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明笛について(11)

MIN_11.txt
斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(11)

番外編 「李朝華竹横笛」


  その笛がネオクにあがったのは…そう,今年の五月ごろのことでやんした。
  そういやむかし,古道具屋の小僧やってた時に,親爺さんからよく----

  「買わないで後悔するくらいなら,買って後悔しろ!」

  「一瞬で見切れるようになれ!」

  と言われてましたが……いやいや,庵主,べつだん買ったことは後悔はしてませんよぉ。
  そもそもこのブツ,ほかに入札者いなかったんで,激安の開始額で落ちましたしね。

  今回はまず,どッちかというと,この後者のほうの言のおハナシで。

  たとえば骨董市に行ったとするじゃないですか。
  露天で店を広げてるとこを横切った一瞬で,プロは,その店でいちばん価値のあるもの,中くらいのもの,掘り出し物を見分けるんです。プロにとって,なにやら手にとってしげしげ,まじまじと見てたりするのはあくまで演技,すでに交渉に入ってる場合なんですね。
  ネオクだとまあ,モノのまとってる空気感みたいなのは分かりませんし,手にとって見ることもできないわけですが……まあ,さすがにコレ見て,「李朝」うんぬんを信じて買うような物好きも,そうおりませんわな。(ww)

  いかにも古くさい箱に,10本もの笛が入っておりますなあ。

  この箱は…もと軸物でも入ってたものでしょうかね?
  側面の底のほうに三箇所切り込みが入れてあります。ここに平紐を通して蓋を固定するものです。
  それに手ごろな古板で蓋をこさえたもの。箱本体は桐なのに,蓋は杉で,裏面の両端に入れ子にする木片が,木工ボンドべったりで接着されております---なんか名前まで書いてあるなあ。
  表書きにある「李朝華竹横笛」の文字,これも雑巾で拭いて巧くぼかしてはありますが,後から書き入れたものです。実際に見ると分かりますがこの墨書,「ヨゴレの上から」書かれてるんですね。

  庵主ももちろん,これを 「李朝の骨董品だ,わーい」 と思って買ったわけでは毛頭ありませんが(w)……ネットの世界,ほンにいろんなモノが売ってますなあ。


  全10本中,「横笛」は6本。(右図クリックで拡大)
  いちばん長い一本で長 518,ほかの5本が 410mm 前後です。
  指孔6コに響き孔,明笛の類であることは間違いありませんね。
  骨の飾りなどはついてませんが,歌口と管頭,歌口と響き孔の間に花鳥図が印判で捺されています。加工は粗く,両端の断切りはガサガサしたまま,表面にかかっているのは漆ですらなく……ラックニス?いや,工芸用の安い水性ニスかな?
  内部には塗りは施されておらず,これもまた表面ガサガサ。指孔とか飾り孔の縁にバリが残ったままになってるくらいで,工作加工これまたスコブル粗い。
  日本の篠笛や明笛だと,管頭に紙を丸めたのを押し込んで歌口のところの「壁」をつくるんですが,この笛では,なにか非常に細い草のようなものが詰められていますね。


  一本だけ花鳥の印判がなく,黒縞の入ってるのがあります。
  総巻きの笛を模したものなんでしょうね。もちろん籐も糸も巻かれてはおらず,ただ黒く塗ってあるだけです。節の部分をうまいこと使って,管頭のラッバ型飾りの部分を表現してますね。この笛だけちょっと加工も違うんで,ほかとは違う場所で作られたか買われたかしたものなのかもしれません。

  いちおう吹けるものは吹いて調べてはみたんですが,これがまあ,どれもまた見事にバラバラ。
  全閉鎖で5C-30から5Ebまで,各種非均等に取り揃っております。(w)
  数値の上からしても,たとえばどこかの村で祭りのために作られた,とかいうことはありませんね。
  だってそうでしょう,いくらなんでもこれじゃ合奏できません----まあ,そもそも使用した形跡がありませんから,おそらくはお土産として十把一絡げで買い入れた安物を,それらしい箱に詰めたものでしょうねえ。


  でも,ちょっと興味深いのが,このうち4本ある「縦笛」です。(左画像:クリックで拡大)

  長い3本が340mmくらい,いちばん短いのは230mmしかありません。
  「李朝華竹横笛」と書いたヒトは,これが「縦笛」だってことにも気がつかなかったかもしれませんが。(w)


  「縦笛」なんで,この笛の歌口は管頭のところにあります。

  ちょうどいいくらいの太さの木の枝を,すこし削ってハメこんだだけのもの。到着当初は加工が粗いせいで,ケバだってて口を当てることもできませんでした。歌口のすぐ下にある四角い孔は音窓というやつで,リコーダーとかホイッスルにあるスリットと同じ働きをします。歌口の開口部は下に向かってすぼまっており,ここで圧縮された空気が,音窓の下辺,斜めになってるところに当って音が出る----という仕掛け,らしいですね(笛専家でないんで詳しいことは胃炎)。

  同じような形式の縦笛は,アジアだけでなく世界中にみられます。この型の笛は,ケーナや尺八といった,ただの筒に息を吹き込む型の笛よりは,慣れてなくても音が出やすいのが利点。


  しかしながら----では,この管の表側にある,一見,歌口風なこの孔はなんでしょう?

  このせいで,売るほうも「横笛」って書いちゃったんだと思うんですけどね。 指孔から微妙に離れてますね。もしこれを指で塞いで吹くとしたら,左3・右4か…

  ----いやこれ,たぶん間違いなく「響き孔」ですね。

  少数民族の楽器図鑑とか漁ってみたんですが,少なくとも現在の中国には,こういう形で笛膜を貼付ける型の縦笛,ってのは見つかりませんでした。
  そこでちょっと前の記事(明笛について9,10「笛膜奇譚」)に書いたことを思い出してください。
  宋代に書かれた陳暘の『楽書』には,文献としてはじめて,笛膜を貼付ける形式の横笛として「七星管」という楽器が紹介されており,現在,笛子の歴史について書かれた多くの資料,Web上の記事は,この本のその記述をもって「笛に笛膜がついた起源」としております。
  その陰であまり引かれることがないんですが,実は同じ『楽書』にはこの「七星管」以外に,「笛膜を貼った縦笛」というものも,紹介されているんです。


  ----これがそう。

  「簫管・尺八管・中管・竪籧」 簫管之制六孔旁一孔加竹膜,焉足黄鐘一均声。或謂之尺八管,或謂之竪籧,或謂中管。尺八其長数也,後世宮県用之竪籧,其植如籧也。中管居長竪籧短竪籧之中也。今民間〓簫管非古之笛与管也。

  『楽書』にある「七星管」が現在の中国笛子の直接的な先祖なのかどうか,については前にも書いたとおり軽々には言えないところなんですが,韓国の横笛「テグム」は,その構造に「七星穴(チルソンゴン)」と呼ばれる部位があることなどからしても,宋代のこの古い古い笛の系を間違いなく引いているのだと思われます。同様に,朝鮮の古い楽書『楽学規範』(成俔 1493序)巻7「郷部楽器図説」にはまた,ここに引いた「簫管」と同様の「笛膜を貼った縦笛」が,「洞簫」という名前で紹介されています。(右下画像:クリックで拡大)


  現在ある中国の「洞簫」には響き孔はついておらず,中国ではこの類の縦笛は今のところ見つかりません。
  この4本の縦笛も『楽学規範』の「洞簫」とは明らかに構造が異なりますが,テグムや月琴(ノルグム)同様,古い形式の楽器の残った朝鮮・韓国なら,こうした古い形式を残した笛が吹かれていても確かにおかしくはない。

  作りはいかにも地方の農村とかで作ってる工芸品,って感じですし,時代的にもそんなに古いものとは思われません(竹の状態からしても,塗装がニスだったりすることからしてもw)が,この「李朝華横笛」。時代的に「李朝」の部分はまあブラフとしても,あちらの国のものである,というところは本当なのかもしれませんね。


  さてこの響き孔付き縦笛。 上にも書いたように加工がこれまた粗く,そのままでは吹くどころではなかったので,歌口や口に当たる部分をきちんと整形してから試奏してみました。当初はどの笛もほとんど音が出ないようなエラい状態 (庵主が笛吹くのヘタだから,とかいう以前の!) でした,これをあちこち調整して3本はなんとか音が出るようになりましたが,1本だけどげにしてもダメでしたねえ。
  尺八や洞簫のように直接口に当てるのではなく,唇から少し離して,息を吹き込むようにしたほうが,かなりキレイに音が出せます----そのあたりも庵主の既知の笛とは異なってましたね,うん面白い。

  そりゃいいンですが,この10本もの笛----さて,どうしましょ?(^_^;)

  面白いには面白いんですが。
  現状では正体がよく分からないので,「清楽の明笛」の音階データには加えられませんしね。
  とりあえず,こんなものもあるんだよー,というご報告までに。

(つづく)

KS月琴(5)

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斗酒庵 菊の香に惑う の巻2013.10~ KS月琴 (5)

STEP5 歪んだ月

  メインだった表面板の補修も終わり。
  懸案だった半月の補修と絃高の調整も済んで。
  んじゃあ,あとは仕上げ。フレットを削って,っと……ありゃ,おかしいな??
  弦に合わせてフレットを削ると,オリジナルと同じに,やっぱり片方が低くなってしまいます。
  半月も山口も加工に問題はありません。ちゃんと修理したし,きちんと作りましたからねえ。



  またまた作業を中断して,再調査です。
  楽器を水平に持ってお尻のほうから見ると,棹がわずかではありますがねじれて,傾いているのが分かりました。
  接合部を触ってみますと,向かって右側のほうが面板から,爪先にひっかかる程度飛び出てて,その反対側が同じくらいひっこんでます----0.5ミリ,ってとこでしょうか?

  なるほど,棹自体がねじくれて取付られてるんじゃ,いくら半月や山口を真っ直ぐにしても無駄ってもんですなあ。

  調整のため棹の基部にツキ板を貼ったり,棹孔にぶつかる部分をわずかに削ります。もー目視では誤差確認できないくらいまでやったら,あとは感触で。 接合部を爪先でなぞったとき,往復どちらもひっかからなくなるところまで,棹の接合部と面板の縁が面一になるところまで調整しました。

  ううむ,これもまた庵主,ふだんの修理ではやらないびみょーな作業----なんやかやで2日くらいもかかりましたね。 よし,こんどこそダイジョウブ!と,再びフレット作りをはじめたんですが……

  なぁんでだよぉ!

  棹の上のフレットの傾きが……直りません!
  うううう……泣きながら三たび調べてみました……
  どうやら,こういうことらしいです----
(図クリックで拡大)

  何度も書いているように,不識の月琴の棹は糸倉から茎まで一体の一木造りです。端から端まで一本の木で出来ているので,延長材を噛ませる形式に比べると振動の伝導が良い,というふうに考えられますが,部材の質によっては,歪みや変形の影響が大きくなる可能性があります。

  この楽器の棹はサクラです。
  一般にサクラは硬く丈夫な材で,精緻な浮世絵の版木として使われるところからも分かるとおり,湿気や磨耗等にもよく耐えます。
  ただそれは「板」にして使う場合で,角材としてはほかのバラ科の木材同様,割れが入ったり,歪んだりしやすく,多少厄介なところのある素材です。とくに,木目が複雑なものや,きちんと乾燥されてなかったような材ではいろんな故障が発生します----そもそも針葉樹に比べると,広葉樹の丸材は乾燥そのもがちょっと難しいんですね。

  1号のオリジナルの棹もサクラでしたが,棹の中間に節目があるようなちょっと粗末な材でした。 アレに比べるとこの棹にはいくぶん良いものが使われているようですが----やはり乾燥が不十分だったのではないでしょうか? はじめ作っている時は真っ直ぐだったかもしれませんが,塗ったり貼ったりしているうちに,こんな風にネジレてしまっていたのでしょうね。

  よく見ると指板の黒檀に,先端から少し長く,縦割れのヒビが入っていますね。 指板自体の接着等に故障は生じてませんが,これもこの棹材のネジレの影響によるものではないかと推測されます。

  さすがに,製作されてから100年以上が経過している現在では,このネジレがこれ以上ヒドくなることもありますまいが,初代不識,なかなかに厄介なことをしてくれやがります。

  棹基部や山口を削り,さらに微調整を重ねた結果----第1から第3フレットまでの傾きは,やっぱりどもしょもなかったんですが,第4から最終フレットまでは,ほとんど傾きがないくらいまでに修整することが出来ました。

  うう,オソろしい…ほンにオソろしい修理じゃったよォ。
  上=4Cとした時の,オリジナルのフレット位置での音階は以下のとおり----

開放弦
4D+194E-54F+224G+214A+175C+85D+375F+45
4A+124B-145C+145D+125E+155G-15A+196C+22

  ううむ,やっぱり観察からの推測どおり,清楽の音階よりは西洋音階に近いですね。
  このあたりにも不識の先見性・革新性というものが出てるのかもしれません。


  音階の計測を終え,フレットを西洋音階の位置に貼りなおし,お飾りを戻します。

  ツゲの目摂のうち右がわのほうは,反りがかなり酷かったので,中央部の裏側を少し刳って矯正しました。
  再製作した扇飾りは1号のもののコピー,万帯唐草を模したコウモリ,不識オリジナルの意匠ですね。失くしちゃったオリジナルが出てきたら貼り替えてやってください。

  最後に撥布,緑の牡丹唐草の錦を貼って。

  2013年11月6日。
  石田不識(初代)作,コードネームKS月琴,修理完了。


  山口とフレットは国産の本ツゲ。材料は去年,琵琶屋さんからいただいた端材(タダ)ですが,グラム単価で考えると,こりゃ象牙よりよっぽど高級品かもしれませんねえ。削って後は油で少し磨いただけですが,それだけでいい感じのツヤとこの色合い----やっぱりウツクシイですね。
  最終フレットで5ミリほど,こないだの松音斎ほどじゃありませんが,いろいろ調整した甲斐もあって,かなり低くまとまりました。運指もなめらかですし,低音から高音までしっかり音が伸びます。


  軸がややキツいのが難ですね。
  もとの糸孔を埋めて先っちょをすこし切詰め,先端部分しか糸倉と噛合ってなかったのを削りなおして,しっかり止まるようにしたんですが,そのぶん回すのに力が要ります。
  使っているうちに削れて,いくぶんラクになってくるとは思いますが,さて----

  動かない時はムリにシメようとしないで,逆にすこしユルめてから,再度巻き上げるようにしてください。
  ゴリゴリ力任せにやってばかりいたら,糸倉が割れちゃうかもしれませんぜ。


  「不識の楽器はギリギリ楽器だ」 と,庵主は何回も書いてきました。
  ギリギリの技術で,ギリギリの寸法で作られているため,使うヒトにも修理するヒトにも,常にギリギリの要求をしてきます。
  そうですね,その楽器とほかの作家さんの楽器との違いを表現するなら,「レーシングカー」「量産車」ってとこでしょうか。レーシングカーを量産車と同じように,普通の道路で走らせることは普通に出来ます。しかし,そのスペックを最大限に発揮させ,最高のスピードで走らせるためには,ギリギリの技術や調整が必要----量産車と同じ扱いではダメですよね。
  今回の楽器は不識の量産時代の作品と考えられます。こりゃまあ,基本的なコンセプトはレーシングカーのままで,量産車を作っちゃったようなものですね。


  量産車の技術水準でレーシングカーを作ったら,不具合が出ないワケありません。

  半月裏の加工にしろ,棹の歪みにしろ----今回庵主が躍起になって調整した箇所はすべて,実のところ知らなければ 「こういうものだ」 で済ますことの出来る箇所,と言えるかもしれません。 しかしすでに10年以上も付き合ってきて,彼の楽器をよく知っている庵主には,そこさえ直せば,そこさえちゃんと調整すれば 「レーシングカーのスペック」 を引き出せる,てのが分かってます。


  それ考えるとやっぱり,やらずにはいられなかったんだなあ。

  さて,KS月琴,庵主はレーシングカーとして調整しました。
  あとはドライバーの腕次第----ってとこですかね。

(おわり)


KS月琴(4)

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斗酒庵 菊の香に惑う の巻2013.10~ KS月琴 (4)

STEP4 半分の月がのぼるまで


  前回あげたフィールドノートにも記載してありますが。
  KS月琴,表面板の撥皮が貼ってあったあたりを中心に,木目に沿ったかたちのエグレ溝が何本も走っており,その一部は半月の下まで伸びています。
  木目を浮き出させるキメ出しの加工は,たいがい形が出来上がってから,最後の仕上げのときにするものなので,このエグレはやはり,面板にもともとあったものだと思われますね。(エライ板使わはったなー)

  せっかく半月の裏面を平らにしたのに,板のほうが凸凹では,どにもなりやせん。あとで撥布を貼付けるのにも不都合ですので,エグレてる部分を木粉粘土で埋めてしまいましょう。
  乾いたところで,木片に紙ヤスリ貼付けたので擦って均します。


  で,表面板の清掃----あちゃ,その途中でお尻のとこのヒビ2箇所,埋め忘れてたのを思い出しました!
  面板の浮いているところを再接着したら,ちょっと塞がって,ほとんど見えなくなってしまってましたからねえ。

  急遽作業を中断,おが屑を埋め込んで充填します。


  一日置いて補修箇所を整形,そのまま清掃。
  いつものように重曹を溶いたお湯をShinex#400に含ませてシコシコ。そんなに酷く汚れてもいなかったので,ほぼ一発でキレイになりました。

  また一日置いて,面板が乾いたところで,さあ半月の再接着です。
  庵主,ここでまた,もひとつポカを…取外す前に半月の原位置をケガいておくんでした…(^_^;)
  ふつうの作家さんの楽器だと,半月の貼付け位置には,目印として使ったケガキ線などが必ず残されてるもので,修理の時はそれを参考にして再接着の作業をするんですが,さすが不識----

  「あン? おりゃアそンなモン要らねェよ,目ェだけでじゅうぶんさネ!」

  て,とこでしょかね。 くそぉ,なンか悔しい!
  ----というわけでこの楽器,半月の貼りついていた場所には,マダラになったニカワの痕以外,半月の取付位置を示すような目印が,何もありません。


  まあ有効弦長など記録は録ってありますから,縦方向の位置についてはさほどの問題もありませんが。棹を挿して楽器の中心線を出すところから始め,糸倉から糸を垂らして,左右の位置決め……これがまた,かなり繊細かつびみょーな工作なので,2時間ほどもかかりましたか。(汗)
  そのうえになんか口惜しいのは。
  そうやって苦労して割出した位置が,おそらくはぴったり原位置だということですね。

  1ミリでもズレてれば 「はン,しょせん目見当なんてそンなもンよ!」 とかって勝ち誇れるのにっ!(…ココロがせまいニンゲンなもので…)

  さすがギリギリ楽器のギリギリ作者ですね。(誉めてるのか,コレ?)

  今度こそはで,ピッタリ決めた左右の位置の目印をエンピツで書き込んでから,半月がズレないよう細い板を渡し,ニカワをつけて接着。ニカワべたべただった原作とは違い,少し薄めのニカワを何度も塗って指の腹で接着面になじませ,少し表面がベタつくようになったところで合わせます----これが最強。半月の裏も面板も,かなーり神経質に水平を出したので,そッと置いただけで,吸い付くようにへっつきましたね。(うむ勝った,ここだけわ!)

  Lクランプでかるく押えてまた一晩。
  用心のためにもう一晩置いて,さて仕上げです。


  オリジナルのフレットは象牙か骨,おそらくは山口(ギターで言うところのトップナット)も同じような材質で作られていたことでしょう。フレットは7本も残ってますから,これをそのまま戻すだけなら,山口とあとフレットを1本新しく作れば,それだけで良いワケですが。前回書いたように,このオリジナルのフレットには問題があります。左右の高さが一定でない。片側が高く,片側が低くなっており,その落差は最大で1ミリ近くにまで及んでいます。

  これも前回書いたとおり,半月のほうは高さが一定なので,それでこういうことになるということは,棹のがわのほうに問題があったということになりますねえ。山口がちゃんと作られてなかったのでしょうか?


  とりあえず,ツゲで新しく山口とフレットを作ってみます。山口の寸法やカタチは27号のものを参考にしました。
  これを取付けて,糸を張り,フレッティング開始!----ふうむ,なるほど。

  たちまち問題発生。 絃高が高すぎます。
  棹の傾きは山口のところで背がわに約3ミリ,理想的な角度ですね。ふつう棹がこれだけ傾いていれば,絃高の低い,弾きやすい楽器になるはずなんですが……
  なんでこうなるの? というあたり,あらためて調べてみました。
  図に描いちゃいましょう----(クリックで拡大)

  横から見て弦のコースが(1)のようになってるわけですね。
  しかしながら,棹の傾きも山口の高さも半月の高さも同じなのに,同型の1号や27号はこんなふうになってません。 なにか原因が,初期の2面と違ってるところがあるはずです。

  そこでも一度,細かく調べて見ますと----ううん,これもまた,びみょーなところなんですがねえ…2番目の図をどうぞ


  ほんのわずかな加工の違い。
  実際にはこの図ほど,まっ平らになってるわけではありませんが,初期の頃よりわずかに簡略化され,平面的になった半月内側の彫りこみが,約1ミリ以前よりも弦をおしあげているんですね。

  目摂の菊の花が正面を向いていたころ を明治の10年代後半と仮定しますと,この楽器は清楽がいちばん盛んだった,明治の20年代から30年代のあたりで作られたものなのじゃないかと推測されます。初期のころは規模も小さく,一人でイチから最後までこつこつやってたんでしょうね。しかし,月琴の大流行のなか,さらに勧業博覧会で連続して賞をとったりもして,彼の月琴はかなり売れたものと思われます。同じ楽器を作り続けることによる慣れもあったでしょう。また注文をこなすため,量産のために省けるところは省かなきゃならないという場面も多々出てきたと思います。
  そのひとつがお飾りなどの外注であり,もう一つが,こういう細かい加工や調整だったんでしょうね。


  ----なもんでまあ一方的には責められませんが。 この楽器をこれから快適に演奏するためには,なんとかせにゃならんことは確かですわな。 山口を作り直して,も少し背丈の高いものにする。 という手もあるのですが,せっかく作ったものなので正直もったいないは世界のコトバです。 久しぶりで半月にゲタ噛ませましょう。 糸の出口に象牙の端材を貼付けました,厚さ約1ミリ。

  絃高1.5ミリほど下がりました,成功です!


  これでもうなんのシンパイもなく,仕上げにかかれるってもンですね!----といったところで次回。
 
(つづく)


KS月琴(3)

KS_03.txt
斗酒庵 菊の香に惑う の巻2013.10~ KS月琴 (3)

STEP3 覗かれた月

  さて,では続いて内部の観察に移りましょう。

  ----と言っても,今回は表裏面板にさしたる損傷もなく,ムキっ とめくると中が見えるほどのヒビ割れもありませんので,棹孔からの覗き見だけになります。まあ不識の楽器は4面目,そのうち2面はほぼ完全にバラしてますんで,経験から推定するのは比較的ラクですね。


  棹孔は 24x12。この周縁を起点として,上桁は 110mm のところにあります。 中央に棹茎の受け孔,左右に笹の葉型の音孔があいています。 茎の孔の裏板側には1ミリほどの薄板がスペーサーとして接着してありますね。

  27号でもそうでしたが,不識,ここによくこういうスペーサーを噛ませています。
  棹茎本体にツキ板のようなスペーサーを貼付けて,細かい角度の調整や,工作誤差からくるグラつきなどを補正するのはするのはよくあることですが,胴体の,それも組み立ててしまえばアクセスの難しくなる内桁のほうに貼付けるというのは,あまり合点の行かないハナシです。


  ほかのヒトの場合ですと,組立ての最終的な局面でやらかしたなにか大きな失敗の辻褄を合わせるため,ふつう見えない内桁のほうで「やむなく」補正の加工をしたのだなァ,とか考えるのですが。
  彼の楽器の場合はそういう技術的な巧稚の問題ではなく,その特徴的な基本構造のひとつ,棹が糸倉の先から茎まで一木造りであることに関係があります。

  茎に延長材を継ぐ型の棹ならば,棹の角度などは延長材の接合部分で調整し,辻褄を合わせることが可能です。もし一度組み立ててしまったとしても,庵主が最近修理でよくやっているように,後で延長材をはずし,再度調整することもできますが,茎まで一本の木で出来てる彼の棹の場合,一度作ってしまったら,棹のほうに変更を加えることは難しい。また,茎の部分はほかよりも細く薄く切り出されますから,加工後の乾燥や温度の影響による変形や歪みが大きく出ます。延長材を噛ませた場合は,後で生じるそうした棹本体の歪みや変形の影響は,その接合部を調整することでいくらでも緩和できますが,一木造りである彼の棹ではもちろんそれが出来ません----そこで,この内桁の穴をあらかじめ大きめにあけておき,ここで棹の角度や位置を調整しているのですね。


  調整のしにくさや後々のことを考えると,延長材を継ぐ形式のほうがずっと合理的のように思えますが(事実,中国人の作った唐渡りの月琴に,同様の作りをしているものはありません),この「棹が一木造り」というところには,なにやら彼の思い入れがあるようです。

  下桁は棹孔から 235mm のところ。
  奥で光がうまく届かないため撮影は難しく,上桁に隠れてまったく見えないところもありますが,内視鏡などで観察した限りでは,上桁にあるのと同じような音孔が三つあいているようです。
  このへんもすべて1号(製造番号11)27号(製造番号27)と同じですね。

  上桁も下桁も側板の内側と同じ赤っぽい色をしており,材質はおそらく棹胴体と同じサクラか,もしくはカツラではないかと思われます。

  響き線は,やや太めの鋼線が一本。
  楽器に向かって左側,胴体のほぼ真ん中あたりに基部があります。線は台形に削られた木片に挿され,横に丸釘を埋め込んで止められているようです。
  ここもまあ,27号のこれ(右画像)とほぼ同様ですが,基部の木片はちゃんと整形され,表面もいくぶん丁寧に加工されていますね。
  鋼線には少しサビが浮き赤っぽくなっていますが,表面はなめらかで,腐食の程度はそれほどヒドくはないものと思われます。もともと太めの頑丈な線なので,このくらいなら強度的にも問題はなさそうですし,現状反応も良いようなので,今回はこのままにしておきましょう。



  こうした内部構造の仔細も含めてまとめてあります。
  今回のフィールドノートをどうぞ。
(クリックで拡大)





  では,修理に入ります。

  まずはいつものようにお飾り類をハガすところから。
  撥皮はもともとほとんどハガれかけていたので,まだへっついてた所をちょっと濡らしたらたやすくハガれてしまいました。
  撥皮の痕は,いつもはゴベゴベに糊がついてたりするんですが,今回はそういう痕跡がほとんどありませんでしたねえ。購入当初表面板を覆っていたという虫糞はおそらく,ここの皮と接着材の成れの果てだったんじゃないかな。ほとんど食われちってたので,逆にこんなにキレイなのかもしれません。

  フレットもだいたい簡単にハガれましたね。
  左の目摂が少し頑丈で,時間がかかりました。

  しかしながらいづれの箇所も,ニカワがかなり多め,余計に使われています。何度も書いているとおり,これは接着工作としてはそれほどよろしくない---松音斎を見習いなさい!


  ハガしたフレットを並べてみたんですが……ありゃ,これ真っ直ぐじゃない…ずいぶん片方に傾いでますよね?

  山口がなくなっちゃってるので定かではありませんが,どうやら棹の取付けか半月の工作に,多少問題がありそうですねえ。

  まあこれは置いといて。
  ともあれ先に進みましょう。



  表面板のヒビと虫食い穴を埋めます。

  今回のは,ヒビとは言ってもいづれもごく細いものなので,埋め板ではなく,例のおが屑を使って埋め込みました----過去の修理で出た,古い面板を削った時のおが屑ですね。
  中央上のヒビ割れは構造の歪みによる普通のもの,前も書きましたが不識の楽器は内桁が針葉樹じゃないので,保存が悪いと胴体の歪みがけっこう出ます。といってもこうして柾目の面板が割れるくらいなものですが。

  左端のヒビ割れにある虫食い箇所は,やはり矧ぎ目に沿ってトンネル状に食い荒らしたものでしたが,トンネルになってる範囲は短く,横への広がりもほとんどなかったので,その上下に生じたヒビ割れといっしょに,おが屑で充填処置しました。

  右下の虫食い箇所は幅や長さこそさほどないものの,ほぼ板の厚みギリギリに食われていたため,ここはほじくって,埋め板を削り埋め込みました。

  ここはまあ,思ってたよりもしッかり食われてはいたんですが,これも横への広がりがほとんどなかったのは,幸いといえば幸い。


  次の作業に入る前に,表面板の側板から剥離している箇所を再接着しておきましょう。

  上2箇所,下1箇所。薄く溶いたニカワをスキマに垂らし,面板をもみこむようにしてじゅうぶんに行き渡らせ,クランプで固定します。前も書きましたが,この楽器の胴体は,表裏の面板で側板をサンドイッチすることによってほぼ出来ている,と言ってよいので,このあたりがまずちゃんとくっついていないと構造上安定が悪く,修理作業によってかえってへんな歪みや,新たな不具合が生じてしまう可能性があるのです。


  一晩置いて,表面板が再接着されたところで次の作業----半月をハガします。
  所見のところで書いたように,半月の右上端,面板との接着部にやや大きなスキマがあり,下縁部にも少し浮いている箇所がありました。現状,接着は強固なようなので,このまま使用しても弦の張力でハガれるようなことはないでしょうが,弦の振動を共鳴版である面板に伝えるテールピースの接合・接着が完全でないというのは,この楽器にとってはけっこうな不具合なので,一度ハガして半月の状態を調べ,きちんと調整してから戻そうと思います。


  半月の周囲に水を含ませた脱脂綿をちぎって置き,約一昼夜----もともとスキマはあったものの,さすがに頑丈に接着されてましたねえ。

  さてと,裏面はどうなってるのかな?

  ううむ……


  上端右がわのスキマの正体はこれですね。

  欠けてるというか段差になってるというか…加工の失敗なのか,もともとこういうアラのある素材だったのか……

  左下のほうにも少しエグれている箇所があります,このあたり木目が多少入り組んでますから,こちらは材料にあった節目かなにかに由来しておりましょう。

  この半月には27号でも,「白太」と呼ばれる色の薄いところの混じった,唐木ではあるものの質的にはあまりヨロしくない材料が使われていました。

  月琴という楽器の部品はどれもさほどに大きなものではありませんが,その中ではこの部品は,唐木で作るとなるとそこそこに大き目の材料が必要ですから,大事な部分ではありますが,利益のほうを考えると,あまり上等な材は使えないかもしれませんね。

  ほかの作家さんでは半月が唐木なのは上等品・特上品だけで,量産タイプの楽器には胴や棹と同じカツラやホオが使われますが,これもまた不識のこだわりの一つなのかもしれません。


  次なる問題は,これをどうするかですねえ。
  古楽器修理の常道としましては----

  1) 半月の裏を擦って,キズやエグレが消えるまで平坦に均す。

  という引き算式か,あるいは----

  2) キズやエグレに唐木の板を接着・埋め込んで整形,半月裏を平坦にする。

  という足し算式のいづれかですね。

  1)をした場合には当然,半月の背丈が若干低くなります。 修理開始前には演奏不可能な状態でしたので,庵主には,この楽器のオリジナルの演奏具合や音色が分かりません。この状況で楽器の基本的な設定をいぢくるのは,あまり面白くありませんな。

  ----とすると2)しかないワケなんですが。

  ……足りない分を同じ唐木で充填・補修するというところまでは賛成。
  しかし,唐木の類は唐木同士での接着があまりよろしくありません。スキマはそれほど大きくもなく厚くもないので,唐木の板を接着して整形したとすると,埋め込まれたぶんはごくごく薄いものとなり,半月という部品が,この楽器でいちばん力のかかる箇所の一つであること,また補習箇所がその中でも力のかかる「接着面」である,ということを考えると,強度的には多少心配な面があります。

  そこで今回は,この2)の路線を踏襲しつつ,ちょっと邪道へ走ることといたしましょう。


  この黒いモノはローズウッドの粉を,エポキで練ったもの----現代風木糞パテですね。 以前,唐渡り総唐木の月琴,23号「茜丸」の修理でも使いましたが,唐木に対する接着力が強固で,固まると強靭。

  まあ古楽器に現代風の素材を使うのは本意ではありませんが,今回は充填箇所もさほど大きくなく,楽器が実際に使用されることを考えれば,この方法がもっとも適当かとも考えます。
  庵主は2液混合タイプで,硬化時間が少し遅い,9時間硬化というのを使っています。異物を混入した場合は,完全に硬化するまで,通常よりもう少し長くかかるので,用心のためまる一日ぐらい置いておきます。


  この自家製唐木パテが,かっちりと硬化したところで整形。

  ほんの僅かではありますが反ってもいますので,補修箇所の整形のついでに擦り板で擦って,半月の裏面が完全な面一になるように,裏面全面が面板に密着するように調整しておきます。


  さて,この半月の補修作業中に計測して確かめたのですが,スキマがあったり,加工に多少アラがあったりはしたものの,半月の高さは左右ともに一定でした。
  最初のほうで書いたように,フレットの頭が片がわに傾いて削られている原因が,この半月がわにないとすると,それは棹のがわのほうにあるということになりますね。

  次回はそのあたりから,かな?

(つづく)


KS月琴(2)

KS_02.txt
斗酒庵 菊の香に惑う の巻2013.10~ KS月琴 (2)

STEP2 謀られた月

  • 全長: 675mm(蓮頭を含む)
  • 棹 全長:303mm (蓮頭を含まず,茎長:133mm,棹茎を含む長:436mm)
    うち糸倉部分:143mm 指板部分 長:158mm 幅:32(最大)/25(最小)mm 
  • 棹本体太さ:32(最大)/23(最小)mm 
  • 胴 縦:354/横:361mm 厚:36mm (うち表裏面板厚各 4.5mm)
  • 有効弦長:428mm (山口欠損のため推定)

  大型ですね。
  同時代のほかの作家さんの月琴と比べて,全長が最大5センチ近く大きいのです。
  棹が長いので,ふつうは胴体上か胴と棹の接合部付近にある第4フレットが,完全に棹の上になっています。
  胴体の大きさにはさほどの違いはないのですが,厚みは5ミリ近く薄い。


  一概に,国産月琴は,唐渡りの月琴より,やや大きめに作られています。
  そしてその傾向は,時代が新しくなるほど,わずかづつではありますが増していったと考えられます。
  このことは,この楽器の日中間での演奏スタイルの違いに由来するものである,と庵主は推測しています。

  中国は基本的に西洋と同じく「机と椅子」の文化圏です。
  楽器も椅子に座って,足を組んだ状態で弾かれます。清楽伝来のごく初期のころは,日本人も中国人を真似て,慣れない唐風の椅子になど腰かけ,着物の裙をいくぶん気にしながら弾いていたかも知れませんが,流行期になると,教えるほうも教わるほうも三味線とか琵琶と同じく,畳の上に正座して,膝の上に楽器を置いて演奏するようになってしまいました。(過去記事「清楽の人々」に当時の演奏風景を写した古写真があります。ご参照アレ。)
  まあ当時の日本は完全に「畳と地べた」の文化圏にありましたから,当然と言えば当然の変化だったかもしれませんね。


  さて,月琴という楽器は(庵主の推測では)元来,少数民族の,ダンスに使う伴奏楽器(演奏者も一緒に踊ってる場合が多い)で,それが広まって辻楽士の使う野良楽器となったあたりでも,立ったまま,抱えて弾かれることが多かったようです。椅子に座って弾く場合でも,伝統的な中国月琴(現代中国月琴じゃないよ!「月琴の起源について」(5)参照)は,立奏の時と同じように,胸のあたりに抱えるようにして弾かれることが多いんですね。こういう演奏姿勢だと,楽器,とくにその胴体部分は小ぶりなほうが操作がしやすい。

  逆にこの小ぶりな中国月琴を,正座して,膝の上において弾こうとすると,どういう風に構えても安定が悪くて弾きにくい。
  実際に何度か実験してみてるので,庵主,分かってるのですが。 いッそあちらと同じように,胸に抱えちゃえば弾けなくもありませんが,そうするととまあ,腰から足先への負担がスゴいことスゴいこと!
  ----庵主が正座に慣れてない,ってあたりをさッ引いても結構な苦行でありますヨ。


  国産月琴の大型化薄型化(なんか家電製品みたいだね)は,こういう演奏スタイルの違いから,つまり正座した膝の上で楽器を安定させ,無理のない姿勢で演奏するための,これまた当然と言えば当然の変化だったのだと思われます。

  その中でも不識の月琴は(前も書いたことがありますが),そうした国産月琴の変化のいきつくだろう未来の姿を,ある意味先取りして体現していた,フラッグシップ的な楽器であった,と言えなくもありません。月琴という楽器自体が廃れてしまったため,実現することはありませんでしたが,もしあのまま日本における流行が続いていたなら,「国産月琴」というものは,みな不識の楽器のようになっていっただろうと,庵主は想像しているのです。

  さて,前置きがちょっと長くなっちゃいましたが,各部の所見へと参りましょう。




■ 蓮頭 84x58x11(最大厚)

  損傷ナシ。材はおそらくはカリン,スオウで染めたものとおぼしい。
  初期の不識の楽器の蓮頭には,真ん中に蓮の花芯と思われる丸い部分がありますが,この頃のものにはそれがありません。
  中央部の下のほうが剣のようになったこの意匠は,田島真斎の楽器のものとほぼ同型です。

  (下画像は左から 不識初期/田島真斎/清琴斎山田)
 
  清琴斎(山田縫三郎)の量産月琴にも同じような蓮頭が付いているものがあります。
  各部フォルムの類似から,清琴斎の作風にも田島真斎の楽器の影響が考えられますが,そちらの関係も今ひとつ不明。(山田縫三郎の師匠は頼母木源七だということは分かっている)



■ 糸倉 左右厚:9,弦池:112x13

  間木はなく,弦池は彫りぬき。
  本楽器の棹は,糸倉先端から茎まで一木で作られている,材質はおそらくサクラ。1号(製造番号11)と同じだが,こちらのほうがやや質が良い。
  向かって右側の内側,第2軸の孔の少し上に,小さいがかなり深いエグレが見える。おそらく節穴等材質由来のもの。現状では使用上の支障はない。ほかかなりの使用痕はあるが,ヒビ割れなど目立った損傷はない。


■ 棹本体

  棹背基部を中心に,汚れはそこそこに付着,使用痕・打痕も少しく見受けられるが,目立った損傷はない。

  指板は黒檀製で厚さ約2ミリ。山口や各フレットの接着痕付近に,深くはないがかなりくっきりとケガキによる目安線がついている。


  ほかの楽器と比べると棹がかなり長めで,棹背にほとんどアールがついておらず,ほぼまっすぐ。断面は下部を丸くした船底型,うなじはやや短めで,ふくら(山口(トップナット)の乗っているところ)の下のくびれは深い----これは一木造りであることや糸倉が彫りぬきであることと同様,初期から続く不識の楽器の特色である。

■ 棹茎 長133,幅:24(最大)-19(最小),厚:12(最大)-10(最小)

  表側中央あたりに「五十」の墨書。加工は比較的丁寧。


■ 軸 長:115,太:30(最大)

  六角一本溝,溝は軸尻でやや深く,細身で姿は良い。27号の軸と寸法・加工ともに,ほぼ完全に一致する。
  使用により先が痩せているため,きちんとはめると,ほとんどの軸先が糸倉から1センチ近く飛び出してしまう。このため,すべての軸で糸孔が軸孔に隠れ,現状では用をなさない。
  また原作の段階で,軸と糸倉の噛合せの調整が足りないため,ほとんどの軸が軸先で止まっているだけの片持ち状態になっており,このままだと調弦に難がある(8号生葉でも同じでした)。

  ここは軸先を多少詰めても,徹底的な調整が必要なようですねえ。


■ 山口・フレット

  山口は欠損。接着痕から類推して1センチほどの厚さであったもよう。
  フレットはかなり低め。最終第8フレットで高さ5ミリほど。
  おそらく象牙製だと思われる。鹿角あるいは骨の類かもしれないが少なくとも練り物ではない。
  第1フレットのみ欠損,山口ともにニカワによるオリジナルの接着痕のみが指板上に残っている。
  山口の接着痕から類推されるその下端を起点としたとき,各フレット下端までの距離は以下のとおり----

山口
50(推)87110146175214240270

  棹が長いため第4フレットが棹上にあること,第6フレットが長大で7センチ近くもあること,これらもまた不識の楽器の特色である。 また,第2・3フレット間がかなりせまくなっていることなどから,本楽器の音階は,当時の月琴としてはかなり西洋音階に近いものであったと推測される。


■ 胴体  (画像クリックで拡大)


  真円ではなく,わずかに横にふくれ,やや角ばっている。
  (オーナーによれば,購入時,表面板には虫の糞のようなものが大量についていて,もっとバッチかったそうです。)
  現状,全体に汚れてはいるが,特に深刻な損傷は見られない。


 側板: 4枚凸凹継ぎ。材はおそらく棹と同じくサクラ。多少の打ち傷,ほか地の側板を中心に水濡れによるものとおぼしい色落ちや色ムラが見られるが,各接合部ともに健全で,歪みやヒビ割れ等の故障は見られない。

 表面板:

 1)中央,棹との接合部右端のあたりから第8フレット付近までヒビ。
 2)左端小板の矧ぎ目に沿って上端からヒビほぼ貫通。
 3)4)下縁部中央,半月の下にヒビ左右1本づつ。


 このうち胴左端のヒビ割れには虫食い孔も見えることから,小板の矧ぎ目に沿った食害の結果と考えられる。ほか 5)右端下のほうに3センチほどの間を空けて2つ,やや大き目の虫食い孔。食害の程度は不明。

 6)中央,棹との接合部右端あたりから,側板右上接合部付近まで小剥離。
 7)側板左上接合部付近から左の側板の1/3程度まで同様小剥離。
 8)側板左下接合部から地の側板のほぼ2/3まで剥離。 このうち楽器中央下縁部,半月の下あたりはほぼ完全に剥離し,板が少しメクレている。

 棹との接合部付近と,中央飾りの左あたりに小ヌレ痕。 中央飾りから撥皮の上端にかけて,やや色が濃くなっている,ヌレ痕か染めムラかは不明。
 また同箇所右側で木目に沿ってやや深くエグレ,板面が凸凹になっている。凹凸は滑らかなので桐箪笥などで行われる「キメだし(板表面をうづくりで磨いて木目を際立たせる)加工を施したとも思えるが,きわめて部分的で範囲もせまく,面板表面のほかの部分は平坦なことから,やや不自然に感じる。
  撥皮の左右に撥痕多少。位置や深さなどから考え,いづれも通常の清楽月琴の撥によるものと思われる。

 目摂・飾り: 左右目摂と中央飾りのみ現存。購入時は扇飾りもついていたが紛失,とのこと。このほかに,柱間飾りなどのついていた痕跡はない。


 左右目摂 は菊,ほぼ横向きになった典型的な意匠。材質はおそらくツゲ。材質は異なるが8号生葉についていたものとほぼ同型。彫りはきわめて精緻であるが,初期のものと比べると刀の入り方がやや異なる気がする(27号修理記参照)。

 中央飾り は蓮華円に獣頭唐草(おそらくは原型は紋様化された鳳凰であろうと思われる),破損していたがほぼ同じものが8号生葉にもついていた。材質は黒檀。

 ネオク出品時の画像から,扇飾り は典型的な万帯唐草,材は黒檀であったと考えられる。不識の扇飾りは,第6フレットに合わせてかなり横長なのが特徴。
 以上のうち,右目摂にはやや反りがあり,全体の右側半分ほどが剥離している。左目摂の反りはそれほどひどくないが中央右側など2~3箇所に部分的な小剥離が見られる。上に書いたとおり扇飾りは紛失のため,現状日接着痕と焼け痕のみ残る。


 撥皮:ヘビ皮(100x75)乾燥して反り返りほぼ剥離している。全体に傷みがヒドく,右下端破損して一部欠落。

 半月:102x43xh.10,おそらく黒檀製で糸孔のところに象牙を埋め込んである。損傷,というようなものはないが,上端右の面板との接着部にやや大きなスキマが見える。ほか接合部に紙を当てて調べてみたところ,下縁部左右も少し浮いているようだ。加工不良か接着不良,あるいは部材の反りなどによるものか,現状では不明。

 この,半月の下部周縁の,ノミで削ぎ落としたような角ばった加工は,不識の楽器の特徴の一つであるが,同様の加工は真斎の楽器にも見られ,また清琴斎山田もたまにやっている。不識の場合は一角が大きく(8面ほどしかない),角度がやや浅いが,真斎や清琴斎のものは削ぎ落し面がもっと細かく(10面以上),面がもう少し立っていることが多い。

 裏面板: 健全。とくに書くほどの損傷はない。汚れもごく軽微で,周縁にも側板からのウキや剥離はまったく見られない。 中央上端に内国勧業博覧会の賞牌丸ラベル(φ28),その下に四角いラベル痕(35x55くらい)および小断片(ともに前回紹介済み)。

  いづれもたいした故障ではありませんが,不具合は表面板に集中してますねえ。
  修理は表面板の各部と,軸の調整がメインになるかと。
  とはいえ,いつも予想外のことが起きるのが古楽器の修理。
  さてさて,どうなることやら----

  次回は内部看見をさッと,続いて修理作業の報告です。

(つづく)


KS月琴(1)

KS_01.txt
斗酒庵 菊の香に惑う の巻2013.10~ KS月琴 (1)

STEP1 月琴師ふたり

KS月琴到着!
  さて,32号/33号は,入手した時点でもう嫁入り先がほぼ決まっておりましたので,ゆく先のことは安心して,次の楽器にとりかかれますのです,ハイ。
  ひさびさの依頼修理楽器----はれほれ一覧をながめみますと「清音斎」の月琴以来。
  ちょこっとフレットを足しただの,山口付け直しただのというレベルのものを除いて,他人さまの楽器をあずかって本格修理ってのは2年ぶりくらいとなりますね。

  ほれ,この有様じゃあ,とても商売になんぞできますまいが?(w)

  さらにこの楽器,ネオクに出たのを,知り合いに教えて落としてもらったもの。購入に加担してるって意味じゃ,まあなんぼか自出し月琴にも近い感じです。

  この楽器を,他人様に落としてもらってまで見てみたかった理由は,その作者を知りたかったからです。
  この楽器の作者が 「田島勝(真斎)」 なのか 「石田義雄(不識)」 なのか----じつはその結果次第で,庵主のもってる膨大な楽器の画像の分類を,かなり大幅にやり直さなきゃならなくなるかもしれないのです。数が多いですからね,けっこう大事件なんですよ。

  今回は修理よりも何よりも,この考証からいきたいと思います。


  この二人の楽器の作風はとてもよく似通っています。
  庵主は,たまたま触れた最初の月琴が石田不識のだったせいもあって,当初「田島真斎」というのは石田不識の弟子か何かじゃないかと思いこみ,またそう書いちゃったりしたこともあったんですが。
  後に「明治大正楽器店一覧」を組む過程で詳しく調べてみたら,実際には「田島真斎」のほうが「石田不識」より前の人らしいことが判明しちゃいました。
  つまり当初の推測とは逆に,石田不識のほうが田島真斎の弟子,もしくは追従者であった可能性のほうが高いんですね。

  そのへんの事実は今のところはっきりしていないのですが,すでに書いたように,この二人の楽器は全体のフォルムや各部の意匠などがとてもよく似ているので,ラベルがついてなかったりすると,見分けるのがかなり難しい。よって,庵主の月琴画像DBの中にも,ほんとは「石田不識」の楽器なのに「田島真斎」にされちゃってたり,その逆になっているような例が,かなりの数あるんじゃないかな。


  いまはよそにお嫁に行っちゃいましたが,かつてウチにあった「8号生葉」について,当初庵主は,その工作や外見上の共通点からこれを「石田不識」の楽器である,としていたのですが。後に「田島真斎」の楽器の資料が増えてからは,悩むようになってきました。

  「石田不識」と「田島真斎」の楽器の共通点は,まずこんなところがあります----

  1)棹は長い。糸倉も長く,棹背はほぼ真っ直ぐ。
  2)胴はやや大ぶりだが厚みはない。完全な円形ではなく,やや四角張る。
  3)半月の下縁部が,鑿で削ぎ落としたかのように角張った加工。

  逆に違うところは----

  1)真斎の楽器では唐木が多用される。
  2)真斎のほうが工作が緻密で繊細。
  2)不識の糸巻きのほうがやや細身で長い。
  3)山口下のくびれは不識のほうがやや深い。


  といったところでしょうか。材料的にも装飾的にも,真斎の楽器のほうがかなり凝ったものが多いですね。ただ,そういう木工・細工のうえでの腕前では上なんですが,弾きくらべてみた感じ,実際の「楽器として」の音では不識のほうがやや優っている気がします。
  現在,庵主の手元にある1号と27号は,いづれもラベルはないものの,その構造や独特な各部の意匠などから,ほぼ石田不識の初期(南神保町時代)の作で間違いないと思われます。前にも書きましたが1号は茎に「十一」,27号には「二十七」の墨書があります。この頃の彼の楽器には,棹が極端に長かったり,菊の花がこッち(正面)を向いているなど,同時代の他の作家にはあまり見られない,少し奇抜なところがあります。


  石田楽器店は,明治20年代後半に神田錦町へ移転するのですが,その時期の楽器になると,器体がやや大ぶりなことを除けば,奇抜さは影をひそめ,目摂や蓮頭の紋様にも,ほかの作家と同じような,一般的な意匠が使われるようになります。もしかすると装飾の類を外注するようになったのかもしれません。また,このころになると初期の例とくらべて,胴体の厚みがやや増していたり,高価な唐木が多用されるようになっているため,より田島真斎の楽器との区別がつけにくくなってくるんですね。8号生葉なんて,棹も胴も唐木の豪華月琴でしたから,不識の高級品なのか真斎の楽器なのか----こいつもラベルは残っていなかっただけに,決め手にはかなり欠けちゃうわけですね。

  さてそこで。

  今回の楽器は,その工作----とくに目摂などの意匠やその彫りなどから,8号生葉と「同じ作者」の楽器であることは間違いありません。しかれば,この楽器が「石田不識」作の楽器なら8号もまた不識作,「田島真斎」の楽器なら以下同ということになるわけですね。

KS月琴ラベル(?)
  まず何より確かめたかったのが,コレ。

  ----見えますかあ?
  丸いラベルの下にちょこっとある,ラベル…と言いますか,なんと言いますか…まあ「断片(カス)」,ですね。
  さなだきに小さな「断片」ではありますが,庵主は以前にも,こういうラベル断片から,作者を特定してみせたジッセキがございます,エヘン。(26号菊芳の記事参照)

  田島真斎の楽器のラベルは,確認される限り一種類しかないようですが,石田不識の楽器には住所が「南神保町」になっているものと「神田錦町」になっているものの二種類があります。

  まずはこの資料画像を,おんなじぐらいに引き伸ばし,見比べてみましょう。(クリックで拡大)


  今回の断片と,真斎のラベルの間には,共通点がありませんね。もしこれが真斎のラベルだったら,ここには「真斎製(右から左)」の「斎」の上の部分,◇(菱型)になってるあたりがあるはずですが……違うでしょ?
  つぎに不識の南神保町時代,こちらはもうデザインからして共通点があろうはずもない。なんせ文字がないですから(ww 上掲画像参照 )。で,右画像(不識-神田錦町時代)----まあ,どっちも断片なんで,見ても分からないかもしれませんが----これ「不識」の「識」の真ん中「音」の上のとこと,「戈」の三画目,払いの部分です。(下画像参照)


  ちなみに庵主,篆刻もやるヒトですので,こういうハンコとかに使われる字体が,ある程度読めますからね,テキトウ言ってないスよ。

  さてそうしますと,この楽器は「石田不識(義雄)」作,錦町時代の楽器ということになりますな。

  この四角いラベルの上にある丸い菊形のラベルは,勧業博覧会での受賞を示すもの。
  「明治大正楽器商リスト」による考察から,石田義雄が勧業博覧会で受賞したのは明治28年の第4回がはじめて,この時点では彼のお店はまだ南神保町。明治36年の第5回勧業博覧会で受賞した時には神田錦町になっています。
  そこから考えると,この楽器の製作時期はまずもって明治28年以降ということになります。

KS月琴到着!
  すでに書いたように,1号の茎には「十一」,27号には「二十七」の墨書がありますが,最初にあげた画像にも写っているとおり,この楽器には「五十」の数字が見られます。残念ながら8号の茎にはそれらしい墨書が確認できなかったんですが,こちらの楽器のほうが工作や材料が1号や27号に近いので,8号よりは前の作であろうかと思われます。

  これらから,今回の楽器の製作時期は明治30年代の初頭,店が移転して間もなくのあたりではないかと---さてどうでしょう。


  次回は計測を。
  今回は庵主の推測の検証も兼ねて,27号の記事などと比較されると面白いかもしれません。

(つづく)


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