の起源について その4

ベトナム月琴(ダン・ングィエット) *イラストはクリックで別窓拡大*

  「月琴」と呼ばれる(短い棹で丸い胴体の)「月琴」じゃない楽器,その3はこれです。

  この「ベトナム月琴」,ダン・ングィエットは,じつは「阮咸」と「月琴(短い棹の)」の起源において,けっこう重要な位置にある楽器だと庵主は考えてるのですが,まあそのへんはおいおい。

  まあ,騙されたと思って,いちど,キム・シンって人のアルバム,聴いてみなさい。
  庵主はこんな研究をしていますが,はっきり言って洋楽派で,邦楽や民謡や民族音楽は見るのも聴くのもおぞけが走るぐらい大キライ(もっとも,資料として聴きすぎてイヤになったフシもあり)なのですが,そんな庵主が唯一ナミダを流して聴いたたのが,三味線の高橋竹山,三線の嘉手苅林昌,そしてベトナム月琴のキム・シンです。
  いづれも伝統楽器の分野でありながら「異端」とされるプレーヤー。
  しかしその演奏には,楽器や音楽分野の枠を超えて誰しもに「聞かせる」ナニカがある,そんなふうに思いますね。

  この楽器が2弦になったのは,そんなに昔のことじゃないようですね。
  すくなくとも,前々世紀には,まだ4弦だっかたと。

  4弦2コースから,2弦になった理由の一つは,たぶん近世における弦の材質の変化でしょう。
  現在も民間では,釣り糸のテグスを切ったのなんかがふつうに使われてるそうですが(もちろん,専用弦もあります),そうした化学繊維の丈夫な糸の出現によって,単弦でも複弦なみの音量や,深みが出せるようになったからでしょうね。
  2本の糸の,わずかなチューニングのズレで音の深みを出すのが複弦の強みですが,2本の糸を同音に合わせるという,そのチューニングそれ自体が微妙で難しいのと,2本同時に均圧でおさえなきゃ正確な音が出せない,という演奏上の欠点があります。
  4単弦の楽器が複弦化するときには,前にも書いたほかにもいくつかのパターンが考えられますが,4弦2コースの複弦楽器が単弦に変わるとしたら道は少ない。2弦になるか,3単弦に増えるか,でしょうねえ。
  前者はこのベトナム月琴の例のように,弦の材質や構造の変化によって,複弦の必要性が薄れた場合,後者は音の深みを捨てて,よりメロディを弾ける楽器となるためですね。

  『皇朝礼器図式』の載せる「丐弾双韻」はこちら。
  同書の解説によれば「丐弾」は安南のコトバで「楽器」のこと。現代のベトナム語で弦楽器につける「ダン」に通じてます。
  「双韻」に関しては不明ですが,おそらくは現地語の音転ではなく,前回に触れた清楽の「阮咸」,今の中国でいうところの「双清」という楽器と通じる,複弦の楽器をあらわす語だと思われます。

  とりあえずココでは,この楽器が4弦だった,つうことと,構造は月琴や三味線とおなじ「スパイク・リュート(箱型の胴体に棹がぶッさしてある弦楽器)」だということをオボえといてください。

(つづく)


月琴の起源について その3

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まとめましょう の巻月琴の起源について その3

もうちょっとだけ阮咸編  *イラストはクリックで別窓拡大します*

  阮咸さんがなぜに,丸い胴体で長い棹の楽器を弾くことになったのか。

  中国におけるリュート型楽器の代表は「琵琶」ですよね。
  わたしたちの知っているナシ型の胴体をした「琵琶」は,蜀のお墓から例の銅器の見つかった唐の時代になって,西域から入ってきて流行したものです。それ以前に琵琶と同じようなポジションにあった楽器に「絃鼗(げんとう)」とか「秦漢子(しんかんつ)」と呼ばれた楽器があったといいます。
  これはのちの「阮咸」と同じに,丸い胴体で長い棹を持つ4弦12柱の楽器でした。

  阮咸さんは音律を知り尽くした楽器の名手として知られた人。
  「竹林の七賢図」の常連です。
  この絵は後漢~晋のころの風流名士を集めて描いたもので,文化華やかなりし唐の時代にも盛んに描かれていました。
  こういう音楽人を絵に書くとき,記号としての持ち物の定番は「琴」,弦がいっぱいある日本のおことではなく,七弦琴ですが。「竹林の七賢」にはもう一人,琴の名手,「広陵散」で知られる嵇康(こうけい)という人がおります。
  七人しかいないなかでキャラがかぶってはタイヘンですよね?
  そこで阮咸さんに与えられたのが,琵琶より古い弦楽器「秦漢子」です。

  史書には阮咸さんがそういう楽器を造った,とか,弾いていたという記録は特にありませんが,絵の力は偉大です。
  「七賢図のなかで阮咸さんが弾いている」から「阮咸は琵琶(弦楽器)の名手だった」とか「阮咸が作った楽器である」といった俗説や概念がいつのまにか定着してしまったようです。

  蜀のお墓から出てきた名もない楽器の模型。
  これをもとに作った新しい楽器が「阮咸」なのか,それ以前から弾かれていた「秦漢子」が名前を変えてリバイバルしただけのものか,正確には分かりませんが。「古い弦楽器」が出てきたとき,それが阮咸さんにひっつけられるような下地は,すでにあったということですね。


  前回「阮咸」を「月琴」に結びつけたのは宋・陳晹(1064-1128)『楽書』だと書きましたが,正確に書きますと,この本で「月琴」とされているのは,5弦13柱のこんな楽器です。

  『唐書』などに見られる楽器の阮咸創生説話は,ここでは「銅琵琶(巻134)」という項目にあり,「阮咸が琵琶の名手」という説は「瓦琵琶(巻137)」に出てきます。つまりバラバラだったわけすが,これらがまとまって「墓から出てきた楽器をもとに阮咸は作られ,月琴は阮咸の異名」となったのは,もうちょっと後の類書中でのことでしょう。



  さて,ここまで述べてきた「阮咸」という楽器は,唐の時代にそう名づけられて,奈良の正倉院に2面伝わってたりする,古い古い楽器のことですが,つい百年がた前の清楽には,これとは別に「阮咸」と呼ばれる楽器がございました。


  佳菜ちゃんの髪型は,「ももわり」じゃなくって「ももわれ」ですね。スンマセン。


  明楽でこれを「月琴」と呼んでいたについては『魏氏楽器図』など,そう書かれている資料がありますので間違いありませんが,「明楽」という音楽分野はじっさいには,明が滅びた時に日本に亡命してきたヒトの,4代だか5代あとの子孫がとつぜんはじめたものなので,明楽に使われた楽器だからといって,明の時代からずっとあったものとは限らず,途中で清の楽器が混じってしまっていることも考えられます。
  文献記録から見るに,清代のかなり遅くなるまで,少なくとも宮廷音楽において「月琴」といえば,この楽器を指していたということは間違いありません。絵が入っている資料もありますし,そうでなくても寸法やフレットの数からして,あきらかに短い棹の「月琴」でないことが確かな場合もあります。
  ただまあ,短い棹の月琴を「月琴」と呼ぶ理由として「胴体がまン丸で,お月様みたいだから」というのがありますが,庵主,この八角形の胴体で長い棹の楽器のどこが「月」なのか,詳しく教えていただきたいところなのですが,いまだその回答にふさわしき論説,記事の見聞には到っておりません。

  現在一般的な呼称「双清」のほうは,わたしの調べた範囲では,清朝のかなりあとにならないと出てきませんね。これと似た「双韻」という語もあって,そちらのほうはちょっと古く,また楽器の名前とされてますが,名前からしても同様の「複弦楽器」である可能性が高そうです。

  『清朝礼器図式』ではなく『皇朝礼器図式』ですね,スンマセン。

  清の乾隆年間に編まれた本で,宮廷内で使われる儀式用の器具や楽器についてのことをまとめたものです。
  ここにも「阮咸が作った」て書かれてますなあ。

  しかし少なくとも,この楽器が中国において「阮咸」もしくは「阮」と呼ばれたり,また同一視されたという記録・記述は見えず,これを「阮咸」と呼んだのは日本の清楽の連中のオリジナルではないかと思われます。「阮咸の作った楽器」ではあるけど「阮咸」ではなく「月琴」であるわけですね,あ,ちょっとややこしい。

  明楽・清楽だけではなく,同じ楽器を琉球の「御座楽」では「四線(すぅしん)」もしくは「四絃(すぅげん)」と呼んで使っていましたし,今は2弦の楽器ですがベトナムの「ダン・セン」もこれの仲間,日本では「梅花琴」と訓じられてますが「セン」はおそらく「蓮の花」で,これも胴体の形から来た名前でしょう。

  胴の形や楽器としての構造は「阮咸」より,深草アキさんのやっている「秦琴」や,「梅花琴」と共通項が多いですね。ただし,秦琴や梅花琴が3もしくは4単弦の楽器なのに対して,こちらの「月琴」もしくは「双清」は4弦2コースとなっています。

  前回にもちょと触れましたが。
  4単弦の楽器と4弦2コースの複弦楽器では,弦の数は同じでも出せる音の数がまったく異なります。
  同じ場で演奏するとして,伴奏楽器としてはもちろん使えますが,同じ曲を同じように弾くことはできません。
  弦が同じような材質である場合には,後者の音域は前者の楽器のスケールの中にそっくり含まれますから,メロディの面からだけ考えると,楽器自体に存在意義がない!とも言えなくはないですよね。
  たとえば,現在はヴァイオリン,ビオラ,チェロ,コントラバスは,サイズを別として同じような外見になっていますが,ヴァイオリンをのぞくそれぞれの楽器は,各々別形の先祖と歴史を有しています。外見上いくら似ていたところで,その柱制や奏法,また楽曲における用法が異なる場合,それらの楽器はもともと別個の系譜を引くものであった可能性が高い。
  「秦琴」はナシ型胴曲頚の現行琵琶より古い「絃鼗」や「秦漢子」の系を引く,とされています。
  こちらの「月琴」の系譜と,これを(短い棹のほうの)「月琴」の歴史においてどう位置づけるか,については,まだいささか,ややこしく,未解明のところもあるのですが,とりあえず文献上は----

  清代において,(短い棹で丸い)「月琴」が「月琴」となる前は,(八角形で棹の長い)「月琴」が「月琴」だった。

----と,いうことだけオボえておいてください。


(つづく)


明笛について(7)

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斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(7)

STEP4 日本化した明笛

  その後も明笛の調査は進んでおります。
  買い入れた笛は27号までまいりました。本職の笛吹きさんごめんなさい。
  笛はタダでやるから,吹くの手伝え。


  先ごろ,昭和21年に出された『標準 明笛独習』(東京 全音楽譜出版社)という本を入手いたしました。
  戦後ですよね。スゲえ。

  戦前までには,ほとんどの清楽器が途絶しておりました。そのなかでこれですから,やっぱりいちばん息の長い清楽器だったわけですね。
  この教本の絵にある笛は,それ以前からの明笛教本に載ってるそれと変わりませんが,写真にあるものは管尻や頭の飾りから見て,大正時代以降のデザインだと思われます。


  明笛は元来中国の笛で,清楽の流行とともにおもとして都市部で作られ,販売されましたが,それが国内に広まるなかで,各地方の音楽や祭礼の中にとりこまれ,独自化したものがあります。
  東京近郊の福生や唐津の浜崎などには,この,響き孔に紙を貼って共鳴させるタイプの笛が残っております。

  笛屋さんのなかには,それらは清楽の明笛とは関係なく,それ以前に入ってきた古代の中国笛を伝承したものだ。と言うかたもおりますが,竹紙を貼るタイプの笛の歴史は,中国でもそんなに古代まではさかのぼれませんし,それぞれの祭礼に関する日本がわの文献・記録から考えても,よくって江戸時代----まあ幕末から明治,清楽の大流行時に「流行りの笛」をとりいれた,と考えたほうが,多少ロマンはありませんが,現実的ではないかと考えます。


  現在も残るそうした祭礼の明笛には,紫水さんなど今も明笛を製造しているメーカーさんの既製品や,笛の製作家などに依頼して作ってもらった古い笛の復元品などを使用しているところも多いのですが,九州などでは,祭礼の参加者が自分で作ることになっているところが複数箇所あるようです。
  たとえば上にも書いた,佐賀県は唐津の,浜崎祇園山笠で使われる「竹紙笛」などもそれですね。

  今回入手した27号の出品元は熊本県。
  唐津浜崎のものが流れてきたのか,あるいはこのあたりにも,似たような笛を作る伝統があったのか,寡聞にして定かではありませんが,天然のままの竹の節のところを利用して,うまく本家明笛の管頭,管尻の飾りに擬しているところ,管尻表の「露切り孔(と一部ではいう)」が一つだけなところなど,特徴は共通していますね。


  すでに紹介したことのある22号もまた,日本の祭礼で使われた独自の明笛の一つだと思われます。
  記事で書いたとおり,響き孔と露切り,飾り紐の孔が余分にあるだけで,姿はほとんど篠笛です。
  管頭の処理の仕方も管尻の丸め方も,明笛ではなく篠笛のやり方ですね。

  国産の明笛,とくに明治末以降に作られたものにも同じ傾向がありますが,古いタイプのもの,また現在中国の笛子などと比較すると,こうした祭礼笛には,加工上にも篠笛との融合が顕著に見られます。


  まず歌口が広いこと。明笛の歌口は,この手の笛の中ではかなり小さめです。
  指孔の大きさと形もこれに準じています。
  明笛の指孔は,篠笛のものよりやや小さく,細長い楕円状なのですが,これらの笛ではほぼまン丸くあけられていますね。
  あと,皮付き竹が用いられていることもあげられます。
  中国の笛子もそうですが,明笛はだいたい皮をむいて軽く塗装していることが多いのです。
  皮付き竹が好まれる傾向に関しては,篠笛からの影響なのか,日本人の嗜好が関与しているのか,それともなにか加工・保存の上で,この国では利便があるのか,あるいはただ単にメンドウくさかったからなのか,いまひとつ決めかねておりますが,少なくとも音色の上では,皮ナシのほうが音がやわらかく,皮付きの方がやや甲音がキツく響く傾向が出るようですね。


  27号は現在調査中。

  というか,音階などのデータ録りもこれからですが。
  もともとあまり吹かれたものではないらしく,内側の塗りはガサガサしてたし,管内塗装後の歌口の調整もちゃんと済んではいない様子----使われないで放棄された失敗作だったか?とも思いましたが,管内をShinexに油つけて磨き,歌口のへりを少し均したところ,少しづつ音が出るようになってきました。

  当初,響き孔の周囲が,少し茶色っぽくなっているのは,竹紙を貼ったニカワの痕かな?と考えてましたがさにあらず,これ,竹紙を貼ったり剥がしたりしやすいように,響き孔の周りを透きウルシ的塗料で塗装しているんですね。以前,ネオクに出た古い明笛で,同じ目的でここに象牙や角材をうめこんでる笛がありましたが,あれよりも簡単で実用的ですな。

(つづく)

月琴の起源について その2

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まとめましょう の巻月琴の起源について その2

阮咸編(2)

  ちなみに「月琴」が「阮咸」から派生した,として----

  その変化がいつごろ起きたかについて,中国の本やWebには「明代」とも「清代」とも書かれていますが,その根拠となるような資料・記述がどんな本にあるのかに関しては,なぜか書いてるものがありません。
  まあ時代についてのおハナシは,単なるホラ・ウソ・テキトウ・スイソクとしても。短い棹の月琴というものが,いつごろ,どういうルートで中国全土に広まり,楽器屋のカンバンとなるほど親しまれるのに至ったのか----あの記録魔の中国人のことですから,どこかで誰かがなにやらそのヒントになるようなことを書き残してる,とは思うのですが,庵主,いまだそういう文章に到達しておりません。

  というわけで(ナニがだか),今回は「阮咸が月琴になった理由」として,けっこう見かけるこの説を,ちょっとツツいてみることといたしましょう。

  ジミーに限らず,アラン・ホールズワースもジェフ・ベックもルー・リードもクラプトンもブラックモアも,使ってるギターのサイズはそんなに違わないですわね。

  月琴の弦長は,阮咸の2/3ていど。
  前回「4単弦の楽器が4弦2コースになるのはおかしい」としましたが,こんどはチューニングでなく,弦の長さにいちゃもンつけましょう。


  マンガだと3枚でけつろんまで来れるもんなあ。(笑)
  文章だけだと,どンだけー…てなもんですが。

  この説もまた,どこの誰が最初に言い始めたことだか分かりませんが 「楽器を短くする>弦が短くなる>フレットの間がせばまる=(距離的に)指を早く動かせる」 という。まあ楽器を実際に弾いたこともないヒトの,「思いつき」ていどのとこから来たものだと思いますよ。

  弦長を短くすると,弦のテンション,弦圧というものがあがります。弦圧があがれば,前の楽器より強く弦をおさえないと正確な音が出せません。フレットとフレットの間がせばまれば,たしかに次のフレットまで指は早く動かせるでしょうが,月琴のような高いフレットをもつ楽器の場合,フレット間でもっとも正確できれいな音が出る範囲は,ギターのような低いフレットの楽器に比べると,よりせまく,難しい。弦長が縮まり,フレット間がせまくなれば,とうぜん,そのスゥイート・スポットもより小さくなります。

  つまり楽器としては,より「弾きにくい」ものになるわけです。

  フレット楽器ってのは,フレットのあるぶん,どこを押えればどの音が出るか,というのは分かりやすいんですが,それでもただ指をおろしゃあ音が出る,というわけじゃあありません。
  フレットが20本以上ある中国現代月琴で,高音域を弾こうとしたことがあるような方なら,フレットがあっても「それムリ」ってのがよく分かるかと思う。

  まあ,弦の振動が小さくなるぶん,音は「短く」なりますわな。弦の長い楽器より,高速で歯切れのいい音楽をやるには向いてる,という程度のことは言えなくもない。そういう変化のことを言いたいならそれでもいいのだけれど,これも「音」の必要からくるもので,あくまで「早弾」という奏法が主眼というわけではありません。

  撥弦楽器において,もしも,もしですよ。単純に「早弾きしたい」のが目的であるなら----「楽器をサイズ的に小さく,短くする」(つまりはイチから作り直す)のより,ずっとお手軽かんたんな手段があるんです。それは----

  フレットレスにする。

  ということ。中東で弾かれているリュートに似た---というかそのご先祖様にあたる「ウード」は,もともとフレット楽器だったものがアラビア音階の微分音を出すため,のちにフレットをとっぱらったそうですが。正確な音を出すための勘所をおぼえるのがややムズかしくなる,という欠点は生じるものの,フレットレスにしてしまえば,前の楽器と同じスケールのままで,はるかに早いフレーズを弾くことが可能です。また,フレットレスとまでしなくとも,たとえばフレットの背丈をおさえ,絃高をより低くするだけでも,運指に対する反応は向上します。

  つまりは,現実に楽器を作るもの,また演奏するもの,どちらの立場から言わせていただいても,「早く弾きたい」だけなら楽器を短くする必要はあまりナイ---「早弾き」のために,楽器は縮まらない---ということですね。

(つづく)


月琴の起源について その1

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まとめましょう の巻月琴の起源について その1

阮咸編(1)
*イラストはクリックで別窓拡大します*

  さてさてと,かけ声はかけたものの,若干資金難につき29号の修理作業も滞っております。
  この機会にこの数年調べてきたこと,考えてきたことをまとめてみたいと存ずる。
  とはいえ,Webにガチの大論文載せるのも野暮なので----

  はんぶんマンガにするとしましょう。

  いや,フザけてんじゃないですよお。マンガのチカラなめんな。
  絵はそれだけで注になります。さらにそこに注釈書き込めば,イチイチ脚注とか巻末の解説で,細かい文字に数字の羅列追わなくて済むもんね。
  絵と文が共存する日本のマンガというメディアは,2Dアナログにおける,情報の多重化,圧縮化のキワミみたいなもンでもあるんでっせー。

  まずは「月琴」にかかわる,また「月琴」と呼ばれる様々な楽器のことを述べ,外堀を埋めながら「月琴の起源」という本題へと迫っていきましょう。

  音楽の解説書や,楽器辞典の解説・説明では「月琴」の名前で軽くひとまとめにされちゃってることが多いんですが,その中には,実際にはいくつもの異種の楽器が含まれています。

  唐の時代に由来する古楽器の「阮咸」(別名が「月琴」),中国で伝統的に弾かれてきた「中国月琴」,それをモトに近年になって開発された「中国現代月琴」
  ほとんど絶滅しちゃってる韓国の「ウォルグム」(もしくは「ノルグム」)。これも絶滅楽器ですが日本の「清楽月琴」にも国産のものと,「古渡り」と呼ばれる中国製のものがあり,それもまた,現在も作られている一般的な「中国月琴」とは微妙に差があります。さらに,清楽で「阮咸」と呼ばれた長棹八角胴の楽器は明楽では「月琴」と呼ばれてました。
  長い棹の「月琴」としてはほかにも,ベトナムの「ダン・ングィエット」や,台湾の「南月琴」(「乞丐琴」「歌仔月琴」とも)などがあります。

  庵主は「清楽月琴」の弾き手ですので,前フリなしで「月琴」って言ったときは,通常,中国から日本に伝わってきて江戸~明治のころ大流行した,古い,この絶滅楽器を指しますが。
  今回の「起源」は「短い棹で丸い胴体」の,現在「月琴」と一般に呼ばれている楽器全般の「起源」だと考えていただいて差支えございません。

  第一回はまず,一般に「月琴(短い棹の)のご先祖様」と信じられている,この古い古い楽器。
  「阮咸」と「月琴」の関係について,再考してみましょう。

  この楽器はそもそも----

  ちなみにこの爺さん(勝手な想像)のちゃんとした名は「元行沖」さん。

  史書である『唐書』の記述の中には,「阮咸=月琴」というハナシは出てきません。
  「"月琴"は阮咸の異名である」という説は,次の王朝,宋の時代になって書かれた陳晹の『楽書』において,はじめて登場してきます。

  といったとこで本題に入りましょうか!
  現在,一般的な説では「(短い棹の)月琴」は,この唐の時代からあった「阮咸」が,清の時代に短くなってできたもの,とされていますが----


  とまあ,まずは基本構造が異なります。
  「阮咸」の作りを簡易化した,とか考えることも出来なくはありませんが,伝統的な楽器というものは,そう簡単にこういう基本構造まで変わっちゃうことはありません。
  「ムダだ」「もっといい方法がある」と分かっていても,まったく変わらなかったり,もとの構造の名残が,盲腸のように尾骨のように,そのどこかに残っていたりするものですが,バラしてみると阮咸と月琴には,「どッちも胴体が丸い」というほかには,まったくといっていいほど共通点はありません。

  もちろん,阮咸には「響き線」も入ってませんしね。


  「阮咸」は宋の時代に弦が一本増えて「五弦」という名前の楽器になりました。
  この「五弦」は日本の雅楽にも取り入れられ,かつて演奏されたこともあったようですが,いつからか途絶え,今日ではその楽器も見られません。

  さらに「複弦化」する目的が音色的な深みや,技巧的なものである場合は,同音のユニゾンだけではなく12弦ギターのようにオクターブの複弦ということもありますね。

  で,けつろんです。(笑)

  「派生した」つまり,楽器間に関係がある,というなら。その奏法や音階において,もちろん共通項がなければいけません。阮咸の高音域をカバーするためとか,より早くて軽快なパッセージを入れるために特化したとか。変化の理由も必要です。
  しかし,そもそも楽器同士を同じ曲で合わせることすら難しいこの状況----

  これに関する妥当な説明や解説は,どの楽器辞典,解説書にも載っておりません。

  つまりは----
  「阮咸」と「(短い棹の)月琴」の間には,古書・古記録における名前の一致と「胴が丸い」といった外見的な共通項のほかに,楽器としての系統的な関係はナイ

  「(短い棹の)月琴は,阮咸から派生した楽器だ!」という説は,むかしのどこぞの誰やらが,古書から同じ名前の事物を拾って,むりやりくっつけた,という程度のものでしかナイ

  ニセモノだ。(CV:神谷浩○)

  ということです。

  しかしながら……「月琴」の名を持つ最古の楽器・「阮咸」とその由来には,短い棹の月琴族の,ほンとの歴史と系譜に関するヒントが隠されてます----
  そのあたりは,またいづれ。

(つづく)


29号山形屋雄蔵(2)

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山形屋 ふたたび の巻2012.10~ 月琴29号 山形屋雄蔵(2)

STEP2 見た!触った!山形屋ッ!

  では各部チェック,入ります。

  山形屋雄蔵の楽器は,庵主思いまするに「月琴らしい月琴」のお手本みたいな好い楽器の一つですので,ふだんよりか,ちょっと細かく書いてゆきましょう。

29号蓮頭
■蓮頭: 58×82,厚みは約1cm。中央でややふくらむ浅い曲面状の板。おそらく棹・胴側部と同材。意匠は中級以下の楽器でよく見る「宝珠」の一種だが,彫りがやや多い。


■棹: 全長 460(蓮頭・棹茎をふくむ。胴外への露出部は蓮頭をのぞいて 290 ),最大幅 29,最大深度 62。茎部分をのぞき,全体がスオウで染められている。材はカツラかサクラ。

29号棹(1) 29号棹(2)

  1)糸倉: 損傷ナシ。長 144(基部(「ふくら」のところ)より),幅 29。 左右厚 8mm。弦池 110×13,天に間木をはさむ。 アールをやや深くとった,コンパクトなデザイン。前から見ると細身だが,横から見るとふつう。第2軸の孔の少し上あたりで最大にふくらみ,先端でわずかにすぼまる。 軸孔は開口部で大きいほうが φ11,小さいほうが 10 。一見太めだが,小さいほうの軸孔は通常の楽器のものとは逆に,弦池がわ(内側)に向かってすぼまっている。つまりこちらがわでは,軸のテーバーとは逆に孔は軸先端側のほうに広がっているわけである。月琴では珍しいが,これは三味線でよく見られる加工。弦池がわでの軸孔の最小径はだいたい 8mm。

29号軸
  2)軸: 1本のみ残る。工房到着時は三味線の糸巻きを短く切ったものがもう1本挿してあった。 残存の1本はおそらくオリジナルで,材質はおそらくスオウで染めたホオ。握りは六角一溝,長 114 太さは最大で 25,先端で φ7。加工は丁寧,弦による擦痕,圧迫痕等,使用の形跡はあまり見られない。


29号指板部 29号棹横から

  3)山口/フレット: 山口は欠損,接着痕のみ残る。寸法はだいたい幅 27,厚 10。接着痕から見ると左右からだいたい 1mm,弦池の端から 0.3 から 0.5mm ほど離した位置に接着されていたようだ。 棹上のフレットは最下端の第4をのぞき全損,象牙か鹿角か判別できないが加工も接着も悪くはない。目印のケガキ線はごく薄いが,欠損した第1~3フレットも,接着痕がかなり鮮明であるため,原位置の計測は容易である。

  4)指板/棹背: 指板ナシ。指板相当部分は長 146,幅は胴との接合部のところで 28,太さ 29。弦池の下端で幅 29。ふくらはやや長くくびれは浅い。くびれのところで最小幅 25,最小太 24。 棹背はほぼ直線だが,ほんのわずかアールがかかり,接合部がわにむかってゆるくたちあがっている。 棹背の断面は底がわずかに四角ばった船形。うなじは短めである。

29号棹茎(1) 29号棹茎(2)
  5)棹茎: 全長 159,基部は 29×20×h.15。20号と同様ここの加工にも手抜きはない。延長材は杉,厚みは最大で 9,最小で 7mm。先端で幅 15。細く,薄く,やや長め。先端は四面をわずかに削ぎ落とす。全体かなり丁寧に表面処理がされており,接合も完璧である。延長材の表面板がわに花押。基部の中心線とともに,色は薄いが,光源に当てても反射がないためおそらく墨書きと思われる。

29号表面板 29号裏面板
■胴体:裏面板にヒビ割,虫孔数箇所。外部からは比較的良い保存状態に見える。


  1)表面板: それほど目が詰んではいないがほぼ柾目。絃停痕に虫食いによる溝3箇所,板右下および右下接合部付近の木口に虫孔。加工がよく,矧ぎ目は判然と読めないが,おそらく7枚程度の小板を接いだものと思われる。
29号目摂 29号扇 29号中央
  2)左右目摂/扇飾り/中央飾り: 目摂の意匠はザクロ,やや小さめで中央に寄る。扇飾りは工房到着時には剥落していた。典型的な万帯唐草。中央飾りもよく見る獣頭唐草(仮名)の類。いづれも彫りはやや稚拙。

第5フレット
  3)フレット: 胴体上のフレットは4本ともそろっているが,いちばん上の第5フレットのみ,再接着痕があり,ほかの3本とくらべてやや厚めなことから,後補部品である可能性がある。

29号半月 半月/絃停
  4)絃停/半月: 絃停は剥落欠損。接着痕 は 78×110。左に1本,右に2本ばかり虫の食害による溝が見える。左のものはかなり大きいが,広がりは不明。 20号は飾彫りのついた曲面タイプだったが,この楽器の半月は下縁を落とした単純な板状。材質はおそらくホオでスオウによる黒染め。40×100×h.10。糸孔は小さめで,外弦間:31,内弦間:24。内外の弦間は左右でわずかに変えてあり,低音がわが 4mm,高音がわは 3.5mm。長年の使用によって生じたと思われるような,糸擦れや褪色などは,ほぼまったく見られない。

29号側板(1) 29号側板(2)
  5)側板:単純な直線木口合せの4枚組み。棹と同じくカツラかサクラだと思われるが判然としない。かなり良い保存状態で,原作者の染色がほぼそのまま残っている。上左右の接合部にわずかにスキマがあるほか,故障・損傷らしいものは見られない。天の側板にある棹孔は 15×20,胴材表面板側の間隔はきわめて薄く3ミリていどしかない。棹孔から計測できる最大の厚みは8ミリである。

29号裏面
  6)裏面板: やや板目のある小板を継いだもの。表面板同様,矧ぎは7枚程度と思われるが,それよりやや多いかもしれない。 右端から二枚目の小板上部,斜めに加工痕か圧迫痕と思われる筋目が少々。 中央,ラベルのすぐ右横にヒビ割レ。上下にほぼ貫通し,上で最大 1mm ていどやや開く。このヒビ割レを中心に左右面板ハガレ,左接合部付近にも胴体との接着面にわずかなスキマが見られる。 左中央上端に虫孔,そのほか棹孔の右下,右接合部やや上,左下接合部付近のいづれも木口にやや大きな虫食い穴が見える。被害程度は現状不明。

29号ラベル
  7)ラベル: 本器のラベルは比較的保存がよいが,已然として剥落箇所のためいまだ前半部分に不明な箇所が残る。20号のものと合わせた解読は以下----

  「本………楽器総附/属(品)…是東京日本/橋区両国薬研堀丁/四十七番地/山形屋雄蔵」


斜めより
■そのほか
  山口の下端を起点とした場合,各フレット下辺までの距離は以下の通り。

5182113138172210230268


  内部構造等はフィールドノートを御覧ください。(クリックで拡大)

フィールドノート(1) フィールドノート(2)
  桁は2枚,上桁は棹孔から 120,下桁は 288mm のところに位置しています。上桁には音孔はなく,茎のウケ孔から見える限り下桁にも孔はあいていないようです。材質はおそらくスギ,厚さは 5~7mm ていどと思われます。ちょっと変わっているのは,通常表面板がわにある桁左右の削ぎ落としが,少なくとも上桁では裏板がわになっていることでしょうか。
  20号と違って内桁がただの板なので,棹孔からの観察だけではほとんど何も分かりませんが,振ってみた感じや音などから,響き線などはほぼ20号と同じ構造になっているものと思われます。胴体右の中央付近に基部があり,やや深めの弧のついた鋼線でしょう。

表面下部虫食い
  さすがは山形屋雄蔵,20号のデータとつき合わせて見ますと全体,サイズ的にほとんど差がありません。

  誤差は1~2ミリといった程度でしょうか。
  全体の材質・加工などから見て,おそらくは,20号とくらべ1ランクほど下のより普及品的の楽器だと思われますが,品質的にはあまり差のない感じです。軸孔に三味線っぽい加工がされていること(8号生葉などにも見られました)や,内桁の加工などから考えると,20号よりやや前,いくぶん早い時期の手になるものかとも思われ,本体における加工や組み合わせの精度は同じくらいですが,半月や目摂などに,やや稚拙さが感じられます。

  27号に続いて原作者の加工が分かる,きわめて保存状態の良い楽器です。
  とくに棹や胴側部のスオウによる染色が,こんなに良い状態で残っているのはハジメテ見ました----実にきれいな赤です。

29号胴上お飾り
  全体としては損傷や欠損部品も少なく,あとは虫食いがどのくらいの程度なのかがやや心配。19号などと違って,内部から木粉が出てきたりはしませんでしたので,だいたいは表面的なものだとは思いますが,こればかりはさて……

  再製作の必要がある部品は,軸が3本と山口,棹上のフレットが3枚のみ。面板の浮いているところを再接着して,ヒビを一本埋めれば本体は完成です。
  ホント,これで虫食いさえヒドくなければ,あまり苦のない修理で済みましょう。

(つづく)


29号山形屋雄蔵

G029_01.txt
山形屋 ふたたび の巻月琴29号 山形屋雄蔵(1)

STEP1 山形屋雄蔵について
29号到着!
  さて暑い夏もようやく終わり,内地に帰ってきて半月ばかりが過ぎました。
  2ヶ月も留守にしていますと,生活の再起動もいろいろとタイヘンですが。
  そろそろまたゾロ,はじめるといたしましょう。

  夏前に買い込んだ資料楽器のうち,26号菊芳の3面目はお嫁にゆき,27号石田不識こと佳菜ちゃんはギリギリ間に合って,さっそく2ヶ月間,ライブにイベントにと酷使されておりました。
  未修理の楽器はまだ3面----虎縞の25号,やたらと重量級の28号,そしてこの29号です。
  百年近く待ったのですから,修理の順番が一年や二年違っても構いますまい。
  順不同でまいります。(笑)


 【月琴29号:採寸】

修理前全景
  全長:648(含蓮頭)
  棹長:290(除蓮頭)胴体・縦:345,横:344,厚:35(うち表裏板厚:4.5)
  推定される有効弦長:418


ラベル
  この楽器の作者は,薬研堀の「山形屋雄蔵」。

  昨年,同じ作者の楽器を一面修理いたしました。
  20号ですね。(こちらを御覧ください  )
  これと同様,細っそりとした姿の良い楽器で,音も素晴らしくきれいでした。
  材質から見て中級の楽器なのですが工作は緻密。
  前修理者がいろいろとやらかしてはいましたが,原作者のその丁寧な仕事が,楽器の生命を守ってくれていたようなもので。庵主の仕事は基本的に「原作どおり組み立てる」というだけで済みました。

  明治20年2月発行の『商人独案内』という本に,まず 「石村勇蔵」 という三絃商が出てきます。その翌月に出された『東京府工芸品共進会出品目録』には 「石村勇造」 という名が見えます。
  琴を6面,二弦琴と須磨琴を2面づつ,三味線を5本,月琴を4面出品してますね。

『商人独案内』 『東京府工芸品共進会出品目録』
  この「石村勇蔵」もしくは「石村勇造」と,「山形屋雄蔵」同じ人物なんじゃないかという考えはずいぶん前から持っていました。
  「山形屋雄蔵」の名前が見られるのは,既知の資料中では明治27年9月に出された『掌裡の友』が最初ですが,そこでは屋号が「○に石」となっております----つまりここから,彼は三味線の名流「石村」の系列の製作者であると推測されるわけですね----ついで明治31年の『日本商工営業録』では「山形屋 石村雄蔵」と……字は違いますが,名前の読みは同じだし,同時期に薬研堀にはほかにも何人か楽器職が住んでいましたがそれほど多くはなく,しかも清楽器に係わったと分かっているのは,こいつらくらいです。

『掌裡の友』 『日本商工営業録』
『東京諸営業員録』(M.27)   日本国民が均しく「姓名」を名乗れるようになったのは明治になってからのことです。
  それまでは特に苗字帯刀を許されたようなもの以外は,時代劇で良く聞くように「讃岐の又兵衛」とか「神楽坂の松五郎」,と出身地や住所をつけた通称とか,職人なら「下駄屋の為五郎(通称・下駄為)」とか「秋田屋の金造」といったように,職業や店の名前をくっつけて通称で呼ぶのがまあ一般的で,ちゃんと苗字を持ってるものでも,公的な書類などでもなければ使うことは少なかったようです。

  「石村」の宗家は八丁堀の「石村近江」ですが,そのほかにも芝の「石村山城」,麻布材木町の「石村巳之助(鑠斎)」など,この名を名乗る,または店の名前とする暖簾分けや傍流の楽器製作者は,江戸にも大坂にもたくさんおりました。

  13号の作者,西久保の「石村」は楽器に「藤原義治」「石村近江掾」と署名をしています。こうした名前はどれも,宗家や京都のお公家さんとかから許可をもらった(まあだいたいは買った)「名乗り」「官位」で,現在言うところの一般的な「名前」や先祖伝来の「苗字」とは,ちょっと違うものなのですね。

  大坂の心斎橋の「石村儀兵衛」さんは店の名前が「笹屋」,浅草区田原町にも「山形屋」という店の名で「石村茂吉」さんが住んでいました。神田鍛冶町の「海保吉三郎」は屋号をつけて「菊屋吉三郎」と名乗ることもありました。「菊屋」というお店は多いので,お店は地名をつけて「鍛冶町海保」とも「鍛冶町菊屋」とも書かれることがあります。

  時代が時代ですから,字は違っていても「山形屋雄蔵」が「石村勇蔵」と同一人物だったとしても,大したことではありません----まあ,いまのところまだ,完全にそうだ,とは言えませんが。
  「山形屋雄蔵」のほうの住所は「薬研堀四七」,これは楽器のラベルにも書いてあります。「石村勇蔵」のほうは「薬研堀四一」,わずかに違ってますが,この当時はちょくちょく住所が改定されているので,同じ区画であってもおかしくはありません。もしくはちょっとだけ近所に引っ越して店を新たにした際に,名前もちょっとだけ変えたのかもせんですね。



  ちなみに,この夏,月琴でやらかした演奏の一つ。
  ラジオカロス「えっちゃんの幸せの種を蒔こう!」より,
  ヨミガタリストのまっつさんとやった「やまたのおろち」の一幕をどうぞ。


(つづく)


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