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月琴34号太華斎(1)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(1)

STEP1 どこよりかどうのみぞきたる


  あけましておめでとうございます!

  さあて,年も明けて一発目の修理は唐物月琴です。
  それも年末にネオクで出た,なんと「胴体だけ」の月琴です。

  月琴という楽器の胴体は,衝撃等に耐性のある円形をしているうえに,ギターやバイオリンに比べると,部材も厚く,構造もきわめて単純なので,滅多に「再生不能」というような状態にまで破壊されてることはありません。
  しかしながらそれだけに,そこから出っぱっている棹……ここがいちばんの弱点となります。古物の月琴で最も多い故障は,「蓮頭(てっぺんの飾り)がない」「糸巻きが足りない」 か 「糸倉が割れている」 という状態,ついで 「茎の不具合」(折れてる,割れてる,はずれてる)とか 「半月(テールピース)がはずれている」,といったところですね。


  ウサ琴シリーズの製作を通じて,月琴という楽器の音色は,ほとんどこの胴体の工作で決まることが分かっています。 三味線やギターに比べると,短かすぎて,ネック部分の材質の違いが楽器の音色に影響を与えることはほとんどナイ。月琴の棹は,通常,胴体と同じ材質で作られますが,ここの材質をあえて変えるというのは,音色のためというよりは,単に経済上の理由(棹を作れるだけのカタマリが買えなかった,とか)もしくは,手触りや見た目といった二次的な要素のほうが強いようですね。


  庵主の修理はあくまでも調査研究のオプションで,古物骨董品,文化財的な「修理」ではなく。「楽器としての再生」つまりは「楽器として使えるようにする」ことが主目的なので,過去の修理でも,オリジナルの棹を破棄し,自作の棹に交換したというような例が結構あります。まあ「糸倉が割れてる」くらいなら,継いで補強しても使えないことはないのですが。そうした場合,強度上の問題から,演奏にさまざまな制限がかかってしまいます。
  ただ単に「モノとしての月琴」が欲しいだけの糞マニアどもならともかく,演奏者として,月琴の「音が欲しい」といった人たちにとって,はじめから本来のスペックを100%使えない楽器と言うのは,あまり意味がありませんものね。

  とはいえ,いままではたいがい「壊れて」はいてもオリジナルの棹がありましたので。ハナから「棹がない」,という状態からの修理は,正直ハジメテであります。

  はてさて,胴だけに,どうなりますことやら。(w)


  「太華斎」銘の月琴を見るのは,これがはじめてではありません。
  ま,実際に触れるのはハジめてですが,過去にも2~3面見たことがあります----「玉華斎」と同じくらいですかね。 「天華斎」「清音斎」に比べるとブランド名としては劣りますが,月琴流行当時,そこそこに知られていたメーカーなのではないかと思われます。

  ここの楽器の特徴の一つは,胴体表面の中央にラベルがあること。 今回買った楽器のものは,破損していてよく分かりませんが,過去に見た楽器では 「福省南台/精工製造/太華斎 称記/各款名琴/洋頭半街」 となってます。


  『福州市志』などを見るに,戦前のこの町で楽器店が集中していたのは,台江区「茶亭街」の一帯。ここのお祭りで催される「茶亭十番音楽」なんかは,無形文化財になってるくらいで,もともと音楽の盛んな地域だったんですね。清楽流行時の日本で,その楽器がブランド品扱いだった「天華斎」のお店(参考・ラベル)もここにありました。かつての「茶亭街」は,現在の茶亭公園の南のほう,工業路と八一七中路の交差するあたり,現在の「洋頭口」のあたりがその中心。「天華斎」の系を今に引く老舗 「老天華」 (参考・ラベル)は今もここにあります。
  一方,もう一つの老舗,「清音斎」のラベルには「南関外・洋頭街」とあります。この「福州・洋頭街」という地名は,清代に出された古書や家具のラベルなんかにもよく見られますね。ちょうどいい古地図が見つからないもので,この「洋頭街」というのが現在の福州市のどのあたりになるのか,今のところまだよく分からないんですが,「南関外」というのは旧府城の南門の外,という意味,そして上にも書いたようにかつての「茶亭街」がいま「洋頭口」なわけですんで,おそらくは同じ地域を指すのだと考えています。


  さてでは,太華斎のラベルにある「福省南台」「洋頭半街」っていうのは何処なのでしょう?

 「南台」というのは「茶亭街」からさらに南,閩江を渡った川向こう,現在の福州市倉山区南台のあたりとなります。1842年の南京条約における福州開港のあと,川に面した地域を中心に外国の領事館が建てられたりしたので,かつてはこの地域の貿易の中心地であったそうです。
  前にも書いたように,中国本土の演奏用の楽器にこうした飾りをつけたりバチ皮をつけたような楽器が余りないことから,現在明清楽で使われているような月琴は,もともとは外国向けの,輸出用の商品であったと思われます。
  「洋頭半街」が,現在のどこにあたるのかは正確には分かりませんが,その名前から川向こうの「洋頭街」との関連が匂われます。
  「半街」というのは,東京などにもよくある「片町(かたまち)」というのと同様の地名で,背後に川や御用地があったり,あるいは表側が河岸や港に面していたりして,通りに面した一列にしか家屋のないような場所を指します。もしかすると「洋頭街」の「飛び地」みたいなものだったかもしれません。貿易の盛んだったこの地域に,輸出用の楽器を製造するメーカー,もしくは「洋頭街」の楽器屋の支店の建ち並ぶ一角があったとしても,おかしくはありませんね。

  とはいえいまのところ----コレ,ぜんぶ推測ですので,現在福州市にお住まいの方,あるいはこの手の地誌に詳しい方,見てましたら教えてください!

 補足1) 天華斎ラベル
 補足2) 清音斎ラベル
 補足3) 老天華裏ラベル

(つづく)


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