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月琴34号太華斎(終)

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斗酒庵 胴にどうする の巻2014.1~ 月琴34号 太華斎(7)

STEP7 どうかこのこにあいのてを


  部品もそろったので組上げてゆきましょう。

  左右の目摂は一度濡らしてはずしたあと,ずっと板にはさんで重石をかけておきました。
  真ん中の扇飾りだけずいぶん色が落ちてしまいましたので,スオウとオハグロ液で補彩して,左右の鸞鳳と色合いを合わせてあります。仕上げに色止めと艶出しを兼ねてダークレッドのラックニスを布ではたき,木灰や炭粉で古色を付けておきます。

**「月琴お飾り考」 長いんで読まなくてもいーです。**


  日本の月琴ではこの部品,ホオの板で作ってることが多いんですが,唐物のは面板と同じ桐板が多いようですねえ。

  実用的な月琴にはこういうもの付けてなかった,というところから見ても,彼らもこうしたお飾りは音の邪魔にしかならないということを,基本的には知っていたと思います。面板と同じ材質の板が使われているのは,端材の無駄ない再利用という一面もあったでしょうが,せめて同じ材質のものを用いることで,音への悪影響を軽減しようと考えた面もあったのかもしれません。

  まあそもそも,主たる共鳴板の上に,その振動を阻害する物体を貼り付けること,そのものが問題なのであり,その材質が何であってもほぼ関係ないとは思いますが。(汗)


  逆に考えますと,日本の職人さんはなぜ桐板でなく「ホオの薄板」を使ったのか?
  国産月琴,とくに数打ちの普及版月琴は多く,胴や棹の主材としてホオやカツラを用いてますから,その意味では条件的に唐物月琴と同じと考えられますが,問題はこちらの場合,そうした材料は元の状態が「板ではない」ということです。カタマリから薄板を切り出す----桐ならまだたやすいかもしれませんが,加工が容易な材とはいえ,ホオやカツラから薄板を挽き出すのはそれなりの手間です。

  前にも何度も書きましたが,ノコギリってのは木目に沿った縦挽きのほうが,木目と直角に切る横挽きの何倍も大変なんですよ。ウソだと思ったらやってみい。

  ----さらに推測するなら。
  もし職人さんが自らそうした薄板を切り出していた,として。その材料はもちろん,胴や棹を作った余り,端材部分なはずで,そういう不定形な材料から,薄い板を切り出すのはさらにタイヘンな作業となります。少なくとも庵主ならそんなこと,わざわざしたくないですね。(w)


  よってケツロンとしましては,日本の職人さんはこの部品を作るため,最初から薄く切ってある板を買ってくるか,手持ちの材料から挽いてもらうか(製材屋さん,て類ですね)してた人のほうが多かったはずです。
  それほど大きな部品でもありませんから,いくら利益率の低い楽器だとは言っても,コスト上さほどの負担にはならなかったでしょう。また,大きな工房だとお飾りの工作は,小僧さん・お弟子さんあるいは家族にやらせる,ということもあったでしょうし,自分ではまったく作らず,あるデザインを決めて一括で外注する,ということもあったと思います。

  たとえば,石田不識(初代)の初期の飾りは,技巧的にはやや稚拙ですが,デザインに特徴があるほか,刀の入り方が特殊で,ちょっと真似するのが難しいシロモノでした。

  それが中期以降になると,外見的にはよくある典型的なデザインとなる一方,技巧的にかなり精密で高度なもの…ただし「精密なので」真似するのは難しいですが,ただそれだけのシロモノ,になっています。(27号,KS月琴の修理記録参照)これなぞは量産の過程で,手間のかかるお飾りを外注するようになった例なのではないかと,庵主は推測しております。


  唐物の月琴も明治の国産月琴も,同じ名前,同じような形,そして日本では同じ音楽に用いられたものではありますが,その研究においては 「いまはこうだから,むかしもこうだったろう」「日本でこうだったから,中国でもそうだろう」 も,またはその逆もナシです。そもそも,当時の中国音楽が,かならずしも「清楽」とはいえないように,日本で演奏されていた清楽曲も,かならずしも「中国音楽」であるとは言えません。二つ国のはざまにある,こうした音楽やその文化を研究するためには,それぞれの国の事情をともに思慮勘案し,一つづつ分けて考えてゆくこと,そしてそれを積み重ねてゆくことが,この音楽分野全体を解き明かすための,もっとも大事な「本当の基礎部分」となります。

  そのためには----儒家もまず,物に格(あた)れ,と言っております。音楽自体がどうだの,文人墨客がどうだのといったあたりは,「まずそこに存在するもの」見えるもの残っている事物の整理や考証をしっかりと行ってからでなければ,結局のところ,ただそれらしいことを並べただけで内容の薄い研究にしかなりえない,と庵主は考えます----とはいえまあ,王陽明先生も「格物致知,竹でもきわめてみよう」と思って,竹をじッとニラんでたら三日でノイローゼになったそうですから。月琴については,ウチのブログ参照するぐらいにしといてくださいね。(w)

  さて今回は,こういう余計なことをあちこちに書き散らしたため,修理報告も(7)まで来てしまいましたが。
  そいじゃあ一気にまいりましょう。

  竹のフレットは,ヤシャブシで煮て,ラックニスを染ませ,亜麻仁油とロウで磨いてあります。
  いつもですと庵主,白い竹肉をやや濃い目の黄金色に染めて,表も裏も分かんないようなまッ黄っきに染めるんですが,今回はオリジナルに似せて,ヤシャブシに木灰と炭粉を混ぜ,表はピッカピカに,でも裏面はあまり磨きをかけず,竹肉の風合いを残して少し「枯れた」色合いにしました。

  今回の棹は唐木なので,ニカワの着きがイマイチ。そこでフレット位置をチューナーで確認したら,こういう端材の四角い棒に紙ヤスリ貼ったもので接着面を荒らしておきます。ここに綿棒でお湯を染ませ,ついでニカワを薄く塗って接着します。
  着いたところからお飾りもニカワを塗ってのっけてゆきます。こちらは固定圧着のためマスキングテープをかけときましょう。


  バチ布はとりあえずこれにします。臙脂の梅唐草模様。

  フィールドノートの記録と日焼け痕から大きさを確認して切り出し,上角を丸めてできあがり----やや小さめで可愛いですよねえ。

  国産月琴では,左右の上角は直線で落としているもののほうが多いんですけど,この大きさとカタチも,唐物スタイルですね。


  ----で,今回の修理,最後の作業はラベルの偽造です。(笑)

  心ある善良な修理者ならば,手を染めない分野か,とも思いますが。
  太華斎の場合,このラベルが胴体中央の装飾にもなっているので,なんとかせにゃあなりません。

  庵主は,すでに23号の修理でも似たようなことはやっとるんですが,あちらの場合には,そもそもオリジナルのラベルが,表裏どちらも文字が見えない状態,原状の分からないものだったので,結局は「それらしい」ものをこさえて貼り付ける,と言った程度でした。しかし,今回の場合は無くなってしまったオリジナルのラベルを「それっぽく」作る----要するに「偽造行為」をはたらくわけで(汗)……「そこにあった」ラベルの復元製作,と言ったら少し聞こえがいいかな?

  まあこの楽器の場合,裏面にもう一枚「太華斎」のオリジナルラベルが残ってますので,「作者僭称を目的とする偽造」 にあたらないあたりがサイワイかと。(w)

  まずは用紙を作ります。
  薄くて丈夫な和紙を二枚,目を交差させて貼り合せ,スオウを染ませます。
  裏表ひっくりかえしながら四度ほど,しっかり染ませたところで……

  いつもですと重曹でアルカリ媒染なんですが,今回はちょっと確認したかったこともあり,ミョウバンによるアルミ媒染とします----「○○媒染」とかそれっぽい語彙使ってますけどね,実は庵主,それぞれがどういうことなのかは,本当のところ,まったくよく分かっておりませんことよ。(^_^;)


  ま,ともあれ。
  うむ,やはりな----この色じゃ。

  茜とか朱に近い,オレンジっぽい赤色になりました。 重曹とか木灰液で媒染すると,やや青みがかった赤~赤紫になるんですが,ミョウバンだとこういう色になるわけですね。

  実は,お飾りをはずしたとき,その痕跡についていた色がいつもと違っていたので,その染料についていろいろと考えていたんです。


  これですね。作業中,布に着いた色が,はずしたお飾りを拭いたときに着いたのとまったく同じ色,表面板の上に残ってるお飾りの痕跡と同じ色です。
  染色の主剤はおなじスオウなんですが,この太華斎,スオウの発色・媒染剤にミョウバンを使っておったわけです。

  木工が主となる唐木細工や楽器職の使う染料と言うものは,とうぜん専門の染物屋さんのそれほど種類が多いはずがありません。面板の黄色と軸や飾りの茶色や黒はヤシャブシで,赤や赤茶はカテキュー,紫檀に似せるときはスオウを,黒檀に似せる時はスオウとヤシャブシ(黒)を組み合わせて……など。その少ない種類をいろいろ組み合わせたり,こうして補剤を変えることによって様々な用途に使っていたのですね。


  さて,目出度く真っ赤になったこの蘇芳紙を乾かし,40×50に切って……ペンで描きます,シコシコシコ。
  ちなみに庵主愛用のGペンはゼブラです。ああ,漫画描いてた(じつは今も描いてる)経験が,こんなところで活かされるとは…

  オリジナルは木版,こうやってペンで書いただけでは,見る人が見れば線を見ただけでバレちゃいますので,イロイロとアレをナニして,見る人が見ても分からないように悪の工夫を加えます。(笑)


  ----こうして作った庵主渾身の偽造ラベル(笑)を貼付け。
  2014年2月4日,自出し月琴34号太華斎。
  首無しの深淵から蘇えり,楽器として再生いたしました!


  胴体のみの状態だった楽器の再生----ネックがまるッとナイ,というのは欠損としては大きなものですし,ふつうに考えれば楽器としては再起不能の状態,と言えましょうが……何度も書いてますように,月琴という楽器の良し悪しは,ほとんどその胴体構造の出来によって左右されます。また,三味線や月琴のようなスパイク・リュート属の楽器は,ギターやマンドリンのように棹が固定されているわけではなく,棹をまるっと交換するということも構造上可能となっていますので,胴体さえ無事ならまあなんとか,このようにいくらでも再生可能なわけで。


  しかしながら今回はなにより----

  首がなかったんだからしょうがないよ。(笑)

  というフレーズが脳内で何かと使えるオカゲか,ふだんの修理より気がラクでしたねえ。やってることはおよそふだんの修理と変わりないんですが,楽器の半分が失われ,オリジナルの状態が分からないもんですから,修理と創作の中間みたいな感じ。完璧な「原状復元」はもともと不可能なハナシなので,プレッシャーが少なかったんでしょう。
  反省点といたしましては----


1)棹の取付け位置が曲がっていたのに気がつかなかった。
  ために棹の基部がスペーサーだらけとなってしまいました。

2)棹(正確には指板部分)が約7ミリ長かった。
  これも過去資料を勘案するとき,胴体上のフレットやお飾りの位置までちゃんと気を配っていれば,気が付けたとは思うんですが,平均して多いほうの数値に従ってしまいました。

----といったあたりがありますが,もう後世にまかせます。

  でもまあ,首がなかったんだからしょうがないよ。(笑)


  硬く重たい唐木が多用されているわりには,音ヌケのよい明るい音色です。
  一つには側板がタガヤサンながら極限に超薄々なためと,表面板が比較的硬めの桐板で構成されているためでしょう。
  ただ逆に音ヌケが良すぎて余韻が少々物足りない気がします。古式月琴らしい長い響き線を持っている割には,やや「深み」というものに欠けましょうか。これもまた側板が薄々なせいだとは思うんですが----そうですね,音が「余韻」になる前に外に出ちゃう,って感じがしますね。

  しかしながら----じつは庵主,この音けっこう好きです。
  邦楽の人は,変に重々しかったり,余韻ばっか響くような楽器が好きみたいなんですが,この楽器はもともとポップスの楽器です。ウ○コ漏らすのガマンして唸ってるみたいな歌に合わせるような楽器じゃないんで,むしろこのくらいの音がホンモノなんじゃないかな,と思ってます。


  何にせよけっこうな修理だったため,まだ多少あちこち部材が安定していないらしく,現在まだ音色が安定してませんが,この基本的な印象はこの後もそう変わりますまい。

  庵主はいつもなら修理ラベルに「保佑長久」(とわにまもりたまえ)」とか願いの文句を入れるんですが,今回は蓮頭に神様を付けちゃったので,楽器の保佑はそちらにお任せして「有縁修斵」(縁あって修理しました)とのみ書きました。

  34号太華斎,蓮頭におわします「兎兒爺」とともに,めぐる月日の中秋の月を,永久にくりかえし,見られますように。

(おわり)


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