明笛について(10)
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明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(10)
番外編 「笛膜奇譚」(2)
STEP3.笛膜起源の再検証
さて前の記事で,笛膜の文献的初出を陳暘『楽書』の「七星管」にまでたどったのは,庵主の独自調査----例によって芸のない,関連文献のシラミ潰し作戦----によったものですが,あらためて「百度」さんとかで調べてみますと,中国の笛子関係サイトにも同様の起源説が,大量に見つかりました。
書いたように,庵主は糸モノのニンゲンで,笛に関しては門外漢。
笛吹きの用語とかは,はッきり言ってよお知らん分からんので,検索でうまくヒットさせられなかったんスね。
ただ問題なのは,それらの記事の多くは,どっかからの単なるコピペらしく,文章がほとんど同じなこと。
中には典拠も記さず『楽書』の記述を鵜呑みにして 「唐劉係作七星管笛,蒙膜助声,是為笛加膜第一人」(唐の劉係は七星管を作り,膜を貼って音の助けとした,彼が笛にはじめて膜をつけたヒトである) などと書いてあるのもあります。
文献上,笛膜の貼られた笛,と思われる記述が見つかったもっとも早い例が陳暘の『楽書』である,というところまでは…ま,さして文句ありませんが,この件に関しての問題点は以下----
1)「七星管」が,現在の笛子の「直接の先祖」にあたる,といえるモノなのかどうかが不明。
2)「劉係」という人物についての事跡が不明。
3) 唐代の「七星」「七星管」と,『楽書』の「七星管」が同じものかどうか不明。
『楽書』の解説の割注にもあったように,唐の時代の詩人・顧況(725-814)に,「七星管歌」 という詩がありますが---
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汀洲渺渺江籬短,疑是疑非兩斷腸。
巫峽朝雲暮不歸,洞庭春水晴空滿。
龍吟四澤欲興雨,鳳引九雛警宿烏。
(『全唐詩』巻297)
汀洲(ていしゅう)渺渺(びょうびょう)として江籬(こうり)短し,
疑らくは是れ疑ふ兩ながら斷腸に非ざるを。
巫峽(ふきょう)の朝雲暮には歸らず,
洞庭の春水晴空に滿つ。
龍は四澤(したく)を吟じて雨を興えんと欲し,
鳳は九雛(きゅうすう)を引きて宿烏(しゅくちょう)に警す。
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まあただの詩の題なので,ここからじゃ楽器の形状もなにも分からない。手がかりにはなりませんね。この詩に関する詩話でも残っていれば,そこから何か分かるかもしれませんが,そこまですンのも正直言ってキツい。
『全唐詩』によれば,この詩の原典は『通典』(杜佑)だそうで。
そッちはいま,頭から読んで行ってるんですが,2013年7月段階,この「七星管歌」の引かれてる箇所はまだ見つかってません。
かわりに巻一四四楽四竹八,笛の解説が並んでるあたりに,「七星」 という項目を見つけました。
文章は……「不知誰所作,其長盈尋。」とだけありますねえ----おや?陳暘さんは「唐の劉係の所作だ」と言ってましたが,当の唐の人である杜佑さん(735-812)は「そンなの知らネ」と言ってますヨ。
まあ上記 3)にも書いたように,この唐代の「七星」もしくは「七星管」と,陳暘さんの記述した「七星管」が果たして同じものであるのか,何より「唐代から笛膜つきだったのか」もよく分からないわけですが,とりあえず作者の件はふりだしに戻していいような気がするなあ。
「劉係がハジメタんだ!」てなこと言いたいンだったら,まずぁオレより先に,その「劉係」さんが,どこの,どんな人だったのか,どっかから見つけてこいや。(怒)
前回の補足「陳暘『楽書』関係箇所」の(2)に記したとおり,とにかく笛の類に「笛膜」を貼り付けるという行為に限定すれば,宋代にはその「劉係さん(仮)の「七星管」に限らず「尺八」などの竪笛にも見られるわけですから,Web上の記事にあるように「笛膜をはじめてつけたのが劉係」なゾとイキナリ書くことには,たとえその前に「横笛に-」という書かれざる前フリがあるのだと仮定したとしても,本来はちょっと遠慮しとかにゃならんことですね。
宋代の『楽書』に載っている「七星管」という横笛には,膜孔と笛膜に当る構造が見られる。同書によればこの笛は唐代の劉係という人物が作ったものであるらしい。これが文献上もっとも早く見られる,笛膜をつけた横笛の例である。
という,多少ネチっこいあたりが,現在までのところ比較的妥当な記述かな(ほれ,コピペせい)。
そもそもが,こうした工夫が,唐代にしろ宋代にしろ,何ゆえに発生したか,そしてなぜこの時代になって(ようやく)記録されたか(たとえば流行ったとか,音楽に変革があったとか),そうした根源の部分での考証・考察が,笛について論じた書物のうえでもWeb上にもほとんどありません。
根っこの部分での考証もなく,名称だけをたどって古い文献をただ引用し,起源の説とするが如きは,庵主,あまり感心しませんね(「月琴」でヒドいめにあってるし)。起源にせよ変遷にせよ,こういうことにはすべからく,ウソでもホラでも憶測でも妄想でも良いですから,いちおう全人類のうち二人くらい納得させることのできるようなスジミチをたて,それにそって資料を置いてゆく,というやりかたが望ましい。
ナニ,間違ってたらゴメンしてイチから書き直せばイイだけのことです。
最初にも書いたとおり,庵主は糸モノのニンゲン。ただちょいとカンブンが読めるので,部外者でありながら笛について調べてみたわけですが,こうあッちもこッちもズブズブの腐ったザルみたいな説ばかりというのは,何だか見てて悲しくなりますね。
STEP4.説を探してどんじゃらほい
さて,庵主のふだんやってる「月琴」とかと違って,「笛」なんつうメジャーな楽器については,もう調べに調べつくされてて,なんか分かんなくなったらググればいいや~,ていどに考えていたもので。数多の資料で「笛」の項目があっても,だいたいはすッとばし,読み飛ばしてきました。このたびのおかげさまをもちまして現在,一度通読した(そして疲れ果てた)中国の古い楽書の山を再度読破中です。
まあキヨラカにしてご高尚な音楽,という意味の「清楽(せいがく,あるいはせいらくと読みます,要は宮廷音楽)」に関する資料・理論書が多いので,俗っぽい楽器に関してはなかなか記事が見つかりませんが。ここまでざっと調べてみた感じでは楽書の類で 「今俗に吹かれている笛には膜が貼ってある,雅楽(古い宮廷音楽)の笛にはない」[1] としているのが,まず気にかかります。
今読んでいる資料の多くは近世---清代に書かれたものですが,清代になってなお「笛膜」のついた笛は,それがないものと比べて数段低く見られていた,わけなのですね。
これはどういうことなのでしょう?
現在のWeb記事や書籍では,無膜の笛と膜孔をもつ笛を,とくに分け考えている記事はあまり見ませんが,これは清代には笛膜のある笛子の類は,それがないものとはハナから異なる別の系統のもの,として扱われてきた,ということでしょうか,それとも「本来の笛」が堕落したもの劣化したもの,として扱われてきたということでしょうか。
ひとつには笛膜のないタイプの笛のほうが,文献上その起源をより古くまでたどりうる,というあたり,古時崇拝・先人崇拝から来たものでしょうが,それにしたって現在の「笛子」に近い形態の笛,それ自体が孔子さんやあ黄帝さんの聖人の御世にまでさかのぼり得ない,ということは,漢字学の上からも文献的知識の上からも,こういう音楽について小難しい本を書くような学者・士大夫サマ層には(基本知識として)分かっていたはずで,より古い由来を持つ律管や簫となど,そもそも比較の対照にならないはず,それをなぜわざわざ書くのか,というあたりにも,なんか新たなひっかかりがあります。
----まあまだ,集めた資料の1/3も読み返してないので,これ以上大したことは書けませんが。
そういや「笛膜」という工夫の発生起源について---いまのところ唯一見つけた説ですが---に,こんなのがありました。
清・葛銘『古今声律定宮』(続修四庫全書経部楽類 跋壬子四月,乾隆57年(1792)か?)巻五
銘按,『楽書』于篪言「哨吹」則篪之用哨,猶笙之用簧。
蓋施於義觜者也。後世去義觜而竹膜羃之,其殆篪之変。
訳しますと----
銘(葛銘)が考えまするに,陳暘の『楽書』で「篪(ち)」のことを言うにおいて,これを「哨吹(しょうすい)」であるとするは,すなわち「篪」には「哨(しょう)」,つまり笙でいうところの「簧(こう)」のようなものがついている,ということなのでしょう。それはおそらく「義觜(ぎすい)」のようなものだったかと。後の世にこの「義觜」が取去られ,かわりに竹膜を貼るようになって,もとの「篪」とは違うものとなってしまったのです。
---といったとこでしょうか。
「哨(しょう)」というのは気窓もしくは溝を刻んで鳴らすタイプの笛,またその歌口のことですね。「哨子」というと警笛みたいな笛を指します。[2]「簧(こう)」はリード,薄い板を震わせることで鳴らすタイプの笛の部品ですね。口琴の類も「簧」と言われますし,ハーモニカやアコーディオンの中にも入ってるフリーリードや,オーボエや篳篥にあるようなダブルリードの歌口のことも「簧」といいます。[3]
「義觜(ぎすい)」というのが何だか分からなかったので調べてみますと,日本では雅楽で使う篳篥(ひちりき)の歌口,蘆の茎で作るダブルリード[4]のことを「義觜」と書いて「こした」と読ませてますねえ。同じ『楽書』中にも「義觜笛」というものが見つかりました----要は篳篥みたいなリードを,横笛につけたタイプの笛ですね。
笛膜というものは,リードの替わりとして付けられるようになったものだ,という説は今のところほかに見つかりませんが。ダブルリードの細かく震えるような音を,横笛で出そうとした,もしくはそういう横笛の構造が簡略化されて,同じような効果を出せる「笛膜」になっていったのだ,というスジミチにはちょっと惹かれますね。
ただしこんどはここにある『楽書』の「篪(ち)を哨吹と言った」という場所が見つかりませんのよ……原文の読み方が悪いのかなあ(^_^;)
今夜も古書の通読で,眠れない夜が続いております。
[1] 雅楽(古い宮廷音楽)の笛にはない:たとえば『楽経律呂通解』(清・王紱)巻四 続律呂新書上の割注
今俗所吹笛。於吹孔之下,近応鐘孔上。穴一孔。而葭莩掩之。其声尖脆。高而愈悲。雅楽必不然也。
[2] 哨:エアリード楽器のうち,エッジ(空気の当るところ)が吹き口の周縁ではなく,その先に設けられた窓状の切り込みや溝になっている類を指すようです。警笛のほか,薄膜の振動を共鳴とするカズーやブザーなどの類も指しますので,「笛膜」のついてる笛を指してる,と強論できないこともありませんが……しませんよ。(w)
[3] 簧:フリーリード:笙の管の根元に貼り付けてあるのが「簧」。上下端の片方が固定されていて,隙間に空気が通ることで振動し,音を鳴らします。長さによって音階が変りますね。
[4] ダブルリード:篳篥のばあい,一般には「蘆舌(ろぜつ)」と言いますね。篳篥のは蘆の茎の内部を取去り,先端をひしいで(つぶして)作ります。平になった隙間に息を吹き込むことで音が鳴るわけですね。オーボエのは平に熨した蘆茎を二つ折りにして,根元を糸で結わえたもの。篳篥の親分みたいな中国の管子やスオナ(チャルメラ)などにも同じようなリードがついています。
[5] 篪:ここに引いた葛銘の『古今声律定宮』の「篪」の図にも,歌口のところになにやら横に突き出してる部品が見えますね。『楽書』には図がないんですが,朝鮮の『楽楽規範』巻6雅部楽器図説には,「篪」として,下のような楽器が紹介されています。(*クリックで拡大*)

なるほどオカリナのような歌口がついてる---これが「哨子」なわけですね。歌口が妙に突き出してる以外は普通の横笛みたいですが,指の置き場が面白いです。絵で見る限り,歌口指孔と同じ方向にありますここに口をつけて,左手の親指で歌口の裏側にある第一孔,人差し指と中指で第二・三孔,右手で第三・四孔と管尻をふさぐ---古い資料で,初期の笛は閉鎖管だったとされてますが,その名残でしょうか。
挿絵の下の方に詳しい寸法が書いてありますし,なんにゃらお尻半開きとか不思議な運指も書いてありますから,古代の音,興味のおありの方はこさえて吹いてみてください。
(つづく)
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