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月琴の起源について その8
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月琴の起源について その8
古渡りの月琴(1)
*イラストはクリックで別窓拡大*
さて,いよいよ「清楽月琴」。
日本に伝わった,短い棹で丸い胴体の「月琴」の登場です。
「清楽」で使われた月琴を「清楽月琴」と庵主は呼んでいますが,これには大別して二種類の楽器があります。ひとつは中国の月琴をもとに日本国内で作られたもの。もうひとつがそのモデル・お手本となった楽器。清楽の流行時期に中国の,
おもに福建省あたりから
から輸入された月琴です。
前にも書いたように,現在も売られている伝統的なタイプの中国月琴には,古渡り月琴によくあるこうした装飾をつける習慣はなく,外国の楽器博物館にあるような大陸各地の民間において採集された古い楽器とくらべても,古渡り月琴には装飾の有無のほかにも,糸倉の加工や棹の長さ,フレット配置およびデザインなど,共通して異なる外見・工作上の特徴をもつものが多いようです。
清楽流行時,こうした「古渡り」の月琴のなかで,いちばん有名だったものに「天華斎」の楽器があります。
日本に伝わった天華斎の楽器のラベルには
「八代続いた老舗で…」
とか書かれてますが,創業者である初代天華斎・王仕全が店を開いたのは清の嘉慶6~7年ごろ,19世紀のはじめですね。 明治のころには
まだ二代目
あたりの時代ではなかったかと思われますが,まあこれはラベルの常套句,ってとこですね。
大坂派の平井姉妹の妹・長原梅園が東京に移ってきたおり
「初代天華斎作にて逸雲,卓文君等の二名器と同時に渡来せる」
という月琴と
「初代清音斎の製作にかかる」
提琴など,四つの名楽器を携えてきた,と『明治閨秀美譚』という本には書かれております。
ちなみに早大の「古典籍総合データーベス」にある松平斉民の貼りまぜ帳『芸海余波』に,平井連山・梅園の演奏会についてと思われるメモと,その時見たらしい月琴の図があるんですが,
これ,もしかするとその渡来の名器,「初代天華斎」とやらの一面かもしれませんね。
先にあげた梅園女史に関する記事などからも,「天華斎」「清音斎」というのが,かつて清楽者にとって,
とくに重要なブランド
であったことが分かりますよね。
こうしてトップクラスの弾き手が持っていることもあって,早くからその楽器には「名器」の呼び声も高かったわけですが,名器中の名器だったのは「初代天華斎」の楽器。日本に輸入され,現在も残っているものはほぼ,販路を拡大した二代目,三代目,あるいは「天華」の名を冠した支店等(後述)の量産品と考えて間違いありません。庵主が「倣製月琴」と呼ぶ,初期の国産月琴には,単に「マネをした」というより,はじめからこうした楽器の
「贋物」として作られた
ものも少なくはなく,実際「天華斎」のラベルを貼った粗雑な作りの楽器を目にしたことが,一度ならずあります。
梅園はそういう楽器の「目利き」もやっていたようですね。先の『明治閨秀美譚』に
「古器鑑定に能ある以て第三勧業博覧会の開設あるに方り,選ばれて審査官となり…云々」
とも書かれています。
天華斎のラベルの2行目に「茶亭街」とありますね。ここにはかつて「文廟」すなわち孔子様を祀ったお社があり,その祭礼で催される「十番鼓」といった民間音楽でも有名でした。
『福州市志』などによれば,前の戦争のころにはこの茶亭街を中心に「老天華」「老天和」「天華斎仁記」「清音斎」「華音斎」といった楽器店があったそうです。このうち
「老天華」「天華斎仁記」
は言うまでもなく「天華斎」の系----日本でも三味線の祖,名人・石村近江の名を冠し「石村」を名乗る製作者があちこちにいましたが,それと同じようなものですね。
それほど数を目にしたわけではありませんが,天華斎のものとくらべると,「老天華」の古い楽器はやや華奢で華美,「天華斎仁記」のほうは工作がやや雑で材質も少し劣る,廉価版の楽器を多売していたようです。
かつて茶亭前の通りに櫛比していたという福州の伝統的な楽器店は,文化大革命のころに大打撃をうけて激減したようですが,Web上で調べてみる限り,かつての名流を引く「天華斎楽器舗」「老天華」ほか,いくつかの老舗楽器店がいまもなお健在なようです。
----いつか行ってみたいなあ。
「清音斎」の月琴は以前,修理を手がけたレポートがありますので,インデックスからそちらもご参照あれ。14号「玉華斎」もこのグループの製作者だと思われますが,今のところ確証はありません。
福建省福州という街は,貿易を通じて琉球とも長崎とも関わりの深かったところ,前回とりあげた「御座楽の月琴」あたりにもつながってゆくとは思うのですが,清楽の流行時日本にさかんに輸入された,やや棹が長く装飾のついた「古渡り月琴」のスタイルは,
この天華斎をはじめとした福州茶亭街あたりの楽器店が作り出したもの
で,中国国内では当時としても,どちらかといえば一般的ではないタイプ---
もしかすると輸出用の楽器
---だったのではないか,と庵主は考えています。
次回からは,そのあたりを中心に,ではどうしてそういう一種特殊なスタイルが作り上げられていったか,そのあたりを考えてみようかと思います。
(つづく)
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