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月琴34号太華斎(終)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(7)

STEP7 どうかこのこにあいのてを


  部品もそろったので組上げてゆきましょう。

  左右の目摂は一度濡らしてはずしたあと,ずっと板にはさんで重石をかけておきました。
  真ん中の扇飾りだけずいぶん色が落ちてしまいましたので,スオウとオハグロ液で補彩して,左右の鸞鳳と色合いを合わせてあります。仕上げに色止めと艶出しを兼ねてダークレッドのラックニスを布ではたき,木灰や炭粉で古色を付けておきます。

**「月琴お飾り考」 長いんで読まなくてもいーです。**


  日本の月琴ではこの部品,ホオの板で作ってることが多いんですが,唐物のは面板と同じ桐板が多いようですねえ。

  実用的な月琴にはこういうもの付けてなかった,というところから見ても,彼らもこうしたお飾りは音の邪魔にしかならないということを,基本的には知っていたと思います。面板と同じ材質の板が使われているのは,端材の無駄ない再利用という一面もあったでしょうが,せめて同じ材質のものを用いることで,音への悪影響を軽減しようと考えた面もあったのかもしれません。

  まあそもそも,主たる共鳴板の上に,その振動を阻害する物体を貼り付けること,そのものが問題なのであり,その材質が何であってもほぼ関係ないとは思いますが。(汗)


  逆に考えますと,日本の職人さんはなぜ桐板でなく「ホオの薄板」を使ったのか?
  国産月琴,とくに数打ちの普及版月琴は多く,胴や棹の主材としてホオやカツラを用いてますから,その意味では条件的に唐物月琴と同じと考えられますが,問題はこちらの場合,そうした材料は元の状態が「板ではない」ということです。カタマリから薄板を切り出す----桐ならまだたやすいかもしれませんが,加工が容易な材とはいえ,ホオやカツラから薄板を挽き出すのはそれなりの手間です。

  前にも何度も書きましたが,ノコギリってのは木目に沿った縦挽きのほうが,木目と直角に切る横挽きの何倍も大変なんですよ。ウソだと思ったらやってみい。

  ----さらに推測するなら。
  もし職人さんが自らそうした薄板を切り出していた,として。その材料はもちろん,胴や棹を作った余り,端材部分なはずで,そういう不定形な材料から,薄い板を切り出すのはさらにタイヘンな作業となります。少なくとも庵主ならそんなこと,わざわざしたくないですね。(w)


  よってケツロンとしましては,日本の職人さんはこの部品を作るため,最初から薄く切ってある板を買ってくるか,手持ちの材料から挽いてもらうか(製材屋さん,て類ですね)してた人のほうが多かったはずです。
  それほど大きな部品でもありませんから,いくら利益率の低い楽器だとは言っても,コスト上さほどの負担にはならなかったでしょう。また,大きな工房だとお飾りの工作は,小僧さん・お弟子さんあるいは家族にやらせる,ということもあったでしょうし,自分ではまったく作らず,あるデザインを決めて一括で外注する,ということもあったと思います。

  たとえば,石田不識(初代)の初期の飾りは,技巧的にはやや稚拙ですが,デザインに特徴があるほか,刀の入り方が特殊で,ちょっと真似するのが難しいシロモノでした。

  それが中期以降になると,外見的にはよくある典型的なデザインとなる一方,技巧的にかなり精密で高度なもの…ただし「精密なので」真似するのは難しいですが,ただそれだけのシロモノ,になっています。(27号,KS月琴の修理記録参照)これなぞは量産の過程で,手間のかかるお飾りを外注するようになった例なのではないかと,庵主は推測しております。


  唐物の月琴も明治の国産月琴も,同じ名前,同じような形,そして日本では同じ音楽に用いられたものではありますが,その研究においては 「いまはこうだから,むかしもこうだったろう」「日本でこうだったから,中国でもそうだろう」 も,またはその逆もナシです。そもそも,当時の中国音楽が,かならずしも「清楽」とはいえないように,日本で演奏されていた清楽曲も,かならずしも「中国音楽」であるとは言えません。二つ国のはざまにある,こうした音楽やその文化を研究するためには,それぞれの国の事情をともに思慮勘案し,一つづつ分けて考えてゆくこと,そしてそれを積み重ねてゆくことが,この音楽分野全体を解き明かすための,もっとも大事な「本当の基礎部分」となります。

  そのためには----儒家もまず,物に格(あた)れ,と言っております。音楽自体がどうだの,文人墨客がどうだのといったあたりは,「まずそこに存在するもの」見えるもの残っている事物の整理や考証をしっかりと行ってからでなければ,結局のところ,ただそれらしいことを並べただけで内容の薄い研究にしかなりえない,と庵主は考えます----とはいえまあ,王陽明先生も「格物致知,竹でもきわめてみよう」と思って,竹をじッとニラんでたら三日でノイローゼになったそうですから。月琴については,ウチのブログ参照するぐらいにしといてくださいね。(w)

  さて今回は,こういう余計なことをあちこちに書き散らしたため,修理報告も(7)まで来てしまいましたが。
  そいじゃあ一気にまいりましょう。

  竹のフレットは,ヤシャブシで煮て,ラックニスを染ませ,亜麻仁油とロウで磨いてあります。
  いつもですと庵主,白い竹肉をやや濃い目の黄金色に染めて,表も裏も分かんないようなまッ黄っきに染めるんですが,今回はオリジナルに似せて,ヤシャブシに木灰と炭粉を混ぜ,表はピッカピカに,でも裏面はあまり磨きをかけず,竹肉の風合いを残して少し「枯れた」色合いにしました。

  今回の棹は唐木なので,ニカワの着きがイマイチ。そこでフレット位置をチューナーで確認したら,こういう端材の四角い棒に紙ヤスリ貼ったもので接着面を荒らしておきます。ここに綿棒でお湯を染ませ,ついでニカワを薄く塗って接着します。
  着いたところからお飾りもニカワを塗ってのっけてゆきます。こちらは固定圧着のためマスキングテープをかけときましょう。


  バチ布はとりあえずこれにします。臙脂の梅唐草模様。

  フィールドノートの記録と日焼け痕から大きさを確認して切り出し,上角を丸めてできあがり----やや小さめで可愛いですよねえ。

  国産月琴では,左右の上角は直線で落としているもののほうが多いんですけど,この大きさとカタチも,唐物スタイルですね。


  ----で,今回の修理,最後の作業はラベルの偽造です。(笑)

  心ある善良な修理者ならば,手を染めない分野か,とも思いますが。
  太華斎の場合,このラベルが胴体中央の装飾にもなっているので,なんとかせにゃあなりません。

  庵主は,すでに23号の修理でも似たようなことはやっとるんですが,あちらの場合には,そもそもオリジナルのラベルが,表裏どちらも文字が見えない状態,原状の分からないものだったので,結局は「それらしい」ものをこさえて貼り付ける,と言った程度でした。しかし,今回の場合は無くなってしまったオリジナルのラベルを「それっぽく」作る----要するに「偽造行為」をはたらくわけで(汗)……「そこにあった」ラベルの復元製作,と言ったら少し聞こえがいいかな?

  まあこの楽器の場合,裏面にもう一枚「太華斎」のオリジナルラベルが残ってますので,「作者僭称を目的とする偽造」 にあたらないあたりがサイワイかと。(w)

  まずは用紙を作ります。
  薄くて丈夫な和紙を二枚,目を交差させて貼り合せ,スオウを染ませます。
  裏表ひっくりかえしながら四度ほど,しっかり染ませたところで……

  いつもですと重曹でアルカリ媒染なんですが,今回はちょっと確認したかったこともあり,ミョウバンによるアルミ媒染とします----「○○媒染」とかそれっぽい語彙使ってますけどね,実は庵主,それぞれがどういうことなのかは,本当のところ,まったくよく分かっておりませんことよ。(^_^;)


  ま,ともあれ。
  うむ,やはりな----この色じゃ。

  茜とか朱に近い,オレンジっぽい赤色になりました。 重曹とか木灰液で媒染すると,やや青みがかった赤~赤紫になるんですが,ミョウバンだとこういう色になるわけですね。

  実は,お飾りをはずしたとき,その痕跡についていた色がいつもと違っていたので,その染料についていろいろと考えていたんです。


  これですね。作業中,布に着いた色が,はずしたお飾りを拭いたときに着いたのとまったく同じ色,表面板の上に残ってるお飾りの痕跡と同じ色です。
  染色の主剤はおなじスオウなんですが,この太華斎,スオウの発色・媒染剤にミョウバンを使っておったわけです。

  木工が主となる唐木細工や楽器職の使う染料と言うものは,とうぜん専門の染物屋さんのそれほど種類が多いはずがありません。面板の黄色と軸や飾りの茶色や黒はヤシャブシで,赤や赤茶はカテキュー,紫檀に似せるときはスオウを,黒檀に似せる時はスオウとヤシャブシ(黒)を組み合わせて……など。その少ない種類をいろいろ組み合わせたり,こうして補剤を変えることによって様々な用途に使っていたのですね。


  さて,目出度く真っ赤になったこの蘇芳紙を乾かし,40×50に切って……ペンで描きます,シコシコシコ。
  ちなみに庵主愛用のGペンはゼブラです。ああ,漫画描いてた(じつは今も描いてる)経験が,こんなところで活かされるとは…

  オリジナルは木版,こうやってペンで書いただけでは,見る人が見れば線を見ただけでバレちゃいますので,イロイロとアレをナニして,見る人が見ても分からないように悪の工夫を加えます。(笑)


  ----こうして作った庵主渾身の偽造ラベル(笑)を貼付け。
  2014年2月4日,自出し月琴34号太華斎。
  首無しの深淵から蘇えり,楽器として再生いたしました!


  胴体のみの状態だった楽器の再生----ネックがまるッとナイ,というのは欠損としては大きなものですし,ふつうに考えれば楽器としては再起不能の状態,と言えましょうが……何度も書いてますように,月琴という楽器の良し悪しは,ほとんどその胴体構造の出来によって左右されます。また,三味線や月琴のようなスパイク・リュート属の楽器は,ギターやマンドリンのように棹が固定されているわけではなく,棹をまるっと交換するということも構造上可能となっていますので,胴体さえ無事ならまあなんとか,このようにいくらでも再生可能なわけで。


  しかしながら今回はなにより----

  首がなかったんだからしょうがないよ。(笑)

  というフレーズが脳内で何かと使えるオカゲか,ふだんの修理より気がラクでしたねえ。やってることはおよそふだんの修理と変わりないんですが,楽器の半分が失われ,オリジナルの状態が分からないもんですから,修理と創作の中間みたいな感じ。完璧な「原状復元」はもともと不可能なハナシなので,プレッシャーが少なかったんでしょう。
  反省点といたしましては----


1)棹の取付け位置が曲がっていたのに気がつかなかった。
  ために棹の基部がスペーサーだらけとなってしまいました。

2)棹(正確には指板部分)が約7ミリ長かった。
  これも過去資料を勘案するとき,胴体上のフレットやお飾りの位置までちゃんと気を配っていれば,気が付けたとは思うんですが,平均して多いほうの数値に従ってしまいました。

----といったあたりがありますが,もう後世にまかせます。

  でもまあ,首がなかったんだからしょうがないよ。(笑)


  硬く重たい唐木が多用されているわりには,音ヌケのよい明るい音色です。
  一つには側板がタガヤサンながら極限に超薄々なためと,表面板が比較的硬めの桐板で構成されているためでしょう。
  ただ逆に音ヌケが良すぎて余韻が少々物足りない気がします。古式月琴らしい長い響き線を持っている割には,やや「深み」というものに欠けましょうか。これもまた側板が薄々なせいだとは思うんですが----そうですね,音が「余韻」になる前に外に出ちゃう,って感じがしますね。

  しかしながら----じつは庵主,この音けっこう好きです。
  邦楽の人は,変に重々しかったり,余韻ばっか響くような楽器が好きみたいなんですが,この楽器はもともとポップスの楽器です。ウ○コ漏らすのガマンして唸ってるみたいな歌に合わせるような楽器じゃないんで,むしろこのくらいの音がホンモノなんじゃないかな,と思ってます。


  何にせよけっこうな修理だったため,まだ多少あちこち部材が安定していないらしく,現在まだ音色が安定してませんが,この基本的な印象はこの後もそう変わりますまい。

  庵主はいつもなら修理ラベルに「保佑長久」(とわにまもりたまえ)」とか願いの文句を入れるんですが,今回は蓮頭に神様を付けちゃったので,楽器の保佑はそちらにお任せして「有縁修斵」(縁あって修理しました)とのみ書きました。

  34号太華斎,蓮頭におわします「兎兒爺」とともに,めぐる月日の中秋の月を,永久にくりかえし,見られますように。

(おわり)


月琴34号太華斎(6)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(6)

STEP6 どうがんどんがらがちゃ

  月琴という楽器の胴体は,前後表裏の桐板で側板部分をサンドイッチ状態にすることで出来上がっています。
  側板は四枚の板を円形に並べただけのようなものですし,内桁の役割もどちらかといえば胴が左右にぶッつぶれないためのつっかえ棒のようなもの。
  胴体の形とその強度は,ほぼ表裏の板と側板部分との接着によって成り立っているといってよろしい。
  ゆえに,この楽器の修理の手順として,まず面板と側板の再接着を行うのは,簡単に言うと,修理の途中で楽器がバラバラになっちゃわないようにしてるんですね----何事も土台がしっかりしてないと,その後がイケません。


  表面板の切除部分をもどします。
  裂け割れしていた箇所は破棄して,新しい板をはさみました。
  まあ少し目立っちゃいますが,もともとかなりモロい部分だったようなので,オリジナルを割れ目を継いでもどしても,またすぐに割れてしまうでしょうから。
  元の幅より数ミリ広い板を切り出し,右端のオリジナル部分とともに再接着。
  ほんとのこと言いますと,この右端部分の板はいわゆる 「景色」 のためにつけられたもので,木目が複雑な,暴れやすい板ですので,楽器への負担を考えますとまるっと取替えてしまったほうがよろしいのですが。

  明治の国産月琴の面板は,やがて柾目の板が主流になってゆきますが,唐物月琴や初期の国産月琴では,お箏や琵琶と同様,木目が山や谷,雲海のように見える「景色のある」板目の板が使われています。玉華斎なんかがそうでしたし,国産月琴でも鶴寿堂あたりは,必ずといっていいほど,表板の真ん中のところに大きな山なりの木目を持ってきますし,うちのコウモリ月琴の表板なんかも板目です。
  明治の国産月琴が柾目に流れたのは,一つには西洋楽器の影響,他方では柾目のほうが木目あわせがラクなので,小板を数多く使った,より低コストの板を作れる,といった量産上の経済的理由もあったと考えられます。唐物月琴の場合,もとは板目の一枚板だったわけですが,この太華斎くらいの量産時期になりますと,みんなが同じように作るものだから材料が少なくなり,よほど高級な楽器じゃないとまるッと一枚単板で,というわけにはいかなくなったものと考えられます。

  どちらの場合も,理由としては同じように経済的なものではあるのですが,それでも柾目には流れず,こうした板目の板をなにがなんでもへっつけようというあたりに,日中職人の嗜好の差が見てとれる気がします。


  新作棹の微調整で内桁の棹孔との噛合いを確認しなきゃならなかった関係上,今回,裏板をふさぐのは最後の最後となり,実際の作業では間があいてるんですが,続けて裏板の再接着も紹介しちゃいましょう。
  こちらも右端の側板との段差を解消するため,そのままもどすのではなく,間に幅5ミリほどのスペーサーを噛ませて再接着です。


  いちどはずして再接着した箇所は,いずれも縁のほうが側板から出っ張ってるんで,板の厚みの幅の紙ヤスリを角材に貼ったのでこれを削って,側板と面一に戻します。

  表裏どちらにはさめた板も,場所が中央に近いところだったのと。この楽器の面板は厚みの最大と最小の差が大きい(要するにかなり凸凹)ため,長くてやや厚みのある板でなければならず,どちらもいつもの古材ではなく,新品の板から切り出しました。
  裏板のほうのはもともと幅もせまいのでさほど気になりませんが,表面板にはさみこんだ板が,いくぶん木の質や木目が周りと合わず,「完全に目立たないように」は正直出来ませんでしたが,まあ10年もすれば目立たなくなるとは思います(^_^;)。


  今回は棹の材料が硬い唐木(一応…寄木細工だけど w)ですんで,軸(糸巻き)はひさしぶりにスダジイを削ります。 オリジナルは唐木かツゲでしょうが,硬さでは負けませんからね。長さは12センチ,ふだんの国産月琴より5ミリほど長めです。


  ただ,¥100均屋さんがいつも材料に使っていたスダジイの丸棒の取扱いをやめちゃったんで,3本はうちに残ってた素体で,残りの1本は同じ¥100均屋さんで買ってきた「すりこぎ」を使って作りました。同じ材料で出来てるものだと,麺棒のほうが長さ36センチあって,長さ的には3本ぶん取れてお得だったんですが,すでにあった素体より直径がいくぶん小さかったので,今回はこの選択となりました。
  まあ¥100で糸巻き1本,てのは一般の邦楽器の修理代考えると冗談みたいなものなので,ぜんぜん構わないンですが。(w)
  基本はいつもの六角一溝の軸ですが,溝を深く切り角を丸めて,唐物と古式月琴に多い六角丸軸にします。
  スオウを少し混ぜて赤味をつけたヤシャ液で染めて,油磨き。先端には柿渋もふくませます。


  新しい棹が出来て,糸巻きも削りました。これであとは山口(サンコウ/トップナット)があれば,胴だけだったこの物体が,いよいよ楽器として音が出せる状態になるわけですね。

  棹がなかったわけですから,山口もなかったわけで。(w)オリジナルの寸法や形状についてはよく分かりませんが,同じ作者の他の楽器,また同時代の他の作者の楽器から見るに,おそらくはやや背の高い富士山型だったと思われます。


  新作の棹は唐物月琴ということで,背面への傾きを,いつもよりやや深めにとってあります。以前の修理楽器のデーターにこのへんも考慮して,今回の山口は背の高さを12ミリと決め,材料から切り出しました。

  今回の材料も国産のツゲ。以前,琵琶屋さんからもらった端材です。ひとつ前のKS月琴の修理でも使いましたが,きめが細かいのでちょっと磨いただけでキレイになる,じつに美しい木なんですよね~。


  棹がなかったわけですから,蓮頭もなかったわけで。(w)
  ここくらいは遊ばせてもらいましょうか----今回の蓮頭の意匠はコレです。

  北京とかでむかし,中秋節に飾ったウサギのお人形。
  「兎兒爺(とぅるぃえ)」と言います。
  ながーいお耳を外枠にして,コウモリさんも2匹つけましょう。
  月に関わるウサギ界のスーパースター,ウサ神様ですからね。
  この楽器を永く護り給え,鶴亀兎がぴょんぴょんぴょん。



  この楽器----というか「胴体」。
  清音斎と同じように,中心線の出しかたが至極テキトウだったようで,たぶん棹孔の位置が,中心線から見て右に1ミリちょっとズレちゃってたようなンですね。ヽ(゚Д゚)ノワァ こちらはそんなこと思いもせず,棹は国産月琴レベルで律儀に「真っ直ぐ」作っちゃいましたんで,そのまま挿すと棹が右寄りになって,糸を張ったときのバランスが悪い。(上左画像)

  そんで棹位置および角度の微調整にいささか苦労し,基部と茎がちょいとスペーサーだらけとなってしまいましたが。(;´д`)トホホ…なんとか糸のコースを 「月琴としてはまあ許容範囲」 くらいのところ(上右画像)まで修整することが出来ました。
  いくら事前に観察・計測していても,こんなふうに,実際そこまで出来てみないと気づかないことはあるものですねえ。

  棹がなかったわけですから,棹の上のお飾りもなかったわけで。(w)
  これもまあ,作らなきゃなりませんわな。

  初期のころにはこの柱間のお飾りは,それぞれに意味を持った違う意匠のものが付けられていたようですが,唐物も量産となると上から下までおんなじ意匠で,まあ少しカタチを変えてるくらいのものが多くなります。清音斎でもそうでしたし,この楽器もおそらくはそうだったんでしょうが,この桃だか仏手柑だか石榴だか分からないヤツ,一個彫ったら飽きちゃったんで,残りは違う意匠にしようと思います----というわけで,お魚さんと蝴蝶を凍石で彫りました。


  ほんとはもう一つ,牡丹も彫ったんですが,けっきょくこれは使わず。
  と言いますのも,オリジナルでは胴体の上端,第4フレットの上に一つ飾りが付いていたんですが,新作棹がいくぶん長かったせいで(はははは……玉華斎に合わせ指板長133ミリで棹を作ったんですが,じつは清音斎と同じ126ミリだったもよう。これもこの段になって気がついた),胴体上のフレット位置が7ミリほどズレ,オリジナルのお飾りを一個貼り付けるスペースがなくなってしまいました。
  もともとせまい位置についていたものなので,西洋音階にフレットを立てたときの,第2・3フレット間にぴったりはまったんですね~いや~不幸中のさいわいというか,幸運にもなんとか誤魔化せたというか。(w)


  フレットはオリジナルと同じく竹です。
  唐物月琴ではけっこう高級なものでも,竹のフレットが使われてたりしますね。
  日本の月琴では逆に,けっこうな廉価品にも象牙つけちゃったりしてますが…正直,竹のほうが使い勝手も音も良い気がするんですけどね。

  唐物月琴のフレットは,第1から第3までががめっぽう高く,4フレット以降はガクンと低くなります。


  これはもともとこの楽器では低音部で bebung 奏法,すなわち弦のおしこみによるビブラート効果を多用していたところによるもの,と庵主は考えています。
  庵主はこの楽器の起源を,唐やら宋に流行った「阮咸」なぞでなく,西南少数民族がダンス音楽に使っていた楽器だったと推測しています。今もそうですが,彼らの舞曲では演奏者も踊りながら立奏します。この姿勢だと,現在の月琴のように,指を高速で動かしてメロディーを奏でるよりは,低音部のせまい音階,特定のコードの中で循環フレーズを弾き,チョーキング,ハンマリング,そしてこのbebung 奏法などでアクセントを出すほうが,演奏としてより実用的かつ効果的なんですね。


  やがて国産月琴などではフレット全体の背が低くなってゆきます。
  bebung が使えるくらい背が高いということは,逆に言うと音の安定が悪いということ。
  なんせ指の力を少し入れただけで,音が高くなっちゃいますもんね。
  すでに本来の音楽で使われなくなり,きまった曲を,きまった音階で奏でなきゃならなくなったために,フレットの背を低くして,音の安定を求めたわけです。

  経済じゃありませんが,すべての変化は需要と供給のなかで生じます。だからすべての変化には,それなりの原因と理由が必ずあります。一見たいしたことのなさそうな変化の中にも,潜るとけっこう深いことが出てくる,そんなことはどこにでもあるものなんですよ。

  さてこれで部品はそろいました!
  胴だけだった楽器に,新しい棹がつき,糸巻きがつき,蓮頭が,山口がつき……

  元の状態が状態だったので,オリジナルと同じ音で響くなぞとはとうてい考えもしませんが,いや逆に,それだけに----月琴34号太華斎,いったいどんな音色を奏でるか。

  じつに楽しみです。

(つづく)


月琴34号太華斎(5)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(5)

STEP5 どうにもならないときもある


  胴体の修理は,いつものようにお飾り類の除去から。
  玉華斎あたりでもそうだったんですが,唐物月琴のお飾りは,けっこう良質のニカワで,余計なほど頑丈にへっつけられてることが多いんです。

  心ある筋の通った職人さんは,お飾りの類にニカワべっとりなんて,そんな事はまずいたしません。33号松音斎なんか,最高にお手本的な例だと思いますが,目摂や扇飾りなんかは,ニカワを塗るのも「面」でなく「点」で数箇所。それでも接着自体が巧いので,通常の保存・演奏ではまずはずれませんが,水で濡らすとたちまちポロリ。松音斎みたいに二千本以上も月琴を作った人は,お飾りやフレットが,修理やメンテの時には,はずさなきゃならないものであることを,ちゃんと分かってらっしゃるんですね。
  では,中国の職人は「心ない」人たちだったのか?
  違います----前にも書きましたよね。現代中国の月琴にこうしたお飾りをつける習慣はほとんどないのに,清楽に使われた唐物月琴についていたのはなぜか?それはこれらの月琴が演奏楽器としてではなく「輸出用の装飾品」として作られたものであったからだ,と。
  お目出度い時の贈答用に使われた装飾品楽器が,それと知らない日本人など外国人に受け,高く売れるようになったので,その装飾をいくぶん簡略化して,装飾品と楽器の中間ぐらいのスタンスで量産された----それがこの太華斎のような「唐物月琴」だったわけです。
  楽器の構造から考えた場合,これらのお飾りは音の邪魔にこそなれ,見栄え以外の益は一つもありません。上にも書いたように,演奏を続けていればかならず必要となるメンテや修理のことを考えたなら,せめて「はずれやすく」接着するのが筋というものですが,「装飾品」となれば,話は違ってきます。それもお目出度いお祝いの贈答品ならどうです?飾っているうちにどこぞがポロリ……そりゃ不吉以外の何物でもありませんよね。ではどうするか?

  そりゃこうしますでしょ----ううう,はずれん!

  けっきょく1時間以上かかりました。
  最後まで残った右の目摂などは,けっきょく少々強引にひきはがしましたが,あまり時間をかけすぎると面板への負担が大きくなるのでしょうがありませぬ。目摂,扇飾りともに裏面ほぼ全面に,べっとりとニカワが塗られており,ぬるま湯で洗ってもなかなかとれないほどヌルヌルになってました。



  一晩乾燥させてから,いよいよ本格的な作業に突入----まずは表板からまいりましょう。
  まずは表面板の裂け割れ部分を除去,つづいて右端に残った部分もひっぺがしてしまいます。
調査のところで書いたように,この楽器の胴体側部は,最大でも厚さが5ミリほどしかありませんので,切り開いたところから指を入れて持ち上げたら,いとも簡単にベリベリとハガれてしまいました。

  これで楽器の内部構造,とくに響き線にアクセスできるようになりました。事前の観察で,少しサビが浮いていたものですから心配だったのですが,線本体,基部ともに健全でした。
  表面を軽く磨いてから,柿渋を塗布します。しばらくすると柿渋が鉄と反応して表面真っ黒になりますんで,布で拭き取ると,黒いモロモロといっしょにだいたいのサビが落ちます。ここで再び Shinex に柿渋染ませたので表面を軽く擦り,線の表面に保護膜を形成。乾いたところでラックニスを軽く刷いて完成。


  極薄とはいえ表面に塗膜をつけるんで,反応はわずかばかり鈍くなりますが,何度も書いているように,ここは月琴の音のイノチです。しかもそんな大切な部品でありながら,通常は外からアクセスの出来ない部分でもありますから,楽器の寿命を延ばすためにもこのくらいはしておいたほうが,後々のためというものです。


  響き線の処置が済んだところで,表面板の再接着を。
  このとき大切なのは,周縁部より内側,内桁との接着部です。
  内桁がきちんとついていないと,音も良くならないし,いくら周縁部を接着しても,湿度や温度変化による部材の収縮で,また簡単にどこかが壊れてしまったりもします。
  胴体が箱のままだと,棹孔から筆突っ込んでニカワを垂らすぐらいのことしかできませんが,裂け割れ部分の除去と響き線の手入れのため板の右側を切り開いてありますんで,内桁へのアクセスも今回は楽。この作業スペースから筆を差し込んで,内桁と面板の裏面にたっぷり水分とニカワを含ませておきます。周縁部の剥離箇所にもニカワを行き渡らせ,クランプで周縁部分を,ゴムをかけ当て木を噛ませて内桁を圧着します。



  一日ほど間を置いて,表面板の再接着がうまくいったのを確認したところで,裏面板の処置に入ります。
  裏板は表板と違って裂け割れもなく,汚れも酷くなくて,オリジナルの状態そのまま,良い保存状態なんですが,側板との剥離とその後の部材の収縮によって,向かって右がわの周縁,側板との接着部に段差が出来てしまっています。
  上にも書いたように,この楽器の側板は厚みが最大でも5ミリほどしかありませんので,このまま再接着しても段差ができるうえ「のりしろ」が狭すぎてまた剥離しかねません。そこで,中央に近いあたりの矧ぎ目からいったん切取り,あとでスペーサーを噛ませて再接着しようと思います。

  裏板はもともとキズのない状態だったので些かもったいないんですが(汗),どうせ直すなら直せるだけ直しておきましょう。
  作業部分の切除が終わったところで,こちらも残りの部分の剥離箇所を再接着しておきます。

(つづく)


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