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明笛について(9)

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斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(9)

番外編 「笛膜奇譚」


  中国笛子の最大の特徴の一つが,管に薄い紙を貼ることによって得られる特殊な音色効果---だなんて言う以上,中国で 「横笛に "笛膜" がつけられるようになったのは何時からか?」 という疑問の答えは,笛に関係する本ならいろんなとこに書いていそうなものですが,じつはあんまり書かれていません。 庵主がふだん追っかけている 「短い棹の月琴がいつから月琴になったのか?」 と同じくらい,イザ調べてみると,ちゃんと分からないことの一つなのであります。

  まずこの件について,専門家である笛の吹き手や笛屋に聞くと 「そういう笛は大昔からある」 みたいな答えしか返ってこない----重ねて尋ねるとたいてい何故かキレられるのがオチなのでもう聞かん。

  なんかこのへん,どうもクダの連中は糸物の連中と勝手が違う気がするなあ。(w かなり偏見)

  専門家がアテにならんので,月琴弾き,自分で調べることにします。

  門外漢なんで,推測はできるが,それが当ってるかは知らん。
  ほんま笛吹きども,薄い膜を使って共鳴音を出すのを「ミルリトン効果」という----とか,はっきり言ってどうでもええねん。自分のやってる楽器がどんなもんなんか,好きならちゃんと調べれるとこまで調べて,Web上出しときいや,がっでむ。



STEP.1 笛膜のある笛の発生と起源について

  さて中国版ウィキ様にも,最初期の中国笛子には笛膜はなかった,と書いております。さいしょはなかった----じゃ,いつごろついたのじゃ?----と言うあたりは……なんか何も書いてませんね。(汗)

  そのあたり,歴史についてはうまいことスルーされてますわい。
  やッぱ小ズルいな笛吹き。(ww かなり偏見)


  「篪」 と呼ばれた初期の横笛,は六孔で閉管---つまり管尻もふさがっている笛だったそうな。
  たとえば戦国期の曽侯乙墓出土の横笛は5孔で。漢代の馬王堆の笛は6孔だけど,どちらも歌口が指孔と90度違う角度でついております。[1]ある本には馬王堆の笛の背面についてる孔は笛膜の孔かもしれないなどと書かれていますが[4],発掘された笛の図やそれについての研究[2][3]を見る限り,この笛も「篪」の類で,この背面にある第六の孔は親指でおさえる指孔の可能性のほうが高い---響き孔にしては指孔の第一孔に近すぎるし,この笛は指孔と歌口が90度の角度になる関係からして,もしここに響き孔があった場合,手指にひっかかる可能性ありますからね,位置的に 「演奏上はなはだ不都合」 であるはずなのです。

  考古学資料からたどってゆくと,少なくとも漢の時代までの笛にはついてません。
  正倉院に残っている伝来の笛からすると,唐の時代の笛にもまだない。


  宋の時代,陳暘(1064-1128)の『楽書』をめくるとまず 「横吹(おうすい)」 の図にぶちあたります。
  この「横吹」,楽器の歴史について書かれた中文書を読むとよく「笛子」のご先祖様として出てくる笛ですけど,ご覧のとおり,国会図書館蔵の宋版『楽書』の図で見る限りにおいては,響き孔と思われる孔はないし,歌口は古代の横笛と同じく指孔に対して90度横向き,おまけになんにゃら龍のクビみたいのがくっついてますな。(吹くとき邪魔だったろうなあ…w)


  響き孔というものは,朝鮮の横笛 「大(テグム)」 にもついておりますな。
  テグムの響き孔は「清孔(チョンゴン)」と言いますが,こちらも楽器の起源を探ると『三国遺事』(日本の飛鳥時代あたりの話し)に出てくる「萬波息笛(マンパシクチョク)」がテグムじゃないかというエラい誇大な古代説は出てくるものの,じゃその笛が今のテグムと同じ笛膜のある笛だったか,というより 「どんな笛だったか」 については解説もなく,考古学資料も明示されていないのでハナハダ怪しい。


  『楽書』に 「七星管」 というのが出てきます。
  横笛で,図では指孔は5つ,管頭のほうにたぶん歌口とその横に 「竹膜で幎(ふさ)ぐ」 という穴があいている,と書いてますね。(1)

  宋版の絵,ちょっとアレなんで,構造に関しては確と言いかねますが(w)。

  先の「テグム」の件で,『楽学規範』(成俔 1493序)巻7「郷部楽器図説」に「大は唐笛を模した」とありますし,一番管尻がわに音程を微調節するためあけられる飾り孔を 「七星穴(チルソンゴン)」 と呼ぶあたり,古代のなんちゃらいう笛よりむしろ,この唐宋代の 「七星管」 に由来するのじゃないかと思いますよ。

  ちなみに朝鮮の「月琴」は,日本の清楽月琴とは別系統で,この「七星管」と同様,唐宋代の「月琴(=阮咸,4単弦,琵琶と同じ構造)」の系を引いてます。朝鮮の月琴は現在では奏者も絶え,ほぼまぼろしの楽器となっておりますが,テグムといい月琴といい,朝鮮の宮廷音楽には宋代のころの中国楽器が,かなり長い間,ほぼそのままの姿で保存されていたということになります。


  笛膜を貼るタイプの笛が文献上はじめて出てくるのが『楽書』であることに,実際の遺物やなにやらでたどりうる起源などを考え合わせますと,このタイプの横笛が登場して広まったのは,やっぱり宋のころだったんじゃないか,と思われますね。(ケツロン)

  いくつかの中文書は笛膜のある笛の起源を 「唐代」 と言っています。
  しかしその中に,明確に唐代の文献や考古学的資料,または絵画などの論拠を提示しているものはなく,ほとんどは楽器辞典的なものからの引き写しか,この陳暘の『楽書』にそうした笛が登場することから 「宋代にあって知られていたのなら,その前の唐代にはもうあっただろう」 程度の憶測を,例証なしで書いているのに過ぎません。
  また,ある本には,五代の絵に描かれていたという龍首の横笛の図が引かれ,そこには笛膜孔も描かれていますが,これも調べてみるとかなり怪しく,笛膜つき笛の起源を宋代以前にさかのぼりうる,確定的な証左とはなりえないようでありますな。[5]

  文学の世界では「唐宋」と並び続けて言われますが,統一王朝としての唐(705-907)と宋(960-1279)の間には,約半世紀にわたる分裂した五代十国時代があり,さらに陳暘は11世紀末から12世紀の人だということは,『楽書』にそのころすでに使われなくなったような昔の楽器やその故事が引かれていることをさっぴいても,きちんと踏まえておかねばなりませんことよ。



STEP2.日本への伝来について

  さて,では日本にこの類の,つまりは「笛膜のついた笛」が伝わったのはいつごろか?
  ということになりますが。


  ----これがまたよく分からない。

  岡島冠山(1674-1728)が中国語会話の教科書 『唐音和解』 に 「南京横笛の図」 と曲譜を載せたのが1716年,これにはもちろん 「紙穴」 として笛膜を貼る響き孔が描かれています。
  つぎに,清楽の前に流行ったことのある中国渡来の音楽「明楽」でも,この手の笛が使われており,『魏氏楽器図』(1780)には「龍笛(紙孔あり)」「長簫(同なし)」と二種類の横笛が描かれています。

  確実に膜孔がある笛,と分かる資料としては,まずこの二つが古いほうのものとなります。


  ちなみに岡島冠山の図した笛が,中国笛子と同じく総巻で,両端の飾りがどちらも筒型で短いものであるのに対し,『魏氏楽器図』の笛は巻がされておらず,管頭の飾りは長く管尻の飾りは端がラッパ型に開いています---これはのちの清楽で一般的な「明笛」のほうに近いですね。

  琉球経由ではどうかと探ってみましたが,『通航一覧』1650年代の琉球使節江戸上りの記録に 「はんしょう」 という楽器名があって,これが今の琉球笛の別名「半笙」にあたるものだ,というとこまでは分かったものの,[7]なんせ名前だけなもので,その実物についてははっきりと分かりません。
  月琴のことについて記録してくれた荻生徂徠先生の『琉球聘使記』(1710)では,琉球からの使節団の使っていた横笛の,長さと飾り紐については述べているものの,笛膜を貼る孔の有無については記述なし。

  ただ,徳川美術館に所蔵されている琉球楽器(寛政8(1796)年江戸上りの時に献上されたものだという)の笛(楽器名はホンテウ,と書かれている)は,ほぼ岡島冠山の本にある南京笛や現在の中国笛子と同じく,総巻きで歌口・膜孔に指孔が6つ,管尻に飾孔が2ありますね。

  天保3(1832)の『通航一覧』および同年の『琉球国来聘記』の楽器絵図には,9つの孔が間近に並んだ総巻の笛が載っています。
  これはおそらく笛子の歌口から管頭までが長いことを強調した余りの描写でしょうが,歌口1膜孔1指孔6に飾孔が1なのか,膜孔なしで現行の笛子・明笛と同じく飾孔2なのか判別ができません。

  ちなみに,今の琉球笛(ファンソウ)は長さや指孔の数は笛子とほぼ同じ,飾り孔はありますが膜孔はあいてません。 昔は笛子と同じに膜孔があったのだけど,紙貼るのがメンドくさくなってなくなったとかいう話を聞いたことがありますが,どれだけ根拠のある伝承なのかは分かりません。




  こないだ,庵主が調査用に買い込んだ明笛は,とうとう30本め(ちなみに,調査終わったら人に譲っちゃってるんで,手許にはあんまり残ってない)となりましたが,それと一緒に石で作った笛,いわゆる「玉笛」がついてきました。

  いちおう吹けはしますが音階もメチャだしねえ…ま,楽器というよりゃやっぱ,お土産の工芸品ですね。(^_^;)


  この石の笛にも笛子と同じく笛膜を貼る孔がついてますが,『集古十種』(松平定信 等 1800年序)巻5に収録されている 「安芸国厳島社蔵玉笛」 の図の石の笛にも,笛膜の穴と思われるものがちゃんとついてます。
  この宝物の笛の由来や,いつごろからあったのか等は今のところ不明ですが,まあ仮に平家の誰かが納めたものだとかしても,笛膜つき笛の起源と推定した宋代は越えないわけでありますのな。(まあそういうこともありますまいが…w)

  この厳島神社の笛もその一つですが,こうした笛膜を貼るタイプの笛の歴史が12世紀宋代にまでは遡れるとして,その後何世紀にも渡る貿易交流のなかで,そうしたタイプ笛が我が国に流入したことがある,という可能性を,もちろん庵主はまったく否定するわけでも,できるわけでもありません。
  ただ,18世紀,19世紀においてなお,こうしたタイプの笛が献上されたり,記録されて絵図に描かれたりするくらい,「珍しいもの」「新奇なもの」としてとらえられていたということ,また現状日本各地の伝統的な笛事情を見渡し合わせて考えても,このタイプの笛を日本人が知ったのは,まあがんばってテキトウ言っても,17世紀以降のことでしかないかと思われます。

  Web上の情報によれば,大分県の「日田祇園祭」で明笛が使われるようになったのは文化年間(1804-1818)のことだそうな。
  貿易拠点であった長崎と同じ九州地域でさえ,この明笛の類が祭礼や儀式にとりこまれたりしたのが,これをさして遡らないとするならば,ましてやこれが全国津々浦々まで広く知られ,一般の日本人の目にもとまるようになったのは,やはり19世紀,幕末の清楽流行期以降に同様の笛が国産で大量に作られるようになってから後のことと考えるのが,もっとも妥当なところかと庵主は思いますよ。

  最初にも書いたとおり,庵主は基本糸モノのニンゲン。
  明笛は本来は専門外(いまだにどちらかといえばニガテ)のシロモノです。

  笛吹きの諸君が,これよりちゃんとしたものを,ちゃんと調べて,
  もっと先の疑問,たとえば「笛膜を貼る」ということ自体の起源がどこから来たのか,まで。
  もうバッチリどこからも文句ないようにまとめたモノを書いてくれることをキボウして,
  まずは笛を……いや筆を置きましょう。



さんこおぶんけんなど,さんこおにしやがれ笛吹きども

陳暘『楽書』関係箇所:

(1)「七星管」『廣雅』曰:管象篪長尺囲寸,有六孔無底。『風俗通』『説文』皆曰:管漆竹,長一尺,六孔十二月之音象物。貫地而牙故也。「蔡邕章句」曰:管者形長一尺囲寸有孔無底,其器今亡。以三者推之管象篪而六孔,長尺囲寸而無底十二月音也。唐之七星管,古之長笛也。一定調谷鐘磬之均,各有短長応律呂之度。蓋其伏(マ 状)如篪而長,其数盈尋,而七竅横以吹之旁一竅,幎以竹膜而為助声。唐劉係所作也。用之雅楽,豈亦溺於七音歟。班固曰:黄帝作律以玉為管,長尺六孔為十二月音。其言十二月音,則是。至於論以玉為管是不考黄帝取嶰竹之過也。[割注]顧況有七星管歌有龍吟四澤欲与〓〓引〓〓驚宿鳥之句 -148楽図論俗部八音竹之属

(2)「簫管・尺八管・中管・竪籧」 簫管之制六孔旁一孔加竹膜,焉足黄鐘一均声。或謂之尺八管,或謂之竪籧,或謂中管。尺八其長数也,後世宮県用之竪籧,其植如籧也。中管居長竪籧短竪籧之中也。今民間〓簫管非古之笛与管也。
   *本文内では触れなかったが,これは縦笛。指孔6で竹膜を貼る穴が1。最近庵主が入手した正体不明の10本の笛(李朝華竹横笛)のうち4本が,これに近い構造となっていた。朝鮮の『樂學規範』(成俔 1493年序)にもほぼ同じものが見え,「清孔(笛膜孔)」のあいた洞簫は現在も残っている。


成俔『楽学規範』関連箇所:


(1)唐笛:「テグムは唐笛を模した」と書いてあるが同書にある「唐笛」は七孔で膜孔はない。
(2)洞簫:『楽書』の「簫管・尺八管」と同じく膜孔がある。中国の現行洞簫に膜孔はない。
(3)ちなみにこれが「月琴」,いまはほとんど弾かれないが,復元製作された楽器は博物館などでも見られ,歴史物のドラマなどで奏でるシーンが出てきたりもしている。琵琶と同じく4単弦。近年作られたものでは,ギターと同じように胴にネックが接着されていたりするものも見たことがあるが,伝統的な工法ではネックから胴の背面まで一木の削り出し,胴の円形部分の内側を浅く刳って桐板で蓋をし,共鳴空間としている。この構造は正倉院の阮咸とほぼ同様。


[1] 李純一 『中国上古出土楽器総論』pp.358-
[2] 方建軍 『中国古代音楽文化的物質構成』pp.175-
[3] 方建軍 『中国古代楽器概論』pp.133-

[4] 曽遂今 『中国古代楽器鋻思録』p.15 で筆者と同じく陳暘の『楽書』「七星管」を引いた上で,「少し下って唐代には中国膜笛(現在の笛子)の特徴をそなえた笛がすでに出現していたわけである。笛に膜を貼る,これこそが中国笛子の最も際立った特徴である。唐以前の笛に膜が貼られていたかどうかについては,文献がなく…」とした上で,馬王堆三号墓出土の六孔笛の,背面にある一孔はもしかすると膜孔かもしれず,そうすると笛膜の起源を漢代まで遡れるかも,としている。

[5] 金家翔 『中国古代楽器百図』p.31 「笛」に「五代宮中図巻中的龍首笛」として次のような笛の図が挿入されているが,「五代宮中図巻」がどのような資料を指すのかについての説明がない。おそらくは周文矩(生没年不詳 907-975ごろ)の「合楽図」(シカゴ美術館 「宮中図巻」ではなく)の右端のほうに見える婦人の吹いている笛だろうと思われるが,庵主が図録で確認した限りでは,この図のような笛膜孔らしきものは見当たらない。しかもこの図は周文矩自筆ではなく宋代における模写である。もし詳細に観察してそうした表現がなされていたとしても,五代に笛膜のある笛が存在していたという決定的証拠とはなり得ないだろう。ちなみに周文矩は時代区分で言えば唐王朝滅亡後の「南唐」(937-975)の人であるが,この「南唐」はその以前にあった唐王朝とは別の国である。笛膜のある笛の起源を「唐」とする説は,あるいはこの絵図を根拠とする同様の説に由来する伝統的勘違いかもしれない。

2013.07.30 追記
  その後の追跡で,米・クリーブランド美術館の所蔵する周文矩の「宮中図」に,上注にある「合楽図」のものより『中国古代楽器百図』の図に近い龍頭の笛が見つかった。しかし,かなり高精度の画像を入手して見てみたが,笛膜と確実に分かるような表現は,やはり確認できなかった。画像中央の女性の吹いている笛がそれで,左手の二・三指があがっているため指孔が見えており,それが通常あるべき位置よりわずかに歌口がわに見える,とは言えるが,孔間はつまっており,膜孔とは思えない。(ちなみにこの絵も南宋代の模写)


[6] なんかWeb上の笛子を紹介した記事に,笛子の特徴の一つとして「頭の部分の穴も先端の部分の穴もふさがれている。空気の出口はどこかというと、先端の近くに何個かの空気穴がある。」なんて書いてあるが,どんな笛子見たんだ?漢代の出土笛か?先はあいてるわな。(^_^;)

[7] 玉木繁 『琉球横笛』:「はんしょう」もしくは「はんそう」と呼ばれた楽器,また古代の琉球笛がどのようなものであったのかについて,さらに笛膜の有無についての考察は欠ける。

[8] 『集古十種』5安芸国厳島社蔵玉笛図,竹を模し歌口に象牙の板,膜穴,指孔6。

(つづく)

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