月琴の起源について その7
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月琴の起源について その7
御座楽の月琴 *イラストはクリックで別窓拡大*

さて,ようやくというかいきなり,日本に近づいてきましたよ。
とはいえ,まだ長崎とか大坂にも,お江戸とかからもはるか遠くですが。
それ以前にも,清国との交易とかで,あるていど直接入ってきていたのかもしれませんが。
短い棹で丸い胴体の「月琴」という楽器を,日本人がはじめて目にしたのは,たぶん琉球王国--現在のオキナワ--との交流を通じてのことだったと思われます。
そして日本人でおそらく,月琴について最初に記録したのは----

徂徠先生の正確な報告はこう----
琵琶似此方者,四隅円如横筒,更設九柱于其腹,極庳,而五長四短,手搊不用撥,鳳眼極繊,揺則鏗爾有声。想其腹中有物是為異耳。(荻生徂徠『琉球聘使記』宝永7)
最初に「琵琶」って書いてあるので,たいがいの人は琵琶のことじゃ,と思ってしまうんですが,ちゃんと読みすすめると「あれっ?」となりましょう。胴体は円形で筒みたい,フレットは9本(たぶん山口も含む),「鳳眼(琵琶だと左右の三日月)」に精緻な細工,揺らすと金属音----
御座楽で使われた琵琶は,清楽の唐琵琶と同じく,中国式ですからフレットは4相13品,ネックの4本は断面がオニギリ型の立体フレットで,ほかは竹板。9本ではぜんぜん足りませんし,「極めて繊」などというような精緻な飾りも付いてはいません。
それよりなにより最後の,「揺らすとキンと音が鳴る,胴体に何か入ってるようだなあ,フシギだ」。
「響き線」ですわな,こりゃ。胴体が丸くて,響き線の入ってる楽器はたぶん「月琴」だと思う。
『琉球聘使記』は宝永7(1710)年の琉球からの「江戸上り」使節団の記録。この使節団の派遣に際しては,外交儀礼として,行列しながらする「路次楽」と,室内でする宮廷音楽の「座楽」という,ふたつの形式の音楽が演奏されました。
この前年,将軍・綱吉公が死去,パトロンだった柳沢のお殿様も失脚してますが,さすが大儒・徂徠先生,まだこういうものをこれだけ間近で詳細に見聞することのできるだけの勢力はじゅうぶんもっていたのでしょうね。
あいだが100年くらい空いて。つぎに「月琴」のことが出てくるようになるのは,1820年代のことです。
徂徠先生の文章は漢文なんでまだ読めるんですが,馬琴さん『耽奇漫録』のほうは,ちょいと草書で書かれてるんで,その手のニガテな庵主,ぜんぶは読み解けません。でもまあ----

第4「清月琴」 圓径一尺一寸 厚一寸 棹長八寸
右月琴〓〓長崎へ来る清商多くこれを弾て,この国の人〓〓〓〓へたる事や,その形状桐材をもつて円く切まはしたるを五斤あハせて胴となし,善き桐板を持て槽となし,覆手を重て弦を同をとこそ四絃なれとも二絃つゝワかちて双清韻双濁韻なり。十柱をおく,柱は竹ニて厚さ一分程のものを用,清絃十声濁声十声,都て二十声なり。たゝし甲中乙の三音に高下の等なるのミニて,六八の和〓有ことなし。故に其音ハ悲急,その詞を九連環の類にて聚色淫声〓のに堪す。さて月琴の名,琉球楽器圖にみへて,其形状これと全く同し。されとも『事物紀原』『合璧事類』* なる所謂「月琴」とは同名二物なり。 [割注:この二書に謂月琴ハ阮咸の一名なり] 栗原信充曰:『清朝禮器式』に載せる燕饗用安国楽志の中に丐弾雙韻と云ふもの,形状これに近し,清濁音の双の韻をなす故に名付しにやあらむ。
*『合璧事類』:宋代の類書(百科辞典)『古今合璧事類備要』。
*『清朝禮器式』:『皇朝禮器図式』のことであろう。「安国楽志」は「安南国楽志」。
----というとこか。

さすが馬琴先生。「阮咸(=月琴)」と棹の短い所謂「月琴」は,「同名二物」だと看破なさっておる。
それはさておき,「さて月琴の名,琉球楽器圖にみへて,其形状これと全く同し」というところからも,「月琴という名前でこういう恰好をしている楽器」は,琉球のほうから先に来ていたということがうかがい知れますね。

静嘉堂文庫所蔵の『琉球曲詞奏楽儀注』の図にも,これと同じく長ひょろい棹の「月琴」が描かれています。
最初の画像にも書いたとおり,御座楽で使われていた月琴は,後に清楽で使われたものとくらべると,一回り以上大きく棹も長く,演奏も,バチを使わず指で弾く,など相違点があります。
もしかすると,「御座楽」で使われていたこうした楽器は,大陸経由の短い棹で丸い胴体の月琴をベースに,台湾の南月琴やベトナムのダン・ングィエットといった長棹月琴の影響も折衷した,琉球独自のものだったのかもしれません。
「御座楽の月琴」は,琉球の宮廷楽士,公的使節団の楽器---しかも「室内楽器」だったため,見る人も聞く人も限られていましたので,一部の知識人を除いて一般的にはほとんど知られていませんでした。
しかし,清朝の商人たちによってもたらされた「月琴」が,長崎を中心に本格的に流行する以前にも,琉球からのルートで入ってきた,同じ手合いの楽器があったということは間違いありません。
とりあえず今回は,そんなところで。
(つづく)
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