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工尺譜の読み方(14)

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工尺譜を読んでみよう の巻工尺譜を読んでみよう! その14

STEP10 歌を翼にのせるまで

楽譜1
  さて,清楽の曲というのは,かつて大陸で流行っていた俗曲や流行歌。
  本来は,楽器で弾くだけの器楽じゃなく,「歌」のついていた曲,というものがけっこうあります。

  清楽の曲を月琴や明笛で演奏していると時折,「なんでここ,こんなに変なメロディになってるのかなあ?」 とか思うことがあるのですが,多くの場合,そういうところは歌との兼ね合いで伴奏の調子を少しはずしていたり,歌と合わせてはじめて意味をなすような部分だったりするのですね。
  楽器と歌がまったく同じメロディをなぞっていては,音楽に深みは出ません。沖縄の三線音楽じゃ「唄三線」といって,歌と楽器がそれぞれの違ったメロディを合わせることで完成する,とされてます。

  前にも書いたように,清楽で使われる「工尺譜」という譜面は,同じ文字列を,低音楽器と高音楽器それぞれ楽器の奏者が,それぞれの楽器の音域・音階に合わせて読み解くようになっています。 たとえば,月琴の場合は,楽譜に「合・四」(低いソ・ラ)と書いてあったとしても,音がないので,実際には「六・五」(高いソ・ラ)で弾くしかありません。明笛はそのどちらの音を出すことも可能ですが,高音域を持続させるよりは全体を低音域に下げて,平坦なメロディにしてしまったほうが,ラクですし演奏的にもより美しく吹き続けることができます。
  清楽曲の音域はたかだか2オクターブていど,人の声はこの場合,どちらの楽器のパートに合わせることも可能ですが,そのどちらに合わせても,ニンゲンのうたう歌としては不自然な旋律にしかなりませんし,どちらかの楽器の音をつぶしてしまう,あるいは楽器の音につぶされてしまうことにもなりかねません。

楽譜2
  庵主はいまのところ,特に「歌」についての指示が書き込まれている楽譜,というものにはお目にかかったことがありません。 現在残っている明清楽などでは,歌のパートは基本,明笛と同じ低音部で発音されることが多いのですが,これとても,芝居歌のように男女のパートが分かれていたりするような場合には,それぞれ低音/高音のメロディで唱えられるようなこともあったでしょう。また,同じフレーズを何度もくりかえすような長い長い歌などでは,まったく同じ音程で同じメロディをくりかえしていては,歌っているほうも聞いているほうも飽きてしまうでしょう。

 じっさい復元の作業をしていると,楽譜は低音で指示されているけれど,全体の流れからすると,その部分はオクターブあげたほうが歌いやすかったり,あるいは聞きやすいといったフレーズに出会うことがちょくちょくあります。

  清楽に使われる楽器の中で,もっとも「歌」のメロディ・ラインに近いフレーズを弾くことが出来る楽器は,おそらく「弦子」(蛇皮線)だと思います。実際に歌と合わせるときは,さらにそのメロディの「ウラ」を弾くことになるとは思いますが,工尺譜から歌のパートを復元するとき,庵主は常に,弦子による再現演奏を念頭におき,実際に声を出して歌ってみることで,その高低を考えるようにしています。

  復元された「歌」のメロディ・ラインに,庵主の勝手な好みや,根拠の薄い改作が混じってしまっているあたりは,多少ごかんべんください。(笑)まあ,研究の出汁(だし)として,おびただしい数の中国の民謡や民間音楽や古い邦楽の曲などを,耳から反吐が出るほど聞きまくってるので,こうした曲におけるある種の音楽的な「傾向」みたいなものは,多少なりとも庵主の耳や脳にヘバりついており,その妥当性は皆無ではない,と信じたいところであります。

楽譜3
  こうして復元されるメロディですが,おつぎには,その「歌詞」にも問題があります。

  まずは日本のがわの問題。

  清楽はほんらい日本人が中国の歌を中国語で歌うところに意味があります----そのため楽譜に漢字で書かれた歌の横には,中国語の発音がカナ書きで付されているのですが,同じ歌の同じ字に付せられたカナが本によって違っていたりで,その表記は一定していません。

  まあもともと,日本語の平仮名や片仮名は,音表文字としては不完全なものですからしょうがありませんね。

  ふたつめに,清楽の譜本というものはいまから百年以上むかしに出されたもの。
  そこに載ってる歌自体は,さらにその数十年以上前に伝わってきたものなわけですよね----ここオボエといてください----この受け取ったがわの日本人の日本語の発音が,当時から現在までにけっこう大きく変わってしまっているのです。
  たとえば明治のはじめまで,「はひふへほ」 は 「ふぁふぃふぅふぇふぉ」 に近い発音でしたし,現在は書くうえの違いだけで同じように発音される「お」と「を」,「わ」と「は」などにも顕著な違いがあり,統一されてしまった「せう/しょう」,「けう/きょう」「か/くゎ」などにも発音上の差異があったわけです。
  このあたりから「本に書いてある」ヒラ仮名なりカタ仮名を,現代の発音で「そのまま」読んだとしても,中国語に聞こえないのはあたりまえのことながら,当時の日本でどんなふうに歌われていたか,の再現にもなりません。

  清楽曲の復元において,歌詞の音を考える時,まずはこの日本語の変化を念頭においておかなければなりません。先行の研究の多くは,このあたりへの考慮を欠いていて,本に書いてある「カタカナ」をもとに復元したり比較したりしたものが多いのです。清楽の曲はたしかに「中国伝来の」音楽ですが,二つの国も時代もまたいでいるのですから,単純に送ったがわのことばかり考えていては,その研究は成り立ちませんよね。

楽譜1
  つぎに中国語のほうの問題。

  清楽曲の歌詞の漢字のところを,中国語の共通語「普通話」(ぷうとんふぁ)で読むと,横に書いてあるカナ読みとぜんぜん合わないようなことがちょくちょくあります。
  ひとつには上にも書いたように,日本語のカナは音表文字としては不完全なものですから,外国語の発音を適確にとらえ,表現することはもともと不可能です。また日本における伝承の中で,伝言ゲームのように間違いたり変化してしまった部分もありましょう。

  ではカナ書きを無視して,ぜんぶをいッそいま一般的な「普通話」で再現する,というのはどうでしょうか?
  そこにもまた,そういうわけにいかないという問題があります。

  ----日本にくらべると中国は広い。
  地域による言語の差異というものも,日本の方言なぞとはくらべものにならないくらい大きくて,省をまたいだら互いに通じない,くらいのことはザラにあるのですね。   清楽の曲でその来歴がしっかりと分かっている,つまりはその曲が広い中国のどのあたりで発生し,日本に伝わってきたのかが分かるものはほとんどありませんが,その担い手となった船乗りたちは,中国の南のほうの出身者が多かったので,やはりそのあたりで流行っていた歌が中心であった,と推測されます。
  南のほう,と大雑把に言っても,そこにはさらに「広東語」(かんとんご)や「閩南語」(びんなんご)があり,杭州や蘇州,上海なんかも地域的な独特の方言を持っています。

  江戸から明治のころの日本語の発音とその表記を頭に置き,さらに中国南方の方言の傾向を加味したうえで,あらためて譜本に記された平仮名・片仮名による発音を考えてみると,ああなるほど,この語は普通話の発音じゃないな,とか,当時の日本人には中国語のこの音がこういうふうに聞こえていたのか,だからこういうふうに表記したのかということが分かってくることが多いですね。

  今回はまずまず,言い訳ていどの書き連ね。
  さて,次回からいよいよ歌のお勉強です。

(つづく)


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