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月琴25号しまうー(4)

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斗酒庵 変な楽器に出会う の巻月琴25号 しまうー(4)

STEP4 しましましまなお月様

  さて,25号しまうー。
  修理前の状態で,軸は4本そろっていたしフレットも山口もついていました。
  古物の清楽月琴としては損傷も欠損部品も少ないほうですが----あとは,こいつが問題ですね。


  虫に食われて朽ち果てた,半月の復元製作へとまいります。

  除去した時にその材質が竹だと分かりましたが,さてさて,庵主も月琴の半月を竹で作ったことはないもので,まずは元の状態がどうなっていたやら,修理前の写真や残骸をもとにぢっくりと観察推理----と,言いたいとこですが,俺の中の修理コスモ が燃え上がってしまっているので,まずなんでんかんでん,実際に作ってみる方向で,実験しながら考えて行きたいと思います。


  まず材料。
  オリジナルの半月は弦になっている部分で最大高さ1センチ。
  糸孔の部分を平に均してこの厚みですから,元の材料は少なくとも肉の厚みが1.3センチくらいはあったと思われます。

  手持ちの竹材ではさすがにそこまで厚みのある竹板はないので,ふだんフレットを作るのに使ってる白竹の板を,二枚重ねて素体としましょう----とりあえずは作ってみてダメもと,イケなそうならあらためて木で作ってみればいいだけですわい。


  力のかかる部品なので使ってる間に割れちゃったりしないよう,接着面の擦り合わせにはかなり神経を遣いました。
  竹はそれほど接着のいい材料ではありませんから,適度に荒し,ニカワをよく染ませてから圧着します。

  いつもごく小さな部品しか作らないんで,分かんなかったんですが,竹ってこのくらいのサイズ(10×4センチ)でも,平らな板状にしようと思うと結構大変なものなんですね。(汗)
  繊維方向へ割るときは別として,平面を均すときの硬さなんかは,黒檀・紫檀なみですわ。


  二晩ほどおいて,できあがった板の余分を切り取り,下縁部を整形します。
  ここでも繊維の向きを考えながらやらないと,ぞろっと大きくハガれちゃったりしそうで緊張します。


  オモテ面は糸孔の周囲を残して下縁部の角を落とし,ウラにはポケットになる部分を彫り込みましょう。
  うむ…なんだか半月のカタチになってきました。

  竹でもやればできるもんなんですねえ。


  試作のつもりだったのと材料の関係で,オリジナルより若干小さくなっちゃいましたが,思いのほか上出来なので,もーこれでいっちゃいましょう。

  まずは下地固めを兼ねて柿渋を染ませます。
  柿渋には防虫効果もありますから,これでオリジナルみたいに,虫に食われてスカスカになる可能性は少なくなると思いますよ。しかしながら材料が合成板ですからね。まさかどぷんとドブ漬けするわけにもいかないので,脱脂綿に柿渋を染ませたものでくるんで,数時間置きました。

  一日乾かして表面を磨いたらつぎはスオウ染め。乾かしたら塗りで2~3度ほど染ませます。


  これをまた乾かして,重曹溶かした熱湯をくぐらせます。
  ---なんか完熟マンゴーみたいで,美味しそうですねえ。


  これを一晩放置すると,蓮頭の時と同様,こんな感じの色になります。
  竹は染みこみが良くないんで,木に比べるとまあ少し薄めでしょうか。


  ここまでは蓮頭と同じですが,ここで二次媒染のオハグロ液は,あたためず,かきまぜずに上澄みになった液だけを使います。

  すると----うむ,月琴の半月で良くある,あの渋い赤茶色になりました!

  この染めの工程は,オリジナルの半月の裏についてた染めシミの色なんかからの類推ですが,思ったより上手くいきましたね。
  あとはこれを乾かして磨き,カシューをかければ完成です。

  おおぅ!珍しくも報告が現作業に追いついて,書くことがなくなっちゃいましたよ!
  ではいづれまた----

(つづく)


月琴25号しまうー(3)

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斗酒庵 変な楽器に出会う の巻月琴25号 しまうー(3)

STEP3 しましましまオーバーラン

  さて,でははじめましょうか。
  用意するものは----あ…またこれかよ。
  庵主の「木っ端が捨てられない病」によって蓄えられてきた,古い面板のカケラというかオガクズというか……ま,ゴミですね。

  まずはやや厚めのカケラを刻み,ニカワを塗って幅のあるところに押し込みます。つぎに細いスキマにカンナ屑やオガクズを,アートナイフの刃で繊維方向に刻むようにしながら押し込んでゆきます。

  直前にやった14号と同様この楽器の面板も一枚板で,こうした板に生じるこのような不定形でかつ断続的な板の割レは,この板が「なりたいようになろう」としたことによって,板のいちばん弱いところから裂けたもので,本来ですと,直しても直して再発するような厄介なシロモノなのですが,14号の場合と違って,この楽器のひび割レはすでに面板の上下をほぼ貫通しており,さらには割れて面板のハガれた状態で,長年放置されていたらしいので,板はすでにある程度解放され,安定した状態になっていると考えられます。


  庵主も以前ウサ琴で,こういう複雑な杢の板を使って一本作ったことがありますが,こういう板は収縮の度合いがすごくて,作ってから何年かはこの手の故障が必ず起こるものなのです。まあ素材としては見た目的な要素のほうが大きくて,べつだん音色に関係するものではありませんが,職人てのはこういうのが手元にあると,やっぱり作りたくなっちゃうものなんでしょうね。(^_^;)

  下からはじめて,少しづつ順繰りに埋め込んでいきます。目安はオガクズが入らなくなるまで。薄く溶いたニカワをヒビに垂らしてはおしこみ,お湯をつけた布で拭っては押し込み。
  てっぺんまで行ったら,傷口にパテをまぶしておきます。
  いつものとおり,パテは木粉粘土と砥粉をヤシャ液で練ったものですね。



  一晩置いて,乾いたところで表面を整形,飛び出したオガクズの端っこや余分な木粉粘土を除去して均します。
  とりあえずは埋め込み完了!
  あとは古色付けですね。

  はがれていた下縁部と側板の間には,ほんのわずかですが段差が出来てしまっています。
  つまりはこのぶん,面板が縮んだ,というわけなんでしょうねえ。
  「わずか」ではありますがけっこう目立ちますので,ここにもパテを盛っておきましょう。



  面板修理,特に裏板のはけっこう大がかりなものでしたので,少し様子を見ながらやらねばなりません。
  では,その間に,なくなってしまった部品の補作をしときましょうか。

  まずは蓮頭ですね。
  以前,ある骨董屋さんがHPで紹介していた楽器に,これと良く似た楽器があり,こんな蓮頭がついていました。
  その深いアールの糸倉や目摂の形状などから,庵主はたぶん25号もそれと同じ作者のものだと考えてますが,まずはこれを参考にしましょう。

  もっとも,これをそのまんま写しただけじゃつまりません。
  ちょっと透かし彫りにしてみましょうか。


  材料はカツラの板,ふだん作ってる蓮頭と横幅は同じくらいなんですが,縦方向に大きいんですね。
  デザインはおなじみコウモリさん。オリジナルは蛾か蝶みたいなものを口に咥えてますね。
  「蝙蝠吃蛾」で「遍福致俄(たちまちハッピー!)」かな?
  庵主のはいつもの「蝙蝠眼銭=遍福眼前」であります。


  彫りあがったら刻線を軽くリューターでさらって,#400のShinexで磨きこみます。
  こういう半立体物のときは,やっぱりShinexが使いやすいですね!
  糸倉にのせてみました。ふつうの国産月琴と違い,この楽器では蓮頭が真正面を向きます。
  磨きあがった蓮頭にスオウ汁を2度ほど塗布,乾いたところで重曹を溶かし込んだ熱湯をくぐらせ,放置します。


  一晩たったら,こういう色に……
  ううむ,カガクハンノウってやっぱりスゲぇな。
  何でこうなるのかは知らないけど。

  この状態でカシューやニスをかけると,紅木やハカランダのような紫檀色になるわけですね。


  今回はこれに,温めたオハグロ液をかけて,二次媒染----「黒染め」にします。

  棹のフレットをはがしたところや背にも,色がはげたり薄くなったりしたところがあったので,蓮頭と同じ方法で染め直しました。

(つづく)


月琴25号しまうー(2)

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斗酒庵 変な楽器に出会う の巻月琴25号 しまうー(2)

STEP2 しましましまの逆讐


  年末にかけての3面同時修理のあと,ここ数ヶ月というもの。
  庵主,ずっと実作業からは遠ざかり,これまでの研究のまとめや楽譜の復元などやっていたのですが,14号玉ちゃんが思わぬ故障で帰ってきたのをきっかけに,いきなり庵主の修理エンジンに,火がついてしまいました。(笑)
  玉ちゃんの修理が響き線の脱落,というけっこう重篤で緊張感のある作業だったのもあって,精神的に昂揚してしまい修理が終わってからも「な…なんか修理!修理するものはないか!」という実作業中毒状態。部屋を見渡すとそこには,せっかく買い入れたものの,いまいち気乗りがせず,1年あまりほっぽっといた「25号しまうー」がございました。

  表裏面板に,これでもか!というくらいもっくもくな玉杢の板を使い,アールのきつい糸倉,軸は虎杢のトチ,胴体はヒノキかサワラの曲げワッパに,軸と同じ虎杢のトチのツキ板を貼りまわしたもの,裏に賛と「玩音堂」の刻字……
  いちおう唐物の月琴を模そうとしていますが,素材から見ても工作から見ても日本人の手によるものと考えて間違いありません。以前扱った狸さんの「天華斎」と同じいわゆる「倣製月琴」ってやつですね。
  木材の工作や加工から見ても時代的には古そうであり,見た目もそう悪くはない。フェイクであることも問題ではないのですが,この楽器,あちこちに,どうも多少庵主の感性と合わないとこがあります----なんか「うーすーいー」なヤツなんですね。

  でももうなんでもいいや!俺に壊れた楽器を!
  と,修理に入ります----もちろん,手ヌキはしませんぜ。

  まずはフレットやらお飾りの除去。
  うむ…思ったよりちゃんと,しかもかなり強固に接着されております。
  接着はニカワですが,かなり上質なものが使われているようです。


  虫に食われてボロボロになっていた半月もはずしてしまいましょ。
  ふむ,それにしてもまあ,よく食われたもんです。(汗)
  水を含ませたらそりゃもー「クシャッ!」て感じで完全にバラバラ……というかグチャグチャになってしまいましたよ。

  ----この過程で気づいたんですが,この半月,なんと「竹」で出来てます!竹のテールピースってのは,台湾の長棹月琴や中国琵琶ではよく見かけますが,清楽月琴ではハジメテ見ましたよ。


  半月の右下に木釘が3本,挿してありました。
  表裏面板ともに下縁部にハガレがありますから,板を止めようとしたものでしょうね。
  木釘の状態から見て,最近のものではなく,比較的古い加工のようです。この修理の時点では,このへんくらいしかハガレてなかったのかもしれませんが----何度も書いてるように,柔らかい桐板をクギで止めようってのは無駄,まさしく糠に釘ですからね。

  とりやいず,面板の再接着のときジャマなんで,この木釘は抜いておきます。

  前修理者の所業のなかでも最大のナゾが,このヒビ割れや面板のハガレた箇所に盛られた「白い物質」ですね。


  これやっぱり「胡粉」のようです----貝がらを微細に挽いた白い粉ですね。
  日本画とか張子の表面加工なんかで使われます。
  「接着剤」のつもりだったんでしょうか?
  まあ固まればくっつくかもしれませんが,もちろん「止まる」程度で「接着」というのには程遠い強度にしかなりませんねえ。
  また,日本画にしろ張子細工にしろ,「胡粉」があってそれを使ってるということは,基本的には同じ場所に,それを溶くための「ニカワ」もあったハズなんで……何のつもりでどんなヒトがやらかしたことなのか。

  みなさんもちょっと推理,お願いします。

  これによる前修理者の「修理箇所」は,糸倉先端の蓮頭のついていたところ,裏板中央のヒビ割れ,面板左右と下縁部のハガレ部数箇所。


  胡粉自体は水で濡らしてしばらくほおっておけば,ドロドロになってカンタンに拭えちゃうんですが,面板が複雑な杢板なこともあって,木目の微細なところにまで入りこんじゃってるぶんは,とても完全に除去しきれません。
  とりあえずは次の作業の支障にならないていど,だいたいのところで。

  ではまずは,面板の再接着,からいきましょう。


  表が3箇所,裏が2箇所。いづれも円周の1/4以上,けっこう広い範囲で剥離しています。
  これを一箇所づつやっていますと,器体への負担も大きいしメンドもくさいので,一度で済ませてしまいましょう。
  接着にとりかかるまえに,側板にゴムをかけておきます。
  月琴の胴体は,基本的には側板を面板でサンドイッチすることによってカタチ作られております。断続的ながらその面板の,かなりの部分がハガれてしまってますので,このまま表裏から圧をかけたら胴体の形に影響が出るかもしれません。この楽器は,胴体の構造自体に良く分からないところもありますから,まあ保険です。

  それぞれの剥離箇所に筆で水をたらし,何度も揉みこむようにして,水分をよくよく含ませておきます。
  まだスキマに残ってた胡粉が,白くしみだしたりもしてきますので,接着面の清掃も兼ねて,この作業をいつもより丁寧にやりました。

  次にやや薄めに溶いたニカワをたらして,再びもみもみ。
  すべての接着部がややべとついてきたなー,というあたりでクランピングに入ります。
  複数箇所の圧着を一度で済ませるため,今回はこれを使うことにします。


  ----27号でも使ったウサ琴の外枠,ですね。
  前回の修理の時,ネジ止めの孔を増やして,大型のクランプとしても使えるように改造してあります。
  これにはさみこんでネジでしめあげるっと----足りない部分はFクランプも動員。
  Cクランプをぐるりとかけ回して赤いワラジ虫作るのより,ずっとお手軽でかつ正確です。

  一日たって,面板はばっちり再接着されました。
  さて,おつぎがこの楽器の修理のメインかもしれません。

  裏板のヒビ割れにとりかかります!

(つづく)


14号玉華斎・再修理(2)

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斗酒庵に ( ゚Д゚)ゴルァ!帰る の巻2013 3月~ 月琴14号 玉華斎再修理(2)

STEP2 裏板の別れ


  ---とまあ,前回の記事,じつはこれ1年ほど前のもので。(書いといてうpするの忘れてたみたいです:笑)

  それから約1年ばかり,いい子にしてた玉ちゃんでしたが,この3月,練習の時,なんかRyoさんが「様子がおかしい」とゆーので見てみましたら。
  ----響き線が,モゲてました。

  当初修理の調査では,玉ちゃんの響き線は少しサビが浮いてはいたものの,比較的太く丈夫そうだったので,この故障はちょっと意外でしたね。

  さっそく裏板の一部を切り取り,ハガして見てみることにしました---ああ,せっかくの一枚板だったのにぃ……でもまあ,何度も書いているように,響き線は月琴の音色のイノチともいえる大事な部品です,しょうがないですね。


  この楽器の響き線は,天の側板のうちがわ,棹孔のすぐ横にささっています。
  響き線はそこに1ミリ程度の基部を残して,落ちてしまっていました。
  胴体に残っていた基部に触れると,真っ赤に錆びてくちはてた線のカケラがモロモロと崩れて砕けます。
  線の芯のとこまで完全に錆びてますね。
  Ryoさんは「うちの部屋の湿気が…」とか言ってましたが,こりゃこの一年二年の腐食じゃありません。

  さらに,錆び果てていたのは,この,胴体にささってた基部のあたりわずかだけで,胴内に落ちていた線の大部分は,ほぼ健全と言って良いくらいな状態で,錆びもごく薄く,少し磨いただけでキレイな銀色になりました。
  これはおそらく,線の止めに使われていたニカワが原因だと思われます。
  原作者さん,胴体の材が接着の悪いタガヤサンなので,板から2ミリくらいのところまで,こんもりニカワを盛ったようなのですが,どうやらそれが長い年月の間に湿気を吸い,線を少しづつ腐食させていったみたいですね。
  この楽器のニカワづけはとても上手で,他の接合部のニカワは黄金色,濡らせばまだ活きているような状態のところが多かったんですが,この部分だけは,ニカワが真っ黒に変色していました。


  さて,最初棹孔から覗いて,響き線が落こっちてるのを見たときには,サイアク,響き線の交換(音色が大きく変ってしまいます)まで考えたのですが,上にも書いたように,腐食していたのは胴内に埋め込まれているところから上2~3ミリくらいまで,線のほかの部分はほぼ健全ですので,この響き線はそのまま使うことにします。

  元の基部のすぐ横に,ピンバイスで新しい孔をあけておきます。
  線は腐ってるとこを切り取り,表面を磨いてサビを落とします。胴体に埋め込む部分が短くなっちゃってますんで,端っこを曲げなおして調整,最後に全体にラックニスを軽く刷いて防錆。

  後はこの線をオリジナルどおり,ニカワを塗って戻すのが常道というものですが---まあ原作者の二の舞を踏むこともありますまい。
  またコレでいきましょう。
  もうタガヤサンを相手にするときの,庵主の常套となってしまいましたね---エポキです。
  これなら元と同じよう,基部のところにこんもり盛っても,同じ結果にはなりません。使う箇所もごくわずかなので,まあ修理の神様にもお目こぼししてもらいましょう。


  接着の前に,線の下に当て木を置いて,響き線の位置がベストの状態に近くなるよう,さらに基部を調整します----楽器を立ると,響き線が胴体内部で完全に片持ちフローティング状態になり,あるていど振れても面板などに接触て線鳴りしたりしない,というのが理想的なポジションなんですね。
  二日ほどおいて,エポキが完全に固まったところでまた再調整です----唐物の月琴などに多いこの長い弧線は,弦音に対していかにも月琴らしい清らかで深みのある響きを返してくれますが工作時の調整が難しいのが欠点です。
  直線と違ってほんのわずかな曲がりの変化が全体に及ぼす影響が大きく,しかもその動きが3Dなわけで。
  しかし,そうそう何度も何度も同じ箇所をいぢくっていると,ちょっと前の29号のように,せっかく手入れした線がまたぞろ折れちゃったりしかねません。どの方向にどういう風に調整すれば先っちょがどうなるのか。もともとスウガクに適応していないこのノウミソ,毎度のことながら見極めるのが辛悩でありますが,全体をじっくり観察し,あーでもないこーでもないと何枚もメモを書きながら,なんとか数回で終わらせることに成功!----はああぁ…どんな作業より疲れるわ,こりゃ。(汗)

  裏板を戻します。
  一枚目は切り取ったオリジナル。木端口をうまく調整して再接着です。


  いちばん端の部分は,はがすときに少々傷めてしまいましたので板を足します。
  しかしながら,玉ちゃんの板は国産月琴のものと比べると幾分厚めなため,手持ちの古板では合うものがありません----しょうがない,新しい板をつかいましょう。


  この作業,ふだんだと大きめに切った板を貼り付けてから周縁を整形するんですが,玉ちゃんのバヤイ,側面に付けられてる竹製の飾り板がジャマでそれができないので,きっちりハマるよう,小板はあらかじめ整形しておきます。


  継ぎ目に出来たわずかなスキマに木っ端をおしこんでゆきます。
  「木っ端が捨てられない症候群」---ここまでくるともう重篤でしょうか?
  この木屑,修理の時に出た古い面板のカケラ…というかオガクズ…というか……もう完全にゴミなんですけどねえ。(汗)

  去年の表面板の修理以降,今度は裏板に同じような裂け割れが出来かけていたんですが,これも埋めてしまいます。
  この割れの原因である面板への負担の力は,今回の修理で一部とはいえ板を剥がしたため,かなり開放されています。さらにムク一枚板だったものを切り取って継いだり,ほかの板を足したりしてますから,今後その力はそうした板の矧ぎ目や継ぎ目にかかっていきます---ですのでおそらくこのヒビは,これ以上広がることはないでしょう。


  さて,あとは修理箇所を古色付けして完成です。うむ~,さすがに少しBJ先生になってしまいましたね。

  この玉ちゃん,一年の間に二回も帰ってきましたが,自分の関わった楽器が使われて壊れて帰ってくるのは,じつは修理者としてはカナシイことではありません----むしろ誇らしい感じですね。
  せっかく修理したのにぜんぜん使ってもらえず,「いつのまにかコワれてた」とか,「知らないうちに部品がなくなってた」とか,「ネコを殴ったらニャアと言って壊れた」とか,ツラっと言われて帰ってきたり,演奏とはまったく関係のない事故のようなもので「壊されて」帰ってきたりするほうがよっぽどツラいのです。


  14号は正直かなり「お飾り楽器」に近い面もあって,最初の所有者もほとんど弾いてなかったみたいなんですが,こうやってちゃんと使われて,何度も修理されてるうちに,なんかカンロクというか,「生命力」みたいなものが感じられるようになってきましたね。
  これも何度も書いてますが,指物屋の親方から習った通り,「壊れるべくして壊れる」のが本当のいい物です。「壊れない」ものは「直せない」ので,壊れたらただのゴミにしかなりません。壊れたら直す,直したらまた使うのがあたりまえのこと,使う者は壊れることで物の大切さを知り,作る者は直すことで技術を磨きます。
  「丈夫さ」を追求する,というのも技術としては本筋ですが実は「壊れないものの追求」てのは,ニンゲンとしては進歩ではなく退歩でしかないんですよ。

  さて14号玉ちゃん,次はクビがモゲるか,四角い半月がトぶか……それもまあ,楽しみっちゃあ楽しみなんですが。とりあえずはまたがんばって,いい音楽を奏で続けて欲しいものです。


(とりやいず・おわり)


14号玉華斎・再修理(1)

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斗酒庵に ( ゚Д゚)ゴルァ!帰る の巻2012 5月~ 月琴14号 玉華斎再修理(1)

STEP1 表面板の乱


  異空間 唄うたい・吹雪涼子さんのとこから,玉ちゃんこと14号が,表面板の修理のため帰ってまいりました。
  お飾りに3匹もの龍----それも貴族や高級お役人でないと使えない「四爪の龍」をあしらったこの唐物月琴,主材は最強かつ最凶の唐木・タガヤサン,面板は表裏ともに桐の一枚板でできております。

  ふつうの月琴は絵文字で書くと(´∀`)(´▽`)ってとこなんですが。この玉ちゃん,半月が特殊な形をしているせいで,壁に吊るしとくと ( ゚Д゚)ゴルァ! と常に威嚇されてるような気分になり,修理者の日常にかなりのプレッシャーがかかります。
  うむ,さっさと修理しよう……

  この楽器の表面板には,当初からヒビがありまいた。
  左肩から木目にやや沿って断続的,不定形にのびるヒビは「割れた」というより「裂けた」といった風なものです。
  前回修理以降にも何度か書いたのですが,一枚板のこうした裂けヒビは,ある意味,板が 「なりたがっている」 状態になるために発生するものなので,何度修理しても再発することが多く,とても厄介です。

  これまでにも何度か回収・修理の機会があったのですが,この楽器,とにかく工房に戻ってくるのがイヤらしく,そういう時になると自力でヒビをピッタリと閉じたりしやがるのですね。(まあ,冗談ですが)
  しかし,嫁ってから一年以上,日本の多様な自然気候風土の中で,ヒビは閉じたり開いたりをくりかえし,少しづつのびてとうとう板面を貫通!自力では閉じない状態となってしまいました。

  ( v゚Д゚)ゴルァ! ( V;゚Д゚)ゴルァ! (|>Д<)ゴルァ!

  ----となったわけですね。

  じつは庵主,この時を待っておりました。

  上に書いた「板がなりたがっている状態」というのを,この楽器の場合でもうちょっと補足解説しますと。胴体の微妙な歪み等などが原因で一定の負荷がかかり,板が割れるべきところから割れた状態,ということになります。
  国産月琴の場合,面板は幅の細い小板を何枚も横に継接ぎした「矧ぎ板」で出来ていることが多いので,同じような状況になっても板の継ぎ目かた割れるわけですが,一枚板の場合は,板のいちばん弱いところから裂け,弱いところをつなぎながら広がってゆくわけです。
  板自体が不安定なので何度修理してもひび割れは再発します。
  修理の回数が多くなると,そことは無関係なほかの弱いところにも影響が出かねません。
  最善の策は,多少の不便には目をつぶり,板が「安定する」のを待つこと,だったわけですね。

  そして今回----裂け目が板を貫通したということは,裂けるべきところが裂けきった----つまり,板が「安定した状態」になったということでもあるわけです。やたーっ!

  さてでは修理。



  くだんのヒビは,ちょうど左の龍の尻尾の下をかすめてますんで,まずはこのお飾りをはずします。
  そして刃を折ったばかりの,切れ味のいいカッターでばっさりと……
  そこに板をはめこみます。
  板は例によって,過去の修理ででた古い面板を使います。
  ヒビの原因となった面板の力を拡散するために,板の目に合わせて,まっすぐではなくこういうふうにクサビ型にして,なるべく深くまではめこみます。



  余分を切り落とし,表面を均したら古色付け。
  うむ,これならそうはカンタンにバレますまい。



  もののついでに,気になったあたりをいくつか補修・改修しておきましょう。
  まず一つ目は「絃停」,ピックガードですね。
  この絃停というもの,初期の楽器や中国の古式月琴にはついてませんし,この楽器はそもそもその奏法上,ここにピックガードのある必要が,実はそれほどない---ほぼ装飾的な意味合いで付けられるものです。
  前回の修理ではオリジナルと同じ蛇皮を貼ったんですが,この皮ちょっと丈夫過ぎたらしく,面板をひっぱって横にすこし裂けヒビを作ってしまいました。唐木屋の18号なんかもそうだったんですが,この故障,けっこうあるんですよね。
  ですんで庵主はほとんどの場合,これを錦布にはりかえてしまっています。
  コレの場合ははじめての純正唐物でしたので,なるべくオリジナルの状態に近づけようとガンばったのですが…ちッ,がんばらなきゃ良かったなあ---ハガしてしまいましょ!

  も一つは龍のお飾り。
  片方の龍のシッポが少しだけ欠けてますので足してあげましょう。



  絃停の布は以前狸さんからいただいたもの。
  いい模様だなあ---なんかN○Kが「シルクロード」の記念だかでこさえた復元錦だそうですよ。

  龍のシッポは黒檀の端材を削って接着。
  庵主じつは「木のカケラが捨てられない症候群」に羅ってしまっているので,こういうのにちょうどいい大きさのゴミのようなカケラが山のようにあったりします。
  ---んでたまさか,こういうふうに役に立ったりするもので,病膏肓に入っちゃうわけですね。

  ああもったいない,今日も木っ端が捨てられない!


(つづく)


工尺譜の読み方(7)

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工尺譜を読んでみよう の巻工尺譜を読んでみよう! その7

STEP3 マボロシのひきょくをもとめて(5)

  さてさて,「清楽」の曲というものが,ぜんぶでどのくらいあるのか。
  庵主もしかとは数えたことがありません。

  だいたいが,実のところ,どこまでを「清楽曲」と言っていいのかも定かではありません。

  中国の曲なんだ,ということになるなら,今現在歌われてるチャイニーズ・ポップスだって「清楽曲」ですわな。
  清国の音楽なんだということになるなら,かつて大陸で歌われたおびただしい数の俗曲・小調なんかはぜんぶ「清楽曲」。日本人に伝えられた清国の音楽,とまで限定しても,たとえば前回の「花八板」みたいに,たまたま出遭った中国人から,たった一人の日本人が教わったようなものでも,「清楽曲」と言えるのか。

  そうじゃないなら,いったい,何人にまでに伝わっていれば「清楽曲」になるのか。

  昔の人も偉い先生たちも,意外と教えてくれません。(^_^;)


  さらに言うなら,「渓庵流水」は鏑木渓庵,「峨峨流水」は長原梅園。

  すなわちこれみなニポン人の作った曲あるですよ----コレ「清楽」カ?
  ホカモチュゴクニナクッテ,来歴アヤし曲,いパい,いパいあるネ!

  ……あ,失礼しました。ワタシの中のニセ中国人がアバれ出しまして。(^_^;)

  ざっくりくくると,江戸幕末のころから明治日清戦争の前までに伝わり,もしくは中国の曲に擬して創作されたもので,複数の「清楽」の歌譜集に載ってるのが「確実に清楽曲」ということになりましょうか。そのほかそこに加えるなら,江戸~明治の文献に「清楽曲」と書かれて紹介されているもの,それぜんぶ,って感じですかね。

  「清楽」というのは,実はこのように,アヤしげな「音楽分野」(笑)なのです。

  たとえば清楽最大流派のひとつ,渓派の基礎的な楽曲集である鏑木渓庵の『清風雅譜』は,音合わせの練習曲にもなっている簡単な曲「韻頭」から,最後の長い長い「四不像」まで,31曲。ここにあるあたりがだいたい,幕末~明治ごろの清楽曲としてはメジャーな類の一通りだったかと思われますね。
  一方,関西圏を中心に大きな勢力を持っていた連山派・梅園派の基本楽曲集『声光詞譜』は三分冊。「韻頭(員頭)」から始まってるとこは同じですが,曲はぜんぶで68曲。「紗窓」など渓派の楽譜集に入ってない別系統の曲のほか,明楽に起源すると思われる曲も複数含まれています。連山派のほうがなべて曲数は多く,おなじ系に属する沖野竹亭の『清楽曲譜』は80曲(同編の『洋峨楽譜』所載のものを含めると90曲ほど)。柚木友月の『明清楽譜』では113曲と,とうとう100を越えています。渓派のほうでこれに匹敵できそうなのは,『半七捕物帳』の岡本綺堂のお父さん,岡本半渓の編んだ『清楽の栞』が正続合わせて,78曲(そのほかに端唄俗曲)くらいでしょうか。
  上にあげたうち『清風雅譜』『声光詞譜』『清楽曲譜』『明清楽譜』はすでにDBが完成して曲も入っておりますから,興味のある方はいちどご覧あれ,ご試聴あれかし。


  「明清楽復元曲一覧」
  http://charlie-zhang.music.coocan.jp/MIDI/MINSIN.html

  重複してる曲もかなりに多いものの,このページにあるだけで何百って数の「清楽曲」を復元してきた庵主ですが,それでもまだまだ資料がなくって復元できないでいる曲が,世界五大山を重ねたくらいあるとですよ。

  本日の一曲は,いままでそんな秘密のベールに包まれていた曲です。なんせタイトルからして,そう言ってるもんね----

  その名も「清楽秘曲・孟浩然」。
   [*クリックで拡大*]


  音長つきの近世譜を起こしてくれたのは,高木逸声さん。
  『音楽雑誌』の43号・44号の二回に分けて掲載されました。
  符字の数だけで700を越える長大な曲です。

  「孟浩然」---「孟浩然踏雪尋梅」とも題されます。明の時代の古いお芝居に同じ題のものがあったと言いますが,庵主も芝居のほうは詳しくないんで関連は分かりません。「孟浩然踏雪尋梅」もしくは「踏雪尋梅」と言えば,年画(お正月に貼られるお目出度絵画)の題材なんかにもよく使われてる故事ですね。
  いくつかパターンはあるんですが,まあこんな感じですかね----
   [*クリックで拡大*]





  さて,孟浩然さんです(笑)。





  言わずと知れた李白・杜甫にならぶ唐の大詩人の一人,山水を愛した自然派詩人として有名ですが,とかく運のない人,としても知られています----とくに就職関係で。

  さて,まだ寒い冬のある日。雪もそぼふるお天気の中,馬(劇・年画ではロバ)にまたがり,頭をたれて,孟浩然さんは梅見に出かけます。咲いている梅の花をもとめて,あちらこちらと尋ねて歩けど,寒さ厳しきこの冬に,目にとまるのはただただ雪花。


  そこへ友人からの使いが手紙を持ってきます。
  待ちに待ったお役人への採用通知です!---ただし,期待していた職ではありません。
  それは地方の,小さな町のつまらない仕事。

  ああ,人はお役人になるのが好いと言うけれど……
  やっぱり俺は,風流に生きるのだ。
  と,使いの者を後に,梅の花をもとめ,ふたたびさまよう孟浩然……


  ----ていう筋の戯曲だか小説を読んだキオクがあるのですが,誰のだったか思い出せません。
  知ってる人,いたら教えてください。(汗)


  一般的には,雪の中,馬に乗って出かけた浩然先生を,橋のところで農民が見かけ---

  「あンれ,先生よォ,こげな雪ンなか,どこぉ行かれるっぺよぉ?」

  と尋ねるに,浩然先生笑って---

  「梅の花に会いに行くのさ」

  と答えた---というおハナシとして知られております。
  漢字にヨワい人のため,あえて解説しますと---いいですかァ?「看(見る)梅」じゃなく「尋(訪問する)梅」てところがポイントなんですからね。さすが自然派大詩人,梅の花に「会いに行く」とわ!カンド~!!て,ならなきゃダメよ(サテ,ここまで言われてカンドーできるものやら(^_^;)>)

  「和張丞相春朝対雪」とか「尋梅道士」とか,彼の複数の詩や詩話故事が下敷きになってるみたいです。

  せっかくの「秘曲」,MIDIでただピコピコ再現するだけでは芸がありません。
  今回は近世譜もこちらでどうぞ。




  オープニングに出てくる絵は「益智図」という,古い中国パズルにある「踏雪尋梅」図です。
  拙HP内にコーナーがありますので,こういうの好きな方はどうぞ。

  「益智図の世界」:
  http://charlie-zhang.music.coocan.jp/EKI/EKIP.html

  この曲,基本的には「魚心調」という曲のロング・ヴァージョンです。
  主材のフレーズが歌詞とからみながら,少しづつ変化してくりかえされてゆきます。
  良く知られたメロディを主材に据えて,少しづつ変えながらくりかえす----清楽の芝居歌はこういうのが多いみたいですね。

(つづく)


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