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明笛について(13)

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斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(13)

STEP3(つづき) 明笛32~35号

  去年後半,とつぜんにおとづれた庵主の「明笛モテ期」。
  数ヶ月の間に7本もの明笛が,庵主のもとへ次から次へと届けられました。

  いやあ,ほんとになんだったのでしょうねえ。(汗)
  これで庵主の明笛吹奏のワザが一気に上達!----とかなったんだったら,そりゃもう "神様に愛されてるぅ" の世界なんですが。(w) 腕前のほうはまあ相変わらず。 あ,でも最近,「九連環」はけっこう上手く吹けるようになりましたよ。

  31号でいきなりの古形長物がやってまいりましたが,32号から先はいつもの,明治後半以降の普及版明笛です。
  筒音Cの管が多かったんですが,清楽音階で筒音Bのも1本……いちばん音の低い笛が,いちばん短かったってあたり,相変わらずピタゴラスさんに喧嘩売ってますよね。


明笛32号


 口 ●●●●●● 合/六 5C+10
 口 ●●●●●○ 四/五 5D+30
 口 ●●●●○○  5E
 口 ●●●○●○  5F-5F#-45
 口 ●●○○●○  5G-5G#-45
 口 ●○○○●○  5A+30
 口 ○●●○●○  5B+25
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)


  やや太めの管体。修理直後は高音がやや安定せず,吹き出すのに多少苦労しました。

  歌口の微調整でやや改善。管内は塗り直したし,竹の部分が油切れでカサカサでしたので,割れ防止に亜麻仁油も滲ませました。あと1~2ヶ月もするとあちこち固まって,もう少し吹きやすい楽器になると思いますね。


  呂音での最高音は 口 ○●●●●● で6C-6C#-45。筒音の倍音(6C)は 口 ○○●○○○ のほうが安定しました。測定した実際よりも,少し落ち着いた低めの感じに聞こえます。


  管尻がわの飾り紐を通す孔の下あたりにヒビ割れの補修痕。背管頭の飾りに鼠害少々。
  管頭の凸凹は,31号同様にエポキ&胡粉のパテで補修。さらに到着当初は管内がまあ,恐怖の灰色状態で(汗)。塗装もかなり劣化しており,露切りを通すと,粉のようになってこぼれてくるくらいでしたので,残っている塗料をあるていどこそいで,カシューで塗りなおしました。


明笛33号


 口 ●●●●●● 合/六 5C#-30
 口 ●●●●●○ 四/五 5E+13
 口 ●●●●○○  5F+15
 口 ●●●○●○  5G-35
 口 ●●○○●○  5A-40
 口 ●○○○●○  5B-10
 口 ○●●○●○  6C#-30
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)


  こんどは細身の笛。管端の飾りに一部損傷のあったほかは,保存状態も良く,外面はかなりキレイな状態でした。
  寸法的にも前に修理した KOKKO社製の「春雨」(20号)によく似てますが,指孔が清楽式に近く,小さくてナツメ型なことと,飾りのデザインがわずかに違っています。

  全閉鎖がC#,呂音での最高音は 口 ○○●●●● で6D-35。
  かなり高音ですねえ。
  尺以上の高音はよく安定し,かなりキレイに出るんですが,呂音の合四上あたりは気ィぬいてると甲音になっちゃう----逆にぜんぶ甲音で吹いちゃったほうがラクかもしれませんねえ。

  明治末から大正期の量産明笛だと思いますが,歌口や指孔も棗核型で小さめで,篠笛やドレミ笛の影響はまださほど強く出ていない時期の製品のようです。


  こういう細い笛は,吹きにくいには吹きにくいんですが,うまく吹けると,かなりキレイな音で響きますね。
  管端の飾りを補修したほか,管内の塗りに安い笛によくある顔料系の塗料が使われていたため,塗りがはがれないように軽く保護塗りを施しました。
  修理清掃後,油が乾くまではかなり吹きにくい状態でしたが,一ヶ月ほどして少しづつ吹きやすくなってきています。


明笛34号


 口 ●●●●●● 合/六 4B+48-5C-42
 口 ●●●●●○ 四/五 5D-38
 口 ●●●●○○  5Eb+40
 口 ●●●○●○  5F+25
 口 ●●○○●○  5G+25
 口 ●○○○●○  5Bb-30
 口 ○●●○●○  6C-40
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)

  管頭の飾りの先端部分がなくなっていましたが,それで 475mm あるというのは,この類の明笛としては長いほうです。おそらく材料は女竹で,長いこともあって尾部のほうがかなりすぼまって見えますね。
  歌口,指孔ともにやや丸みをおびていることから,おそらく大正期になってから作られたものと思われます。明笛の歌口・指孔はもともとはかなり細めの楕円形かナツメ型で,指孔が丸くなっているのは,篠笛の影響です。



  呂音では全閉鎖がやや中途半端で安定しませんが,甲音だとCの低いところで安定するので,筒音はC-40程度と思われます。
  呂音での最高音は 口 ○○●●●● で6C#-45,甲音では 口 ●●○●●● でG#ほどまでは出すことが出来ました。
  1-2孔,2-3孔間に割レ,響孔の縁に小ヒビ。いづれもカシューを充填してふさぎ,あと管頭の飾りをいつものブナ材パイプで作ったほか,かなり内部の汚れがひどく,塗膜も劣化していたので,カシューで保護塗りを施しました。


  管頭の飾りや,全体のフォルムはときどき見かける「胡山」銘の笛に良く似ていますが,「胡山」の焼印とかは見つかりませんね。
  べつだんどこといって悪いところはないんですが,少し吹きにくい笛ですね。
  まだ多少調整が必要なようです。


明笛35号


 口 ●●●●●● 合/六 4Bb+37-4B-35
 口 ●●●●●○ 四/五 5C#-20
 口 ●●●●○○  5D+36
 口 ●●●○●○  5E
 口 ●●○○●○  5F#
 口 ●○○○●○  5G#+10
 口 ○●●○●○  5Bb-17
 (口は歌口,●閉鎖,○開放)


  薄い色の斑の入った,携帯用の明笛。
  33号なんかモロですが,こうした明笛の斑竹は,ほとんどは普通の竹に薄めた硫酸ふりまいて,焦がして作った人工斑竹なんですが,もしかするとこれは本当に斑竹使ってるのかもしれません。


  前笛と同じく計測上は全閉鎖が中途半端なところで安定しませんが,おそらく筒音はBb
  呂音での最高は 口 ○○●●●● で出した5B+25。

  頭尾のお飾りの形状は4号とほとんど同じなんですが,4号にはない裏の紐孔のぶんだけ,こちらのほうが少しだけ長い。
  短い笛ですが音階はほぼ正確な清楽音階。歌口も指孔もナツメ型の正調明笛仕様で,穴も小さめですが,非常に吹きやすい笛でした。


  1-2孔,2-3孔の間にヒビ割れがあり,内外かなり汚れてはいましたが,管内の塗りの状態はよく,ほぼ割れをふさいだだけで演奏可能な状態になりました。


(つづく)

月琴34号太華斎(4)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(4)

STEP4 わたしゃどうでも首がほしい

  さて「首なし月琴」34号太華斎,調査も終わりましたので,修理へと入りましょう。


  今回の場合,はじめからオリジナルがないので,本当にどんなクビだったかは分かりませんが,この時代の量産唐物月琴のクビ,というのはメーカーに関わらず,形状的にも寸法的にも,さほどの違いがございません,ハイ。

  このへんは同時代の国産月琴のほうが,ヴァリエーション豊かですな----なにせ,棹見れば誰の作品だか分かるくらいに,それぞれ個性的ですもの。


  そこでカタチはまあ,いままで修理した唐物月琴の資料から,平均的なとこをぬきだして,てげてげのものを作れば,まあそれほど間違いはないかと。すなわち----山口(トップナット)を乗せる部分にくびれはなく,指板の部分は上から下まで同じ幅。 指板部分の長さは 133mm。 糸倉は厚く,軸孔もやや大きめ(11>9mmくらい,国産では10>7mmほど)。 棹背はまっすぐか,浅いアールがつき,茎基部付近ではほぼ四角,糸倉との境目ははっきりしていて,「うなじ」の部分は平ら(庵主は「絶壁」って言ってますねw)……てとこでしょうか。

  どちらかと言いますと問題はその素材,ナニで作るか,なんですね。
  本格的な修理なら,当然,胴体と同じ「タガヤサン」で作るべきですが,庵主には,さすがにこの大きさの良材を買う資金もなければ,「鉄の刀の木」と書く,唐木最強の木材の,それだけ大きなカタマリを,棹の形にするだけの工具や気力もありません。

  ウサ琴やいままでの修理再製棹同様にカツラなど,安価で加工も容易な木で作って,これまたいつものように「染め」で誤魔化す,なんてのも考えましたし,誤魔化し通すだけの自信もあります。(w)そもそも何回も書いたように,月琴の音色はおもに胴体構造の出来と材質によって左右され,ネック部分の材質の違いは,音にさほどの影響を与えないということを,庵主はいままでの修理や,ウサ琴の実験製作によって感得してきましたしね。

  ま,言っちゃえば棹の部分は,カタチとしてちゃんと機能するものになっていれば,多少材料がアレでも,少しばかり加工がナニでも構わない,のではあります,が…庵主,今回は,あえて「唐木」でまいります!

  リアルに貧乏人の庵主が,「高価な」はずの唐木で,いかにして棹をデッチあげるのか。斗酒庵流,超安値な唐木再製棹。合言葉は世界の日本語「MOTTINAI!」です----さあ,そはいかなるものなるや!?


  まず材料です。
  基本はいつもの3Pネックなんですが……

  まず左右の部材には,紫檀の薄板を使います。
  銘木屋さんから出た端材で,ウサ琴の指板にでもしようと思ってもらってきたヤツっすね。 表面を均していない粗材状態の板で,厚さは4ミリちょっとほどです。
  月琴の糸倉の左右部分の厚さは8~10ミリくらいですので,これ1枚ではとうぜん薄すぎますね----で,これを2枚へっつけて,1枚の板にして使おうと思います。
  中心材は黒檀,サイズ的にはぴったし15ミリの幅の材ですが,大きく斜めに割レが入ってて,樹脂で充填してある半端モノ。さすがに使えないんで切り落とされた部分ですね。これも銘木屋さんでもらったもの。

  いずれの材料も,材質的また寸法的にいろいろ問題はありますが,そのへんはウデとケーケンと「現代科学」でカバーしましょう。(w)

  まずは紫檀の薄板から,棹の形をしたものを切り出します。
  うむ,板1枚から4枚とるつもりだったんですが,わずかに大きさが足らず。どう木取りしてもフルサイズのものは2枚しかとれません。
  まあヨシ----いちばん外がわになる2枚を抜いて,残りで糸倉から棹のあたりまでの部品を2枚と,指板に使う四角い板を一枚。棹部の足りない部分には,前に指板に使いそこねたタガヤサンの板をはさみこみましょう。

  中心材の黒檀も,そのままで幅はバッチリなんですが,「うなじ」の部分だけ高さが足りませんので,同じ材から切り取ったピースを一部継ぎ合わせて使います。

  部材同士の接着はエポキにします。

  タガヤサンなんかその代表格ですが,黒檀にせよ紫檀にせよ,唐木の類は硬くて水含みも悪く,いつものニカワだと,なかなかその後の加工を安心して出来るほど,頑丈に接着することは難しいんですね。
  ただし,エポキにはニカワのような浸透性がありませんので,接着面は#120ぐらいのペーパーで,わざと少し荒れた状態にして,食いつきをよくしておきましょう。

  接着面への塗布はまんべんなく,そして量はごくごく薄く。接着剤の層がなるべくできないように,ってあたりは,ふだんのニカワによる接着とまったく同じです。

  よく怪しげなアンティーク屋なんかで売ってる,今出来の中国製「骨董」家具でも,同じような寄木細工ででっちあげられた「総黒檀製」や「総紫檀製」の商品を見かけますが,たいていはこうした接着の工程が雑なため,部材の継ぎ目に樹脂系の「接着剤の層」がくっきり見えちゃったりしてますね。

  せめてああはならんように,気をつけることといたしましょう。(笑)


  一度きにやろうとすると,圧をかけたとき,エポキがヌルってどうしても部材同士がズレちゃいますんで,接着作業には数日かけて,部品ごと,段階的にやっていきました。 まずおのおの3枚の板で構成される左右の部分と,中心材になる2つの部材をそれぞれ組み合わせて3コの部品にし,つぎにそれらをさらに組み合わせ,最後に指板を接着----総計10コもの部品を組み合わせ,棹の素体が出来あがりました。


  この四角い物体を,晴天の一日,外に持ち出して,公園のテーブルで削りまくります。
  それやれ削れ!ゴリゴリゴリ!!

  うむ,さすがは現代科学(エポキ)…けっこう荒っぽい作業だったんですが,問題はまったくありません。部材同士は強固にへっついて,あたかもはじめから一個の材料だったみたいです。
  しかしまあ,10枚もの部品を寄せ集めて作ったカタマリなのに,さすがに唐木----やっぱカタいなあ。(汗)

  ほぼ半日のゴリゴリ作業。
  うむ,出来ました。


  出来た棹の表面を磨きます。
  このへんもまたさすがに唐木,ちょいと番手をあげて磨いただけでツヤが出てきました。
  とりあえず#400まで磨いたところで,棹茎を接着。さすがにここは,新品の米栂材です(w)。

  うむ,出来ちゃうもんですねえ。(w)


  (左全景画像,クリックで拡大)
  続いて「誤魔化し」に入ります。(笑)中心材の黒檀の部分をスオウで染め,重曹で赤く発色させてから,仕上げに全体を,日本リノキシンさん謹製,ウサ琴用に作ってもらったダークレッドのニスを,布でこすりこんで表面に含ませます。
  今回は部材の接着がエポキですんで,表面に保護のための塗膜を作る必要はありません。
  このニス塗りは,ほぼ艶出しのためですね。

  本当に,唐木の棹が出来ちゃいました----もらいものの端材や,使うつもりで使えなかった余り材で作ったので,材料費はほとんどかかってません。


  部材同士の擦り合わせもかなり丁寧にやりましたし,エポキも薄くしか使ってないんで,よく見ないと部材の継ぎ目も分からないくらいです。さらに加工中に出来たスキマやカケは,整形の時に出た木粉をエポキで練った特製の木糞パテで埋めたら,これもまたどこがどうなってたやら,ってくらいに塞がっちゃいましたしね。

  中央材が黒檀だし,タガヤサンで継いだ部分も模様になってるので,棹背部分を見ると,さすがに合成棹だと気づいちゃうとは思いますが,正面から見る限りにおいて,これに気づくことの出来る者は,まずおりますまい。(w)
(つづく)


月琴34号太華斎(3)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(3)

STEP3 どうだけどうでどうもない

  観察と所見,続きまーす。


  ■胴側部

  材質はおそらくタガヤサン。棹孔の部分で厚みが5ミリ程度,接合部付近では3ミリ程度しかない。きわめて薄く加工されている。
  黒っぽい染料で表面的に染められているように見えるが,地の側板のみやや色が薄く,タガヤ本来の色が出ていることから,その部分以外は立てた状態での保存時に。染色剤が変色したものである可能性が高い。

  天の側板棹孔 27×16。加工やや粗く,周縁がすこしガタガタ。
  地の側板中央に節目,やや大きいが影響はないようだ。
  楽器表面に向かって右上の接合部に小歪み,左下接合部に小カケがあるものの,接合はおおむね健全。


  ■裏面板

  表面板と違って目立った損傷はない。汚れもほとんど付着しておらず,ほとんど当初色といった良好な保存状態である。
  4~5枚の小板を継いだ矧ぎ板で出来ており,表面板と比べると木目等の合わせもさほど考慮されていない。

  左右下部に節目,中央下に木目に由来すると思われる表面的な小荒レ
  上端中央,棹孔のあたりに小墨書。
  向かって左肩にラベル:「太華斎 琴舗」,58×25。右上角に小カケあるも保存状態良し。ラベル真下に節目あり。
  左下にもう一枚ラベル断片:内容・原寸ともに不明。枠とおもわれるメアンドロス紋が見える。

  向かって右がわ,胴を時計として1時から5時のあたりまで面板完全に剥離。部材の収縮で,右の側板との間に食い違い段差が出来ている。
  向かって左肩接合部に歪み,天の側板の端が少し飛び出ている。




  「裏板のラベルの真下に丸い節目や節穴がある」という事態は,実はこれがはじめてではありません。
  前は,板にたまたまあった節穴をラベルで隠したのだろう,と思っていたんですが----どうやらコレ,何か意味か由来があってワザとやってることのようですね。
  いまのところ,思いつく理由もありませんし,そういう縁起かつぎも知りませんのでなんとも言えませんが,過去にうちで修理した唐物系の楽器のほとんどが同じようなことになってますから,何かあるのは間違いないでしょう。


  もう一枚のラベルはもっとナゾですねえ。(w)
  似たものの貼りついてた例がほかにないので,今のところなんとも言えませんが。ただこれ,オリジナル(製造元)のラベルではないような気がします。印刷や紙質がほかのラベルと違ってますし,その断片の残りかたも「自然にハガれた」というよりは「破ってハガした」というような感じになっています。

  値札,だったんじゃないかなあ。




  中央上端,棹孔のあたりの面板の縁に小さな墨書があります。
  同じような墨書は,玉華斎や清音斎でもありまして,庵主,ずっとこれは製作者の署名か「花押」のようなものだろうと思ってたんですが,FBでちょっと尋ねてみたところ,中国のかたから。

  「 "碼字" じゃないか?」

  とのご指摘をただきました----なるほど 「蘇州号碼」 か!
  最近はあまり使われなくなったとのことで,庵主もすっからかんと忘れてたんですが。(^_^;)
  「碼字」「号碼」 というのは,中国南方で商売上使われる符牒というか符号というか,速記用の数字みたいなものでして。庵主も南のほうの市場なんかで,値札に書いてあるのを見たことがありますね。


  書き方とか詳細は Wikiさんあたりを参照していただくとして,(右画像・クリックで拡大)棒線が2本に 「メ」 が1つ……今回の 「太華斎」(右下)と14号 「玉華斎」(左上)のは同じですね。これは10の位が2,1の位が4の「24」を表わします。清音斎の(左下)は10の位が4,1の位は「8」みたいな記号で「5」かな。

  商売上の記号なもので,さいしょは値段かな,とも思ったんですが。 同じものが,表から見えない棹茎などにも記されているので,おそらくは組み立てのための合わせ番号だと思われます。


  そうすると……23号茜丸(右上)だけ,「上拾二」とふつうの漢字なのがちょと不思議ですね………
  もしかするとアレ,よく出来た倣製楽器だったのかもせん。(汗)

  こんな小さな記号からも,新たに出てくる答えや疑問があるのですねえ。



  ■内部構造

  内部全体,やや汚れひどい。表面同様に白っぽいホコリで覆われている。墨書等はナシ。
  表裏とも内桁と面板の接着がかなりの割合でとんでおり,裏板がわには少し荒く,ちぎれたようになっている箇所もある。

 内桁:1枚。材は桐,厚さ5~7ミリ。中央に棹茎の受け孔 20×7。楽器表板に向かって右端に木の葉型の孔,長6センチほど。
 響き線:曲1本。楽器表板に向かって右肩,棹孔のすぐ横に基部。直挿し。内桁右の孔をくぐって,棹孔の直下あたりまで,胴内をほぼ半周する。太さ0.7~8ミリほど,表面に錆び多少浮くも,ほぼ健全で反応も悪くはない。


  今回は棹孔のほかに,裏板が半分くらい表板もかなりの範囲でハガれてますので,内部構造の観察・測定は比較的ラク。最初から,ほとんどの部分をちゃんと見ることが出来ました。
  側部の簡見でも書いたように,この楽器の側板はきわめて薄くて,最大でも5ミリていどの厚みしかないのですが。木がまあ「唐木最強」 のタガヤサンですので,これでも強度的にはさほど問題はありません。
  ただ,今回面板の剥離が多い原因のひとつは,素材のタガヤサンがもともと接着難しい材であることに加えてこの薄さ,すなわち「ノリシロ」がごくせまい,ということもありましょう。

  再接着の際にはちょと気をつけなきゃですね。

  内桁はなんと,その薄い側板にわずかに溝を彫って組み入れてます。

  上にも書いたとおり,タガヤサンは接着しにくい木ですから,内桁の固定方法としてはこれしかないわけですが,まあかなり,ギリギリな工作ですねえ。(^_^;)



  さてでは,今回のフィールドノートをどうぞ。(クリックで拡大)



  「ネックがない」というのは,たしかに楽器の損傷としては大した事態で,欠損部品の%からしてもかなりなものではありますが----


  最初に書いたように,この月琴という楽器の音色はほとんど「胴体の出来」によって決まるものですし,34号「太華斎」,その胴体は,23号や玉華斎に比べると工作がやや粗いものの,作りや素材は,けして悪くはありません
  表板がひどく汚れていることもあって,一見かなり手ひどく壊れているように見受けられますが,だいたいの要修理箇所は,放置された結果 「壊れるべきところが自然に壊れた」 といった類が多く,これでもまだ,ごく常識的なふつうの修理で,楽器としての再生がじゅうぶんに可能な状態であると思われます。

  ----ま,なにはともあれ,まずは「新しいクビ」作ってやらなきゃなりませんな。

  以前やった清音斎の修理では,もとが「棹と楽器の中心線がズレている」というスサまじい作りだったものの,修理した楽器のその音は想像以上に素晴らしく,唐物月琴の底力を見せつけられた気がしました。
  彼我比べたとき,工作の丁寧さや加工の緻密さでは,明治日本の職人技のほうがいくぶん優っているように思えるのですが,庵主がこないだの「太清堂」ぬるっとさんの修理で思い知ったように,楽器では,そうした高い「技術」が,必ずしもそのまま「音」に反映される,というものでもないようです。
  月琴という楽器の 「ツボ」 みたいなところをしっかりおさえてあれば,どれほど粗雑な加工・工作でも「いい音」が出る----そのあたりはあちらの職人さんのほうが,この楽器とのつきあいが日本人よりいくらか長かったぶん,多く心得ていたのかもしれません。

  清音斎とおなじく福州から来た楽器「太華斎」の音はどんなのか?
  いまから楽しみでありますね。

(つづく)


月琴34号太華斎(2)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(2)

STEP2 どうのみぞどうするべきや


  今回この「首なし月琴」34号太華斎(胴体のみ)購入の主目的は,以前あつかった23号「茜丸」との比較,であります。

  前回テーマにしたように,太華斎の楽器には胴体表面の中央にラベルが貼られています。この手のメーカーラベルは,月琴ではふつう背面に貼られるもので,古渡り・国産をとおして,ここにこうしたラベルを貼ってある楽器はそう多くありません。
  23号茜丸の場合,ラベルの痕跡はくっきりと残っていたのですが,文字がまったくなくなっちゃってる状態で。庵主はその作者を,そのラベルの配置と工作から,「太華斎」ではなく茶亭の「老天華」だろう,と推定しました----とはいうものの,その時点では「太華斎」の実物に触れることができていたわけでもないので,ほぼ資料画像による比較,推測のみ,といったとこで不満が残っておりました。

  そこへ今回の次第。そもそも,ラベルは胴体に貼ってあるわけですし,工作の比較には棹が絶対無きゃならないわけでもありません----オマケにこの状態だと,ふつうは修理できるようなヒト以外入札れることもないから,まさに天恵 ( ̄ー ̄)ニヤーリ。

  さて,ではその結果ですが-----

  あ,こりゃ違うわ!
  ラベルの配置はたしかに似てますが,23号と,全然ちゃいます!!
  大っきい…それにお飾りも本体も少し粗いですね,工作が。

  梱包を解いてほぼ数秒でケツロンに達してしまいましたが(w)。
  細かな相違箇所は,それぞれの項目で書いてゆくとして。

  23号の記事とともに比較しながら読まれると面白いかも。
  ではまず採寸から----

月琴34号太華斎

   全長:棹がないので分かりません(w)
   胴径:縦 353,横 355
   胴厚:36 (うち表裏面板・厚4ミリ)

  実際には,23号の胴体(φ353)とほぼ同じですね。わずかに厚みがあるくらいですが,何でしょう----目摂等の配置の差なのか,工作か板の木目の影響なのか,見た感じは大きく見えますね。


  ■表面板

  表面が白っぽい汚れで覆われているため判然としないが,一枚板ではない。3~4枚の板を矧いだものか?
  向かって右側に裂割レ数箇所。最大で2ミリほど開く。貫通しているものはないが,3~4本の裂け目が断続的に天地に走っている。
  もっとも左の裂け目から右は別板で,かなり板目がうねった景色のあるもの。いかにも暴れそうな板で,おそらくこの板の収縮が,裂け割れの原因の一つであろうと推測される。
  裂け割れ部分の中心あたりに虫食い孔,おそらく内桁の接着箇所を狙ったもの。

  中央ラベルの中心に虫食い。食害痕は複雑だが溝は浅く,ごくせまい。
  左裂割レの上端から左,棹孔のあたりまで面板周縁剥離
  左裂割レ下端から左右に剥離,左方向は半月の左端直下あたりまで広く剥離。




【コーナー1:ラベルの比較】

  さて,じっさいに実物を,見てみて触ってみて。
  庵主の経験と記憶は,今回の楽器と,23号の作者の違いを直感しておりますが。それがカンだけでないことを,ナニヤラ立証していかなければなりますまい。
  ほかにあまり例のないラベルの配置,表面中央にあるラベルの存在が「23号」と「太華斎」をつなぐ共通点の一つであるということは,すでに触れたとおり。
  しかし,詳細に見てみると----


  23号のラベル痕は上下が波打ったようになっています。しかし,「太華斎」のラベルは,上端左右を落としているだけでほぼ四角,上下の線は真っ直ぐです。
  もちろん23号のはハガれた際にそうなったもの,と考えられなくもないのですが,上下の線の曲がり方はほぼ左右対称で,その輪郭は意図的に何らかの形状を示していたものと考えられます。


  太華斎のラベルの内側は「巻物」を模したデザインになっていますが,「老天華」のラベルは,このように----
  輪郭が巻物そのままのカタチになっているんですね。
  うむ……しかし改めて比べてみると,これも23号のラベルの輪郭とは合わないですよね。
  あえて言うなら,太華斎のラベルから,巻物の輪郭に沿って外がわの余分を切り取ったらいちばん近いかも………

  あ~けっきょく「ふりだしに戻る」かなあ,また。(^_^;)



【コーナー2:面板について】

  前に「唐物月琴」の特徴として「面板が一枚板である」ということを書きましたが,その後の調査で,中国製の古渡り月琴でも矧ぎ板が使われていることが分かってきました。


  真正に「古渡り」と言えるような古い楽器,または高級品ではやっぱり一枚板が多いんですが,1800年代の後半,二代三代目の天華斎が,海外へも盛んに販路を広げたころの量産楽器では,ふつうに矧ぎ継いだ板が使われていたようですね。
  ただ,国産月琴では面板に柾目の板が多用され,小板の枚数も10枚を越すものがふつうだったのに対して,中国の楽器では,景色のある板目の板や,木理のはっきりとしない柔らかめの板が多く,小板の枚数も少なかった(4~5枚)ようです。
  これも前に書いたと思いますが,中国の月琴で表裏が一枚板のものが多かったのは,日本の楽器店にとっては,大きな桐材があれば,月琴の面板を作るより,お箏を作ったほうが利益率が高かったのに対して,中国の,とくに福州あたりの楽器屋にとっては,輸出用の月琴のほかに,とくに対比されるような利益のある楽器や器具がなかったためだと考えています。


  さらに日本の場合,桐材・桐板の流通は,木材のそれとちょっと違っているので,量産を主とする楽器屋などでは,桐を専門に扱う「桐屋」が作った板を購入して,そのまま使うことが多かったのも一つの理由かもしれません。月琴は利益の薄い楽器だったので,利潤を出そうと思えばたくさん作らなければなりません。当然,材料として購入する桐板も,小板を多数継いだ安価なものへと流れることになります。
  明治の後半,月琴の面板が板目から柾目になっていたのには,「柾目のほうが音の伝導が良い」といった科学的な理由よりもむしろ,柾目のほうが安い矧ぎ板が作りやすい,すなわち材料費をおさえたいという楽器店がわの経済的理由のほうが,強く働いていたのではないかと,庵主は考えています。
  中国の場合も 輸出したら売れたので>量産した>材料が減って>質が悪くなった とまあ似たようなものですが。単純に一枚板が手に入りにくくなってきたので,矧ぎ板になったのだと思いますね。それでも板目の板に固執するあたり,こだわるところの違いがなんとなく「日中文化差」って感じはしますねえ。(笑)





  ■フレット:竹製5本完備。

  晒し竹を染めたもの,煤竹ではない。表皮を弦のがわに向けて作られた中国楽器式のフレット。

  フレット形状の違いについては拙記事 「月琴のフレットの作り方(1)~(3)」 参照。この型は肉厚の竹でないと出来ないので,国産の倣製月琴(唐物を真似て作られた楽器,贋物)を見分ける時の,手がかりポイントの一つになっています。

  ■目摂・扇飾り・柱間飾り

  目摂は鳳凰(正確には鸞)。厚 4.5。おそらく桐板を彫って染めたもの,かなり赤っぽく,染料はスオウではない。損傷ナシ。
  扇飾りは万帯唐草。材質はおそらく目摂と同じ。同じ染料にて染められている。損傷ナシ。
  柱間飾りはいづれも桃または仏手柑と思われる果実。4つともに損傷ナシ。

  木製のお飾りの染めはスオウではありませんね。
  スオウの赤もしくは紫染めとは,色合いがかなり違ってます----何だろう?
  阿仙にしては赤すぎるし…ドラゴンズブラッド(麒麟血)かもしれませんが,今のところ不明。

  柱間飾りがすべてみな同じ意匠になってるのは,19世紀末の量産唐物月琴でよく見る特徴。
  以前修理した「清音斎」なんかもそうでしたね。
  そのころのになると,国産の倣製月琴のほうがやたらと凝った装飾をつけたりしてますね。
  もっとも,やりすぎてかえって失敗している例も多いんですが。(w)



  ベトナムの長棹月琴では棹の柱間に8人の神様が象嵌されます。(そのため柱の位置は勝手に動かせない)
  唐物月琴の飾りも,おそらくもともとは「八仙人」なり「八吉祥」なり,一連になった八つのお目出度いものをあらわす意匠であったと考えられます。石榴,仙桃,仏手柑,花といった意匠のほかに,蝴蝶,蝙蝠,魚,花籃,瓢箪などがついていた例もけっこうあります。
  もともと意味があってつけてたものですから,いくら「立派に見えるから」と言って,そういうところから逸脱したような意味のない装飾をつけてたら,中国製じゃない----ニセモノだってバレバレになっちゃうわけですね。


  ■バチ皮:ニシキヘビの皮,93×63。

  鱗片がかなり大型なので,ほかの楽器に使った端材かと思われる。やや厚め。保存状態は比較的良く,右下端にわずかなカケがあるほかは接着のウキも見えない。

  ■半月:99×38×h.(最大)9.5。

  素材は不明,半分に切った木の葉型,曲面で,表面に蓮華と唐草を浮彫り。
  糸孔周りに骨もしくは象牙の円盤を埋め込んである。外弦間:29,内弦間:22。高音側内弦の円盤にカケ。


  さて今回は,余計なことイロイロと盛り込んじゃったんで,途中ですがここまで!
  観察と計測は,まだちょっと続きます。

(つづく)


月琴34号太華斎(1)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(1)

STEP1 どこよりかどうのみぞきたる


  あけましておめでとうございます!

  さあて,年も明けて一発目の修理は唐物月琴です。
  それも年末にネオクで出た,なんと「胴体だけ」の月琴です。

  月琴という楽器の胴体は,衝撃等に耐性のある円形をしているうえに,ギターやバイオリンに比べると,部材も厚く,構造もきわめて単純なので,滅多に「再生不能」というような状態にまで破壊されてることはありません。
  しかしながらそれだけに,そこから出っぱっている棹……ここがいちばんの弱点となります。古物の月琴で最も多い故障は,「蓮頭(てっぺんの飾り)がない」「糸巻きが足りない」 か 「糸倉が割れている」 という状態,ついで 「茎の不具合」(折れてる,割れてる,はずれてる)とか 「半月(テールピース)がはずれている」,といったところですね。


  ウサ琴シリーズの製作を通じて,月琴という楽器の音色は,ほとんどこの胴体の工作で決まることが分かっています。 三味線やギターに比べると,短かすぎて,ネック部分の材質の違いが楽器の音色に影響を与えることはほとんどナイ。月琴の棹は,通常,胴体と同じ材質で作られますが,ここの材質をあえて変えるというのは,音色のためというよりは,単に経済上の理由(棹を作れるだけのカタマリが買えなかった,とか)もしくは,手触りや見た目といった二次的な要素のほうが強いようですね。


  庵主の修理はあくまでも調査研究のオプションで,古物骨董品,文化財的な「修理」ではなく。「楽器としての再生」つまりは「楽器として使えるようにする」ことが主目的なので,過去の修理でも,オリジナルの棹を破棄し,自作の棹に交換したというような例が結構あります。まあ「糸倉が割れてる」くらいなら,継いで補強しても使えないことはないのですが。そうした場合,強度上の問題から,演奏にさまざまな制限がかかってしまいます。
  ただ単に「モノとしての月琴」が欲しいだけの糞マニアどもならともかく,演奏者として,月琴の「音が欲しい」といった人たちにとって,はじめから本来のスペックを100%使えない楽器と言うのは,あまり意味がありませんものね。

  とはいえ,いままではたいがい「壊れて」はいてもオリジナルの棹がありましたので。ハナから「棹がない」,という状態からの修理は,正直ハジメテであります。

  はてさて,胴だけに,どうなりますことやら。(w)


  「太華斎」銘の月琴を見るのは,これがはじめてではありません。
  ま,実際に触れるのはハジめてですが,過去にも2~3面見たことがあります----「玉華斎」と同じくらいですかね。 「天華斎」「清音斎」に比べるとブランド名としては劣りますが,月琴流行当時,そこそこに知られていたメーカーなのではないかと思われます。

  ここの楽器の特徴の一つは,胴体表面の中央にラベルがあること。 今回買った楽器のものは,破損していてよく分かりませんが,過去に見た楽器では 「福省南台/精工製造/太華斎 称記/各款名琴/洋頭半街」 となってます。


  『福州市志』などを見るに,戦前のこの町で楽器店が集中していたのは,台江区「茶亭街」の一帯。ここのお祭りで催される「茶亭十番音楽」なんかは,無形文化財になってるくらいで,もともと音楽の盛んな地域だったんですね。清楽流行時の日本で,その楽器がブランド品扱いだった「天華斎」のお店(参考・ラベル)もここにありました。かつての「茶亭街」は,現在の茶亭公園の南のほう,工業路と八一七中路の交差するあたり,現在の「洋頭口」のあたりがその中心。「天華斎」の系を今に引く老舗 「老天華」 (参考・ラベル)は今もここにあります。
  一方,もう一つの老舗,「清音斎」のラベルには「南関外・洋頭街」とあります。この「福州・洋頭街」という地名は,清代に出された古書や家具のラベルなんかにもよく見られますね。ちょうどいい古地図が見つからないもので,この「洋頭街」というのが現在の福州市のどのあたりになるのか,今のところまだよく分からないんですが,「南関外」というのは旧府城の南門の外,という意味,そして上にも書いたようにかつての「茶亭街」がいま「洋頭口」なわけですんで,おそらくは同じ地域を指すのだと考えています。


  さてでは,太華斎のラベルにある「福省南台」「洋頭半街」っていうのは何処なのでしょう?

 「南台」というのは「茶亭街」からさらに南,閩江を渡った川向こう,現在の福州市倉山区南台のあたりとなります。1842年の南京条約における福州開港のあと,川に面した地域を中心に外国の領事館が建てられたりしたので,かつてはこの地域の貿易の中心地であったそうです。
  前にも書いたように,中国本土の演奏用の楽器にこうした飾りをつけたりバチ皮をつけたような楽器が余りないことから,現在明清楽で使われているような月琴は,もともとは外国向けの,輸出用の商品であったと思われます。
  「洋頭半街」が,現在のどこにあたるのかは正確には分かりませんが,その名前から川向こうの「洋頭街」との関連が匂われます。
  「半街」というのは,東京などにもよくある「片町(かたまち)」というのと同様の地名で,背後に川や御用地があったり,あるいは表側が河岸や港に面していたりして,通りに面した一列にしか家屋のないような場所を指します。もしかすると「洋頭街」の「飛び地」みたいなものだったかもしれません。貿易の盛んだったこの地域に,輸出用の楽器を製造するメーカー,もしくは「洋頭街」の楽器屋の支店の建ち並ぶ一角があったとしても,おかしくはありませんね。

  とはいえいまのところ----コレ,ぜんぶ推測ですので,現在福州市にお住まいの方,あるいはこの手の地誌に詳しい方,見てましたら教えてください!

 補足1) 天華斎ラベル
 補足2) 清音斎ラベル
 補足3) 老天華裏ラベル

(つづく)


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