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明笛について(16)

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斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛・清笛-清楽の基本音階についての研究-(16) 明笛36号

STEP1 天から笛が降りましたぞえ


  さて,窮すれば通ずる,という言葉がありますが。
  今回の実験製作が始まってしばらくして,工房に一本の古い明笛がとどきました。
  ネオクで落とした明笛36号。
  頭尾のお飾りはなく,指孔のところバッキバキに割れてますが,管体だけでその長さ58.5センチ----間違いなく古いタイプの明笛ですね。

  このシリーズの第一回目で書いたように,庵主の手元にある,清楽に用いられた古いタイプの明笛の実物は,これまで31号しかありませんでした。
  実験製作を始めたのも,せめて文献から復元した楽器を使って,その比較対象としようと考えたからで,なんにせえ,いくら庵主がノラの研究者だとは言え 「たった一本の笛のデータ」 を基に,一時は全国で流行したような「清楽」という音楽分野の基本音階を語るなんてえことはやりかねます,ハイ。(w)

  実験製作も順調で,ここまでの過程だけでも,面白いことがあれこれと分かってきたと思ってますが。
  そこでこの2本目の古物明笛の到着。これぞまさしく天佑であります,ありがたや。

  かなり手ひどく壊れてますから,元通り音が出るところまで修理してやれるかどうかは分かりませんが,サイズ・寸法の詳細が得られるだけでもエラく助かります。なんせこれで,比較されるべきオリジナル・データが二倍になったわけですからね。
  古いタイプの清楽明笛の貴重な実物資料,ともあれ測定です。

  月琴と違い明笛の場合は形態が単純なので(まあ早い話ただの竹筒w),測定結果は図説にまとめたほうが分かりやすいですね。
  こまごまとは書きませんので,上画像をクリックで拡大してください。詳しい数値はそちらに。
  右画像は比較参照用,前回も載せた『清楽独習之友』の雛形(右)。現在製作中の自作明笛は,この文献上の寸法を基にしています。
  筒音を決める歌口-裏孔間は313ミリ,指孔の間隔はだいたい27ミリ,裏孔から第1孔までの間隔が40ミリ……うむ,窓ふたつ開いて比較してもらえると分かるんですが,36号,平面的な寸法は『清楽独習之友』の雛形にほぼぴったり符合しますな。
  ただかなり管が細いです。管尾のほうの内径がギリギリで約1センチ。
  材質は煤竹のようです。当初は染めたモノかな~と思ってたんですが,指孔のところの割れ目から見える断面の色が,染めた偽煤竹の色じゃなく本物の煤竹っぽい色でした。

  管頭部分は,31号よりさらに長いですね。
  さらにここ,空洞じゃなくって,中に何か詰まっています。
  もともとこの部分には,歌口のすぐ上のところに反射壁とするための和紙や新聞紙を丸めたのが詰め込まれますが,それは大体長さ1~3センチ程度のもので。それがこの36号では,管頭の端かなりギリギリのところまで何かが詰められております。開口部から内部をのぞくと何やら乾いた細かな繊維のカタマリが見えますね。前に買った「李朝花鳥横笛」の詰め物に似てるなあ。ワラや枯れ草の繊維を細かく細かく割いたようなものですね。
  見えてる部分はカサカサで軽そうですが,これはあくまでフタのようでして,謎の固く重たいものは,この奥に詰まっているようです。ハテサテ,ここになにか入れ込もうと考える人間が庵主以外にもいるとは思わなんだ。

  その「詰め物」のおかげで,この笛,やたらと重いのですね。吹く時のカウンターウェイトになってるのだとは思うんですが,ハイ,そのあたり実際のバランスなどは,直して吹いてみないと分かりませんね。

  内部は汚れまくり。ホコリが堆積していて塗りの具合も分かりません。そもそも塗ってあるのかどうか?
  何やらムシさんの巣だったようなカタマリや,繭の脱け殻みたいのまで一つならず見えますねえ。(^_^;)

  31号には 「乾隆乙卯(1780年)」 という年記が入っていましたが,こちらの笛には 「乾隆丙寅(1746年)」 と,またさらに古い年号が入ってます----アホたれ,こンなもん誰が信じるかい!(w) 理由・根拠はまあいくつもありますが,まずその筆頭は,ここに刻まれてる文句そのものです。管頭が 「清明時節雨紛紛…牧童遥指杏花邨」 指孔の左右が 「朝辞白帝彩雲間/千里江陵一日還」----

  ああイイねェ…杜牧 「清明」 に 李白 「早発白帝城」 かァ…なんて思ったそこのアナタは,ある意味,文人演奏家の資格ナシです。(www)
  前々世紀の文人ってヒトたちは,知識のゴンゲ。この手のことに関してはかなーりイヤミ(w)なんです。 こんな子供でも知ってる 「第一水準」 の漢詩 彫ったら,恥ずかしくって吹けやせンです。(w) しかもコレ,上の詩と下の詩に関連がない。単に有名な詩と,同じく有名な詩の一節をただ刻んだだけ----これはイタダケません,ダメ,ゼッタイ。 せめて上下を読んでしばらく考え,「…ああ。」 ( ̄ー ̄) ニヤーリ となるくらいのネタは,フツウに仕込んでくるんですよ,むかしの知識人てのは。

  次にその年記。そのこッ恥ずかしい杜牧「清明」に続けて 「乾隆丙寅年時唐菊月上浣日乃為/聚集唐古人〓 石生斎刻」 とあります。一字だけ読めませんでしたが,まず清朝の人なら 「唐菊月」「唐古人」 という言い方はしませんね。最大の理由は「そこを強調する必要が何もないから」,ですね。
  こりゃまあ,本物であることを強調しようとして,かえって失敗する。ヘタクソな詐欺師の実例ですな。
  江戸の職人さんなら,何か「ニセモノ」を作ろうってんでも,大抵は二ヒネりくらいは「見立て」を仕込んできます。 そりゃ一つには,そうしたほうがバレた時,粋な言い逃れが出来るからッてとこもあるんですが----このセンスのなさ----明治以降,薩摩とか長州属のおエラいさんが,どッか田舎から連れてきた職人さんあたりかなあ?(Dr.ヘンケン ww)

  以上のような理由(プッ)から,庵主はこれを唐物とも,年記どおりの古物ともモチロン考えず。
  明治期に日本で作られた明笛であろうと推測いたします。上にも書いたよう,唐物でなかろうことは上にもイヤミた通りですが,ほかたとえば清楽に手を出していたような江戸時代の知識層なら,清朝の知識層同様,まずこんな漢詩を彫った明笛は用いない,ということ。熊さん八つァんまで月琴に手ェ出してたような清楽の大流行期なら,これで逆に高く売れたでしょうねえ。(w) ただそれが明治半ばまでの早い時期のものなのか,逆に流行の盛りを過ぎてからのものなのかは,まだちょっと悩んでいます。

  さてこの笛を購入した最大の目的である寸法データの計測と収集は,修理前全景の画像にすべて書き込んでありますので,そちらをご覧ください。今までの例と比較して,寸法から推測されるこの笛の筒音は4Bですが,果たしてほんとにそう鳴るかどうかは不明です。またかなり手酷く割れてるので,修理が成功したとしても,完全に元通りの音が出るという保証はありません。まあそもそも,壊れる前の音を聞いているわけではないので,それが「元通りの音」なのかどうかすら分からないわけですが。(w)

  んではダメもとで修理に入ります。
  まずは割れている指孔の部分を,濡らして絞った新聞紙でくるみ,ラップをかけて半日ほど放置。


  水が滲みて,竹が少し柔らかくなったところで,パイプバンドで軽く締め付け,形を整えながら乾燥させます。
  一日ほど置くと,少し盛り上がってた割れ目が平らになり,幅もせまくなりました。

  昔ですとこれで割れ目をニカワで止めるか,ウルシを流し込んで接着,その後籐巻きして,ってとこでしょうが。
  現代には現代のやり方もあります。

  このごろよく使うなあ----と,お思いの方もいらっしゃるかもしれませんが,おなじみのエポキです。
  こいつの利点は,少量でも強力に接着されること,接着層が強固ながら弾力もあり,充填材としても使用できることですね。
  竹という素材は,繊維に沿ってだとたやすく割れちゃいますが,その硬さと強度は実のところ唐木なみなんです。割れた笛を,木工ボンドとかセメダインで何とかしようとした痕跡を何度か見てますが,大抵はまたすぐ,もしくは最初から失敗してますね。そのあたりの接着剤では竹の「力」や「硬さ」にはとても太刀打ちできません。


  エポキは2液タイプのを使います。庵主は硬化時間の長めの物が好きですが,まあ手先の素早さ等に自信がおありならなんでも良いでしょう。
  よく混ぜたエポキを,附属のヘラの代わりにクリヤーフォルダを切り刻んで作ったこの薄々ヘラに接着剤を取り,割れ目のスキマに差し込んではなすりつけるのを繰り返します。この方法だと,貫通している場合には,かなり狭い割れ目にでも接着剤を塗りこめますね。この接着剤は,接着面に確実についてさえいれば,多少幅が狭くともしっかりと接着されますから,この作業は硬化時間の許すかぎり,とにかく丁寧に,まんべんなく。
  とはいえ付けすぎはイケません。 「流し込む」 んじゃなく,あくまでも割れ目の破断面に 「塗りたくる」 感じで。 ニカワの接着で何べんも書いてきたように,木工における接着作業で最高の強度を得るためには,適量の接着剤とユルめの圧が最良なのです。 接着剤の量が少なければ着きが悪くてすぐハガれ,多ければ接着剤の層から割れ壊れる可能性が生じ,圧がゆるすぎれば着きが悪く,キツすぎれば材の余計なところに負担がかかって別の箇所が壊れたり,却って材の反発を招いてまた同じところから壊れたりということになります。
  破断面に接着剤がうまく行き渡ったら,再びパイプバンドでしめつけます。
  割れ目からにじゅるとハミる接着剤の具合を見ながら,上に書いたように接着に必要なていどの,適度の圧ってので---え,どのくらいかって?---聞かないでください。庵主にも答えられません。(w)

  用心のため二晩ほど置きます。
  その間に出来ることをやってしまいましょう。接着中なのは指孔部分なんで,笛の頭とお尻の部分には影響がありません。 頭尾の飾りを作ります。今回の材はツゲ。だいぶん以前に買い込んだ,薩摩琵琶のバチの端材ってのがまだけっこう残ってましたので,これを切り刻みなしょう。
  管頭のは,管に合うサイズの円柱を作って,その一方を凹に刳ります。管尾のほうは,サイコロ状の角材段階でまず真ん中にドリルで孔を貫通,リーマーとかヤスリで広げながら接合部とフィッティングします。うまくハマったところで外がわを削り,整形して完成。ツゲは目が細かいので,かなりの薄物でもこのとおり,何とかなりますね。

  養生終えて,パイプバンドをはずし,ハミでたエポキをこそげ落します。
  庵主はこの作業,深澤ヤスリさん特製の四面ヤスリの細かいほうでやりますが,ヤスリはごく軽く当てて,竹の繊維に対し必ず垂直に,一方向にしか動かしてはなりません。ゴシゴシ往復させると,余計なとこまで削れちゃったり,あるいはせっかく充填した,溝の中のエポキまでとれてきちゃったりしますからね。左作業前,右作業後です。仕上げはShinexの細かいほう。紙ヤスリだと平らに削れちゃうことがありますが,スポンジ系の研磨剤だと曲面にフィットしてほどよく均してくれます。
  第1-2,2-3孔間の割れ目は,ほぼ完璧に埋まりましたね。もともと細いものではありましたが,もうほとんど見えません。これに対し,3孔以降の割れ目は少し見えますが,この部分はもとがけっこう酷かったので,このあたりが限界といったところ。もとは割れた上に盛り上がってましたが,修理後は触ってもほとんど分からないくらいにはなっています。

  修理に先立ち,管の内部を清掃したところ,この笛には中国の笛子と同様,管内に塗りが施されていないことが分かりました。
  この笛の材料になっている煤竹というモノは,基本的には普通の竹よりずっと安定した素材ですが,やはり笛なんてモノにした場合は,この日本の気候の中ではかようなことになってしまうようです。(前回記事参照)
  そのバッキリ割れてたのを修理したこともありますし,多少もったいないのではありますが,修理部の保護と楽器の延命のため,内外に塗りを施すことにしました。といってももちろんベットリ塗りこめてしまうようなワケでなく,カシューの透きで,内がわを二三度,外がわをいわゆる拭き漆ていどに,ってあたりですが。
  これによりオリジナルの音よりはやや甲高くなるかと思いますが,まあ何度も書いてるとおり,そもそも壊れる前の音を聞いてないのだから,ある意味どうでもいいのかもしれません。(w)

  ハジメ見たときは正直 「あちゃ~,吹くのはムリかなこの笛…」 と思ってたんですが,見た感じは意外と上手く直りましたねえ。もちろんまだ吹いてみておないので,そもそも音出るかどうかも分かりませんが。(w)
  もともと自作明笛との形態・工作上そして寸法的な比較が目的で購入したこの笛。音階など,実際吹いてみた結果につきましては,この後の報告 「明笛の作りかた(3)」 以降のなかでご報告することといたしましょう。では----


(つづく)

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