工尺譜の読み方(3)
工尺譜を読んでみよう! その3 STEP3 マボロシのひきょくをもとめて [*クリックで拡大*] 日本の古典に「うつぼ物語」というものがあります。 とある記事で「琴の秘曲にまつわる物語だ」という解説を見たもので,いっちょう読んでみようと思ったんですが。 なんか,女の子があッちくっついたりこッちくっついたりするだけのおハナシで…(w)。 まあ,アマゾンの大ウツボはともかく。 清楽は絶えてしまった音楽分野なのですが,その流行の時期が,明治の近世的なメディアの発達過程と重なっていたこともあって,文献資料というものが,楽譜をふくめて,けっこうな量残っております。 前にも書きましたが,清楽の古い形式の楽譜は,曲を習って,拍点やら棒線やらを自分で書き込んで,自分で完成させるものだったので,もしお師匠さんがその曲を教えていなかったら,もしくはそのお弟子さんが途中でやめちゃったような場合には,その本に,どんなに珍しい,レアな曲が入っていたとしても,それがどんな曲なのか,知る術がありません。 庵主のMIDI庫「明清楽復元曲一覧」をご覧いただけると,分かると思うんですが,これだけいろんな資料を渉猟してもなお,譜があっても再現MIDIの作れなかった青文字の曲が,まだまだけっこうな数あります。 今は絶えてしまったとはいえ,一時的にせよ大流行した音楽分野ですので,清楽の資料や楽譜はその一分野にとどまらず,当時のさまざまな書物や雑誌の記事のなかに散見されます。 今回から数回「工尺譜読み解きの実践例」として,最近みつけたそういうレアな曲例を,その復元作業とともに紹介していこうかと思います。 『音楽雑誌』41号(明治27年)より。 「茉莉花」とその「ウラ」とも呼ばれる伴奏曲「秋籬香」の弾き合わせ例です。 一部の音楽解説書にはいまでも,「清楽の合奏はユニゾンでしかない」というようなことが,ほぼ定説的に書かれているのですが,これは近年まで残っていたような,劣化した技術や情報をもとにした演奏の実態を参考にしたところからきたものらしく,このシリーズの最初のほうでも書いたように,実際には「合・四/六・五」のオクターブ・ユニゾンもあり,月琴と他楽器の間で異なる譜を用いるほか,こうした独立の伴奏曲を合わせることによる複雑なアンサンブルも行われていました。 伴奏曲によるアンサンブルについては,沖野勝芳の『清楽曲譜』(明治26年)など一部の曲譜にも「○○は××の伴奏」もしくは曲題に「○○裏」というかたちで示唆されてはいるものの,実際にそういう二種類の譜を使って合奏されることや,合奏されるにあたっての問題のようなものを,きちんと考え,記事にしたものはほとんどありませんでした。 さてこの譜は,当時,北海道は函館在住の清楽家・渡辺喜代吉(岱山)さんによるもの。記事は「清楽拍子譜点に就て」と題され,こんな文章ではじまっています。 各派清楽者の従来用ひ来りたる拍子記号は,種々錯雑なる譜点を用ゆるが故に,苟も其師に就かされば会得し能ハさるのみならず,初学者に表裏合奏の曲等をして自在に独習せしめ,自由に弾奏し得せしむる事実に難し。之に反して四竃仙華師並に梅園派に於て用ゆる拍子記譜法譜点こそは,少しく其楽理を理解し得る者には一見の下,容易に弾奏し得て又極めて便利を成し得へし。今茲に梅園派に於「茉莉花」表裏合調対照の点法を示さんに--- (*句読点と括弧は庵主) 「茉莉花」と「秋籬香」の譜を並列させ,本曲のどこのどの音が発音された時,伴奏のほうは何を弾くのかが分かるように工夫されています。小節切りこそされてませんが,付点によって音長を表す近世譜の形式で組まれてますね。 「四竃仙華」は音楽雑誌の主筆・四竃訥治(1854-1928)さん,前回の記事でもちょと紹介しましたが,音楽改良の一環として清楽に数字譜や近世譜の形式をとりこもうとしていた音楽家の一人。梅園派は平井連山の妹,長原梅園をリーダーとする大阪派の分派ですが,息子の長原春田が明治政府の音楽関係部署「音楽取調掛」に勤めていたこともあって,渓庵派などの他の流派に比べると進歩的な試みを多く許していたようです。この記事の筆者である渡辺岱山も,近世譜の楽譜集を出した沖野勝芳(竹亭)さんも,みんなこの長原春田の弟子だったみたいです。 しかーし,この原譜。 よく見ると,「茉莉花」と「秋風香」の行が入れ違ってますねえ。 「菜」(「茉」の間違い)とあるほうが「秋風香」,「秋」とあるほうが「茉莉花」の譜ですわ。 …ほんと大丈夫かなあ(^_^;)。 「総て雨滴拍子」とありますね。これは前にも説明した「雨垂れ拍子」のことです。 お師匠さんが扇子で見台を打ったり,右・左,と膝を打ちながら取る拍子。一つの点を1拍と考えると,4つで4/4の1小節,ってわけですね。 ではこれを小節切りにして,いつもの斗酒庵式近世譜に直してみちゃいましょう。 言うまでもありませんが「M」が「茉莉花」,「S」が「秋籬香」。 「上=4C」で,「六」以上の高音は「CDEF…」と大文字のアルファベット表記になります。
伴奏の「秋籬香」のほうが「手」が多い---「茉莉花」の長音の合間を埋める形になってます。 沖野勝芳の『清楽曲譜』で「茉莉花の伴奏」とされている「秋風香」などと比べると,ここにある「秋籬香」はそれだけでは独立した曲になっていない,本当に「伴奏」に名前をつけただけみたいな音楽的な素朴さ…と言いますか,何か「イモっぽさ」感がありますね。とはいえそのぶん,いかにも当時の実演奏から起こした譜だ,みたいなリアルさもあります。 その意味では,貴重な資料だと思いますね。 *『音楽雑誌』41号所載「茉莉花」:単独再現MIDIは こちら。 *『音楽雑誌』41号所載「秋籬香」:単独再現MIDIは こちら。 *『音楽雑誌』41号所載「茉莉花/秋籬香」合奏:再現したMIDIは こちら。 *参照:沖野勝芳『清楽曲譜』「茉莉花/秋風香」合奏:再現したMIDIは こちら。 ちなみに「茉莉花」はジャスミン,初夏の花ですね。 対して「秋籬香」はたぶん菊をイメージした曲題です(「秋の籬」と聞いて「採菊東籬下」(陶淵明「飲酒詩」)が思い浮かばないようでは江戸時代の文人さんとしてはやっていけません)。 初夏の「茉莉花」の裏がナニユエに秋の曲なのか? 当時の清楽家たちに尋ねても,「とくに意味はない」ていどの回答しか返ってこないかもしれませんが。 それでも聞いてみたいと思う,今日このごろであります。 (つづく)
|