« 明笛の吹き方(2) | トップページ | 月琴34号太華斎(1) »

明笛について(12)

MIN_12.txt
斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(12)

STEP3(つづき) 明笛31号

  もうもう,この数になると呆れてしまいますね。
  今年も後半に入ってから,なぜか明笛の落札ラッシュが続いております。
  (何かタタリのようなものかもしれません ヒィー(((゚Д゚)))ヒィー!)

  その先頭を切って工房にやってきたのが,この笛。
  (画像はぜんぶクリックで別窓拡大します)


 口 ●●●●●● 合/六 4Bb+10
 口 ●●●●●○ 四/五 5C-30
 口 ●●●●○○  5C#+14
 口 ●●●○●○  5Eb-20
 口 ●●○○●○  5F-20
 口 ●○○○●○  5G-10
 口 ○●●○●○  5G#-5A
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)

  全長なんと646ミリ。
  中継ぎ式の現代中国笛子ではともかく,日本の明笛としてはかなり長大な一本です。

  このサイズになるとさすがに,コミケとかワンフェス,持ち込み禁止だな~(w)


  ホント,長いんですよね~。(汗)

  上画像,31号の下2本は全閉鎖BもしくはBbの,比較的古いタイプの清楽用明笛。次の1本は明治末から大正期にかけて作られた,典型的なデザインと寸法の明笛,全閉鎖はC。いちばん下の短いのは,同じころによく作られた,携帯用の短い明笛です。


  中国笛子と同じに管頭と歌口の間が長いですよね。韓国のテグムなんかだと,この部分を肩口に乗せるようにして吹いたりもします。清楽の古い譜本の「楽器図」なんかでは,「明笛(もしくは清笛)」として,この手のデザインのやたらと長そうな笛がよく描かれますが,日本において作られた明笛はこのあたりが比較的短いもののほうが圧倒的に多くて,古物のこうしたタイプの笛にお目にかかれることは,実際には滅多にありません。

  音階はほぼ正確に,文献どおりの「清楽音階」ですね。
  「凡」 の音(5A)は 口 ○●○○●○ の運指のときのほうが安定して出ました。
  上の基本運指表とは違いますが,『月琴胡琴明笛独稽古』(M.34)や『明笛流行俗曲』などでは,こちらのほうが 「凡」 の運指になってますから,まあこれでも辻褄は合うわけで。
  呂音での最高音は 口 ○●●●●● で5Bb。甲音だとさて…庵主では6Eb+15が限界でしたね。


  管頭の飾りから歌口にかけてと,管尻がわの左右中央に刻字が施されています。
  正直よく読めないんですが…

管頭がわ       管尻がわ
   江天一巻喜層云愁知東水
   玉月順江土沙人和見月年
   子和无人  乾隆乙卯
   年々三月有三日
         子才
   人有看着花白

  てとこかなあ…このほか管尻のほうの刻字「人有看着花白」の「着」の横に,竹カンムリに「丨」みたいな字があるんですが,ここだけ墨が入っていません。これは「タケなんとか」というような笛師の署名かあるいは誤刻だと思いますね。いちおうこの文を読みやすく切ると----

   江天一圏 (こうてんいっけん) 層雲を喜ぶ/愁いて知る東水玉月 江に順がうを/
     土沙人和して月を見る/年は子(ね) 和するに人なし/乾隆乙卯

   年々三月有三日 (ねんねんさんがつゆうみっか)
   人に花の白きを看着 (二文字で「み」) るあり/
    子の才 (ネズミ年)

  とか。 かなり強引な解読(?)であります。(汗)
  年号とか数字以外は,たぶんぜってー間違ってるからね。 誰か読める人タスケテ!!(w)


  「乾隆乙卯」は「乾隆45年」,日本だと「安永9年」で,干支は「庚子」。 文中「年子」「子才」とあるのはその「かのえネズミ年」のことですね。

  西暦だとなんと1780年!

  ではありますが…(^_^;)
  ----庵主,以前にも書いたとおり,骨董屋の小僧やってたことがある関係から,こういういかにもな 歴史浪漫満載のブツ が出てくると,逆にかなり冷めた眼になっちゃいます。(w)

  この笛,明楽などで使われる古い古い笛の形を模してはおりますが,各部の状態などからはそれほど古いものという感じがいたしません。 新素材の使用など明確な証拠はないので,あくまで古物屋門前の小僧としてのカンみたいなものですが……18世紀どころか,おそらくは明治以降に,古い笛をお手本に,日本で作られたものではないか,と考えます。


  第一に,なんとなく唐物のふりをさせてはいますが,刻字はかなり雑。中国の年号を使っておきながら,日本の干支を併記するなんてのも,なんとなくチグハグです。 まあここまでの長大な一節になると,日本ではあまり手に入らないでしょうから,竹材自体は中国のものかもしれませんね。
  歌口の底のところに孔を開けたときの錐の痕が見えます。その痕跡から三ツ目錐だと思いますが,このへんも古いものにしてはちょっと工作が雑ですね。 庵主が「南京笛」と呼んでいる,中国笛子をそのまま真似た,総巻タイプの笛ではこのサイズのものも珍しくはありませんが,そちらのタイプだと,日本で作られたものでも管内に塗りを施さないのがふつう(現代中国笛子も管内は塗っていません)。対してこの笛の管内は,かなり丁寧に塗られてますね。これは日本笛師の技巧です。

  ではなぜ「1780年」なのか?

  ウソにしても,なんでこの年にしたのか?
  人間というものは,意外と根拠のないことが出来ないものです。
  ウソをつくにしても,そこには必ず,なんらかの理由や根拠,きっかけがあります。
  そこでこの年を徹底的に調べてみたんですが----まず,中国において。音楽関係で何か際立ったことが----特に,ありませんね。(汗)
  じゃ日本だ----なんせ中国の年号で「乙卯(ウサギどし)」と書いてるくせに,「子才(ネズミどし)」とわざわざ二箇所も彫ってあるくらいです。

  刻字者は日本人に違いない。


  うむ,大したモノは----ありました。

  この年,『魏氏楽器図』 という本が出版されています。「清」楽じゃなく「明楽」の本ですが。

  この笛,上にも書いてあるように,音階はまた別として,その外見や寸法は「清楽の明笛」(ややこしいなあ)より,「明楽の明笛」に合わせてあります。
  もしこれが 『魏氏楽器図』 を見ながら作った,とかいう笛だとするなら……年号を本の出版年からとっちゃった,なんてこともじゅうぶん考えられますでしょ?
  ----ふだん修理で贋作者まがいのことしてますと,こんなプロファイルもしちゃうようになっちゃうんですねえ。

  あーやだやだ,純粋だったあのころに……(泣)


  庵主がふだん吹いてる携帯用明笛の4号なんかからすると,全長は2倍の長さ。
  管頭の部分も一般的な明笛よりずっと長いので,持ったときのバランスなんかも違いますが,管尻にお飾りを紐でぶら下げたところ,ちょうどよく釣り合いがとれるようになりました----ナルホド,このお飾りって文献とか資料写真ではよく見るけど,ちゃんと意味あったんだ。

  上にも書いたように管内部の塗りはかなり丁寧ですが,いちばん大事な歌口あたりの塗りに,塗りアラの凸凹がそのままになってたりするところからしても,ほとんど吹かれた形跡がありません
  でもまあ,そのへんを軽く削って均したり磨いたり---原作の故工人に代わって仕上げの微調整をしてやったようなもんです(少怒)---したらかなり音の出しやすい笛になりました。 そのほかの修理は----


  管頭と管尻の飾りに,ネズちゅーの齧り痕が少々ありました。
  管尻のほうは墨汁か何かを塗ってごまかしてありますね。


  修理は胡粉をよく擦って,エポキで練ったものをパテにして盛り,整形した後アクリル塗料で部分的な補彩を施しました。


  まあ音には関係ない部分だし,もとより服にひっかからないとか,まあ目立たないといった程度の補修です。

  この色のついている部分----ネオクの写真で見たときには,鼈甲か何かを巻いているのかと思ってたんですが(そういう例があった),コレほんと,ただ塗ってあるだけなんですね。ウルシ的な塗料だとは思いますが----緑色してますねえ,何でしょう?

  たぶんまがい物ではありますが,なんせ長くてカッコはいいし。(^_^;)
  音階はかなり正確に清楽音階のようなので,このところWSなんかでもよく使っています。
  いずれこの笛を参考に自作明笛を…とかも考えてますよぉ。

(つづく)

« 明笛の吹き方(2) | トップページ | 月琴34号太華斎(1) »