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月琴の起源について その11

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まとめましょう の巻月琴の起源について その11

ナゾの構造---響き線  *イラストはクリックで別窓拡大*


  今回はめずらしく,ほとんどマンガ(?)ですんで,ト書きまでちゃんと読むこと。

  清楽月琴の内部構造・「響き線」にどんなものがあるかについては,当ブログ内「月琴の内部構造について」ほか,各楽器の修理記事など,合わせてご覧ください。
  いやあ,この部品に関しては,どの楽器でも,いっつもだいたい熱く語ってますよお(笑)。
  なにせ上の絵にも書いたとおり,この楽器の音色の「イノチ」,みたいな構造だというのに,外部からはアクセスもコントロールもできないわ,抜けるは落ちるわひっかかるわ,一つとして同じ構造がないわ----フシギの数をあげたら,キリがないくらいなのです。

  中国の月琴についての解説書とか見ると,「内部に線が入っていて」とか,サラっと書かれてるだけなので,最初は「ああ,珍しくないんだな,こういうの。」とか思ってたんですが,イザ調べてみると,ほとんど「月琴」だけなんですよね。この構造。
  「この楽器にだけの構造」なら,とても珍しいので,何か一言二言,とくにその由来や起源に触れててもいいハズなのに……ナゼか何も出てきません。もちろんそうした本で「月琴」の起源とされている「阮咸」には,こんなの入ってませんし,実際の親戚筋だろうベトナムや台湾の長棹月琴,そして少数民族の月琴にも,入ってるとゆーモノがありませんね。

  短い棹で丸い胴体の月琴。
  それも棹茎が胴体を貫通していないタイプの月琴にしか入ってないんですよ。

  さて----

  またこのお店です。(笑)

  楽器のカタチ自体が,イキナリ今の中国月琴に進化しちゃってますが----これこそ中国四千年のワザです。

  古い伝統的なタイプの中国月琴に,いろんなタイプのものがあるということは,このシリーズの「その5」とかでも触れましたが,大分するとそれは,棹茎が内桁のところでとまり,響き線の入っているものと,棹茎が胴体を貫通していて,響き線の入っていない2つのタイプになります。
  「響き線がどこからきたのか?」という疑問と同時に,「ナゼ入っているものと入っていないものがあるのか?」という疑問もあります。それぞれの地域での音楽の好みに合わせたのでしょうか?あるいはそれこそ「メンドくさくなって(笑)」ヤめたのでしょうか?

  西南少数民族,とくに涼山あたりのイ族の月琴は,糸倉の先がドラゴンヘッドになっており,その鼻先に,ごらんのような飾りが付けられることがあります。
  写真のはかなりゴッツい感じですが,このヒゲはハリガネかバネで出来ており,先端にはポンポンや造花,途中には紙で作ったチョウチョなどが貼り付けられ,楽器の演奏につれてミョンミョンと,上下に揺れ動くようになっています。
  彼らの「月琴」は,基本的にダンスの伴奏楽器ですからね,場を盛り上げるための,視覚的な効果を狙った装飾なわけです。

  これらは本来,楽器の音色に関係する部品ではありませんが,材質がハリガネで,演奏動作によって揺れている以上,「勝手に効果」はつくわけですね----響き線と同様の。

  前回にも述べたように庵主は清楽月琴の直接の起源は,これら西南少数民族の楽器にある,と考えています。

  彼らの「弦子」や「四弦」が,漢民族によって「月琴」という室内楽器として洗練されてゆく過程で,演奏のジャマにもなりかねない,この「龍のヒゲ飾り」が,金属線による「音色効果」だけを残すべく,内部構造としてとりこまれた,のが「響き線」なのではないでしょうか。

  つまり少数民族の楽器と同じく棹茎が胴を貫通している中国月琴のほうが,彼らの楽器ほぼそのままの,より古い原初的な構造を残しているもの(サウンドホールを彫ってヒゲをつければ同じになる)で,響き線を内部に有するタイプの月琴は,そこからさらに少し,楽器として「進化」した,やや新しい楽器だということになりましょう。

  唐の阮咸を祖先として考えた場合には,この「響き線」という構造がどこからきて,どうしてとりこまれるようになったのか,そのどちらにも理由や答えが,ほぼまったくと言っていいほどありません。この少数民族の月琴の「龍のヒゲ」起源説にしたところで,いまだかなりの力ワザに過ぎない,とは思うのですが…月琴という楽器を,内がわからも外がわからも,隈なく見てきた兼業修理者として----

  古渡り月琴の修理で見た,センシティヴな線の動きとそのカタチは,イ族の舞踏で揺れる龍のヒゲのそれに,とても良く似てましたよ----とだけは,言っておきましょう。

(つづく)


月琴の起源について その10

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まとめましょう の巻月琴の起源について その10

いきなりですが結論っぽいもの(1)
*イラストはクリックで別窓拡大*

  庵主はこう考えます。
  わたしたちの「清楽月琴」は,従来言われているように唐代に流行った四弦の楽器「阮咸」からではなく,その「阮咸」のもとになった銅器の,さらに原型となった楽器から生まれたもの,であると。

  この「阮咸の原型になった古い楽器」を,仮に「原阮」と呼ぼうと思います。


  「阮咸」が,四川省あたりの古いお墓から出た銅製の楽器カタチをした祭器をもとにしている,という『唐書』や宋代の類書中の説話が本当のことだとして----その祭器の原型となった楽器は果たして,いま正倉院などで見られる,琵琶と同じ4単弦の楽器だったのでしょうか?その構造も琵琶と同じ,棹まで彫りぬきだったのでしょうか?

  近年,福建省泉州で発見された4~6世紀頃の遺跡からも,4本弦で長い棹,丸い胴体をした楽器のレリーフのあるレンガが出土しています。こうした絵やレリーフでは,単に4本,弦が描いてあったとしても,それが「阮咸」のように4単弦なのか,4弦2コースの複弦楽器なのかを判別することは難しいですよね。今のわたしたちにはもちろん分かりませんが,唐の人たちにも分からなかったと思いますよ。

  「こころみに木匠に木で作らせたらいい音だった(から流行った)」とは書いてありますが,作らされる職人さんにしてみれば,陶器で出来たバイオリンの置物を見てバイオリンを作れ,と言われるようなものですからねえ。そこで唐の職人さんは,構造も弦制も,同じ4本弦の「琵琶」に倣い,外見だけを円胴長棹にした楽器をでッちあげた----それが「阮咸」,だと庵主は考えます。

*「阮咸」にはまた,それ以前にあったという西北系の弦楽器「秦琵琶」「秦漢子」「絃鼗」のリバイバルに過ぎないという説もあるのですが,肝腎のそれら古楽器については実物はおろか,絵すら残されていない状態ですから,ここでは問題としません。


  一方,中国西南部から東南アジアにかけての広い範囲では,円胴もしくはその変形(六角・八角・楕円など)の箱胴に棹を挿した,さまざまなスパイクリュートの類が弾かれています。
  それらはインドから東南アジアにかけて分布する,カチャピ,カサピなどと呼ばれる2弦楽器や,ツン・スン・ピンなどの名前で呼ばれる2~4弦の単純な「かきならし系楽器」。メロディを弾く,というより,主に弦間4・5度の和音でリズムを刻む伴奏楽器の仲間なのですが,「原阮」,すなわち「阮咸」の原型となった銅製の楽器の模型が,四川省から出てきたとするなら,それは琵琶のような4単弦よりは,こうした南方系の,2弦のかきならし楽器が複弦化された4弦2コースの楽器だった可能性が高い----おそらくは長棹2弦のベトナム月琴「ダン・ングィエット」のご先祖様,『皇朝礼器図式』の載せる4弦2コースの楽器「丐弾双韻」などが,もっともそれに近いものではないか,とも庵主は考えます。
  こちらに起源する楽器が同じ4弦2コースの清楽の「阮咸」や,「秦琴」など,西北系の弦楽器群と異なっているのは,フレットの数が比較的少ないことです,もとがリズム楽器に近い伴奏楽器なので,あまり音数を必要としなかったからでしょう。

  そしてその長棹4弦2コースの「原阮」が短くなったものが,イ族やプイ族の「月琴」であり,わたしたちの「月琴」なのではないか----と庵主は考えておるですよ。つまり「月琴」は,琵琶に類する唐の「阮咸」からではなく,それと形のよく似た4弦2コースの「かきならし系楽器」が,高音域の演奏のためか携帯上の便のため(あるいはダンスの伴奏の際「ふりまわしが良いように」だったのかもしれません)に,音階はそのまま,弦長を縮められたもの,つまりショートスケール版にした楽器を起源とするのではないか,ということですね。


  清朝の中期以降,南進拡大政策のなかで,南方地方に対する興味や憧憬といったものが,中央の知識人を中心に何度か流行しました。そうした「南方ブーム」のなかで,中国西南部の少数民族間で弾かれていた,名もなき「弦子」や「四弦」が,揚子江の水運を中心に中国南部へ運ばれ,流行します。やがてどこかの誰かが,古い本から「月琴」という楽器の名前を探してきて,これにへっつけました。唐の「阮咸」に由来する楽器だという,当らずとも遠からぬ故事付けもして……まあ「名もなき弦楽器」じゃ売りにくかったでしょうからねえ。
  乾隆年間までは,北方系の八角胴長棹のスパイクリュート(清楽で云うところの「阮咸」)を指していた「月琴」という語が,この短い棹で丸い胴体の楽器に奪われ,とってかわられたのが何時ごろであったか,その確定にはまだ類証が足りず,はっきりとは言えませんが,どうさかのぼっても,17世紀の終わりごろのことだと思いますね。



月琴のお飾りについて(1)

  さて,さらッと本題を片付けたところで。
  すぐ上で述べ,「相関図」にもあるように,庵主はいまある「月琴」は「阮咸」ではなく,「西南少数民族の月琴」に由来する,と考えてるのですが,ここからはその類証としての推論を,いくつかあげてゆくことといたしましょう。

  月琴を弾いてると,弦楽器の知識のあるヒトからはよく,「なんでサウンドホールがあいてないの?」という質問をされることがあります。


  日本の清楽月琴では,半月のポケットの内側に直径5ミリほどの小さな孔があけられてます。一部の本にはこれを「サウンドホール」と解説しているものもありますが,じつは「古渡りの月琴」をはじめ中国月琴ではほとんど見られないんですね,この穴。

  琵琶では月琴の半月にあたる覆手の裏に「陰月」という穴があけられています。古い楽琵琶ではバチが入るぐらい大きく,サウンドホールといって過言ありませんせんが,薩摩や筑前と言った近世琵琶のものは,月琴とだいたい同じくらいの大きさで,気温差などによって生じる楽器内部の圧力を逃がす「空気穴」程度の役割しかしていません。国産清楽月琴のそれは,同じころに流行っていた,そうした琵琶の加工の影響で職人さんがあけたものだと考えますね。

  では「月琴」にはもとから「サウンドホールがなかった」のか?
  ----庵主は,「もとはあった」 のだと考えています。

  その痕跡こそが,清楽月琴に見られる 「黒いお飾り」 なのではないかと。
  それでは,検証(?)マンガをどーぞ。


  まあ,中心飾りについては「黒」というよりゃ「グレー」ですね。
  木製の黒いお飾りよりは,白っぽい軟玉・凍石の類が使われている例のほうが多いかもしれません。
  イ族の月琴では,真ん中に丸くて小さな鏡が貼り付けられていることがありますから,それはそれで,そうした鏡の名残かもしれませんが。

  明治の国産月琴にはかならずつけられているこの「黒いお飾り」。
  お飾りなのだから何色に染めたって良いはずなのに,左右の目摂と扇飾りだけは,たいがい黒っぽい色をしています。

  これ,庵主にとっては,この楽器をハジメテ手に取ってからの,けっこう古いナゾなんですが。
  日中どちらの楽器研究者さんたちも,なぜか誰も答えを書いてくれません。
  しょうがないから,自分で考えてみましょう,ダム。

  キャラは前の回で出てきた「天華斎」さんをそのまんま使いましたが,「月琴」が漢民族の間で広まったのは彼の活躍した時期より,もうちょっと早かっただろう,と思われます。べつだん初代天華斎さんこそが「月琴の創始者」だなんて言いたいわけじゃありませんからね,念のため。

----ま,こんなとこだったのじゃないかと。

  マンガの楽器のモデルになっているのは,西南少数民族イ族の月琴ですが,彼らやプイ族の「月琴」の面板にはちゃんとサウンドホールがあいています。彼らの楽器が主として,野外でダンスの伴奏楽器として用いられるものであることを考えれば,それはこの小さな楽器で最大に広く大きく響かせるため,もっとも効果的というか,あたりまえの加工でありましょう。

  その子孫と目される現在の中国月琴,そしてもちろん清楽月琴からそれがなくなった理由は,まあひとつにはマンガに描いたよう,単純に「工作がメンドい」ということもあったでしょうが。(笑)
  たとえば,イ族の楽器のように精緻な透かし彫りを彫り込むとなりますと,場所がなにせ表板ですので,加工を失敗した場合,その楽器は「売れない」品になってしまいますよね。さらに,月琴の面板は桐です。柔らかくて,その意味では加工はしやすいものの,あまり精緻な加工に向いているとは言えません。そこで「サウンドホールに見せかけた」黒い板を貼ったのではないでしょうか。そのほうが歩留まりが少なくて済みますし,加工的にもずっとラクです----商売的にはそうしたことも考えられますね。

  お中元の包みにかけられる熨斗や水引なんかもそうですが,おめでたい贈答用の品物などには,古式の遺風が残るものです。
  中国月琴の多くにそれが残らず,福州あたりで作られ日本に送られた「古渡りの月琴」に,このような古いサウンドホールの「痕跡」が残されていたのは,前回述べたよう,それが「贈答用のお目出度オブジェ」としての「お飾り楽器」であったということが,大きく関係しているのだと思われます。

  まあ騙されて買って,しかもそれを踏襲して,自分たちでも作り続けたわけですが。
  そのため却って,こういう古いもの,起源へたどる痕跡が残ってくれたのでもありますね。
  素朴なる,先祖たちに,感謝。



(つづく)


月琴の起源について その9

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まとめましょう の巻月琴の起源について その9

古渡りの月琴(2)  *イラストはクリックで別窓拡大*

  直接そう書かれたものがあるわけではないので,あくまでも推論ですが。
  まずはなぜに,日本に輸入されてきた「古渡り」の月琴には,お飾り,装飾類のついてるのかの説明です。

  前々回引いた,馬琴『耽奇漫録』,前回引いた『芸海余波』の絵にあった楽器もそうですが,このとおり,清楽流行の初期,江戸時代に作られた国産の月琴や輸入された楽器には,少しあとの楽器でふつうに見られるような半立体的な装飾のついている例があまりありません。

  舞台はべつに中国本土でなく,長崎や船の上でもいいのですが,おそらくはこういうやりとりがあったのではないかと----

  ジミさん再登場。

  異国の地でアルバイト中のもよう。

  あ,店主はこいつか。
  どんだけ長生きてるのやら。

  ちなみに絵にあるようなお目出度アイテム,お飾りとしての月琴は,南のほうの街で今も見かけますね。だいたいは「夫婦円満」とか「円満如意」といった,楽器の形や意匠から連想される,お目出度い文句を二行ばかり面板上に書し,チャイニーズ・ノットのついた紐飾りなどをぶらさげたくらいのものですが,この絵のように玉や木,色紙で作ったさまざまなお目出たレリーフを,楽器本体が見えないくらい貼り付けたものもあるわけですね。
  むかし雲南で,楽器屋さんではなく雑貨屋さんや,仏具屋さんというか葬式道具屋さんの店先でも,こうした満艦飾のお目出度月琴が売られてるのを見た記憶があります。


  「飾りがついてたほうが高級にみえる」というのは,なんか子ども相手みたいですが,確かですわな。
  ましてや相手が,その対象物の本質や価値基準を理解してない知識が薄い,とするならば,商売上そうした単純な手法はなおのこと,非常に有効でかつたやすいものとなります。

  現在国内に残っている「古渡り」とされる中国製楽器の中にはときどき,一見高級そうではありますが,あまりにも装飾過多の---たとえば,柱間の飾りが盛りあがりすぎてて,糸がおさえられない---とかいうようなものがあります。また,もともと楽器としては使用不可能なもの,たとえば部材の質や棹の傾き組み立てなどの工作上に問題があって,製品としてはとしてはおそらく間違いなく 「不良品」「欠陥品」「失敗作」 であったろうものを,いちおう楽器として体裁だけ整えてあるだけ,というものもありました。(「清音斎の月琴」「23号茜丸」の記事などお読みください)
  庵主だけじゃなく,前の所有者か販売者が,そうした楽器を自分で修理・改造し,何とか音の出る状態にまで調整しようとしたような痕跡も,時には見かけますね。


  そもそも「楽器」として考えると,音を出す上でもっとも大切な共鳴版の上に,こういう装飾がへっついているということは,音にとって害はあれども得はまったくないわけで。

  はじめのころに入ってきた楽器にこうした装飾がなかったのは,それらがたとえば船員が暇つぶしに楽しむような,私物として持ち込まれた「実用品」が多かったからではないでしょうか。音を楽しむための,実用本位の楽器ですから,装飾はあくまで邪魔にならない程度,現在の中国月琴と同じように,たとえば絵とか書が施される程度,それもごく私的なレベルで,です。


  月琴とその音楽を日本にもたらした人々,馬琴や筠庭がいうところの「清商」すなわち中国商人は,楽器を直接製造して販売する業者ではなく,さまざまな物をやりとりして利ざやを獲る貿易商人です。それが「売れる」と分かったとき,とうぜん彼らは「より安く買って,より高く売る」手段を考えます。

  マンガのように「お飾り」として作られた安物楽器,がそのままで「高級品」として売られたこともあったでしょう。ただ,お飾り楽器は見かけ豪華なだけ,中身はド安物であったとしても,飾り立てるのに,それなりに手間とコストがかかります。
  あるていど「こういうものが売れる」という傾向さえつかんだならら,つぎはその路線に沿って,製造者にその手間を簡略化させ,元卸の段階からより安価に仕入れられるようにすれば,よりもうかる---商売人たるもの,そうじゃなくっちゃいけませんよね。

  とはいえこの,後世の国産月琴にも引き継がれてゆく装飾のパターンは,たんに満艦飾のお飾りを利ざやの要求から減らしただけきたもので,そうなったこと,そうであることに何ら意味はないのか,と言いますと。

  ----じつはそうも言い切れない。

  そして実はそこに,この共通する「お飾り」のパターンのなかに,この短い棹で丸い胴体の「月琴」という楽器の「起源」へとさかのぼる,大事なヒントの一つが隠されているのでは……

  というあたりは,次回。

(つづく)


月琴の起源について その8

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まとめましょう の巻月琴の起源について その8

古渡りの月琴(1)  *イラストはクリックで別窓拡大*

  さて,いよいよ「清楽月琴」。
  日本に伝わった,短い棹で丸い胴体の「月琴」の登場です。
  「清楽」で使われた月琴を「清楽月琴」と庵主は呼んでいますが,これには大別して二種類の楽器があります。ひとつは中国の月琴をもとに日本国内で作られたもの。もうひとつがそのモデル・お手本となった楽器。清楽の流行時期に中国の,おもに福建省あたりからから輸入された月琴です。

  前にも書いたように,現在も売られている伝統的なタイプの中国月琴には,古渡り月琴によくあるこうした装飾をつける習慣はなく,外国の楽器博物館にあるような大陸各地の民間において採集された古い楽器とくらべても,古渡り月琴には装飾の有無のほかにも,糸倉の加工や棹の長さ,フレット配置およびデザインなど,共通して異なる外見・工作上の特徴をもつものが多いようです。

  清楽流行時,こうした「古渡り」の月琴のなかで,いちばん有名だったものに「天華斎」の楽器があります。


  日本に伝わった天華斎の楽器のラベルには「八代続いた老舗で…」とか書かれてますが,創業者である初代天華斎・王仕全が店を開いたのは清の嘉慶6~7年ごろ,19世紀のはじめですね。 明治のころにはまだ二代目あたりの時代ではなかったかと思われますが,まあこれはラベルの常套句,ってとこですね。

  大坂派の平井姉妹の妹・長原梅園が東京に移ってきたおり「初代天華斎作にて逸雲,卓文君等の二名器と同時に渡来せる」という月琴と「初代清音斎の製作にかかる」提琴など,四つの名楽器を携えてきた,と『明治閨秀美譚』という本には書かれております。

  ちなみに早大の「古典籍総合データーベス」にある松平斉民の貼りまぜ帳『芸海余波』に,平井連山・梅園の演奏会についてと思われるメモと,その時見たらしい月琴の図があるんですが,これ,もしかするとその渡来の名器,「初代天華斎」とやらの一面かもしれませんね。


  先にあげた梅園女史に関する記事などからも,「天華斎」「清音斎」というのが,かつて清楽者にとって,とくに重要なブランドであったことが分かりますよね。
  こうしてトップクラスの弾き手が持っていることもあって,早くからその楽器には「名器」の呼び声も高かったわけですが,名器中の名器だったのは「初代天華斎」の楽器。日本に輸入され,現在も残っているものはほぼ,販路を拡大した二代目,三代目,あるいは「天華」の名を冠した支店等(後述)の量産品と考えて間違いありません。庵主が「倣製月琴」と呼ぶ,初期の国産月琴には,単に「マネをした」というより,はじめからこうした楽器の「贋物」として作られたものも少なくはなく,実際「天華斎」のラベルを貼った粗雑な作りの楽器を目にしたことが,一度ならずあります。
  梅園はそういう楽器の「目利き」もやっていたようですね。先の『明治閨秀美譚』に 「古器鑑定に能ある以て第三勧業博覧会の開設あるに方り,選ばれて審査官となり…云々」 とも書かれています。


  天華斎のラベルの2行目に「茶亭街」とありますね。ここにはかつて「文廟」すなわち孔子様を祀ったお社があり,その祭礼で催される「十番鼓」といった民間音楽でも有名でした。

  『福州市志』などによれば,前の戦争のころにはこの茶亭街を中心に「老天華」「老天和」「天華斎仁記」「清音斎」「華音斎」といった楽器店があったそうです。このうち「老天華」「天華斎仁記」は言うまでもなく「天華斎」の系----日本でも三味線の祖,名人・石村近江の名を冠し「石村」を名乗る製作者があちこちにいましたが,それと同じようなものですね。
  それほど数を目にしたわけではありませんが,天華斎のものとくらべると,「老天華」の古い楽器はやや華奢で華美,「天華斎仁記」のほうは工作がやや雑で材質も少し劣る,廉価版の楽器を多売していたようです。


  かつて茶亭前の通りに櫛比していたという福州の伝統的な楽器店は,文化大革命のころに大打撃をうけて激減したようですが,Web上で調べてみる限り,かつての名流を引く「天華斎楽器舗」「老天華」ほか,いくつかの老舗楽器店がいまもなお健在なようです。

  ----いつか行ってみたいなあ。


  「清音斎」の月琴は以前,修理を手がけたレポートがありますので,インデックスからそちらもご参照あれ。14号「玉華斎」もこのグループの製作者だと思われますが,今のところ確証はありません。

  福建省福州という街は,貿易を通じて琉球とも長崎とも関わりの深かったところ,前回とりあげた「御座楽の月琴」あたりにもつながってゆくとは思うのですが,清楽の流行時日本にさかんに輸入された,やや棹が長く装飾のついた「古渡り月琴」のスタイルは,この天華斎をはじめとした福州茶亭街あたりの楽器店が作り出したもので,中国国内では当時としても,どちらかといえば一般的ではないタイプ---もしかすると輸出用の楽器---だったのではないか,と庵主は考えています。

  次回からは,そのあたりを中心に,ではどうしてそういう一種特殊なスタイルが作り上げられていったか,そのあたりを考えてみようかと思います。


(つづく)


月琴の起源について その7

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まとめましょう の巻月琴の起源について その7

御座楽の月琴  *イラストはクリックで別窓拡大*

  さて,ようやくというかいきなり,日本に近づいてきましたよ。
  とはいえ,まだ長崎とか大坂にも,お江戸とかからもはるか遠くですが。

  それ以前にも,清国との交易とかで,あるていど直接入ってきていたのかもしれませんが。
  短い棹で丸い胴体の「月琴」という楽器を,日本人がはじめて目にしたのは,たぶん琉球王国--現在のオキナワ--との交流を通じてのことだったと思われます。

  そして日本人でおそらく,月琴について最初に記録したのは----


  徂徠先生の正確な報告はこう----

  琵琶似此方者,四隅円如横筒,更設九柱于其腹,極庳,而五長四短,手搊不用撥,鳳眼極繊,揺則鏗爾有声。想其腹中有物是為異耳。(荻生徂徠『琉球聘使記』宝永7)

  最初に「琵琶」って書いてあるので,たいがいの人は琵琶のことじゃ,と思ってしまうんですが,ちゃんと読みすすめると「あれっ?」となりましょう。胴体は円形で筒みたい,フレットは9本(たぶん山口も含む),「鳳眼(琵琶だと左右の三日月)」に精緻な細工,揺らすと金属音----
  御座楽で使われた琵琶は,清楽の唐琵琶と同じく,中国式ですからフレットは4相13品,ネックの4本は断面がオニギリ型の立体フレットで,ほかは竹板。9本ではぜんぜん足りませんし,「極めて繊」などというような精緻な飾りも付いてはいません。

  それよりなにより最後の,「揺らすとキンと音が鳴る,胴体に何か入ってるようだなあ,フシギだ」
  「響き線」ですわな,こりゃ。胴体が丸くて,響き線の入ってる楽器はたぶん「月琴」だと思う。

  『琉球聘使記』は宝永7(1710)年の琉球からの「江戸上り」使節団の記録。この使節団の派遣に際しては,外交儀礼として,行列しながらする「路次楽」と,室内でする宮廷音楽の「座楽」という,ふたつの形式の音楽が演奏されました。
  この前年,将軍・綱吉公が死去,パトロンだった柳沢のお殿様も失脚してますが,さすが大儒・徂徠先生,まだこういうものをこれだけ間近で詳細に見聞することのできるだけの勢力はじゅうぶんもっていたのでしょうね。

  あいだが100年くらい空いて。つぎに「月琴」のことが出てくるようになるのは,1820年代のことです。
  徂徠先生の文章は漢文なんでまだ読めるんですが,馬琴さん『耽奇漫録』のほうは,ちょいと草書で書かれてるんで,その手のニガテな庵主,ぜんぶは読み解けません。でもまあ----

   第4「清月琴」 圓径一尺一寸 厚一寸 棹長八寸
  右月琴〓〓長崎へ来る清商多くこれを弾て,この国の人〓〓〓〓へたる事や,その形状桐材をもつて円く切まはしたるを五斤あハせて胴となし,善き桐板を持て槽となし,覆手を重て弦を同をとこそ四絃なれとも二絃つゝワかちて双清韻双濁韻なり。十柱をおく,柱は竹ニて厚さ一分程のものを用,清絃十声濁声十声,都て二十声なり。たゝし甲中乙の三音に高下の等なるのミニて,六八の和〓有ことなし。故に其音ハ悲急,その詞を九連環の類にて聚色淫声〓のに堪す。さて月琴の名,琉球楽器圖にみへて,其形状これと全く同し。されとも『事物紀原』『合璧事類』* なる所謂「月琴」とは同名二物なり。 [割注:この二書に謂月琴ハ阮咸の一名なり] 栗原信充曰:『清朝禮器式』に載せる燕饗用安国楽志の中に丐弾雙韻と云ふもの,形状これに近し,清濁音の双の韻をなす故に名付しにやあらむ。

 *『合璧事類』:宋代の類書(百科辞典)『古今合璧事類備要』。
 *『清朝禮器式』:『皇朝禮器図式』のことであろう。「安国楽志」は「安南国楽志」。

----というとこか。

  さすが馬琴先生。「阮咸(=月琴)」と棹の短い所謂「月琴」は,「同名二物」だと看破なさっておる。
  それはさておき,「さて月琴の名,琉球楽器圖にみへて,其形状これと全く同し」というところからも,「月琴という名前でこういう恰好をしている楽器」は,琉球のほうから先に来ていたということがうかがい知れますね。


  静嘉堂文庫所蔵の『琉球曲詞奏楽儀注』の図にも,これと同じく長ひょろい棹の「月琴」が描かれています。
  最初の画像にも書いたとおり,御座楽で使われていた月琴は,後に清楽で使われたものとくらべると,一回り以上大きく棹も長く,演奏も,バチを使わず指で弾く,など相違点があります。
  もしかすると,「御座楽」で使われていたこうした楽器は,大陸経由の短い棹で丸い胴体の月琴をベースに,台湾の南月琴やベトナムのダン・ングィエットといった長棹月琴の影響も折衷した,琉球独自のものだったのかもしれません。

  「御座楽の月琴」は,琉球の宮廷楽士,公的使節団の楽器---しかも「室内楽器」だったため,見る人も聞く人も限られていましたので,一部の知識人を除いて一般的にはほとんど知られていませんでした。
  しかし,清朝の商人たちによってもたらされた「月琴」が,長崎を中心に本格的に流行する以前にも,琉球からのルートで入ってきた,同じ手合いの楽器があったということは間違いありません。

  とりあえず今回は,そんなところで。

(つづく)


月琴の起源について その6

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まとめましょう の巻月琴の起源について その6

少数民族の月琴について *イラストはクリックで別窓拡大*

  月琴の起源について 「まとめる」,とか言いながら,かえって散らばしてる気もしますが。(笑)
  いましばらく基本知識の四方山におつきあいください。

  中国のも日本の楽器解説書も,多くは彼らの楽器をカンタンに「月琴」と言ってひとまとめにしてしまっていますね。
  少数民族の「月琴」には,4弦のものもあれば,2弦,3弦で弾かれるものもあります。
  チューニングも4弦2コース,3弦2コースなどさまざま。
  共通しているのは,漢民族の「月琴」と同じく,短い棹で丸もしくは八角形の胴体をしていることくらいでしょうか。


イ族の月琴/『中国少数民族楽器大観』より   イ族という人たちは,雲南の少数民族中,最強最勇の民族。まあ,かんたんに言っちゃうと,雲南のサ○ヤ人ですね。
  武勇に優れ,中央勢力とも何度となく闘っておりますし,近隣の諸族からも恐れられてました。

  ここにある「烏蒙」と「寧」の出てくる月琴起源説話は『中国少数民族楽器大観』(呉言韙/陳川 編 四川人民出版 1990)から,この本にはほかに,イ族がもといた土地から金沙江を渡って移るさい(大行進をしたそうな),楽団の奏でる月琴の音色に,王様がおもわず涙ぐんだというような話も載っております。

  イ族の月琴では,八角形のものも円形のものも,伝統的には4つのサウンドホールがあけられます。
  ギターの,というよりリュートとかに近いかな?ただの穴じゃなくて,精緻な透かし彫りがされてます。
  サウンドホールだけでなく,面板全面にこれでもかとばかり彫刻をして,ほとんどスケスケになってるのまでありますねえ。

  現地,少数民族の言語ではこれを「babu」「banpi」と呼んでいます。
  「babu」「banpi」は「弦-弾く」といった意味で「撥弦楽器」程度の意味です。

  苗族の「弾琴」と同じ類の呼び方ですね。
  この楽器もまた「月琴」とも呼ばれてますが,こちらはちょっと棹の長い楽器です。

苗族の弾琴/『中国少数民族楽器大観』より
  面白いとこでは「俄吧月琴」というのがありますね。「heba」は「蛙」のこと,漢語で「蛙琴」とも呼んでますが,『民間文学』(1985 1-180)にある「月琴的伝説(李柱 採集)」によればこの語は,イ族の少年が人間に智慧を与えてくれたカエルの皮を,木の椀(「智慧の水」が入っていた)に張って,「お月様のようなカタチの」二絃琴を作ったという伝説から来ているそうな。

  そのほか「噹噹」と楽器の音から来た語で呼んだり,やや楕円形の胴体の楽器を「庫竹」と呼ぶ地区もありますが,こちらは由来や意味が不明。漢語ではそのほか,上のコマにあるよう「四弦」とか「弦子」といった,「弦楽器」を表すかんたんな言葉で呼んでいます。


  こちらはプイ族の月琴。
  以下のおハナシは既述『中国少数民族楽器大観』のほか『中国民間風俗伝説』(雲南人民出版 1985)など,けっこうあちこちで見られますね。

  リア充バク○ツしろ。

  どこの泉だかは不問。
  ちなみに「九節狸」はジャコウネコのことみたいですね。狸さん,情報ありがとう!

  女の子のほうの名前が「妹緑(めいるぅ)」になってる例もあります。
  何度読んでも,なんだか「いきなり感」が拭えない説話で。
  なんか伝承の過程で,いろいろとすッとばされてるんだとは思いますが。
  「勒木(るーむー)」と「妹糸(めいすう)」ってのは,もしかすると牽牛・織女の劣化した存在ではないでしょうか。
  マンガでは「月の宮殿おすまいの女神様」にしちゃいましたが,本では「天上王母娘娘」になってますね。原語でどうなってたのかは不明ですが,たいがいこの語は,月にの水晶宮に住んでる「西王母」を指します。牽牛・織女の仲を引き裂いた張本人ですね。
  これももともとそういった七夕とかの伝説を,月琴の創生説話にすげかえたように思われますわ。

  彼らの「月琴」は,おもに祭礼や儀式の際のダンスの伴奏楽器として使われ,基本的に楽器は自分たちで作っていますが,現在は既製品の現代月琴にペイントしたり改造したようなものも使われているようです。
  わたしの知っている範囲では,漢民族の月琴を流用したもの以外では「響き線」は入っていません。

  その形態や,奏法からして,これら「少数民族の月琴」とわたしたちの「丸い胴体で短い棹の月琴」の間に関係があることは明らかなのですが,どちらが先でどちらが後か,とか。それがどっからどうやって,どんなふうに広まって,最後は日本まで来たのかとか,ちゃんと秩序立てて考えたり,調べたりされたことは,あまりないようですね。

  さて。

(つづく)


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