工尺譜の読み方(2) 近世譜編
![]() STEP3 きんせいふ 庵主がこの研究をはじめたころには 「古い工尺譜をどうやって読み解けばイイカ?」 なんてことの書いてあるものは,Web上はもとより文献資料上でもほとんど見つかりませんでした。(じつは今でもほとんどないけど) ではどうやって読めるようになったかというと----そう「古い工尺譜」と「五線譜」の間をつなぐ 「ロゼッタ・ストーン」,そんな楽譜があったからなのですね。 明治も十年すぎますと,お江戸の気風も薄れかけ,それまでは各流のお師匠さんが独占していたような奥伝・秘密のタガなぞも,自由の風にあてられて,次第にユルんでまいります。また月琴というものそれ自体が,お江戸・幕末のころは主としてインテリの高級風雅な風流物だったのが,このころになりますと一般庶民の熊やら八兵衛,トメやらおキクさんといった婦女子の,ちょいと新奇で小粋な流行楽器となってきました。 はじめのころは貴重な輸入品であった楽器も,このころには国内に作り手も増え,文明開化の波に乗って販路も広がり,演奏人口の裾野が雪崩のように広まってゆくなかで叫ばれるようになったのが---「工尺譜の改良」です。 前回もちょいと触れたように,古いタイプの工尺譜というものは,基本,音階をあらわす符字と,まあ良くってフレーズの切れ目である区切り点が打ってあるていどのもの。お師匠さんに就いて習いながら,そこに拍点や棒線を自分で書き込んで,楽譜として完成させるわけですが,この指示の形式が各流派どころかお師匠さんレベルで見事なほどにバラバラ。 言っちゃえば,みんな自己流・自分勝手にやっていたようです。 東京派(渓派)に関しましては,基本である拍点と棒線の形式はだいたい同じだったようですし,この『増補改定 清風雅譜』(明治17年)のように,拍点と棒線まで,はじめから印刷してあるような楽譜も出るようになりました。 ![]() こちらは『清楽指南』(花井信 M.27)という本。前回庵主が説明したように,工尺譜の拍点を「雨垂れ拍子」,つまり左右の膝をかわるがわる叩きながら拍子をとるものとして解説しています。ただその解説が若干ナガシマさん流(「ここをアーッてしてグッとすればバッっとなる」という類)なのでちょいと分かりにくいですね。 ![]() これなんかもそうですね。『月琴雑曲ひとりずさみ』(井上輔太郎 M.24 画像,国図近デジより)。 ![]() 歌詞も中国の歌を原語で歌ったり漢詩を唸ったりするものだったのが,メロディだけいただいて,こういう「かへうた」になったり,日本の端唄や民謡なんかも歌われるようになってきました。まあ,意味の分からないコトバの歌をカタカナで何となく唱えるのよりは,知ってる歌をやったほうが楽しいですものね。 いまでも工尺譜を見せると,とンでもない暗号文書か,みたいなお顔をなさる諸氏が多いのですが(笑),明治の頃だって,こんなお経みたいな漢字の羅列をイキナリ見せられたら,たじろがない人はそういなかったと思います。 こうして拍点や連続音の棒線がつくことで,いちいちお師匠さんにお伺いをたてながら譜面に朱を入れるような必要はなくなったものの,分かりにくさはあんまり変ってません。 どの音をどのくらいの長さひっぱればいいのかとか,どこでどんなふうに休符を入れればいいのか,とか。ういう大事なところは基本の部分をすでにシッカリ知っているか,やっぱり誰かに教わりでもしないとピンときません。 じっさい,当時の音楽雑誌にもときどき 「清楽の譜面が分からん,読めん!誰か解説キボンヌ!」 みたいな読者投稿があったりしてますね。で----需要があれば供給が生まれる----そこで出現してきたのが,さまざまに工夫をこらした「改良工尺譜」です。 庵主はこの時代の,こうした新出の方法で記された譜面をひとからげに,「近世譜(きんせいふ)」と呼んでいます。 一口に「近世譜」と言いましても,その方式は実にさまざまで。 従前に述べた古譜の朱入れ法と同じぐらい,いろんな形式があります。 ただ,そのなかでもっとも普及したのがこの形式ですね。 まずは『清楽曲譜』(沖野勝芳(竹亭) M.26 国図近デジより)の画像をどうぞ。 ![]() ![]() 線で区切られてる間が4/4拍子のときの1小節。無印の符字が4分音符,休符が「○」,長く伸ばすときは拍数ぶん「・(半拍)」や「-(1拍)」を足し,逆に短いほうは傍線をつけて表します。 単純な形式ですが,それぞれの符の長さは明解,縦書きにしても横書きにしても分かりやすさが変りません。 庵主が「明清楽復元曲一覧」で公開している各楽譜のE-TEXTでも,彼の形式をほとんどそのまま使っています。 もっとも,この形式はもとから「工尺譜ために」開発されたとかいうものではありません。 ![]() (画像 四竃訥治『清楽独習之友』 M.24。工尺譜の近世譜と数字譜を対照させている。) 明治以降入ってきた「洋楽」の楽譜はとうぜん「五線譜」だったわけですが,日本人はどうもこの「五線譜」というものに,当初,今ひとつ馴染めなかったようで,それにかわって「数字譜」というものが大いに普及いたします。いまはあまり見かけませんが,オタマジャクシの羅列を1,2,3..7という数字に置き換えたこの単純な記譜法は,見た目の分かりやすさから広く支持されるようになりました。 ![]() (画像『音楽雑誌』40号 柴田緑花「清楽指南巡り」。「仙華 四竃君」は四竃訥治,清楽の楽譜に数字譜や近世譜を積極的に取り入れたら「他の保守的清楽家に敵視せらるる」ことになったとやら。) 沖野竹亭や四竃訥治らの近世譜はすなわち,すでにあった「数字譜」の形式を工尺譜に転用したものにすぎませんが,見た目の分かりやすさと近代的な合理性がほどよくマッチした,最良の記譜法だったかもしれません。 ![]() 「近世譜」のなかで,この小節切りと「―」や「・」による音長表記とともによく見られるのが,次の『明清楽譜』(柚木友月 M.31)などの形式です。 この本の場合は符字横の点が1つなら1拍,2つなら2拍,4/4のとき4拍で全符。 ただし短いほうはあまり工夫されてないんで,点1つで2文字以上の時など,どういう配分にすれば良いのかは,ほかに例がなければちょと分かりません(汗)。 工尺符字の横に点や○などを打って音の長さをあらわすこの形式は,これまた単純で理解はしやすいし,字面は今までの工尺譜ほとんどそのままという利点(?)はあるものの,見た目の分かりやすさという点では前述の方式には敵いませんねえ。 明治時代のミュージックマガジン,『音楽雑誌』における沖野竹亭らの仲間だった瑞穂主人こと百足登は,『明清楽之栞』(M.27 下画像)のなかで,この二つの形式をまぜこぜに使ってますが,これはちょっとやりすぎ----かえって分かりにくくなってしまってますね。(w) ![]() こんなのもあります----明治27年の『清楽独稽古』(吉澤富太郎)。 ![]() 符字の下に付した「レ」の数や位置で音長をあらわそう…というんですが。返しバチの指示であるカタカナの「レ」(符字の右下に付く)もそのまんまなので紛らわしくてしょうがない。『清楽速成自在』(静琴楽士 M.30)はさらに複雑。もーこーなるとワザと分かりにくくしてるとしか思えません! ![]() これならまだふつうの朱入り工尺譜の形式のほうがずいぶん単純でマシかと。 まあけっきょく「清楽」という音楽分野,それ自体が一気に衰退してしまったため,彼らのこうした努力も,ほとんど後世に継がれることはなかったわけですが。百年以上経ったいま現在,庵主のようなマイナー研究者に,一条の光明を与えてくれたりしてることになろうとは---彼らも考えはしてなかったでしょうねえ。 (つづく)
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