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月琴の起源について その10
kigen_10.txt
月琴の起源について その10
いきなりですが結論っぽいもの(1)
*イラストはクリックで別窓拡大*
庵主はこう考えます。
わたしたちの「清楽月琴」は,従来言われているように唐代に流行った四弦の楽器「阮咸」からではなく,その「阮咸」のもとになった銅器の,さらに原型となった楽器から生まれたもの,であると。
この「阮咸の原型になった古い楽器」を,仮に「原阮」と呼ぼうと思います。
「阮咸」が,四川省あたりの古いお墓から出た銅製の楽器カタチをした祭器をもとにしている,という『唐書』や宋代の類書中の説話が本当のことだとして----その祭器の原型となった楽器は果たして,いま正倉院などで見られる,琵琶と同じ4単弦の楽器だったのでしょうか?その構造も琵琶と同じ,棹まで彫りぬきだったのでしょうか?
近年,福建省泉州で発見された4~6世紀頃の遺跡からも,4本弦で長い棹,丸い胴体をした楽器のレリーフのあるレンガが出土しています。こうした絵やレリーフでは,単に4本,弦が描いてあったとしても,それが「阮咸」のように4単弦なのか,4弦2コースの複弦楽器なのかを判別することは難しいですよね。今のわたしたちにはもちろん分かりませんが,
唐の人たちにも分からなかった
と思いますよ。
「こころみに木匠に木で作らせたらいい音だった(から流行った)」とは書いてありますが,作らされる職人さんにしてみれば,陶器で出来た
バイオリンの置物
を見てバイオリンを作れ,と言われるようなものですからねえ。そこで唐の職人さんは,構造も弦制も,同じ4本弦の「琵琶」に倣い,外見だけを円胴長棹にした楽器を
でッちあげた
----それが「阮咸」,だと庵主は考えます。
*「阮咸」にはまた,それ以前にあったという西北系の弦楽器「秦琵琶」「秦漢子」「絃鼗」のリバイバルに過ぎないという説もあるのですが,肝腎のそれら古楽器については実物はおろか,絵すら残されていない状態ですから,ここでは問題としません。
一方,中国西南部から東南アジアにかけての広い範囲では,円胴もしくはその変形(六角・八角・楕円など)の箱胴に棹を挿した,さまざまなスパイクリュートの類が弾かれています。
それらはインドから東南アジアにかけて分布する,カチャピ,カサピなどと呼ばれる2弦楽器や,ツン・スン・ピンなどの名前で呼ばれる2~4弦の単純な
「かきならし系楽器」
。メロディを弾く,というより,主に弦間4・5度の和音で
リズムを刻む
伴奏楽器の仲間なのですが,「原阮」,すなわち「阮咸」の原型となった銅製の楽器の模型が,四川省から出てきたとするなら,それは琵琶のような4単弦よりは,こうした南方系の,2弦のかきならし楽器が複弦化された4弦2コースの楽器だった可能性が高い----おそらくは長棹2弦のベトナム月琴「ダン・ングィエット」のご先祖様,『皇朝礼器図式』の載せる4弦2コースの楽器
「丐弾双韻」
などが,もっともそれに近いものではないか,とも庵主は考えます。
こちらに起源する楽器が同じ4弦2コースの清楽の「阮咸」や,「秦琴」など,西北系の弦楽器群と異なっているのは,
フレットの数が比較的少ない
ことです,もとがリズム楽器に近い伴奏楽器なので,あまり音数を必要としなかったからでしょう。
そしてその長棹4弦2コースの
「原阮」が短くなったもの
が,イ族やプイ族の「月琴」であり,わたしたちの「月琴」なのではないか----と庵主は考えておるですよ。つまり「月琴」は,琵琶に類する唐の「阮咸」からではなく,それと形のよく似た4弦2コースの「かきならし系楽器」が,高音域の演奏のためか携帯上の便のため(あるいはダンスの伴奏の際「ふりまわしが良いように」だったのかもしれません)に,音階はそのまま,弦長を縮められたもの,つまりショートスケール版にした楽器を起源とするのではないか,ということですね。
清朝の中期以降,南進拡大政策のなかで,南方地方に対する興味や憧憬といったものが,中央の知識人を中心に何度か流行しました。そうした
「南方ブーム」
のなかで,中国西南部の少数民族間で弾かれていた,名もなき「弦子」や「四弦」が,揚子江の水運を中心に中国南部へ運ばれ,流行します。やがて
どこかの誰かが,
古い本から「月琴」という楽器の名前を探してきて,これにへっつけました。唐の「阮咸」に由来する楽器だという,当らずとも遠からぬ故事付けもして……まあ「名もなき弦楽器」じゃ
売りにくかった
でしょうからねえ。
乾隆年間までは,北方系の八角胴長棹のスパイクリュート(清楽で云うところの「阮咸」)を指していた「月琴」という語が,この短い棹で丸い胴体の楽器に奪われ,とってかわられたのが何時ごろであったか,その確定にはまだ類証が足りず,はっきりとは言えませんが,どうさかのぼっても,
17世紀の終わりごろ
のことだと思いますね。
月琴のお飾りについて(1)
さて,さらッと本題を片付けたところで。
すぐ上で述べ,「相関図」にもあるように,庵主はいまある「月琴」は「阮咸」ではなく,「西南少数民族の月琴」に由来する,と考えてるのですが,ここからはその類証としての推論を,いくつかあげてゆくことといたしましょう。
月琴を弾いてると,弦楽器の知識のあるヒトからはよく,
「なんでサウンドホールがあいてないの?」
という質問をされることがあります。
日本の清楽月琴では,半月のポケットの内側に直径5ミリほどの小さな孔があけられてます。一部の本にはこれを「サウンドホール」と解説しているものもありますが,じつは「古渡りの月琴」をはじめ
中国月琴ではほとんど見られない
んですね,この穴。
琵琶では月琴の半月にあたる覆手の裏に「陰月」という穴があけられています。古い楽琵琶ではバチが入るぐらい大きく,サウンドホールといって過言ありませんせんが,薩摩や筑前と言った近世琵琶のものは,月琴とだいたい同じくらいの大きさで,気温差などによって生じる楽器内部の圧力を逃がす
「空気穴」
程度の役割しかしていません。国産清楽月琴のそれは,同じころに流行っていた,そうした琵琶の加工の影響で職人さんがあけたものだと考えますね。
では「月琴」にはもとから「サウンドホールがなかった」のか?
----庵主は,「もとはあった」 のだと考えています。
その痕跡こそが,清楽月琴に見られる
「黒いお飾り」
なのではないかと。
それでは,検証(?)マンガをどーぞ。
まあ,中心飾りについては「黒」というよりゃ「グレー」ですね。
木製の黒いお飾りよりは,白っぽい軟玉・凍石の類が使われている例のほうが多いかもしれません。
イ族の月琴では,真ん中に丸くて小さな鏡が貼り付けられていることがありますから,それはそれで,そうした鏡の名残かもしれませんが。
明治の国産月琴にはかならずつけられているこの「黒いお飾り」。
お飾りなのだから何色に染めたって良いはずなのに,左右の目摂と扇飾りだけは,たいがい黒っぽい色をしています。
これ,庵主にとっては,この楽器をハジメテ手に取ってからの,けっこう古いナゾなんですが。
日中どちらの楽器研究者さんたちも,なぜか誰も答えを書いてくれません。
しょうがないから,自分で考えてみましょう,ダム。
キャラは前の回で出てきた「天華斎」さんをそのまんま使いましたが,「月琴」が漢民族の間で広まったのは彼の活躍した時期より,もうちょっと早かっただろう,と思われます。べつだん初代天華斎さんこそが「月琴の創始者」だなんて言いたいわけじゃありませんからね,念のため。
----ま,こんなとこだったのじゃないかと。
マンガの楽器のモデルになっているのは,西南少数民族イ族の月琴ですが,彼らやプイ族の「月琴」の面板にはちゃんと
サウンドホールがあいています。
彼らの楽器が主として,野外でダンスの伴奏楽器として用いられるものであることを考えれば,それはこの小さな楽器で最大に広く大きく響かせるため,もっとも効果的というか,あたりまえの加工でありましょう。
その子孫と目される現在の中国月琴,そしてもちろん清楽月琴からそれがなくなった理由は,まあひとつにはマンガに描いたよう,単純に「工作がメンドい」ということもあったでしょうが。(笑)
たとえば,イ族の楽器のように精緻な透かし彫りを彫り込むとなりますと,場所がなにせ表板ですので,加工を失敗した場合,その楽器は「売れない」品になってしまいますよね。さらに,月琴の面板は桐です。柔らかくて,その意味では加工はしやすいものの,あまり精緻な加工に向いているとは言えません。そこで
「サウンドホールに見せかけた」
黒い板を貼ったのではないでしょうか。そのほうが歩留まりが少なくて済みますし,加工的にもずっとラクです----商売的にはそうしたことも考えられますね。
お中元の包みにかけられる熨斗や水引なんかもそうですが,おめでたい贈答用の品物などには,古式の遺風が残るものです。
中国月琴の多くにそれが残らず,福州あたりで作られ日本に送られた「古渡りの月琴」に,このような古いサウンドホールの「痕跡」が残されていたのは,前回述べたよう,それが
「贈答用のお目出度オブジェ」としての「お飾り楽器」
であったということが,大きく関係しているのだと思われます。
まあ騙されて買って,しかもそれを踏襲して,自分たちでも作り続けたわけですが。
そのため却って,こういう古いもの,起源へたどる痕跡が残ってくれたのでもありますね。
素朴なる,先祖たちに,感謝。
(つづく)
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