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KS月琴(1)

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斗酒庵 菊の香に惑う の巻2013.10~ KS月琴 (1)

STEP1 月琴師ふたり

KS月琴到着!
  さて,32号/33号は,入手した時点でもう嫁入り先がほぼ決まっておりましたので,ゆく先のことは安心して,次の楽器にとりかかれますのです,ハイ。
  ひさびさの依頼修理楽器----はれほれ一覧をながめみますと「清音斎」の月琴以来。
  ちょこっとフレットを足しただの,山口付け直しただのというレベルのものを除いて,他人さまの楽器をあずかって本格修理ってのは2年ぶりくらいとなりますね。

  ほれ,この有様じゃあ,とても商売になんぞできますまいが?(w)

  さらにこの楽器,ネオクに出たのを,知り合いに教えて落としてもらったもの。購入に加担してるって意味じゃ,まあなんぼか自出し月琴にも近い感じです。

  この楽器を,他人様に落としてもらってまで見てみたかった理由は,その作者を知りたかったからです。
  この楽器の作者が 「田島勝(真斎)」 なのか 「石田義雄(不識)」 なのか----じつはその結果次第で,庵主のもってる膨大な楽器の画像の分類を,かなり大幅にやり直さなきゃならなくなるかもしれないのです。数が多いですからね,けっこう大事件なんですよ。

  今回は修理よりも何よりも,この考証からいきたいと思います。


  この二人の楽器の作風はとてもよく似通っています。
  庵主は,たまたま触れた最初の月琴が石田不識のだったせいもあって,当初「田島真斎」というのは石田不識の弟子か何かじゃないかと思いこみ,またそう書いちゃったりしたこともあったんですが。
  後に「明治大正楽器店一覧」を組む過程で詳しく調べてみたら,実際には「田島真斎」のほうが「石田不識」より前の人らしいことが判明しちゃいました。
  つまり当初の推測とは逆に,石田不識のほうが田島真斎の弟子,もしくは追従者であった可能性のほうが高いんですね。

  そのへんの事実は今のところはっきりしていないのですが,すでに書いたように,この二人の楽器は全体のフォルムや各部の意匠などがとてもよく似ているので,ラベルがついてなかったりすると,見分けるのがかなり難しい。よって,庵主の月琴画像DBの中にも,ほんとは「石田不識」の楽器なのに「田島真斎」にされちゃってたり,その逆になっているような例が,かなりの数あるんじゃないかな。


  いまはよそにお嫁に行っちゃいましたが,かつてウチにあった「8号生葉」について,当初庵主は,その工作や外見上の共通点からこれを「石田不識」の楽器である,としていたのですが。後に「田島真斎」の楽器の資料が増えてからは,悩むようになってきました。

  「石田不識」と「田島真斎」の楽器の共通点は,まずこんなところがあります----

  1)棹は長い。糸倉も長く,棹背はほぼ真っ直ぐ。
  2)胴はやや大ぶりだが厚みはない。完全な円形ではなく,やや四角張る。
  3)半月の下縁部が,鑿で削ぎ落としたかのように角張った加工。

  逆に違うところは----

  1)真斎の楽器では唐木が多用される。
  2)真斎のほうが工作が緻密で繊細。
  2)不識の糸巻きのほうがやや細身で長い。
  3)山口下のくびれは不識のほうがやや深い。


  といったところでしょうか。材料的にも装飾的にも,真斎の楽器のほうがかなり凝ったものが多いですね。ただ,そういう木工・細工のうえでの腕前では上なんですが,弾きくらべてみた感じ,実際の「楽器として」の音では不識のほうがやや優っている気がします。
  現在,庵主の手元にある1号と27号は,いづれもラベルはないものの,その構造や独特な各部の意匠などから,ほぼ石田不識の初期(南神保町時代)の作で間違いないと思われます。前にも書きましたが1号は茎に「十一」,27号には「二十七」の墨書があります。この頃の彼の楽器には,棹が極端に長かったり,菊の花がこッち(正面)を向いているなど,同時代の他の作家にはあまり見られない,少し奇抜なところがあります。


  石田楽器店は,明治20年代後半に神田錦町へ移転するのですが,その時期の楽器になると,器体がやや大ぶりなことを除けば,奇抜さは影をひそめ,目摂や蓮頭の紋様にも,ほかの作家と同じような,一般的な意匠が使われるようになります。もしかすると装飾の類を外注するようになったのかもしれません。また,このころになると初期の例とくらべて,胴体の厚みがやや増していたり,高価な唐木が多用されるようになっているため,より田島真斎の楽器との区別がつけにくくなってくるんですね。8号生葉なんて,棹も胴も唐木の豪華月琴でしたから,不識の高級品なのか真斎の楽器なのか----こいつもラベルは残っていなかっただけに,決め手にはかなり欠けちゃうわけですね。

  さてそこで。

  今回の楽器は,その工作----とくに目摂などの意匠やその彫りなどから,8号生葉と「同じ作者」の楽器であることは間違いありません。しかれば,この楽器が「石田不識」作の楽器なら8号もまた不識作,「田島真斎」の楽器なら以下同ということになるわけですね。

KS月琴ラベル(?)
  まず何より確かめたかったのが,コレ。

  ----見えますかあ?
  丸いラベルの下にちょこっとある,ラベル…と言いますか,なんと言いますか…まあ「断片(カス)」,ですね。
  さなだきに小さな「断片」ではありますが,庵主は以前にも,こういうラベル断片から,作者を特定してみせたジッセキがございます,エヘン。(26号菊芳の記事参照)

  田島真斎の楽器のラベルは,確認される限り一種類しかないようですが,石田不識の楽器には住所が「南神保町」になっているものと「神田錦町」になっているものの二種類があります。

  まずはこの資料画像を,おんなじぐらいに引き伸ばし,見比べてみましょう。(クリックで拡大)


  今回の断片と,真斎のラベルの間には,共通点がありませんね。もしこれが真斎のラベルだったら,ここには「真斎製(右から左)」の「斎」の上の部分,◇(菱型)になってるあたりがあるはずですが……違うでしょ?
  つぎに不識の南神保町時代,こちらはもうデザインからして共通点があろうはずもない。なんせ文字がないですから(ww 上掲画像参照 )。で,右画像(不識-神田錦町時代)----まあ,どっちも断片なんで,見ても分からないかもしれませんが----これ「不識」の「識」の真ん中「音」の上のとこと,「戈」の三画目,払いの部分です。(下画像参照)


  ちなみに庵主,篆刻もやるヒトですので,こういうハンコとかに使われる字体が,ある程度読めますからね,テキトウ言ってないスよ。

  さてそうしますと,この楽器は「石田不識(義雄)」作,錦町時代の楽器ということになりますな。

  この四角いラベルの上にある丸い菊形のラベルは,勧業博覧会での受賞を示すもの。
  「明治大正楽器商リスト」による考察から,石田義雄が勧業博覧会で受賞したのは明治28年の第4回がはじめて,この時点では彼のお店はまだ南神保町。明治36年の第5回勧業博覧会で受賞した時には神田錦町になっています。
  そこから考えると,この楽器の製作時期はまずもって明治28年以降ということになります。

KS月琴到着!
  すでに書いたように,1号の茎には「十一」,27号には「二十七」の墨書がありますが,最初にあげた画像にも写っているとおり,この楽器には「五十」の数字が見られます。残念ながら8号の茎にはそれらしい墨書が確認できなかったんですが,こちらの楽器のほうが工作や材料が1号や27号に近いので,8号よりは前の作であろうかと思われます。

  これらから,今回の楽器の製作時期は明治30年代の初頭,店が移転して間もなくのあたりではないかと---さてどうでしょう。


  次回は計測を。
  今回は庵主の推測の検証も兼ねて,27号の記事などと比較されると面白いかもしれません。

(つづく)


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