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月琴の製作者について(2)

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月琴作者列伝月琴の製作者について(2)-光斎と松琴斎-


  東京派の流祖・鏑木渓菴の本業は画家,なりわいとして古物屋や煎茶の先生をやっていましたが,自分で楽器を作って売ってもいた,とされてます。楽器作家としての号は「清音斎」。同じ名前のメーカーが唐物楽器にもあるので多少面倒くさいですねえ。(w)
  明治時代に香川県で開かれた博覧会の目録(『明治十二年琴平山博覧会出品目録』)に 「月琴(一) 清音亭 高知県阿波国徳島 四宮広次」 とあるのなぞも,その一本らしく,また早稲田大学のアーカイブにある「宇田川榕菴楽律研究資料」にも,その渓菴作の月琴の実測資料が入っています。

  ちなみにこの楽器は渓菴より少し前からの清楽家,というより趣味人として知られていた石田月香の持っていたもので,楽器に紙をあて,フレットや半月の位置で墨をはたいて直接,拓本みたいに写し取ったものですが,これから見るにその楽器は,有効弦長がだいたい420。山口下端から各フレット下端までの間隔が----

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-----といったところであったようです。

  いままで採ったデータからいうと,関西の作家さんの楽器と,このところ扱ったなかでは40号クギ子さんなんかがかなり近いですね。

  石田不識(初代)なんかは,音楽のほうでは渓菴の直弟子ですから,楽器もこれに近いかと思いきや意外と合致しませんし,唐木屋の楽器なども,関東の作家さんの中では比較的トラディッショナルな作りをしているんですが,もう少しおおぶりですねえ。

  榕菴さんが測ったこの楽器については,現存しているかどうか不明ですが,各部だいたいの寸法や半月の大きさなんかもだいたい分かってますから,機会があったら復元楽器でも作ってみましょう(w)。

  まあ渓菴の場合は,本人かなりのインテリですから,庵主みたいに手づから木ィ削ってギーコギコ楽器をこさえてたとも思えず,これもおそらくはサイズや意匠を細かく指定して,石田不識のような楽器職や出入りの職人とかに作らせてたんだとは思います。

  古琴,すなわち七弦琴などは基本的に(建前上は)楽器は自作するモノ,ということになっています。このくらいのご高尚な世界になりますと,楽器を弾く,ということは,その音や演奏技術をきわめることではなく,楽器そのものの構造や寸法に秘められた意味あいを,きちんと理解し,それを定めたいにしえの聖賢に思いを馳せる----というところからはじめることになっているからですね。
  さて,そういう 「文人音楽」 の余香を残していた時代の月琴は,長崎に来た清商(清国の商人さんたち)を介して入手した貴重な輸入品であったり,こうして遠山荷塘や鏑木渓菴がしていたように,それらを模して作られた(もしくは作らせた)自作の楽器だったわけですが,明治に入り,そういうインテリゲンチャのおっさんたちが漢詩をうなるための道具から,熊さんお花といった庶民が弾く,手軽で新奇な楽器へと変質するなかで,月琴はその流行に乗ったさまざまな人たちの手によって,大量に生産されるようになりました。
  もちろん,その担い手の多くは,江戸や京阪でもともと三味線やら琴を作っていた楽器屋がいちばん多いわけですが,ほかの楽器と比べると作りがしごく簡単なので,専門の楽器職でなくとも,ヘタをすると,きちんとした木工の経験がないような人でも,「月琴作家」として名乗りをあげられないこともありませんでした。
  一時期はそれこそ雨後のタケノコ,雷後のキノコのように,日本全国各地に月琴の製作者が現れました。28号や39号などはおそらく,指物や工芸の職人さんが自分用として作ったり依頼されて作ったものでしょうが,そういう半プロの月琴職も,けっこういたようです。

  楽器屋として手広くやっていたような人だと,楽器も資料もけっこう残ってますので,調べていけばやがてはどこの誰だか分かるような確率が高まってゆくのですが,そういう専門職ではないヒトや,流行にノって 「たまたま作ってみた」 みたいなヒトの場合は,よほどの直接的な資料----たとえば楽器そのものに,どこの誰兵衛作と書いてあった,とか----がない限り,作者の情報が判明することは,まずありません。

  それでも少しづつ,分かる情報を積み重ねてゆくといたしましょう。



  まずは月琴12号照葉ちゃん。

  工房に来た時には,半月がなくなっていました。こないだ修理した28号に似て,カヤ材をゼイタクに使った楽器で,いまはリュート弾きの永田さんのところでがんばってます。

  最近ネオクにかかった楽器に,これと各部の工作の一致する楽器がありました。
  12号の特徴は,棹がなかごまで一木造で,弦池(ペグボックス)が彫りぬき,糸倉の蓮頭がのっている部分がやたらと長いこと,そしてこのお飾り----菊,なんですが,庵主は 「デメ金」 と呼んでいます。(w)

  ほかの部分はともかく,このお飾りのデザインとぬるっとした彫りはきわめて個性的で,一目見たらまず間違えようがありません。また,わざわざこれを真似する者も,さすがにおりますまい。


  この楽器の作者への手がかりは,裏板の上端,ちょうど棹孔のあたりに捺された小さな焼印なのですが,これが少し薄くて,なんと書いてあるのか読み取れません。二文字目は「斎」なのですが,一字目がてんで分かりませんでした。

  新しく見つかった類似楽器の印の字は「光斎」とあります。
  とりあえず,作者の号がはっきりしたわけですね。
  材や加工工作の特徴から,関西の作家さんだと思われますが,いまのところ分かったのはここまで,これ以上の詳細は不明です。



  つぎに24号油虫と30号の作者「松琴斎」。


  この人の楽器は,むかしから古物でもけっこう見かけるので,それそこの数を作っていた,当時としては大手のメーカーさんだったのじゃないかと思われます。この作家さんについては以前のブログで----

  1)「松音斎」と関係のあるメーカーであろう。
  2)号は,店の場所か自分の名前からとったものだろう。

  といったことを書きました。

  33号や庵主の愛器「コウモリ月琴」の作者である「松音斎」は,丁寧な工作のソツなく音のよい楽器を数多く残しています。ある楽器に残されたラベルによると,2千本以上もの月琴を製造したと思われる大メーカーだったようです。
  「松琴斎」の楽器は材質や工作加工技術の面ではやや劣るものの,内部構造をふくめての楽器の作りや意匠が,ここの楽器ときわめて酷似しており,おそらくは師弟か少なくとも系統を同じくする製作者であったと,庵主は考えています。

  「松音斎」のほうについては,その楽器以外,作者のことはほとんど何も分かっていないのですが,「松琴斎」のほうは最近の調査で,いくつかの資料があがってきました。

  まず明治40年の『関西実業名鑑』。ここに大阪の北区老松町の楽器職として 「明清楽器諸楽器製造販売 伊杉堂 松琴斎」 の名が見えます。同じ店名は大正1年の『京阪商工営業案内』や翌2年の『帝国商工信用録』にも見えるのですが,そこでは住所が 「大阪市北区西梅ヶ枝町八七五(電車通)」 となっています。

  おそらくこれこそが,このラベルのついた楽器の製作者ではないか,というところまでは調べがついていましたが,さて次に,明治36年の第五回内国勧業博覧会の受賞人名録中に 「月琴阮咸琵琶洋琴 北区西梅ヶ枝町 杉村菊松」 という人物が見えます----褒状をもらってますね。

  まず,庵主の調べた限りにおいて,当時この北区西梅ヶ枝町(現在の西天満のあたり)で月琴や清楽器を作っていた楽器屋の情報は,この「伊杉堂 松琴斎」と「杉村菊松」氏のほかには見当たりません。 もちろん,冒頭で述べたように,大流行時にはさまざまな有象無象の製作者が乱立していたわけで,この二者がしっかり別人ということも,100%ありえないことではありませんが,先の推理 2)を思い出してください。

  「杉村菊松」……苗字からとって「伊杉堂」,名前からとって「松琴斎」でピッタリじゃあありませんか!
  「伊」は伊賀の出なのか伊豆の出なのか,あるいは屋号か,幼名が伊太郎だったとか伊之助だったのかもしれません。「菊松」の「菊」でなく「松」を取ったほうは,師匠筋だろう「松音斎」にあやかったものでしょう。

  内国勧業博覧会の資料と『京阪商工営業案内』のちょうど真ん中にあたる『関西実業名鑑』がその住所を「北区老松町」としているあたり,ちょっとまだ不確定要素は残っているもの。「松琴斎」は「杉村菊松」でまず間違いないかと考えられます。

  「明治大正期楽器商リスト」の作成を通じ,どちらのデータもとっくに入力されていたものですが,ふとしたきっかけがないと,こういうものは結びつかないものです。
  今回の偶然は「打ち間違い」でした。
  最近入力した資料で,「杉村菊松」の住所をちょっと間違って入れちゃったんですね,「梅ヶ枝町」だか「西梅ヶ枝町」だか分からなくなったんで,とさに確認のため地名で検索してみたら「伊杉堂 松琴斎」がいっしょに引っかかってきたわけです---- 「伊杉堂…杉村……松琴斎…菊松………だよなぁ」 と,上下に並んだ二つの項目をながめながら,ハタと思いついた次第。

  人事はかるべからず。
  たとえデータになっても,人間の情報と言うものは把握しきれないものですなあ。


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