« 明笛の作りかた(3) | トップページ | 月琴35号首無し2(1) »

明笛の作りかた(4)-清楽の音階について

MIN_18.txt
斗酒庵 明笛を調べる の巻明笛について(18)- 明笛を作らう!(4)

STEP4 どんなふうに作らう?(4 完成篇)


  カシューでの塗りが終わったら,1~2週間ほど乾燥させたあと,亜麻仁油を染ませたShinex(#1000相当)で軽く均します。
  擦る,というよりは何度も何度も軽く「ぬぐう」って感じですかね。もともと「保護塗り」ていどのもので,塗膜は厚くありませんので注意してやってください。

  内がわも棒の先にShinexくくりつけたのをつっこんで同様に,こっちは多少乱暴でも大丈夫。製作中のホコリとか固まっちゃったりしますから,そのあたりは削って均しましょう。


  外がわの仕上げは和紙で擦ります。

  きめの細かな柔らかい和紙を少し揉んで,それで筒をくるんで往復。こちらも「磨く」というよりゃ「ぬぐう」感覚で,気楽に時間かけてやってやってください。漆器の仕上げとおんなじ。油落しと磨きの両方兼ねてますね。



STEP5 そして 「清楽の音階の結論」(仮)

  さて,できあがった笛で,いよいよ測定です。
  よく引かれる大塚寅蔵『明清楽独まなび』(明42)の対応表にある音階,同時に修理していた明笛36号,もう一本の古式明笛31号の結果もいっしょにご覧ください。
  明笛の運指は修理報告でいままであげてきたのと同様です。
  36号から先については,明笛で筒音を決める歌口-裏孔間,指孔の配置など,平面的な寸法はほぼ同じですが,はてさて----

31号2-4(長)2-7(龍頭)2-5(短黒)2-6(短白)36号
#/Bb4Bb+104Bb-404Bb-204Bb-174Bb±24B-5
5C-304B+55C-355C-395C-405C#-30
5C#+145C#-455C#+285C#+355C#+305D-15
#b5Eb-205D5Eb-265D+455Eb-235E-20
5F-205E5E+335E+325F-385F#-30
5G-305F#-305F#+335F#+155F#+195G#-25
5A-55G#-455G#5G#+205G#-195Bb-30

  31号がだいたい寅蔵の対応表に一致していますね。
  2-4が少々低くなっちゃいました。今回作った4本と31号はだいたい同じくらい~やや太めといった感じですが,2-4だけちょっと太すぎたかな?2-6の「尺」は材の曲がりの関係で,こんなんなっちゃってるみたいです。なのでこのピンクのあたりはあまり信用できない数値かと。(^_^;)


  36号,寸法は四竃訥治の本にあったのとほぼ一致していたんですが,全体にほかより半音高いですね。
  平面的な寸法は自作明笛とほぼ同じですが,この一本だけ通常の笛竹でなく,煤竹で作られています。材料の関係で内径が最小1センチあるかないかのため,半音高くなっちゃったんでしょうねえ。古式明笛ではありますが,数値としては音と音の間の関係を参考とするくらいにしか使えません。


  これは "Transactions of the Asiatic Society of Japan (1891)" に見えるC.G.Knott "REMARKS ON JAPANESE MUSICAL SCALES." にある,明治時代の月琴の音階の測定表。西洋音階のドを振動数300とした場合の比較で,「Chinese」は当時の中国製月琴(唐渡り),「Nagahara」は長原社中(大阪派)で使われていた月琴,「Keian」は東京派の流祖・鏑木渓庵自作の月琴です。
  どれもそれぞれたった一つの楽器による比較なので,これだけではそれぞれの流派,そして唐物と国産月琴で違いがあったという証拠にはなりませんし,月琴の全音階ではなく,低音弦のみの音階なので「シ(乙)」の音の測定値がないなど問題がありますが,明治時代の月琴の実音測定資料としては貴重なデータです。

  清楽にも「排簫(はいしょう)」という,バグパイプ状の音律笛が,いちおうあることになってはいるのですが,これは明楽のものをそのまま取り込んだもので,通俗音楽である清楽には元来関係のない楽器です。またその生産数も少なく,これが実際に,調音笛として使用されることはまずなかったと考えられます。
  そこからも月琴の作者はフレット位置の調整を,身近な明笛に合せてやっていたと考えられます。Knott の記録は残念ながら不完全だし,低音弦のみの音階であるため,高音域の音階の数値がいささかアテにはなりません。そこでいままでやってきた月琴の修理記録のなかから,低音弦の開放弦上=4Cとした場合の,1~6フレット(尺~六)のオリジナル位置での音と,高音弦の2フレット目,すなわち「乙」の音の部分を抜き出し,Knott の表に倣った,擬似的な7音階の羅列としてみましょう----


器体名合(六)四(五)
清音斎(唐物)4C4D+54E-344F#-474G+234A-24B-49
月琴14号(玉華斎 唐物)4C4D-104Eb+214F+214G-114A-394Bb+18
月琴23号(不明 唐物)4C4D+44E-214F+204G+364A+44B-31
月琴13号(石村義重 東)
江戸期
4C4D-114E-124F+234G+284A+114B-18
L氏の月琴(倣製唐物)4C4D+74E-224F4G-44A-184B-44
月琴25号(倣製唐物)4C4D+194E-224F+294G+294A+134B-41
KS月琴(石田不識 東)4C4D+194E-54F+224G+214A+174B-14
月琴18号(唐木屋 東)4C4D4E-304F+74G+114A-54B-40
月琴19号(山田楽器店 東)4C4D+114E-224F-74G+254A+154B-24
月琴33号(松音斎 西)4C4D+24E-254F+24G-174A+24B-43
月琴30号(松琴斎 西)4C4D+184E-174F+194G+34A+64B-35
月琴22号(鶴寿堂 西)4C4D+344E-224F+154G+204A+74B-32

  いささか色キチガイ的表ですが----(w)
  色分けされた楽器はそれぞれ,中国製の古渡り唐物月琴,次にそれを真似た初期の倣製月琴。
  そして関東で作られた国産月琴。明治の東京では渓派の勢力が強く,石田不識(初)は鏑木渓庵の弟子,その楽器は製作者でもあった渓庵の月琴の影響を受けていると考えられます。ほか2器は当時の大メーカー,山田楽器店などはかなりの数を作っています。おそらく万に届くくらいでしょうね。
  ついで関西で作られた国産月琴。松音斎の住所は不明ですが,5千近い数をこなした月琴界のイチロー。その影響が松琴斎の楽器に見られることから同じ大坂の作家だと考えられます。鶴寿堂は芸能の盛んだった名古屋の作家。西方面は連山派の影響が強く,その楽器はトラディッショナルなデザインのものが多く,関東のものに比べると寸法上は唐物にやや近い。東京で渓派と拮抗していた長原梅園・春田の派閥,Knott 書くところの「長原社中」は連山派を踏襲してますが,楽器などにはさほどきまりはなかったようです。

  「工」と「乙」の音が大体平均して低くなっているのが分かりますよね。

  「工」のほうは20%ほど,「乙」は半音ちかく低くなっています。一番先にあげた笛の表でも,寅蔵は「工」を「G」とするのに対し,31号が30%,自作明笛のほとんどは半音ちょっと低くなってます。「乙」も寅蔵はDとしていますが,こちらは31号も自作明笛もC#すなわち半音以上低いわけです。

合(六)四(五)
大塚寅蔵表#/Eb#/Bb
明笛31号音階5Eb-205F-205G-305A-54Bb+105C-305C#+14

  またこうした月琴のオリジナルフレット位置による音階との類似性から,明笛では31号と自作3本の音階を平均したあたり,寅蔵の表より全体にやや低め,とくに「工」と「乙」をそれぞれ上記のくらい下げたあたりが,清楽でよく使われていた音階の標準に近いのではなかろうかと,庵主は考えます。

  いやあ足かけ3年以上,月琴も明笛も30本以上扱ってきましたが,ようやく結論っぽいとこにとうたつできたかなあ?


(つづく)

« 明笛の作りかた(3) | トップページ | 月琴35号首無し2(1) »